弟子の魔法使い
魔王軍不死兵団所属、魔女ルストリの手記より…
聖皇暦３２５年１月７日、まだ日も昇りきっていない早朝、わたしはかつて国境都市ドルトラークと呼ばれていた場所の近くにいた。
ここは既に魔物と新魔物派の為の都市じゃない…
国境都市ノメインが反魔物派の急襲を受けて壊滅した２日後…丁度エリスライで会議が行われたその日の夜中に、この都市も急襲を受けて陥落していた。
敵の部隊はノメインにいない…魔王軍不死兵団の部隊長であるラピリス様がその事に気が付いたは、上空から偵察と巡回を行っていた冥螺様麾下の空中部隊からの報告のおかげだった。
国境警戒任務の最中にノメインの北にある隣の国境都市ドルトラークで黒煙が上がっているというものだったけど、それでラピリス様は何かを察したみたいだった。
即座に９４人から成る迎撃部隊に移動を命じたので、わたし自身も周囲の仲間と一緒に跳躍魔術でドルトラークまで後、数ｋｍの場所に移動した。
そして、移動後に偵察部隊を放ち情報収集を行い今に至る。
周囲がゆっくりと明るくなる。
街の外壁が裸眼でよく見えるほどの距離まで部隊は移動していた。
街の大きさはさほどでもなく、正門から街の端に位置する石造りの砦まで、７５０ｍ程度だ。
正門から砦までは、民家や市場、娯楽施設、サバトの為の教会(のような物)が立ち並んでいるが、街の造りとしてはやや細長く、正門から砦までを奥行きとするならば、この街の幅は精々４５０ｍといったところ。
それでも２２３人の人間と２１人の魔物が住まうには十分であった。
そんな事を考えながら、わたしは石を組み上げた無骨な壁を見上げる。
朝だが、敵に動きは無い。
｢…コレより敵部隊を撃滅する｣
外壁から一番近い茂みの中で、ゆっくりと立ち上がりながら、ラピリス様はどこか声を小さめにそう宣言した。
流石にいつものようにでっかい声を張り上げるわけにはいかないようだ。
｢｢｢応！！｣｣｣
彼女の部下達も力強く、しかし静かに答えた。
正確に言えば、わたしはこの部隊の所属ではない、師であるリシア様からの命で一時的に配置されているに過ぎない。
それでも、今のわたしはラピリス様の部下の１人なのだから、彼女の命令に従うのが義務であろう。
｢はい！｣
だから、わたしも静かにそう答えた。
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それからものの５分で、ラピリス様率いる本隊とラピリス様の参謀であるダークエルフのリィン様が率いる分隊に分かれ、それぞれの持ち場への移動を終えた。
わたしはリィン様率いる分隊にいる。
わたし自身は前線で戦えるような戦闘能力は無い。
魔術戦ならばそれなりに役に立てるが、白兵戦はからっきしだ。
わたしを含めて総員２０人からなる分隊は街の正門から少し離れた付近にある茂みに潜伏していた。
正門前に集合しようと移動している最中に、正門両脇にある監視塔に人がいる事に気が付き、見つからないように茂みに潜んだのだった。
本隊は正反対の位置に集まっており、そちらには裏門は無い。
わたし達の役目はあくまでも陽動……正面から攻撃を仕掛け、敵を引き付けた所で本隊が裏の外壁を破壊して突入し、敵の司令部を直接撃滅するという作戦らしい。
少々回りくどいが、侵攻部隊の人員は不確定ながらも１５０人以上だと聞く。
１００人に届かないこの部隊が正面から当たるのは、いくらラピリス様の戦闘能力が飛び抜けているとは言え、余り好ましいとは言えない。
かつての戦いで個人戦を主体としていた部隊長や部隊がかなりの被害を受けた事から、突出した個人の戦闘能力だけで挑むのは危険であると考えるようになったのだろう。
人間という種族は、個で見れば魔物と比べるのも可哀相になる位の能力しかない。
だが、人間は群でもって優れた個に対抗し得る。
だからこそ、ラピリス様もお一人で無茶をされないのだろう。
まあ、ラピリス様の本心がどうかまでは、わたしでは推し量れないのも事実だが……
とは言え、いくら何でもこの人数で敵部隊を抑えるのは大変なんじゃないかな…？
そんな事をぼんやり考えていると、リィン様の声が聞こえてきた。
リィン様はダークエルフという種族であるが、彼女はとても穏やかな気質で、部下からも信頼されているようだ。
しかし、本質的には人間の男を手元に置いておきたいと思っているのか、街でお会いしたときなどは、道行く男に色気のある視線を投げかけていたものだ。
