5:獄炎に焦がれ、死霊に抱かれ
グラウザム城内は、敵味方入り乱れての大乱戦となった。
そこら中に、光の剣で封印された屍や幽鬼が転がり、生気を失った聖騎士や僧侶が倒れていた。
その中でも、領主の間へと進む一団が一際目立つ。赤き法衣に身を包んだ司教と、如何にも精鋭らしき騎士がアンデッドの大群を掻き分けていた。
「猊下!いよいよ魔力が濃く反応しております!結界の発生源は近いでしょう!」部下の一人が、振り子を用いて探知を行う。「ふむ、重畳。主も、我らを導いてることでしょう」クラウスは、無造作に発光する剣を射出し、周囲の敵を壁に縫い付けていった。
「そうあれかし…だが、お前達気を抜くなよ。ここまでは楽勝でも、敵も強くなってやがるからな」大柄なクルセイダーが、周りに釘を刺した。「ヴァルター、言ったそばから敵が迫っていますよ。貴方も注意なさい」
彼らの言う通り、アンデッドの顔ぶれが、中心に近づくごとに上位の者となっている。よたよた近づくゾンビやスケルトンから、今や魔法や武器を扱う首無し騎士や死霊へと変わっている。
騎士団は、破邪のタリスマンや「ゼークネン(祝福)」の巻物を惜しみ無く使い、敵を寄せ付けなかった。だが、聖具を消費するに反比例し、アンデッド軍の攻撃は激しさを増していく。「ここより先へは通すな!」「ぐわあっ!」一人また一人と頭数を減らしていった。
「貴様が大将か!?」「勝利の誉れあらんことを!」ランスを携えたデュラハンが、クラウスに襲いかかる。「猊下!」巨漢の騎士ヴァルターが、戦斧で割って入る。
「ぐうっ!」人間を凌駕する膂力に重戦士が呻いた。「人間にしてはよくやる!お前は大将を追え!」「はっ!」一人が、司教に追いすがる。「しまった!」
「悪く思うな!」魔力の籠る槍が、クラウスに迫り来る。「主は我らと共にあり」「何!?」しかし、赤きビショップは魔物の攻撃を避けもしなかった。デュラハンのランスは、周囲を回転する光の剣に阻まれた。
「不浄なる者に救いを…」「うわーっ!」彼は、剣を手に取ると、そのまま相手を斜めに斬った。不死の騎士は、光に封じられ停止した。
「貴様っ!」「隙あり!」「ぐうっ!」もう一人のデュラハンの注意が逸れた隙を狙い、クルセイダーは戦斧ではね除けた。「はあっ!」「…うっ」ヴァルターは、体勢を崩した敵めがけ、アンデッド封印の聖印を投擲した。そのまま首無し騎士は機能を停止した。
「司教、お怪我は!?」「私は大丈夫です…だが、彼らは」2人は、後方の騎士達を振り返った。死霊が宙を舞い翻弄し、周りの死骸がじりじりと迫っていた。クラウスは、ヴァルターに目配せした。「かしこまりました!」
クルセイダーは、肩をいからせ、アンデッドのただ中に割り入った。大柄な騎士を見るや、彼女らはすがり付くようにその体に掴みかかるが、全く歩みは止まらない。「ヴァルター殿!」「救援、痛み入る!」騎士達は、鼓舞された。
「俺に任せろ!」ヴァルターは身体を光らせると、纏わりつくアンデッドが悶え離れた。「レゲニールングスヴェレ!」「「「…ああっ」」」クルセイダーから放たれる回復魔法が、空を飛び交う死霊を退散させた。
「かたじけない…」「弱音は任務が完了してから言え」ヴァルターは、ペンデュラムの騎士に肩を貸した。「皆、よく頑張りました。主も天より我らを称賛してくださるでしょう」「「「そうあれかし!」」」クラウスが手を翳すと、騎士達はたちどころに傷を治した。
