読切小説
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禍福は糾える縄の如し
まずは、私がなぜこれを書こうと思ったのか。それを記したい。

これは、事の顛末を記したものである。
できる限り、事実を書くつもりである。
しかし、私の目で見て、感じたものである以上、偏っているかもしれない。
読者の皆様には、どうかご容赦願いたい。

さて、どこから書こうか。
いや、書き始めるべき時は決まっている。初めは、おそらく幼少のころからだろう。

私は、普通の家庭に生まれた。
それこそ、ごくありふれた一般の家庭だ。
親も、兄弟も、私自身も、さほど変わったところはない。
(――追記
もちろん、それは「私自身がそう思っている」だけだ。
私自身がおかしいかもしれない。親も、兄弟もおかしいかもしれない。それは私には分かりかねることだ。
むしろ、そんなことは誰にも分からないのかもしれない。
これを読んでいるであろう読者は、読者なりの価値観をもって、私を断罪してほしい。)
ただ、私は「悪夢」にうなされていた。
いや、あれは「悪夢」というべき代物ではないのかもしれない。
夢ではあったが、悪ではなかったように思える。
事実、最初はとまどいはしたものの、だんだんと楽しんでいたように思う。
(――追記
実は「楽しんでいた」というより「流されていた」のほうが正しかったのかもしれない、と今になれば思う。
確かに「夢」の中では非常にいい気持ちではあった。
が、「現実」に戻るとやはり辛い生活が待っていたからである。「夢」は格好の逃げ場だったのだ。
……いや、本当は「夢」のせいで「現実」が辛かったのかもしれない。
先にあったのは、鶏か、卵か――私は今でも思いをはせることがある。)
私が見る「悪夢」は決まっていた。
紫色の長い髪をした、白い肌の豊かな身体を持つ女性に嬲られる夢。
時には手で。
時には胸で。
時には口で。
時には股で。
それこそ、ありとあらゆる「行為」を行っていた。
嫌悪感は不思議となかったように思える。今となれば、それは嫌悪感を持つべきだったのだろうと容易に推測は立つ。
子供心にやってはいけないことだ、と思いながらも、私は逆らわなかった。
やはり、気持ちよかったのだ。それははっきりと覚えている。
手でも、胸でも、口でも、股でも、とにかくすべての「夢」が私のとっての快感だった。
いつしか、私は「夢」の中で会えるあの女性を恋焦がれるようになった。
ただ、子供のころの私はあまり頭が回るほうではなかったようで、「現実」で彼女と会おうとはしなかったようだ。

しかし、子供の私は、幼いからだからだろう。そして、他の子供よりも「その面」において、優位に立っていたと思っていた。
「夢」の話を、私は進んでしたこともあった。
その都度、周りの子供達は私を奇異の眼で見た。
おそらくは、知っていたのだろう。
その「夢」が何なのか、を。
そして、当然ながら「夢」を待ち焦がれる異常な私を敬遠するようになった。
辛かったのは覚えている。
それは、子供が感じる誰にも相手をされない寂しさ、といったところだろうか。
しかし、辛かったのも最初だけで、後々になるにつれて、私はその状況に順応していった。
周りには、誰もいないのが普通。それが当たり前になってしまった。
(――追記
今思うと、この辛さがなければ、私はこのような事にはならなかったのかもしれない。
周りに誰もいないからこそ、「誰か」を自らの想像で作り上げる。
今でも、その技術といえそうな経験は事あるごとに役に立っている。
その「誰か」は、時には理想の人物でもあり、時には現実的な人物でもあった。
しかし、その「誰か」は「夢」にいた女性とは、どれもこれもが違っていた。
なぜなのだろう。それは、当時の私に聞いてみないとわからない。
そして、私は当時の私に聞いてみたくもある。)