リィン様は小声で、そして簡潔に用件を伝えてきた。
｢時間です、始めましょう｣
｢はい｣
ラピリス様に指定された刻限となり、リィン様は２本の矢を矢筒から取り出しながらそう言った。
わたしは愛用の杖を強く握り締め、覚悟を決める。
実戦経験が無いわけでは無いのだが、リシア様と一緒ではない実戦はこれが始めてだった。
｢分かっているとは思いますが、我々は囮であり本隊の奇襲が成功するまではここに踏み止まらなければなりません｣
｢分かっております｣
｢そして、本隊の攻撃によって敗走する敵を捕縛しなければいけません｣
｢捕縛ですか？｣
わたしは思わず聞き返してしまった。
魔王軍が方針として極力反魔物派の人間を殺傷せずに捕縛しようとしているのは知っていた。
だが、反魔物派への対応が厳しいラピリス様が、愛弟子を殺されたラピリス様が、まさか愛弟子を殺したであろう人間達を捕縛で済ませると？
そんな疑問が沸いて来て仕方なかったのだ。
｢はい、絶対殺してはいけない…とまでは言いませんが、我が主には何か考えがあるようなので、可能な限り相手を行動不能に追い込んでください｣
｢心得ました｣
｢それでは早速ですが、あの門をぶち壊してください｣
ぶち壊すって…大人しそうな雰囲気なのにおっかない言葉使い…でもまあ、わたし以外はダークエルフとゾンビとグール、そしてデュラハン…門を一撃で確実に破壊するにはわたしの魔術が最適解といえよう。
だからわたしは隠れていた茂みから飛び出し、正門の前で魔法の杖を大地に突き立て、魔力を込める。
わたしが飛び出すと同時に、リィン様は先程取り出した２本の矢を放っていたようだ。
正門の両脇に用意されている監視塔にいたらしい誰かは、彼女の放った麻痺矢に射抜かれ、悲鳴を上げる暇も無く昏倒してしまったのだろう。
集中しながらも、脇に待機している仲間に少しだけ視線を移す。
リィン様は既に新しい矢を番え、いつでも撃てるように構えている。
ゾンビとグール達は何かを考えているような様子は無いが、各々が手に持った得物を構えているのが見えた。
そういえば、彼女達の戦闘行動は誰か制御しているのだろうか？
何もしていないのならば、戦闘をそっちのけで男を襲い出すのでは……いや、いけない、仮にもラピリス様自身が選抜されたのだ。
今はあのように惚けた顔をしているが、戦闘になったらきっと…きっと…
不安な考えを振り払う様に頭を横に振り、視線を泳がせた。
すると、この部隊にいるのが不思議なデュラハンが目に映った。
彼女は神妙な面持ちで手を震わせながらも何とか長剣を抜いている。
初陣なのだろうか？
そんな事を考えている間に爆破術式の発動に足りるくらいの魔力が杖に貯まった。
魔力が身体から抜け、わたしの身体に虚脱感をもたらす。
そしてわたしは……
｢破っ！！｣
渾身の魔術を解き放った。
放たれた光球は木と金属から作られた重厚な正門を粉微塵に砕く。
すかさず、茂みから他の魔物達が飛び出し、壊れた門を潜って街の中に入って行く。
僅かな目眩を感じながらも、わたしも大地に突き立てた杖を引き抜き、門を潜る為に移動する事にした。
門を潜ってすぐは、砂地が広がっており、周囲２０ｍ程には遮蔽物が無い。
その為、正面からこっそり進入するには見通しが良すぎて辛いが、人を広く展開できる為、今回のような場合は丁度良かったのかもしれない。
わたしは門を潜った所で待機している仲間と合流した。
そこまで済んで、わたしはリィン様の姿を探して、後ろの正門を振り返る。
最後尾に居るわたしから見える範囲には誰もいなかったが、リィン様の魔力がわたしの頭上から感じられたので、思わず上に視線を動かすと、彼女はいた。
リィン様は先程の監視塔に登り、周りを見渡していたのだ。
ふと、頭の中にリィン様の声が聞こえてくる。
それは彼女の念話だった。
リィン様は念話でわたしを含めた魔物達に指示を出していたという事か…
『ルストリ、私達は敵を引き付け、更にはこの門を潜らせないように迎え撃ちます』
『はい』
『前衛はグール達に任せて、後衛として敵に攻撃魔術を撃ち込んでください』
『ありったけの魔術を撃ち込んでやりますよ』
『よろしくお願いしま…すっ！』
わたしへの念話の最後に、彼女がやけに気合の入った声を上げたのは、番えた矢を放ったからだ。
空気を裂き、甲高い音を立てて飛ぶ彼女の麻痺矢は、美しい放物線を描きながらわたし達の頭上を飛び越え、爆発音を聞きつけてやって来た反魔物派らしき男の肩口に突き刺さった。
