血を流す鬼
その日のラピリスは酷く不機嫌であった。
理由など言うに及ばず、反魔物派の活動の為だった。
だが、彼女は自分が好き勝手にやった結果として、大切な部下や弟子を失う事になったと、そう戒めてもいる。
昔の彼女ならそんな事は考えすらしなかっただろう、部下だろうがなんだろうが、自分の目的のためには嬉々として切り捨ててきたのだから。
しかし、少なくとも今の彼女は違った。
徐々に魔物や人間に対して抱く信愛や情愛が大きくなっていく、殺したい程毛嫌いしていた人間に…人間の男に心を惹かれそうになる。
そんな心境の変化を彼女自身も感じていた。
だが、それでも最古参の実力者として、今までの姿勢を簡単に崩す事はできなかった。
だから彼女は少なくとも表面上は今まで通り振舞っていた。
人間を嫌い、徹底排除を唱えた。
後継育成に力を入れ、部下や弟子に厳しい教育をした。
結果、魔王軍部隊長の中にあって人にも魔物にも厳しい、近寄り難い存在となってしまっていた。
他の魔王軍部隊長達が親魔物派の人間と更に友好を深めていこうとする中では、著しく浮いてしまっていたのだが、ラピリスはそれでも構わないと思っていたようだ。
「らぴりすさまぁ?」
不機嫌な溜息を付く吸血鬼に、側にいたグールが1人、静かに声をかけた。
ラピリスは気を取り直す、今は余計な物思いに耽っていて好機を逃す訳にはいかなかった。
(…今は……)
ラピリスは街の中の魔力を探知する。
ルストリやリィン、他の部下達の魔力を感じる。
全員が健在なのが分かったが、どこか妙だった。
(ルストリの魔力の放出量がおかしい……訓練の時に魔術を見たが、こんなに一気に無くなったりはしなかった…)
ルストリの魔力の減りが早い、早すぎる。
ラピリスは知らなかった。
ルストリは確かに魔女として魔術の扱いに長けていたが、高等魔術…それも属性複合魔術が大の苦手だった事を…
彼女は単一属性魔術以外の魔術を行使すると、魔力を制御できずに一気に失ってしまう。
ラピリスはルストリのそういった事情を知らなかったが、それでも部下の様子がおかしい事には気付けた。
だが、だからといって何も考えずに救出に向かってしまうほどの思慮の浅い魔物でもなかった。
落ち着いて仲間以外の気配を探る。
(……敵はリィンの分隊に引き付けられている……これなら敵の本隊を潰せるはず)
しかし、分隊を救出に行けるかどうかは敵の本隊を撃破するまでの時間によるとしか言いようが無く、とても微妙なところであった。
やがて、ラピリスが感知したルストリの魔力が、突然途絶えた。
すなわち…死んだか、魔力切れで倒れたかである。
(救援しなければ不味いな…)
いずれにしても、これ以上放置すれば分隊が壊滅し、作戦遂行に影響がでてしまう。
敵を撃破するだけなら、分隊が全滅しても遂行可能であろう、だが少なくともこの任務は敵を追い散らす事が目的では無い。
敵部隊を壊滅させ、更には1人の逃亡者も出さないようにしなければならないのだ。
それに加え、可能な限り捕縛しなければならない。
そんな事を次々と考え、ラピリスは頭を抱えた。
(…何て事だ……)
ラピリスにとっても実に頭の痛いことであった。
かつての…単純な闘争本能に任せた殺戮であればどんなに楽だったか…そう思わずにはいられなかった。
だが、同時に仲間や人間を無闇に殺傷するのは心の奥で抵抗を感じてもいた。
それは無意識によるものだったかもしれないが、間違いない事実でもあった。
(いずれにしても、こうなったら今突入するしかあるまい……)
予定よりもだいぶ早い上に、分隊が敵の部隊を引き付けきっていない……
とはいえ、これ以上のタイミングというのは存在しない。
これ以上時間をかければ状況は悪くなっても良くはならない。
ラピリスはそう考えをまとめ、待機していた部下に手で合図を送り、自分は外壁の前に立つ。
背後では他の魔物達が動き出す気配がする。
そして、部下達が突入位置についた所で、ラピリスは腰に下げた愛刀に手をかける。
妖刀と呼ばれ恐れられた刀は、彼女の細くしなやかな手に良く馴染んでいた。
それは幾多の返り血を吸い、魔力を帯びた刀。
その異質な業物は軟は宙に舞う紙から、硬は鎮座する岩石まで、さも豆腐を斬るかのように切断する事が出来る。
ラピリスはそれでもって外壁を切り崩そうとしているのだった。
「妾が突入口を開いたら、一斉に突入……敵の本隊を潰せ」
「!」
ラピリスの静かな号令に、部下達は何も言わずに手を振り上げた。
大声を出す訳にはいかないからだ。
「教会騎士団、侵攻部隊迎撃作戦を開始するっ!」
ラピリスはそう言いながら、刀を抜いた。
初撃は居合いで、それからは抜き身の刀を六度振り回した。
刹那の斬撃の後、ラピリスが刀を鞘に収めると同タイミングで、頑強な石造りの外壁の一部が崩れ落ちた。
25cm程の厚さを持っていたであろう、外壁を作っていた石のなれの果てが外壁の周囲に散らばる。
