連載小説
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高嶺の花
 その日一日の授業が終わるまで、私は昼のミレイの勧めに従って武彦に対する感情について考え直していた。

 武彦をそばに置いておきたいというのは確かな思いだ。
 だがそう思わせる元の感情はミレイに語った通り、愛や恋などといったものとは別種のもの。ただ近くに居てさえくれればそれで良いものという結論は変わらなかった。

 だいたい、あのような頼りない人間。放っておいたらどこへ行ってしまうのか分かったものではない。それでは私が昔一敗を食らったそのままになってしまうし、その後行方を掴めなければ流石に目覚めが悪い。その上ラリサもいたく悲しむ。

 ……いや、頼りないとは言うが、それは総合的なものであって、決して彼がどうしようもない駄目人間であるというわけではない。むしろ、普段の生活態度から、彼は信用に足る人間であると私は判断している。

 まあ、だからこそ、ラリサを任せてもいいだろうと考えたのだが……。

「……だとすると武彦を所有して留め置く理由は一つ追加になるか」

 私自身の雪辱に加えて妹の幸せ。この両立こそ、私が彼を留める理由の全てだろう。

 私の理想としては、ラリサと武彦をつがわせた上で、特等席から私の治世を見せ、武彦に文句のない統治だと認めさせてやりたいのだ。
 だとすれば、あれほどラリサを煽ってしまったのは失敗だっただろうか……。

 授業中に考えた通り、ラリサと武彦はこのままつがうことができるだろうが、私のもとからは去ってしまうかもしれない。
 最近になって武彦が屋敷の仕事に手を出すようになったのは屋敷から出て行った先での仕事の算段をしている可能性もある。

 魔力の気配を感じはしないので決まった魔物の相手がいるということはないだろうが、この流れは不穏だ。
 だというのにラリサはそんな武彦の様子に気付いていないようだ。

 これまでの関係がこれからもずっと続くと思っているのかもしれない。

 あの男はお前が伸ばした救援の手を無下にしたというのに。
 もう少し、違和感を察する感性があってもいいだろう。
 と、そこでふと気付いた。

 ……ああ、私は武彦の件と地続きの問題としてラリサに対しても、もどかしいという感情を抱いているのか。

 早く幸せになればいいと思っているし、そのために告白をしてしまえばいいと思っている。

 ラリサは我が妹ながら、同胞を並べてもなお器量良しだ。武彦はあの子の愛嬌のある性格まで知っているのだから断ることもなかろう。
 普段あまり意識しないながらも、何故早く関係を深めようとしないのかと、内心忸怩たるものがあったのだ。

 ……まったく、傍目で見ている私からも片方のことを考えているともう片方のことが思い浮かぶほどに密接した関係だというのに、一体何をためらうことがあるのやら。

 考えれば考える程、二人の煮え切らない関係にやきもきする。あの二人は私の心に波風を立てる天才だな。

「ルアナ様。ずっと考え込んでいらっしゃるようですが、大丈夫ですかな?」

 いつの間にかラリサの心配をし始めていた私に声をかけてきたミレイに私は言い返した。

「よく考えるようにと言ったのは君だろう」
「いや、よもやここまで真剣に考えていただけるとは露とも思わず……そういう所が好ましいですよ、ルアナ様」
「ああ、うん……そうか」
「おやおや? あまり嬉しそうではないご様子」
「私の中の“胡散臭い”という言葉はお前と結び付けられているからな」
「これはしたり! 私の生き様がルアナ様の辞書を書き換えてしまいましたか!」

 やかましい。
 とはいえ、ミレイの忠告を受け入れて考えた結果、ラリサと武彦に抱いている感情の輪郭をはっきりとさせることができた。その点ではミレイの言葉は正鵠を射ていたと言えなくもない。

「それで、ルアナ様の中にある想いは何か別の形を見せましたかな?」
「やはり私の武彦への感情は愛や恋とは別の所にあるということが確かめられただけだ」

 私は武彦に私の勝ちを認めさせたいということ、そしてラリサと武彦にはつがってもらい、二人揃って私の治世を見ていてもらいたいという思いがあることを話した。
 そして彼を私が所有していることについても、

「あの場は武彦が正しいと判断した。だから彼の勝ちを認めたが、最後に勝つのは私でなければならない。だから、あの男に認められるまで、私は彼と戦い続けている。これは武彦が認識すらしていない勝負の盤面からあの男を降ろさないための、ラリサが持てば、父様似のあの子は手放してしまうであろう故に私が持つしかない私のための彼への首輪だ。
 結論は変わらない。私は私の負けず嫌いのために彼を所有している」

 君が妄想していた通りではなくて残念だったな。と言ってやると、ミレイはあてが外れたように眉をハの字に下げた。

「負けず嫌い。そのための所有、ですか……」
「彼の自由をある程度奪ってしまっていることは認めよう。だが、その分私は私のプライドにかけて、彼に見返りをもたらす。これは誓いだ」

 それは金銭であるだろうし、立場であるかもしれない。個人的には我が最愛の妹と恋仲になることを許すというのも報酬の一つだろうとは考えている。
 母様への挨拶の際に私という味方がいることはきっと心強かろう。

「実にルアナ様らしい」

 ミレイはですが、と言葉を重ねた。

「施しを賜われるのもよろしいのですが、貴女が高貴でいるが故に果たすべき義務は、きっともう少し別のところにあるのだと私は考えます」
「別のところとは、強引にこじつけられるありもしない恋心か?」
「いえ、そうでは……ええ、そうではありません。ルアナ様」

 伝えたいことを表現する適切な言葉を見つけられない子供のように口の中で何やらモゴモゴしていたミレイは、最終的に絞り出すように言った。

「私はね、ルアナ様にも幸せになってほしいんだ……」

 外連味の消えた口調に、見つけたばかりの頃のミレイを思い出す。

 思わぬ可愛らしさを見せつけてきた友をまじまじと見つめていると、ミレイは目を逸しながら「心の底からね」と付け加え、

「不敬かな?」
「可愛らしいところが見れたので不問としよう」

 ミレイは顔を赤く染めた。
 廊下の方を見て、

「相方がそろそろ来る。劇の予定もあるので、私はそろそろ行かせてもらいましょう」

 慌ただしく教室を出て行きながら彼女は言葉を寄越す。

「ルアナ様。先程の言葉をお忘れなく! 助けが必要でしたらいつでもこのミレイめをお呼びください。全力で恩返しをさせていただきます!」

 よいと言うのに、慌ただしい奴だ。
 ずれてはいるが、悪気が無いのは明白だ。久々に可愛らしい姿が見れたとなれば、私の気分としては諸々合わせてプラス収支か。
 少し軽くなった心で荷物を持って教室を出る。

