お姉さんと美術 前編
「はい、それでは皆さん、準備はできましたか?カンバスに、こちらのリンゴを写して描いていただきます」美術教師が、生徒達の前で今回の授業の説明を行った。
少年は、リンゴを手に取り多面的に観察した。しかし、思うように絵にする方法が思い付かない。周囲の筆遣いの音が、彼の焦燥感を煽り立てた。ふと、周りの様子が目には入る。
迷いなき筆致で、写実的に描くもの、リンゴの赤みを強調するもの、目の前の実物ではなく美味しそうな切り身やウサギを書き出すもの色々であった。(ど、どうしよう…)彼は、自分の絵を恥ずかしがった。歪んだ輪郭線、狂ったパース、ムラのある塗り、陰影と立体感のなさ。
リンゴというシンプルな題材は、絵心と技術の差を克明に描くのであった。
〜〜〜〜〜〜
「なるほど。図画というのは、個人の力量の大小を残酷に映すものだな」デーモンは、契約者の絵を見て婉曲に講評した。「それで?君の絵心を改善しろとでも?嫌ではないが、リャナンシーとかに頼んだ方が確実だぞ。それか、知り合いにマーシャークのフォルネウスというやつが…」
「違う…」少年は、改めて悪魔の目を覗き込んだ。その表情には、何らかの決意が籠っていた。「いや、別に絵が上手くなりたいけど…そ、その…お姉さんに協力してほしいんだ!」彼は上ずった声で彼女に答えた。
「ふむ?」デーモンは、少年の意図を図りかねた。しかし、何やら悪そうな笑みを浮かべた。「まあ、向上心があるのは悪くない…良いだろう。君に最適な環境と絵のモデルを提供しようじゃないか」
「え?」少年は、彼女の指が鳴る音を聞いた。彼らは、空間が歪んで開いた穴に吸い込まれた。「うわあああ!」「何をそんなに怯えている?」「だって、僕!落ちる!?」
お姉さん「大丈夫だ。もう着いたよ」
少年「えっ?」彼は、不思議な浮遊感に包まれた。彼の足は空中に投げ出され、頭は逆さまになっている。
お姉さん「落ち着きたまえ…私が手を繋いでいれば…」
少年「あっ…」
お姉さん「そうら…心配ないだろう?」彼女は、優しく彼の手を握った。その瞬間、足場に立つ感覚が戻ってきた。
少年「ほんとだ…ここはどこ?」
お姉さん「私の屋敷だ。君の絵の練習に良い部屋があってだね…」
彼らは、目の前に出現した、歪で有機的に捻れた三階建ての邸宅に足を踏み入れた。
〜〜〜〜〜
少年は、応接間に待たされた。彼は、所在なさげに周囲の調度品や暖炉をちらちら見渡した。それらは、尋常の作品でないことを物語るように、薄桃色の瘴気を放っていた。それらを視界に映す度に、少年の精神に靄がかかり、頬が上気していった。
「待たせたね」「あっ…」デーモンは、パゴダスリーブ様の部屋着に着替え、髪を編み込み肩から垂らしていた。「すまないね。一人所帯だと、これくらいのもてなしが精一杯なんだ」そう言う彼女は、見事なティーセットを二人分並べ、これまた桃色の蒸気を醸す茶を淹れた。
「わかってると思うが、魔界の食べ物(ヨモツヘグイ)だ。ま、君は私の客人だ。出されたものをどうするかは、君の良心と相談したまえ」彼女は、そう言いながら、ブランデーのような液体を入れた瓶をカップに流し込んだ。
少年「お姉さん、最初に会ったときから…その」
お姉さん「ん?私がどうかしたかね?」
少年「お酒…好きなのかなって?」
お姉さん「欲望と酒は密接な関係にあってだな。一言で言えば、私の"邪淫"という権能は、元々"酒乱"という領域に内包されていた」彼女は、ブランデー割りの茶を飲み干した。
少年「しゅらん?」
お姉さん「酒に酔って、悪いことをしでかすこと。数代前の魔王がお姉さんを創った時に、これまた当時の主神への冒涜のためにな」彼女はポットから少し注ぎ、瓶からは大量に注いだ。
少年「神様って交代するんだ!?」
お姉さん「不滅の存在などいないということさ。少なくとも、この欲界と色界の神や魔物にはな」遂には、ラッパ飲みをし始めた。
「さて、君の絵画の練習についてだが…お姉さんのうちには色々部屋があってね。使ってない部屋を貸すよ」「いいの?」少年は、茶の香りに噎せかえり、首に汗を滴しながら質問した。「契約者の望みは叶えるさ、なんなりと」彼女は、瓶を空にして答えた。