彼らは、遂に城の最上階へと到達した。「結界は、領主の間でなく、あちらの時計塔から発している様です…」手元の振り子が、渡り廊下の先にある緑色に光る塔へ反応していた。「向かいましょう」「「「はっ!」」」
(アンデッドは、何度でも復活する…根源を潰さぬ限り)クラウスは、考えごとをしながら塔へ向かった。ワイトの女侯は棺を破壊すれば完全に死ぬ。そのためには、忌々しい結界を破壊せねば…その思考が、命運を決めた。
「…?」「どうした?」ヴァルターは、傍らのペンデュラムの騎士を振り返った。「振り子が…あっちに吸い寄せ…」「…あ」彼らは、渡り廊下に踏み入る司教の足元を見るや、すぐさま彼を突き飛ばした。「何っ!?」
「があああっ!」ヴァルターは、床より沸き上がる火柱に悶え苦しんだ。「ヴァルター!」「「我らを気にするな!猊下を頼んだ!」騎士団は、炎により分断された。「くっ…仕方ありません。あなた方は、私とともに結界を一刻も早く破壊しましょう!」「「はっ!」」
「惜しいわね…あとちょっとで、あの無礼な奴を閉じ込められたの…」「「!?」」クルセイダーと振り子の騎士は、空中に燃え盛る火の玉を見た。否、それは人型の炎である。「待ちなさい!」火の玉は、司教を追いかける。
「貴様ぁ!」「痛っ!」騎士は、ペンデュラムによって、炎の輪郭を拘束した。それは、燃えるドレスを着た少女となった。「何するの!?」「猊下には、指一本触れさせん!」騎士は、携帯する聖水の瓶を投げ掛けた。しかし、少女の灼熱は聖水が届く前に蒸発させた。
「なっ…」「憎たらしい…恨めしい!」「あがががっ!」鎖を通って炎が、彼のもとへ届いた。それは、肉体でなく、魂を燃やす嫉妬の業火であった。「…あっ」騎士は倒れ込み、少女を縛る鎖がほどけた。「邪魔するからよ!」渡り廊下の先には、赤い法衣の男…彼女は追跡を再開した。
「まだ、俺がいる!はあっ!」「うわっ!何なのよ!次から次に!?」ヴァルターは、斧から風の刃を射出した。人型の炎は間一髪避けると、大柄な騎士を睨んだ。その鎧の隙間は、燻る煙を放っている。
「あなた、火傷してるじゃない。無理しない方がいいわよ」「心配ありがとさん…頑丈な質でな」「どうでもいいから、ほっといてくれないかしら?」「それはできない。俺はクルセイダー、ヴァルターだ。司教様には手出しさせん!」
騎士は身体を発光させると、斧を手に飛び上がる。「はあああっ!」「暑苦しいわね…」青白い炎は、下半身の金属を展開する。「何だ!?」「もっと、熱くしてあげる」瞬時に巨大化した鉄格子は、巨漢をすっぽり包み込んだ。
「ぐうううっ!」先ほどとは段違いの熱波が、ヴァルターを襲った。大きな鳥籠と化した鉄格子は、底から炎が吹き出し、火の粉が舞う炎獄であった。「ふふふ…どんな気分?」少女は、騎士の様子に愉悦を覚えた。「その身は焼かれずとも、心は焦がれ、頭は熱に苦しむの」「うがあああっ!」
「名乗って無かったわね?私、プルガトリア・フォン・グラウザム…御姉様、クラウディア侯爵の従妹よ」プルガトリアは、業火に焼かれるクルセイダーに触れた。手が当たる部分の鎧が、赤熱していく。「ぐあああっ!」「ふふふ、もう聞こえてないわね!」
少女は、ヴァルターが無力になったことを確認し、背を向けた。(あとは、さっきの赤い男を…)「きゃあ!」だが、その思考は、白光により中断された。「あああああ!」騎士は、炎を掻き消すように癒しの波動を全開にした。
「何よ!」「ああああ!お前、を!クラウス、さま!へ、行かせない!」「きゃあ!」ヴァルターは、プルガトリアを掴み離さなかった。「気色悪い!離して!」「があああっ!」彼女は、火力を高めた。業火に燃やされるとも、クルセイダーはその手を離すまいとした。