 しかし、魔物の性とはいえ、何事も色恋に絡める癖はどうにかならないものか。
 あれも恋愛脳というものなのだろうか……。

   ●

 その足で生徒会室に行った私は、急に連絡したにもかかわらず大学部の講義室を貸してくれたことへのお礼の文を認めた。

「学部長に」

 マントからコウモリを生み出して文を持たせ、日が陰りつつある空に飛んでいく使い魔を見送る。

「がんばるねー」
「いえ、無理を言ったのですから礼は尽くしておかなければ」
「皆がいる時みたいにタメ語でいいのに」
「立場をはっきりさせておきたい会議の場ではないので。ならば先輩を立てるものかと」
「りちぎ〜」

 生徒会三年のサキュバスはそう言うと、書きかけの書類を私に返した。

「意見書の形式はこれでいいよ。あとはルーちゃんのハンコをくれればダーリンに会いに行くついでに私が大学部の教務課に提出してきてあげる」
「ありがとうございます」
「いいえー、せっかくお部屋がいっぱいあるんだもの、利用しなくっちゃ」

 彼女が手にしているのは大学部の講義室を高等部の生徒が借りることができるようにする仕組みを構築しないかという意見書だ。

 部活や課外クラブが増えすぎて部屋数が足りず、さりとて異空間作るのも手続きがいる現状では解決策としてはこれが一番手軽で他所との軋轢もないだろうという考えで出したアイデアを先輩が具体的な形にまでしてくれた。

「今年は早々に顧問が監禁されるなんてイベントがあったけど、その分ルーちゃんがしっかりやってくれて助かってるよ。いやー、生徒会長になってくれるやる気まんまんの娘なんてなかなか居ないからさ。ほんと感謝感謝」

 そう言う先輩は学園一の才媛だ。特に周りとの調整能力が高く、彼女が高等部以外の学園施設と話を付けてくれるおかげで今回の申請も素早く通すことができた。

 あまり得意な分野ではないが、私も対外交渉を学ばねばな。
 判子を捺した意見書を渡すと、彼女は「ルーちゃんも早く“ケリ”つけなよ」と告げて大学部のつがいのもとへと走って行った。

 今夜も夜会がある。私としても早めに仕事と課題を片付けるつもりだった。

   ●

 課題を終わらせていると、使い魔が帰ってきた。
 マントに戻して窓を閉める。

 朱と濃紺に染まる空に魔力の充溢を感じるが、どうにも体と精神が本調子ではない。
 朝受けた言葉によって日光で弱体化した体が得た気疲れを引きずっているようだ。
 ここ数年は昼の生活に慣れて気にしなくなっていたのでこの感覚は少し懐かしい。

 こちらの世界に来たばかりの頃。常闇の国から出たことがなかった私は昼という環境で体が負うハンデと、夜になってからも違和感を引きずって本調子になれない体に苦労したものだった。
 また、私が転入したクラスには貴族の子女がおらず、加えて小等部の当時ではまだクラスに占める人間の割合が過半数を超えていた。

 それらの要因が合わさった結果として、私はクラス内で、そう、暴君として振る舞っていた。
 その振る舞い自体はヴァンパイアとしては珍しくはないものであったはずだと母の様子を見て思っていた。

 しかし、ラリサがそういうのはやめた方がいいと私に意見してきたのだ。

 普段何かを主張することがほとんどなかった妹からのこの言葉は、何かにつけてイライラしていた私の頭に血を上らせ、そして私は無抵抗なラリサを一方的にいたぶった。

 物音に気付いた武彦と本家の騎士であるデュラハンがやってきた時には癇癪で発動させた魔法の余波で部屋は滅茶苦茶になっていて、事情聴取を受けた私たちは、二人揃って武彦に尻を叩かれる羽目になった。

 二人でだ。

 部屋を破壊した主犯は私だというのに、ラリサは自分はただの被害者だと主張することもせず、逆に自分が煽ったせいで私が怒ったのだと私をかばおうとまでした。

 あの頃の私でもここまでされて強権を振りかざす程プライドは低くはなく、ラリサと共に屈辱的な折檻を受け入れた。

 同級生に対する態度の幼さの恥ずかしさ、人間の武彦にいいように叱られて下に見ていた妹に庇われた屈辱の感情は今でも鮮明に思い起こすことができる。

 あの時、部屋が破壊される音に驚いて武彦と共に飛んで来た本家の騎士が何も言わなかったということは、武彦の行動はフロレスク家の方針に適っていたということだろう。
 私の行いはそれほど目に余るものだったのだ。

 一通りの片付けが済んだ後、武彦は私と正対し、民を虐げる君主は貴婦人と呼ぶには野蛮に過ぎると口にした。そんなことでは魔物たちの理の下、私は領地を追い出されてしまうかもしれないとも。

 父様が拾ってきた犬くらいにしか考えていなかった武彦は、私と視線を合わせたまま、ゆっくりと、私の感情の波を鎮めるように諭したものだった。

 私は武彦が語る未来予想図を素直に嫌だと感じた。ならば、と彼はこれからこの異世界で領地に居ては会えない方々と交流をして、立派な貴婦人として成長してくださいと、この私に命令した。

 ……ここまでは、弁の立つ人間ではないかと思ったものだった。
 雇い主の子女相手にその立場にお前は似つかわしくないとまで言い切った彼を、遺憾ながら格好いいとまで感じてしまった。

 だというのに、彼は最後には「貴族の生き方はよく知らないんだけど」と、例の宥めるような笑みで台無しにしてくれたものだ。

 そこで力が抜けたのを覚えている。
 私から毒気が抜けたのを知ってか知らずか、武彦は片目をつぶって、

「でも、せっかく学園生活を送るのなら、そういう態度では堪能しきれないよ」

 昼が主な活動環境であるこちらの世界に馴染めていなかったせいで気が立ち、全てに対して攻撃的になっていたことの自覚はあった。ラリサに当たって魔力を放出し、武彦に毒気を抜かれて冷静になってみると、彼の発言に納得できる部分も多かった。だから私は彼の言うことに従うことにしたのだ。

 が、それはそれとして、女性の尻を叩いたのは罪だ。そうだろう?
 ならば罰を与えねばならない。

「武彦。貴様には私の所有物となる名誉をくれてやる」

 この時から、彼はフロレスク家のものではなく、私のものになったのだ。

 それ以来、私は彼を――

 強い感情を得たせいか、意識が過去から現実に引き戻された。
 窓の外では完全に陽は沈んで星が瞬いている。
 夕暮れを眺めている間に寝入ってしまっていたようで、身体能力の低下はやはり不便だ。

