縫い込まれた赤い糸
「おっきくなったら、けっこんしよ!」村外れの小高い丘で、あの娘にそう言われた。俺は、食い気味に首を縦に振った。「うれしい!じゃあ…やくそくね。めをつぶって…」
彼女に従い、目を閉じた。胸が高鳴り、息が荒くなっていく。
「…まだ、あけちゃだめ」耳を研ぎ澄ませると、彼女の声と気配が間近に感じた。生唾を飲み込む。「…ん」唇に柔らかな感触…しかし、これは…(毛皮?)
俺は、反射的に目を見開いた。目の前には、彼女が大事にしていたクマのぬいぐるみ。あの娘は、赤面して、そっぽを向いていた。「チューはまだはやいから、ウルゼットに…」彼女は、いたずらっぽく微笑んだ。その顔は、日の光にも負けない輝きに見えた。
あの日、彼女は泣いていた。聞けば、悪がきにウルゼットが壊されたそうだ。確かに、片手には無惨に首がちぎれ、中身を晒すクマがうなだれていた。
「…ッ、酷いよ…わたし、ッ、ただこの子と遊んでたッだけなのに…」彼女の嗚咽混じりの声に、自分も胸を締め付けられた。どうにかしてあげたかった。だから意を決して話しかけた。「ッえ?ウルゼットを…治してくれる?」
もちろん、縫い物なんてその日までしてこなかった。だけど、母さんの見よう見まねで、針と糸を通してみた。ウルゼットは、寝違えたかのように首を歪め、縫い跡が痛々しかった。俺の手は針で穴だらけ、体は綿と糸屑まみれだった。あの娘に見せた。彼女は、笑ってくれた。
その満足感と達成感から、俺はぬいぐるみを自作するようになった。村の小さい子の頼みを聞いたり、親子で大事にしている「家族」を治してあげたり、気づけば一端の芸になっていた。もちろん、常連はあの娘だった…
俺は、もっと腕を磨きたくて、これを生業にしたくて、都市に行って職人に弟子入りすることにした。母さんは応援してくれた。父さんも最後には折れた。そして…「…一緒には、行けないかな…」彼女の言葉に、俺は絶望した。
「ッ違うの!あなたと行きたくないからじゃないの!ただ…」彼女は俺の手を握り、そして目を合わせて話し始めた。「あなたが一人前に成ろうとしているなら、村を出るほど真剣なら…私も一人前になってから、あなたに会いに行きたいって…」彼女が言葉を紡ぐほどに、包まれた手の力が増し、涙が溢れた。俺はただ、彼女を抱き締めた。
出発の日、俺の両親と彼女の一家、友人達が見送りに来ていた。彼女の姿は見えなかった…俺が村からあの丘に行くと、あの娘が…
「…きろ!起きろ!」野太い大声と、乱暴な揺さぶりで、頭痛と全身の軋みと共に俺は起こされた。目の前にいるのは、記憶のあの娘でなく、戦場で出会った仲間であった。(いくさば?…そうだ)あれから十年余り、隣国に攻められ、国の若い男は俺を含め駆り出された。
生まれてこの方、喧嘩もほとんどしてこなかったが、領主に集められ、粗末な武器と頼りない鎧兜を渡され、数日で
兵士に変えられた。中には腕が立つやつもいないことはなかったが、俺はからっきしだった。仲間内でも、そこまで期待はされなかったから、むしろ安全なところを任された。
「やっと起きたか!今にも腕がもげそうな奴がいてよ!」…だが、それでもここは戦場だ、何かしら出来ることを求められる。俺は、仕事柄縫い物が上手かったから、医者紛いのことをすることにした。
始めは大変だった。ぬいぐるみと違って動くし、針を通せば痛みに暴れる。血は流れ、臓物や肉を手づかみ、吐きそうになった。慣れてからは、どうと言うことはない。人間の「ぬいぐるみ」だ。縫えばくっつく、綿は詰め直せばいい。
数ヶ月もすると、動けて戦える奴より横たわって呻く奴が増えた。武器や食糧はそれに反比例して無くなっていった。そして、シラミと飢えに喘いでるうちに終戦した。勝ったのは、自国でも敵国でもなかった。なんでも、両国の争いに魔王軍が介入したとか。勝利もなく、疲弊した俺達は魔物の支配下に置かれた。
軍は解散した。都市に戻ってみれば、翼を生やしたり、毛皮に包まれた連中が街を闊歩していた。親方は元気だったが、半ば休業しているらしい。折角だからと、故郷の村に帰ることを勧められた。
