『地誌異類恋婚譚』より「樹精乃章、桃娘乃段」(ドリアード)前編
昔、治世にして順海王のとき、卞の国は坩寧という町に一家あり。
一家は、老翁と老嫗と息子、その妻、孫息子と孫娘なり。老翁と息子は農耕を業とす。孫息子は、長じて兵役に服す。卞の都にて、3年の任期全うせり。
だが、世は乱れ、人心は凄まじ。野盗、坩寧を荒らしに荒らしてけるならば、即ち孫息子は家人を失ひぬ。亡くしたるは、老翁と老嫗に息子。浚われぬるは、息子嫁と孫娘。
孫息子曰く、「何故、くにの護りならいざ知らず、みやこの防人やありけむ。かよう、世の常なれば、我後生羅刹ならむと欲す」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
青年は言った。「どうして、故郷を守るために残らず、王都の衛兵になんかなっちまったんだ」彼は、焼け残り、祖父母と父であったものを前に、涙を流して倒れ込んだ。
「こんなのが…こんなのが、世界の在り方だって言うのかよ!?じゃあ、俺も悪党にだってなってやる!」青年は、立ち上がった。「一生かかってでも、仇はとる!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
悪鬼のごとき怒りと、冷徹に研ぎ澄まされた憎悪から、青年は魔道に落ちた。兵役に従事した際に培った槍術を、幾つもの流派で磨き上げた。時には退治した師範や兄弟子を再起不能にし、出奔することもあった。
旅の間、青年は各地で傭兵をして日銭を稼いだ。戦乱が激化し、治安が乱れることを、彼はいつしか悦びだした。(もっとだ…もっと強く、残忍になる。武を極めるのだ)
ついには、侠客を集めて一種の傭兵団を作り上げた。青年、今や「煉大人」と呼ばれる男は、この日卞の国の裏を統べる「剣仙会」の末席に加えられることとなった。(精々、俺の踏み台になってくれよ。金と名誉、使える若衆とかな)
そして、煉は首領の男の饗宴に招かれた。「いやあ、お噂はかねがね…なんと立派な庭園にござるか」「グフフ、お前のような強く、賢しいヤツが傘下に加わって、儂も嬉しいぞい」彼は、首領の乾いた杯に並々と酒を注いだ。
「おぬし、コレはおるか?」中年の巨漢は、下卑た笑みを浮かべ小指を立てた。「いいえ」(待ってたぜ…)侠の渡世に置いて、しばしば性接待は付き物だ。
これは、肉欲の充足に止まらず、擬似的な姻戚関係を示唆する。首領が目を掛ける部下に、「父親が娘を嫁にやる」様に、義理の娘や若い妾を宛がうことで、内外に後継者として知らしめるのだ。
~〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
煉は、階下の繁華街を窓辺から見下ろしていた。月を肴、喧騒を音曲に酒を楽しんだ。「失礼致します」突然、若い女の声がした。「おう、入れ」
「…」薄く化粧し、華美な服を着た女が部屋に入る。部屋の入り口側は、暗がりになっていて顔はよく見えなかった。「突っ立ってないで、こっち来い。喉か渇くだろう?」「…はい」
女が近づく度に、甘く芳しい香りが部屋いっぱいに広がった。(桃娘か…)彼は、昔読んだ通俗本の内容を思い返した。乙女あり。其は、桃のみ食す。汗は果汁、泪は甘露、口づけは天女に劣るまじ。しかして、閨ともすれば、即ち桃葉湯に入るが如し。
女は慣れた手つきで酌をした。「…うまい」煉は、酒を一気に下した。桃娘は、無言で酒を注いだ。「…うめえなあ。ここで一つ肴もありゃ、言うこと無しだなあ」彼は、にやりと彼女に笑いかけた。
「…かしこまりました」女は、ゆっくりと衣を脱いでいく。月が更に高く上がり、徐々に白い肌が露になる。「ほお…」煉は、満足げに口の端を歪めた。「む…?」しかし、肩が見えてきた時、違和感を覚えた。(ほくろが三つ連なって…)
桃娘が肌を晒す度、薫りが強くなる。だが、煉は最早そんなことは気にしていなかった。「…脇腹…それに、膝の痣…」「あの…」彼は、無視してぶつぶつと呟いた。
「お前…名はなんと言う」彼は、血走った目を開いて、問いかけた。「名?…蟠桃姫と呼ばれております」「違う!あ…いや、そんなつもりじゃ」煉の剣幕に、桃娘は怯えた。
「生まれた名は…親から付けられた名は…」彼の脳裏には、焦げた祖父母と父の顔が浮かんだ。「…美琳です。廉美琳…」「…」男は、無言で彼女を抱き締めた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ら、乱心したか…!?」首領は、護衛二人を串刺しにした煉に恐れ戦いた。「あんたには、感謝してます」彼は、二人を無造作に足蹴にして、槍を抜いた。
「今日、天涯孤独だと思ってた俺に…家族を引き合わせてくれて…」「な、何の話だ…狂った…」彼の喉には、既に穂先が突き刺さっていた。「…かひゅー」最後の息を吐ききって、巨漢の中年は息絶えた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「…」「…」焼けた豪邸の火に照らされ、二人の男女が乗った馬は離れていった。だが、彼らを見咎めるものはいなかった。二人は、段々と闇に消えていった。
加速すると、女の方は男にしがみついた。「…」(お兄ちゃん…)ただ、月だけが二人の逃避行を見守った。
