巫蠱
「お父さん…起きて」殯儀館にて、土気色の顔をして眠る父親を、男の子が揺らす。喪主は、少年の叔父、つまり故人の弟が務める。
「阿甚(シェンくん)、お父さんはもう起きないよ。僕と一緒に、あっちに行こうか?」「叔叔(シューシュー)…」張り付いた笑顔の叔父は、シェンを連れて控え室に向かった。
(叔父さんは、お父さんがこうなるまで、どこにいたんだろ?)シェンは、この人物に父が倒れて初めて顔を合わせた。それまで、自分に叔父がいるとは全く思わなかった。
「ほら、入りなさい」叔父は、シェンに促した。彼が入ったのは、暗い部屋であった。「…シューシュー?灯りは?」「そうだ、点けなきゃね」彼は拍手した。そして、部屋に明かりが灯った。
「え」少年は、驚いた。そこには、数人の厳つい男達がいた。「こ、この人たちは?」「シェンくん…君のお父さんのお父さん…つまりおじいちゃんはね、僕ら斧頭会(フートーホイ)の首領だったんだよ?」「フートーホイ?」
「ヘヘヘ、賢そうな坊っちゃんだぜ」うなじを刈り上げ、刺青を入れた黒ずくめの男が犬歯を見せつけ、嗤う。
「教えてやるよ。坊っちゃんのじいさまは、この街を、背広(オヤクニン)どもを、狗(サツ)を、豚(カネモチ)を、邦の端っこから逆の端っこまでシメてたんだよ」少年の頭をぽんぽんと叩いて言った。
「単刀直入に言うと、シューシューはね、シェンくんが持ってる首飾りが欲しいんだ」叔父は、シェンの首から下がる黒光りする宝石を指差した。「渡してくれるね?」「でも、これ、お父さんから…」
「…」「いたっ!」叔父は、急に興味を無くしたかのように、無表情で甥の頬を叩いた。「…言い方を変えようか?君は、分別のできない子供だものな」
「シュ…シューシュー?」「それを寄越せ。そしたら、君は用済みだ。マーマの方の、祖父母の家で暮らしたまえ」男は、髪をかき揚げ、煙草を咥えた。厳つい男達に指示すると、彼らは徐に壺を取り出した。「でも、私に逆らう。つまり、それを渡さないと言うなら…」「ど、どうする気?」
「綺麗な青磁の壺、その中身を覗いたことはあるかね?外観に反して、狭苦しい闇があるだけなんだよ」叔父は、悪漢達に命じてシェンを押さえつけ、顔を壺の口に押し付けさせた。「や、やめ…ぐるじ」「答えたまえ。飾りを私にくれるんだよね?」彼の声色は、先ほどまでの「優しいおじさん」のものであった。
「…」「一生こうしてもいられんだろ?」「…わかった」「そうか。わかってくれて、シューシューもうれ…」「…パーパは言ってた、ワルモノには渡すなって…!」「残念だよ…君が壺の中で骨まで溶けてから…それを取り出すかね」
「うわあああ!」黒ずくめが何やら、複雑な手印を作り、ボソボソと呪文を唱える。「…これの欠点は、十年ほどしないと安全に中身を取り出せないことだ」シェンの足が見えなくなったことを確認して、彼らは部屋を後にした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
髪を後ろに撫で付けた、黒ずくめの男は脂ぎった白髪の男と握手を交わした。ここは、街のランドマークタワー「晴空閣」のオープン式典である。市長と抱擁を行うこの男は?