３０ｍ程の距離だったが、それでもその男は倒れ伏し、ピクリとも動かない。
だが、彼だけで済むはずも無く、その後ろからぞろぞろと、教会騎士の鎧を身に纏った人間達が現れた。
総勢は１０人といったところ。
恐らくは状況把握の為の斥候といったところだろうが、それにしても少し数が多いかもしれない。
わたし達の姿を確認するなり、２名が踵を返し、彼らが現れた建物の影に消えていった。
これから本隊がやってくると思うと若干気が重い。
そんな気だるさを覚えながら、わたしは魔術を行使する。
ここで敵を迎え撃つならば、このまま無防備というわけにも行かない。
グール達は白兵戦が主力だとしても、わたしはそういうわけには行かないのだった。
｢せいっ！｣
わたしはわざわざ気合を込めた声を上げながら、大地に手を付き魔力を込める。
すると、土と岩石の混合物が隆起し、私の胸より少し下までを覆い隠す壁が出来た。
それを私の正面に１つと、左右に２つに生成し、わたしは次の魔術を準備する。
次は雷術…
出力は目一杯下げて、相手を麻痺させるくらいで。
数は２０個、回避・防御される事も考えて多めに用意。
それでも抜けたら、第２撃を用意…
そんな思案をしながら、わたしは大きな雷球を作り、宙に放り投げた。
それは空中で分裂し、２０個の小さな雷球となり一旦空中で静止する。
次の瞬間、それらは目標とされた人間に向かって加速しながら殺到していった。
教会騎士に当たらなかった雷球が砂埃を巻き上げわたし達の視界を遮ってしまう。
｢あ……｣
わたしがしまったと思った時には少し前に待機していたグール達が一斉に駆け出していた。
ゾンビはやや足が遅い為、グール達より出遅れている。
グール達は迷わず巻き上がった砂煙の中に飛び込んで行く。
｢ぎゃぁぁ！｣
間も無く上がる人間の悲鳴に私は先程の心配が杞憂だったんだと分かった。
そんな事を考えている間に更に数回の悲鳴が上がり、砂煙が晴れる頃には誰の声も聞こえなくなった。
視界が開けた時には、先程やってきた教会騎士達は全員が地に伏し、全く動かなくなっていた。
グール達は不意打ちというのも手伝って死亡・重症者はいないが、軽傷を負った者が１人いたようだ。
『初戦は私達の勝ちですが…次は更に大人数が相手になるでしょうから、気を抜かないで下さい』
『分かってます、しかし……視界をさえぎられた程度であっという間に掃討される教会騎士というのはどうなんでしょうね』
『教会騎士といっても、大敗した前回の戦争で実力のある教会騎士は数を減らしていますし、今は実力者どころかそもそも頭数すら揃えられないほどに弱り切っていますから、仕方ないと思いますよ』
『人口が激減したわけではないんですけどねぇ…』
『結論から言えば、志願者が減っているからですね…』
リィン様との念話はそこで打ち切られた。
理由は教会騎士の増援が現れたからだ。
人数の把握は難しいが、５０人ほどだろうか。
いずれも、武器を既に抜き、わたし達を殺そうと鋭い視線で睨み付けてきている。
『…想定より少なくないですか？』
『……早すぎたかしら…』
『作戦に変更はありませんよね？』
『それは当然です』
本当ならば、大凡半分の敵兵力をこちらで引き付ける予定であったが、どうやら襲撃に対して即座に迎撃に出てこれたのは今目の前に居る教会騎士だけだったようだ。
残り９０人前後は街の奥で慌てているか、寝ているかのどちらかといったところだろう。
どちらにしても、時間が費やされれば自然とこちらが引き付ける敵兵の数は増えるのだから、作戦としての変更は無い…それをリィン様に確認を取った上で、わたしは再度魔術を行使する。
もう一回雷術…出力はちょっと強め、相手が失神するくらい。
形は鞭、雷球を５０個以上も作るのは流石に制御や精密さに難があるから却下。
鞭状にして一気に薙ぎ払ってやる。
｢っ！｣
わたしが魔力を練成していると、突然わたしが作った土壁に弓矢が突き刺さった。
どうやら彼らの中には弓兵が混じっていたようだ。
壁が無かったら危なかったかもしれない。
だが、彼らの弓矢はわたしを狙ったわけではなかったようだ。
少数ながらも飛翔して来る矢はわたしの頭上すら飛び越えていたからだ。
つまり狙いは……
『リィン様！！』
『こんなへったくそな弓が私に当たる訳無いでしょ！！』
リィン様を狙った銀色の弓矢は監視塔の側面には突き刺さるが、肝心のリィン様には１本も当たらない。
彼女は直撃軌道の矢を上手く避けながら、３本の矢を次々と放った。
