第三章 征服者と魔神〜その1 皇子と魔法のランプ
カリム2世元年、異例となる生前譲位により、ダウード1世は皇弟カリムを即位させる。東帝国は、戴冠に便乗し、長兄ムスタファを対立皇帝に立てる。ケマル朝は、彼の生存を公式に否定し、「偽ムスタファ」と呼称した。
カリム2世2年、ケマル帝国は東帝国首都たる要塞島「バシレイア・トーン・ネートーン」の包囲に成功した。屈強なるアマゾネス部隊、並びにジャイアントアントの工兵には、さしもの千年帝国も音を上げた。本国での反乱発生に伴い和睦。これ以降、東帝国はケマル朝の「弟」に甘んずる。
カリム2世10年、ケマル朝と東帝国の血を継ぐダウード生誕。
「殿下、殿下!いずこにあらせられまするか?!」女官達は、宮殿の中を右往左往した。廊下の影から、その喧騒を他人事のように見詰める少年がいた。
「このまま行けば、宝物殿へはすぐだ」少年は、仕立ての良いが丈の余った服を纏い、足早に廊下の最奥を目指した。固く閉ざされた大理石の扉と、それを守護する二人の番兵がそこにあった。
(さて…どうしたものか?)宮殿を守る兵士は、女官のようにはいかないであろう。彼は、ああでもないこうでもないと思案した。そして、意を決して守衛の前に躍り出た。
「むっ、なにも…失礼致しました!」「皇太子殿下!ご機嫌麗しゅうございます」二名の番兵は、皇子の姿を認めると直ぐ様最敬礼をとった。
「苦しゅうない…面を上げよ」兵士達は、まず目を皇子と合わせ、そのまま顔、上体と身体を少しずつ上げていった。「「拝謁至極に存じます…」」「ねえ、君たちさ…」「畏れながら、如何致しました?」兵士の一人が、皇子に耳を貸した。
「僕、父上に宝物殿の中で探し物を頼まれてね…」「…中にお入りになるとおっしゃいますか?」もう一人が、その言葉を紡いだ。「話が早いね」皇子は口の端を歪めた。
「恐縮でござるが、仮に陛下がそう申し付けるのは近習や宝物殿の目録係かと…」兵士が疑義を申し立てた。「畏れながら、殿下のお話を疑っているわけではありませぬ。しかしながら、此度の状況、異例が見受けられたので、わたくしどもでは判断が尽きかねまする故…」
「…これは、君たちにとんだ心配をさせたようだね」皇子は、わざとらしく顔を伏せた。「殿下…」「皇帝の璽印と目録、出庫願いがここにある…最初に出して置けば良かったね」少年は、懐から書状と黄金に瑠璃を散りばめた判子を取り出した。兵士達は、それらを見るやいなや、姿勢を改め、礼をした。「忠勤痛み入る…」皇子は悠々と宝物殿に入っていった。
「…ふう、なんとかなってよかった」彼は、確かに璽印と願書を持っていた。しかし、それらは「出庫」のものでなく、「皇太子への念書」であった。だが、皇族を詮索しすぎると最悪処罰があると考えた彼らは、それ以上の申し立てを止めた。
さて、皇子は宝物殿に入ると、早速目当ての物を探し始めた。「父上の神秘(スーフィー)趣味もここまで来ると、ある種尊敬するな…」調度品の一部に紛れて、魔眼避け(ハムサ)やアンク、象頭の異形の神像などが存在感を示していた。「興味深いが、今必要なものじゃあない」
金銀財宝をかき分け、「見つけた…」皇子が見出だしたのは、三位一体像であった。聖家族像(サグラダ・ファミリア)とも呼ばれるそれは、「母なる主神・地上の父イオセフ・神の子勇者」の三者を讃えるものであった。
「母上…」皇子は、主神像に母の面影を見た。伯父にあたるムスタファとの最終的な人質交換として、母后は故国へと戻る結果となった。彼と母親を繋ぐよすがは、この嫁入りの寄贈品を残すのみとなった。
それを手に取る瞬間、台にしていた調度品が崩れた。「うわっ…」尖った宝石類に落ちかけた刹那、皇子はあるものを掴んだ。(…ランプ)触れた瞬間光と薄桃色の霞が溢れ、皇子は宙に落ちる身体を支えられた。
「…?」彼の眼前には、艶のある髪を後ろにまとめ、胸をさらしで隠し、ベストを羽織った若い女であった。「あなたが私のご主人様ですか?」「ご主人様だと?」皇子は問いかけに怪訝な表情を作った。
「いかにも、僕は帝国、その臣民の主となるサージャーデだ」「これはこれは、そのような御大尽とは露知らず…しかし私の言うご主人様はそのような意味ではございませんわ」女はクスクスと笑った。皇子は、女の怪しげな笑みに鼓動が早まった。付き人の女官と母親以外に、これほど近づかれたのは経験がなかった。
