連載小説
[TOP][目次]
お姉さんと音読
「はい、というけで、教科書p76~77を音読していただきます」文学教師が、教壇でテキストを開き、生徒達に指示する。「本日は、5月10日だから…」5番と10番の生徒に緊張が走った。 
 
 15番の席に座る少年は、窓の外を見ていた。「15番の席の」「…えっ」教師は彼を指差した。彼は、突然の指名に驚愕した。「それでは、音読をお願い致します」彼はあわてて、教科書を持って、起立した。

 少年は、彼に集まる視線に緊張した。音読とは、クラスの聴衆に向けて、如何に平坦で冷静に淀み無く話せるかを試される。数十秒に満たぬ、その時間がまるで磔刑を受けているかのように感ぜられた。

 焦りは彼をつまづかせる。どもったり、滑舌が悪かったり、読み間違えさせたりする。その度に、周囲はクスクス笑ってるいるのじゃないかと思ってしまう。彼は、音読が嫌いだった。

〜〜〜〜〜

 自室の勉強机で、少年は教科書とノート、そして分厚い魔導書を開いた。風もないのに、パラパラと捲れていく書物。そして、彼は背後によく知る気配を感じた。

お姉さん「やあ。今日はどういった用件があるのだね?」
少年「なんで、人前で本を音読しなくちゃならないの?」
お姉さん「ふむ…音読か。君の言いたいことは、よぉくわかった」

 魔神は、大仰に一礼した。彼女が肩を軽く叩くと、服装が瞬時に変わった。

少年「何で着替えたの?」
お姉さん「形から入っていく質でね」

 デーモンは、漆黒のベレー帽を被っていた。上半身は、黒いセーターにボレロを羽織り、下には、ロングスカートを履いていた。そして、リーディンググラスを首掛けにはしていたが、セーターの膨らみに乗り上げていた。少年は、あまりそちらを見ないようにした。

お姉さん「さてさて。音読という作業に、どういった学術的意義があるかというはなしに移る前に…」彼女は、虚空より石板を取り出した。
少年「それは?」
お姉さん「教材だよ」
少年「見たこと無い文字だ…」
お姉さん「まあ、この言葉が使われてた時代はとうに過ぎ去ったからね」

 魔神は、石板を更に追加した。見る間に、それらは塔のように連なっていった。天辺は、雲に隠れて見えなくなっている。

少年「これが音読と何の関係が?」
お姉さん「大いにさ。少年は、かつて世界中で同じ言葉を話していたと、聞いたことはないか?」
少年「…」彼は、しばし考えた末に首を横に振った。
お姉さん「言葉…意思の疎通が、完璧にできれば、人間は協力して何でも作り出せる。この塔は、言語が統一されていた時代の産物だよ」

 デーモンは、指を鳴らした。すると、雲を突く塔は、雷に打たれ、強風に晒され、瞬く間に倒壊した。少年は、その光景に青ざめた。

少年「な、なんで、倒れたの?」
お姉さん「それは、誰にもわからない。神の怒りか、魔の戯れか、はたまた人の驕りか」
少年「塔がなくなったら、言葉はどうなったの?」
お姉さん「これが無くなったから、人の言葉が分かれたとも言われてるがね。真相はともかく、人々は各地に離散した。そして、地域ごとに言語が別々になったことは間違いない」

 彼らの前には、壊れた塔から各地に広がる矢印が現れた。それらは、最初は同じ色だったが、徐々に土地ごとに変色していった。そして、色が境界を広げ、衝突が起こっていく。

少年「これは、どうなってるの?」
お姉さん「言葉が違う。意思の疎通が謀れない、そうなると争うしかない。土地、産物、人口を巡ってね」
少年「言葉の違いで…」
お姉さん「だから、国や権力者は『正しい言葉』を定めねばならない。民と秩序を守るためであり、敵味方を区別するためであり、そして支配のためでもある」
少年「『正しくない言葉』を喋ったら?」

 彼の疑問は、次に現れた幻が答えた。国境沿いにある村、そこでは2つの国の民族が混じりあっていた。国同士が緊張状態となると、中央から兵士や官僚達が派遣された。

 学校では、音読中に生徒の話し方が注視された。間違った者、訛りのある者、外国語を使う者。別室で指導されていく。そして、開戦し村は完全に分断された。勝った方に占領された村は、今度は彼らの言葉を話すように教育される。

お姉さん「とまあ、マイルドにしている部分はあるが、概ね歴史上、世界各地でこういうことが行われてきた。今も行われている」
少年「音読って、『正しい言葉』を話させる意味があったんだ…」
お姉さん「もちろん、口で話し耳で聞くという、言語習得の効率的な学習法だからという理由もあるがね」
少年「そうなの?」
お姉さん「ああ。『母語』というように、赤ん坊の内から、母親や周囲の大人が語りかけ、耳を養うことで言葉を覚える。その後、口に出して他人から矯正や肯定されることで、言語は訓練される」
少年「音読は、それを学校でクラスを使ってやってるってことか」
お姉さん「ただ、君が嫌だと感じる音読のやり方、すなわち『人前で、間違うことを許されない、公開処刑』のような要素は、間違いなくこうした負の遺産と言える」

 少年は、床に視線を落として考え込んだ。(音読も、数学みたいに歴史がある…良い面も、悪い面も。学校の授業は、全部に意味があるのかな?)彼は、デーモンを見た。彼女は笑みを浮かべた。

お姉さん「全てに意味がある。だが、活用しなければ無意味になる」
少年「僕、もっと色んなこと知りたくなってきた…」
お姉さん「良い決意だ。善かれ悪しかれ、人は、意味を巧く活用する者だ。お姉さんは、少年との契約に従い、知恵を授けよう」

 二人は、勉強机に向かった。(知恵は悪という…ならば、悪として大成するならば、勉強は不可欠と言えなくもない)悪魔は、少年のやる気に満ちた背中に、微笑みを浮かべた。
25/05/13 07:46更新 / ズオテン
戻る 次へ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33