少年は、デーモンに連れられて、ある部屋に通された。そこは、禍々しい魔界材木の板張りに、壁紙のない打ちっぱなしの壁の簡素な広間であった。「かつて、私の部下に与えていた部屋の一つでね…優秀な娘だった」「そうなんだ…」
「ああ。様子を見に来ると、いつも連れ込んだ男を苛んで、狂喜していて…」「そ、そうなんだ…」彼は、彼女の喜悦に歪んだ顔を見なかったことにした。「だが、いやよそう…」「…」デーモンはふと仏頂面になった。「年寄りは過去を振り替えるしか、楽しみがないんだ…」
「それに、今は君がいる…」「お姉さん…」彼女は、遠い目をして少年の髪を撫でた。「さて、画材とモデルを用意してこようか…」彼は、部屋を出るデーモンの後ろ姿を見つめながら、椅子に腰かけた。
「やあ」「あ、お姉さん!?」悪魔は戻ってきた。薄布に着替えて。デーモンは、少年の予想通りの反応に喜色満面になった。「ううう…」薄布越しに、何度か見たはずの彼女の罫線や起伏がはっきりと強調され、しかし決定的な部分だけは隠れている。それがより彼を刺激した。
「ふむ。流石に何度か致してみれば、それなりに耐性がつくものだな…」悪魔は、少年が意識を保っていることに感心した。「さて、芸術と色欲とは切っても切れない関係でね。今日はその講釈がてら、君の"お手伝い"をしようかね」
「…」少年は、カンバスからちらちらと顔を出しては、すぐに引っ込めを繰り返した。「ふふ」デーモンは、彼の様子にきをよくしながら、扇情的なポーズを継続した。「そもそもだ、美術とは"制限ある自由"という矛盾に立脚している」
お姉さん「君らの先祖は、自然から美を見つけ出し、それを洞窟の壁に表現した。夜は出歩けず、暇をもて余していたから、無理からぬことだ。絵は"娯楽"となった」
少年(絵は娯楽…)
お姉さん「そして、美には共通するものがあることに、また誰かが気づいた。厳かで、冒しがたい、奥深さ。"かみ"を見出だした」
少年(それは"かみ"…)
お姉さん「その美に宿る神秘は、やがてある上位存在に結び付く…"主神"と巷で呼ばれる存在にね。宗教画の到来は、教会の黎明期の伸長に大きく貢献した」
「あまり悪し様に言いたくはないがね…主神教の連中は、しかし美術の持つ力強さを理解した。だから、彼らは"崇敬の芸術"と"退廃の偶像"を区別し始めた。絵の良し悪しと別に、道徳と冒涜の概念をあろうことか持ち込んだ」彼女はまんじりとも動かなかったが、今にも笑い転げそうに、口を歪めた。(教会の
「特に女の描き方には注文をつけるようになった。曰く、胸が見える不埒だ。破廉恥だ。曰く、男女が並ぶとは"それ"を暗示していると。解釈は自由だがね」デーモンは、見てきたことを思い出すように言った。「面白いことに、私のような生粋の淫魔でも、そのような受け取り方はそうそうしないような言いがかりだったよ」(ふらち…ハレンチ…)少年は、自分の描く彼女に何だか、淫らさを覚えた。
「だから、だんだん絵描き側も面白い返しを身に付けてね。"この女性が胸元を強調するのは女神の母性を表現していて…"とか、"男女が並んでいるのは言外に夫婦であることを表し、教会の定める家族像を…"とかね」彼女は、特定の画家の口調を真似した。(制限のある自由…)彼の筆動きには迷いが消えていった。少年は段々と、拙くも自分が美しいと感じた要素を惜しみ無く盛り込んだ。
「遂には、若き乙女はすべて主神か何らかの女神ということになって、妙齢の女性は主神教の"勇者の聖母"だとかの暗黙の了解が出来た。規制したのに、美しい女性を描くもの、より健康的な性を追求するもの、私が知る限り跡を断たなかった」(じゃあ、教会のステンドグラスの女の人も、もしかしたら…)
「欺瞞に隠された作者のリビドーを見つけるのも、芸術の一つの楽しみ方だね」(僕は…お姉さんがきれい…そう感じた)少年は、最早彼女の声を聞いてはいなかった。デーモンの美しさ、淫靡さ、賢さ、そして何より…(楽しそうな笑顔)
彼女が、自分の好きなことをしている姿、彼に語りかけるその悪魔然とした邪悪な笑み、デーモンであること。それを素直に絵に落とし混んでいった。その表情は、まるで一端の芸術家であるのかと、そんな雰囲気を纏っていた。
(少年のこの眼差し…)彼女は、そこにある少年の真剣さに、そこではない在りし日の面影を見出だした。(つづく)
