典雅王と魔物娘その5~「反逆者」と女王蟻
「第三皇子挙兵…」その一報を聞いた第四皇子ユースフは、クラル(王公)の冠につける宝石を選定していた。
「兄上…思っていたよりお早い動きだ」彼は、直ぐ様執事を呼び、着替えさせると謁見の間に向かった。
既に幾人もの幕僚、アミールやベイリクからの客将も頭を下げて待機していた「パシャよ、既に状況を理解していると思うが」ユースフは、先帝のヴェズィール(大臣)であり、後見人であるデルヴィーシュ・パシャに話しかけた。
「陛下…畏れながら、反逆者ダウードは首都を後にし、自領に帰ると兵をまとめ、我らの地に向かっていとのことです」「そんなことは、余も理解している。聞いているのは、どう対応すべきかだ…」
「お許しを…既に使者を東に送っております。彼奴らから、出兵したのであればこちらに義が有ります故、陛下を支持するベイリクの援軍と合流し、以てダウードを撃滅すべきかと…」大臣の恭しい態度には、慇懃無礼の色が滲んでいた。
「なるほど、ではそれまで籠城ということでよいか?」「左様にございます。陛下の改修の詔、誠にご英断でごさいましたな。地元のムシケラどもを、奴れ…いえ"チャルシャン(労働者)"にすることで効率は上昇、数日に完成致しまする」
「パシャ、よきにはからえ」「御意にございます。後一つだけ…」「申せ」「チャルシャン達は、工事の後は如何様に扱いましょうか?」「決まっておろう…奴らの女王と共に駆除せよ。魔物など、余の国には必要ない」「…承知致しました」ユースフの見せた嗜虐的な笑みは、大臣に冷や汗をかかせた。
第四皇子は、自室への途中で廊下の影に潜む者に目配せした。(…ダウードを討った後は、あやつをどうにか除かねばな)
~~~~~~~
十数日後、ダウード軍は、街から数ミールの所に陣を構えていた。包囲が完了し、物流・人馬の出入りを押さえたものの、圧倒されているのは寄せ手の方だったと言われる。
壁の厚みや高さが増しているのは勿論のこと、二重・三重の壁は一つの要塞が街に付加されたようなものであった。中は狭く、曲がりくねり、大軍を阻んだ。それぞれの接続口は、砦を一周せねばならず、言わば殺し間の迷宮が出来上がっていたのだ。
ユースフは、使者と親書にてダウードと言葉を交わした。(降伏勧告、全軍の規模も地勢も、すべて負けているにも関わらずか…)彼は、兵糧や装備、兵の志気を加味して、籠城は援軍到着まで問題ないと判じた。だからこそ、兄の通達に言い知れぬ違和感を抱いた。
「ダウード…あなたがこのような短慮をするとは、どうしても考えられまじ」どう考えても、あれぽちの手勢で城を落とすことはできない。かかる時間を考慮すると、東からの増援で逆包囲されるか、兵糧が尽きるのが先だ。
彼は、寝室で眠れぬまま、ベッドに横たわった。(何か見落としている…?だが、何をだ?)その時、どたどたと複数人が廊下を走る音が聞こえた。「…なんぞ」
その音は不意に、寝室のすぐ近くではたと消えた。「?」その直後、ごとッと何か硬質で重量があるものが床に倒れ、ついでうめき声を上げて何者かが倒れた。
「…」ユースフは、身の危険を感じ、壁に立て掛けた剣に近づいた。月明かりを頼りに、手探りで近づいた。意識は、戸口に向けられていた。(反乱…それにしては、早すぎる)
籠城が始まって4日、兵糧や賃金についてもかき集めるだけ集め、また市民にも幾ばくか放出した。ベイリクが事前に援軍の返答をしたことも、要塞の堅牢さも事前に周知した。
(しかし、起きたことは仕方あるまい…どうすれば、難を逃れられるのか?)彼は、手がなにがしかに触れたことに笑みを浮かべた。だが、次に思ったことは、「…いやに硬い」というものであった。
ユースフは目を凝らした。彼が触れたのは、硬い節足、その上に人間の胴が載っていた。「…あ」彼は、気づいた時には取り囲まれていた。「は…はなせ…」
彼は、そのまま絨毯の上で、巻き取られていった。「く、苦しい…だ、だれか!だれかある!」助けを求めた。答える声は、どこにもなかった。
一瞬のうちに、皇子は豪奢な絨毯の上に釘付けられた
簀巻きの虜囚となったユースフは、顔だけ出されたまま、廊下に運び出された。彼にとって不幸なのは、このとき気を失わなかったことだろう。
廊下には、守衛をしていた兵士達が、半裸の女や巨大な蟻に馬乗りにされていた。そこかしこで、悲鳴と嬌声が上がった。