「丹先生…万事滞りなく」「ふふふ、私とあなたの仲ですからね」「斧頭会」の刺繍から、都市を裏から掌握し、表の権力との癒着が窺い知れた。
「さて、会食には本当に出席されないので?」「ええ。私もやるべき仕事が多いもので…」二人は、式典が終わるとそれぞれ別方向に向かう。
丹と呼ばれた男は、リムジンに乗り込み本拠への帰途につく。(街はほぼ、私のもの。だが、父の財…)兄の葬儀以来、彼はあの壺が常に心残りであった。
(バカな子供だ…毒壺の中でもう影も形も残っていまいが。かわいそうなことをしたものだ…)彼はほくそ笑み、時計を時計を眺めた。(あと、もう少しだ)
だが、彼は通り過ぎる景色を見て、訝しむ。「おい。ルートが違うぞ」丹が咎めた。「バカめが」「すみません…」運転手が淡々と謝罪した。
「でも、これでいいんです」「何?」彼は、異様な雰囲気に冷や汗をかいた。周りには、「九」「八」「六」の書かれた車が並走する。街行く人々は、「煙花」…ロケット花火でまるでお祭り騒ぎである。
「『斧頭本部』じゃないです、行き先は」車内の空気がどろりと濁る。「何だと?」丹が問い詰めた。運転者は無感情に言った。「行き先は結婚式場ですよ」
ルームミラー越しに、運転手の双眸が丹を射抜いた。「な…に....?」意識がゆっくりと引き伸ばされていく。車内には、無味無臭の毒が既に…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「シュー…おきて…」「はっ!」「起きた?シューシュー?」丹は、暗い部屋で起こされた。そこには、見知らぬ青年がいた。「誰だ!?私をどうする気だ?」男は、泡を食って叫ぶ。
「まあまあ、落ち着いて」「落ち着いてられるものか?!私に指一本でも触れてみろ!どうなるか…」丹は気づいた。この目の色、兄を思い出すむかつく雰囲気…「シェンなのか…?」「久しぶりだね、丹シューシュー」
「SHHHHHH…」「うわあああ!」彼を縛るのは、縄でなく蛇…更に、足元には極彩色の蛙、蜘蛛、毒井守が床を埋め尽くす。
「大丈夫だよ。この子達は賢いから、おじさんを傷つけないよ…」彼の背中からは、子犬ほどの百足が這い出てくる。見る間に、それは人間の女の顔をした。シェンを持ち上げ、頬を寄せた。「ねえ、シェンちゃんの叔父さんて、この方なの?」
「そうだよ、呉(ウー)ねえちゃん!この人が、僕らの結婚を認めてくれるんだよ!」「結婚だと…私と何の関係が…」丹は、シェンの言葉に困惑した。
「パーパも、マーマも死んじゃったから、結婚式に親の代わりがいるからさ。シューシューにして貰おうかなって」「そうよ。初めまして、義叔父様。ウーですわ、甥御さんとお付き合いしてまして…」「化物…」
「シューシュー、失礼じゃないか」「な、何故壺から、どうやって!?」叔父の質問に、甥は顎に手を添えて首を傾げた。百足妖怪は、青年の頭を撫でた。「私たちが、シェンくんと仲良しになったから、かしら?」「私、"たち"だと?」
「そうですわ。みんな、出ていらっしゃい!」闇の中を這い回るナニカが、湿った足音を鳴らす。「ぐひぐひ…また新しいエモノが来た…」そこには、紫の毒々しい炎が燃える、井守がいた。「…あっしは、辣(ラー)…」よく見れば、燃えているのは、「…宏が」そこには、尻尾に捕まれ紫に焼かれた部下の姿があった。
次に、カサカサと蠢くモノが近寄る。「イキがいいオスは大好物よ…」上半身は絶世の美女だが…下半身は、大蜘蛛である。それは、八本のうち、日本の脚で白い何かを抱えていた。「アタシは、ルーシン、こっちはジンとか言うヤツだったけど、知ってる?」「金(ジン)…」
既に意気消沈した、丹は顔にポタポタと垂れてくる液体に気づいた。天井を見れば、そこには舌を伸ばす蛙がいた。「レロレロ、オラもいい旦那サマ見つけたべ」彼女は、天井に張り付けられた人間の顔を舐めていた。粘液に捕まっている黒ずくめは、やはり丹の斧頭のメンバーである。
「く、くさっ…」丹は、煙の匂いが充満して噎せた。そこには、巨大だが痩せこけた芋虫と虚ろな目をして着物をはだけた花の女がいた。「フゥーッ、キク」煙管を吹かし、花精に垂れかかる。「…アーピエン、キモチよくなろ?」花弁には、蔦に捕まれた男が毒霧を夢中になって吸い込んでいた。