番える動作が見えなかったが…どうやったのだろうか？
『ほら、私を見てないで、グール達を援護して！！』
『はいっ！』
放った矢が当たったかの確認をする素振りも無く、彼女はそうわたしに言った。
後で思ったが、わたしは自分が思う以上に慌てていたのだろう、大事な事を忘れてしまっていたのだから。
わたしやリィン様以上に敵の攻撃に晒されるのはグール達ではないか…
慌てて振り返ると、彼女達は既に肉薄してきた教会騎士と切りあいを始めている。
わたしは判断の遅れを呪った。
これでは広範囲の雷撃はグール達を巻き込んでしまう…
だから急いで術式を組み直す。
雷術、形は稲妻、数は１つ、精度を目一杯上げて…誤射をしないように…
そしてわたしは手近な教会騎士に狙いを定め、雷術を放った。
｢ぐぁ！！｣
雷撃はそれを防御しようと盾を突き出した教会騎士弾き飛ばし、地面に転がした。
｢っ……｣
｢ルストリぃ、そんなんじゃ手数が足りないよぉ…もっと撃って｣
ゾンビの１人がやや舌足らずな口調でわたしにそう催促してきた。
それもそうだ、確かに今ので１人は戦闘不能に出来たけど、これじゃ埒が明かない…
……まずい、早く数を減らさないと、しっかりしろ……もっと沢山の相手を足止めするはずだったんだぞ！！
自分を叱咤し、わたしは考える。
思考は素早く、正確に。
それがわたしのモットーだ。
広範囲攻撃は論外、仲間を巻き込んでしまっては意味が無い。
だが、単体に対して魔術も意味は余り無い。
短時間で敵全体に影響を与えられなければ、仲間が消耗しかねない、敵はこれだけでは無い筈だ。
ではどうする。
広範囲に効果のある魔術が正解だ。
だが、それは攻撃であってはならない。
ならば、やる事は１つ。
先程のように視界を奪えばいい。
砂埃なんて生易しい物では済まさない！！
左手に水術、右手に炎術……配分は均等に１：１、そこにほんの少しだけ風術を混ぜる、そうすれば…生まれる魔術は目的に即した物になる。
｢っ…なんだこれ………霧？？｣
わたしの掌から噴水のように溢れたそれは乳白色の濃い霧だ。
わたしから一番近い教会騎士が真っ先にその霧に飲み込まれ、驚いた声を上げるが、その頃には彼の姿は白い霧に飲まれ、わたしからも恐らく仲間からも見えなくなっていた。
『今のうちに！』
わたしは誰に向けるわけでもなく、そう念話で叫んだ。
それはわたし以外の魔物全員に届いていたらしい。
グール達は迷わず霧に飛び込んで行き、気配と魔力でしか分からないが、視界を失った教会騎士達に切りかかっているようだった。
既に、視界は顔の前に持ってきた自分の手すら見えないほどの濃い霧に包まれている。
半径３０ｍ内は人間も魔物も視覚という物が役に立たない状況だが、少なくともわたし達魔物は視界に頼らずとも相手の位置をある程度把握できる
だからこそ、わたしは敢えて視界を悪くしたのだ。
｢ぎゃっ！｣
｢いでぇぇぇぇ！！！｣
霧の中から悲鳴が上がる。
グールやゾンビがその得物で、視覚を失った教会騎士達を切り倒しているのだ。
無論、急所を狙わず、致命傷を与えずという不殺は守っているのか、やたらと悲鳴が上がる。
そして時折聞こえる空気を切る音から察するに、リィン様はこの状況でも盛大に麻痺矢を放っているようだった。
矢が飛翔する音と同じ数だけ、悲鳴や何かが倒れる音がするところから見るに、やはり彼女の射抜く精度は非常に高い。
肝心のわたしはというと、霧の維持に魔力を使うのが精一杯で、攻撃魔術や防御などに気を回す余裕が無い。
少しでも集中が切れれば、霧は消えてしまう。
だから、必死で霧を生み出し、それを維持するのに努めた。
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既に霧を展開してから、５分ほどが経った。
霧の中からは定期的に人間の悲鳴が聞こえてきていたが、気配からはまだ敵が残っているのが分かった。
だから、わたしは更に霧を生成・維持する為に、魔力を込めようとしたが、ずっと感じていた息苦しさや、気だるさ、脱力感が一気に増し、全身の魔力が足りなくなっている事を知らせてきた。
｢ぐっ…｣
苦しい…力が抜ける。
やっぱりだめだ……３属性混合魔術は魔力の減りが早すぎる…こればっかりは何度挑んでも、どんなに修練を積んでも、思うように制御できない……
ああ……だめだ……魔力の供給が…途切れ………る…
意……識が……霧に………呑ま…れ………た…………
