試合の行方
乾いた空気に、雲の影すらもない青空。当然、人々の活動は活発になる。
外へ出て、買い物をするもよし、狩りに出るもよし、訓練するもよし。
私は何をするという目的もないまま、ただぶらぶらと散歩していた。
散歩するにも、いい日である。
「そこの御仁」
多数の人々が行き交う大通り。
道端には果物や装飾品などの露天も並び、賑わいを見せている。
「私と手合わせ願いたい」
そんな暢気な場所で、背中から剣呑な言葉を投げかけられた。
一瞬、通りがざわめく。
だが、すぐにざわめきは歓声へと変わる。
私と彼女を円形に取り囲み、あたかも闘技場のように観客が形作る。
これでは避けようもない。
「致し方なし、か」
振り向く。
深い緑色の鎧を身にまとい、大剣を構えた剣士が居た。
その耳は爬虫類のものであり、背後には緑色の尻尾が垣間見える。
確か「りざあどまん」といったか。
ただ、魔物であっても武人に変わりはない。
腰に提げた二本の刃物のうち、右手で長いほうを抜く。
波打つ輝きが人々の目を集めているのがわかる。物珍しさからだろう。
そして、左手で短いほうを抜く。同じ波打つ煌きが眼に映る。
私は二刀流。
「我が名は菊川次郎長船」
彼女は私の名乗りに調子を合わせる。
「私の名はディアナ・ムーナイト」
ぐ、と腰を落とし、身体を斜めに向ける。
次いで、右手を前へ、左手を後ろへ突き出す。
「いざ尋常に勝負!」
「行くぞ、『ジパング』の者よッ!」
歓声が大きくなった。
巨大化した野次馬の興奮を合図に、彼女が突進する。
まっすぐ、私に向かって突っ込んでくる。
両手で構えられた大剣は、すでに彼女の頭上にある。
この剣は、私の地方に伝わるものと似ている。
南方で興った剣術は、このような大剣を使う。
一撃を以って敵を「潰す」。二度目はない。「二の太刀要らず」と呼ばれる剣術だ。
子供の背ほどもある大剣ならそう使わざるを得ないか。
彼女の猛進に私は呼吸を合わせる。おそらくは、返しの刃で仕舞いだ。
と、一瞬彼女の動きが変わる。
彼女はあと二、三歩のところで軸足をぐぐぐ、と曲げた。
「それえっ!!」
足をバネのように反発させ、こちらに一気に突っ込んでくる。
ただ勢いに任せるだけではない、緩急をつけるやり方。
相手の技量を侮ったか。だが剣の軌道は一定だ。
上から下へ、重力と己の力に任せ、直線的に振り下ろすだけ。
す、と左肩を引く。
甚大な破壊力を伴った大剣は、すれすれのところで肉体ではなく石畳を粉々に砕いた。
人々から興奮の叫び声があがる。
無言で右手の刀を横へ薙ぐ。
その動きを彼女は読んでいたのだろう、強靭な瞬発力を以って後ろへと飛び退く。
さすがは魔物、と言ったところか。身体能力が桁外れに高い。
飛び退いた彼女に体勢を整える猶予など与える必要はない。
私は軸としていた左足だけで前へ跳躍する。
右手を引く。鞭の要領で腕をしならせ、彼女の鎧で覆われた胸元へと刀を振るう。
しかし、彼女の跳躍の速さは私のそれよりも勝っていたようだ。
刀は空を斬る。
一瞬の間。状況を振り出しに戻すには充分な時間だ。
私は構えを戻す。
彼女は、ざざ、と止まった。
歓声が途切れ、音が無くなる。
「すう」
一つ吸気。
そして、私は揺れ始める。
なんだ。
いきなり、揺れ始めたと思ったら。
「なんだ!?」
見ている野次馬も、眼前で発生した魔術的な光景に動揺を隠せない。
私の前にいる者が、不規則に揺れ始める。
時に速く、時に遅く。木の葉が落ちるような、予測できない速度の変化だ。
そして、それに合わせて。
「二人、いや、三人!? どんどん増える!?」
誰とも分からない驚きの声が状況の不可思議を端的に物語っている。
目の前の剣士が、一人から二人、そして三人と人数が増えていくように見える。
残像?
それとも『ジパング』に伝わる剣術?
どちらにせよ、それなら。
縦に振りかぶるのではなく、横に薙ぐ。
分身しようがしまいが、横一文字で全て薙ぎ払ってしまえばいい。
私は上段に構えていた剣を下段に構えなおした。
直後、剣士の姿が分離した。
一人は右へ、一人は左へ。
別の一人は斜め右前。また他の一人は斜め左前へ跳躍する。
かと思えば、上へ跳ぶ者もあり、まっすぐ私へ向かってくる者も居る。
しかしいかに『ジパング』の者といえど、スライムのように分裂できる訳がない。
ならば、「本物」は誰か。
眼を閉じ、意識を集中する。
分身ではない本物が発する気配はどこか。
彼が着ている「キモノ」の衣擦れ、呼吸。彼の「すべて」がどこにいるかを告げる。
「そこだあっ!!」
気付かれた。
やはり、魔物というものは第六感が働くというのだろうか。
私は彼女の背後を取るつもりでいた。事実、後ろには回りこめた。
分身を繰り出す目的は、相手に「目移り」をさせることにある。
誰が本物なのか、「見えている者」から探ろうとすることだ。
見えている者に気を取られている隙に後ろへ回り込むことは容易だ。
ただ、彼女は惑わされなかった。おそらくは、私の気配を察したのだろう。
だがもう遅い。
片脚で彼女との間合いを詰めるために前へ跳び、右手を振りかぶる。
「おおおぉぉっ!!」
彼女の咆哮が通りに響く。
大剣を、身体ごと回転させて横へ、力だけで振る。
横へ振るための動作もない。強引にもほどがある。
しかし、それを行えるだけの力があるということだ。なんたる力。
私が近づくために跳んだのと、彼女が大剣を振るのと、ほぼ同時。
ぎいん。
鈍い音が通りに響いた。
「……」
私は、右手に握った刀を見つめた。
鈍く黒い光を跳ね返す刀身は、中ほどから消えてなくなっていた。
その先は、野次馬の目の前の石畳に刺さっている。
「折れた、か」
私の刀と、彼女の大剣が激突したのだ。
当然といえば当然だが、刀と大剣では耐久力に大きな差が出る。
まともに当たってしまえば、刀が折れるのは道理。
野次馬のざわめきも大きくなってきている。
それは、これからどうするのか、といった意味合いが強い。
「菊川殿」
不意に呼びかけられた。
彼女は大剣を背中に背負い、私に面と向かっていう。
「今回は、ノーコンテストだ」
「のお……?」
「引き分け、無効試合ということね」
勝負はお預け、といったところか。
野次馬達は彼女の言葉を聞いて、帰る者も居れば私達に拍手をおくる者も居た。
彼女は私に向かって歩いてくる。先ほどまで迸っていた敵意は影も形もない。
「得物を折ってしまってすまないな」
「随分と長く付き合ってきたから仕方ない。お気になさらぬよう」
「そうか」
バツの悪い表情で、彼女は視線をそらした。
気にするな、といわれてもやはり気にしてしまう性格のようだ。
「ここで会った縁、というのもなんだが」
「?」
「この辺りに、鍛冶職人をしらないだろうか?」
彼女は宙を見上げた。視線が一定に定まっていないのは、記憶をたどっている証拠だ。
「鍛冶職人、か。武器屋なら知っているけど」
武器屋、か。果たして、そこに刀が売っているのかどうか。
私は折れた刀は鞘に収め、折れた刃先は鞘に縄で括り付けた。
「そこまで案内願えないだろうか?」
「わかった、ついてきて」
裏通りの突き当たりにその店はあった。
普通の民家とさほど変わらない、隠れ家的な店だ。
看板も掲げておらず、あるのはちょっとした飾り物の盾が扉に括りつけられているぐらいだ。
先を行く彼女は扉を開ける。
「らっしゃ……お、珍しい客だな」
入ると、とたんにさまざまな武器や防具が陳列されているのが眼に入る。
剣を初めとして、槍、弓、槌。防具も盾から胸当て、脚、腕など多岐にわたる。
中でも目を引くのは、巨大な鉄製の槍。およそ人間の持てる大きさではない、円錐状の槍。
「で、ご所望の品は?」
「刀」
簡潔に述べた私の要求に、椅子に座っている主人は眉を寄せて難しい顔をした。
「あいにく、ウチには刀はないな」
「そうか」
予想はできていた。
私の得物である刀は、私の出身地でしか作られていない。
それは製法の難しさや素材の貴重さといった武器自体の特徴というより、知名度の問題だ。
「ねえご主人、『刀』とは一体どんな代物なの?」
壁にたてかけられた大剣を眺めながら、彼女は店主に尋ねる。
店主は、私が腰に提げている得物を指差しながら答えた。
「ソレのことだ」
「それは分かる。武器としての性質を聞いているの」
「それなら、俺じゃなくて嬢ちゃんに……そうか、その手があったか」
「嬢ちゃん?」
店主は、ずずい、と私の前に迫ってくる。
体付きのよい髭面が多少の重圧になっていてどうしていいものか、少し困る。
「俺の店にたまに来る武器職人なんだがな、嬢ちゃんならあんたの刀を作れるかもしれん」