「可愛きおのこじゃ、味もよい」倒れた兵士の唇を奪う女戦士、「逃げろや、逃げろ!すぐに捕まえてくれる」逃げ惑う相手に一定の距離でジリジリと追いすがる女賊、「腰が入っておらんぞ!それで戦士を名乗ろうてか!?」数人の剣戟を徒手空拳でかわす烈女。
「何と…」ユースフは、代わる代わる目の前の惨劇を見るしかなかった。目を瞑っても、耳を塞ぐことはできず、鼻を刺激する甘く腥い匂い、喉をちりちりと苛む乾き、肌で感じる場を包んだ熱気によって、現実に引き留められた。
遂に、彼は謁見の間へと至った。そこには、縄で縛られた幕僚や近衛兵、かつてダウードが連れていた側近、見慣れぬ男女…だが、何より「ダウード…」恐らくこの事件の主導者である。
「ユースフ、こんな形で再び見えるとは…」「…」「許してくれとも言わぬ…私は」「兄上、どのような理由かは問いませぬ。アリどもや、アマゾンが城を制圧した委細もどうでもよいです…」「…そうか」「ただ、一つ…私を殺すのか、生かすのか、それだけ聞ければ満足です」
ダウードは苦い顔をした。ユースフは、兄の眉間の皺に、彼の運命を悟った。(聞くまでもない…父がそうしたように)だが、その時広間の入り口から声がした。「"殿下"…息災ですか?」その声は、掠れていたものの、凛として透き通るような響きであった。彼は辛うじて動く頭を動かし、声の方を見た。
「…!?」ユースフは目を疑った。ジャイアントアントの女王ポリュドラーであった。土で汚れているが、その美貌は幽閉前から全く翳りを見せていなかった。
「ダウード殿、約定の通り、殿下の身柄は我々のものにすることでよろしいでしょうか?」柔和な表情と丁寧な言葉の下には、譲らぬ意志を忍ばせていた。「約定…一体?」「…」ダウードは何も言葉を返さなかった。
「わたくしから説明致しましょう…」その時、聞き覚えのある声が聞こえた。「デルヴィーシュ?!貴様の謀か!」彼の腹心にして、潜在的な政敵が現れた。
「その通りでございます。ユースフ様、わたくしはダウード殿下より、この一連の手引きを行いました」「裏切り者め!」「先に裏切りを行ったのは、貴公の方ですよ、殿下」ポリュドラーは口を挟んだ。「我らの巣の安寧を約束するはずが、貴公らは私を幽閉し、あまつさえ娘達を奴隷のように扱った」
「このデルヴィーシュ、魔物は好きになれません。しかし、有用な労働力を好みで捨てるには惜しいと存じます。この者らの土木技術は帝国の発展に不可欠、異教徒を打倒し、国を躍進させるためならわたくしは、貴方様に逆らいまする」大臣は、心からそう言っている様に聞こえた。
「…なるほど、そして、アリどもと兄の側につくにあたり、邪魔な強硬派の私を交渉材料として売り飛ばしたのか…」「左様にございます…」(ふむ…国のためか、こやつの立場では確かに一石二鳥であろうな)ユースフは絶望から、半ば自暴自棄で自分の立ち位置を客観視した。
彼は、兄の方を再び見た。「今さら、助けは請いませぬ…だが、兄上、ユースフよ…民はそれを受け入れるとおもいまするか?」「…私は、その悪評を受け止め、その咎を背負おうとも、歩みは止めん」「…わかった。じゃあね、ダウード」ユースフは、精一杯の虚勢から兄弟として別れを言った。
「…」ダウードは、無言でただ彼を見つめた。「…そろそろ、よろしいでしょうか?ユースフ殿下とは個人的にお話がしたいと思っておりました」蟻の女王は、敢えて尋ねた。「承知した。この反逆者を引渡し、以て我ら帝国とミュルミドーンとの和解は成らんとする」「貴国との協力関係成立誠にめでたく思います」
女王は、話が終わるとすぐにユースフに近づいた。その巨体は、優雅に歩くだけでも部屋を軋ませた。人間の上半身部分が、絨毯から出た顔に近づいた。「ふふ、こうして、身動きが取れぬ姿を見ると、一番最初の娘を産んだ日を思い出しますよ」ポリュドラーは、幼虫にするように優しく彼を抱き上げた。
「…ひいっ」ユースフは、目に見えて怯え、簀巻きの体をくねらせた。その様が、また蟻の幼虫を思わせた。「あらあら、怖がって。ごめんなさい、ママが悪かったですね」彼女は、赤ん坊をあやすように彼を上下しながら、器用に部屋から出ていった。ぞろぞろと、ジャイアントアント達が感謝から、一礼して去っていた。
「…ユースフ」だれに聞こえるでもなく、ダウードは連れ去られる弟の名を口にした。