聖皇暦３２５年１月７日、まだ日も昇りきっていない早朝、わたしはかつて国境都市ドルトラークと呼ばれていた場所の近くにいた。
ここは既に魔物と新魔物派の為の都市じゃない…
国境都市ノメインが反魔物派の急襲を受けて壊滅した２日後…丁度エリスライで会議が行われたその日の夜中に、この都市も急襲を受けて陥落していた。
敵の部隊はノメインにいない…魔王軍不死兵団の部隊長であるラピリス様がその事に気が付いたは、上空から偵察と巡回を行っていた冥螺様麾下の空中部隊からの報告のおかげだった。
国境警戒任務の最中にノメインの北にある隣の国境都市ドルトラークで黒煙が上がっているというものだったけど、それでラピリス様は何かを察したみたいだった。
即座に９４人から成る迎撃部隊に移動を命じたので、わたし自身も周囲の仲間と一緒に跳躍魔術でドルトラークまで後、数ｋｍの場所に移動した。
そして、移動後に偵察部隊を放ち情報収集を行い今に至る。
周囲がゆっくりと明るくなる。
街の外壁が裸眼でよく見えるほどの距離まで部隊は移動していた。
街の大きさはさほどでもなく、正門から街の端に位置する石造りの砦まで、７５０ｍ程度だ。
正門から砦までは、民家や市場、娯楽施設、サバトの為の教会(のような物)が立ち並んでいるが、街の造りとしてはやや細長く、正門から砦までを奥行きとするならば、この街の幅は精々４５０ｍといったところ。
それでも２２３人の人間と２１人の魔物が住まうには十分であった。
そんな事を考えながら、わたしは石を組み上げた無骨な壁を見上げる。
朝だが、敵に動きは無い。
｢…コレより敵部隊を撃滅する｣
外壁から一番近い茂みの中で、ゆっくりと立ち上がりながら、ラピリス様はどこか声を小さめにそう宣言した。
流石にいつものようにでっかい声を張り上げるわけにはいかないようだ。
｢｢｢応！！｣｣｣
彼女の部下達も力強く、しかし静かに答えた。
正確に言えば、わたしはこの部隊の所属ではない、師であるリシア様からの命で一時的に配置されているに過ぎない。
それでも、今のわたしはラピリス様の部下の１人なのだから、彼女の命令に従うのが義務であろう。
｢はい！｣
だから、わたしも静かにそう答えた。
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それからものの５分で、ラピリス様率いる本隊とラピリス様の参謀であるダークエルフのリィン様が率いる分隊に分かれ、それぞれの持ち場への移動を終えた。
わたしはリィン様率いる分隊にいる。
わたし自身は前線で戦えるような戦闘能力は無い。
魔術戦ならばそれなりに役に立てるが、白兵戦はからっきしだ。
わたしを含めて総員２０人からなる分隊は街の正門から少し離れた付近にある茂みに潜伏していた。
正門前に集合しようと移動している最中に、正門両脇にある監視塔に人がいる事に気が付き、見つからないように茂みに潜んだのだった。
本隊は正反対の位置に集まっており、そちらには裏門は無い。
わたし達の役目はあくまでも陽動……正面から攻撃を仕掛け、敵を引き付けた所で本隊が裏の外壁を破壊して突入し、敵の司令部を直接撃滅するという作戦らしい。
少々回りくどいが、侵攻部隊の人員は不確定ながらも１５０人以上だと聞く。
１００人に届かないこの部隊が正面から当たるのは、いくらラピリス様の戦闘能力が飛び抜けているとは言え、余り好ましいとは言えない。
かつての戦いで個人戦を主体としていた部隊長や部隊がかなりの被害を受けた事から、突出した個人の戦闘能力だけで挑むのは危険であると考えるようになったのだろう。
人間という種族は、個で見れば魔物と比べるのも可哀相になる位の能力しかない。
だが、人間は群でもって優れた個に対抗し得る。
だからこそ、ラピリス様もお一人で無茶をされないのだろう。
まあ、ラピリス様の本心がどうかまでは、わたしでは推し量れないのも事実だが……
とは言え、いくら何でもこの人数で敵部隊を抑えるのは大変なんじゃないかな…？
そんな事をぼんやり考えていると、リィン様の声が聞こえてきた。
リィン様はダークエルフという種族であるが、彼女はとても穏やかな気質で、部下からも信頼されているようだ。
しかし、本質的には人間の男を手元に置いておきたいと思っているのか、街でお会いしたときなどは、道行く男に色気のある視線を投げかけていたものだ。
リィン様は小声で、そして簡潔に用件を伝えてきた。
｢時間です、始めましょう｣
｢はい｣
