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第一章 第五皇子と<貪食族>〜荒野のグール〜その2
マフムートとナディーヤは、帝都から程近い山間部の村に到着した。今のところ、皇帝の戴冠以外の報せは届いていないようだった。彼らは、ナディーヤの故郷付近に向かう隊商と出会った。幾人か傭兵がいたが、運良く空きがあり、彼らに同行を許可された。

(出来高制、そして武器防具は手弁当か…)ナディーヤのラクダの背に乗せられ、マフムートは始めて民の生活に触れた。他の傭兵を見ると、クーフィーヤ(日除け)以外の装備はちぐはぐであった。中には、鎧やブレーサーが血で錆び付いている者もいた。(それでも、ラクダや干し肉、水は支給された…文句は言えない)

商隊の者達は、自分達を姉弟「アスラールとアスバル」と説明した二人をちらちら見ていた。伝統的なヒジャブで顔を隠しているとはいえ、目の色がきょうだいで違うのを疑っているようだ。そもそも、槍もみすぼらしい服装にそぐわず、弟でなく姉が手綱を握るのも異例と言えた。

だが、彼らはそれ以上を追求しない。三女神信仰に基づき、親族以外の女性、特に若い未婚女性、夫と一緒にいない既婚女性とはみだりに会話ができない。また、病める者、貧ずる者を無下にすることも戒律で咎められていた。

旅は、特に滞りなく進んでいった。荒事をする必要もなく(実質的にナディーヤしか戦えないが、教義で女性を矢面にたたせるわけにもいかない)済んで、マフムートは胸を撫で下ろした。

彼は、しかし、隊商の中である程度は仕事をする必要に迫られた。三女神の教えによれば、契約は戒律の次に重要である。皇帝であっても、臣下との契約を破ることは難しい。働かざる者、食うべからずであった。

「アスバルと言ったか?両親が死んで、姉と2人で大変だとは思うが、何かできることはないか?」隊長の顔からはマフムートが、貢献できていないことが見てとれた。「すまんが、雑用も掃除も出来ない者を置いておくと、他に示しがつかない」

マフムートは、肩を落とした。それを見たナディーヤが抗議しようとした。「姉さん…ダメだ、オレが何とか仕事を見つけないと!何も詮索せず、置いてくれてるんだから」「マフ…アスバル、でもあなたを戦わせるわけには…」「それは…」

まだ、ナディーヤの故郷まで5ミールはあった。ラクダならともかく、徒歩で荒野を行けば、それこそ野盗や猛獣の餌食、下手をすれば魔物に襲われる。ナディーヤにとっては、特に魔物は会いたくない相手であった。

その夜。2人は、ラクダ用のテントで寝ていた。「盗賊だあああ!」その声に、2人は飛び起きた。隊商襲撃、この数日間全く気配はなかった。「ナディ…姉さんはここで隠れていてくれ!」「でも、あなたにもしものことが…」

「アル・ラート様の御加護がある、私はまだ死ぬ運命にはない!それに兄達に遅れをとるが、戦えないわけでは…」「ブルフフゥ!」彼らは、ラクダの悲鳴に振り返った。そこには、白い髪を振り乱した獣が、ラクダの首筋に牙を突き立てている光景が広がった。夥しい血を流し、ラクダは痙攣していた。

マフムートは、この世のものと思えぬ状況に恐怖した。しかし、彼は意を決してナディーヤを庇い、槍を手に取った。その瞬間、獣はこちらを振り返った。「おお、アル・ウッザー様…」マフムートは、緊張に腕を振るわせ、神の名を口にした。獣は、彼を見て、牙を剝いた。(鬼女だ…)魔物であった。

マフムートは腰だめになり、槍を構えた。右手でしっかり柄を握り、左手は軽く掴む、基本の構えであった。「わ、私を食らおうてか、魔物よ!この血肉はそこらの者より旨かろうが、その対価はきっちり払ってもらうぞ!」彼は大声で威嚇した。