 ……しかしまた、随分と懐かしい夢を見たものだな。

 武彦の言う通りにしたら学園での生活は煩わしいものから楽しさを感じられるものに変わりはした。その点では彼は正しかった。だが、それでも――やはりレディーの尻を叩くというのは何度思い返してもいただけないな。

 あの男も、普段は体罰など加えそうもない面をしているくせに何故あの時に限ってあのような行動に出たのやら……。

 そんなことを考えていると生徒会資料室の方から音が聞こえた。

 ……っ。

 資料室には生徒会室にある扉を通らなければ入室できない。つまり、寝入っている私の前を何者かが通り過ぎたということだ。

 弛み過ぎだな、情けない。

 気配に対して意識を向けていると、物音を立てないよう気を遣っていたらしい気配はこちらが目覚めたことを察したらしく、消音に気を払わない様子になった。
 そうして資料室から顔を覗かせたのは師範だった。

「すまない。起こしてしまったか」
「いえ、こちらこそ、お見苦しいところを晒してしまいました」
「儂も、仕事優先で淑女の眠る部屋に踏み入った無礼を許してほしい」
「無論です」

 師範に時間がないのは無理に生徒会の顧問代理を引き受けてもらった生徒会の人間が知らないはずがない。寸暇を惜しんで仕事に費やさせている現状にこそ、私は生徒会長として詫びを入れたいところだった。
 師範が無理をして働いてしまうのならば、やはり昨日の話の通り、別の教師に仕事を振り替えてもらう方がいいだろうか。候補が居るようなら考えておくようにと仰られていたが、あてになりそうな者となると……。

 頭の中の教員名簿をめくっていると、師範が資料室から取ってきたファイルを閉じてため息をついた。

「ルアナ・フロレスク。申し訳ないが、この身一つではどうしても求められている働きに応えられない部分がある。儂のことを信任してくれるのは真にありがたいが、このままでは儂の決裁が遅いせいで君たちの時間を徒に食いつぶす事態になりかねん。昨日の話を蒸し返して悪いが、別の適任者に生徒会顧問の任を譲ることを真剣に考えている次第なのだ。どうだろう?」
「貴方が任せられるとお考えになる程の教員でしたら卑しい身分の出であろうと私に異存はありません」

 こちらとしても同じことを考えていたところだ。適任者まで見繕ってくれているのならば言うことはない。
 しかし、

「その者の名は武彦という。君の知っている、彼だ」

 師範が告げた名に、こめかみがピクっと震えたのが自覚できた。

「彼ならばフロレスクの屋敷で客分として迎えられている。馴染みやすいだろうと思い選んだ。まだ話は通していないが、ルアナが構わないというのなら話をしに行こうと考えている」
「武彦のことをご存知なのですね」
「数少ない男性教員仲間だからな。茶飲み友達というやつだ」

 そう言って師範は笑み、

「彼は生来器用な性質なのだろう、魔物だらけのこの学園でもうまく溶け込めている」
「ええ、こちらの世界から突然飛ばされた時も私たちの家にすぐに馴染んでいましたから、溶け込む能力は高いかと」
「仕事振りも儂なぞより見事なものだ。そんな彼ならば生徒会の細々とした書類仕事も儂よりもうまくこなせるだろう」

 どうだ? と問われる。

 元勇者部隊の者に高い評価をもらうとは。我が事でないにしろ、なんとも誇らしい気分になる。
 提案も、悪くない。
 下手に知らない者を紹介されるくらいならば知っている人間である彼の方が私としてはやり取りがスムーズになる。
 このまま師範の提案に乗ってしまいたくもあった。
 しかし、

「プライベートの話で恐縮なのですが、今朝、彼には屋敷の仕事の大部分を任せることにしましたので、これ以上彼の仕事を増やすことはできません」

 ラリサとの関係を進めてもらいたいのにここで彼の時間をこちらに割かせるわけにはいかない。

「そうか」
「せっかくの申し出を申し訳ありません」
「いやなに、ただの提案だ。
 ――ただ、彼も疲れが隠しきれていないようだから職場でも気心の知れた仲の者と居ることができればと思ったのだが、事情があるのなら致し方あるまい」

 ……ん?

「疲れ、ですか?」
「ああ、屋敷ではそのような様子は見せないか?」

 私には特段変わった様子は見えない。
 私の表情から答えを察したのか、師範はふむ、と呟き、

「急激にというものでもなし、毎日顔を見ていると逆に気付かないものなのかもしれんな」
「少し待ってください。それは最近の話ではないのですか?」
「いや、教師として働き始めてから少しづつ、といった具合だ。まあ、異世界の生き物に勉強を教えるとなると、疲労もするのだろう。ただ、最近はそれが行動の端々に滲み出るようになっていてな、少し心配していた」

 師範はそう言って苦笑した。

「そうですか……」

 まったく、気づかなかった。
 武彦はいつも変わらずに頼りない笑顔を浮かべている。そんな彼が疲弊していたとは……。

 向き不向きと合う仕事というのは別だ。教師の仕事は肌に合わなかったのだろうか?
 そうでなければ……私たちとの暮らしが彼を疲弊させていったのか……。
 何にせよ、我が家の家格にも関わる話だ。放置はできない。

「すまないが――」

 もう少し詳しい話を師範に聞こうとすると、生徒会室の扉が開いた。
 現れたのはラリサだった。

「師範、走り込みが終わりました。そろそろ型の練習に入りたいのですが」
「もうそんな頃合いか。では、そろそろ戻らせてもらおう」
「ええ、お疲れ様です」

 生徒会室から出ていく師範を追うことなく、ラリサは私を見ていた。

「どうしたラリサ?」

 私を鋭く睨みつけたまま、彼女はぼそりと言った。

「今朝のことなんだけど」
「武彦の善意を余計なことと切り捨てたことだろうか?」
「――っ、それもあるけど、お姉ちゃん。アンデッドになったばかりでよく物事を理解していない皆からお仕事を奪っちゃったことも! 皆戸惑ってたよ」
「朝も言ったが、あれは主の決定に背く者に対する私からの罰だ。使用人の皆には相応の賃金を払おう。もちろん、彼女らの現世復帰の道を閉ざしはしない。話は終わりか? ならば早く部活に戻るといい」

 使用人の皆に会いに行っていたのか。
 彼女らのことまで気にしてくれていたのかと思うと、少し嬉しくなる。
 口元が緩んでしまい、それを見咎めたラリサの視線が更に険しくなった。