ラピリス様に指定された刻限となり、リィン様は２本の矢を矢筒から取り出しながらそう言った。
わたしは愛用の杖を強く握り締め、覚悟を決める。
実戦経験が無いわけでは無いのだが、リシア様と一緒ではない実戦はこれが始めてだった。
｢分かっているとは思いますが、我々は囮であり本隊の奇襲が成功するまではここに踏み止まらなければなりません｣
｢分かっております｣
｢そして、本隊の攻撃によって敗走する敵を捕縛しなければいけません｣
｢捕縛ですか？｣
わたしは思わず聞き返してしまった。
魔王軍が方針として極力反魔物派の人間を殺傷せずに捕縛しようとしているのは知っていた。
だが、反魔物派への対応が厳しいラピリス様が、愛弟子を殺されたラピリス様が、まさか愛弟子を殺したであろう人間達を捕縛で済ませると？
そんな疑問が沸いて来て仕方なかったのだ。
｢はい、絶対殺してはいけない…とまでは言いませんが、我が主には何か考えがあるようなので、可能な限り相手を行動不能に追い込んでください｣
｢心得ました｣
｢それでは早速ですが、あの門をぶち壊してください｣
ぶち壊すって…大人しそうな雰囲気なのにおっかない言葉使い…でもまあ、わたし以外はダークエルフとゾンビとグール、そしてデュラハン…門を一撃で確実に破壊するにはわたしの魔術が最適解といえよう。
だからわたしは隠れていた茂みから飛び出し、正門の前で魔法の杖を大地に突き立て、魔力を込める。
わたしが飛び出すと同時に、リィン様は先程取り出した２本の矢を放っていたようだ。
正門の両脇に用意されている監視塔にいたらしい誰かは、彼女の放った麻痺矢に射抜かれ、悲鳴を上げる暇も無く昏倒してしまったのだろう。
集中しながらも、脇に待機している仲間に少しだけ視線を移す。
リィン様は既に新しい矢を番え、いつでも撃てるように構えている。
ゾンビとグール達は何かを考えているような様子は無いが、各々が手に持った得物を構えているのが見えた。
そういえば、彼女達の戦闘行動は誰か制御しているのだろうか？
何もしていないのならば、戦闘をそっちのけで男を襲い出すのでは……いや、いけない、仮にもラピリス様自身が選抜されたのだ。
今はあのように惚けた顔をしているが、戦闘になったらきっと…きっと…
不安な考えを振り払う様に頭を横に振り、視線を泳がせた。
すると、この部隊にいるのが不思議なデュラハンが目に映った。
彼女は神妙な面持ちで手を震わせながらも何とか長剣を抜いている。
初陣なのだろうか？
そんな事を考えている間に爆破術式の発動に足りるくらいの魔力が杖に貯まった。
魔力が身体から抜け、わたしの身体に虚脱感をもたらす。
そしてわたしは……
｢破っ！！｣
渾身の魔術を解き放った。
放たれた光球は木と金属から作られた重厚な正門を粉微塵に砕く。
すかさず、茂みから他の魔物達が飛び出し、壊れた門を潜って街の中に入って行く。
僅かな目眩を感じながらも、わたしも大地に突き立てた杖を引き抜き、門を潜る為に移動する事にした。
門を潜ってすぐは、砂地が広がっており、周囲２０ｍ程には遮蔽物が無い。
その為、正面からこっそり進入するには見通しが良すぎて辛いが、人を広く展開できる為、今回のような場合は丁度良かったのかもしれない。
わたしは門を潜った所で待機している仲間と合流した。
そこまで済んで、わたしはリィン様の姿を探して、後ろの正門を振り返る。
最後尾に居るわたしから見える範囲には誰もいなかったが、リィン様の魔力がわたしの頭上から感じられたので、思わず上に視線を動かすと、彼女はいた。
リィン様は先程の監視塔に登り、周りを見渡していたのだ。
ふと、頭の中にリィン様の声が聞こえてくる。
それは彼女の念話だった。
リィン様は念話でわたしを含めた魔物達に指示を出していたという事か…
『ルストリ、私達は敵を引き付け、更にはこの門を潜らせないように迎え撃ちます』
『はい』
『前衛はグール達に任せて、後衛として敵に攻撃魔術を撃ち込んでください』
『ありったけの魔術を撃ち込んでやりますよ』
『よろしくお願いしま…すっ！』
わたしへの念話の最後に、彼女がやけに気合の入った声を上げたのは、番えた矢を放ったからだ。
空気を裂き、甲高い音を立てて飛ぶ彼女の麻痺矢は、美しい放物線を描きながらわたし達の頭上を飛び越え、爆発音を聞きつけてやって来た反魔物派らしき男の肩口に突き刺さった。
３０ｍ程の距離だったが、それでもその男は倒れ伏し、ピクリとも動かない。
だが、彼だけで済むはずも無く、その後ろからぞろぞろと、教会騎士の鎧を身に纏った人間達が現れた。