「そう」
珍しいことだ。大陸の職人が刀を作れるなど、滅多に聞かない話だ。
この話をみすみす逃す理由はない。
「腕のいい職人だ、保証する。ただ、多少変なところがあるんだが……一応連絡とってみるか?」
是が非でもない。
「お願いする」
「街の入り口まで向かうそうだからそこで待っていてくれ、だそうだ」
店にあった機器で会話を終えた主人は、私達に職人から受諾を得たことを告げた。
みたところ、耳と口に当てることのできる機器で、遠くの人物と離せることができるらしい。
原理は分からない。どうも、呪術か何かのようだ。
「ありがとう、ご主人」
「いいってことよ、何か気に入ったものがあると買っていくと尚良いんだがな」
ははは、と歯を見せながら笑い声をあげる主人。
「じゃあ、この手甲をもらおうかな」
軽口を叩いた主人に彼女が見せたのは、ごつごつした緑色の手甲。
手の甲だけでなく、腕全体を覆うことのできる鈍く光沢を放つ手甲だ。
「重いぞ?」
「それくらいがちょうど良い」
「そうか、豪気な女だな! 気に入った、タダで持っていけ」
彼女の顔が驚きと嬉しさの混じった表情になった。
「本当!?」
「おう、ただでさえ買い手のつかない代物だ。使われるほうがそいつのためにもなるってもんよ」
「さ、早速つけてみてもいい?」
「構わんよ」
店主の同意を得て、彼女はいそいそと今までつけていた鱗の手甲を手馴れた手つきで外す。
外した手甲は店主が肘をついている広い机の上に置く。
そして、手甲というにしては長い緑色のそれを腕にはめる。
二、三回拳を握って腕ごと振るう。
「ん、いい重さ。本当にいいの?」
「見たところ、嬢ちゃんは腕の立つ剣士みたいだからな」
店主は手甲をつけた彼女を見ながら、にか、とまた笑う。
よく笑う人だ。こういう人に会えると、こちらも気分がいい。
「そんな輩に会うのも、武器屋としては楽しいもんだよ」
そんな店主の言葉を聞いた途端、彼女は、ぷい、と顔をそらした。
心なしか、彼女の顔が多少赤みを帯びているように見えた。
「そ、そう、ありがとう」
すでに、街の入り口には待ち人が立っている。
大きな槌を持った、紫色の髪の女性。
その槌は武器としてより、おそらくは金属の鍛錬のために必要なものだろう。
そして一際眼を引くのは、青い肌とその単眼。
「サイクロプス! 納得した」
「さいくろぷす?」
「単眼が特徴の、武器を作ることに長けた魔物よ」
彼女は私の疑念に、私のほしい情報だけを端的に答えた。
そういえば、私の地元にも似たような妖怪がいた気がする。
単眼で、武器を作ることに長けている。イッポンダタラ、というのだが。
「あなたが、依頼人?」
彼女は、小さい穏やかな声で私に問いかける。
「ああ。刀を作ってほしいのだが」
「その、腰の」
彼女は、その大きな一つの眼で私の得物を見ている。
「見せてほしい」
「ああ」
私は折れていない小さい刀を抜こうとした。
「違う」
動きを止めた。彼女は首を振っている。
「見せてほしいのは、折れている方」
「こっちか?」
折れている方の、長い刀を鞘ごと腰の紐から引き抜く。
彼女は、まじまじと折れた刀を見ている。
柄、鍔、刃、鎬、と視線を流れるように移していく。
「よく手入れされているね。長い間、付き添ってきた相棒なんだ」
「!」
見ただけで見抜けるのか。
「これに、新しい命を吹き込みたいな」
折れた刀をいとおしそうに眺めていた彼女は、つぶやいた。
「どういうことだ?」
「折れた刀を一旦溶かして精製し直す」
「そんなことができるのか?」
彼女は、にこ、と笑って胸を張った。大きな眼が三日月のようになる。
「できる。ただ、時間はちょっともらうけど」
「是非とも頼む」
私の頼みに、彼女は頷きで答えた。
「明日の朝、ここに持ってくるから」
立ち去った彼女を見送って、さてこれからどうしようか、と思うと。
「あっ!」
横にいた「りざあどまん」が声を上げた。
「どうした?」
「聞くの忘れた!」
「何を?」
「『刀』の性質!!」
うなだれて、肩を落とす彼女に私は言う。
「それくらいなら説明できるぞ」
反応し、一瞬にして顔を上げる彼女。
「そう?」
嬉しそうに私に尋ねてくる。武器に対する造詣を深めるのは、武人としての本領なのだろう。
「ああ。武器を使うには、それをよく知っておかないと」
「そう」
彼女は、うん、と一言呟いた。
「じゃあ、宿屋で少し聞かせてほしいな」
木造のロッジのような宿屋。
でかでかと「INN」の看板がその存在感を主張していた。
「いいのか? 相部屋で」
「ま、まあ、空いてなかったものは仕方ない、仕方ない」
全ての手続きは彼女がしてしまったため、私には意見を挟む余地はなかった。
部屋は「べっど」が二つ。机が一つに椅子が二つ、風呂と厠は部屋に備えつきのようだ。
机の上には、蔓で編まれたかごの中にいくつか果物が入っている。
「で」
彼女は机のそばに置かれていた椅子に座る。
「『刀』の特性って何?」
私は彼女の席とは反対側の席に、机をはさんで座る。
「簡単に言えば『斬る』ことと、『突く』ことだ」
「『突く』は別として、『斬る』って他の剣と一緒じゃない?」
「まずは、『突く』方を説明しよう。そちらのほうが説明しやすい」
「うん」
「私の地元、『ジパング』では戦いの際こちらと同じように鎧を着るのだが」
私は彼女の体を覆っている板金鎧を指差す。
「その鎧はお主のような一枚の金属でできているわけではない」
「つまり、金属やそれに類するものを編みこんでつくられているということ?」
「そのとおり。だから、鎧の上から斬ることは基本的に不可能だ」
「確かに、鎖帷子なんかは斬れないね」
彼女の持っている大剣は、「斬る」というより「砕く」ことに特化している。
その重さと、本人の力を以ってして板金鎧でさえも「打ち砕く」。
逆に、そのしなやかさが一番の特徴である鎖帷子などは、多少やりづらい相手だろう。
「となれば、自然と鎧の間隙、例えば肩や肘といった関節部分を狙うことになる」
「だから『突き』なのね」
「うむ」
「じゃあ、『斬る』ほうは?」
「ちょっと試してみよう」
私は、かごに入っていた果物のうち赤いりんごを手に取って立ち上がる。
そして。
「ふっ!」
小さい刀、小太刀で一刀両断。
二つに切られたりんごを、即座に元のようにぴったりと合わせる。
「!」
彼女が声をあげた。りんごは、何もなかったかのようにくっついている。
「これが刀で『斬る』時の特徴だ」
「どういうこと?」
「いわゆる剣やその他の刃物は『壊しながら斬る』」
肉体であれ、モノであれ、刀以外の刃物は『壊す』のだ。
傍目から見れば『斬って』いるのだが、刀のように元には戻らない。
「反面、刀はすぐに戻せば元に戻る。刀を以って『二分する』ってことだな」
「なんだか、不思議な話」
「要は、切れ味が非常によい、ということだな」
「ところで」
手渡されたりんごをそのままかぶりついた彼女は突如私に聞いてくる。
「菊川殿はなぜ旅をしているの?」
「気になるか?」
彼女は、もくもく、とりんごを咀嚼しながら頷いた。
「大陸に『ジパング』の人間がいることはかなり珍しいからな」
一息。
「私の名前は『菊川次郎長船』というのは知っているね?」
「ああ、確かそんな名前だったよね。手合わせの時に聞いた」
「この『次郎』というのは『次男』、つまり二番目の男子のことだ」
「それで?」
「『ジパング』では基本的に嫡子、つまり一番目の男子が家業を継ぐことが一般的だ」
再び彼女が、がぶり、とりんごを食んだ。
「私は家業を継ぐための修行もなく、それこそ自由奔放だったのだ」
「だから旅に?」
「そうだ」
「兄を超えてやろう、という気はなかったの?」
彼女が咀嚼を一旦やめて真摯な口調でたずねてくる。
「そう、だな」
私は少し考える。
「なかった、とは言わないができなかった」
「そこまで強いのに?」
「私の家は商家。強さはさほど関係がなかった」
その分、金銭勘定や相手をやりこめる頭や口などに重きを置いていた。
私は商家に必要な能力ではことごとく兄の後塵を拝していた。
「だからこそ、私は旅に出た」
彼女がまたりんごにかぶりつく。もう残り一切れほどしか残っていない。
「決まった道ではなく、自分の力で進めるからな」
「そう」
りんごの最後の一切れが彼女の口の中へ消えていった。
「そういうお主は一体なんの目的で旅をしている?」
「私?」
うなずく。
「そうだな、『修行』だね」
「武人としてはよくある理由だな」
「私の種族は普通洞窟に住んでいるのだけど、『修行』と称して旅に出ることはよくあることなの」
「ふむ」