「お姉ちゃん」

 声も厳しいものになる。

 誤解を与えてしまったか。言い訳をした方がいいだろうか。
 そんなことを考えていると、師範が戻って来て扉の陰から顔を覗かせた。

「血が上っているようで結構。ラリサ、儂もすぐに行く。先に行っておいてもらえるかな?」
「は、はい……」

 大人しく師範の言うことに従ったラリサを見送って、師範は私に苦笑を向けた。

「申し訳ありません」

 気まずく言うと、師範は「構わない」と応じた。

「だが……うん、もう少し素直になってもよいのではないかとは思うな」
「余計なことを言っていないだけです」

 今はラリサたちを追い込んだ方があの子たちのためだ。
 師範は少し考える間を空けてから「これはアドバイスなのだが」と前置きした。

「ラリサの血の気がどうも多い。大事になる前に話し合いの場を設けた方が良いかもしれん」
「ご忠告ありがとうございます。そうですね。あまり時間をかけるようなことはしません。とはいえ、今日明日中にというわけにもいかないだろうというのが正直な所です」

「そうか…………。まあ、今の時期は夜会に部活動の予算割り振りや転入生組の管理で忙しいか」
「ええ、学園のことを疎かにするわけいはまいりませんから」

 なので、私は頭を下げた。

「1月中にはなんとかしますので、しばらく愚妹のことをよろしくお願いします」
「なに、部活中は少し熱心というだけで特に問題はない。ただ、ルアナ。君もあまり根を詰めすぎないように」

 それがなかなかそうもいかない。

「この問題は私としても早く解決して欲しいことなので、少し入れ込んでしまうかもしれませんね」

 師範は複雑そうに唸り声をあげた。

「姉妹仲が良いに越したことはない、か」

 彼は頷き、

「顧問の問題については儂の方で別の適任者を探しておこう。それではな」
「お願いします」

 去っていく師範の足音を聞きながら、武彦が疲れているという話を詳しく聞きそびれてしまったと思い至る。
 やはり、あの二人には振り回されてしまうな。
 近くで振り回してくれる内が華か。
 苦い笑みが窓に写っていた。

   ●

 今夜も夜会は開かれていた。
 既に会議よりも男女交流の場としての意味を強めつつある会場で、私は昨夜と同じ会場に来たとは思えないほどに馴染めていなかった。

 その感覚は、新顔の面通しが一通り終わって知人と挨拶を交わした後、人々を踊りに誘う音楽が響き始めてからより増している。
 自分はここに居るべき者ではないと疎外感すら感じてしまうのは、皆を歓待しようという念に溢れたミレイたちの演出に私が乗り切れていないことが原因だ。 

 血を飲む気にもなれずに呆けていると、騎士甲冑に見を包んだ男に声をかけられた。

「普段も壁の花だが、今日に至っては絵の中の花だな」

 師範だった。
 彼の言葉になんと返そうかと考えていると、彼の鎧がクスクスという笑みをこぼした。

『へたくそな たとえ』
「む、そうだろうか」

 師範の体に半ば同化していたリビングアーマーの奥方様が肩からそっと顔を覗かせてきた。
 奥方様に言われたことが聞いたのか、師範は咳払いして、

「所在無げだな」
「では私を踊りの相手に誘っていただけますか?」
「いや、警備の仕事もある。それに、儂の相手はコレと決まっているのでな」
『ごめんなさいね ヴァンパイアさん』
「おあつい。私こそ、余計なことを言ってしまいました。お許しを」
「いやいや」

 師範は私を見て訊ねてきた。

「少しばかり体調が悪そうに見えるが」
「ああ、陽の光に当たり過ぎてしまったようです」
「そうか……夕方、寝入っていた件もある。無理はしないよう」

 師範は次いで何かを言おうとして、奥方様がそれを止めた。

『あなた かんがえることも だいじ』

 奥方様の言葉で、師範は何かを納得したようだった。

「そうだな。では、儂らは行くとしようか。ルアナ、良い夜を」

 師範が去ると、そちらの方角からミレイがやってきた。

 演出を賞賛する声を受けながら近づいてきた彼女は、私に視線を合わせるなり、気遣わしげに話しかけてきた。

「ルアナ様、体調があまり優れないように見受けられます。ご無理はなさらぬよう」

 ミレイはしばし迷うような素振りを見せて、

「私めが余計なことを申したからでしょうか?」
「勘違いするな。これはそういうものではない。多少陽に当たりすぎた。これから夏に向けて陽も長くなる。どうしたものかと途方に暮れていたのだ」
「さようですか」

 ミレイは安心したように口元をほころばせた。
 その顔を見てほっとする。相手の顔を曇らせてばかりだと心に悪いものだ。だとすれば、やはり今夜の私はここに居るべきではない。
 ……あまり長居しない方がいいか。
 私は早々に夜会の場を後にした。

   ●

 知り合いに次々に指摘されたこともあり、私は普段通りを取り戻すために生徒会室で軽く仮眠をとってから屋敷に帰ることにした。

 月と入れ替わりに昇ってきた太陽が屋敷の中に煩わしい光を注いでくる。
 光に照らされた室内を見ると、屋敷の掃除は行き届いていることが確認できた。
 ここで申し付けられた仕事をボイコットしないのが、彼らの度し難い所である。

 気分良くもう少し寝直そうかと考えていると、どこかの部屋の扉が開く音がした。
 あの音の位置は……。と考えていると、廊下に出てきた足音の主が声をかけてきた。

「ルアナお嬢様、お早うございます」
「武彦、早いな」

 衣服も既に寝衣ではなくなっている。私の帰宅の音で目覚めたというわけでもないのだろう。

「ええ、お屋敷を整えなければなりませんので」
「殊勝な心がけだ」
「ありがとうございます」

 その目の奥から彼の感情を読み取ろうとするが、特に強い感情のようなものは見えなかった。
 てっきり理不尽に仕事を押し付けられて怒っているものかと思っていたのだが、どうにもそのような感情は読み取れない。それどころか、表情が緩んでやしないか?