「はああああ!俺、とお前!我慢、比べと!行こうか!」「うるさいわね!はなせえええ!」真っ白な光と、青白い炎が拮抗し、鉄格子の外まで魔力が広がり、周囲の瓦礫や埃を巻き上げた。「があああっ!」「やあああ!」衝撃は終わりを見せぬ、どちらかが倒れるまで…
〜〜〜〜〜
「はあっ!」「せやあっ!」「…」赤い司教は、騎士達を伴って塔を駆け登った。崩れた階段や、罠の魔法陣を飛び越え最上階に到着した。そこは異様な空間であった。
外観からは想像のつかない、余りにも広く、歪んだ調度品や名状し難いグリモアが乱雑に積まれていた。その中心に、件の結界の根源、すなわち術者が佇んでいた。
「もし…貴女が管理者、ライヒェ殿か?」「…」クラウスの呼び掛けに、襤褸衣の魔術師は返答しなかった。彼女は、本を読むのに夢中なようだ。「ふむ…」司教は、騎士達に攻撃を指示した。「「「はっ!」」」
「やあ!」ロングソードの騎士が、下から掬い上げるように斬撃を繰り出す。「光あれ!」マントのパラディンが、浄化の光を放つ。「っ!」最後に弓の騎士が、3本の矢を同時に発射した。
「…」魔術師は、無造作に手を翳した。「何!?」剣士は、目の前に開いた異次元の穴に落下した。「…あっ」パラディンは、小さな結界に閉じ込められ、封印された。「…ん」「!」矢は、魔力の障壁に阻まれた。そして、弓兵は天井から伸びる、肉腫に取り込まれていった。
「なんと…」クラウスは、敵を見据え冷や汗をかいた。「どうやら、貴女は一筋縄ではいかないようだ」彼は、幾重にも光の剣で壁を作り出した。「…お客さん?」魔術師は、初めて部屋にいる法衣の人物を認めた。
「まあ、客と言えば客ですが」「…見覚えあるね?」襤褸の女は、クラウスの顔に既視感を覚えた。「ライヒェ殿…いや、こう呼ぶがふさわしいか。シュヴェスター・カザリン…」
「…そう呼ぶ人、少ない。けど、誰だっけ?」「では、改めて。私は、司教兼ホスピタール騎士団総長(ホフマイスター)、クラウス・フォン・クラーゲンガルトです」ライヒェは、その名前を聞いて瞬きした。「クラウス…クルゥ?久しぶりだね」「その名で呼ぶのは貴女くらいのものだ…」
魔術師が本を閉じると、その手に独りでに杖が飛び来た。彼女は杖を取り、その先端の魔石を妖しく光らせた。司教は、光の防壁の中で詠唱を始めた。何重もの光の剣であっても、このアンデッドの魔術は防げるものでないと直感した。
「貴女が、教会を…騎士団を抜けたと聞いて、疑問には思わなかった。いつかこうなるとどこかで感じていた」クラウスは、時間稼ぎに話しをした。「…ふーん」一方のライヒェは、興味のなさそうに生返事をした。
「…貴女は問題行動ばかり。ホスピタール(治療院)の名を盾に、異端の医療や人倫に悖ることばかりだった」「…問題視したのは、教義に外れてるから?それとも、教会の管理から逸脱したから?」「両者はそう違いない。とにかく、主の理を侵したのだ。医術に身を捧げた同志だったのにだ」
「…クルゥ、私昔も今も変わらないよ?人を治してあげてるだけ」ライヒェは、美しい顔に死人のような無表情を浮かべていた。声も平坦で、生気も無かった。だが、わずかに目尻を下げた。クラウスは、そこに悲しみを読み取った。(どうやら、時間稼ぎはできてるようだ…)彼の魔法陣は、あと数節で完成する。