「旅先で戦える者と出会ったときは、強くなるために戦いを挑むこともある」
今日の「手合わせ」も、その一端か。
「そして、勝った者には――その、まあ、なに」
彼女は言葉をにごらせる。ただ、言わんとすることは理解した。
「りざあどまん」は、武人としての力や精神を尊ぶようだ。
修行をしてきた自らに打ち勝ったものを、認めるだろう。
そして、彼女は「魔物」だ。
ならば、彼女は勝った人間を「何」と認めるか。分かりきっている。
「となれば、私をそういう眼では見ていないというわけだな」
「え!? あ、いや、そういうわけでは、その」
言葉はしどろもどろ、視線は泳ぎっぱなし。しかし私の顔を見ようとはしない。
分かりやすいといえば、分かりやすい。
「ただ、私に『勝つ』までは、ね」
「それがお主の性分、いや、流儀か?」
「ええ」
翌朝。
白い朝日が人通りもまばらな早朝に色をつける。
彼女とは何事もなく、宿を出た。
目的は当然、街の出口で待っているであろうあの職人に会うためだ。
「朝は涼しくて良い」
「乾燥しているから余計だね、しかし私には応える」
「なぜだ?」
「寒いと、眠い」
なるほど、そういえば彼女は「りざあどまん」か。
「来た」
入り口に、すでに一つ目の職人は立っていた。
あの折れた刀の鞘を持って。
「これ」
一言だけ言って、私に刀を差し出す。
鞘は変わっていないが、柄に何か緑色の宝石が埋め込まれている。
私は、ありがとう、と礼を言ってから刀を抜く。
しゃ、と気味の良い音が朝の透明な空気に響く。
「!」
「光ってる!?」
わずかに刀身が赤く光っていた。
そして、その表面は液体の流動のように、揺らめいている。
「その刀、元々は餅鉄だったみたい」
「べいてつ?」
横にいたディアナが疑問の声を呟いた。
「川によく転がってる、黒い重い石。ある合金の材料」
だから私の刀は一般の刀と違い、白くきれいな光ではなく、鈍く黒い光を放つ。
「ということは、その『合金』でできてるのか?」
一体、なんの合金だろうか。赤く淡く光る金属。
私の言葉に、彼女は大きな胸を張って言う。
「『ジパング』の人なら分かると思う」
「赤い刀身……揺らめく面……」
は、と一つ、思い浮かぶものがあった。
「もしや、緋緋色金!?」
緋緋色金。
『ジパング』に伝わる、もはや失われた伝説の金属。
赤く輝く金属は、金属であるのに磁気を寄せ付けない。そして、永久に錆びない。
「緋緋色金に炎の加護を加えて『炎を斬れる』刀になったよ」
「もはや妖刀の類ね」
にこにこしながら刀の出来をさらっと言う職人に、冷静に口を挟むディアナ。
魔物が作った刀は、やはり人に窺い知ることのできない技でもあるのだろうか。
「それで、その柄についてるのは『クリソベリル』の変種『アレキサンドライト』」
「あ、あれき……?」
「日光の下だと緑色に見えるけど、明かりの下だと金色に光る宝石」
柄に埋め込まれ、光を跳ね返す宝石を見てみる。
今は緑色に光っている。そして、宝石の中にいくつか光の筋が見える。
ディアナが私の後ろから柄を覗き込み、職人に話しかける。
「もしかして、『猫目石』? 観察力、洞察力がよくなると言う、あの?」
「うん、それも同じ石だよ」
私は刀を見る。
私の相棒といっていい無銘が、いつの間にか考えられないような刀になって返ってくるとは。
「それで、名前をつけてあげたんだよ」
「名前?」
彼女は私の持つ『炎を斬れる』刀を指差しながら、名前を告げる。
「『焔薙』にしたの。『ジパング』に伝わる伝説の剣、『草薙』になぞらえて」
ほむらなぎ、か。無銘だったこの刀に、名前がついた。
確かに、この刀にとってはこれ以上ない名前だ。私は刀を鞘にしまい、腰に提げる。
「大事にしてね」
「ありがとう、して、お代は?」
彼女が眼を閉じ、首を横に振る。
「要らないよ、いい刀に出会えただけでも十分なんだ」
感嘆した。根っからの職人肌のようだ。
「それでは、またね」
「ああ、縁が合ったら」
「じゃあね」
一仕事やり終えた、職人の背中を見送る。
威風が感じられる。この職人の誇りともいえる背中は、人間も魔物も変わらないようだ。
「名前でも聞いておけばよかった」
彼女は悔しがる。背負う大剣も、もしかすると魔力の漂う魔剣になってしまうのかもしれなかった。
「さて、どうする?」
「どうする、って?」
「手合わせ、再開するか?」
彼女は、一瞬目を見開いて驚いたが、しかしすぐに眼を光らせる。
そして、にや、と笑った。
「やるかっ!」
がちゃん、と大層な音を立てて背中から大剣を引っこ抜く。
あわせて私も、しゃ、と静かな音を立てて刀を抜いた。
「では、いざ尋常に――」
「誰かー!!」
構え、飛び掛ろうとした私と彼女に女性の叫び声が静止に入った。
黒い修道服を着た女性は、奥から街の入り口まで走ってきている。
「どうした?」
たまらず、私は息を切らせながらも再び街の奥へと走ろうとする女性に声をかけた。
振り向いた女性は、大粒の涙を流している。よく見れば、ところどころが黒く焦げている。
「い、家が、子ども達の家が!」
「落ち着いて、どうしたの?」
剣を背中に納めたディアナが諭すように、穏やかな声で言う。
「近くの丘にある孤児院が、火事に!」
「!?」
「子ども達が、子ども達がまだ中に!!」
修道女が私達に助けを求めたことに多少の違和感を覚えながらも、丘へと向かった。
現場にはすでに、野次馬が数多くいた。
丘の中ほどにある木造の大きな孤児院。
炎に包まれた屋根の上には、十字架がその姿をちらつかせている。
そして、そこに来た私達に人々は奇異の目を向けた。
片方は、灰色の『キモノ』を着た人間。
片方は、緑色の鎧を纏った魔物。
「え!?」
「なに!?」
「なんだこいつら!?」
「どうして、魔物が!?」
「あっち行け!!」
この場に居る誰もが、似つかわしくないと思ったことだろう。
目の前の孤児院は、おそらく教会の支援を受けているもの。
教会と魔物は、敵対関係にある。集まっている人々は、おそらく教会に近しい人間だろう。
私達の手合いを見ていた人々とは、多少なりとも価値観が違っていてもおかしくはない。
だが、そんなことはどうでもいい。
私は怒りに震えていた。おそらく、彼女も同じだ。
私と彼女は武人。何よりも、義を重んじる。
子供達が多数取り残されているだろう孤児院を見ながら、黙って見ている。
そんな情けない真似を、許せるわけがない。出来るわけがない。
「行くぞ、ディアナ」
「分かってる」
私と彼女は、手をこまねいている野次馬を押しのけ、最前列に出た。
そこまで近づいていないにもかかわらず、肌がジリジリと焼けるように熱い。
私は右手で刀を抜く。
さきほど受け取った、職人が魂を込めて打った『焔薙』。
早速出番が来るとは思わなかった。そして、できればこんなに早く来てほしくはなかった。
「ついてこれるか?」
「無論よ」
彼女の返答が、突入の合図になった。わ、と人々が叫んだ。
「はあっ!」
孤児院を囲む炎を、その黒く焦げた入り口ごと『焔薙』で斬る。
がら、と音を立てて崩れはじめる家の中へ、私とディアナは進んでいく。
「ふっ!」
中でゆれる炎を片っ端から斬り伏せながら、中へ中へと進んでいく。
どこに居る。
一階の中心部にある、巨大な扉を斬って開けた。
もし、子ども「達」が取り残されているなら、広いところに固まっているかもしれない。
「あっ!」
食堂の中心、まだ燃えていないテーブルに子ども達が数人、固まって炎をしのいでいた。
「ディアナ、彼らを!!」
「分かっている!!」
私は天井から崩れてくる木材を小太刀で弾きながら、退路を確保する。
「いやだ!」
「どうして!?」
「魔物なんかに、助けられたくないやい!」
「っ!!」
彼女は、無理やり脚を怪我している子どもを担ぎ上げ、叫び声を上げた。
「そんなもののために、死にたいのかっ!!」
心からの一喝は、魔物に敵愾心を持つ子ども達をも動かすのに十分な迫力だった。
「急げっ!!」
彼女が張り上げた声に同調し、私も声を大にする。
ディアナが動けない子どもを抱え、私が歩ける子ども達を誘導する。
絶え間なく落ちてくる炎を纏った瓦礫を『焔薙』で払いながら。
外に出た私とディアナ。そして、子ども達。
修道服の彼女が子ども達を抱きしめる。安心したのか、子ども達の大きな泣き声が聞こえる。
私は、一人、二人、と子ども達の数を数える。五人か。
「あ、あと一人たんねーぞ!!」
野次馬の一人が、声を上げた。
はぐれていた子どもが、まだどこかに居る。
「うわあああん!!」
途端、もう完全に炎に包まれた孤児院から、切なる声が聞こえた。
上からか!