少年は、リンゴを手に取り多面的に観察した。しかし、思うように絵にする方法が思い付かない。周囲の筆遣いの音が、彼の焦燥感を煽り立てた。ふと、周りの様子が目には入る。
迷いなき筆致で、写実的に描くもの、リンゴの赤みを強調するもの、目の前の実物ではなく美味しそうな切り身やウサギを書き出すもの色々であった。(ど、どうしよう…)彼は、自分の絵を恥ずかしがった。歪んだ輪郭線、狂ったパース、ムラのある塗り、陰影と立体感のなさ。
リンゴというシンプルな題材は、絵心と技術の差を克明に描くのであった。
〜〜〜〜〜〜
「なるほど。図画というのは、個人の力量の大小を残酷に映すものだな」デーモンは、契約者の絵を見て婉曲に講評した。「それで?君の絵心を改善しろとでも?嫌ではないが、リャナンシーとかに頼んだ方が確実だぞ。それか、知り合いにマーシャークのフォルネウスというやつが…」
「違う…」少年は、改めて悪魔の目を覗き込んだ。その表情には、何らかの決意が籠っていた。「いや、別に絵が上手くなりたいけど…そ、その…お姉さんに協力してほしいんだ!」彼は上ずった声で彼女に答えた。
「ふむ?」デーモンは、少年の意図を図りかねた。しかし、何やら悪そうな笑みを浮かべた。「まあ、向上心があるのは悪くない…良いだろう。君に最適な環境と絵のモデルを提供しようじゃないか」
「え?」少年は、彼女の指が鳴る音を聞いた。彼らは、空間が歪んで開いた穴に吸い込まれた。「うわあああ!」「何をそんなに怯えている?」「だって、僕!落ちる!?」
お姉さん「大丈夫だ。もう着いたよ」
少年「えっ?」彼は、不思議な浮遊感に包まれた。彼の足は空中に投げ出され、頭は逆さまになっている。
お姉さん「落ち着きたまえ…私が手を繋いでいれば…」
少年「あっ…」
お姉さん「そうら…心配ないだろう?」彼女は、優しく彼の手を握った。その瞬間、足場に立つ感覚が戻ってきた。
少年「ほんとだ…ここはどこ?」
お姉さん「私の屋敷だ。君の絵の練習に良い部屋があってだね…」
彼らは、目の前に出現した、歪で有機的に捻れた三階建ての邸宅に足を踏み入れた。
〜〜〜〜〜
少年は、応接間に待たされた。彼は、所在なさげに周囲の調度品や暖炉をちらちら見渡した。それらは、尋常の作品でないことを物語るように、薄桃色の瘴気を放っていた。それらを視界に映す度に、少年の精神に靄がかかり、頬が上気していった。
「待たせたね」「あっ…」デーモンは、パゴダスリーブ様の部屋着に着替え、髪を編み込み肩から垂らしていた。「すまないね。一人所帯だと、これくらいのもてなしが精一杯なんだ」そう言う彼女は、見事なティーセットを二人分並べ、これまた桃色の蒸気を醸す茶を淹れた。
「わかってると思うが、魔界の食べ物(ヨモツヘグイ)だ。ま、君は私の客人だ。出されたものをどうするかは、君の良心と相談したまえ」彼女は、そう言いながら、ブランデーのような液体を入れた瓶をカップに流し込んだ。
少年「お姉さん、最初に会ったときから…その」
お姉さん「ん?私がどうかしたかね?」
少年「お酒…好きなのかなって?」
お姉さん「欲望と酒は密接な関係にあってだな。一言で言えば、私の"邪淫"という権能は、元々"酒乱"という領域に内包されていた」彼女は、ブランデー割りの茶を飲み干した。
少年「しゅらん?」
お姉さん「酒に酔って、悪いことをしでかすこと。数代前の魔王がお姉さんを創った時に、これまた当時の主神への冒涜のためにな」彼女はポットから少し注ぎ、瓶からは大量に注いだ。
少年「神様って交代するんだ!?」
お姉さん「不滅の存在などいないということさ。少なくとも、この欲界と色界の神や魔物にはな」遂には、ラッパ飲みをし始めた。
「さて、君の絵画の練習についてだが…お姉さんのうちには色々部屋があってね。使ってない部屋を貸すよ」「いいの?」少年は、茶の香りに噎せかえり、首に汗を滴しながら質問した。「契約者の望みは叶えるさ、なんなりと」彼女は、瓶を空にして答えた。
少年は、デーモンに連れられて、ある部屋に通された。そこは、禍々しい魔界材木の板張りに、壁紙のない打ちっぱなしの壁の簡素な広間であった。「かつて、私の部下に与えていた部屋の一つでね…優秀な娘だった」「そうなんだ…」