すると、「ウウウウウウ…」魔物は、まるで叱られた子犬の様な呻きを発した。(この魔物、私を恐れ…いや、私の後ろ?)鬼女の視線は、彼の後ろに向けられていた。「グルルルルッ」(ナディーヤ、またあの姿に!?)彼女は臨戦態勢に入っていた。いや、あの時とは異なり、怒りはなく純粋に興奮しているようであった。「ナディーヤ…」「…」「うおっ」彼女はマフムートを押しのけて、前に出た。

「グウウ…」「ウウウ…」ナディーヤ達は、猫背の体勢で、対面した。そして、互いに…「「グラアアアッ!」」それぞれの肩を食いちぎった!「ナディーヤ!」マフムートは、槍で鬼女を引き剝がそうと、突進した。「ナディーヤ、まさか生きていたとは!」「ジャミーラ!あなた、昔より太った?」「え…?」彼は、思いもよらぬ会話に、手から槍を取り落とした。

「そこのサリーフは、戦利品か?それとも、番か?」ジャミーラは、ナディーヤを抱きしめると、彼女に囁いた。ナディーヤの顔は赤く染まった。「やめてよ、あなたこそ、夫は捕まえたの?」

「それは道中で話してやる。村まで、ちょっとは歩くからな。一緒に来るんだろ?」ナディーヤは、ジャミーラの言葉にうなずいた。「ちょっと待ってくれ!」マフムートは大声を出した。「2人は知り合いなのか?村というのは?」その疑問の声に、彼女はハッとした。

「マフ…アスバル、この娘はジャミーラ。私の姉妹の様な幼馴染よ」ナディーヤは答えた。「バナト・ヤルタヒム」彼は、自分の推察を反芻するようにつぶやいた。「なるほど、『貪食族』つまりグールか…」「よお、お坊ちゃん。あんたは、この娘とはどういう関係なんだ?」「関係?」「ジャミーラ!」

マフムートは、言葉に詰まった。(関係とは?身分を明かしてはならない以上、どう答えたものか?)同族相手に「姉弟」等と偽るべくもない、さりとて、ただの友人にしては怪しい。「アル・マナートに誓って、まさかコーヒー友達とか言わんよな?女神の教えによれば、番じゃない男と女が一緒のテントに…」「!?」痺れを切らしたジャミーラは、マフムートに問いかけた。しかし、彼は別のことに注目した。

「マナート様の教えは、グールにも広がっていたのか!?」マフムートは、魔物の口から女神の名を聞いて、思わず叫んだ。ジャミーラは怪訝な顔をした。「コイツ、人から質問されて、答えずに別の疑問を訊いてきやがったぞ?」「ごめんね。マ…アスバルは好奇心が強いの…」「好奇心ねぇ?」ジャミーラはナディーヤの言葉に眉根を寄せた。

「坊ちゃんよぉ」「はい?」「その話はおいおい聞かせるとしてだ。先に質問されたなら、ちゃんと答えろよ」「あ、申し訳ない…」「全くガキじゃねえんだから」彼らの問答に、ナディーヤは物申した。「ちょっと、アスバルは世間知らずだけど、そんな言い方しないで」

「ナディーヤ、オレに味方してくれるのは嬉しい。だが、礼儀を欠いたのはオレだ」マフムートは、ナディーヤにほほ笑んだ後、ジャミーラに頭を下げた。「ふん、少しは躾けてるみたいだな…」「またそんなこと…」「…あ、そうだ、ラクダはまだいる!何人いるか知らないが、これに乗って、村まで行くのはどうだ?」グールたちの機嫌を見て、彼は慌てて話題を変えた。

〜〜〜〜〜

道中での会話は、マフムートにとって実に興味深いものであった。曰く、〈バナト・ヤルタヒム〉は、埋葬された女と棺で生まれた赤子が始祖であると。彼女らを導いたのが、アル・マナト女神であり、三女神の教えは一部継承されていると。

「ということは、君達は今は生きた人間は食べないのか?」マフムートは質問した。ジャミーラはうんざりした表情をした。「ナディーヤ、サリーフってのはみんなこんなにうるさいのか?」「違う。彼が特別知りたがりなだけ。調書でもあり短所でもあるというか…」ナディーヤはおかしそうに笑った。「そんな言い方はないだろ?」「マ、アスバル、昔から私や周りの大人を質問攻めしてたでしょ?そのせいで、一日謹慎になって…」「それはそうだけど…」