見上げると、二階端の窓から、一人の女の子が顔をのぞかせていた。
げほ、げほ、と苦しそうに息をさせ、泣き叫んでいる。
どうする。
考える前に、動いた者が居た。横で、がしゃん、と何か金属を投げ捨てた音がした。
「ディアナ!?」
彼女はもう半分ほど崩壊した孤児院に向けて走りながら、身に纏っている鎧を投げ捨てる。
大剣も、鉄靴も、手甲も。
全てを投げ捨て、身軽になった彼女は足をまげて力を込めた。
「はああっ!!」
跳躍。二階の窓に向けて、彼女は自ら跳んだ。
野次馬も、修道女も、私も、この場を見ている全員が息を呑んだ。
「大丈夫よ」
言葉を投げかけ、泣き止んだ女の子を抱えてすぐさま飛び降りる。
抱きかかえたまま飛び降りた彼女は、バランスを崩して肩から地面に激突し、ごろごろ、と少し転がった。
すぐさま、私は彼女の元へ走る。
「大丈夫か!」
いかに魔物といえど、一人の子どもをかばったまま地面に激突すれば、ただでは済まないだろう。
「ぬ」
彼女は痛みに歯を食いしばりながら、抱きかかえた子どもを放してやる。
女の子は無傷だ。助けられた命は、すぐさま母代わりの女性の元へ行き、泣きすがった。
「さすがに、痛いな」
おそらくは折れているであろう右肩を押さえながら、しかめっ面の彼女が起き上がる。
彼女の髪は多少焦げて縮れてしまっていた。
「しかし、頑丈だな」
「私は、魔物だからね」
その一言は、寂寥以外の感情を含んではいなかった。
がらがらがらがら。
耳を塞ぎたくなるほどの轟音を響かせ、子ども達の家は崩壊する。
けが人こそ出たものの、命を失くす者が居なくてよかった。
だが、ほっと息をつく暇は、どうやらないようだ。
不穏な気配を背中から、つまり野次馬の居るほうから感じたからだ。
後ろを振り向く。
板金鎧を着込んだ、大柄の男が一人仁王立ちしている。
その憎らしいまでに輝く銀色の鎧。兜も、手甲も、鉄靴も、全ての鎧をつけている。
右手には騎士が使うという、円錐状の槍が存在感を主張していた。
そして、鎧の左胸には、大きく刻まれた十の字。
「教会、か」
「いかにも」
太く、静かな声だ。威圧感は十二分にある。
身体を彼のほうに向け、私は言葉を投げつける。
「なんのために来た?」
「元々は救援。今は魔物の討伐」
「!」
痛みを燃え滾る怒りに変えてにらみつけるディアナ。
しかし、予想通りといえば予想通りだ。
教会は魔物を敵対視している。
そして、教会の支援を受けている孤児院が燃えたとあれば、教会の騎士が向かうのは当然。
ともなれば、鉢合わせるのも必然。
私は敵意を漲らせるディアナの前に立ち、騎士とディアナの間に割って入る。
「彼女は私と協力して子ども達を救出したのにか?」
「逆に訊こう。お前は、彼女の何だ?」
「!?」
周りで見ていた人々の間に、動揺のざわめきが広がった。
小さいが、驚きの声をはっきりとあげたのを私は聞き逃さなかった。
「なぜそこまで、その魔物に肩入れをする?」
彼女は、私の何か。
私は目を閉じて思い出す。彼女と、一体何をしたのか。
逡巡する、昨日と今日の記憶。
短いながらも、良いといえる思い出。
私は目を開けた。
息を吸い、一言で告げる。
「『友』」
「!」
「そうか」
答えを聞いた彼は、片手で持っていた槍を両手で抱え、わきをしめた。
突撃の構え。
「ならば、お前も同罪だ」
突っ込んでくる。
どす、と重みのある音を鳴らしながら、教会の騎士が突っ込んできた。
遅い。
だが、重い。
そして、「狭い」。
狙うべき箇所は間接部の、ほんのわずかな隙間。
普通ならば、後ろに回り込めばいい。回り込んで蹴り倒し、転倒したところをゆっくり突けば良い。
だが、後ろには怪我をしたディアナが居る。
後ろには回りこめない。
ならば。
私は鞘に収めた刀に手をかけた。しかし、抜かない。
何をしているの、とディアナが憤怒の口調で口走ったのが聞こえる。
意に介さず、全身の力を抜く。
「阿」
眼を閉じ、意識を集中させる。
鳴る足音。
迫り来る気配。
びりびり、と震える空気。
そして、「ここだ」と直感を告げる第六感。
ディアナが私の手合わせで使った技術を応用する。
どす、どす、どす。
さ、ざ、ざざ。
び、びり、びりびり。
今。
全ての力が抜けきっていた全身に、ありったけの力を注ぎ込む。
「吽ッ!!」
自らの持ちうる全ての能力で刀を振り、そして一瞬のうちに鞘に収める。
仕舞いだった。
私の目と鼻の先で動きを止める槍。
手ごたえは、あった。
「形なき炎でさえ『焔薙』は断つ」
ず、と槍がずれはじめた。
「形ある槍など、断つのは容易い」
ずずん、と槍が地面に転がった。
その闘争本能が揺らめく『焔薙』を刀から抜き、騎士につきつけて言う。
「まだやるか、教会の誇り高き騎士よ」
綺麗に切断された槍を眺め、赤く輝く刀を眺め、騎士は笑った。
「お前、やるな」
「なぜ笑う」
目の前の騎士は、その顔を覆い隠す兜を脱いだ。
「!」
冷たい兜の下から現れた、その顔は。
「よお」
ディアナに手甲をタダで譲った、気前の良い武器屋の顔だった。
彼は、ははは、と武器屋で見せたように笑い、胡坐をかいた。
「武器屋ってのは表の顔で、本当は騎士団の長なんだよ」
ならば、だ。
「なぜ、彼女に手甲を渡した?」
「試金石、だ」
「試したのか?」
彼は頷く。
「力を得れば、何かに行使したくなる。それは人間も魔物も変わらんからな」
「まさか、それは私にもか?」
私の言葉に、にか、といい笑顔を作った。
「腕だけでなく、頭も良いな。嬢ちゃんを紹介したのも、お前が『力を得た』場合を知りたかった」
「どうしてだ?」
「魔物と仲良さそうに歩く『ジパング』の人間に対する、純粋な興味さ」
「……」
「結果として、お前は得た力で人を救い、そこの娘は得た力を捨てて人を救った」
「!」
今、彼はなんと言った?
ディアナを、なんと呼んだ?
