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『後華史』「司徒列伝」芹刑伝(ダークマター)
 姓は芹、名は刑。字は季で、その入れ墨から、芹黥とも称す。
 前華の哀武王が、その帝都寧安を追わる時、哀武十七年に生を受けたとされる。芹家は、貧しい小作人の家系で、父母と三人の兄、名も残らぬ数人の姉妹と暮らしていた。

 末主元年、刑は十になり、王太子康稔(末主)が即位。末主八年に、彼は長ずるが、すでに田畑は兄と姉の婿に分けられ、相続なし。末主の内乱鎮圧への募兵に志願する。

 末主十一年、刑は第二太子王弟賢譲(後の後華一世皇帝)の参軍に昇格する。

 後華一世元年、都檀陽にて一世皇帝の即位に参じる。

 四凶国と四霊国との国境には、 彩国という中立の小国がある。緩衝地帯であることを利用し、それなりに両者の間で存在感を立ち回り、独立を保ってきた。

 だが、「お許しくだされーっ!」宮殿の蔵から、続々と穀物が運び出される。彩王は、一番身なりの良い軍人、隊長格にすがりつく。「控えい!この方は、二郎太子殿下の参軍たる芹大将軍なるぞ!」部将が彼を引き剥がそうとする。刑は、老人に手を差し伸べた。

 「おお…寛大にも」「下郎が、黙って従え」「うぐぷぷぷ…」手を握り込むと、彩王は触れられてもいないのに、酸欠に苦しみ悶え出した。「ぐえっ…はあーっはあ…」刑が手を開くと、老王は解放され肩で息をした。「お前には利用価値がある。精々、身の程を知れ」

 「父上…お許しを!」若い女が、彩王と将軍に割って入った。「老いぼれの娘か」「漣娟!?奥で隠れておれと言ったであろう!」漣娟と呼ばれた公主は、刑に対して毅然と睨みつけた。

 「これは、明らかな約定破りではないか!何が、"後華"だ!?おぬしらは、そこらの野盗と相違ない、いやそれすら劣るわ!」「黙ってきいておれば…!」部将が、剣を抜き制圧にかかる。

 「よせ。太子殿下より、王族は生かせとの命だ」黒い甲冑の将軍は制止した。「しかし…ぐうっ」反駁する部下に対し、刑は手を翳し、失神せしめた。「俺に逆らうは、殿下ならびに陛下への不忠だ。役立たずめ」

 父娘は、無慈悲な芹刑の姿に恐怖した。「…部下の指導がなっておらぬな?所詮…」虚勢を張り、将軍を徴発しようとした漣娟に向かって、彼は悠然と歩いて近づいた。「な…なんぞ。妾をどうする…?」

 「公主殿下…後ろ手に回したその手に持つは、匕首(ヒシュ)だな?」彼が手を上げると、連動して漣娟の腕が持ち上がる。すわ、その手には確かに暗器が握られているではないか。「…!?」「敢えて挑発し、激昂した俺を一刺しか。だが、そうなればお前はすぐにでも捕らえられ、最悪殺されよう」

 「…だ、だが、妾を弑さば…民も兵も怒る、お主らへの恨みを忘れず…」「抵抗は続くと?更に多く死ぬるだろうな?」「っ!」「混乱があれば、てておやは助け出される目もあろうが…得てして鎮圧されるが定めだろうな」

 「も、最早これまで、煮るなり焼くなり…」「好きにしてもと…なれば」「…!」芹刑は、自分の首に手を近づける、同じく漣娟も、匕首を首筋に当てた。「俺のような下賎の者が、公主殿下を手に掛けるは畏れ多いこと…自ら始末をつけあそばせ」

 「…っ」死の恐怖に、娘は目に涙を浮かべ、わなわなと震えた。「ほお…」だが、彼女は決して視線を将軍から離さなかった。「箱入りの令嬢にしては、気骨があるか…言い残す言葉はあるか?」「…父上と民は決して傷つけなさるな」

 「…ふん」「うっ…」芹刑は、ゆっくりと短剣で、首の薄皮を抉らせた。「興が乗らぬ」そして、離した。「…えっ」「俺の命は貴様らを利用すること…殺しては意味がない」

 漆黒の外套を翻し、将軍はその場を後にした。扉の守衛に、固く施錠させると、部屋からは父娘の安堵の嗚咽が聞こえた。(ふん、生まれが違うとは、このことか…)彼は、言いようのない苛立ちを呑み込んだ。

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 「太古のケダモノ、四凶の復活だと?」「粱権による帝位簒奪に端を発し、天道は既に地を見捨てた…道士や星読みどもの言を信じればですが」