数年ぶりに帰ってきた故郷は、出発したあの日から様変わりしていた。戦争の間に野盗が侵入し、村はほとんどが廃墟と化していた。生家も潰れ、両親の姿は無かった。あの娘の家はどうなっているのだろう?憔悴しきった意識で、彼女の家に向かった。焼け残った柱が数本と、家具の残骸があるだけだった。
俺は、教会の跡地に向かった。両親の名前、友人の名前、その家族、墓碑を見つける度に心がやすりがけされていった。あの娘の家族…見まいと、受け入れまいとしても、目は自然にそこに吸い寄せられた。
気づいたら、周りは土と泥だらけ、手は血を流し爪は剥げていた。目の前には棺があった。もちろん中身は彼女だった。火傷が酷かったが、その顔に見間違いはなかった。そして、一緒にウルゼットが入ってた。こっちもほとんど焦げていたが、首の曲がり具合があの時のままだった。
俺は家に彼女と戻った。屋根が無かったから、星が良く見えた。このまま二人朽ちていくのもいいかもしれない、そんなことを考えながら、棺桶の隣で寝転んでいると、何やら物音がした。そこには、魔物の集団がいた。しかも、見れば骨や屍、さらには半透明のものまでいた。
どうやら、アンデッドが死人に魅かれてやって来たようだ。何やら墓地に向かってぞろぞろと行進して行く。物陰から見守っていると、先頭の黒い外套の女が何やらぼそぼそと呟いていた。数瞬後には、周囲に青白い光が集まってきた。それらが塊になったと思えば、墓の一つ一つに吸い込まれていった。
呆気にとられていると、いくつもの盛り土が弾け、中から呻き声を発し、腕や頭が飛び出ていく。俺は恐怖のあまり、逃げ帰った。息を切らせて家に戻ると、あの娘の棺にも青白い光が集まっていた。恐る恐る蓋を開けると、虚ろな目と視線が合わさった。
「それにしてもさぁ、腕や脚を縫い付けるのはまだしも、肌にキルトを被せるのはやりすぎじゃないの?」着ぐるみ用の布を断ちながら彼女は言った。モヘヤの耳が、感情に合わせてぴょこぴょこと動いている。肩や腹の縫い跡のことを言っているようだ。
俺は、返答に困って彼女の口に唇を寄せた。「ッん…そ、そんなんじゃ誤魔化されないよ…」フェルト生地の毛皮の口を大きく開いて彼女は赤面した。いつか家族が増えたら、どんなぬいぐるみを作ってあげようか、そんなことを考えながら、彼女の腹に綿を詰めていった。
彼女に従い、目を閉じた。胸が高鳴り、息が荒くなっていく。
「…まだ、あけちゃだめ」耳を研ぎ澄ませると、彼女の声と気配が間近に感じた。生唾を飲み込む。「…ん」唇に柔らかな感触…しかし、これは…(毛皮?)
俺は、反射的に目を見開いた。目の前には、彼女が大事にしていたクマのぬいぐるみ。あの娘は、赤面して、そっぽを向いていた。「チューはまだはやいから、ウルゼットに…」彼女は、いたずらっぽく微笑んだ。その顔は、日の光にも負けない輝きに見えた。
あの日、彼女は泣いていた。聞けば、悪がきにウルゼットが壊されたそうだ。確かに、片手には無惨に首がちぎれ、中身を晒すクマがうなだれていた。
「…ッ、酷いよ…わたし、ッ、ただこの子と遊んでたッだけなのに…」彼女の嗚咽混じりの声に、自分も胸を締め付けられた。どうにかしてあげたかった。だから意を決して話しかけた。「ッえ?ウルゼットを…治してくれる?」
もちろん、縫い物なんてその日までしてこなかった。だけど、母さんの見よう見まねで、針と糸を通してみた。ウルゼットは、寝違えたかのように首を歪め、縫い跡が痛々しかった。俺の手は針で穴だらけ、体は綿と糸屑まみれだった。あの娘に見せた。彼女は、笑ってくれた。
その満足感と達成感から、俺はぬいぐるみを自作するようになった。村の小さい子の頼みを聞いたり、親子で大事にしている「家族」を治してあげたり、気づけば一端の芸になっていた。もちろん、常連はあの娘だった…
俺は、もっと腕を磨きたくて、これを生業にしたくて、都市に行って職人に弟子入りすることにした。母さんは応援してくれた。父さんも最後には折れた。そして…「…一緒には、行けないかな…」彼女の言葉に、俺は絶望した。
「ッ違うの!あなたと行きたくないからじゃないの!ただ…」彼女は俺の手を握り、そして目を合わせて話し始めた。「あなたが一人前に成ろうとしているなら、村を出るほど真剣なら…私も一人前になってから、あなたに会いに行きたいって…」彼女が言葉を紡ぐほどに、包まれた手の力が増し、涙が溢れた。俺はただ、彼女を抱き締めた。