 普段からどこか緩んだような表情の男ではあるのではっきりとしたことは言えないが、この状況を楽しんでいるような雰囲気すらある。

 被虐趣味の男だったろうか? ――いや、もしかしたらラリサと居ることができるという状況にこそ楽しみを感じているのかもしれないな。もしそうなら、私の狙い通りとなるわけだが。

「やる気があるのは結構なことだ。これからも励むように」
「はい、ルアナお嬢様」

 そう応じる彼の顔には一点の曇りもない。だが、師範は頼りない笑みで全てを受け流すこの男が時間をかけて少しずつ疲れていくように見えているという。元々人間たちの希望であった者の言葉だ。気のせい、と流すにはいささか重い。

「では、僕は朝のお勤めに行ってきます」
「……待て」

 引き止めた声に振り向いた武彦に、なんと問うたものかと数瞬考える。不自然ではない程度で沈黙を切り、とにかく言葉をかけてみた。

「教師の仕事はどうだ?」
「えっと、どう、とは?」

 困惑気味の返答にうむ、と返す。

「いやな。才はあっても肌に合わないということもあろうと思ってな。少々疲れの気配も見え隠れしているようでもある。残念ではあるが、もし今の仕事が合わないと感じるのならば……」

 別の職を考えてもいいし、屋敷の執事に落ち着くというのもありだろうかと考えていると、険しい声が飛んできた。

「お姉ちゃん!」
「ラリサお嬢様?」

 武彦の驚いた声。私も内心同様だった。

 ここまで接近されるまで彼女が起き出していることに気付くことができなかった。

 師範の道場に通うようになってからというもの、壊れるのではないかという勢いで扉を開ける音やドラゴンのような堂々たる足音といった、ガサツな部分が急速に直っている。あの方はそういう所も含めてラリサに教育してくれているのだろう。ありがたい話だ。

 ラリサもラリサで剣道を始めてからそう時間は経っていないにもかかわらずこの成長具合だ。よほど熱心に稽古に励んでいるのだろう。

「お姉ちゃん! また武兄ィにいじわるなこと言って……っ」

 ラリサは険しい口調と表情でそう私に詰め寄ってきた。

 ……何?

 一方で私は妹の剣幕に多少戸惑っていた。
 特に彼に対して厳しく当たっているつもりはなかったのだが、そのように聞こえて……しまったのだろう。うまく伝えたいことを伝えられないというのは私に備わった不備のような気がする。
 もう少し直截に訊ねてみるべきだったろうか。

「いや、ラリサちゃん。僕たちはただ朝の挨拶をしていただけなんだよ」

 武彦が取りなそうとしている。やはり私の意図は伝わりきっていないようだ。

「武兄ィ、お姉ちゃんに言わされてるんじゃない?」

 昨日に続いて好きな人を貶められたと思っているらしいラリサは武彦の言葉に聞く耳を持たない。
 こうなってしまえばもはや会話にはなるまい。

 武彦に頷きを送ってもうよいと示す。
 ラリサももう寝衣から着替えて体操服姿だ。二人の間でどのような決定がなされたかは知らないが、早朝から仕事に励むことにしたのだろう。
 ならばせっかくの二人の時間をこれ以上邪魔する無粋もない。

「元気なものだな。その意気で屋敷が荒れぬように尽くしてくれ」

 背を向けると武彦が声をかけてきた。

「ルアナお嬢様、どちらへ?」
「学園に行ってくる。片付けておきたい仕事があるのでな」

 無言のラリサの視線を受けながらその場を去って厨房に寄る。
 いつも輸血パックが入っている冷蔵庫を開けると……ない。

 元々この屋敷で血を摂取する者は私だけだった。できるだけ新しい血を飲めるようにするようにと申し付けて管理を任せている使用人にも昨日暇を与えてしまったため、新しい血が入ってきていないようだ。
 本当に新しい血しか私に提供していなかったということか。
 輸血パックの血は直接吸うのに比べたらどうしても古く、不純物も混じっている。そのため味の判別はできていなかったのだが……よい仕事をしてくれていたのに気づかなかったのは私の不徳だ。あの者には労いの一つでもしておきたい。

 ……しかし、昨日私が飲まなかった型の血も処分されていたとは……まいった。

 現在ラリサは私の物には触るのも嫌という心持ちであろうから、冷蔵庫の古くなった血を処分したのはおそらく武彦だろう。
 次の血の搬入を確認しなかったということか。

 その点についてつついてやるのも一興だろうかと考えかけ、流石にそれは品がないと考えを改める。

 とにかく、ないものは仕方がない。
 今から黄泉返り者の身元預かりを引き受けている関係で懇意にしている病院に出向いてもよいが、そこまで飢えているわけでもなし、いきなり行って先方に迷惑をかけるのも申し訳ない。

 事前に連絡を入れて放課後にでも取りに行けばいいし、うまく師範に会えれば上層部に掛け合ってもらって夜会用の血を分けてもらうのもよい。

 そうと決まれば今は仕事を片付ける方を優先しよう。
 まだヴァンパイアとしての力を存分に使える間にと、私は急ぎ屋敷を飛び立った。

   ●

 授業を受けながら周囲に意識を向ける。
 昨日のように私に注目してくる者はもう居ない。
 ようやく私は張り詰めていた緊張の糸を緩めて一息つくことができた。
 朝からずっと周囲を刺激しないように気を遣っていたかいがあったというものだ。

 朝は皆、昨日のことを思ってか、私に対して遠慮するような抑圧されたような静けさが教室を包んでいたが、三限の休み時間になるころには私がいつもの調子に戻ったようだと分かったようで、教室も普段の空気に満ちていた。

 よし、これでいい。

 そんな空気に満足していた昼食時。昨日のようにミレイが私の席にやってきた。
 彼女はクラスの視線をはばかるようにゆっくりと、まるで亡霊のようにやってきて、そっと尋ねた。

「ルアナ様。お加減はいかがですか?」
「この通り、何の問題もない。昨夜は心配をかけたな」
「いいえ。復調されたのですな、喜ばしい!」

 ミレイはそう言うとそっと顔を寄せてきた。

「ところで、本日も生徒会室でお昼などいかがでしょうか?」

 昨夜心配をかけた件もあるので断りづらいが、これが癖になっても良くはない。「申し訳ないが」と断りを入れようとした所、ミレイが言葉を重ねてきた。

「どうか、お願いします」
「……」

 どうやら生徒会室を便利に使おうという魂胆ではないようだ。
 少し迷うふりをして、私は頷いた。

「まあ、昨夜も良い仕事をしてくれたようであるし、食事の場くらいは提供しよう」

 連れ立って無人の生徒会室に着き、ミレイが弁当を広げるのを眺めながら言ってやる。

「まったく、つがい持ちの者たちのように食事はパートナーと摂ったらどうなんだ?」
「彼はお昼の時間を脚本や演出について考える時間に充てているのです。彼の創作活動を邪魔してはならないと私は考え、お昼どきはネタ探しも兼ねて学内をさまよっているわけです」
「ネタ探しが昂じて騒ぎを起こすのは勘弁してくれよ」
「いやまったく手厳しい!」