「ご主人様とは…私だけの主、我が生涯の君と言えましょうか」「ふむ…僕は今のところ、従者には困っていないしな…」皇子は言外に信用していないことを示した。「あら、でしたら、何か叶えたい願いはございませんこと?」「願いか…しかし、私の持てる権限と人足で現状できぬこ…」彼は、言葉を切った。あることに思い至ったのである。
「きみは、いわゆるジーニーヤ(女魔神)の類いか?」「はい、魔界におわす女王たるイブリースの命に従い、仕えるべき人間、願いを叶えるべき主を探していたのです。そして、素敵な殿方を…」女は、嬉々として答えた。最後の方は不明瞭な呟きであった。
「僕は…僕の母上は、海を越えた先に行ってしまったんだ…」「まあ、それはさぞ寂しいことでしょうに…」ジーニーは、彼の言葉に同情した。「母上を…ここに連れてくるねが…」皇子はそこで気づいた。(((お前の言葉は、不用意に発すれば天下を、国々を揺るがしかねん…よく考えて物を言うことだ)))脳内に、父の言葉が木霊した。
「如何なさいました?」「いや、今はいいや…」「承知しましたわ…けれど、どうしますか?」「どうするって?」「いえ、私はいつまでも皇子様を抱き上げていただかせてもよろしいのですけれど」ジーニーは悪戯っぼく笑った。皇子は、彼女の顔が、身体が密着していることを思いだし、赤面した。
「その…」「ふふふ、願いますか?」「うっ、部屋に戻してくれる?」「かしこまりましたわ…」ジーニーは、何事か口ごもると、再び光と煙が溢れた。宝物殿の景色がみるみる溶けていくと、部屋の壁が徐々によく知る自室へと変わっていった。
気づけば、彼はベッドの天幕にいた。(あれは、夢だったんだろうか?)しかし、傍らを見ると、昨日まで存在しなかった古めかしいランプがあった。見れば、その蓋や穴からは、薄桃色の煙が漏れ出ていた。
彼は、恐る恐るそれを手にとってみようとして、「殿下!どちらにおっしゃられていたのですか?!稽古のお時間を過ぎていますよ!」女官がすさまじい剣幕で部屋に入ってきた。「あっ…ああ、わかったよ。今行くよ」皇子は、首を振って考えを捨てた。そして、部屋にはランプが残された。姿見にランプが映ると、その側には妖艶な女が笑みを浮かべ立っていた。
カリム2世2年、ケマル帝国は東帝国首都たる要塞島「バシレイア・トーン・ネートーン」の包囲に成功した。屈強なるアマゾネス部隊、並びにジャイアントアントの工兵には、さしもの千年帝国も音を上げた。本国での反乱発生に伴い和睦。これ以降、東帝国はケマル朝の「弟」に甘んずる。
カリム2世10年、ケマル朝と東帝国の血を継ぐダウード生誕。
「殿下、殿下!いずこにあらせられまするか?!」女官達は、宮殿の中を右往左往した。廊下の影から、その喧騒を他人事のように見詰める少年がいた。
「このまま行けば、宝物殿へはすぐだ」少年は、仕立ての良いが丈の余った服を纏い、足早に廊下の最奥を目指した。固く閉ざされた大理石の扉と、それを守護する二人の番兵がそこにあった。
(さて…どうしたものか?)宮殿を守る兵士は、女官のようにはいかないであろう。彼は、ああでもないこうでもないと思案した。そして、意を決して守衛の前に躍り出た。
「むっ、なにも…失礼致しました!」「皇太子殿下!ご機嫌麗しゅうございます」二名の番兵は、皇子の姿を認めると直ぐ様最敬礼をとった。
「苦しゅうない…面を上げよ」兵士達は、まず目を皇子と合わせ、そのまま顔、上体と身体を少しずつ上げていった。「「拝謁至極に存じます…」」「ねえ、君たちさ…」「畏れながら、如何致しました?」兵士の一人が、皇子に耳を貸した。
「僕、父上に宝物殿の中で探し物を頼まれてね…」「…中にお入りになるとおっしゃいますか?」もう一人が、その言葉を紡いだ。「話が早いね」皇子は口の端を歪めた。
「恐縮でござるが、仮に陛下がそう申し付けるのは近習や宝物殿の目録係かと…」兵士が疑義を申し立てた。「畏れながら、殿下のお話を疑っているわけではありませぬ。しかしながら、此度の状況、異例が見受けられたので、わたくしどもでは判断が尽きかねまする故…」
「…これは、君たちにとんだ心配をさせたようだね」皇子は、わざとらしく顔を伏せた。「殿下…」「皇帝の璽印と目録、出庫願いがここにある…最初に出して置けば良かったね」少年は、懐から書状と黄金に瑠璃を散りばめた判子を取り出した。兵士達は、それらを見るやいなや、姿勢を改め、礼をした。「忠勤痛み入る…」皇子は悠々と宝物殿に入っていった。
