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それでもどうしても

 繋いだ手を緩めると春深ちゃんが宙に浮いた。
 驚いた僕は慌てて彼女の手を握り直そうとする。だが、時すでに遅し。彼女の手は僕の手をすり抜け、どんどん空へと上っていく。
 僕は焦る。彼女が離れていってしまう。
 だが僕にできることは何もなかった。
 ただ呆然と、空に消えていく彼女を見ているしかなかった。


 そんな記憶が今更になって蘇り、僕を責め立ててくる。
 そう、これは記憶。
 夢でも、何かしらの比喩でもない。本当に起こったことなのだ。
 自分でも信じられない。現についこの前までそんなことは信用性が無いと記憶から消し去ってしまっていたようだ。
 それが、あの場面の失われたピース。
 それじゃあ僕はあの時一体どうすればよかったのだろうか。


 〜♪
「……ん、んん」
 どうやら眠ってしまったようだ。最近はどうも疲れがとれない。そのせいで気を抜けばすぐに眠りに落ちてしまう。まだ今日が日曜日だったのが救いだろうか。
「えぇと……」
 何で起きたんだったか。ぼんやりと、さっきまで突っ伏していた机の上を見る。乱雑にたくさんの紙が散らばっている。それらにはすべて絵が書かれていた。
 彼女と別れてから、僕のイラストを描く時間は増えていった。
「はぁ」
 それでも心は満たされない。むしろ、描けば描くほど心は空虚に蝕まれていく。
「いや違うな」
 今はそれについての話じゃない。
 何故眠りから覚めてしまったかだ。
 〜♪
 紙の山の一つがうなりを上げている。なんだか噴火でもしそうな勢いだ。だがそんな大仰なことを思っても、その震源はそこに埋まっていたスマートフォンでしかなかった。
「……うわぁ、めっちゃ通知来てるじゃんか」
 Twitter、LINE、ニュースアプリ、とにかく様々なアプリの通知が鳴り止まない。一体どうしたんだ?
 とりあえず、一番最新の通知を覗いてみる──それは笹木さんからのLINEだった。
「……嘘ぉ!?」
 送られてきたのはとあるツイートのスクショとそのリンク。見てみるとそれはアイミンの公式アカウント。
 そこには。
『大事なお知らせがあります。次回のライブで発表するのでよろしくお願いします』
 と書かれていた。
「え? え? 嘘? 嘘? このタイミングで……!?」
 愛多き魔物娘アイドルの意味深なツイート。それが意味することとはつまり……
「アイミンに……恋……人……」
 覚悟していたはずのことだった。魔物娘がアイドルをするということは、その追っかけをするとはこういうことなのだと。初めから心に刻んでおいたはずだ。
 それは祝福すべきことだし、祝福したいと思っていた……だが、今の僕には。
「……」
 何も考えられなかった。
 喜ばしいことだとも、恨めしいことだとも、感じられなかった。
 ただ、世界全てに置いてけぼりにされた……いや、世界全てについていけなくなってしまった、という空虚感だけが僕の心にはあった。
「次のライブ……か……」
 もちろん、チケットは予約した。だが行きたくない……行けば、全て壊れてしまいそうな気がする。
 ひびの入った心に、トドメの一撃が来てしまいそうな気がする。
「……」
 だが、行くしかないのだ。行って、全て砕かれてしまうべきなのだ。
 得るものは何一つないのだろう……だが、置いていくべきもの、けじめを付けるべきものが今の僕にはあるのだ。
 だから、僕は。
 行くしかないのだ。



 ライブ当日。
 ライブハウスは当然だがいつもよりピリピリしていた。今日、アイミンからの告白があるのだから当然だろう。
 だが、皆全力で応援しようという気概に溢れている。誰一人として悲しんだり、恨んだりしている気配はない。今日はとにかくアイミンを祝う、そんな熱気が伝わってくる。
 それに比べて僕はどうだろうか。悲しんだり恨んだりはしていないものの、熱意は全くない。腑抜けた覚悟でここにいる。もしかしたら発表の瞬間に泣き崩れてしまうかもしれないのだ。場の空気を壊してしまうかもしれないのだ。
 何がアイミン親衛隊隊長だ、何がナンバー『13』だ。今ここで足を引っ張っているのは僕一人じゃないか……
「おっ、隊長! いましたか!」
「……笹木さん」
 皮肉にも、悩んでいるときに声を掛けてきたのは笹木さんだった。
「いやー、ついに来ましたねこの時が。アイミンに恋の訪れ!」
「……そうだな! 我らがアイドルアイミンの恋路! 今日は全力で応援するぞ!」
 できるだけ普段のテンションで僕は答えた。
「……なんか元気ないっすね、隊長? 何かありました?」
 しかし、流石はサキュバス。そういう洞察力は鋭い。
「いや、なんにもだよ」
「……もしかして……春深ちゃん?」
 僕は答えなかった、が、しかし、その名前を聞いた瞬間あからさまに表情が固まったしまったから答えているのと一緒だったようだ。笹木さんは悲痛な表情を浮かべる。
「……はぁ、そうだよ、春深ちゃんと別れたんだ……」
「あぁ、やっぱり。今まで結構LINEでやりとりしてたんですけども、ある日急に黙り込んじゃって……」
「住所特定の件はどうも」
「いやぁ……」
 何故か恥ずかしそうに頭をかく笹木さん。
 いや、これ結構重大な問題よ?
「いや、結構特定しやすいツイートしてる隊長も問題っすけどもね」
「うわぁ、責任転嫁し始めたよ」
「まぁまぁいいじゃないっすかいいじゃないっすか」
 全くよくないが、それ以上追求する前に。