「では、聞こう。その真意は主の律に従うからか?衆生を救うためか?」「…」「…な」返答の代わりに、彼女は杖に魔力を込めた。魔石が再び光ると、周囲にいくつもの真円が浮かぶ。(ありえん…無詠唱で多重発動だと)彼は、ビショップとしては秀才と言ってよかった。その彼だから理解した…相手は埒外の存在に成り果てたと。
「…ふふふ…主の理、下らない」「何だと?」ライヒェは、わずかに口角を上げた。「…私の原動力は、好奇心。ありとあらゆる快楽を…全ての悦びを…そのためには、生命を、魔術を、知りたいの」
「…見下げた回答だ」クラウスは覚悟を決めた。防御に回していた全ての剣を射出した。「…私の手で浄化する!」光の剣は、いくつかの魔法陣に突き刺さり、発動を中断せしめた。それでも、迸る電撃や無数の氷柱などが発射されてしまったが、構わずリッチの懐に入り込んだ。
「ライニーゲン!」ビショップの浄化の光柱は、不死の魔女を包み炸裂した。「ぐうううっ!」何十もの魔法に曝されても、彼は攻撃を中断しなかった。赤い法衣はズタズタになり、その下に着た鎧が砕けようと、ただ発動した。
「…はあ…はあ」光の柱が、徐々に収束していく。「…君も成長したみたいだね」「?!」そこには、ライヒェが無傷で浮かんでいた。「…残念だけど、教会からある程度資料は持ち出してた。聖属性を実験する時間はいくらでもあった」彼女は、平坦な声色であったが、その目には確かな優越感があった。
「…あああ」力を出し切ったクラウスには、最早動くことすらできない。天井から、肉塊が降りてくる。弓の騎士が、触手に飲まれぶら下がっているのが見える。「…男の被験者が不足してたんだ。クルゥは、特に優秀だからね…いい実験体になるよ」「やめ…」
ライヒェは、口付けを行った。その冷たさが、クラウスが意識を手放す前に最後に感じたものだった。
そこら中に、光の剣で封印された屍や幽鬼が転がり、生気を失った聖騎士や僧侶が倒れていた。
その中でも、領主の間へと進む一団が一際目立つ。赤き法衣に身を包んだ司教と、如何にも精鋭らしき騎士がアンデッドの大群を掻き分けていた。
「猊下!いよいよ魔力が濃く反応しております!結界の発生源は近いでしょう!」部下の一人が、振り子を用いて探知を行う。「ふむ、重畳。主も、我らを導いてることでしょう」クラウスは、無造作に発光する剣を射出し、周囲の敵を壁に縫い付けていった。
「そうあれかし…だが、お前達気を抜くなよ。ここまでは楽勝でも、敵も強くなってやがるからな」大柄なクルセイダーが、周りに釘を刺した。「ヴァルター、言ったそばから敵が迫っていますよ。貴方も注意なさい」
彼らの言う通り、アンデッドの顔ぶれが、中心に近づくごとに上位の者となっている。よたよた近づくゾンビやスケルトンから、今や魔法や武器を扱う首無し騎士や死霊へと変わっている。
騎士団は、破邪のタリスマンや「ゼークネン(祝福)」の巻物を惜しみ無く使い、敵を寄せ付けなかった。だが、聖具を消費するに反比例し、アンデッド軍の攻撃は激しさを増していく。「ここより先へは通すな!」「ぐわあっ!」一人また一人と頭数を減らしていった。
「貴様が大将か!?」「勝利の誉れあらんことを!」ランスを携えたデュラハンが、クラウスに襲いかかる。「猊下!」巨漢の騎士ヴァルターが、戦斧で割って入る。
「ぐうっ!」人間を凌駕する膂力に重戦士が呻いた。「人間にしてはよくやる!お前は大将を追え!」「はっ!」一人が、司教に追いすがる。「しまった!」
「悪く思うな!」魔力の籠る槍が、クラウスに迫り来る。「主は我らと共にあり」「何!?」しかし、赤きビショップは魔物の攻撃を避けもしなかった。デュラハンのランスは、周囲を回転する光の剣に阻まれた。
