連載小説
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中編
その年の夏は、大変お暑うございました。聖俗問わず、その熱波は多くの人を苦しめ、身分の別なく、多数の命を奪っていました。雨も少なかったので、水が張られていない田を見かけることもありました。拙僧の属する寺院に、領主様のご依頼が舞い込んだのは、そのような時期でありました。

かの寺院は、法力の修業を行い、また真言により護法童子や聖獣のお力を借りる術を学ぶことができました。拙僧も何度か、あやかしを調査し、時には追放・封印をすることもございました。その任も今までと何ら異なるところはない、そう思っておりました。

そして、今当院が建立される前の、麓の漁村に拙僧は遣わされました。当時の庄屋、長老様、檀家の網元、そして多くの村人に聞きこんで回りました。そして、今我らのいる丁度真下にある洞穴が、そのモノの住処であることを突き止めました。


「御坊、くれぐれもお気をつけなされよ、あの悪たれ尼は子供を拐し、喰ろうておるのです」庄屋は僧侶に忠告した。「お坊様、儂にはわかりますじゃ。あの女人は神の遣わした救い主ですじゃ。大波が来たとき、あの方がそれを鎮めたのを見たのじゃ!」迷信深い長老は自分の主観を伝えた。「坊さん、おらぁあやかしには詳しくねえけどよ。ああいうのは、海の化身ってもんじゃねえのかなぁ。経験からすると、凪いでりゃ気前がいいが、荒れてりゃ飲み込まれちまう」網元は自分の見解を述べた。

(どれもあり得そうな話ですね。いずれにせよ、直接会って確かめねば)妖怪退治というと、すぐさま生き死にの話になるが、実際は調査八割といったところであった。法力僧たちは、あくまで俗世の事情には深入りせぬ。排除も共生もその地の大名や国人、土豪の胸三寸である。

浜辺を進むといかにもな岩場の先に、切り立った崖があった。寄せては返し、波がその壁を激しく削っていた。(あそこが村の方がおっしゃっていた洞穴ですか…)近づくと何者かの声が聞こえた。それも複数であった。僧侶は岩陰に隠れ様子を窺がった。

「…にぶたれたぁ!」「違えよ、先に三平がこっちに手を出した!」どうやら童が何人か口論しているようだ。「嘘つき!」「言ったな!」片方は粗末な着物の男児であった。それと喧嘩している方は、狐を思わせる耳と尻尾をしていた。傍には、人形を抱えた女児や、貝殻で遊ぶ下半身が魚の子供もいた。

(とりあえず、童と暮らしているのは間違っていないみたいですね)口減らしか、はたまた親と生き別れたのか、孤児があやかしのもとにいるのはこれまで見覚えがあった。(今回も里親を探すか、寺で養うか…)寺社は特に人の子とあやかしの仔を区別はしない。未来の修行僧、ないし檀家である。しかし、大人のあやかしはめったに保護しない。彼女らの価値観では、禁欲的な教義や宗教組織の規範が馴染めないのだ。そのため、こうした場合往々にして引き離すしかない。

「こらっ!何度言えばわかるのですか!?争い、諍いになる前に、話し合いなさい!」奥の暗闇から、女性の声がした。水が勢いよく跳ねる音が聞こえ、それに続いて濡れた足音が近づいてきた。「先生!でも美根が」「言い訳はよろしい!三平、美根!どちらが先かはまずそれぞれが冷静になってから話を聞きます。まずは傷を見せなさい!」「はーい」「わかりましたぁ」童たちは釈然としないながらも、それぞれの傷を見せた。先生と呼ばれた者は、尼僧であった。

(いや、この甲羅は、海和尚でしたか…)装いは尼僧のそれであったが、その大きな甲羅は彼女が人ならざるものであることを物語っていた。尼頭巾の下は艶の良い黒髪、そして白い肌のうなじが輝いていた。僧侶はあやかしについて、平民や役人よりは知識があった。(大人のあやかしは教えに反し好ましくない。特に『和尚』を名乗る手合いとは…)彼は、他の羅漢と同じく、個人的な好悪は別として、あやかしにはあまり肯定的ではなかった。『海和尚』はその中でも、僧侶の多くは苦手であった。聖者を真似ながら、人々を誑かすその性質が…