『ハロ〜! みんな〜! みんなの視線奪っちゃう系単眼アイドル! アイミンだよ!』

 持ち曲のインストが流れ、マイクが割れんばかりのかけ声とともにアイミンが登場。すると会場のボルテージはいきなりマックスになる。最初から飛ばすつもりなのか。
『さてさて、いろいろみんな聞きたいことあるだろうけども! まずはわたしの歌を〜〜……聞っけ〜い!』
 そして有無を言わせず一曲目が始まる。
 アイミンも、そして会場のファンもそれに合わせて踊り始める。



 ──夢のようだった。
 僕はここにいるはずなのに。アイミンは目の前にいるはずなのに。ずっと遠くの方を見ているような、ぼやけた風景が目の前には広がっていた。
 アイミンの歌も踊りもパフォーマンスも。はっきりと見えない。はっきり見えないかと思えばスローモーションのようになったりする。
 ただ、それ以外の喧騒は僕の中にはっきりと入り込んでくる。
 そのギャップが、その遠近の狂いが、僕をどうしようもなく不安にさせる。
 夢──というよりも、何かの映像みたいなのかもしれない。
 ただ、もっとおかしいのは。
 アイミンを見ても、アイミンのことは浮かばない。
 どうしても春深ちゃんのことだけが浮かんでしまう。
 それが無性に悲しくてたまらなくて。
 それでも僕は涙を我慢していた。



『みんな〜! 今日はありがと〜! さぁて、それじゃあ重大発表いっちゃいますかぁ!』
 いつの間にか、最後の曲が終わっていた。その時間だけ切り取られたかのように僕は感じた。
 辺りの空気が緊張で満ち溢れる。それはそうだ。いくら祝う気でいても流石に緊張はするだろう。
 皆の唾を飲む音が聞こえる。
 僕も釣られて飲み込む。
『えー、わたくしアイミンには、実は……』
 緊張がより一層増す。

『好きな人がいるのです!』

 割れんばかりの歓声と拍手が響き渡る。
 ──わかっていた。わかっていた。泣き崩れなかっただけよくやったと思う。
『はいはいみんな落ち着いて〜! で、その人、実はこの会場にいるんです!』
 照明が落ちる。光はステージのアイミンを照らすスポットライトと、辺りを照らし回るスポットライトだけ。
 そのスポットライトで照らされた人物が……ということなのだろう。
 スポットライトが駆ける、駆ける。
 そして──
『わたしが好きな人は……スバりっ! この人ですっ!』

『ヒトミンさんですっ!』

 ピタリ、と止まったのは。
 なんと。
 僕の頭上だった。
「……………………へ?」
『さぁ! ヒトミンさん! カモォン!』
 頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。
 訳も分からぬまま僕はステージの上まで上がった。
「え? アイミン? 何かの間違いじゃ?」
 僕は聞いた。
『いえいえ! わたし、ヒトミンさんのイラストに惚れました……というか、そのイラストに込められたわたしへの愛にビビビっときました。そう! 一目惚れですっ! 正確には零目惚れかもだけども』
 目の前のアイミンは答える。本当に、目の前。手を伸ばせば届きそうな──
 ──だがそれでもなお、彼女に焦点が合わない。
『では、改めて言わせてもらいます──』

「ヒトミンさん、私と結婚を前提にお付き合いしてください」

 あぁ、そうか。やっぱりそうなのか。悪いことが起きた次には良いことが起こる。これが世界の真理なのか。
 最高だ。夢にも思わなかった。
 こんな、こんなハッピーな展開が待っているだなんて。
 今の今まで想像もしたことがなかった──
 今ここで首を縦に振り、「よろしくお願いします」と言えばこの物語はハッピーエンドで仕舞いだ。
 万々歳、大団円だ。
 それならば。
 首を振り、言おうじゃないか──