「兄上…思っていたよりお早い動きだ」彼は、直ぐ様執事を呼び、着替えさせると謁見の間に向かった。
既に幾人もの幕僚、アミールやベイリクからの客将も頭を下げて待機していた「パシャよ、既に状況を理解していると思うが」ユースフは、先帝のヴェズィール(大臣)であり、後見人であるデルヴィーシュ・パシャに話しかけた。
「陛下…畏れながら、反逆者ダウードは首都を後にし、自領に帰ると兵をまとめ、我らの地に向かっていとのことです」「そんなことは、余も理解している。聞いているのは、どう対応すべきかだ…」
「お許しを…既に使者を東に送っております。彼奴らから、出兵したのであればこちらに義が有ります故、陛下を支持するベイリクの援軍と合流し、以てダウードを撃滅すべきかと…」大臣の恭しい態度には、慇懃無礼の色が滲んでいた。
「なるほど、ではそれまで籠城ということでよいか?」「左様にございます。陛下の改修の詔、誠にご英断でごさいましたな。地元のムシケラどもを、奴れ…いえ"チャルシャン(労働者)"にすることで効率は上昇、数日に完成致しまする」
「パシャ、よきにはからえ」「御意にございます。後一つだけ…」「申せ」「チャルシャン達は、工事の後は如何様に扱いましょうか?」「決まっておろう…奴らの女王と共に駆除せよ。魔物など、余の国には必要ない」「…承知致しました」ユースフの見せた嗜虐的な笑みは、大臣に冷や汗をかかせた。
第四皇子は、自室への途中で廊下の影に潜む者に目配せした。(…ダウードを討った後は、あやつをどうにか除かねばな)
~~~~~~~
十数日後、ダウード軍は、街から数ミールの所に陣を構えていた。包囲が完了し、物流・人馬の出入りを押さえたものの、圧倒されているのは寄せ手の方だったと言われる。
壁の厚みや高さが増しているのは勿論のこと、二重・三重の壁は一つの要塞が街に付加されたようなものであった。中は狭く、曲がりくねり、大軍を阻んだ。それぞれの接続口は、砦を一周せねばならず、言わば殺し間の迷宮が出来上がっていたのだ。
ユースフは、使者と親書にてダウードと言葉を交わした。(降伏勧告、全軍の規模も地勢も、すべて負けているにも関わらずか…)彼は、兵糧や装備、兵の志気を加味して、籠城は援軍到着まで問題ないと判じた。だからこそ、兄の通達に言い知れぬ違和感を抱いた。
「ダウード…あなたがこのような短慮をするとは、どうしても考えられまじ」どう考えても、あれぽちの手勢で城を落とすことはできない。かかる時間を考慮すると、東からの増援で逆包囲されるか、兵糧が尽きるのが先だ。
彼は、寝室で眠れぬまま、ベッドに横たわった。(何か見落としている…?だが、何をだ?)その時、どたどたと複数人が廊下を走る音が聞こえた。「…なんぞ」
その音は不意に、寝室のすぐ近くではたと消えた。「?」その直後、ごとッと何か硬質で重量があるものが床に倒れ、ついでうめき声を上げて何者かが倒れた。
「…」ユースフは、身の危険を感じ、壁に立て掛けた剣に近づいた。月明かりを頼りに、手探りで近づいた。意識は、戸口に向けられていた。(反乱…それにしては、早すぎる)
籠城が始まって4日、兵糧や賃金についてもかき集めるだけ集め、また市民にも幾ばくか放出した。ベイリクが事前に援軍の返答をしたことも、要塞の堅牢さも事前に周知した。
(しかし、起きたことは仕方あるまい…どうすれば、難を逃れられるのか?)彼は、手がなにがしかに触れたことに笑みを浮かべた。だが、次に思ったことは、「…いやに硬い」というものであった。
ユースフは目を凝らした。彼が触れたのは、硬い節足、その上に人間の胴が載っていた。「…あ」彼は、気づいた時には取り囲まれていた。「は…はなせ…」
彼は、そのまま絨毯の上で、巻き取られていった。「く、苦しい…だ、だれか!だれかある!」助けを求めた。答える声は、どこにもなかった。
一瞬のうちに、皇子は豪奢な絨毯の上に釘付けられた
簀巻きの虜囚となったユースフは、顔だけ出されたまま、廊下に運び出された。彼にとって不幸なのは、このとき気を失わなかったことだろう。
廊下には、守衛をしていた兵士達が、半裸の女や巨大な蟻に馬乗りにされていた。そこかしこで、悲鳴と嬌声が上がった。
「可愛きおのこじゃ、味もよい」倒れた兵士の唇を奪う女戦士、「逃げろや、逃げろ!すぐに捕まえてくれる」逃げ惑う相手に一定の距離でジリジリと追いすがる女賊、「腰が入っておらんぞ!それで戦士を名乗ろうてか!?」数人の剣戟を徒手空拳でかわす烈女。