「不浄なる者に救いを…」「うわーっ!」彼は、剣を手に取ると、そのまま相手を斜めに斬った。不死の騎士は、光に封じられ停止した。
「貴様っ!」「隙あり!」「ぐうっ!」もう一人のデュラハンの注意が逸れた隙を狙い、クルセイダーは戦斧ではね除けた。「はあっ!」「…うっ」ヴァルターは、体勢を崩した敵めがけ、アンデッド封印の聖印を投擲した。そのまま首無し騎士は機能を停止した。
「司教、お怪我は!?」「私は大丈夫です…だが、彼らは」2人は、後方の騎士達を振り返った。死霊が宙を舞い翻弄し、周りの死骸がじりじりと迫っていた。クラウスは、ヴァルターに目配せした。「かしこまりました!」
クルセイダーは、肩をいからせ、アンデッドのただ中に割り入った。大柄な騎士を見るや、彼女らはすがり付くようにその体に掴みかかるが、全く歩みは止まらない。「ヴァルター殿!」「救援、痛み入る!」騎士達は、鼓舞された。
「俺に任せろ!」ヴァルターは身体を光らせると、纏わりつくアンデッドが悶え離れた。「レゲニールングスヴェレ!」「「「…ああっ」」」クルセイダーから放たれる回復魔法が、空を飛び交う死霊を退散させた。
「かたじけない…」「弱音は任務が完了してから言え」ヴァルターは、ペンデュラムの騎士に肩を貸した。「皆、よく頑張りました。主も天より我らを称賛してくださるでしょう」「「「そうあれかし!」」」クラウスが手を翳すと、騎士達はたちどころに傷を治した。
彼らは、遂に城の最上階へと到達した。「結界は、領主の間でなく、あちらの時計塔から発している様です…」手元の振り子が、渡り廊下の先にある緑色に光る塔へ反応していた。「向かいましょう」「「「はっ!」」」
(アンデッドは、何度でも復活する…根源を潰さぬ限り)クラウスは、考えごとをしながら塔へ向かった。ワイトの女侯は棺を破壊すれば完全に死ぬ。そのためには、忌々しい結界を破壊せねば…その思考が、命運を決めた。
「…?」「どうした?」ヴァルターは、傍らのペンデュラムの騎士を振り返った。「振り子が…あっちに吸い寄せ…」「…あ」彼らは、渡り廊下に踏み入る司教の足元を見るや、すぐさま彼を突き飛ばした。「何っ!?」
「があああっ!」ヴァルターは、床より沸き上がる火柱に悶え苦しんだ。「ヴァルター!」「「我らを気にするな!猊下を頼んだ!」騎士団は、炎により分断された。「くっ…仕方ありません。あなた方は、私とともに結界を一刻も早く破壊しましょう!」「「はっ!」」
「惜しいわね…あとちょっとで、あの無礼な奴を閉じ込められたの…」「「!?」」クルセイダーと振り子の騎士は、空中に燃え盛る火の玉を見た。否、それは人型の炎である。「待ちなさい!」火の玉は、司教を追いかける。
「貴様ぁ!」「痛っ!」騎士は、ペンデュラムによって、炎の輪郭を拘束した。それは、燃えるドレスを着た少女となった。「何するの!?」「猊下には、指一本触れさせん!」騎士は、携帯する聖水の瓶を投げ掛けた。しかし、少女の灼熱は聖水が届く前に蒸発させた。
「なっ…」「憎たらしい…恨めしい!」「あがががっ!」鎖を通って炎が、彼のもとへ届いた。それは、肉体でなく、魂を燃やす嫉妬の業火であった。「…あっ」騎士は倒れ込み、少女を縛る鎖がほどけた。「邪魔するからよ!」渡り廊下の先には、赤い法衣の男…彼女は追跡を再開した。
「まだ、俺がいる!はあっ!」「うわっ!何なのよ!次から次に!?」ヴァルターは、斧から風の刃を射出した。人型の炎は間一髪避けると、大柄な騎士を睨んだ。その鎧の隙間は、燻る煙を放っている。