それを見届けた後に、グールを始めとした突入部隊が街の中に入り込んで行く。
いつもであれば、真っ先に開いた穴からラピリスが飛び込んで行くものなのだが、今日に関してはそうではなかった。
彼女は先程切り崩した外壁をじっと睨み付けていた。
いや、正確には外壁に残っている刀傷を見ていた。
それは彼女が最後に放った斬撃によるものであった。
だが、この斬撃は石の壁を切り裂く事も貫く事も無く、外壁表面に傷を残しただけだったのだ。
「……そうか…」
計七度の斬撃の中で、傷しか付けられなかったのはこれだけだったのだが、それだけで彼女は何かを察したようだった。
「…行くか…」
だが、それについて深く考えている場合でもなかったのだろう。
彼女は部下全員が突入した後に、破壊した外壁を潜り街に入った。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
街内に突入して早5分、ラピリス率いる本隊は一気に砦に侵入した。
教会騎士達はリィン率いる分隊の迎撃に兵を割いており、砦に残る部隊だけでラピリスの部隊を止める術は無かった。
とは言え、想定よりも砦に残る兵は多い。
半分程の兵は砦に残っており、リィンの分隊を迎撃する為に出撃する直前であったようだ。
それでも、思わぬ急襲には対応が出来ず、あっという間にその数を減らしていった。
そもそも、魔物1人に対して人間1人で対応できるはずも無く、かといって魔物1人に人間を複数人あてるほど人員に余裕は無かったのだ。
だが、砦に残っていた教会騎士を全て抑えることはできず、結局一部の教会騎士は本隊と遭遇すること無く、リィンの分隊の迎撃に向かってしまった。
実はこの時、ラピリス自身は敵部隊の部隊長を捕縛するために砦の中に進入していたのだが、その情報は分隊を迎撃しようと出て行く教会騎士達には伝わらなかった。
結果、リィンの分隊は増援の相手をする事となるのだが、本隊の急襲が敵の数を減らしリィンの分隊への負担を軽くした事は間違いない。
もし攻撃開始が遅ければ……おそらくラピリス自身が考えていた最悪の事態になっていた事は言うまでも無い。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ラピリスは階下の制圧を部下に任せ、自身は進行部隊を率いている部隊長が居るであろう、砦の最上階を目指している。
事前の偵察と自身の魔力探知で、敵部隊の部隊長が居るであろう場所の特定は済んでいた。
途中、近衛兵のような重武装の兵士が数人、ラピリスの行く手を阻んだが、彼女の前に立ち塞がるには数も実力も足りておらず、ものの数秒で昏倒させられる羽目になった。
石造りの階段を駆け上がる。
上りきったそこには細い廊下が伸び、突き当たりに扉が1つと廊下の両脇にも扉が1つずつあった。
(…両脇の部屋は…政務と法務を担当する人間が生活する部屋だったはず…)
地方都市とは言え、政務と法務の運営は必須であり、エリスライの首長…いわゆる王から任命された人間がここに常駐していたはずだった。
役職に下級という単語は付くものの、地方都市においてはそれでも重要な人間であったはずだ。
だが、今はとても静かである。
ラピリスは嫌な予感がしていた。
いや、元々あの部屋に居た人間達は最早生きてはいない。
廊下の床に敷かれた絨毯に血の匂いが混じっていたという事もあるが、反魔物派、教会派の人間が魔物に協力する人間に容赦するわけがない。
そんな事は分かりきっていたし、彼女の考えた事はそんな事ではなかった
両脇の部屋からそれぞれ誰かの気配がする。
それも魔物の物である。
ラピリスは駆け出した。
彼女が最初に掴んだのは左の部屋の扉である。
そして、掛かっている鍵を破壊しながら扉を開けた。
「っ……これは…」
部屋は暗く、窓には目貼り、魔術封じの結界、一目見ただけでも異様な部屋である(人間基準)。
だが、彼女が思わず言葉を漏らした理由はその部屋の床に転がされてるナニカの為だった。
「…ぅー……」
「!」
生きてる…ラピリスの最初の思考はそれだった。
その床に転がされているダレカ……それは魔女であった。
顔や二の腕に痣が出来てはいるが、命に関わるような怪我は見て取れなかった。
「どうした、どうしてこんなところにいる?」
ラピリスは魔女を縛っていた縄と猿轡を外しながらそう問いかけた。
魔女は疲れ切った様子だったが、魔女特有の魔力が感じられた為、ラピリスは一先ず安心していた。
すると、その魔女がゆっくり口を開く。
「………あの人は……死んでしまったんですね……」
「!?」
ぼそりと呟かれたそれはラピリスは一気に肝を冷やした。
ゆっくりと立ち上がる魔女の目には生気が無い……不味いとラピリスが思ったときは一瞬遅く、その魔女は目貼りされた窓に向かって走り出した。