「そして、お前は得た力で弱き者を守り、理不尽に打ち勝つ。俺からは文句のつけようもねえな」
「ご主人、今、彼女のことを『魔物』ではなく『娘』と……」
目の前の人の良さそうな男は、頭を上下に軽く動かした。
「教会には、俺が擁護しておく」
「え!?」
声を上げたのは、ディアナだ。
「そんなこと、できるの!?」
「俺があの嬢ちゃんと仲良くしてるのは『敵意がない』上に『人のためになっている』からだ」
そういえば、あのサイクロプスと仲良くしてるのも教会の騎士であるなら不自然だ。
となると、彼が「魔物と仲良くなる条件」は「敵意無し」と「功有り」か。
「お前さんらに『敵意がなく』、『人のために何かをした』なら少なくともこの地域では悪い思いはさせんよ」
火事が収束して、数日後。
日がちょうど真上に昇る、お昼時。
「お世話になったよ」
「どうってことはねえよ」
街の入り口で、武器屋の主人に礼を言うディアナ。
その返答に、笑顔と軽い言葉で返す主人。
彼女の右肩は、すでに完治している。元通りになるのも、魔物だからかやはり早い。
傷の回復を待って、私と彼女は再び旅に出ることにした。
旅は道連れ、世は情け、というやつだ。
「ところで、だ」
「?」
「再試合はしねえのか?」
武器屋の主人は、ディアナに問いかける。
ディアナは一瞬戸惑いはしたが、すぐに首を横に振った。
「試合は、私の負け」
「どこが?」
私も、それは気になる。
「私の『感覚で捕らえる技術』を、ご主人との戦いで使ったからね」
「確かに使っていたな」
「吸収の速さと、けが人とは言え魔物を守ろうとするその態度に、私は負けを感じたの」
「いや、『ジパング』では人と魔物が共存することは――」
「だから長船殿」
名前の呼び方が、「菊川殿」じゃなくなった。
この陽気に逆らう、冷やりとした汗が伝う。
対して、武器屋の主人はいつもの快活な笑顔ではなく、にたにたした粘着質の笑顔を浮かべている。
そして、彼女は顔を紅潮させている。
「私と、結婚してくれない?」
「さ、行くぞ」
「あ、ちょっと待ってー!」
さて、いきなり言い寄ってくる女性ができてしまったが、どうしようか。
外へ出て、買い物をするもよし、狩りに出るもよし、訓練するもよし。
私は何をするという目的もないまま、ただぶらぶらと散歩していた。
散歩するにも、いい日である。
「そこの御仁」
多数の人々が行き交う大通り。
道端には果物や装飾品などの露天も並び、賑わいを見せている。
「私と手合わせ願いたい」
そんな暢気な場所で、背中から剣呑な言葉を投げかけられた。
一瞬、通りがざわめく。
だが、すぐにざわめきは歓声へと変わる。
私と彼女を円形に取り囲み、あたかも闘技場のように観客が形作る。
これでは避けようもない。
「致し方なし、か」
振り向く。
深い緑色の鎧を身にまとい、大剣を構えた剣士が居た。
その耳は爬虫類のものであり、背後には緑色の尻尾が垣間見える。
確か「りざあどまん」といったか。
ただ、魔物であっても武人に変わりはない。
腰に提げた二本の刃物のうち、右手で長いほうを抜く。
波打つ輝きが人々の目を集めているのがわかる。物珍しさからだろう。
そして、左手で短いほうを抜く。同じ波打つ煌きが眼に映る。
私は二刀流。
「我が名は菊川次郎長船」
彼女は私の名乗りに調子を合わせる。
「私の名はディアナ・ムーナイト」
ぐ、と腰を落とし、身体を斜めに向ける。
次いで、右手を前へ、左手を後ろへ突き出す。
「いざ尋常に勝負!」
「行くぞ、『ジパング』の者よッ!」
歓声が大きくなった。
巨大化した野次馬の興奮を合図に、彼女が突進する。
まっすぐ、私に向かって突っ込んでくる。
両手で構えられた大剣は、すでに彼女の頭上にある。
この剣は、私の地方に伝わるものと似ている。
南方で興った剣術は、このような大剣を使う。
一撃を以って敵を「潰す」。二度目はない。「二の太刀要らず」と呼ばれる剣術だ。
子供の背ほどもある大剣ならそう使わざるを得ないか。
彼女の猛進に私は呼吸を合わせる。おそらくは、返しの刃で仕舞いだ。
と、一瞬彼女の動きが変わる。
彼女はあと二、三歩のところで軸足をぐぐぐ、と曲げた。
「それえっ!!」
足をバネのように反発させ、こちらに一気に突っ込んでくる。
ただ勢いに任せるだけではない、緩急をつけるやり方。
相手の技量を侮ったか。だが剣の軌道は一定だ。
上から下へ、重力と己の力に任せ、直線的に振り下ろすだけ。
す、と左肩を引く。
甚大な破壊力を伴った大剣は、すれすれのところで肉体ではなく石畳を粉々に砕いた。
人々から興奮の叫び声があがる。
無言で右手の刀を横へ薙ぐ。
その動きを彼女は読んでいたのだろう、強靭な瞬発力を以って後ろへと飛び退く。
さすがは魔物、と言ったところか。身体能力が桁外れに高い。
飛び退いた彼女に体勢を整える猶予など与える必要はない。
私は軸としていた左足だけで前へ跳躍する。
右手を引く。鞭の要領で腕をしならせ、彼女の鎧で覆われた胸元へと刀を振るう。
しかし、彼女の跳躍の速さは私のそれよりも勝っていたようだ。
刀は空を斬る。
一瞬の間。状況を振り出しに戻すには充分な時間だ。
私は構えを戻す。
彼女は、ざざ、と止まった。
歓声が途切れ、音が無くなる。
「すう」
一つ吸気。
そして、私は揺れ始める。
なんだ。
いきなり、揺れ始めたと思ったら。
「なんだ!?」
見ている野次馬も、眼前で発生した魔術的な光景に動揺を隠せない。
私の前にいる者が、不規則に揺れ始める。
時に速く、時に遅く。木の葉が落ちるような、予測できない速度の変化だ。
そして、それに合わせて。
「二人、いや、三人!? どんどん増える!?」
誰とも分からない驚きの声が状況の不可思議を端的に物語っている。
目の前の剣士が、一人から二人、そして三人と人数が増えていくように見える。
残像?
それとも『ジパング』に伝わる剣術?
どちらにせよ、それなら。
縦に振りかぶるのではなく、横に薙ぐ。
分身しようがしまいが、横一文字で全て薙ぎ払ってしまえばいい。
私は上段に構えていた剣を下段に構えなおした。
直後、剣士の姿が分離した。
一人は右へ、一人は左へ。
別の一人は斜め右前。また他の一人は斜め左前へ跳躍する。
かと思えば、上へ跳ぶ者もあり、まっすぐ私へ向かってくる者も居る。
しかしいかに『ジパング』の者といえど、スライムのように分裂できる訳がない。
ならば、「本物」は誰か。
眼を閉じ、意識を集中する。
分身ではない本物が発する気配はどこか。
彼が着ている「キモノ」の衣擦れ、呼吸。彼の「すべて」がどこにいるかを告げる。
「そこだあっ!!」
気付かれた。
やはり、魔物というものは第六感が働くというのだろうか。
私は彼女の背後を取るつもりでいた。事実、後ろには回りこめた。
分身を繰り出す目的は、相手に「目移り」をさせることにある。
誰が本物なのか、「見えている者」から探ろうとすることだ。
見えている者に気を取られている隙に後ろへ回り込むことは容易だ。
ただ、彼女は惑わされなかった。おそらくは、私の気配を察したのだろう。
だがもう遅い。
片脚で彼女との間合いを詰めるために前へ跳び、右手を振りかぶる。
「おおおぉぉっ!!」
彼女の咆哮が通りに響く。
大剣を、身体ごと回転させて横へ、力だけで振る。
横へ振るための動作もない。強引にもほどがある。
しかし、それを行えるだけの力があるということだ。なんたる力。
私が近づくために跳んだのと、彼女が大剣を振るのと、ほぼ同時。
ぎいん。
鈍い音が通りに響いた。
「……」
私は、右手に握った刀を見つめた。
鈍く黒い光を跳ね返す刀身は、中ほどから消えてなくなっていた。
その先は、野次馬の目の前の石畳に刺さっている。
「折れた、か」
私の刀と、彼女の大剣が激突したのだ。
当然といえば当然だが、刀と大剣では耐久力に大きな差が出る。
まともに当たってしまえば、刀が折れるのは道理。
野次馬のざわめきも大きくなってきている。
それは、これからどうするのか、といった意味合いが強い。
「菊川殿」
不意に呼びかけられた。
彼女は大剣を背中に背負い、私に面と向かっていう。
「今回は、ノーコンテストだ」
「のお……?」
「引き分け、無効試合ということね」
勝負はお預け、といったところか。
野次馬達は彼女の言葉を聞いて、帰る者も居れば私達に拍手をおくる者も居た。
彼女は私に向かって歩いてくる。先ほどまで迸っていた敵意は影も形もない。
「得物を折ってしまってすまないな」
「随分と長く付き合ってきたから仕方ない。お気になさらぬよう」
「そうか」
バツの悪い表情で、彼女は視線をそらした。
気にするな、といわれてもやはり気にしてしまう性格のようだ。
「ここで会った縁、というのもなんだが」
「?」
「この辺りに、鍛冶職人をしらないだろうか?」
彼女は宙を見上げた。視線が一定に定まっていないのは、記憶をたどっている証拠だ。
「鍛冶職人、か。武器屋なら知っているけど」
武器屋、か。果たして、そこに刀が売っているのかどうか。
私は折れた刀は鞘に収め、折れた刃先は鞘に縄で括り付けた。
「そこまで案内願えないだろうか?」
「わかった、ついてきて」
裏通りの突き当たりにその店はあった。
普通の民家とさほど変わらない、隠れ家的な店だ。