「ごめんなさい」

 僕はそう言った、首を横に振って。
 場の空気が凍りつくのを感じた。でも僕は続ける。
「僕、他に好きな子がいるんです」
 だって、見たいのはハッピーエンドなんかじゃないんだから。
 ハッピーエンドじゃなくても、トゥルーエンドですらなくてもいい。バッドエンドでも、別にいい。
 ただ、僕は。

 やっぱりあの子と一緒にいたいんだ。

「そう、少し、活発すぎてついていけなくてしんどいところもあるけども──そのしんどさすらも愛おしい、そんな子が僕にはいるんです。だから、だから」
 駄目だ。
 さっきは我慢してたのに。
 ここにきて。
 涙が出てきてしまった。
「アイミンとは、お付き合いできません」
 僕は頭を下げた。
 アイミンは何も言わない。
「……じゃあ、失礼します。ごめんなさい」
 僕は頭を上げ、後ろを向いて去ろうとする。
 ステージの下へ、そしてライブハウスの外へ。
 ──流石にこんなことしでかしたらファン失格だろうな……笹木さんとかには申し訳ないけども、アカウントとか削除して静かに暮らそうか──

「待って! 一見さん!」

 足が止まる。
「え……一見?」
 アイミンが知らないはずの僕の本名。何故かそれが彼女の口から──
 ──その、僕のこともさ、名前で呼んでくれないかな。
 そんなことを言った気がする。
 いや、待て、それはあの子に対して……
「待って……行かないで一見さん」
 アイミンはその大きな瞳から涙を零す。
「アイミン……?」
 ざわざわとファン達がざわつく。
「……ねぇ、一見さん。一見さんは、その子のためにわたしの告白を断ったんだよね?」
「……うん」
 僕は頷く。
「大事な大事な……わたしへの愛を、捨てたんだよね?」
「……うん」
 また、頷く。
「……あぁ、そっか……私、間違えてたんだ」
 アイミンは呟く。
 でも、違う。アイミンは間違えてない。悪いのは僕だ──そう言おうとしても言葉は出てこない。
「私、欲張っちゃったよ。私、こっちだけは捨てたくなかったから、あんなこと言っちゃった……ごめんなさい」
 アイミンは頭を下げる。
 何のことか、全くわからない。
「……そして、みんなにもごめんなさい。私、ずっと嘘ついてた。すっごく大きな大嘘」
 ファン達がまたもざわつく。
 訳が分からない。僕と同じ気持ちなのだろう。
「私……こっちを捨てるよ。アイドル続けられなくてもいい。私、一見さんのそばにいたい」
 パチン、と彼女は指を鳴らした。

 その瞬間。彼女のぼやけていたビジョンがはっきりとなった。
 それと同時に、やっぱりあの風景は夢じゃなかったんだとわかった。
「──あの時手離したのは。春深ちゃんじゃなかった」
 そうだ、あの時、手離したのは──あの祭のステージの時に手離したのは彼女から渡されたあの鳥除けの風船。
 あの時春深ちゃんは──そう、春深ちゃんは。
「ステージで、踊ってた」



 皆、真実の姿は見えていたはずだった。でも、どうやら彼女に惑わされていたらしい。
 だけどもその魔法は今──
 ──解けた。



「ごめんね、一見さん。私のわがままで振り回しちゃって」
 目の前にいるのは、春深ちゃん。煌びやかなステージ衣装に身を包んだ春深ちゃん。
「私、嫌われてると思った。っていうか、嫌われちゃうと思った。だって二つのものを好きになってもらうだなんて大変だもんね──」
 僕は春深ちゃんに一歩近づく。
「でも私はアイミンをやめたくなかったの。アイミンだけはどうしても続けたかったの。だから、春深の方を切り捨てた。でも、それは間違いだったみたいだね」
 また一歩近づく。
「じゃあ、もう一回改めて──改めて言います」

「わがままで嘘つきな私と、結婚を前提にお付き合いしてくださいっ!」

「もちろんだとも!」
 僕は春深ちゃんを抱きしめる。
 強く、強く。
 もう離さないように。



 ライブハウスは拍手と歓声に包まれていた。
 誰が用意したんだか大量の花びらが舞っていた。
 僕らは祝福に包まれ、愛を誓い合った。
 ──そして新生アイドル・ハルミンが誕生したのだった。

18/01/02 23:27 鯖の味噌煮

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これにて一つ目の恋 〜LOVE GAZER〜完結です。
これからもこの二人は幸せに暮らします。もしかしたら、一見さんはなんかPさん的な役割につくかもしれませんがそこらへんは、まぁ、想像に任せます。
いろいろと多忙で、なかなか執筆できるような精神状態じゃなくてめちゃくちゃ時間かかっちゃいました。あとクオリティの方も……本当に申し訳ありません。
ですが、またそのうちなんか書きますんでそのときはよろしくお願いします。
[エロ魔物娘図鑑・SS投稿所]
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33