目的など察して知るべき。
ラピリスは慌てながらも魔女に追い縋り、背後から抱き締め、彼女を取り押さえる。
だが、床に倒された魔女は抵抗しない。
光を失った目からは涙が溢れてくるだけだった。
まもなくラピリスは魔女に催眠魔法をかけて眠らせた。
そのままにしていたら何をし出すか分からなかったからだ。
ラピリスは魔女を抱きかかえたまま、隣の部屋の扉を蹴破る。
彼女にはもう嫌な予感しかしなかった。
隣の部屋に居たのはラージマウスだった。
こちらもやはり魔女と同様に縛られ猿轡を噛まされて転がされている。
その目にはやはり生気が無い。
ラピリスは頭のどこかが熱くなっていくのを感じる。
ラピリスは一先ずラージマウスの縄と猿轡を外し、魔女の様に成らない為にやはり催眠魔法で眠らせ、一端2人をこの部屋に置いて行くことにした。
しばらく目は覚めないとは言え、敵に見つかれば最悪殺されてしまう事も考え、仲間を1人呼ぶと共に外から魔法で扉を施錠し、残った最後の部屋に向かう。
鍵は掛かっていない。
ゆっくりと開いた扉の向こうには鎧を身に纏い兜を被った、顔の見えない騎士が3人と、彼らとは雰囲気が異なる金色の長い髪が強い印象を与える女騎士が1人いた。
(…この女が部隊長か……)
今まで排除してきた雑多の兵士とは気迫が違う…ラピリスはそう考えた。
ラピリスの姿を見るや、3人の護衛がそれぞれの得物を抜き放つ。
しかし、そんな悠長な動作をラピリスは見逃さない。
一瞬で肉薄し、3人の後頭部を愛刀の峰で殴打した。
目一杯手加減しているので死なない筈…彼女はそう考えた。
魔物の力では峰打ちでも致命傷になる場合がある。
彼女は苦い経験からそれを知っていた。
「相手が悪かったな」
「……貴女が部隊長…というわけですか…」
「妾はラピリス、名前くらいは聞いたことがあるだろう」
「最悪の相手が出てきた…そういうことですか……ならば、下にいる部下達はもう…」
女騎士は素早く懐の剣を引き抜く。
今度ばかりはラピリスも踏み込まなかった。
悠長に見えて隙を見せないその様子に、迂闊な切り込みは避けたのだった。
「それで、汝はこれからどうする?」
「……」
女騎士は黙って得物を構えている。
だが、彼女から攻め込んでくる様子は無かった。
とはいえ、ラピリスも自分から攻める様子は無い。
互いに相手の様子を伺っている。
「……しかし…」
女騎士はふと視線を床に落とした。
視線の先にいるのは3人の護衛騎士である。
彼らは失神こそすれど、致命傷を受けている様子が無い。
それが彼女にとっては大きな違和感だったのだ。
「?」
「『昼を歩く者』、流血鬼と呼ばれ恐れられる程の魔物が私やこの者たちをまだ生かしている…それが不思議でなりません」
「くくっ…あはははっ!」
「っ!…何がおかしいのですか?!」
「いやなに、妾は極々一般的な吸血鬼と生態は変わらない、ましてや『昼を歩く者』であるはずがない……」
「じゃあ、なぜっ…貴女は!」
吸血鬼の言葉に動揺を隠せない女騎士、それは大きな隙であった。
そして、ラピリスは彼女の言葉に答えず、女騎士に向かって足を踏み出した。
反応が遅れながらも、女騎士は剣を振り上げる。
しかし、ラピリスは突然彼女の視界から消える。
俊足で背後回り込んだラピリスに気付いた時は既に遅く、彼女は自分の後頭部に衝撃を感じ、そして意識は闇に落ちた。
意識が喪失する寸前、女騎士は聞いた気がした。
「今の妾は……流血鬼などでは……無い…」
そんな悲しげな呟きを…
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
場所は変わってドルトラーク正門、リィン率いる分隊。
ルストリが倒れた後の戦況は苦しかった。
リィン自ら倒れたルストリを抱きかかえて後退、グールやゾンビ達を前面に置き、陣を敷いた。
教会騎士達としては魔物が街の中にいる状態のままにしておく訳にもいかず、半数まで減らしていた部隊に増援を加えて再度攻撃を仕掛けてきた。
リィンの弓矢だけでは接近する騎士達を迎撃しきれず白兵戦にもつれ込む。
60名近くまで人数が増えた教会騎士の攻勢を一度は凌いだものの、怪我人だけでは済まず、戦死者を出してしまう。
第一波を退けた後、ルストリが意識を取り戻し、戦線に復帰した事で状況は好転する。
分隊が体勢を立て直したところに残存兵力40名からなる第二波が襲来する事になる。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「ルストリ…大丈夫ですか?」
「…何とか…」
意識を取り戻したルストリはふらつきながらも杖を握る。
リィンはそんな魔女を支えるように隣に立つ。
「……申し訳ありません…」
「謝るのは生き残ってからにしてもらいます」
「……はい…」
予定を下回る数の敵相手に無茶をして、魔力切れで倒れた…ルストリにはそれがいたたまれなくて仕方なかった。