総勢は１０人といったところ。
恐らくは状況把握の為の斥候といったところだろうが、それにしても少し数が多いかもしれない。
わたし達の姿を確認するなり、２名が踵を返し、彼らが現れた建物の影に消えていった。
これから本隊がやってくると思うと若干気が重い。
そんな気だるさを覚えながら、わたしは魔術を行使する。
ここで敵を迎え撃つならば、このまま無防備というわけにも行かない。
グール達は白兵戦が主力だとしても、わたしはそういうわけには行かないのだった。
｢せいっ！｣
わたしはわざわざ気合を込めた声を上げながら、大地に手を付き魔力を込める。
すると、土と岩石の混合物が隆起し、私の胸より少し下までを覆い隠す壁が出来た。
それを私の正面に１つと、左右に２つに生成し、わたしは次の魔術を準備する。
次は雷術…
出力は目一杯下げて、相手を麻痺させるくらいで。
数は２０個、回避・防御される事も考えて多めに用意。
それでも抜けたら、第２撃を用意…
そんな思案をしながら、わたしは大きな雷球を作り、宙に放り投げた。
それは空中で分裂し、２０個の小さな雷球となり一旦空中で静止する。
次の瞬間、それらは目標とされた人間に向かって加速しながら殺到していった。
教会騎士に当たらなかった雷球が砂埃を巻き上げわたし達の視界を遮ってしまう。
｢あ……｣
わたしがしまったと思った時には少し前に待機していたグール達が一斉に駆け出していた。
ゾンビはやや足が遅い為、グール達より出遅れている。
グール達は迷わず巻き上がった砂煙の中に飛び込んで行く。
｢ぎゃぁぁ！｣
間も無く上がる人間の悲鳴に私は先程の心配が杞憂だったんだと分かった。
そんな事を考えている間に更に数回の悲鳴が上がり、砂煙が晴れる頃には誰の声も聞こえなくなった。
視界が開けた時には、先程やってきた教会騎士達は全員が地に伏し、全く動かなくなっていた。
グール達は不意打ちというのも手伝って死亡・重症者はいないが、軽傷を負った者が１人いたようだ。
『初戦は私達の勝ちですが…次は更に大人数が相手になるでしょうから、気を抜かないで下さい』
『分かってます、しかし……視界をさえぎられた程度であっという間に掃討される教会騎士というのはどうなんでしょうね』
『教会騎士といっても、大敗した前回の戦争で実力のある教会騎士は数を減らしていますし、今は実力者どころかそもそも頭数すら揃えられないほどに弱り切っていますから、仕方ないと思いますよ』
『人口が激減したわけではないんですけどねぇ…』
『結論から言えば、志願者が減っているからですね…』
リィン様との念話はそこで打ち切られた。
理由は教会騎士の増援が現れたからだ。
人数の把握は難しいが、５０人ほどだろうか。
いずれも、武器を既に抜き、わたし達を殺そうと鋭い視線で睨み付けてきている。
『…想定より少なくないですか？』
『……早すぎたかしら…』
『作戦に変更はありませんよね？』
『それは当然です』
本当ならば、大凡半分の敵兵力をこちらで引き付ける予定であったが、どうやら襲撃に対して即座に迎撃に出てこれたのは今目の前に居る教会騎士だけだったようだ。
残り９０人前後は街の奥で慌てているか、寝ているかのどちらかといったところだろう。
どちらにしても、時間が費やされれば自然とこちらが引き付ける敵兵の数は増えるのだから、作戦としての変更は無い…それをリィン様に確認を取った上で、わたしは再度魔術を行使する。
もう一回雷術…出力はちょっと強め、相手が失神するくらい。
形は鞭、雷球を５０個以上も作るのは流石に制御や精密さに難があるから却下。
鞭状にして一気に薙ぎ払ってやる。
｢っ！｣
わたしが魔力を練成していると、突然わたしが作った土壁に弓矢が突き刺さった。
どうやら彼らの中には弓兵が混じっていたようだ。
壁が無かったら危なかったかもしれない。
だが、彼らの弓矢はわたしを狙ったわけではなかったようだ。
少数ながらも飛翔して来る矢はわたしの頭上すら飛び越えていたからだ。
つまり狙いは……
『リィン様！！』
『こんなへったくそな弓が私に当たる訳無いでしょ！！』
リィン様を狙った銀色の弓矢は監視塔の側面には突き刺さるが、肝心のリィン様には１本も当たらない。
彼女は直撃軌道の矢を上手く避けながら、３本の矢を次々と放った。
番える動作が見えなかったが…どうやったのだろうか？
『ほら、私を見てないで、グール達を援護して！！』
『はいっ！』