しかし、「夢」は長くは続かなかった。
「現実」に疲れた私が「夢」でもその疲労を見せたこともあるだろう。
だが、おそらくは、私の周囲で発生したある事件が大きな要因を占めるだろう。
それは、私の年頃の少年少女にはありがちな事件だった。
ある少女の好きな人が、バレたのだ。
もちろん、その少女は私とはなんら関わりはないし、ましてやその「好きな人」が私であるはずなどない。
しかし、その話は長らく人との関わりに疎遠だった私にまで伝播している。
人の噂というものは非常に速い。そして、子供達は非常に小さい集団だ。広まるのも異常に速かった。
ただ、それだけならよかった。
問題は、その後に起こったことなのだ。よくあることだ、と読者は思うに違いない。
しかし、当の本人達にしてみれば、それはそれは日常生活に支障をきたすほど重い問題だったのだ。
その「好きな人」が、少女によそよそしくなった、と聞いた。
それは、周りの子供達が囃し立てたことに起因する。
少女が好きなその男子は、好意の対象となった嬉しさよりも、囃し立てられる恥ずかしさのほうが上回ったようだ。
さらに、その「囃し立て」は、その男子だけでなく、少女自身にも向けられた。
あるときは、皆で遊んでいるとき。
あるときは、皆で学んでいるとき。
あるときは、皆で帰るとき。
何かとつけて、周りの子供達は少女を、明るく軽い口調でからかった。
子供達に害意があった、とは到底思えなかった。
それは、無邪気な悪意、というべきものだったのだろう。
明らかな悪意よりも純粋で、それでいて、本人にはもちろん、見ているものにとっても、耐え難いものであった。
そして、無邪気な悪意というものは、無邪気が故に、激しく、酷くなっていく。
最初は揶揄程度だったものが、少女の言動、外見、そういったものへの攻撃になっていく。
そして仕舞いには、少女に対する肉体的暴行が発生するまでに至った。
その少女は姿を見せなくなるまでに、さほど時間は要しなかった。
少女の行方は、私は知らない。
(――追記
いや、当時の私は、知ろうともしなかったのだ。
私に関わりがなかったから。しかし、それでも。)
その事件は、知らず知らずのうちに、私の心に影を落としたようだった。
そして、あの「夢」の女性は、ぱったりと姿を見せなくなった。
なぜだろう。
当時の私は、気が狂ったかのように考え続けた。
ありとあらゆる可能性を、その拙い幼い頭で捜し求めた。
そして、子供心に至った結論は「興味の喪失」。要は、「飽きた」ということ。
子供の私は、そう判断したのだ。
「夢」の女性は、私以外の誰かを求めて、彷徨うのだ。
このとき、私は初めて後悔した。
なぜ、「現実」で会おうとしなかったのか、を。
しかし、今更ながらそれを悔いても、遅かったのだ。

時間というものは、無情なものである。いや、むしろ、だからこそ有情なのかもしれない。
いつしか、私は「夢」のことを忘れてしまう。
その代わり、時間も、能力も、意識も、すべてを創作活動につぎ込んだ。
それは、精神学でいう「昇華」である。
つまりは、不満を別の何かにぶつけ、意味のあるものを作り上げる。
要は、嫌なことの裏返しにすぎないのだ。
(――追記
いや、嫌なことの裏返しではない。今考えると、そう思うほうが強い。
私が「没頭する」物事が「夢」から「物語」に変質しただけのこと。
つまりは、求めることの裏返しになっていたのだ。)
それこそ、私は物語にできる代物であるならば、何にでも手を出した。
哲学、自然、神話などに始まり、工業、最近になってようやく見かけるようになった機械までも。
そして、私はさまざまな分野の物語を綴った。
その物語達は、誰の目に触れることもなく、ただ私の部屋の棚に大事に眠らせてある。
発表されることが目的ではない。「私がその物語に旅立つ」ことが大きな目的だったからだ。

しかし、そこに再びあの「夢」の女性は現れた。
やはり、「夢」の世界で。
そして、前と同じように彼女は私を愛した。
いったいなぜだろう。私は不思議に思う。
同時に、なぜいなくなったのか、を目が覚めてから考えることになる。
あの頃から時は流れ、この時すでに私は成人していた。
子供の頃の私とは、ずいぶんと考え方が違っていたようだ。
そもそも、あの「夢」の女性はいったい誰なのか。
それを私は考え始めた。
私の中に取り付いている何かなのか?
私に、得体の知れない何かから訴えかけているのか?
それとも、魔物なのか。
はっとした。
魔物。
その可能性を見つけたとたん、私は反射的に動き出していた。
もちろん、行き先は私が物事を調べるのに使っていた書庫である。
書いていた物語の資料として、話のタネになりそうなものから大層な講義の話題まで、本はそろっている。
そして、「夢」のことを忘れていた私は、それを読んでも気づかなかったのだろう。
とにかく、私は本の海を「記憶」というオールで漕いでいく。
どこかに、どこかにあったはずだ。
「夢」の女性、あの彼女に、いきつくはずの本が。
その思いが私を動かした。
そして、一冊の本が私の元へ流れ着いた。
何の変哲もない、魔物図鑑とでも言うべき代物。
片手ではもてないほど、分厚く、重いハードカバーだ。
私は一ページ目から、穴が開くほど読みふけった。
(――追記
しかし、と私は今思う。
そもそも、彼女が魔物である可能性は半々だ。
取り付いている何かなのかもしれない。得体の知れない何かなのかもしれない。
しかし、その時の私はそれこそ「何かにとりつかれていた」ようだった。
「彼女が魔物である」ということは、直感が真実だと告げていた。)