とはいえ、リィンの言うことを理解できない訳でもなかった。
「……恐らくラピリス様は敵本隊への攻撃を開始していますから、あと少し敵を凌ぎましょう」
「分かりました」
とは言え、人員の減少はリィンにとっても頭痛の種であった。
たった3人…されど3人の戦死者。
1人の欠員であってもそれがとても重いものだと彼女は実感していた。
そして何より、可愛い部下の死を悼む暇すらない。
その事を呪っていた。
そうこうしている内に睨み合っていた教会騎士達に動きがあった。
魔物達の攻撃をその身で受けてしまった人間は昏倒し、まったく目を覚まさないため、彼らは仲間が近くに倒れていてもそれを無理に救助しようとしていなかった。
そのため、人員が40名まで落ち込んでいたが、それでも部隊を再編制し再度攻撃を仕掛けてきたのだった。
「…ルストリ、無茶な魔術行使は禁止です、とにかく確実に敵の数を減らしてください」
「はいっ」
少しだけ、ほんの少しだけ持ち前の元気を取り戻した彼女はそう答え、杖を構えて魔術を唱える。
少なくとも単一属性魔術であれば彼女の魔力制御は問題無い。
魔力の練成と供給は安定して行われた。
「…水よ…」
彼女は魔力を込めて、一言そう呟いた。
リィンの部隊の前方5mから教会騎士団の部隊までの間があっという間に水が満ちていく。
深さは素足ならば足首程度の浅さである。
少し大きな浅い池…水溜り、そんな認識しか出来ない為、教会騎士達はそんなものに気を取られることも無く、バシャバシャという水音を立て始めた。
教会騎士のほぼ全員がルストリの作った水溜りに足を踏み入れる。
リィンの分隊まで10m程度と言った所である。
それを確認したルストリは満面の笑みを浮かべる。
そして、再び唇を動かした。
「我が怨敵を捕らえよ」
その言葉を合図に、水がまるでスライムのように粘度持って動き出し、人の手の形を取りながら教会騎士達に絡みついた。
突然の現象に彼らは対応できない。
矢継ぎ早にルストリは次の魔術を行使した。
「凍てつく魔手にて葬りたまえ!」
絡みついた水の手は一瞬で凍り付き、教会騎士の動きを封じていく。
そして、リィンは叫んだ。
「…かかれっ!!」
その一声を合図にグール達が動き出す。
動きの取れない教会騎士達に切り掛かる。
とは言え、全員を綺麗に捕らえられたかというと、そうではなかった。
水術を用いた捕縛を回避した教会騎士十数名が即座に反撃に転じ、グールとの白兵戦となる。
地面が凍り付き、そこいら中に教会騎士の氷像のような物がある。
それはどちらにとっても戦い難い事この上なかった。
流石に自力の差でグールが反撃に転じた教会騎士を制圧したのだが、足を滑らせて転倒したグールが1人、教会騎士に切り殺されてしまった。
氷原に咲く真っ赤な血花は悲しげであった。
それすらも、氷が水に戻り、滲むように消えてしまう。
「…はぁ……はぁ…」
ルストリは地面に膝を付き、肩で息をしている。
高等魔術での昏倒の後に、魔術の連続行使…正直なところ彼女は限界であった。
とは言え、単一属性魔術ならば、2つ並べようとも魔力制御自体に問題は無い。
彼女が今、魔術を解除してしまったのは単純に残りの魔力が少ないからだ。
魔力の供給を絶たれた為、氷が水に戻り、水は地面に吸われてしまい、せっかく捕縛した教会騎士団が解放されてしまった。
しかし、その時には既に半数以上が昏倒、麻痺しており、意識を保ったまま拘束から逃れることが出来た教会騎士は14名といった所である。
「ルストリ…後は私達がやります」
「…ぁ……だ……まだ…やれます…」
ルストリは先程よりもふらふらする頭を何とか働かせる。
先程の汚名を返上する為にもまだ引く事は出来ない、そう考えていた。
だが同時に、再び失神して仲間の足を引っ張るわけにいかないということも分かっていた。
「…ルストリ、貴女が倒れたら、誰が貴女を護ると思っているんですか?」
「大丈夫です…無茶は…しません」
「現状が既に無茶ってことですよ」
「後一発…だけ…」
「……」
返事は無言であったが、リィンはルストリを止めなかった。
ルストリは黙って頷くリィンを見るや、自分の杖を構えた。
彼女の残存する魔力は少なく、魔術の行使は後一回が限界であった。
無論、それは彼女自身も自覚するところである。
ルストリは杖を地面に突き立てる。
そして、杖に寄りかかるように体重をかけた。
それだけ彼女は疲労しきっていた。
(これで…最後…)
(術式は土術、魔力は目一杯、目標は……あそこ…)
ルストリが意識を向けたのは、入り口となった正門。
ここまで、敵兵の数を減らしたならば、後は敵を逃がさないようにするだけだった。
だが、他の仲間ではこの出入り口を潰すのに時間がかかってしまう。
つまり、ルストリにとっての最後の仕事は1つだった。
(逃げ口を……潰す!)