「あなた、火傷してるじゃない。無理しない方がいいわよ」「心配ありがとさん…頑丈な質でな」「どうでもいいから、ほっといてくれないかしら?」「それはできない。俺はクルセイダー、ヴァルターだ。司教様には手出しさせん!」
騎士は身体を発光させると、斧を手に飛び上がる。「はあああっ!」「暑苦しいわね…」青白い炎は、下半身の金属を展開する。「何だ!?」「もっと、熱くしてあげる」瞬時に巨大化した鉄格子は、巨漢をすっぽり包み込んだ。
「ぐうううっ!」先ほどとは段違いの熱波が、ヴァルターを襲った。大きな鳥籠と化した鉄格子は、底から炎が吹き出し、火の粉が舞う炎獄であった。「ふふふ…どんな気分?」少女は、騎士の様子に愉悦を覚えた。「その身は焼かれずとも、心は焦がれ、頭は熱に苦しむの」「うがあああっ!」
「名乗って無かったわね?私、プルガトリア・フォン・グラウザム…御姉様、クラウディア侯爵の従妹よ」プルガトリアは、業火に焼かれるクルセイダーに触れた。手が当たる部分の鎧が、赤熱していく。「ぐあああっ!」「ふふふ、もう聞こえてないわね!」
少女は、ヴァルターが無力になったことを確認し、背を向けた。(あとは、さっきの赤い男を…)「きゃあ!」だが、その思考は、白光により中断された。「あああああ!」騎士は、炎を掻き消すように癒しの波動を全開にした。
「何よ!」「ああああ!お前、を!クラウス、さま!へ、行かせない!」「きゃあ!」ヴァルターは、プルガトリアを掴み離さなかった。「気色悪い!離して!」「があああっ!」彼女は、火力を高めた。業火に燃やされるとも、クルセイダーはその手を離すまいとした。
「はああああ!俺、とお前!我慢、比べと!行こうか!」「うるさいわね!はなせえええ!」真っ白な光と、青白い炎が拮抗し、鉄格子の外まで魔力が広がり、周囲の瓦礫や埃を巻き上げた。「があああっ!」「やあああ!」衝撃は終わりを見せぬ、どちらかが倒れるまで…
〜〜〜〜〜
「はあっ!」「せやあっ!」「…」赤い司教は、騎士達を伴って塔を駆け登った。崩れた階段や、罠の魔法陣を飛び越え最上階に到着した。そこは異様な空間であった。
外観からは想像のつかない、余りにも広く、歪んだ調度品や名状し難いグリモアが乱雑に積まれていた。その中心に、件の結界の根源、すなわち術者が佇んでいた。
「もし…貴女が管理者、ライヒェ殿か?」「…」クラウスの呼び掛けに、襤褸衣の魔術師は返答しなかった。彼女は、本を読むのに夢中なようだ。「ふむ…」司教は、騎士達に攻撃を指示した。「「「はっ!」」」
「やあ!」ロングソードの騎士が、下から掬い上げるように斬撃を繰り出す。「光あれ!」マントのパラディンが、浄化の光を放つ。「っ!」最後に弓の騎士が、3本の矢を同時に発射した。
「…」魔術師は、無造作に手を翳した。「何!?」剣士は、目の前に開いた異次元の穴に落下した。「…あっ」パラディンは、小さな結界に閉じ込められ、封印された。「…ん」「!」矢は、魔力の障壁に阻まれた。そして、弓兵は天井から伸びる、肉腫に取り込まれていった。
「なんと…」クラウスは、敵を見据え冷や汗をかいた。「どうやら、貴女は一筋縄ではいかないようだ」彼は、幾重にも光の剣で壁を作り出した。「…お客さん?」魔術師は、初めて部屋にいる法衣の人物を認めた。
「まあ、客と言えば客ですが」「…見覚えあるね?」襤褸の女は、クラウスの顔に既視感を覚えた。「ライヒェ殿…いや、こう呼ぶがふさわしいか。シュヴェスター・カザリン…」