看板も掲げておらず、あるのはちょっとした飾り物の盾が扉に括りつけられているぐらいだ。
先を行く彼女は扉を開ける。
「らっしゃ……お、珍しい客だな」
入ると、とたんにさまざまな武器や防具が陳列されているのが眼に入る。
剣を初めとして、槍、弓、槌。防具も盾から胸当て、脚、腕など多岐にわたる。
中でも目を引くのは、巨大な鉄製の槍。およそ人間の持てる大きさではない、円錐状の槍。
「で、ご所望の品は?」
「刀」
簡潔に述べた私の要求に、椅子に座っている主人は眉を寄せて難しい顔をした。
「あいにく、ウチには刀はないな」
「そうか」
予想はできていた。
私の得物である刀は、私の出身地でしか作られていない。
それは製法の難しさや素材の貴重さといった武器自体の特徴というより、知名度の問題だ。
「ねえご主人、『刀』とは一体どんな代物なの?」
壁にたてかけられた大剣を眺めながら、彼女は店主に尋ねる。
店主は、私が腰に提げている得物を指差しながら答えた。
「ソレのことだ」
「それは分かる。武器としての性質を聞いているの」
「それなら、俺じゃなくて嬢ちゃんに……そうか、その手があったか」
「嬢ちゃん?」
店主は、ずずい、と私の前に迫ってくる。
体付きのよい髭面が多少の重圧になっていてどうしていいものか、少し困る。
「俺の店にたまに来る武器職人なんだがな、嬢ちゃんならあんたの刀を作れるかもしれん」
「そう」
珍しいことだ。大陸の職人が刀を作れるなど、滅多に聞かない話だ。
この話をみすみす逃す理由はない。
「腕のいい職人だ、保証する。ただ、多少変なところがあるんだが……一応連絡とってみるか?」
是が非でもない。
「お願いする」
「街の入り口まで向かうそうだからそこで待っていてくれ、だそうだ」
店にあった機器で会話を終えた主人は、私達に職人から受諾を得たことを告げた。
みたところ、耳と口に当てることのできる機器で、遠くの人物と離せることができるらしい。
原理は分からない。どうも、呪術か何かのようだ。
「ありがとう、ご主人」
「いいってことよ、何か気に入ったものがあると買っていくと尚良いんだがな」
ははは、と歯を見せながら笑い声をあげる主人。
「じゃあ、この手甲をもらおうかな」
軽口を叩いた主人に彼女が見せたのは、ごつごつした緑色の手甲。
手の甲だけでなく、腕全体を覆うことのできる鈍く光沢を放つ手甲だ。
「重いぞ?」
「それくらいがちょうど良い」
「そうか、豪気な女だな! 気に入った、タダで持っていけ」
彼女の顔が驚きと嬉しさの混じった表情になった。
「本当!?」
「おう、ただでさえ買い手のつかない代物だ。使われるほうがそいつのためにもなるってもんよ」
「さ、早速つけてみてもいい?」
「構わんよ」
店主の同意を得て、彼女はいそいそと今までつけていた鱗の手甲を手馴れた手つきで外す。
外した手甲は店主が肘をついている広い机の上に置く。
そして、手甲というにしては長い緑色のそれを腕にはめる。
二、三回拳を握って腕ごと振るう。
「ん、いい重さ。本当にいいの?」
「見たところ、嬢ちゃんは腕の立つ剣士みたいだからな」
店主は手甲をつけた彼女を見ながら、にか、とまた笑う。
よく笑う人だ。こういう人に会えると、こちらも気分がいい。
「そんな輩に会うのも、武器屋としては楽しいもんだよ」
そんな店主の言葉を聞いた途端、彼女は、ぷい、と顔をそらした。
心なしか、彼女の顔が多少赤みを帯びているように見えた。
「そ、そう、ありがとう」
すでに、街の入り口には待ち人が立っている。
大きな槌を持った、紫色の髪の女性。
その槌は武器としてより、おそらくは金属の鍛錬のために必要なものだろう。
そして一際眼を引くのは、青い肌とその単眼。
「サイクロプス! 納得した」
「さいくろぷす?」
「単眼が特徴の、武器を作ることに長けた魔物よ」
彼女は私の疑念に、私のほしい情報だけを端的に答えた。
そういえば、私の地元にも似たような妖怪がいた気がする。
単眼で、武器を作ることに長けている。イッポンダタラ、というのだが。
「あなたが、依頼人?」
彼女は、小さい穏やかな声で私に問いかける。
「ああ。刀を作ってほしいのだが」
「その、腰の」
彼女は、その大きな一つの眼で私の得物を見ている。
「見せてほしい」
「ああ」
私は折れていない小さい刀を抜こうとした。
「違う」
動きを止めた。彼女は首を振っている。
「見せてほしいのは、折れている方」
「こっちか?」
折れている方の、長い刀を鞘ごと腰の紐から引き抜く。
彼女は、まじまじと折れた刀を見ている。
柄、鍔、刃、鎬、と視線を流れるように移していく。
「よく手入れされているね。長い間、付き添ってきた相棒なんだ」
「!」
見ただけで見抜けるのか。
「これに、新しい命を吹き込みたいな」
折れた刀をいとおしそうに眺めていた彼女は、つぶやいた。
「どういうことだ?」
「折れた刀を一旦溶かして精製し直す」
「そんなことができるのか?」
彼女は、にこ、と笑って胸を張った。大きな眼が三日月のようになる。
「できる。ただ、時間はちょっともらうけど」
「是非とも頼む」
私の頼みに、彼女は頷きで答えた。
「明日の朝、ここに持ってくるから」
立ち去った彼女を見送って、さてこれからどうしようか、と思うと。
「あっ!」
横にいた「りざあどまん」が声を上げた。
「どうした?」
「聞くの忘れた!」
「何を?」
「『刀』の性質!!」
うなだれて、肩を落とす彼女に私は言う。
「それくらいなら説明できるぞ」
反応し、一瞬にして顔を上げる彼女。
「そう?」
嬉しそうに私に尋ねてくる。武器に対する造詣を深めるのは、武人としての本領なのだろう。
「ああ。武器を使うには、それをよく知っておかないと」
「そう」
彼女は、うん、と一言呟いた。
「じゃあ、宿屋で少し聞かせてほしいな」
木造のロッジのような宿屋。
でかでかと「INN」の看板がその存在感を主張していた。
「いいのか? 相部屋で」
「ま、まあ、空いてなかったものは仕方ない、仕方ない」
全ての手続きは彼女がしてしまったため、私には意見を挟む余地はなかった。
部屋は「べっど」が二つ。机が一つに椅子が二つ、風呂と厠は部屋に備えつきのようだ。
机の上には、蔓で編まれたかごの中にいくつか果物が入っている。
「で」
彼女は机のそばに置かれていた椅子に座る。
「『刀』の特性って何?」
私は彼女の席とは反対側の席に、机をはさんで座る。
「簡単に言えば『斬る』ことと、『突く』ことだ」
「『突く』は別として、『斬る』って他の剣と一緒じゃない?」
「まずは、『突く』方を説明しよう。そちらのほうが説明しやすい」
「うん」
「私の地元、『ジパング』では戦いの際こちらと同じように鎧を着るのだが」
私は彼女の体を覆っている板金鎧を指差す。
「その鎧はお主のような一枚の金属でできているわけではない」
「つまり、金属やそれに類するものを編みこんでつくられているということ?」
「そのとおり。だから、鎧の上から斬ることは基本的に不可能だ」
「確かに、鎖帷子なんかは斬れないね」
彼女の持っている大剣は、「斬る」というより「砕く」ことに特化している。
その重さと、本人の力を以ってして板金鎧でさえも「打ち砕く」。
逆に、そのしなやかさが一番の特徴である鎖帷子などは、多少やりづらい相手だろう。
「となれば、自然と鎧の間隙、例えば肩や肘といった関節部分を狙うことになる」
「だから『突き』なのね」
「うむ」
「じゃあ、『斬る』ほうは?」
「ちょっと試してみよう」
私は、かごに入っていた果物のうち赤いりんごを手に取って立ち上がる。
そして。
「ふっ!」
小さい刀、小太刀で一刀両断。
二つに切られたりんごを、即座に元のようにぴったりと合わせる。
「!」
彼女が声をあげた。りんごは、何もなかったかのようにくっついている。
「これが刀で『斬る』時の特徴だ」
「どういうこと?」
「いわゆる剣やその他の刃物は『壊しながら斬る』」
肉体であれ、モノであれ、刀以外の刃物は『壊す』のだ。
傍目から見れば『斬って』いるのだが、刀のように元には戻らない。
「反面、刀はすぐに戻せば元に戻る。刀を以って『二分する』ってことだな」
「なんだか、不思議な話」
「要は、切れ味が非常によい、ということだな」
「ところで」
手渡されたりんごをそのままかぶりついた彼女は突如私に聞いてくる。
「菊川殿はなぜ旅をしているの?」
「気になるか?」
彼女は、もくもく、とりんごを咀嚼しながら頷いた。
「大陸に『ジパング』の人間がいることはかなり珍しいからな」
一息。
「私の名前は『菊川次郎長船』というのは知っているね?」
「ああ、確かそんな名前だったよね。手合わせの時に聞いた」
「この『次郎』というのは『次男』、つまり二番目の男子のことだ」
「それで?」
「『ジパング』では基本的に嫡子、つまり一番目の男子が家業を継ぐことが一般的だ」
再び彼女が、がぶり、とりんごを食んだ。
「私は家業を継ぐための修行もなく、それこそ自由奔放だったのだ」
「だから旅に?」
「そうだ」
「兄を超えてやろう、という気はなかったの?」
彼女が咀嚼を一旦やめて真摯な口調でたずねてくる。
「そう、だな」
私は少し考える。
「なかった、とは言わないができなかった」
「そこまで強いのに?」
「私の家は商家。強さはさほど関係がなかった」