他にこの街から外に出られる場所といえば、下水を外に流す地下水道かラピリスが切り崩した裏口位なものだった。
無論、容易にその2つから逃げられるはずも無く、事実上方法など1つしかないようなものであった。
「出でよ…」
抑揚の無い声がリィンの耳に届いた。
リィンはゾクリと背筋を伝う物を感じ、ルストリの様子を見ようと首を彼女のほうに向ける。
彼女は意識を失っていたりはしなかったが、表情は抜け落ち、目に光が無い。
それでも一心不乱に魔力を込め、魔術を行使していた。
ルストリの声に呼ばれるようにそれは現れた
「…………」
土や岩が隆起し、正門の人が通る空間を埋めていく。
間も無く、正門がただの壁となり、もはや門としては使えなくなった。
「敵の残存部隊を潰せ!!」
そして、それを見届けた所でリィンはルストリから目を離し、部下に指示を出した。
もはや残る部隊にはこの状況を打開するの術もこの街から逃げる術も無い。
この場で残った教会騎士団が完全に壊滅するまで、さほど時間はかからなかった。
ルストリは今度こそ魔力が尽き、かつて正門だった壁に背を預け、しゃがみこんでいた。
彼女の目に映ったのは、残り少ない教会騎士達がそれでも抵抗を諦めずに降伏しない様。
そして、それより向こうから味方の本体が合流しようと移動して来る様であった。
それを見て安堵したルストリは今度こそ完全に意識を失った。
理由など言うに及ばず、反魔物派の活動の為だった。
だが、彼女は自分が好き勝手にやった結果として、大切な部下や弟子を失う事になったと、そう戒めてもいる。
昔の彼女ならそんな事は考えすらしなかっただろう、部下だろうがなんだろうが、自分の目的のためには嬉々として切り捨ててきたのだから。
しかし、少なくとも今の彼女は違った。
徐々に魔物や人間に対して抱く信愛や情愛が大きくなっていく、殺したい程毛嫌いしていた人間に…人間の男に心を惹かれそうになる。
そんな心境の変化を彼女自身も感じていた。
だが、それでも最古参の実力者として、今までの姿勢を簡単に崩す事はできなかった。
だから彼女は少なくとも表面上は今まで通り振舞っていた。
人間を嫌い、徹底排除を唱えた。
後継育成に力を入れ、部下や弟子に厳しい教育をした。
結果、魔王軍部隊長の中にあって人にも魔物にも厳しい、近寄り難い存在となってしまっていた。
他の魔王軍部隊長達が親魔物派の人間と更に友好を深めていこうとする中では、著しく浮いてしまっていたのだが、ラピリスはそれでも構わないと思っていたようだ。
「らぴりすさまぁ?」
不機嫌な溜息を付く吸血鬼に、側にいたグールが1人、静かに声をかけた。
ラピリスは気を取り直す、今は余計な物思いに耽っていて好機を逃す訳にはいかなかった。
(…今は……)
ラピリスは街の中の魔力を探知する。
ルストリやリィン、他の部下達の魔力を感じる。
全員が健在なのが分かったが、どこか妙だった。
(ルストリの魔力の放出量がおかしい……訓練の時に魔術を見たが、こんなに一気に無くなったりはしなかった…)
ルストリの魔力の減りが早い、早すぎる。
ラピリスは知らなかった。
ルストリは確かに魔女として魔術の扱いに長けていたが、高等魔術…それも属性複合魔術が大の苦手だった事を…
彼女は単一属性魔術以外の魔術を行使すると、魔力を制御できずに一気に失ってしまう。
ラピリスはルストリのそういった事情を知らなかったが、それでも部下の様子がおかしい事には気付けた。
だが、だからといって何も考えずに救出に向かってしまうほどの思慮の浅い魔物でもなかった。
落ち着いて仲間以外の気配を探る。
(……敵はリィンの分隊に引き付けられている……これなら敵の本隊を潰せるはず)
しかし、分隊を救出に行けるかどうかは敵の本隊を撃破するまでの時間によるとしか言いようが無く、とても微妙なところであった。
やがて、ラピリスが感知したルストリの魔力が、突然途絶えた。
すなわち…死んだか、魔力切れで倒れたかである。
(救援しなければ不味いな…)
いずれにしても、これ以上放置すれば分隊が壊滅し、作戦遂行に影響がでてしまう。
敵を撃破するだけなら、分隊が全滅しても遂行可能であろう、だが少なくともこの任務は敵を追い散らす事が目的では無い。
敵部隊を壊滅させ、更には1人の逃亡者も出さないようにしなければならないのだ。
それに加え、可能な限り捕縛しなければならない。
そんな事を次々と考え、ラピリスは頭を抱えた。
(…何て事だ……)
ラピリスにとっても実に頭の痛いことであった。
かつての…単純な闘争本能に任せた殺戮であればどんなに楽だったか…そう思わずにはいられなかった。
だが、同時に仲間や人間を無闇に殺傷するのは心の奥で抵抗を感じてもいた。
それは無意識によるものだったかもしれないが、間違いない事実でもあった。
(いずれにしても、こうなったら今突入するしかあるまい……)
予定よりもだいぶ早い上に、分隊が敵の部隊を引き付けきっていない……
とはいえ、これ以上のタイミングというのは存在しない。
これ以上時間をかければ状況は悪くなっても良くはならない。
ラピリスはそう考えをまとめ、待機していた部下に手で合図を送り、自分は外壁の前に立つ。
背後では他の魔物達が動き出す気配がする。
そして、部下達が突入位置についた所で、ラピリスは腰に下げた愛刀に手をかける。
妖刀と呼ばれ恐れられた刀は、彼女の細くしなやかな手に良く馴染んでいた。
それは幾多の返り血を吸い、魔力を帯びた刀。
その異質な業物は軟は宙に舞う紙から、硬は鎮座する岩石まで、さも豆腐を斬るかのように切断する事が出来る。