どこにいる。
彼女につながる、魔物は。
食事も忘れ、睡眠すら意識の中に入り込めず、とにかく図鑑を読んだ。
そして、ついに見つけた。
ナイトメア。
私の脳に、温かいものが流れた。
何かを知ったときや、何かを解いたときに感じる、気分の高揚する、あの温かい感じだ。
私は、即行動を移した。
「夢」の女性は、毎日来る。
そう予想した私は、図鑑に書いてあった対処どおり、待つことにした。
ベッドの上で薄いタオルケットをかぶり、目を閉じて横になる。
ただ、それだけ。
意識は炎のように燃え、寝ようにも寝られない。
一秒が、永遠に感じられるほど、私は待ち焦がれていた。
きい。
窓が開く音。
私は、無反応に徹した。
何者かの気配が近づく。
やはり。
気配が私のベッドの前に来た瞬間、私は目を見開いた。
ひう、と小さい悲鳴が聞こえた。
私は飛び起きる。
目の前には、獣の下半身と、女性の上半身の魔物がいた。
これが、ナイトメア、か。
ただ。私の中で、「夢」の女性と一致しない。
もちろん、姿形は目の前の魔物と、「夢」の女性は一致した。
しかし、とる態度が違いすぎている。
あの、「夢」の中での強気な態度はどこへいったのだろう。
目の前の、私を殺さないで、とばかりに縮こまっているのは、なぜだろう。
不思議と、私は話をしよう、と思った。
いつも私が一方的に「夢」で嬲られるだけだった。
ただ、「現実」では、私が一方的には、したくない。
だから、話をしよう。
そう思ったのだ。
(――追記
今思えば、やはり魔物と話をする、というのは常軌を逸しているのだろう。
やはり、読者は私のことを異常だと思われたことだろう。
しかし、だ。
私は私なりの方法で、「意思あるもの」と意思疎通を図った。
それは、人間と変わりないのではないか?
私はある人物とやりとりをしている。
彼は、遠く離れた街に魔物と住んでいる、という人物だ。
その街自体は決して魔物に友好なわけではない。
事実、街の近くに魔物が出没した際は「勇者」を派遣し、追い払った。
その街で、なぜ彼は魔物と一緒に住んでいるのか。
気紛れで泊めた元一座の青年の話で聞き、不思議に思ったのだ。
私の、読者が持ったと同様の疑問に対する彼の答えは、淡白なものだった。
意思疎通ができるものと、できないもの。それは、人間も魔物も変わらない。
手紙ながらも、悠然と聞こえた。
そう思えない箇所は多々ある。
ただ、私はそう信じたい。
願わくば、人と、魔物が、意思疎通できるならば、共存できるように。
そういう願いも、この筆には宿っていたのかもしれない。)

まず、私は彼女に名前を尋ねた。
そもそも、名前があるのかどうかすら分からなかったが。
彼女は、口ごもりながらも、小さく、しかし確かに、名前を言った。
グッドナイト・ブライトナイトと。
私は、ついで私の名前を告げた。
そこで、目の前の魔物は、ふ、と緊張の糸が切れたのか、わ、と泣き出した。
涙を両手でぬぐいながら泣く彼女は、小さくつぶやき始めた。
罵られるかと思った、と。
殴られるかと思った、と。
殺されるかと思った、と。
私は、そんなことがあるわけがない、と軽く笑った。
そして、戦慄した。
彼女は、一体何の姿だったか。
それは、あの日の少女の姿と同じだ。
一挙手一投足が、何かの罵りの、何かの暴行の、対象になっていた。
そう、彼女は思っていたのだ。
私は尋ねた。
「夢」の中の彼女は、一体なんなのだ、と。
彼女は、嗚咽をもらしながら、ただ一言だけ、答えた。
私の「理想」だ、と。
その答えを聞いた瞬間、私は、彼女を抱きしめていた。
魔物だろうが、知ったことではない。
半分、人の形をしていなかろうが、それは些細な問題だ。
彼女は、私と同じなのだ。
「理想」を求め「想像」に逃げた私と、「理想」を求め「夢」に入りこむ彼女は、似たもの同士、だったのだ。

そして、今。
私は、彼女と一緒に住んでいる。
傍らには彼女がいる。
町の住人達には、あの日の少女と同じように、いや、それ以上に蔑まされている。
仕方なく、町のはずれに移った。彼女は私のせいだ、というが別段気にしてなどいない。
人は、「違うもの」を排斥したがるものだ。
あの少女は、「秘密を暴露された」が故に、軽い気持ちで排斥された。
私は、「人外の者と同居している」が故に、重い気持ちで排斥された。
そこに、程度の差こそあれ、違いは全くない。
ただ、私は思うのだ。
目の前の控えめな彼女は、「夢」の彼女とは違う。
ある意味、「夢」の彼女は、「現実」の彼女にとっての理想の姿なのだ。
私が日常的に想像し創造した理想の姿。
彼女は、それを夢想することによって、発現させていたのだ。
なんとお似合いなことか。
私と彼女は、今も慎ましく生活している。
現在、私は有名ではないがそこそこ売れている小説家として生きている。
彼女はそれを影から支えている、とてもありがたい存在だ。
今私は、「夢」から離れたせいで得たものを糧に。
そして、「夢」に近づいたお陰で得たものを側に。
私にとって、あの「悪夢」は悪くなかったのである。

最後に、途中で会った元一座の青年にかけた言葉をもって、この筆を置くことにする。
「禍福は糾える縄の如し」
私の、いや、すべての人の人生というものは、やはりこの言葉に尽きると思う。

では、またどこかでお会いできる機会があれば、よろしくお願いする所存である。

(――追記
これを読んだ読者は、いったい何を思ったのか。
私の興味のあるところではあるが、それを聞くのはやはり野暮というものだろう。)



筆者:マイケル・フィロソフィー
10/03/22 02:37更新 / フォル

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