 ミレイを一瞥して、私は会長の席に着き放課後に専門の者に知恵を借りたい案件のまとめをしようとする。

「おや、ルアナ様は飲まれないので?」
「使用人たちに暇を出したために屋敷の血の補充が滞ってしまってな。昨夜から何も口にしていないのだ」

 ミレイの表情が変わった。

「大丈夫なので? 倒れてしまわれる前に一言いってくださいよ?」

 一日や二日血が不足したくらいで死にはしない。夜には新たな血を手に入れるつもりでいることだしな。

「と、なりますと。まさかついに誰かの生き血をすすることに決めたのですか?」
「伝手のある病院から輸血パックをいただくだけだ」
「なんと……っ、残念ですな」

 本当に残念そうに言い、ミレイはふと問いかけてくる。

「ラリサ様とはその後仲直りしましたか?」
「ああ……今朝、武彦に説教していた所を見つかってしまってな。また嫌われたやもしれん」

 ミレイが目に見えて呆れた顔になる。うむ、突っ込みたい気持ちも分からないではないが、私としてはこれはこれで意味があると考えてもいるのだ。

「これで二人が共にいる時間も必然増えるというもの。二人がつがうまであと少しと考えてよいのではないかな」

 その言葉を聞いて、ミレイは問いかけてきた。

「ルアナ様はそれに耐えられるのですか?」
「そうだな……」

 二人がつがう日が近いにしても、今日明日ということはないだろう。二人がいつまでも手をこまねいているようなら私からまた手を出して二人が近づくように仕向けていくつもりだが……師範に言ったように、やはり一月ほどは時間を見た方がいいだろうか。

 その間使用人が居ないとなると……うむ。

「生活を回せないというわけではないだろうが、私よりもその周りに影響が出るな」

 暇が長く続けば使用人たちも生活に不安を覚えるであろうし、彼女らを紹介する先がそのような状態では病院や墓地も困ってしまうだろう。……この差配は少し考え無しだったか。

「何人か使用人を戻しておく――いや、ローテーションを組んで皆が仕事に関われるようにしておくべきか」
「私が申したのはそういうことではないのです、ルアナ様」

 ミレイは首を振って昔の口調で言う。

「ルアナ様、見ない振りをしても、そこにあるものは、あるんだよ」
「またそれか。昨日武彦所有しているのは恋愛感情とは無縁の理由からだと答えたはずだが、またありもしないものを掘り出そうとするのか?」
「そうだよ――っと、失敬」

 咳払いをして、彼女は続けた。

「よく掘り返してみてほしいな。何度でも何回でも。心の底にたどり着くまで。まだ時間はあるのだから」

 ミレイはそう言うと勢い良く昼食を平らげ、席を立った。

「意味深なことを言って去っていくものだな」
「それが持ち味ですので。
 ……それで、もし私めの手を欲するような事態になりましたら、そのときはいつでも声をおかけください」

 そう言い置いて、ミレイは生徒会室から出て行った。
 慕われているのだろう。ありがたいことだが、心配性だな。

 ミレイとしてはまだ私に恋だの何だのと言いたいのだろうが、ラリサが好きになった男を私が好きになるなどと、そんなことがあるはずがないだろうに。
 考え続けていると頭が痛くなりそうだ。
 私はため息をついて資料に集中した。

   ●

 放課後に私は生徒会室で先日決定した予算に対する各部活からの意見書を赤殿と確認していた。
 部活動の予算決定についてはここからが正念場だ。

 それぞれの部活動からの意見を確認し、それを生徒会内で会議にかけて話し合い、相手方の主張が妥当だと判断されたら改めて予算を決定し直すというのが今後の流れになる。

 今はその流れの準備段階として、生徒会内での会議に向けて要点をまとめているところだ。
 やらなくても明日の会議自体は差し支えないが、やっておいた方が生徒会仲間がつがう人間と会う時間が増える。

 そのために赤殿には時間を割いてもらっているのだが、

「かまへんかまへん。その分ウチも良い目見せてもらうさかい」

 と言っているので安心感がある。
 彼女に関してはお願いに対して相応の礼で応じればいい。楽に頼み事をしやすくもあるということもあって、世話になることも多い。

「大学部民俗学棟地下にあるエロ拷問体験コーナーの使用予約をチョチョイと入れてくれさえすればええねん」
「……ほどほどにな?」
「たまにはお代官様を手玉に取ろうとして逆転されてまうプレイもおつやろ。
 マンネリは回避せなな!」

 呵々大笑する彼女は女将の風格だ。
 ともあれ、各部活の意見が正当かどうかなどを形部狸である赤殿の視点でアドバイスしてもらい――

「ま、こんなもんやろ」

 彼女は私が意見を求めた分の書類の束を整えながら首を回した。

「助かった」
「ええねんええねん。ルアナさんには世話になっとるしな」

 そう言うと、彼女は私に書類を渡した。

「ほな、ウチはそろそろ帰らせてもらうわ」
「私は確認をしてから帰るので、先に帰っていてくれ」

 頷いた赤殿は、ふと思い出したように「しっかし、あれやなぁ」と呟いた。

「連日の夜会で疲れてるんかな? ルアナさん、景気の悪そうな顔しとるで?」

 景気の悪い顔とはどういう顔だろうか? なれない表現に思わず顔を撫でてしまう。
 何にせよ、あまりポジティブではない表現であるということは分かる。
 今日一日気を張っていたが、仕事に片がついて気が抜けてしまっていたらしい。
 傍から見て、まだ私は普段よりもネガティブな状態に見えるようだ。

「目端が利くな」
「おおきに。ヴァンパイアは今頃が一番気ぃ抜ける時間帯やしな、ウチでも違和感に気付けたんよ」

 そして彼女はにししと笑うと、懐から丸薬を取り出した。

「これな、ものごっつ元気になる薬やねん! この薬を今ならなんと同級生特価価格の――」
「遠慮しておこう」

 名状しがたい色の丸薬から本能的に顔を離しながら答えると、赤殿は商魂逞しく食い下がってきた。

「お安くしとくのに」
「薬はいらん。私は血で間に合っている」
「いけずやなぁ」
「つがいが待っているのだろう? 早く帰るといい」
「はいなー。じゃあエロ拷問体験コーナーの予約しといてな」
「引き受けた」
「……いろいろと元気になる薬やねんけど、ほんまにいらん?」
「いらん」

   ●

 赤殿を送り出して資料の確認を終え、窓に目をやると空にはまだ朱の色が残っていた。
 忌々しくも陽が落ちるのは順調に遅くなっている。

 が、力は戻ってきつつある。もう少しで日没だ。病院まで血を受け取りに飛んでいくこともできるだろう。
 そろそろ帰り支度でもしようかと立ち上がると、息苦しさを感じた。
 座り直して深呼吸をし、体を落ち着ける。
 どうやら、思っていたよりも私は疲れているようだ。

 屋敷で寝そびれてしまっていたし、血も補給できていない。学園でも一日気を張っていた。力を失った今の体ではまた寝入ってしまうのではないかというほど体が重く、飢えている。

 血液を摂取して精を得れば体力も回復するだろう。
 早く血を調達しなければ。
 病院には連絡を入れてある。後は取りに行くだけだ。
 手早く帰り支度をしていると、扉がノックされた。

 ……誰だ?