「ああ。様子を見に来ると、いつも連れ込んだ男を苛んで、狂喜していて…」「そ、そうなんだ…」彼は、彼女の喜悦に歪んだ顔を見なかったことにした。「だが、いやよそう…」「…」デーモンはふと仏頂面になった。「年寄りは過去を振り替えるしか、楽しみがないんだ…」
「それに、今は君がいる…」「お姉さん…」彼女は、遠い目をして少年の髪を撫でた。「さて、画材とモデルを用意してこようか…」彼は、部屋を出るデーモンの後ろ姿を見つめながら、椅子に腰かけた。
「やあ」「あ、お姉さん!?」悪魔は戻ってきた。薄布に着替えて。デーモンは、少年の予想通りの反応に喜色満面になった。「ううう…」薄布越しに、何度か見たはずの彼女の罫線や起伏がはっきりと強調され、しかし決定的な部分だけは隠れている。それがより彼を刺激した。
「ふむ。流石に何度か致してみれば、それなりに耐性がつくものだな…」悪魔は、少年が意識を保っていることに感心した。「さて、芸術と色欲とは切っても切れない関係でね。今日はその講釈がてら、君の"お手伝い"をしようかね」
「…」少年は、カンバスからちらちらと顔を出しては、すぐに引っ込めを繰り返した。「ふふ」デーモンは、彼の様子にきをよくしながら、扇情的なポーズを継続した。「そもそもだ、美術とは"制限ある自由"という矛盾に立脚している」
お姉さん「君らの先祖は、自然から美を見つけ出し、それを洞窟の壁に表現した。夜は出歩けず、暇をもて余していたから、無理からぬことだ。絵は"娯楽"となった」
少年(絵は娯楽…)
お姉さん「そして、美には共通するものがあることに、また誰かが気づいた。厳かで、冒しがたい、奥深さ。"かみ"を見出だした」
少年(それは"かみ"…)
お姉さん「その美に宿る神秘は、やがてある上位存在に結び付く…"主神"と巷で呼ばれる存在にね。宗教画の到来は、教会の黎明期の伸長に大きく貢献した」
「あまり悪し様に言いたくはないがね…主神教の連中は、しかし美術の持つ力強さを理解した。だから、彼らは"崇敬の芸術"と"退廃の偶像"を区別し始めた。絵の良し悪しと別に、道徳と冒涜の概念をあろうことか持ち込んだ」彼女はまんじりとも動かなかったが、今にも笑い転げそうに、口を歪めた。(教会の
「特に女の描き方には注文をつけるようになった。曰く、胸が見える不埒だ。破廉恥だ。曰く、男女が並ぶとは"それ"を暗示していると。解釈は自由だがね」デーモンは、見てきたことを思い出すように言った。「面白いことに、私のような生粋の淫魔でも、そのような受け取り方はそうそうしないような言いがかりだったよ」(ふらち…ハレンチ…)少年は、自分の描く彼女に何だか、淫らさを覚えた。
「だから、だんだん絵描き側も面白い返しを身に付けてね。"この女性が胸元を強調するのは女神の母性を表現していて…"とか、"男女が並んでいるのは言外に夫婦であることを表し、教会の定める家族像を…"とかね」彼女は、特定の画家の口調を真似した。(制限のある自由…)彼の筆動きには迷いが消えていった。少年は段々と、拙くも自分が美しいと感じた要素を惜しみ無く盛り込んだ。
「遂には、若き乙女はすべて主神か何らかの女神ということになって、妙齢の女性は主神教の"勇者の聖母"だとかの暗黙の了解が出来た。規制したのに、美しい女性を描くもの、より健康的な性を追求するもの、私が知る限り跡を断たなかった」(じゃあ、教会のステンドグラスの女の人も、もしかしたら…)
「欺瞞に隠された作者のリビドーを見つけるのも、芸術の一つの楽しみ方だね」(僕は…お姉さんがきれい…そう感じた)少年は、最早彼女の声を聞いてはいなかった。デーモンの美しさ、淫靡さ、賢さ、そして何より…(楽しそうな笑顔)
彼女が、自分の好きなことをしている姿、彼に語りかけるその悪魔然とした邪悪な笑み、デーモンであること。それを素直に絵に落とし混んでいった。その表情は、まるで一端の芸術家であるのかと、そんな雰囲気を纏っていた。
(少年のこの眼差し…)彼女は、そこにある少年の真剣さに、そこではない在りし日の面影を見出だした。(つづく)
25/05/31 22:13更新 / ズオテン
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