放った矢が当たったかの確認をする素振りも無く、彼女はそうわたしに言った。
後で思ったが、わたしは自分が思う以上に慌てていたのだろう、大事な事を忘れてしまっていたのだから。
わたしやリィン様以上に敵の攻撃に晒されるのはグール達ではないか…
慌てて振り返ると、彼女達は既に肉薄してきた教会騎士と切りあいを始めている。
わたしは判断の遅れを呪った。
これでは広範囲の雷撃はグール達を巻き込んでしまう…
だから急いで術式を組み直す。
雷術、形は稲妻、数は１つ、精度を目一杯上げて…誤射をしないように…
そしてわたしは手近な教会騎士に狙いを定め、雷術を放った。
｢ぐぁ！！｣
雷撃はそれを防御しようと盾を突き出した教会騎士弾き飛ばし、地面に転がした。
｢っ……｣
｢ルストリぃ、そんなんじゃ手数が足りないよぉ…もっと撃って｣
ゾンビの１人がやや舌足らずな口調でわたしにそう催促してきた。
それもそうだ、確かに今ので１人は戦闘不能に出来たけど、これじゃ埒が明かない…
……まずい、早く数を減らさないと、しっかりしろ……もっと沢山の相手を足止めするはずだったんだぞ！！
自分を叱咤し、わたしは考える。
思考は素早く、正確に。
それがわたしのモットーだ。
広範囲攻撃は論外、仲間を巻き込んでしまっては意味が無い。
だが、単体に対して魔術も意味は余り無い。
短時間で敵全体に影響を与えられなければ、仲間が消耗しかねない、敵はこれだけでは無い筈だ。
ではどうする。
広範囲に効果のある魔術が正解だ。
だが、それは攻撃であってはならない。
ならば、やる事は１つ。
先程のように視界を奪えばいい。
砂埃なんて生易しい物では済まさない！！
左手に水術、右手に炎術……配分は均等に１：１、そこにほんの少しだけ風術を混ぜる、そうすれば…生まれる魔術は目的に即した物になる。
｢っ…なんだこれ………霧？？｣
わたしの掌から噴水のように溢れたそれは乳白色の濃い霧だ。
わたしから一番近い教会騎士が真っ先にその霧に飲み込まれ、驚いた声を上げるが、その頃には彼の姿は白い霧に飲まれ、わたしからも恐らく仲間からも見えなくなっていた。
『今のうちに！』
わたしは誰に向けるわけでもなく、そう念話で叫んだ。
それはわたし以外の魔物全員に届いていたらしい。
グール達は迷わず霧に飛び込んで行き、気配と魔力でしか分からないが、視界を失った教会騎士達に切りかかっているようだった。
既に、視界は顔の前に持ってきた自分の手すら見えないほどの濃い霧に包まれている。
半径３０ｍ内は人間も魔物も視覚という物が役に立たない状況だが、少なくともわたし達魔物は視界に頼らずとも相手の位置をある程度把握できる
だからこそ、わたしは敢えて視界を悪くしたのだ。
｢ぎゃっ！｣
｢いでぇぇぇぇ！！！｣
霧の中から悲鳴が上がる。
グールやゾンビがその得物で、視覚を失った教会騎士達を切り倒しているのだ。
無論、急所を狙わず、致命傷を与えずという不殺は守っているのか、やたらと悲鳴が上がる。
そして時折聞こえる空気を切る音から察するに、リィン様はこの状況でも盛大に麻痺矢を放っているようだった。
矢が飛翔する音と同じ数だけ、悲鳴や何かが倒れる音がするところから見るに、やはり彼女の射抜く精度は非常に高い。
肝心のわたしはというと、霧の維持に魔力を使うのが精一杯で、攻撃魔術や防御などに気を回す余裕が無い。
少しでも集中が切れれば、霧は消えてしまう。
だから、必死で霧を生み出し、それを維持するのに努めた。
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既に霧を展開してから、５分ほどが経った。
霧の中からは定期的に人間の悲鳴が聞こえてきていたが、気配からはまだ敵が残っているのが分かった。
だから、わたしは更に霧を生成・維持する為に、魔力を込めようとしたが、ずっと感じていた息苦しさや、気だるさ、脱力感が一気に増し、全身の魔力が足りなくなっている事を知らせてきた。
｢ぐっ…｣
苦しい…力が抜ける。
やっぱりだめだ……３属性混合魔術は魔力の減りが早すぎる…こればっかりは何度挑んでも、どんなに修練を積んでも、思うように制御できない……
ああ……だめだ……魔力の供給が…途切れ………る…
意……識が……霧に………呑ま…れ………た…………
12/01/09 18:35更新 / 月影
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