ジャミーラは2人の問答を横目に、遠くを見ていた。彼女の表情は、突然喜色に満ちた。「オイ、お二人さん!皆、着いたぞ」その言葉に、2人の視線が遠くにある岩塊に向けられた。「あの岩が、君の故郷なのか?」マフムートは驚いた。「そう。詳しく言うと、あの岩を入り口にした昔のお墓が村」(いったいどれほどの大きさなのだろうか?)彼の好奇心はまた強まった。

実際、「村」は彼の想像を超える規模であった。大型の猛獣の骨と皮で作られた門をくぐり、中に入ると小さな洞窟であった。しかし、地下へと続く螺旋の石段を下ると段々と空間が広がり、ついに開けた大空洞に出た。「これが!これが、ナディーヤの故郷なのか!?」「ふふ、アスバルなら気に入ってくれると思った。ナディーヤ、加えてジャミーラも自慢げに口角を上げた。

そこは地下都市とでもいうべき広さであった。中心には、墳墓があり、壁には三女神やそれ以前の古来の神々の立像が彫り出されていた。まったくの暗闇ではなく、薄明るい青い火の玉がぼんやりと灯っていた。先を見ると、人だかりになっていた。

数十人の白髪の半裸の女達(ヤルタヒムのグールだろうか?)、それに囲まれた人間の男たちであった。「対象のみんなもいるぞ!シャヒーンやナズィームまで!」マフムートは驚愕した。彼らは、骨を加工した拘束具を着けられ、なめし革の紐に繋がれていた。「人間は食料にしないはずじゃ!?」

ジャミーラは呆れたように首を振った。「グールも含め、魔物は雌しかいないってさっき言ったろ?」「つまり?」ナディーヤは頭に手を当てて話し始めた。「彼らは、あの娘達の伴侶になるため連れてこられたの」「伴侶だと!?乱取りの如き所業で、無理やり連れてきておいて?」マフムートは抗議するような口調で言った。

「そうは言うがな、サリーフの坊ちゃん…あんたらもそこのナディーヤをどっかで捕まえて街に連れてきてんだろ?」ジャミーラは真顔で反論した。マフムートは驚き、ナディーヤの顔を見た。彼女は目を逸らした。(ナディーヤ…そういえば、父上に仕える前の彼女を知らない…)そして、彼は兄の言葉を思い返した。『お前のような女』『西の異教徒』(ラキーク⦅奴隷⦆、魔物は異教徒と同列…)

三女神信仰は、奴隷制を認めていた。名目上は、「異教徒との修練として苦役を課し、改宗と徳行へ導くため」である。魔物であってもそれは同じであった。「だが、君は我らと同じ神を奉ずる信徒同士、なぜ奴隷にされた?」「…」ナディーヤは押し黙った。「あ…」しかし、マフムートはその表情と先ほどまでの自分の偏見から、ある結論に至った。「魔物が同胞であるはずがない」彼女が魔物であると、あの日より前に知っていたら、彼は今しているように、ナディーヤに接することができただろうか?その懸念が、彼の胸を苦しめた。

ジャリーヤは、2人の表情を見比べた後、口を開いた。「まあなんだ…あたしらも、あんたらも、人間や魔物の区別なく互いにやってるってこった。あんたらがくよくよするこたない」彼らの間に重い沈黙が漂った。「…そ、そうね。とりあえず、アスバルは私の連れということで、母さんに伝えなきゃね…」ナディーヤは言い訳のように言って、その場を去った。

マフムートは、彼女の方を向けなかった。彼は、仕方なく下の広場を見た。グールたちが、番の品定めをしていた。中には先走って、男に覆いかぶさる者もいた。(人間も、魔物も、帝都の外はこのような世界が広がっていたのか…)彼は、目の前の現実に怒るでもなく、悲しむでもなく、ただ見つめていた



24/08/12 09:55更新 / ズオテン
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