(彼女らは人に仇なす部類ではない…しかしながら、土着の海神(わだつみ)に帰依しているにも拘らず、我らの信徒を真似た法衣を着ている。あまつさえ、あんなにも肌を露わにしている!)栄清は尼僧の姿で、肩を出し、うなじを見せているところにくぎ付けになった。(何より不遜にも『和尚』を名乗っている!)敬虔なこの僧侶には許しがたいものに感ぜられた。あるいは、女体に無意識に目で追う自分に嫌悪しているのか。

この暑さに栄清は冷静さを欠いたのだろうか?彼は今にも岩陰から体が見えるほど前のめりになってきていた。「はい!これにて傷は治りました。少しは頭が冷えましたか?」海和尚は子どもたちの傷をいやし、柔らかな笑みで彼らの頭を撫でた。(慈愛…それで尼僧を気取るつもりか!)彼はその笑顔を思わず凝視しした。そして、誰にでもなく言い訳のように独りごちた。(いかん、怒りは煩悩を呼び込む…拙僧は命を受けた。私情は禁物…)「ナモ・アミター・ブッダ…ギャーテー・ギャーテー…」彼は冷静になるため、マントラを口ずさんだ。

「あなや!そこにたれかある!」海和尚の耳はその声を捉えた。(これはしたり!)僧侶は観念して、岩陰を出て姿を見せた。尼僧姿のあやかしは三度笠に錫杖、袈裟を見て驚愕した。「この出で立ち、貴方は法力僧ですか!?」「…その通りにござる。拙僧、栄清と申す」二人は洞窟の入り口で対峙した。「拙僧を退治しに…」「場合によっては…ですが」海和尚は諫めていた子供たちを背に庇った。その場を緊張感が支配し、波の音だけが響いた。

法力僧は、退魔師のように世間では言われている。しかし、彼らはあやかしを即座に処することはできない。あくまで、人を襲うところに出くわすか、もしくは自衛のためにしか、法力の使用は許可されない。村人の証言や、状況証拠からでは、栄清には何もできない。そして、それは相手も同様であった、下手に抵抗すれば、庄屋などから国人へ伝えられ、兵士を寄こされることになってしまう。両者はにらみ合いを続けるほかなかった。

「先生、怖いよぉ!」「先生は何も悪いことしてないよ!」「指一本でも触れてみろ!俺が相手になるぞ!」海和尚の後ろから童たちが叫んだ。「先生の後ろにいなさい!標的は拙僧です!」尼僧は腕で子供たちを制した。(見る限り、このあやかしは悪事を成していないようですが…)栄清は彼らのやり取りから、この海和尚は特段悪いとは思えなくなった。ある一点を除いて…

「女御よ…」「何でしょうか…」「拙僧は貴女方に危害を加える気はございませぬ」「そのようなことをどうして信じれられましょうか?」「法力僧は俗世のものを人もあやかしも区別しませぬ。ただ、約定により、調査し引き渡すものでござる。抵抗せねば、悪いようにはしませぬ故…」僧侶は真摯に尼僧の目を見た。(嘘は言っていませんね…)海和尚にはこの男が嘘をついているようには感ぜられなかった。

「本当に拙僧たちを力づくで追い立てるわけではのですか!」「正直に申せば、拙僧はあやかしが苦手でござる。しかし私情にて、調査に手心を加えるは、法力僧の名折れ」「…」「調査を行い、その行状をしたため、高僧達が如何を決めまする」「しかし、拙僧らの進退はどうしましょう!?我らはやっとの思いでこの地に落ちつけました。この子らには親はなく、寄る辺もありませぬ。ここを追われれば何処へ?」その言葉に、栄清は子どもたちの不安そうな顔を見た。「そうだ!俺たちの帰る場所はここしかないんだ!」三平が彼を睨んだ。「三平の言う通り!出ていけ!」美根が同調した。