「俄には、胡散臭いことだが…俺は太子殿下を疑わん。都の使者を喚べ」「畏まりましてございます」芹軍は、彩宮の西棟に屯していた。彼は、特に意味もなく庭を眺めた。「っち…」そこには、窓に手を振る女子がいた。

 「公主殿下、午の刻の挨拶まではまだ時間がありましょうぞ…」「あら、わたくし達を"丁重"に閉じ込めておくのが、貴男の職務でなくて?女官達への部下の態度や、廷臣達への無用な威圧、そして何より父上への軟禁…陳情することには事欠きませんわ!」「女め…」

 芹刑は、漣娟のことが苦手であった。彼は、暴力で他者を従わせることも厭わぬが、さりとて誰彼構わず振るうのは矜持に反した。まして、この女子は幾ら脅そうが、力を見せようが全く恐怖しなかった。

 「何故、俺にそんな話をするのだ?護衛を付けただろう?兵士共が無作法であれば、直接百人長などに文句をつければよかろう」「…殿方というのは、あまり若い女子にくどくど言われるのは好かないと思いまして」「だからといって、俺も男だ」

 「まあ、それは存じ上げませんでしたわ。貴男、いつも趣味の悪い仮面兜に、真っ黒で縁起の悪そうな鎧に身を包んでいましたから」芹刑は大きく息を吐いた。これ以上、この娘と会話するより、自分で足を動かしたほうがまだしも気が紛れる。

 「…粗相をした兵士を教えろ。俺の部下は、手足であれば良い。与り知らぬところで、勝手はさせん」漣娟は嬉しそうに頷いた。「では、参りますか」「着いてくるな」

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 「都に召還された。俺は離れるが、くれぐれも決起など考えるな」芹刑は、跪く彩王を見下ろし、冷淡に言った。「もし、気の迷いを起こせば…」「ひいっ…」彼の腕には、不可視の空気の剣が形成され、その腹は小太りの顔を撫でた。「その時はやっとお前の血を見れる」

 芹刑は、その後ろで額を床に着ける娘を睨んだ。「お前もだ…精々俺の名代に小言を言って、殴られるなよ」「…」「何か言いたげだな?」「畏れながら、貴男への別れの言葉を考えていました。『清々する』と素直に感謝すべきか、『片田舎なので、ちゃんと飼い主のお家に帰れますように』と旅の安全を祈願すべきかと」

 大将軍は、苛立ちを隠さず空気の刃を放った。透明な力は、彼女の髪の端を切断し、壁に痕を付けた。「その減らず口が聞けなくなり、寂しきことこの上ない」「貴男の不景気な顔を見れなくなって、口惜しく思いますわ」

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 檀陽に到着すると、そこは恐ろしい場所であった。異形の翼が空を舞い、地には怪物が犇めき、住民は狂喜するか、門を固く閉ざしていた。

 「おお…芹将軍か。よくぞ、参じた」「殿下、息災にていらっしゃいますこと、天に感謝致します」芹刑は、魑魅魍魎に支配された宮殿にて、賢譲に頭を垂れた。二郎太子は、手を上にあげた。すると、そこには額づく者達は顔をそちらにゆっくり上げた。

 そこに跪くのは、九人である。九寺という、実質的な官僚と廷臣の長官として、彼らは任ぜられた。刑は、横目に"同僚"を観察した。何れも一目で、人間と思われるがこの場の妖怪変化の類よりも、油断ならぬ者達と言えた。

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 一世皇帝元年夏、四霊国は国境を越えて進軍。彩国が陥落したと伝わる。芹刑は大将軍として、十八城を陥して彩国を奪還した。

 四凶ら太古の悪鬼は、妖術と宝貝を気前よく全軍に渡した。勢いづく芹軍は、ついに彩国の都に入る。だが、そこには誰もいない。

 四霊との戦端が開かれて、王も姫も都を追われたという。彼は、周囲に気取らせぬが、胸にしこりを残して敵との戦争を継続した。

 終戦したのは、一世三年の冬。彩国は、王家を無くし、四凶からの皇族が派遣され直轄統治下に置かれた。芹刑は、平和に成った途端の政争に無関心であった。

 九寺は、それぞれ派閥を作り、暗闘に明け暮れたが、皇帝の権威を侵すものはいない。四凶を神とし、古き血筋と旧き信仰により、皆常夜を生きるものだからだ。刑にとっては、単なるままごとに過ぎない。

