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第五皇子と「貪食族」~荒野のグール~その3 
マフムートは、ナディーヤによって広い石室へと案内された。壁一面に、三女神とそれに帰依する人々、関連した碑文が刻み込まれていた。中央には、石棺がありその側には、一人の女性が立っていた。

腰まで伸ばした白髪、ナディーヤによく似た顔立ちだが、より切れ長の目付きとがっしりしたシルエットが、冷悧な雰囲気を醸し出していた。「我が娘よ、その男がアスバルとやらか?」彼女の問いに、若い娘は首を縦に振った。

ナディーヤの母は、マフムートをしげしげと見定めた。「ふむ。あまり頼りになりそうもない、地上のおのこはこれだから……」「母さん!そんな言い方はないでしょう!?」ナディーヤは、母親の言い分に抗議した。

マフムートは、暫しナディーヤの母の威圧感に圧倒されたが、ナディーヤの声に気を取り直した。「これは、これは。ナディーヤの御母堂殿とお見受けする。ご機嫌麗しゅうごさいます」彼は、屈強なグールに一礼した。「私は、アスバル。しがない商人、アヴドゥルが息子にして、商人見習いでごさいます」彼はナディーヤに目配せした。

(マフムート様、ここまでは良く出来ていますよ!)ナディーヤの目が一瞬にこやかになった。マフムートは少し気恥ずかしく感じた。「礼儀は弁えているようだ…さて、本題に入ろうか」ナディーヤの母は、眉ひとつ動かさず彼を見た。「我が名は、ズムルード。<貪食族>ヤルタヒムの戦頭。お前の父が我が娘を拐かしたとか?」

「恐れながら、母さん、アスバルに咎はありません!」ナディーヤは口を挟んだ。「お前の意見はよい。アスバルよ、お前の父が所業、どう償うか?」ズムルードの声は冷淡であった。マフムートは、気圧され脂汗を流した。(恐ろしい…歯も目も爪も…だが、元より私は死んだ人間だ)

彼は、心配そうに見るナディーヤを一瞥した。(君がいてくれたから…私はここまで生きた。それに報いるだけ…)「ズムルード殿。我が父、ひいては一族が、貴女のご息女を捕らえ、ましてや召し使いにしてしまったこと、誠に申し訳ない」マフムートは、淀みなく謝罪した。ズムルードは、静かに凝視を続けた。

「私は着のみ着のまま、実家を勘当されました。償いに充てる金銀もありません。しかし、この身ひとつはまだごさいます…」彼は言葉を切った。ナディーヤは泣き出しそうであった。ズムルードは同じ無表情を続けた。「これまでの奉仕をそのまま、ご息女に仕えることで償いたい。でなければ…グールは人を食らうと聞きました」「アスバルやめて!」ナディーヤは駆け出した。

「私を…私を糧にしてくだされ!」マフムートは叫んだ。(言ってしまった…)瞬きの間に、ズムルードは彼の首を掴んだ。「ぐっ…うう…ぐるし…」彼はほぼ呼吸が出来なくなった。「威勢だけはよいな。それだけ言うなら、ご相伴に与ろうか?」彼女は、首を締め上げる力を強めた。

「母さん、本当に殺すつもり?!」ナディーヤは、母親に掴みかかった。ズムルードの片腕は、難なく娘を押さえた。「お前はこやつの父親や家のものに、苦役を課せられ、奴隷として使われたのだろ?何故庇う?」「それは…」ナディーヤはマフムートを見た、血走った目は生気を失いかけていた。

「どうした?私はこのまま、踊り食いでもよいぞ?」母は娘を睨めつけた。「お願いだから…その人は私の…」「ナ…ディ…」「!?」息もやっとのマフムートは口を開いた。「命乞いか?まあ聞くだけ聞いてやろう」ズムルードは少し力を緩めた。「ハア…ハア…」「マフ…アスバル!」

「ナ…ナディーヤ…私は…君が…自由になる…なら」マフムートは覚悟を決めて言葉を絞り出した。「…この身を…いくらでも…差し出す…」「マフムートさま!そんなこと言わないで!」彼の精一杯の微笑みは、ナディーヤの胸を締め付けた。「…ほう」ズムルードは感心したように息を吐いた。

「母さん、お願いだから!マフム…アスバルを…アスバルを」「もうよいか…」ズムルードはマフムートを掴む手を開いた。「…うぐっ」彼は床にこぼれ落ちた。「アスバル!」ナディーヤは母親の手を払い除け、マフムートを抱き起こした。「アスバル!!聞こえてる!?」「…あ…ああ」「良かった…」そして、すぐさまズムルードを睨んだ。

「母さん!」「マフムートか…名前はよいが、大したものだ」彼女の言葉に、ナディーヤは目を開いた。(しまった…彼の名を…)母親に感づかれたかと狼狽した。しかし、次のズムルードの言葉がより彼女を驚かせた。

「そやつの見上げた意気に免じて許そう…」「え…」ズムルードの表情が綻んだ。ナディーヤは困惑した、長年夢に見た母の柔和な表情を久方ぶりに目にしたのだ。「母さん…じゃあ…」「信用できんか?元より、お前の連れてきたおのこだ。そこまで悪い奴とは思ってはいなかったよ」

「何言って…そんな態度…本当に殺されるんじゃないかって!」ナディーヤは母の言葉に怒った。「すまなかった。だが、お前も知っているだろう?我々は人を殺さん」「あ…あの…」「マフ…アスバル、無理しないで…」マフムートも口を開いた。「もう名前を偽らんでよいぞ。先ほどは、意地悪な真似をしてすまなかった」