ラピリスはそれでもって外壁を切り崩そうとしているのだった。
「妾が突入口を開いたら、一斉に突入……敵の本隊を潰せ」
「!」
ラピリスの静かな号令に、部下達は何も言わずに手を振り上げた。
大声を出す訳にはいかないからだ。
「教会騎士団、侵攻部隊迎撃作戦を開始するっ!」
ラピリスはそう言いながら、刀を抜いた。
初撃は居合いで、それからは抜き身の刀を六度振り回した。
刹那の斬撃の後、ラピリスが刀を鞘に収めると同タイミングで、頑強な石造りの外壁の一部が崩れ落ちた。
25cm程の厚さを持っていたであろう、外壁を作っていた石のなれの果てが外壁の周囲に散らばる。
それを見届けた後に、グールを始めとした突入部隊が街の中に入り込んで行く。
いつもであれば、真っ先に開いた穴からラピリスが飛び込んで行くものなのだが、今日に関してはそうではなかった。
彼女は先程切り崩した外壁をじっと睨み付けていた。
いや、正確には外壁に残っている刀傷を見ていた。
それは彼女が最後に放った斬撃によるものであった。
だが、この斬撃は石の壁を切り裂く事も貫く事も無く、外壁表面に傷を残しただけだったのだ。
「……そうか…」
計七度の斬撃の中で、傷しか付けられなかったのはこれだけだったのだが、それだけで彼女は何かを察したようだった。
「…行くか…」
だが、それについて深く考えている場合でもなかったのだろう。
彼女は部下全員が突入した後に、破壊した外壁を潜り街に入った。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
街内に突入して早5分、ラピリス率いる本隊は一気に砦に侵入した。
教会騎士達はリィン率いる分隊の迎撃に兵を割いており、砦に残る部隊だけでラピリスの部隊を止める術は無かった。
とは言え、想定よりも砦に残る兵は多い。
半分程の兵は砦に残っており、リィンの分隊を迎撃する為に出撃する直前であったようだ。
それでも、思わぬ急襲には対応が出来ず、あっという間にその数を減らしていった。
そもそも、魔物1人に対して人間1人で対応できるはずも無く、かといって魔物1人に人間を複数人あてるほど人員に余裕は無かったのだ。
だが、砦に残っていた教会騎士を全て抑えることはできず、結局一部の教会騎士は本隊と遭遇すること無く、リィンの分隊の迎撃に向かってしまった。
実はこの時、ラピリス自身は敵部隊の部隊長を捕縛するために砦の中に進入していたのだが、その情報は分隊を迎撃しようと出て行く教会騎士達には伝わらなかった。
結果、リィンの分隊は増援の相手をする事となるのだが、本隊の急襲が敵の数を減らしリィンの分隊への負担を軽くした事は間違いない。
もし攻撃開始が遅ければ……おそらくラピリス自身が考えていた最悪の事態になっていた事は言うまでも無い。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ラピリスは階下の制圧を部下に任せ、自身は進行部隊を率いている部隊長が居るであろう、砦の最上階を目指している。
事前の偵察と自身の魔力探知で、敵部隊の部隊長が居るであろう場所の特定は済んでいた。
途中、近衛兵のような重武装の兵士が数人、ラピリスの行く手を阻んだが、彼女の前に立ち塞がるには数も実力も足りておらず、ものの数秒で昏倒させられる羽目になった。
石造りの階段を駆け上がる。
上りきったそこには細い廊下が伸び、突き当たりに扉が1つと廊下の両脇にも扉が1つずつあった。
(…両脇の部屋は…政務と法務を担当する人間が生活する部屋だったはず…)
地方都市とは言え、政務と法務の運営は必須であり、エリスライの首長…いわゆる王から任命された人間がここに常駐していたはずだった。
役職に下級という単語は付くものの、地方都市においてはそれでも重要な人間であったはずだ。
だが、今はとても静かである。
ラピリスは嫌な予感がしていた。
いや、元々あの部屋に居た人間達は最早生きてはいない。
廊下の床に敷かれた絨毯に血の匂いが混じっていたという事もあるが、反魔物派、教会派の人間が魔物に協力する人間に容赦するわけがない。
そんな事は分かりきっていたし、彼女の考えた事はそんな事ではなかった
両脇の部屋からそれぞれ誰かの気配がする。
それも魔物の物である。
ラピリスは駆け出した。
彼女が最初に掴んだのは左の部屋の扉である。
そして、掛かっている鍵を破壊しながら扉を開けた。
「っ……これは…」
部屋は暗く、窓には目貼り、魔術封じの結界、一目見ただけでも異様な部屋である(人間基準)。
だが、彼女が思わず言葉を漏らした理由はその部屋の床に転がされてるナニカの為だった。
「…ぅー……」
「!」
生きてる…ラピリスの最初の思考はそれだった。
その床に転がされているダレカ……それは魔女であった。
顔や二の腕に痣が出来てはいるが、命に関わるような怪我は見て取れなかった。
「どうした、どうしてこんなところにいる?」
ラピリスは魔女を縛っていた縄と猿轡を外しながらそう問いかけた。
魔女は疲れ切った様子だったが、魔女特有の魔力が感じられた為、ラピリスは一先ず安心していた。
すると、その魔女がゆっくり口を開く。
「………あの人は……死んでしまったんですね……」
「!?」
ぼそりと呟かれたそれはラピリスは一気に肝を冷やした。
ゆっくりと立ち上がる魔女の目には生気が無い……不味いとラピリスが思ったときは一瞬遅く、その魔女は目貼りされた窓に向かって走り出した。
目的など察して知るべき。