 今日は生徒会の仕事はない。何の用事もなく来るには面白みの無い部屋なのだが……。いや、この時間に来るとしたら師範か?
 昨日もそうだった。彼には忙しくさせている。代わりの顧問についても早急に決めなければ。

「どうぞ」

 入室を促す。入ってきた者の姿に私は瞠目した。

 入ってきたのはラリサだった。

 今の彼女の心情的に、用事もなく私の前い現れるということはまずありえない。何かしらの、それも私相手でなければならない類の用事があるのだろうが、不可解なことにラリサは一言も発さない。

「どうした、何か用か?」

 後ろ手で扉を閉めたラリサは無言のまま、私を見てきた。

 空気の動きが止まる。

 ラリサの視線は朝ほどキツくはない。口論になることはないだろうか……。

 そう考えていると、彼女が口を開いた。

「お姉ちゃんが分からずやだから悪いんだよ」

 どうやら私の希望は外れてしまったようだ。

 自業自得ではあるが、今は勘弁してほしい。
 何を言おうと私の考えは変わらない。そう言おうとすると、ラリサの体が低く沈んだ。
 何かを思う間もなく、彼女は急速に距離を詰めてくる。
 目で動きを追うことはできている。だが、体の動きがどうしようもなく鈍い。

 ……まずいっ。

 奇襲のような真似をして、ラリサが私に何かをするつもりなのは確かだ。だが、一連の動きにどうも敵意が感じられない。

 行動と気配の乖離に戸惑い、余計に体の動きを悪くする。
 それでもなんとか突進してくるラリサの直線位置から身をよじろうとし――機敏に追いすがってきたラリサに組み付かれてしまった。

「……っく」

 床に押し倒され、衝撃で息が詰まる。

「お姉ちゃんが悪いんだからね」

 随分と嫌われたものだなと思った時、むわっとした臭いが鼻孔に侵入してきた。
 この臭いは知っている。母様にこの臭いがした時は特に気をつけるようにと躾けられた。

「分かる? お姉ちゃん。これ、ニンニクだよ」

 体をよじってなんとかラリサの下から抜けようとするが、ラリサを払いのけられない。

「師範にいろいろ教わったから」

 なんらかの拘束術か。
 魔力を使わないそれに、完全にはめられるまで気付くことができなかった。
 単純な力は今はラリサの方が強い。抜けることは難し、い……ぁ。

 思考が急速に形をなさなくなってきた。ニンニクのせいだ。
 足掻く気力を刈り取られた私の視界の中、ラリサの顔が迫り、口に柔らかい感触が触れた。

「――?!」

 妹の潤んだ瞳が視界一杯に広がる。
 口にぬめった舌が差し込まれた。

 舌を噛んででも退けなければと柔らかい肉に牙を突き立てかけ、瞬間。口の中に生暖かい臭気の塊が流れ込んできた。

 ニンニクが流し込まれたのだ。
 これまで見ることすら避けていた物を口に流し込まれた。

 まずい ……まず、い? 臭いはすごい、でも、まずくない?
 いや、臭いや味よりも――

 あ、つ、い……。

 私の口の中をラリサの舌が動き回ってニンニクを刷り込んできて、そのたびにまとめあげようとする考えが解けてばらばらになる。

 口の中に満ちるニンニクに耐えられなくなって私の喉がそれを飲み込んでしまう。

 ようやくラリサが口を離した。
 体に乗っている彼女を落とそうという考えにもなれない。ただ涙が伝う妹の顔を見上げていると、彼女はぽつりと呟いた。

「これで素直になればいいんだよ」

 耳が拾った言葉の意味を理解できないままの私を置いて、ラリサは生徒会室から走って出て行った。

 私は声をかけることも追うこともとてもできず、なんとか半身だけ起こした。
 耳鳴りがする。
 体にニンニクが回るにつれて世界が閉じていくように感じる。

 内側の熱を我慢できなくなっていく。

「っは、あ、は……っ! ぁ……んっ!」

 熱を吐き出そうとすると息が荒くなって変な声が出る。

 だめ、考え、まとまらない!

 このままここに居続けちゃいけない。体を床に押し付けて資料室の方へ這って行く。
 耳鳴りの間に鍵がかかる音を耳にする。
 廊下から直接入ることができない作りになっている資料室に入ったせいか、辛うじて魔力をまとめていた集中力も切れた。

 マントが霧散して羽に戻る。

 ……あ、つい。

 体の異常を解決するために上着を脱ぐが、それでも熱さは変わらない。どころか、上着がなくなって肌が空気に晒されたことによって熱さは更に上っていくようだった。

 これは、そういう類の熱。
 ラリサ、何のつもりで……。

 回らない頭で行動の意図を見出そうと妹のことを考えて、思考が武彦に繋がった。

「――――っ」

 その途端に頭の中が彼に浸食されていき、同時、体を苛む熱が強くなった。 

「――――っ、ん……」

 熱と頭の中の武彦を遠ざけたい一心で身を捩ると、ぐちゅっという音が下半身から伝わってきた。

 濡れた陰部からのものだった。

 ニンニクを盛られてから身中で湧き出した淫水は、彼のことに思考が行き着いてからその量を一気に増やしていた。

「なん、で……武彦の……っあ!」

 這って緩んだ下着に勃った乳首がこすれる。
 体が物理的な刺激を明確に受けたことによって、私の体のスイッチが入ったようだった。
 もっともっと、とこれまで使うことのなかったからだの部位が狂おしいほどに疼きだす。

「っく、……うっ」

 本能が求めるままに私の手は熱い粘液の源泉に伸びていった。

 私はこの六年、自慰をほとんどしていない。
 故郷では吸血で熱くなった体を慰めることもあったが、こちらに来てからは輸血パックという代物があったし、食べ物にも気を付け、真水には触れないよう結界を張ってきた。

 体が疼く夜でも、少し体をいじるたびに身近な男である武彦のことが浮かんで癪な気分と、ラリサに悪いという考えから満足に達せたことがない。

 だが、今はそんなことを考える余地が私の中から溶かされていた。
 頭を満たしていく頼りない男の笑顔を刻みつけるように、淫水の源泉がある辺りをショーツ越しに捏ね回し、ショーツに汚れを広げていった。