「我らは孤児に必ず里親を見つけまする。そうでなくとも、寺院は孤児を養います。必ずや衣食住に不自由はさせませぬ」「御坊の言葉、信用できる証はございますか?」海和尚の表情は半信半疑であった。栄清は大きく息を吐いた。(これも拙僧の至らぬが故か…)彼は意を決して、錫杖を海和尚の足元に投げ落とした。「…」そして、三度笠を取り、改めて顔を見せた。年のころは二十八と言った具合か。栄清は、袈裟を外し、そこに収めた独鈷杵を手に掲げた。「拙僧の持てるすべてでございます。信ぜられねば、貴女の妖術で拙僧を打つがよろしい」彼はそう言って手の武器を海に捨てた。すぐさま波にさらわれ消えていった。

「…御坊は武器を捨て、どうするおつもりで?このまま帰られるのですか?」「先ほども申しましたが、あくまで調査のためにここに遣わされたのです…厚かましいことと存じますが、ここで数日貴女方の暮らしぶりを拝見してもよろしいか?」「この期に及んで…」海和尚は栄清の言葉に呆れた。(自らの言葉の情けなさ、これでは居直りではないですか…)その時、ぐ〜という音が鳴った。この場の全員がそちらに顔を向けた。童の中で一番後ろにいた、小さなおのこであった。「…ご、ごめんなさい…おいらおなかすいて…」

張り詰めた空気がその一声で決壊した。「先生、俺も!」「あたしも〜!」「おなかへったよぉ!」子供たちは口々に空腹を訴えた。「皆のもの、今は拙僧たちはお話の…」海和尚が童たちに言い聞かせようとしたその時、ぐー、一際大きな腹の虫の鳴き声が聞こえた。それを発したのは栄清であった。「…!」彼は顔を真っ赤にした。(そういえば、今日は托鉢をしていませんでした…)

「…ッふふふ、あははは!」海和尚は思わず笑いだした。「へへへ!」「わははは!」その場の緊張感はどこへやら、皆大声で笑っていた。「これは申し訳ない…拙僧はいったん村へ…」「あっ、失礼しました!御坊も腹はすきますよね」「…不甲斐ない」「いいえ!生きている、腹をすかし、物を食べる、これこそ修行ですよ!」彼女は満面の笑みで答えた。栄清はその頬の紅潮を深めた。「よければ、一緒に斎でも?」「しかし、拙僧は貴女方の目付に参りました、あまり交わるのも…」

「ご自身で言っていたではありませぬか、我らの暮らしをご覧なさると」「しかし…」「そもそも、見つかった上に法具すらないのにいまさらでしょう!」「ですが、僧籍の身故、生臭を食べるのは…」「拙僧も尼の端くれなれば、精進にて饗すくらいはできまする」いつの間にか、海和尚は栄清の目前に来ていた。「!?」彼は、その琥珀色の眼から何故か目を離せなかった。「…承知いたしました…ご相伴にあずかります…」「こちらこそ!最近客人が途絶えて久しかったので、話し相手が欲しかったので…」尼僧は目を伏せた。愁いを帯びた顔に、僧侶は言い知れぬ美しさを見出した。

「せんせ!まだぁ!」人形を抱えた童子が袖を引っ張った。「はいはい!今行きますよ!それでは栄清殿、洞の奥でよういしていますので…」「待ってください…」栄清は海和尚を引き留めた。「如何なされました?」「お名前を頂戴してもよろしいですか?」「これは!名乗っていませんでしたね!拙僧は、凪波尼(なぎのあま)にございます」「凪波尼…殿…」彼はその名前を反芻した。

恥ずかしながら、住職様と拙僧は、こうして出会ったのです…
24/07/08 20:03更新 / ズオテン
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■作者メッセージ
最近、シャマラン監督の「ザ・ウォッチャーズ」を観ました。ネタバレになるのですが、異種族と人間の関係性が好きな方、絶対お気に召すと思います。「人外と人間の距離感、共存(共生ではなく)」、「種族とアイデンティティ」が刺さりました。

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