彼女の国
少女は項をめくった。
特に順々に読んでいる訳ではない。
気まぐれに前へ後ろへ項をめくり、目に付いたところを読むつもりのようだった。
その内容はただの記録報告であったり、主観に基づく記述が為されていたりと統一性は薄い。
彼女が目を付けたのは次のような内容だった…
――――――――――――――――――――
・聖皇歴324年5月4日
どこから書き始めればいいか。
まずは日記を記すに至った経緯を説明しておくと、2年半前の古城での大規模な戦闘以後、教会騎士団やギルドは徐々に勢力を失いつつある。
それからすぐに、私が所属するギルドはその全員が、配属を変えられてしまった。
今こうして日記を書いている私の居住が、私が新たに配属された場所という事になる。
親魔物派の領地からも反魔物派の領地からも離れた孤島に私は住んでいる。
孤島とは言うものの、1つしかない街も機能しているし、原生林が残る島の中央を除けば、立ち入るのが危険な場所も少ない。
この孤島で新たな任務を受けるにあたり、この島の魔物達の様子や新たに現れたという魔物の調査について、日記を記そうと思った。
明日から、この島で調査任務が始まる。
さて、反魔物派の私が魔物が多く住むこの島でやっていけるのかどうか…
・聖皇暦324年5月5日
異動後の正式な任務が始まった。
内容は新種の魔物が現れ、島中央部の原生林に潜み、夜な夜な食物を荒らしていくというものだった。
私に課せられた任務は魔物の正体を調査すること、そして討伐もしくは島から追い出すことだ。
今日の活動はこの島の唯一の街、レファでの聞き込み調査だった。
私が住んでいる家はレファからは歩いて30分程の時間が掛かってしまうが、それほど遠くはない。
メモを取り、言葉に耳を傾け、魔物の正体を推測するに、どうも複数の魔物が入り込んでいるらしい。
夜中に食料庫を荒らす複数の人影を見たとか、島中央の森の中で水浴びをする女性らしき何かが居たという代物だった。
街の教会にも聞き込みを行ったがどうにも要領を得ない。
ただ、人の形をした何かが森に住み、街と森を往復するように訪れている、ということしか分からない。
そういえば、この街の住人はやけに肌が蒼白いな、そこまで天候に恵まれていないと言う訳でもあるまいに。
・聖皇暦324年5月6日
どうにも調査が進まない、街の住人は全部で50〜60人ほどといったところで全員に聞き込みをするにも後2日ほど掛かりそうだ。
一先ず、聞き込みを終わらせた上で、中央に広がる森を調査しようと思う。
今日は、当面の食料として街に買出しに出た。
調査の時と異なり、街様子をゆっくりと見ることが出来る。
街の中は人通りが疎らでお店も少ない。
だが、食品を並べる出店がいくつかあった。
店に並んでいたのは主に魚介類。
後は島の一部で経営している農家の野菜、原生林で採取できる山菜類だ。
試しに今日の夕餉に料理をしてみたが、中々美味しい。
食事に困る事は無さそうだ。
・聖皇暦324年5月8日
聞き込みはほぼ終えることが出来た。
だが、決定的な情報を得ることは出来ず、複数の、人型の、魔物らしき何かが、街と森を行き来している、と言うおぼろげな情報しか得ることが出来なかった。
明日からは島の中央に広がる森へ、調査の足を伸ばすことにする。
今日は不気味なことが1つ有った。
それは夜の街の様子だ、夜の海の様子を見に行った時に街を通ったのだが、街には歩く人の姿も、家には明かりも無く、中に人が住んでいる様子もなかった。
夜の間、街から人が消えていたのだ。
これはどう言う事だろうか…レファ以外には5・60人の住人が夜を過ごせるような場所は無い筈だ。
調査も踏まえ、夜の散策に出てみようと思う。
・聖皇暦324年5月10日
森の調査を始めて2日、成果は上がらない。
だが、森に点在する洞窟や泉、木々や植物を見ると、何かが生息していたり這いずり回ったりした形跡が見て取れた。
正体を掴むことはまだ出来ないが、確実に何かが住んでいる。
街の住人が採取や農耕で足を踏み入れている訳ではない、それはもっと浅い森で行っているからだ。
痕跡を辿り、ここに潜む魔物の正体を突き止めようと思う。
夜の街はやはり誰もいない。
試しに家の扉を大げさにノックしてみたが、その家はもちろん、周りの家もなんら反応を示さなかった。
昼間の街人はどこに行ったのだろうか?
疑問はまったく解決されない。
・324年5月13日
森の中では痕跡はあれど、姿を見つけることが出来ない。
しかも、最近では森ノ調査の間、ずっと後をツけられているような気がする。
それに森の中を歩く時も洞窟を歩く時もぺたぺたぺたぺたって…音が聞こエる
そういえば、何故気づかなかったんだろう…
街を歩く人…みんな、お な じ か お してる。
日課ニしている夜の街の散策では相変わらず人のいない街を私が1人で歩き回っている。
毎日毎日一軒一軒ノックして回っているけど、誰かが出てきたためしがない。
ああ…明日も森の中を歩き回り、戻ってきたら買出しに行き、夜には街を見て回らないと…
・聖皇暦324年5月15
見た。
見てしまった。
森の散策中、泉で水浴びをしていて、私に気づくと木陰に飛び込んだあれは…スライム種だ。
と言うことはスライム種が複数体この島に入り込んだと言うことだろうか…
いずれにしても私1人で討伐が可能な相手とも思えない。
明日の朝にでも本土に連絡を取らねば。
夜の街は全ての家が無人だった。
おかしい…皆はどこへ消えたのか?