その分、金銭勘定や相手をやりこめる頭や口などに重きを置いていた。
私は商家に必要な能力ではことごとく兄の後塵を拝していた。
「だからこそ、私は旅に出た」
彼女がまたりんごにかぶりつく。もう残り一切れほどしか残っていない。
「決まった道ではなく、自分の力で進めるからな」
「そう」
りんごの最後の一切れが彼女の口の中へ消えていった。
「そういうお主は一体なんの目的で旅をしている?」
「私?」
うなずく。
「そうだな、『修行』だね」
「武人としてはよくある理由だな」
「私の種族は普通洞窟に住んでいるのだけど、『修行』と称して旅に出ることはよくあることなの」
「ふむ」
「旅先で戦える者と出会ったときは、強くなるために戦いを挑むこともある」
今日の「手合わせ」も、その一端か。
「そして、勝った者には――その、まあ、なに」
彼女は言葉をにごらせる。ただ、言わんとすることは理解した。
「りざあどまん」は、武人としての力や精神を尊ぶようだ。
修行をしてきた自らに打ち勝ったものを、認めるだろう。
そして、彼女は「魔物」だ。
ならば、彼女は勝った人間を「何」と認めるか。分かりきっている。
「となれば、私をそういう眼では見ていないというわけだな」
「え!? あ、いや、そういうわけでは、その」
言葉はしどろもどろ、視線は泳ぎっぱなし。しかし私の顔を見ようとはしない。
分かりやすいといえば、分かりやすい。
「ただ、私に『勝つ』までは、ね」
「それがお主の性分、いや、流儀か?」
「ええ」
翌朝。
白い朝日が人通りもまばらな早朝に色をつける。
彼女とは何事もなく、宿を出た。
目的は当然、街の出口で待っているであろうあの職人に会うためだ。
「朝は涼しくて良い」
「乾燥しているから余計だね、しかし私には応える」
「なぜだ?」
「寒いと、眠い」
なるほど、そういえば彼女は「りざあどまん」か。
「来た」
入り口に、すでに一つ目の職人は立っていた。
あの折れた刀の鞘を持って。
「これ」
一言だけ言って、私に刀を差し出す。
鞘は変わっていないが、柄に何か緑色の宝石が埋め込まれている。
私は、ありがとう、と礼を言ってから刀を抜く。
しゃ、と気味の良い音が朝の透明な空気に響く。
「!」
「光ってる!?」
わずかに刀身が赤く光っていた。
そして、その表面は液体の流動のように、揺らめいている。
「その刀、元々は餅鉄だったみたい」
「べいてつ?」
横にいたディアナが疑問の声を呟いた。
「川によく転がってる、黒い重い石。ある合金の材料」
だから私の刀は一般の刀と違い、白くきれいな光ではなく、鈍く黒い光を放つ。
「ということは、その『合金』でできてるのか?」
一体、なんの合金だろうか。赤く淡く光る金属。
私の言葉に、彼女は大きな胸を張って言う。
「『ジパング』の人なら分かると思う」
「赤い刀身……揺らめく面……」
は、と一つ、思い浮かぶものがあった。
「もしや、緋緋色金!?」
緋緋色金。
『ジパング』に伝わる、もはや失われた伝説の金属。
赤く輝く金属は、金属であるのに磁気を寄せ付けない。そして、永久に錆びない。
「緋緋色金に炎の加護を加えて『炎を斬れる』刀になったよ」
「もはや妖刀の類ね」
にこにこしながら刀の出来をさらっと言う職人に、冷静に口を挟むディアナ。
魔物が作った刀は、やはり人に窺い知ることのできない技でもあるのだろうか。
「それで、その柄についてるのは『クリソベリル』の変種『アレキサンドライト』」
「あ、あれき……?」
「日光の下だと緑色に見えるけど、明かりの下だと金色に光る宝石」
柄に埋め込まれ、光を跳ね返す宝石を見てみる。
今は緑色に光っている。そして、宝石の中にいくつか光の筋が見える。
ディアナが私の後ろから柄を覗き込み、職人に話しかける。
「もしかして、『猫目石』? 観察力、洞察力がよくなると言う、あの?」
「うん、それも同じ石だよ」
私は刀を見る。
私の相棒といっていい無銘が、いつの間にか考えられないような刀になって返ってくるとは。
「それで、名前をつけてあげたんだよ」
「名前?」
彼女は私の持つ『炎を斬れる』刀を指差しながら、名前を告げる。
「『焔薙』にしたの。『ジパング』に伝わる伝説の剣、『草薙』になぞらえて」
ほむらなぎ、か。無銘だったこの刀に、名前がついた。
確かに、この刀にとってはこれ以上ない名前だ。私は刀を鞘にしまい、腰に提げる。
「大事にしてね」
「ありがとう、して、お代は?」
彼女が眼を閉じ、首を横に振る。
「要らないよ、いい刀に出会えただけでも十分なんだ」
感嘆した。根っからの職人肌のようだ。
「それでは、またね」
「ああ、縁が合ったら」
「じゃあね」
一仕事やり終えた、職人の背中を見送る。
威風が感じられる。この職人の誇りともいえる背中は、人間も魔物も変わらないようだ。
「名前でも聞いておけばよかった」
彼女は悔しがる。背負う大剣も、もしかすると魔力の漂う魔剣になってしまうのかもしれなかった。
「さて、どうする?」
「どうする、って?」
「手合わせ、再開するか?」
彼女は、一瞬目を見開いて驚いたが、しかしすぐに眼を光らせる。
そして、にや、と笑った。
「やるかっ!」
がちゃん、と大層な音を立てて背中から大剣を引っこ抜く。
あわせて私も、しゃ、と静かな音を立てて刀を抜いた。
「では、いざ尋常に――」
「誰かー!!」
構え、飛び掛ろうとした私と彼女に女性の叫び声が静止に入った。
黒い修道服を着た女性は、奥から街の入り口まで走ってきている。
「どうした?」
たまらず、私は息を切らせながらも再び街の奥へと走ろうとする女性に声をかけた。
振り向いた女性は、大粒の涙を流している。よく見れば、ところどころが黒く焦げている。
「い、家が、子ども達の家が!」
「落ち着いて、どうしたの?」
剣を背中に納めたディアナが諭すように、穏やかな声で言う。
「近くの丘にある孤児院が、火事に!」
「!?」
「子ども達が、子ども達がまだ中に!!」
修道女が私達に助けを求めたことに多少の違和感を覚えながらも、丘へと向かった。
現場にはすでに、野次馬が数多くいた。
丘の中ほどにある木造の大きな孤児院。
炎に包まれた屋根の上には、十字架がその姿をちらつかせている。
そして、そこに来た私達に人々は奇異の目を向けた。
片方は、灰色の『キモノ』を着た人間。
片方は、緑色の鎧を纏った魔物。
「え!?」
「なに!?」
「なんだこいつら!?」
「どうして、魔物が!?」
「あっち行け!!」
この場に居る誰もが、似つかわしくないと思ったことだろう。
目の前の孤児院は、おそらく教会の支援を受けているもの。
教会と魔物は、敵対関係にある。集まっている人々は、おそらく教会に近しい人間だろう。
私達の手合いを見ていた人々とは、多少なりとも価値観が違っていてもおかしくはない。
だが、そんなことはどうでもいい。
私は怒りに震えていた。おそらく、彼女も同じだ。
私と彼女は武人。何よりも、義を重んじる。
子供達が多数取り残されているだろう孤児院を見ながら、黙って見ている。
そんな情けない真似を、許せるわけがない。出来るわけがない。
「行くぞ、ディアナ」
「分かってる」
私と彼女は、手をこまねいている野次馬を押しのけ、最前列に出た。
そこまで近づいていないにもかかわらず、肌がジリジリと焼けるように熱い。
私は右手で刀を抜く。
さきほど受け取った、職人が魂を込めて打った『焔薙』。
早速出番が来るとは思わなかった。そして、できればこんなに早く来てほしくはなかった。
「ついてこれるか?」
「無論よ」
彼女の返答が、突入の合図になった。わ、と人々が叫んだ。
「はあっ!」
孤児院を囲む炎を、その黒く焦げた入り口ごと『焔薙』で斬る。
がら、と音を立てて崩れはじめる家の中へ、私とディアナは進んでいく。
「ふっ!」
中でゆれる炎を片っ端から斬り伏せながら、中へ中へと進んでいく。
どこに居る。
一階の中心部にある、巨大な扉を斬って開けた。
もし、子ども「達」が取り残されているなら、広いところに固まっているかもしれない。
「あっ!」
食堂の中心、まだ燃えていないテーブルに子ども達が数人、固まって炎をしのいでいた。
「ディアナ、彼らを!!」
「分かっている!!」
私は天井から崩れてくる木材を小太刀で弾きながら、退路を確保する。
「いやだ!」
「どうして!?」
「魔物なんかに、助けられたくないやい!」
「っ!!」
彼女は、無理やり脚を怪我している子どもを担ぎ上げ、叫び声を上げた。
「そんなもののために、死にたいのかっ!!」
心からの一喝は、魔物に敵愾心を持つ子ども達をも動かすのに十分な迫力だった。
「急げっ!!」
彼女が張り上げた声に同調し、私も声を大にする。
ディアナが動けない子どもを抱え、私が歩ける子ども達を誘導する。
絶え間なく落ちてくる炎を纏った瓦礫を『焔薙』で払いながら。
外に出た私とディアナ。そして、子ども達。
修道服の彼女が子ども達を抱きしめる。安心したのか、子ども達の大きな泣き声が聞こえる。
私は、一人、二人、と子ども達の数を数える。五人か。
「あ、あと一人たんねーぞ!!」
野次馬の一人が、声を上げた。
はぐれていた子どもが、まだどこかに居る。
「うわあああん!!」
途端、もう完全に炎に包まれた孤児院から、切なる声が聞こえた。
上からか!