「何と…」ユースフは、代わる代わる目の前の惨劇を見るしかなかった。目を瞑っても、耳を塞ぐことはできず、鼻を刺激する甘く腥い匂い、喉をちりちりと苛む乾き、肌で感じる場を包んだ熱気によって、現実に引き留められた。
遂に、彼は謁見の間へと至った。そこには、縄で縛られた幕僚や近衛兵、かつてダウードが連れていた側近、見慣れぬ男女…だが、何より「ダウード…」恐らくこの事件の主導者である。
「ユースフ、こんな形で再び見えるとは…」「…」「許してくれとも言わぬ…私は」「兄上、どのような理由かは問いませぬ。アリどもや、アマゾンが城を制圧した委細もどうでもよいです…」「…そうか」「ただ、一つ…私を殺すのか、生かすのか、それだけ聞ければ満足です」
ダウードは苦い顔をした。ユースフは、兄の眉間の皺に、彼の運命を悟った。(聞くまでもない…父がそうしたように)だが、その時広間の入り口から声がした。「"殿下"…息災ですか?」その声は、掠れていたものの、凛として透き通るような響きであった。彼は辛うじて動く頭を動かし、声の方を見た。
「…!?」ユースフは目を疑った。ジャイアントアントの女王ポリュドラーであった。土で汚れているが、その美貌は幽閉前から全く翳りを見せていなかった。
「ダウード殿、約定の通り、殿下の身柄は我々のものにすることでよろしいでしょうか?」柔和な表情と丁寧な言葉の下には、譲らぬ意志を忍ばせていた。「約定…一体?」「…」ダウードは何も言葉を返さなかった。
「わたくしから説明致しましょう…」その時、聞き覚えのある声が聞こえた。「デルヴィーシュ?!貴様の謀か!」彼の腹心にして、潜在的な政敵が現れた。
「その通りでございます。ユースフ様、わたくしはダウード殿下より、この一連の手引きを行いました」「裏切り者め!」「先に裏切りを行ったのは、貴公の方ですよ、殿下」ポリュドラーは口を挟んだ。「我らの巣の安寧を約束するはずが、貴公らは私を幽閉し、あまつさえ娘達を奴隷のように扱った」
「このデルヴィーシュ、魔物は好きになれません。しかし、有用な労働力を好みで捨てるには惜しいと存じます。この者らの土木技術は帝国の発展に不可欠、異教徒を打倒し、国を躍進させるためならわたくしは、貴方様に逆らいまする」大臣は、心からそう言っている様に聞こえた。
「…なるほど、そして、アリどもと兄の側につくにあたり、邪魔な強硬派の私を交渉材料として売り飛ばしたのか…」「左様にございます…」(ふむ…国のためか、こやつの立場では確かに一石二鳥であろうな)ユースフは絶望から、半ば自暴自棄で自分の立ち位置を客観視した。
彼は、兄の方を再び見た。「今さら、助けは請いませぬ…だが、兄上、ユースフよ…民はそれを受け入れるとおもいまするか?」「…私は、その悪評を受け止め、その咎を背負おうとも、歩みは止めん」「…わかった。じゃあね、ダウード」ユースフは、精一杯の虚勢から兄弟として別れを言った。
「…」ダウードは、無言でただ彼を見つめた。「…そろそろ、よろしいでしょうか?ユースフ殿下とは個人的にお話がしたいと思っておりました」蟻の女王は、敢えて尋ねた。「承知した。この反逆者を引渡し、以て我ら帝国とミュルミドーンとの和解は成らんとする」「貴国との協力関係成立誠にめでたく思います」
女王は、話が終わるとすぐにユースフに近づいた。その巨体は、優雅に歩くだけでも部屋を軋ませた。人間の上半身部分が、絨毯から出た顔に近づいた。「ふふ、こうして、身動きが取れぬ姿を見ると、一番最初の娘を産んだ日を思い出しますよ」ポリュドラーは、幼虫にするように優しく彼を抱き上げた。
「…ひいっ」ユースフは、目に見えて怯え、簀巻きの体をくねらせた。その様が、また蟻の幼虫を思わせた。「あらあら、怖がって。ごめんなさい、ママが悪かったですね」彼女は、赤ん坊をあやすように彼を上下しながら、器用に部屋から出ていった。ぞろぞろと、ジャイアントアント達が感謝から、一礼して去っていた。
「…ユースフ」だれに聞こえるでもなく、ダウードは連れ去られる弟の名を口にした。
24/09/23 17:11更新 / ズオテン
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