山菜を売っていた若い少女や魚介を売っていた若い少女、工芸品を作っていた若い少女は…一体どこへ?
この島は天候が安定している。
夜に強風が吹くと言うことも殆ど無いはずなのだが、最近夜中に窓を何かが叩いた様に音を立てるのは何故だろうか?
立て付けが悪いのかもしれないから、明日にでもこの木造の家の様子を見ることにする。
・324年5月16日
連絡が付かない。
・324年5月
最近は後をつけられる感覚が無くなった。
不安になることは少ないが、スライム種にはあれから出会っていない。
夜中の家鳴りが止まない。
野生動物でも来ているのだろうか?
戸締りはしっかりしているから家に入ってくることは無いと思うが、ひょっとしたら魔物かもしれないし、錠を強化しておくか。
・324年5月20日
本土の連絡が取れなくなってしばらく経った。
レファにはギルドという組織は無いので協力を得るのも難しい。
定期船は本土側で天候が荒れているのかまったく来ない。
だが、通信が取れなくなっているのは港の人も同様で、いくら聞いても答えは得られなかった。
孤島に閉じ込められてしまったが、森の調査は続けようと思う。
・5月25日
ついにスライムを間近で発見した。
慌てて声かけるも、その場で飛び掛ってきたので思わず切ってしまった。
青く澄んだ身体は崩れ落ちたが致命傷とは思えない。
なぜなら、私を仰向けに押し倒し、崩れながらも私を取り込もうとしたからだ。
これで間違いない、この島に救う魔物はスライムだ。
少なくともレファに住む魔物達は突然飛び掛ってきたりしない事考えるに、彼女は街の者ではない。
・27日
おかしい。
昼間なのに、街には誰もいない。
出店を出していた●●●●達は…どこへ行ったのだろうか?
森は相変わらず薄暗く、静かだ。
なぜだろう…石畳に囲まれた街の中よりも、この自然溢れる森に心惹かれてしまうのは…
なぜだろう…泉で水を浴びてはしゃぐ彼女達を見て、一緒に逝きたいと思ってしまうのは…
・
わかった…あれは
スライムじゃない…
街に居たのは……全部…●●●●…だ…
昼も夜も街に人が居ないのは…私が『変わり始めた』からだろうか?
頭が痛い。
喉が渇いた……
・聖皇暦324年5月29日
この島に居た魔物の正体はただのスライムじゃない。
あれはスライムの国だ。
あれだけの分体を作り出し、街人全員に擬態させていたんだ…
そして私はもう手遅れだ…どの段階で私が狂ってしまっていたのか、日記を見返しても分からない。
既に体の半分は彼女達と同じ物になってしまっている。
ああ…今も窓を叩く音と青く澄んだ手が見える。
こっちにおいで、そう誘っている…
ああ…彼女達と一緒に逝きたい…なぜだろう、その欲求が頭を焼き焦がしている。
私は今日の日記を書き上げたら、彼女達の元へ、家の扉を開けて向おうと思っている。
果たして、誰がこの隔絶された島に訪れ、かつ彼女達に気づかれずしかも私の日記を見つけて無事に帰ることが出来るか、それは分からない。
だが、もしこの日記を読む者がいたら伝えて欲しい。
この島には近づいてはいけないと…
ああ…彼女達の声が聞こえる。
私はもう行かないと。
寝巻きを脱ぎ。
上着を羽織り、スカートを穿き…髪を整えないと。
ああ…もう直ぐ使わなくなると分かっていても、お洒落をしたいと思ってしまう自分はどこまでも女なのだろう。
もう、ペンを置くことにする。
彼女達と行けば、新しいものを見ることが出来るかもしれない…
(以下、全て白紙)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
彼女の手記は以上である。
だが、記述しておかなければならないことがある。
1.どのギルドに確認してもレファという街がある島にギルド員を『派遣した記録』は無い。
2.そもそもレファという街がある島は『存在しない』
3.彼女は確かにギルド員だったが、この手記の最初の日付…すなわち聖皇歴
324年5月4日の時点で、彼女は既に行方不明になっている。
彼女の行方については、この手記を入手するに当たり遭遇したクイーンスライムと呼ばれる希少種が何か事情を知っている可能性はあるが、現在クイーンスライムの行方はようとして知れない。
手記を手に入れたギルド員はとある森で彼女達に遭遇し、その中の1人が手記を自分に手渡したと証言している。
その1人はとても悲しそうな顔で自分に押し付けるように渡してきたといっていた。
いずれにしても彼女の捜索は既に打ち切られ、名簿からも削除されている以上、これ以上ギルドが介入することは無いと言える。
この件は『魔物に関する未解決事件』のファイルに綴じていただける様、お願いいたします。
――――――――――――――――――――
以上がギルド員行方不明事件の概要と実際の手記の写しである。
記述が乱れたり表現が不鮮明・誤っている部分についても、そのまま記載しているのでご了承願いたい。
10/06/14 00:54更新 / 月影
戻る
次へ