バサバサと、手が翼になった女が、カギ爪に男をつかんでいた。彼女が羽ばたく度に、羽根が落ちていく。丹は、息も絶え絶えだった。吸い込む度に、身体が痺れていくのだ。
「なんだこれは…」「叔父さん、僕らみんなで結婚しようよ…」「そうですわ。あなたも、ご一緒に…」「私もだと…?」彼の疑問に対する答えは、すぐさま判明した。「SHHHH…」一際巨大なシルエットが、その鎌首をもたげた。
「百歩蛇…」「はあーっ…あなた毒を溜め込んでるわね…」人蛇は、ぬるりと近寄り、彼を締め上げていく。「ぐるじ…ど、く?」「そう…人間も毒を持つの。欲を、悪意を、野望というね…心配しないで、そういう刺激は大好物だから」丹の顔は、尻尾に包まれ見えなくなった。
「シューシューに感謝しなきゃ、ねえちゃんと会わせてくれたし」「仲人になって貰いましょ」シェンは、ウーに同じように抱擁され、口づけされた。
「阿甚(シェンくん)、お父さんはもう起きないよ。僕と一緒に、あっちに行こうか?」「叔叔(シューシュー)…」張り付いた笑顔の叔父は、シェンを連れて控え室に向かった。
(叔父さんは、お父さんがこうなるまで、どこにいたんだろ?)シェンは、この人物に父が倒れて初めて顔を合わせた。それまで、自分に叔父がいるとは全く思わなかった。
「ほら、入りなさい」叔父は、シェンに促した。彼が入ったのは、暗い部屋であった。「…シューシュー?灯りは?」「そうだ、点けなきゃね」彼は拍手した。そして、部屋に明かりが灯った。
「え」少年は、驚いた。そこには、数人の厳つい男達がいた。「こ、この人たちは?」「シェンくん…君のお父さんのお父さん…つまりおじいちゃんはね、僕ら斧頭会(フートーホイ)の首領だったんだよ?」「フートーホイ?」
「ヘヘヘ、賢そうな坊っちゃんだぜ」うなじを刈り上げ、刺青を入れた黒ずくめの男が犬歯を見せつけ、嗤う。
「教えてやるよ。坊っちゃんのじいさまは、この街を、背広(オヤクニン)どもを、狗(サツ)を、豚(カネモチ)を、邦の端っこから逆の端っこまでシメてたんだよ」少年の頭をぽんぽんと叩いて言った。
「単刀直入に言うと、シューシューはね、シェンくんが持ってる首飾りが欲しいんだ」叔父は、シェンの首から下がる黒光りする宝石を指差した。「渡してくれるね?」「でも、これ、お父さんから…」
「…」「いたっ!」叔父は、急に興味を無くしたかのように、無表情で甥の頬を叩いた。「…言い方を変えようか?君は、分別のできない子供だものな」
「シュ…シューシュー?」「それを寄越せ。そしたら、君は用済みだ。マーマの方の、祖父母の家で暮らしたまえ」男は、髪をかき揚げ、煙草を咥えた。厳つい男達に指示すると、彼らは徐に壺を取り出した。「でも、私に逆らう。つまり、それを渡さないと言うなら…」「ど、どうする気?」
「綺麗な青磁の壺、その中身を覗いたことはあるかね?外観に反して、狭苦しい闇があるだけなんだよ」叔父は、悪漢達に命じてシェンを押さえつけ、顔を壺の口に押し付けさせた。「や、やめ…ぐるじ」「答えたまえ。飾りを私にくれるんだよね?」彼の声色は、先ほどまでの「優しいおじさん」のものであった。
「…」「一生こうしてもいられんだろ?」「…わかった」「そうか。わかってくれて、シューシューもうれ…」「…パーパは言ってた、ワルモノには渡すなって…!」「残念だよ…君が壺の中で骨まで溶けてから…それを取り出すかね」
「うわあああ!」黒ずくめが何やら、複雑な手印を作り、ボソボソと呪文を唱える。「…これの欠点は、十年ほどしないと安全に中身を取り出せないことだ」シェンの足が見えなくなったことを確認して、彼らは部屋を後にした。
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髪を後ろに撫で付けた、黒ずくめの男は脂ぎった白髪の男と握手を交わした。ここは、街のランドマークタワー「晴空閣」のオープン式典である。市長と抱擁を行うこの男は?