 魑魅魍魎の天下と言えど、秩序を纏めるため、出過ぎた邦や人妖は処罰の対象となった。他の大臣たちは、宮廷の内外で権力闘争に終始したため、必然大将軍は治安維持に従事せねばならなくなった。

 彼は、苛立ちと喪失感に突き動かされ、より苛烈に反逆者を粛清した。殺しはしない。ただ、痛めつけ、鼻をへし折り、頭を垂れさせるのみ。だが、一度打ち合えば、大抵の者は直ぐに萎縮した。芹刑を痛めつけ、啖呵を切る者など居ない。

 あの日までは…
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 「ここに件の"空亡"とやらが潜伏しているのだな?」「はっ…既に包囲は完りょ…」部下の声は、突然の破砕音に掻き消された。「何だっ!?」「…」兵士が、幕舎まで吹き飛んできた。

 「使えぬ連中だ。俺が出る」芹刑が、外套を翻し包囲された楼閣に向かう。時折、礫や木材が飛び散るが、彼の掌握する"空圧"によりすべて弾かれた。

 「閣下、お下がりください!敵は、異様な妖気を…」「俺に指図するな。持ち場を離れたものは、仕置ではすまさん」「かっ…かしこまりました!」

 芹刑は、兵士に囲まれた暗黒の球体を睨んだ。それは、昼も夜もなく暗黒の四凶圏にあってすら、空間に穴が空いたように黒々としている。

 「そこの反逆者に告ぐ。即効投降しろ、さもなくば」「くゃああああ!」声にもならぬ叫びを上げ、黒い球体は襲いかかった。小手調べに空の刃を放つが、暗黒球はそれを異様な重力で飲み込み、空間を抉って消滅させた。

 「初撃にて果てぬか」面白い、大将軍は兜の下で口角を上げた。彼の宝貝は、帝具の一つ「真空虚空蔵」という。地水火風を包括する、空間に干渉する歪曲の力だ。

 暗黒と虚空は、数合打ち合う。黒い妖気は、すべてを飲み込み押し潰し、対消滅させた。空間も例外ではない。しかし、虚空は全てを内包する。掌握した空気は、一定時間は拮抗する。それを元に、芹刑は手数で押し、消滅する先から果敢に次の手を打つ。

 通常、妖気や仙気を削り、武器や術を無にするならば、距離を取ろうとするだろう。大将軍たる男は、臆しなかった。あるいは、これで敗れ取り込まれることすらも、どうでも良く思えていた。懐に入り込めば、洗練されぬ動きの妖魔は直ぐに押されていった。

 「これで決める…!」腕に空の剣を作り出して、ガラ空きの球体の中心を突き刺す。「…!?」彼は、そこで垣間見た。「貴様は…」

 暗黒球の中には人がいた。それは、あろうことか漣娟であった。その動揺は、刹那であった。だが、命取りであった。暗黒は散り散りになりながら、彼の足元に集まっていた。そして…「ご無沙汰してましてよ…」「…やめろ」娘の部分は、枝垂れかかり、彼の背に手を回した。

 直ぐ様、二人は暗黒に呑まれ、どこかへと消えた。

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 「俺がこの様な辺鄙なところに来た理由はわかるな?」「はい…閣下の力なくば、四霊と四神の賊徒の大軍は少々手こずるとの上申にございます」

前線指揮官の中郎将は、恭しく征東大将軍芹黥を歓待した。彼の周囲には、暗黒が抱きつくように、纏わっていた。その顔の入れ墨に連動して、不吉に明滅している。

 「ふん、お上は協定だなんだと、まやかしに現を抜かし、現場には常に判断を投げている」「それ以上は、誰に聞かれているやも…」「…」「いえ、言葉が過ぎました」

 「ん…なん、うわああ!?」「えっ…」芹黥は、腕を翳した。彼らの横を通った兵士が、虚空に現れた闇に呑まれ消失した。部下は、大将軍を振り返った。

 芹黥は、何の感慨もなく苛立ちで、人を暗黒に呑み込んだ。その闇に、彼も入る。そこは、この世ならざる嬌声が響く異様な世界だった。

 暗黒が人間の形を取り、出迎えた。「貴男、あまり人に当たり散らすのは、よろしくなくてよ?」「信用できぬ。俺と貴様さえいれば、賊軍など物の数でない。行くぞ」「まあ、お出かけしたいなら、素直にそうおっしゃればよいのに」「ふん」

 暗黒空間が、はためく外套の下に広がる。黒き甲冑を指して、人々は「大時修羅芹黒将」とよび、その伴侶を「空亡夫人」と恐れた。
25/08/08 09:53更新 / ズオテン
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