出発の日、俺の両親と彼女の一家、友人達が見送りに来ていた。彼女の姿は見えなかった…俺が村からあの丘に行くと、あの娘が…
「…きろ!起きろ!」野太い大声と、乱暴な揺さぶりで、頭痛と全身の軋みと共に俺は起こされた。目の前にいるのは、記憶のあの娘でなく、戦場で出会った仲間であった。(いくさば?…そうだ)あれから十年余り、隣国に攻められ、国の若い男は俺を含め駆り出された。
生まれてこの方、喧嘩もほとんどしてこなかったが、領主に集められ、粗末な武器と頼りない鎧兜を渡され、数日で
兵士に変えられた。中には腕が立つやつもいないことはなかったが、俺はからっきしだった。仲間内でも、そこまで期待はされなかったから、むしろ安全なところを任された。
「やっと起きたか!今にも腕がもげそうな奴がいてよ!」…だが、それでもここは戦場だ、何かしら出来ることを求められる。俺は、仕事柄縫い物が上手かったから、医者紛いのことをすることにした。
始めは大変だった。ぬいぐるみと違って動くし、針を通せば痛みに暴れる。血は流れ、臓物や肉を手づかみ、吐きそうになった。慣れてからは、どうと言うことはない。人間の「ぬいぐるみ」だ。縫えばくっつく、綿は詰め直せばいい。
数ヶ月もすると、動けて戦える奴より横たわって呻く奴が増えた。武器や食糧はそれに反比例して無くなっていった。そして、シラミと飢えに喘いでるうちに終戦した。勝ったのは、自国でも敵国でもなかった。なんでも、両国の争いに魔王軍が介入したとか。勝利もなく、疲弊した俺達は魔物の支配下に置かれた。
軍は解散した。都市に戻ってみれば、翼を生やしたり、毛皮に包まれた連中が街を闊歩していた。親方は元気だったが、半ば休業しているらしい。折角だからと、故郷の村に帰ることを勧められた。
数年ぶりに帰ってきた故郷は、出発したあの日から様変わりしていた。戦争の間に野盗が侵入し、村はほとんどが廃墟と化していた。生家も潰れ、両親の姿は無かった。あの娘の家はどうなっているのだろう?憔悴しきった意識で、彼女の家に向かった。焼け残った柱が数本と、家具の残骸があるだけだった。
俺は、教会の跡地に向かった。両親の名前、友人の名前、その家族、墓碑を見つける度に心がやすりがけされていった。あの娘の家族…見まいと、受け入れまいとしても、目は自然にそこに吸い寄せられた。
気づいたら、周りは土と泥だらけ、手は血を流し爪は剥げていた。目の前には棺があった。もちろん中身は彼女だった。火傷が酷かったが、その顔に見間違いはなかった。そして、一緒にウルゼットが入ってた。こっちもほとんど焦げていたが、首の曲がり具合があの時のままだった。
俺は家に彼女と戻った。屋根が無かったから、星が良く見えた。このまま二人朽ちていくのもいいかもしれない、そんなことを考えながら、棺桶の隣で寝転んでいると、何やら物音がした。そこには、魔物の集団がいた。しかも、見れば骨や屍、さらには半透明のものまでいた。
どうやら、アンデッドが死人に魅かれてやって来たようだ。何やら墓地に向かってぞろぞろと行進して行く。物陰から見守っていると、先頭の黒い外套の女が何やらぼそぼそと呟いていた。数瞬後には、周囲に青白い光が集まってきた。それらが塊になったと思えば、墓の一つ一つに吸い込まれていった。
呆気にとられていると、いくつもの盛り土が弾け、中から呻き声を発し、腕や頭が飛び出ていく。俺は恐怖のあまり、逃げ帰った。息を切らせて家に戻ると、あの娘の棺にも青白い光が集まっていた。恐る恐る蓋を開けると、虚ろな目と視線が合わさった。
「それにしてもさぁ、腕や脚を縫い付けるのはまだしも、肌にキルトを被せるのはやりすぎじゃないの?」着ぐるみ用の布を断ちながら彼女は言った。モヘヤの耳が、感情に合わせてぴょこぴょこと動いている。肩や腹の縫い跡のことを言っているようだ。
俺は、返答に困って彼女の口に唇を寄せた。「ッん…そ、そんなんじゃ誤魔化されないよ…」フェルト生地の毛皮の口を大きく開いて彼女は赤面した。いつか家族が増えたら、どんなぬいぐるみを作ってあげようか、そんなことを考えながら、彼女の腹に綿を詰めていった。
25/02/18 20:14更新 / ズオテン