「丹先生…万事滞りなく」「ふふふ、私とあなたの仲ですからね」「斧頭会」の刺繍から、都市を裏から掌握し、表の権力との癒着が窺い知れた。
「さて、会食には本当に出席されないので?」「ええ。私もやるべき仕事が多いもので…」二人は、式典が終わるとそれぞれ別方向に向かう。
丹と呼ばれた男は、リムジンに乗り込み本拠への帰途につく。(街はほぼ、私のもの。だが、父の財…)兄の葬儀以来、彼はあの壺が常に心残りであった。
(バカな子供だ…毒壺の中でもう影も形も残っていまいが。かわいそうなことをしたものだ…)彼はほくそ笑み、時計を時計を眺めた。(あと、もう少しだ)
だが、彼は通り過ぎる景色を見て、訝しむ。「おい。ルートが違うぞ」丹が咎めた。「バカめが」「すみません…」運転手が淡々と謝罪した。
「でも、これでいいんです」「何?」彼は、異様な雰囲気に冷や汗をかいた。周りには、「九」「八」「六」の書かれた車が並走する。街行く人々は、「煙花」…ロケット花火でまるでお祭り騒ぎである。
「『斧頭本部』じゃないです、行き先は」車内の空気がどろりと濁る。「何だと?」丹が問い詰めた。運転者は無感情に言った。「行き先は結婚式場ですよ」
ルームミラー越しに、運転手の双眸が丹を射抜いた。「な…に....?」意識がゆっくりと引き伸ばされていく。車内には、無味無臭の毒が既に…
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「シュー…おきて…」「はっ!」「起きた?シューシュー?」丹は、暗い部屋で起こされた。そこには、見知らぬ青年がいた。「誰だ!?私をどうする気だ?」男は、泡を食って叫ぶ。
「まあまあ、落ち着いて」「落ち着いてられるものか?!私に指一本でも触れてみろ!どうなるか…」丹は気づいた。この目の色、兄を思い出すむかつく雰囲気…「シェンなのか…?」「久しぶりだね、丹シューシュー」
「SHHHHHH…」「うわあああ!」彼を縛るのは、縄でなく蛇…更に、足元には極彩色の蛙、蜘蛛、毒井守が床を埋め尽くす。
「大丈夫だよ。この子達は賢いから、おじさんを傷つけないよ…」彼の背中からは、子犬ほどの百足が這い出てくる。見る間に、それは人間の女の顔をした。シェンを持ち上げ、頬を寄せた。「ねえ、シェンちゃんの叔父さんて、この方なの?」
「そうだよ、呉(ウー)ねえちゃん!この人が、僕らの結婚を認めてくれるんだよ!」「結婚だと…私と何の関係が…」丹は、シェンの言葉に困惑した。
「パーパも、マーマも死んじゃったから、結婚式に親の代わりがいるからさ。シューシューにして貰おうかなって」「そうよ。初めまして、義叔父様。ウーですわ、甥御さんとお付き合いしてまして…」「化物…」
「シューシュー、失礼じゃないか」「な、何故壺から、どうやって!?」叔父の質問に、甥は顎に手を添えて首を傾げた。百足妖怪は、青年の頭を撫でた。「私たちが、シェンくんと仲良しになったから、かしら?」「私、"たち"だと?」
「そうですわ。みんな、出ていらっしゃい!」闇の中を這い回るナニカが、湿った足音を鳴らす。「ぐひぐひ…また新しいエモノが来た…」そこには、紫の毒々しい炎が燃える、井守がいた。「…あっしは、辣(ラー)…」よく見れば、燃えているのは、「…宏が」そこには、尻尾に捕まれ紫に焼かれた部下の姿があった。
次に、カサカサと蠢くモノが近寄る。「イキがいいオスは大好物よ…」上半身は絶世の美女だが…下半身は、大蜘蛛である。それは、八本のうち、日本の脚で白い何かを抱えていた。「アタシは、ルーシン、こっちはジンとか言うヤツだったけど、知ってる?」「金(ジン)…」
既に意気消沈した、丹は顔にポタポタと垂れてくる液体に気づいた。天井を見れば、そこには舌を伸ばす蛙がいた。「レロレロ、オラもいい旦那サマ見つけたべ」彼女は、天井に張り付けられた人間の顔を舐めていた。粘液に捕まっている黒ずくめは、やはり丹の斧頭のメンバーである。
「く、くさっ…」丹は、煙の匂いが充満して噎せた。そこには、巨大だが痩せこけた芋虫と虚ろな目をして着物をはだけた花の女がいた。「フゥーッ、キク」煙管を吹かし、花精に垂れかかる。「…アーピエン、キモチよくなろ?」花弁には、蔦に捕まれた男が毒霧を夢中になって吸い込んでいた。
バサバサと、手が翼になった女が、カギ爪に男をつかんでいた。彼女が羽ばたく度に、羽根が落ちていく。丹は、息も絶え絶えだった。吸い込む度に、身体が痺れていくのだ。
「なんだこれは…」「叔父さん、僕らみんなで結婚しようよ…」「そうですわ。あなたも、ご一緒に…」「私もだと…?」彼の疑問に対する答えは、すぐさま判明した。「SHHHH…」一際巨大なシルエットが、その鎌首をもたげた。
「百歩蛇…」「はあーっ…あなた毒を溜め込んでるわね…」人蛇は、ぬるりと近寄り、彼を締め上げていく。「ぐるじ…ど、く?」「そう…人間も毒を持つの。欲を、悪意を、野望というね…心配しないで、そういう刺激は大好物だから」丹の顔は、尻尾に包まれ見えなくなった。
「シューシューに感謝しなきゃ、ねえちゃんと会わせてくれたし」「仲人になって貰いましょ」シェンは、ウーに同じように抱擁され、口づけされた。
25/08/28 09:55更新 / ズオテン
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