「…そう呼ぶ人、少ない。けど、誰だっけ?」「では、改めて。私は、司教兼ホスピタール騎士団総長(ホフマイスター)、クラウス・フォン・クラーゲンガルトです」ライヒェは、その名前を聞いて瞬きした。「クラウス…クルゥ?久しぶりだね」「その名で呼ぶのは貴女くらいのものだ…」
魔術師が本を閉じると、その手に独りでに杖が飛び来た。彼女は杖を取り、その先端の魔石を妖しく光らせた。司教は、光の防壁の中で詠唱を始めた。何重もの光の剣であっても、このアンデッドの魔術は防げるものでないと直感した。
「貴女が、教会を…騎士団を抜けたと聞いて、疑問には思わなかった。いつかこうなるとどこかで感じていた」クラウスは、時間稼ぎに話しをした。「…ふーん」一方のライヒェは、興味のなさそうに生返事をした。
「…貴女は問題行動ばかり。ホスピタール(治療院)の名を盾に、異端の医療や人倫に悖ることばかりだった」「…問題視したのは、教義に外れてるから?それとも、教会の管理から逸脱したから?」「両者はそう違いない。とにかく、主の理を侵したのだ。医術に身を捧げた同志だったのにだ」
「…クルゥ、私昔も今も変わらないよ?人を治してあげてるだけ」ライヒェは、美しい顔に死人のような無表情を浮かべていた。声も平坦で、生気も無かった。だが、わずかに目尻を下げた。クラウスは、そこに悲しみを読み取った。(どうやら、時間稼ぎはできてるようだ…)彼の魔法陣は、あと数節で完成する。
「では、聞こう。その真意は主の律に従うからか?衆生を救うためか?」「…」「…な」返答の代わりに、彼女は杖に魔力を込めた。魔石が再び光ると、周囲にいくつもの真円が浮かぶ。(ありえん…無詠唱で多重発動だと)彼は、ビショップとしては秀才と言ってよかった。その彼だから理解した…相手は埒外の存在に成り果てたと。
「…ふふふ…主の理、下らない」「何だと?」ライヒェは、わずかに口角を上げた。「…私の原動力は、好奇心。ありとあらゆる快楽を…全ての悦びを…そのためには、生命を、魔術を、知りたいの」
「…見下げた回答だ」クラウスは覚悟を決めた。防御に回していた全ての剣を射出した。「…私の手で浄化する!」光の剣は、いくつかの魔法陣に突き刺さり、発動を中断せしめた。それでも、迸る電撃や無数の氷柱などが発射されてしまったが、構わずリッチの懐に入り込んだ。
「ライニーゲン!」ビショップの浄化の光柱は、不死の魔女を包み炸裂した。「ぐうううっ!」何十もの魔法に曝されても、彼は攻撃を中断しなかった。赤い法衣はズタズタになり、その下に着た鎧が砕けようと、ただ発動した。
「…はあ…はあ」光の柱が、徐々に収束していく。「…君も成長したみたいだね」「?!」そこには、ライヒェが無傷で浮かんでいた。「…残念だけど、教会からある程度資料は持ち出してた。聖属性を実験する時間はいくらでもあった」彼女は、平坦な声色であったが、その目には確かな優越感があった。
「…あああ」力を出し切ったクラウスには、最早動くことすらできない。天井から、肉塊が降りてくる。弓の騎士が、触手に飲まれぶら下がっているのが見える。「…男の被験者が不足してたんだ。クルゥは、特に優秀だからね…いい実験体になるよ」「やめ…」
ライヒェは、口付けを行った。その冷たさが、クラウスが意識を手放す前に最後に感じたものだった。
25/04/21 11:12更新 / ズオテン
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