「いえ…そのことは…ただ一つ、グールは人を殺さない…とは本当ですか?」マフムートは疑問を口にした。「そうだ。かつて、といっても我が母、そやつの祖母の時代だが、理が変わってな。我らは、人間を食うのをやめた。殺しもせん…恐がらせたなら謝ろう…」

「そ…そうだったのか?」マフムートはナディーヤに顔を向けた。「ええ…マフムート様に言いそびれましたが…私達…魔物全体はある時を境に、人間を殺めることはなくなったそうです…」「そうか…私はまだまだ知るべきことがあるな…」

「すみません…母のしでかしたこと、そして私が魔物であることを隠していたこと…」「君がグールと…本当にびっくりしたよ」マフムートは裏腹に笑みを作った。「さっきは食べられると思って覚悟したよ…」「本当に申し訳ありません!」ナディーヤは泣きそうになった。「いいさ…ただ食べられるとしたら…君の方が良かったなんて思ったり」

「ふむ。なかなか、良いことを言うな。なあ、ナディーヤ?」ズムルードはにやついて、娘に問いかけた。「…いや、私はそんな…」ナディーヤは赤面した。「さて、マフムート、アスバル?どちらでもよいが」「は…はい」「詫びついでだ、食事を用意してるから着いて来なさい」ズムルードは2人に手招きした。

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食事会を経て、マフムートはナディーヤの親族と対面した。父親、人間でアフマドといった。工芸師だったようで、こちらでもそのような仕事をしている。そして、話に出た祖母。ズムルードと同じ戦頭を経て、かつては<貪食族>の族長にまでなったこともあるようだ。

それから、半年間、彼はこの地下寺院にてグールの中で暮らした。宮殿しか知らなかった彼には、刺激的な日々と言えた。まず、アル・マナートの教えに従い、男女は基本的に別れて生活した。これはハリーム(禁制)といい、三女神信仰の人間社会と変わらない。違うのは、男女の役割の点だった。

グール(理が変わってからは、女だけのようだ)は夜は狩に出かけ、昼間は互いに鍛練したり、身体を補修したりしている。人間の男は、寝床となる石棺を掃除したり、食肉を解体したり、マナート神への祈祷を行う。男女が共同で行うことは、食肉や皮なめしや加工作業、そしてマナート神への供物であった。

また、グールと番の男は、同じ石棺に入って寝る。しかし、この半年、マフムートとナディーヤは互いに床をともにしたが、肝心要の「コト」には至らなかった。

憎からず思うとも、マフムートにとっては一緒に生活していたので、女性として意識することが難しかった。また、他ならぬ父やケマル帝室が、敬虔な彼女を奴隷にした負い目を抱えた。ナディーヤの方は、皇子と女官という立場を引きずり、またある面では弟のような彼と行為を行うことに抵抗があった。

なんとなく、バツが悪く互いに背を向けて悶々と過ごしては、寝入る生活を行った。彼らは、いつしか極力避け合うようになった。マフムートは、元からグールの文化に興味があり、逃げるように骨や皮の加工作業に熱中した。ナディーヤは、狩りに出たまま帰らぬ日もあった。周囲も2人をもどかしく見守った。

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「それで?相談ってのは、アスバルのことか?」ジャミーラは親友の顔を見た。目を伏せて、唇を噛んでいた。「ええ…」「はあー…」彼女は顔に手を当て、ため息をついた。

「あのな…あんたはグール、違うか?」「うん…」「グールと雄、じゃあやるこた一つじゃないか?それで万事解決じゃあないか」「でも…彼をそんな風には…」「はあー…」

ジャミーラは、親友への相談に有効な手だてを見つけられなかった。それとなく、加工作業や儀式で隣り合って密着させるようにしたり、特別に彼女の番を呼んで、「サリーフ狩り」に連れ出したりした。だが、一向に進展しなかった。

彼女は泣きそうなナディーヤから目を背け、壁を見た。「いや…まてよ」何かを思い付いた。「アスバルの奴は、歴史や文化が好きなんだよな?」「?…そうだけど、それが?」ジャミーラは口の端を上げた。「<貪食族>は『人間を食らう』。その歴史を教えてやるんだよ…」「?」

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「ありがとう、ジャミーラ!この部屋は、何か前から気になってたんだ!儀式でも使われないし、私の推測では食人時代の名残り…」「あんたの講釈は尽きないのかね…」ジャミーラは呆れつつ、マフムートを案内した。彼女は石扉を開くと、入らずにマフムートに入るよう促した。

「君は入らなくていいのか?」マフムートは怪訝に思った。「いいから。ほら…あれだ、見張りしてないと、後で怒られちまう!」ジャミーラは彼を押し込んだ。「灯りはないのか?真っ暗だよ!」「大丈夫さ…灯りがない方がはずかしくねえだろよ」「?」

マフムートが中に入ると、後ろで石扉が閉められた。「ちょっと!?何故閉めるんだ?」「後は、お若い二人でってな!」ジャミーラの声が暗い部屋に響いた。「ジャミーラ?何を言っているんだ、開けて…」マフムートは気づいた、部屋には他に誰かいるのだ。(目が慣れたのか…いや!)

彼は気づいた、満月がこの部屋に光を届けていた。この部屋は、月明かりを鏡の反射により中心に集めているのだ。その中心には…「ナディーヤ…なのか?」マフムートは、うずくまる人影に呼び掛けた。むくりと起き上がった。

それは、ナディーヤであった。薄く透き通るような、シルク以外は一糸纏わぬ姿であった。「マフ…ムート…さま」彼女の目は、赤かった。「あの時の…」彼の命を助けた、血に飢えた、ケダモノがそこにはいた。








24/08/17 11:43更新 / ズオテン
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