一家は、老翁と老嫗と息子、その妻、孫息子と孫娘なり。老翁と息子は農耕を業とす。孫息子は、長じて兵役に服す。卞の都にて、3年の任期全うせり。
だが、世は乱れ、人心は凄まじ。野盗、坩寧を荒らしに荒らしてけるならば、即ち孫息子は家人を失ひぬ。亡くしたるは、老翁と老嫗に息子。浚われぬるは、息子嫁と孫娘。
孫息子曰く、「何故、くにの護りならいざ知らず、みやこの防人やありけむ。かよう、世の常なれば、我後生羅刹ならむと欲す」
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青年は言った。「どうして、故郷を守るために残らず、王都の衛兵になんかなっちまったんだ」彼は、焼け残り、祖父母と父であったものを前に、涙を流して倒れ込んだ。
「こんなのが…こんなのが、世界の在り方だって言うのかよ!?じゃあ、俺も悪党にだってなってやる!」青年は、立ち上がった。「一生かかってでも、仇はとる!」
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悪鬼のごとき怒りと、冷徹に研ぎ澄まされた憎悪から、青年は魔道に落ちた。兵役に従事した際に培った槍術を、幾つもの流派で磨き上げた。時には退治した師範や兄弟子を再起不能にし、出奔することもあった。
旅の間、青年は各地で傭兵をして日銭を稼いだ。戦乱が激化し、治安が乱れることを、彼はいつしか悦びだした。(もっとだ…もっと強く、残忍になる。武を極めるのだ)
ついには、侠客を集めて一種の傭兵団を作り上げた。青年、今や「煉大人」と呼ばれる男は、この日卞の国の裏を統べる「剣仙会」の末席に加えられることとなった。(精々、俺の踏み台になってくれよ。金と名誉、使える若衆とかな)
そして、煉は首領の男の饗宴に招かれた。「いやあ、お噂はかねがね…なんと立派な庭園にござるか」「グフフ、お前のような強く、賢しいヤツが傘下に加わって、儂も嬉しいぞい」彼は、首領の乾いた杯に並々と酒を注いだ。
「おぬし、コレはおるか?」中年の巨漢は、下卑た笑みを浮かべ小指を立てた。「いいえ」(待ってたぜ…)侠の渡世に置いて、しばしば性接待は付き物だ。
これは、肉欲の充足に止まらず、擬似的な姻戚関係を示唆する。首領が目を掛ける部下に、「父親が娘を嫁にやる」様に、義理の娘や若い妾を宛がうことで、内外に後継者として知らしめるのだ。
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煉は、階下の繁華街を窓辺から見下ろしていた。月を肴、喧騒を音曲に酒を楽しんだ。「失礼致します」突然、若い女の声がした。「おう、入れ」
「…」薄く化粧し、華美な服を着た女が部屋に入る。部屋の入り口側は、暗がりになっていて顔はよく見えなかった。「突っ立ってないで、こっち来い。喉か渇くだろう?」「…はい」
女が近づく度に、甘く芳しい香りが部屋いっぱいに広がった。(桃娘か…)彼は、昔読んだ通俗本の内容を思い返した。乙女あり。其は、桃のみ食す。汗は果汁、泪は甘露、口づけは天女に劣るまじ。しかして、閨ともすれば、即ち桃葉湯に入るが如し。
女は慣れた手つきで酌をした。「…うまい」煉は、酒を一気に下した。桃娘は、無言で酒を注いだ。「…うめえなあ。ここで一つ肴もありゃ、言うこと無しだなあ」彼は、にやりと彼女に笑いかけた。
「…かしこまりました」女は、ゆっくりと衣を脱いでいく。月が更に高く上がり、徐々に白い肌が露になる。「ほお…」煉は、満足げに口の端を歪めた。「む…?」しかし、肩が見えてきた時、違和感を覚えた。(ほくろが三つ連なって…)
桃娘が肌を晒す度、薫りが強くなる。だが、煉は最早そんなことは気にしていなかった。「…脇腹…それに、膝の痣…」「あの…」彼は、無視してぶつぶつと呟いた。
「お前…名はなんと言う」彼は、血走った目を開いて、問いかけた。「名?…蟠桃姫と呼ばれております」「違う!あ…いや、そんなつもりじゃ」煉の剣幕に、桃娘は怯えた。
「生まれた名は…親から付けられた名は…」彼の脳裏には、焦げた祖父母と父の顔が浮かんだ。「…美琳です。廉美琳…」「…」男は、無言で彼女を抱き締めた。
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「ら、乱心したか…!?」首領は、護衛二人を串刺しにした煉に恐れ戦いた。「あんたには、感謝してます」彼は、二人を無造作に足蹴にして、槍を抜いた。
「今日、天涯孤独だと思ってた俺に…家族を引き合わせてくれて…」「な、何の話だ…狂った…」彼の喉には、既に穂先が突き刺さっていた。「…かひゅー」最後の息を吐ききって、巨漢の中年は息絶えた。
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「…」「…」焼けた豪邸の火に照らされ、二人の男女が乗った馬は離れていった。だが、彼らを見咎めるものはいなかった。二人は、段々と闇に消えていった。
加速すると、女の方は男にしがみついた。「…」(お兄ちゃん…)ただ、月だけが二人の逃避行を見守った。
25/07/10 16:33更新 / ズオテン
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