ラピリスは慌てながらも魔女に追い縋り、背後から抱き締め、彼女を取り押さえる。
だが、床に倒された魔女は抵抗しない。
光を失った目からは涙が溢れてくるだけだった。
まもなくラピリスは魔女に催眠魔法をかけて眠らせた。
そのままにしていたら何をし出すか分からなかったからだ。
ラピリスは魔女を抱きかかえたまま、隣の部屋の扉を蹴破る。
彼女にはもう嫌な予感しかしなかった。
隣の部屋に居たのはラージマウスだった。
こちらもやはり魔女と同様に縛られ猿轡を噛まされて転がされている。
その目にはやはり生気が無い。
ラピリスは頭のどこかが熱くなっていくのを感じる。
ラピリスは一先ずラージマウスの縄と猿轡を外し、魔女の様に成らない為にやはり催眠魔法で眠らせ、一端2人をこの部屋に置いて行くことにした。
しばらく目は覚めないとは言え、敵に見つかれば最悪殺されてしまう事も考え、仲間を1人呼ぶと共に外から魔法で扉を施錠し、残った最後の部屋に向かう。
鍵は掛かっていない。
ゆっくりと開いた扉の向こうには鎧を身に纏い兜を被った、顔の見えない騎士が3人と、彼らとは雰囲気が異なる金色の長い髪が強い印象を与える女騎士が1人いた。
(…この女が部隊長か……)
今まで排除してきた雑多の兵士とは気迫が違う…ラピリスはそう考えた。
ラピリスの姿を見るや、3人の護衛がそれぞれの得物を抜き放つ。
しかし、そんな悠長な動作をラピリスは見逃さない。
一瞬で肉薄し、3人の後頭部を愛刀の峰で殴打した。
目一杯手加減しているので死なない筈…彼女はそう考えた。
魔物の力では峰打ちでも致命傷になる場合がある。
彼女は苦い経験からそれを知っていた。
「相手が悪かったな」
「……貴女が部隊長…というわけですか…」
「妾はラピリス、名前くらいは聞いたことがあるだろう」
「最悪の相手が出てきた…そういうことですか……ならば、下にいる部下達はもう…」
女騎士は素早く懐の剣を引き抜く。
今度ばかりはラピリスも踏み込まなかった。
悠長に見えて隙を見せないその様子に、迂闊な切り込みは避けたのだった。
「それで、汝はこれからどうする?」
「……」
女騎士は黙って得物を構えている。
だが、彼女から攻め込んでくる様子は無かった。
とはいえ、ラピリスも自分から攻める様子は無い。
互いに相手の様子を伺っている。
「……しかし…」
女騎士はふと視線を床に落とした。
視線の先にいるのは3人の護衛騎士である。
彼らは失神こそすれど、致命傷を受けている様子が無い。
それが彼女にとっては大きな違和感だったのだ。
「?」
「『昼を歩く者』、流血鬼と呼ばれ恐れられる程の魔物が私やこの者たちをまだ生かしている…それが不思議でなりません」
「くくっ…あはははっ!」
「っ!…何がおかしいのですか?!」
「いやなに、妾は極々一般的な吸血鬼と生態は変わらない、ましてや『昼を歩く者』であるはずがない……」
「じゃあ、なぜっ…貴女は!」
吸血鬼の言葉に動揺を隠せない女騎士、それは大きな隙であった。
そして、ラピリスは彼女の言葉に答えず、女騎士に向かって足を踏み出した。
反応が遅れながらも、女騎士は剣を振り上げる。
しかし、ラピリスは突然彼女の視界から消える。
俊足で背後回り込んだラピリスに気付いた時は既に遅く、彼女は自分の後頭部に衝撃を感じ、そして意識は闇に落ちた。
意識が喪失する寸前、女騎士は聞いた気がした。
「今の妾は……流血鬼などでは……無い…」
そんな悲しげな呟きを…
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
場所は変わってドルトラーク正門、リィン率いる分隊。
ルストリが倒れた後の戦況は苦しかった。
リィン自ら倒れたルストリを抱きかかえて後退、グールやゾンビ達を前面に置き、陣を敷いた。
教会騎士達としては魔物が街の中にいる状態のままにしておく訳にもいかず、半数まで減らしていた部隊に増援を加えて再度攻撃を仕掛けてきた。
リィンの弓矢だけでは接近する騎士達を迎撃しきれず白兵戦にもつれ込む。
60名近くまで人数が増えた教会騎士の攻勢を一度は凌いだものの、怪我人だけでは済まず、戦死者を出してしまう。
第一波を退けた後、ルストリが意識を取り戻し、戦線に復帰した事で状況は好転する。
分隊が体勢を立て直したところに残存兵力40名からなる第二波が襲来する事になる。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「ルストリ…大丈夫ですか?」
「…何とか…」
意識を取り戻したルストリはふらつきながらも杖を握る。
リィンはそんな魔女を支えるように隣に立つ。
「……申し訳ありません…」
「謝るのは生き残ってからにしてもらいます」
「……はい…」
予定を下回る数の敵相手に無茶をして、魔力切れで倒れた…ルストリにはそれがいたたまれなくて仕方なかった。
とはいえ、リィンの言うことを理解できない訳でもなかった。
「……恐らくラピリス様は敵本隊への攻撃を開始していますから、あと少し敵を凌ぎましょう」
「分かりました」
とは言え、人員の減少はリィンにとっても頭痛の種であった。
たった3人…されど3人の戦死者。
1人の欠員であってもそれがとても重いものだと彼女は実感していた。
そして何より、可愛い部下の死を悼む暇すらない。
その事を呪っていた。
そうこうしている内に睨み合っていた教会騎士達に動きがあった。
魔物達の攻撃をその身で受けてしまった人間は昏倒し、まったく目を覚まさないため、彼らは仲間が近くに倒れていてもそれを無理に救助しようとしていなかった。
