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第三章 征服者と魔神 その3~神憑り
「殿下!シャーザーデ殿下!どちらにおわしませるか?」褐色の肌で腰に曲刀を佩した、若武者が廊下を走っていた。「殿下!一大事にござる!お目通りを願う!」

青年がノックし、返事が聞こえるや、すぐに入室した。「僕を呼んだかい?ウッディーン」「殿下!緊急時とは言え、礼を逸した真似をお許しくだされ!」皇太子に対して、彼はほぼ直角に礼を行う。

「それで?なぜ、取り次ぎを通さずに、僕に面会を?」ダウードは、ウッディーンにわざとらしく詰問した。「はっ!御注進申し上げることをお許しくだされ!」「いいよ」膝をつく若武者を皇子は起こし、ハグをした。

「先刻!都から、偉大なる大帝陛下より、殿下への帰還の使者が送られ侍りけり!」「つまり、父上が僕を呼びつけたってわけだ?」「左様にござる!」「誕生日までまだ三ヶ月あるのにね?」ダウードは皮肉を言った。

「支度する。ウッディーンは幕下のものに準備させよ。僕は行政官達に挨拶してくる」「かしこまりましてございます!殿下の御心のままに!」ウッディーンは力強く、しかし静かに戸を閉めて退出した。

「都からの報せとは、果たして何でしょうかね」薄桃色の霞が口を利いた。「父上のことだ、おそらく出家するとか言い出したに違いない」「では、いよいよ、ご主人様のご即位…」魔神は言いかけて、彼の言葉を待った。シャーザーデの表情は、『まだその時ではない』と語る。

「僕は、まだ内閣の連中も、貴族も軍部も抑えられてない。ウラマーどもは、そもそも父上と懇意だ。僕には、この手狭な執務室とウッディーン達と…」そして、ダウードは彼より一回り背の高いジーニーの手を両手で握った。「まあ」「君だけだ。だが、それだけあれば、十分だ」

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「殿下…着きましてございます」「…むっ、寝ていたか」家宰に起こされ、馬車より帝都に降り立つ。彼が離れた2年弱で、宮殿は随分と様変わりした。「父上の趣味か…パーディシャーというよりスーフィーの伝道師よな」

早速、彼は謁見の間へと足を運んだ。「シャーザーデのお成り!」守衛が槍を動かし、門を開く。ダウードは、侃々諤々の内閣と列をなす陳情者の人混みを、無言で掻き分けた。

「殿下!ご機嫌麗しゅう…」「シャーザーデ!?お許しくだされ、わたくしめは朝から陛下への直訴を…」堂々たる皇太子は、ヴェズィールやアミールに目もくれず、ただ玉座に座る父帝のもとへと歩を進めた。

<敬虔者>カリムは、2年の間に痩せていた。皇帝たる豪奢さを捨て、私財を擲ち寺院と住居の建設に宛て、その装いは托鉢僧を思わせる。「よう帰って参った、ダウードよ」父親は、息子の帰還にことのほか嬉しそうに頷いた。

(この表情…親子の再会に喜ぶ男であったか?もしや…)ジーニーの言葉を反芻する。遂に、皇帝は俗世への関心を失くし、退位する気だと彼は疑念を強めた。「父上も…四十を越えて、威風は衰えず、息災で何よりでございます」

「殿下!我らは、今財源の調整と各問題への割り当て…」白髪のスンビュル・パシャは、若僧を嗜めるように声を発したが、皇帝が手を見せて閉口した。「余が召還し、直接の目通りを赦した。汝は、余の決定に不満が?」

ざわめいていた広間はしんと静まり返った。ダウードは、不安そうな幕僚を眺めた。風の噂で聞いていたが、キャーティプは職を辞しており、内務相の帽子を被るのは甚だ年若い者であった。(宰相の孫…専横を隠そうともしないか)

「さて、ダウード・シャーザーデよ。余は、何故汝を今ここに喚び、見えたか?わかっておろうな」カリムは、浮き世離れした眼光を投げ掛けた。内閣は狼狽え、貴族らは囁き合う。

「畏れ多くも見当が付きませぬ。何故でごさいましょうか?」ダウードは答えた。皇太子とは、"野心を隠すのが上手い者"がなるものだ。「賢明なるパーディシャーの深謀遠慮を、愚昧なるわたくしにお教え願います」

「…ふん。余は、汝に譲位する」どよめく大臣と貴族達。「畏れながら…」「決めたことを覆さぬ。余に逆らうのなら、前に出よ」部屋は再び重い沈黙に沈んだ。

「では…」ダウードは一歩前に出た。「未だ覇気の衰えぬ、民に愛され、教えを全うする聖帝が、何ゆえこの不徳の若輩者に帝位を譲るなどとおっしゃられるか?」

「何ゆえか…余は先日夢にて三女神の御使い、天女(フーリー)より命を賜った」この場の全員、ダウードを含めて、その耳を疑った。(父上は遂に正気を失くされたのか…)

「それによれば、次なる帝が民と国を真に平和に導く礎となるのだ。余はそれを天啓と考える次第だ。それでも、余の言うことを、願いを、聞かぬか?」皇太子は、大臣達は、陳情者らは、皇帝の狂気的な眼差しと後光のような輝きを見た。神の奇跡か、悪魔のまやかしなのか。

「…かしこまりました」「うむ。皆の者、聞こえたであろう?早速、内閣は即位に向けて準備をせよ!」呆けたような宰相の翁は、すぐに意識を取り戻した。「は…ば、万事、滞りなく!」アミールらは逃げ出すように退出し、ヴェズィールは忙しなく行動を始めた。

だが、次代皇帝の起こした大波乱に比べれば、これは些事と言えるだろう…







25/06/22 10:19更新 / ズオテン
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