「――っ! ぁ、っ!」

 指が淫水の温度で暖かくふやけていくのを感じながら、私はより強い刺激を求めて強く強く指を押し当てる。

「――ッ」

 ショーツに淫水が絞り出される音を上げさせながら、ショーツが最も厚く保護している部分をぐりぐりと押し込んだ。

「っあ、ああ……!」

 快感に追い立てられるままに私は私を責めていき。

「――――んんッ」

 果てが見えた瞬間に脚を閉ざして手を固定した。
 それは自慰を止めようという理性の発露ではなく、より強く快楽の源泉を押し込もうとする本能の露呈。

 既に温まっていた私の体は即座に沸騰した。

「――っあ、っあ! ……っくぅ!」

 抱え込むように丸めた体が痙攣する。
 ブジュっと音がした。閉じた脚の間から、辛うじて秘め事を隠していたスカートの外に淫水が噴出する。

 脚の震えが収まるまで快感の波濤を受け続けた私は、喘鳴のような呼吸で息を整えようとしながら脚をゆるりと開いた。

 太ももまで淫水で濡れた脚に口が言葉を紡ぐ。

「こんな、私、が……」

 沸点を超えて達することができたおかげか、解けた意識が僅かに戻った。

 が、そのせいで体がまだ満足していないことを理解する。淫水はまだ止まらず、体の芯がもっと快楽が欲しいといって聞かない。

 これ以上どうしろという……。

 冷めない欲求にどう対処したものかと思っていると、手がショーツを勝手につかんでいた。
 体が幼い頃からの自慰の仕方ではだめだと訴えているようだった。

 ……だめ。

 もっとだ。もっと内側から疼きを鎮めなければいつまでたっても収まらない。
 肉体からの要請に対してどろどろの理性は二つ返事で行動を許可する。

 もっと、もっと涼しく……!

 どこかでこんなことはだめだという声が聞こえる気がするが、手はショーツをスカートごとするりと下ろしていた。

 夕闇の空気が肌に触れて開放感に体がぶるっと震え、淫水がトロリとあふれる。

「……ん、ぅあ、も、う……っ」

 もう一回。
 私は指を陰部に直接潜り込ませ、もう片方の手で胸を握った。

「――――あッ……ッ!」

 ショーツ越しを上回る快感が熱を高める。この熱の果てにこそ体は鎮まるはずだった。

 膣に指を挿れるのは初めてだったのに、とろけた肉は構わず指を飲み込んだ。

 まだ入る。

 そうぼんやりと思うともう一本の指が膣に差し込まれた。

「んぅっ!」

 肉がきゅっと締まる。その抵抗を崩壊させるように、私は淫水を掻き出すように膣内をかき回した。

「――っ!」

 掌で乳首同様に膨らんだ陰核を捏ねると、先程達した位置へと一気に快感が沸騰した。

「――っふぅ……っま、あ……!」

 が、まだ達しない。

 体がもっと快楽を寄越せとごねている。
 快楽のあまり息が苦しくなる。もっと熱を吐き出せないかと乳房を搾るが乳は出てこない。

「は、はゃく、……! ……ッ」

 もはや正気に戻りたいのか、強い快楽を求めているのか分からないままに膣をほじくりかえす。

「――ッ――ぃッ――ッ!」

 息が荒れ、その苦しさに胸を搾っていた手の力が強くなり、ねじれに乳首がまきこまれた。

「ひっ?! く、ぅぅぅ――――ッ!」

 胸が灼けたような感覚に反射的に背が反れる。

 反動で突き出されるようになった下腹部内で、膣をかき回していた指が無意識に刺激するのを避けていたクリトリスの裏側を引っ掻いた。

「ん"んッ、んんんんんん―――――ッ!」

 身体が跳ねるような快感が全身を襲った。
 快感に突き上げられている私が認識できていないだけで、実際に身体が跳ねているのだろう。ぱちゃぱちゃと尻が液体を踏む音がする。

「ァ……っ、は……っ」

 やっと快感から降りてきて私は床に身体を倒した。天井を見上げると、既に朱の色は無い。
 どのくらいの時間快感を求めていたのかと思いながら、私の掌は陰部をさすっていた。

 脱力した体にゆっくりとした快感が打ち寄せる。

「……ん……は……あ……!」

 あれほどの快感を爆発させても私の体はまだイキ足りないと悶えていた。

 まだ足りない。

 これだけ気持ちよくて、なぜだめなのか。
 もしかしたらこのまま快楽を求めることがやめられなくなるのではないかと心のどこかが不安を抱く。

 こんな状態で武彦の前に出たら、私は……。
 私は……なんなのだ?

 ああ、考えがまとまらない。

 この淫らな欲求が鎮まるにはニンニクが排出されなければだめなのではないか?
 そうだ。疼きを鎮めるついでに体中から淫液を掻き出してやろう

 とろけた本能優先の頭が思いつきを実行に移そうとする。
 陰部全体を撫でていた手を、膣の中にまた突っ込む。

「――あっ」

 甲高い声が零れる。

 虚しく月に照らされた天井を見上げて体をかき回していると、生徒会室から声がした。

「ルアナお嬢様! 大丈夫ですか?!」

 武彦の声だった。

 その声は聞こえている。なのにとろけた頭がその意味と現状を正確に理解することを妨げる。
 体をかき回す行為は止められないどころか、むしろ熱心になっていた。

 この声のせいだ。

 武彦……武彦っ!

 数年来同じ屋根の下で暮らしている彼の姿が思い浮かぶ。

 とろけ解ける思考の中で、彼の姿だけがはっきりとした像を結び、声が湿った、これまでとは違う種類のものになるのが分かった。

「――お嬢様! 入ります!」

 焦ったような武彦の声。

 反射的にだめ、と思い、同時にどうぞとも思う。
 鍵をかけた扉が異音を立てる。力づくで破ろうとしているようだ。

「ぁ、だ……めぇッ」

 もう果ててしまう。

 密室が開かれようとしている事実に半身を起こすが、それでも手指の動きは止まらず淫らな水音が扉の決壊音と和音を刻み――扉が蹴破られた。

「え? ……あ?」

 強引に体を室内に侵入させた武彦の表情が焦りからぽかんとしたものに変わるのを目にしながら、

「――――いゃッ、――ぁ、……ッ! ……ッ!」

 私は彼の目の前ではしたなく果てた。
17/11/08 17:08更新 / コン
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■作者メッセージ
花も恥じらう乙女の痴態を目撃した唐変木。
ここから事態はどうなってしまうのか?!
ドロエログチャグチャなのか?! そうだな!? どうなんだ?!
そんな感じで乞うご期待!

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