そのため、人員が40名まで落ち込んでいたが、それでも部隊を再編制し再度攻撃を仕掛けてきたのだった。
「…ルストリ、無茶な魔術行使は禁止です、とにかく確実に敵の数を減らしてください」
「はいっ」
少しだけ、ほんの少しだけ持ち前の元気を取り戻した彼女はそう答え、杖を構えて魔術を唱える。
少なくとも単一属性魔術であれば彼女の魔力制御は問題無い。
魔力の練成と供給は安定して行われた。
「…水よ…」
彼女は魔力を込めて、一言そう呟いた。
リィンの部隊の前方5mから教会騎士団の部隊までの間があっという間に水が満ちていく。
深さは素足ならば足首程度の浅さである。
少し大きな浅い池…水溜り、そんな認識しか出来ない為、教会騎士達はそんなものに気を取られることも無く、バシャバシャという水音を立て始めた。
教会騎士のほぼ全員がルストリの作った水溜りに足を踏み入れる。
リィンの分隊まで10m程度と言った所である。
それを確認したルストリは満面の笑みを浮かべる。
そして、再び唇を動かした。
「我が怨敵を捕らえよ」
その言葉を合図に、水がまるでスライムのように粘度持って動き出し、人の手の形を取りながら教会騎士達に絡みついた。
突然の現象に彼らは対応できない。
矢継ぎ早にルストリは次の魔術を行使した。
「凍てつく魔手にて葬りたまえ!」
絡みついた水の手は一瞬で凍り付き、教会騎士の動きを封じていく。
そして、リィンは叫んだ。
「…かかれっ!!」
その一声を合図にグール達が動き出す。
動きの取れない教会騎士達に切り掛かる。
とは言え、全員を綺麗に捕らえられたかというと、そうではなかった。
水術を用いた捕縛を回避した教会騎士十数名が即座に反撃に転じ、グールとの白兵戦となる。
地面が凍り付き、そこいら中に教会騎士の氷像のような物がある。
それはどちらにとっても戦い難い事この上なかった。
流石に自力の差でグールが反撃に転じた教会騎士を制圧したのだが、足を滑らせて転倒したグールが1人、教会騎士に切り殺されてしまった。
氷原に咲く真っ赤な血花は悲しげであった。
それすらも、氷が水に戻り、滲むように消えてしまう。
「…はぁ……はぁ…」
ルストリは地面に膝を付き、肩で息をしている。
高等魔術での昏倒の後に、魔術の連続行使…正直なところ彼女は限界であった。
とは言え、単一属性魔術ならば、2つ並べようとも魔力制御自体に問題は無い。
彼女が今、魔術を解除してしまったのは単純に残りの魔力が少ないからだ。
魔力の供給を絶たれた為、氷が水に戻り、水は地面に吸われてしまい、せっかく捕縛した教会騎士団が解放されてしまった。
しかし、その時には既に半数以上が昏倒、麻痺しており、意識を保ったまま拘束から逃れることが出来た教会騎士は14名といった所である。
「ルストリ…後は私達がやります」
「…ぁ……だ……まだ…やれます…」
ルストリは先程よりもふらふらする頭を何とか働かせる。
先程の汚名を返上する為にもまだ引く事は出来ない、そう考えていた。
だが同時に、再び失神して仲間の足を引っ張るわけにいかないということも分かっていた。
「…ルストリ、貴女が倒れたら、誰が貴女を護ると思っているんですか?」
「大丈夫です…無茶は…しません」
「現状が既に無茶ってことですよ」
「後一発…だけ…」
「……」
返事は無言であったが、リィンはルストリを止めなかった。
ルストリは黙って頷くリィンを見るや、自分の杖を構えた。
彼女の残存する魔力は少なく、魔術の行使は後一回が限界であった。
無論、それは彼女自身も自覚するところである。
ルストリは杖を地面に突き立てる。
そして、杖に寄りかかるように体重をかけた。
それだけ彼女は疲労しきっていた。
(これで…最後…)
(術式は土術、魔力は目一杯、目標は……あそこ…)
ルストリが意識を向けたのは、入り口となった正門。
ここまで、敵兵の数を減らしたならば、後は敵を逃がさないようにするだけだった。
だが、他の仲間ではこの出入り口を潰すのに時間がかかってしまう。
つまり、ルストリにとっての最後の仕事は1つだった。
(逃げ口を……潰す!)
他にこの街から外に出られる場所といえば、下水を外に流す地下水道かラピリスが切り崩した裏口位なものだった。
無論、容易にその2つから逃げられるはずも無く、事実上方法など1つしかないようなものであった。
「出でよ…」
抑揚の無い声がリィンの耳に届いた。
リィンはゾクリと背筋を伝う物を感じ、ルストリの様子を見ようと首を彼女のほうに向ける。
彼女は意識を失っていたりはしなかったが、表情は抜け落ち、目に光が無い。
それでも一心不乱に魔力を込め、魔術を行使していた。
ルストリの声に呼ばれるようにそれは現れた
「…………」
土や岩が隆起し、正門の人が通る空間を埋めていく。
間も無く、正門がただの壁となり、もはや門としては使えなくなった。
「敵の残存部隊を潰せ!!」
そして、それを見届けた所でリィンはルストリから目を離し、部下に指示を出した。
もはや残る部隊にはこの状況を打開するの術もこの街から逃げる術も無い。
この場で残った教会騎士団が完全に壊滅するまで、さほど時間はかからなかった。
ルストリは今度こそ魔力が尽き、かつて正門だった壁に背を預け、しゃがみこんでいた。
彼女の目に映ったのは、残り少ない教会騎士達がそれでも抵抗を諦めずに降伏しない様。
そして、それより向こうから味方の本体が合流しようと移動して来る様であった。
それを見て安堵したルストリは今度こそ完全に意識を失った。
12/01/28 16:35更新 / 月影
戻る
次へ