見上げると、二階端の窓から、一人の女の子が顔をのぞかせていた。
げほ、げほ、と苦しそうに息をさせ、泣き叫んでいる。
どうする。
考える前に、動いた者が居た。横で、がしゃん、と何か金属を投げ捨てた音がした。
「ディアナ!?」
彼女はもう半分ほど崩壊した孤児院に向けて走りながら、身に纏っている鎧を投げ捨てる。
大剣も、鉄靴も、手甲も。
全てを投げ捨て、身軽になった彼女は足をまげて力を込めた。
「はああっ!!」
跳躍。二階の窓に向けて、彼女は自ら跳んだ。
野次馬も、修道女も、私も、この場を見ている全員が息を呑んだ。
「大丈夫よ」
言葉を投げかけ、泣き止んだ女の子を抱えてすぐさま飛び降りる。
抱きかかえたまま飛び降りた彼女は、バランスを崩して肩から地面に激突し、ごろごろ、と少し転がった。
すぐさま、私は彼女の元へ走る。
「大丈夫か!」
いかに魔物といえど、一人の子どもをかばったまま地面に激突すれば、ただでは済まないだろう。
「ぬ」
彼女は痛みに歯を食いしばりながら、抱きかかえた子どもを放してやる。
女の子は無傷だ。助けられた命は、すぐさま母代わりの女性の元へ行き、泣きすがった。
「さすがに、痛いな」
おそらくは折れているであろう右肩を押さえながら、しかめっ面の彼女が起き上がる。
彼女の髪は多少焦げて縮れてしまっていた。
「しかし、頑丈だな」
「私は、魔物だからね」
その一言は、寂寥以外の感情を含んではいなかった。
がらがらがらがら。
耳を塞ぎたくなるほどの轟音を響かせ、子ども達の家は崩壊する。
けが人こそ出たものの、命を失くす者が居なくてよかった。
だが、ほっと息をつく暇は、どうやらないようだ。
不穏な気配を背中から、つまり野次馬の居るほうから感じたからだ。
後ろを振り向く。
板金鎧を着込んだ、大柄の男が一人仁王立ちしている。
その憎らしいまでに輝く銀色の鎧。兜も、手甲も、鉄靴も、全ての鎧をつけている。
右手には騎士が使うという、円錐状の槍が存在感を主張していた。
そして、鎧の左胸には、大きく刻まれた十の字。
「教会、か」
「いかにも」
太く、静かな声だ。威圧感は十二分にある。
身体を彼のほうに向け、私は言葉を投げつける。
「なんのために来た?」
「元々は救援。今は魔物の討伐」
「!」
痛みを燃え滾る怒りに変えてにらみつけるディアナ。
しかし、予想通りといえば予想通りだ。
教会は魔物を敵対視している。
そして、教会の支援を受けている孤児院が燃えたとあれば、教会の騎士が向かうのは当然。
ともなれば、鉢合わせるのも必然。
私は敵意を漲らせるディアナの前に立ち、騎士とディアナの間に割って入る。
「彼女は私と協力して子ども達を救出したのにか?」
「逆に訊こう。お前は、彼女の何だ?」
「!?」
周りで見ていた人々の間に、動揺のざわめきが広がった。
小さいが、驚きの声をはっきりとあげたのを私は聞き逃さなかった。
「なぜそこまで、その魔物に肩入れをする?」
彼女は、私の何か。
私は目を閉じて思い出す。彼女と、一体何をしたのか。
逡巡する、昨日と今日の記憶。
短いながらも、良いといえる思い出。
私は目を開けた。
息を吸い、一言で告げる。
「『友』」
「!」
「そうか」
答えを聞いた彼は、片手で持っていた槍を両手で抱え、わきをしめた。
突撃の構え。
「ならば、お前も同罪だ」
突っ込んでくる。
どす、と重みのある音を鳴らしながら、教会の騎士が突っ込んできた。
遅い。
だが、重い。
そして、「狭い」。
狙うべき箇所は間接部の、ほんのわずかな隙間。
普通ならば、後ろに回り込めばいい。回り込んで蹴り倒し、転倒したところをゆっくり突けば良い。
だが、後ろには怪我をしたディアナが居る。
後ろには回りこめない。
ならば。
私は鞘に収めた刀に手をかけた。しかし、抜かない。
何をしているの、とディアナが憤怒の口調で口走ったのが聞こえる。
意に介さず、全身の力を抜く。
「阿」
眼を閉じ、意識を集中させる。
鳴る足音。
迫り来る気配。
びりびり、と震える空気。
そして、「ここだ」と直感を告げる第六感。
ディアナが私の手合わせで使った技術を応用する。
どす、どす、どす。
さ、ざ、ざざ。
び、びり、びりびり。
今。
全ての力が抜けきっていた全身に、ありったけの力を注ぎ込む。
「吽ッ!!」
自らの持ちうる全ての能力で刀を振り、そして一瞬のうちに鞘に収める。
仕舞いだった。
私の目と鼻の先で動きを止める槍。
手ごたえは、あった。
「形なき炎でさえ『焔薙』は断つ」
ず、と槍がずれはじめた。
「形ある槍など、断つのは容易い」
ずずん、と槍が地面に転がった。
その闘争本能が揺らめく『焔薙』を刀から抜き、騎士につきつけて言う。
「まだやるか、教会の誇り高き騎士よ」
綺麗に切断された槍を眺め、赤く輝く刀を眺め、騎士は笑った。
「お前、やるな」
「なぜ笑う」
目の前の騎士は、その顔を覆い隠す兜を脱いだ。
「!」
冷たい兜の下から現れた、その顔は。
「よお」
ディアナに手甲をタダで譲った、気前の良い武器屋の顔だった。
彼は、ははは、と武器屋で見せたように笑い、胡坐をかいた。
「武器屋ってのは表の顔で、本当は騎士団の長なんだよ」
ならば、だ。
「なぜ、彼女に手甲を渡した?」
「試金石、だ」
「試したのか?」
彼は頷く。
「力を得れば、何かに行使したくなる。それは人間も魔物も変わらんからな」
「まさか、それは私にもか?」
私の言葉に、にか、といい笑顔を作った。
「腕だけでなく、頭も良いな。嬢ちゃんを紹介したのも、お前が『力を得た』場合を知りたかった」
「どうしてだ?」
「魔物と仲良さそうに歩く『ジパング』の人間に対する、純粋な興味さ」
「……」
「結果として、お前は得た力で人を救い、そこの娘は得た力を捨てて人を救った」
「!」
今、彼はなんと言った?
ディアナを、なんと呼んだ?
「そして、お前は得た力で弱き者を守り、理不尽に打ち勝つ。俺からは文句のつけようもねえな」
「ご主人、今、彼女のことを『魔物』ではなく『娘』と……」
目の前の人の良さそうな男は、頭を上下に軽く動かした。
「教会には、俺が擁護しておく」
「え!?」
声を上げたのは、ディアナだ。
「そんなこと、できるの!?」
「俺があの嬢ちゃんと仲良くしてるのは『敵意がない』上に『人のためになっている』からだ」
そういえば、あのサイクロプスと仲良くしてるのも教会の騎士であるなら不自然だ。
となると、彼が「魔物と仲良くなる条件」は「敵意無し」と「功有り」か。
「お前さんらに『敵意がなく』、『人のために何かをした』なら少なくともこの地域では悪い思いはさせんよ」
火事が収束して、数日後。
日がちょうど真上に昇る、お昼時。
「お世話になったよ」
「どうってことはねえよ」
街の入り口で、武器屋の主人に礼を言うディアナ。
その返答に、笑顔と軽い言葉で返す主人。
彼女の右肩は、すでに完治している。元通りになるのも、魔物だからかやはり早い。
傷の回復を待って、私と彼女は再び旅に出ることにした。
旅は道連れ、世は情け、というやつだ。
「ところで、だ」
「?」
「再試合はしねえのか?」
武器屋の主人は、ディアナに問いかける。
ディアナは一瞬戸惑いはしたが、すぐに首を横に振った。
「試合は、私の負け」
「どこが?」
私も、それは気になる。
「私の『感覚で捕らえる技術』を、ご主人との戦いで使ったからね」
「確かに使っていたな」
「吸収の速さと、けが人とは言え魔物を守ろうとするその態度に、私は負けを感じたの」
「いや、『ジパング』では人と魔物が共存することは――」
「だから長船殿」
名前の呼び方が、「菊川殿」じゃなくなった。
この陽気に逆らう、冷やりとした汗が伝う。
対して、武器屋の主人はいつもの快活な笑顔ではなく、にたにたした粘着質の笑顔を浮かべている。
そして、彼女は顔を紅潮させている。
「私と、結婚してくれない?」
「さ、行くぞ」
「あ、ちょっと待ってー!」
さて、いきなり言い寄ってくる女性ができてしまったが、どうしようか。
10/04/02 02:20更新 / フォル