「…ふう、なんとかなってよかった」彼は、確かに璽印と願書を持っていた。しかし、それらは「出庫」のものでなく、「皇太子への念書」であった。だが、皇族を詮索しすぎると最悪処罰があると考えた彼らは、それ以上の申し立てを止めた。
さて、皇子は宝物殿に入ると、早速目当ての物を探し始めた。「父上の神秘(スーフィー)趣味もここまで来ると、ある種尊敬するな…」調度品の一部に紛れて、魔眼避け(ハムサ)やアンク、象頭の異形の神像などが存在感を示していた。「興味深いが、今必要なものじゃあない」
金銀財宝をかき分け、「見つけた…」皇子が見出だしたのは、三位一体像であった。聖家族像(サグラダ・ファミリア)とも呼ばれるそれは、「母なる主神・地上の父イオセフ・神の子勇者」の三者を讃えるものであった。
「母上…」皇子は、主神像に母の面影を見た。伯父にあたるムスタファとの最終的な人質交換として、母后は故国へと戻る結果となった。彼と母親を繋ぐよすがは、この嫁入りの寄贈品を残すのみとなった。
それを手に取る瞬間、台にしていた調度品が崩れた。「うわっ…」尖った宝石類に落ちかけた刹那、皇子はあるものを掴んだ。(…ランプ)触れた瞬間光と薄桃色の霞が溢れ、皇子は宙に落ちる身体を支えられた。
「…?」彼の眼前には、艶のある髪を後ろにまとめ、胸をさらしで隠し、ベストを羽織った若い女であった。「あなたが私のご主人様ですか?」「ご主人様だと?」皇子は問いかけに怪訝な表情を作った。
「いかにも、僕は帝国、その臣民の主となるサージャーデだ」「これはこれは、そのような御大尽とは露知らず…しかし私の言うご主人様はそのような意味ではございませんわ」女はクスクスと笑った。皇子は、女の怪しげな笑みに鼓動が早まった。付き人の女官と母親以外に、これほど近づかれたのは経験がなかった。
「ご主人様とは…私だけの主、我が生涯の君と言えましょうか」「ふむ…僕は今のところ、従者には困っていないしな…」皇子は言外に信用していないことを示した。「あら、でしたら、何か叶えたい願いはございませんこと?」「願いか…しかし、私の持てる権限と人足で現状できぬこ…」彼は、言葉を切った。あることに思い至ったのである。
「きみは、いわゆるジーニーヤ(女魔神)の類いか?」「はい、魔界におわす女王たるイブリースの命に従い、仕えるべき人間、願いを叶えるべき主を探していたのです。そして、素敵な殿方を…」女は、嬉々として答えた。最後の方は不明瞭な呟きであった。
「僕は…僕の母上は、海を越えた先に行ってしまったんだ…」「まあ、それはさぞ寂しいことでしょうに…」ジーニーは、彼の言葉に同情した。「母上を…ここに連れてくるねが…」皇子はそこで気づいた。(((お前の言葉は、不用意に発すれば天下を、国々を揺るがしかねん…よく考えて物を言うことだ)))脳内に、父の言葉が木霊した。
「如何なさいました?」「いや、今はいいや…」「承知しましたわ…けれど、どうしますか?」「どうするって?」「いえ、私はいつまでも皇子様を抱き上げていただかせてもよろしいのですけれど」ジーニーは悪戯っぼく笑った。皇子は、彼女の顔が、身体が密着していることを思いだし、赤面した。
「その…」「ふふふ、願いますか?」「うっ、部屋に戻してくれる?」「かしこまりましたわ…」ジーニーは、何事か口ごもると、再び光と煙が溢れた。宝物殿の景色がみるみる溶けていくと、部屋の壁が徐々によく知る自室へと変わっていった。
気づけば、彼はベッドの天幕にいた。(あれは、夢だったんだろうか?)しかし、傍らを見ると、昨日まで存在しなかった古めかしいランプがあった。見れば、その蓋や穴からは、薄桃色の煙が漏れ出ていた。
彼は、恐る恐るそれを手にとってみようとして、「殿下!どちらにおっしゃられていたのですか?!稽古のお時間を過ぎていますよ!」女官がすさまじい剣幕で部屋に入ってきた。「あっ…ああ、わかったよ。今行くよ」皇子は、首を振って考えを捨てた。そして、部屋にはランプが残された。姿見にランプが映ると、その側には妖艶な女が笑みを浮かべ立っていた。
24/11/03 10:25更新 / ズオテン
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