読切小説
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アルキノコ・ダキツキノコ
薄暗い森の中を、仮面で顔を隠した男が歩いていた。

「...異常なし、と...」

長い間歩き続けたその男は、誰に言うわけでもなく小さな声でそう呟いた。
どんな表情で呟いた言葉なのかは、まるで鳥のくちばしのように口元が伸びた仮面のおかげでまったく読み取れなかった。
顔全体を覆うその黒い仮面は、出会った相手が腰を抜かしかねない代物だった。
歩みを止め腰にぶら下げた小物入れから折り畳まれた紙を取り出す。
男は紙を広げると、現れたのは男の現在地である森の地図だった。
その地図に印をつけた男は、顔を上げて木の枝の隙間からかろうじて確認できる空を見つめた。

「......」

空を見つめながら、男は何故自分がここに来ることになったのかを思い出す。





「...歩くマタンゴ?」

男は耳を疑った。
男の友人が話した内容は、男が知るとある魔物の特徴からはとてもはかけ離れた内容だった。
マタンゴとは一言で言えばきのこの魔物、根を張った場所からは動かずに胞子によって夫となる男を呼び寄せる。
男は自身の知るマタンゴという魔物について簡潔に述べた。

「俺が記憶してるマタンゴの特徴はこうだ...で、もう一度聞くが...その目撃されたマタンゴはいったいどんなやつだった?」

男の友人は自身が聞いた目撃者の話を繰り返す。
そのマタンゴを目撃した男の話はこうだった。
朝早くに近所にある森を散歩することを日課にしていた男は、森の中で何やら遠くに怪しい物体があることに気づいた。
茂みに身を隠しながらそれを観察していると、それは大きなきのこであることが分かった。
男は恐怖した。
あれだけの大きさのきのこは見たことがない、ならば魔物である可能性が極めて高い。
きのこの魔物といえばあのマタンゴ、となればこの距離ではすぐに胞子の餌食となってしまう。
男が急いでその場を離れようとした。
しかし、次の瞬間男は驚愕した。
まるで眠っているかのように微かに蠢いていたそのきのこは一瞬の硬直の後、その場から走り去ってしまったのだ。
その後、男はあまりの出来事に暫く寝込んだらしい。
話を聞き終わると男は口を開いた。

「歩くどころか走るマタンゴか...それが本当なら大発見だ」

男の言葉を聞いていた友人は首を激しく横に振る。

「落ち着け、お前が言いたいことは分かる...あのマタンゴが走り回るとなれば、それは間違いなく脅威だ...人間にとってのな...いや、未婚の魔物にとってもだな」

今度は首を縦に小さく振ると、男の友人はある物を取り出して男に渡す。
男はそれをまじまじと眺め、やがて観念したように軽く首を振りると、それを顔につけた。

「ある程度までなら胞子を吸わずに済む...その程度が分からない以上、長い時間をかけるわけにもいかないな」

仮面越しに友人と目を合わせると、男は友人の肩に手を置いた。

「報酬につられてお前が断った仕事を引き受けてみれば、危険な魔物の生態調査...まあ、何とかなるさ」





「これ以上深くとなると、俺1人では難しいな...」

森の中心部となる目撃者の男や他の人間ですら近寄らない最深部を除いて、件の森の探索をあらかた終えた男は木に寄り掛かりながら今後について考える。

「そういや...野性動物の姿は確認できたが、魔物の姿を無かったな...」

探索中、男は魔物と遭遇することは無かった。
そこに以前まで魔物がいたであろう痕跡の残った箇所はいくつかあったが、そのどれもがもぬけの殻だった。

「旦那と一緒に都市部に移り住んだか、逃げた男を追いかけたか...あの人がのんびりと散歩できる理由がこれってわけか...なるほど、確かに魔物がいないなら何事もなく歩けるだろうな」

それだけに男は驚いた。
長い間姿の見えなかった魔物の存在に恐怖したのだ。

「しかし...」

男は仮面のせいで感じる微かな息苦しさを無視して続けた。

「本格的に探索するなら、もう正規の調査隊に頼むべきだろうな...多少金はかかるだろうが、俺みたいな素人よりは確実だ...にしても、いくら安いからって胡散臭い何でも屋まがいのあいつに仕事を持ち込む人間がいるとはな...まあ、たまに手伝ってる俺も同類か...」

友人に報告すべき内容を頭でまとめながら、男は森から抜ける為に歩き出そうとしたその時だった。
足を一歩踏み出したところで男は異変に気づいた。

「なんだ...この音は?」

ぱたぱたと何かがせわしなく走り回るような音が男の耳に届いた。
森の暗がりから聞こえてくるその音の正体を確かめるべく、男は近場の木に登り身を隠した。

「まさか...本当に歩くマタンゴが...?」

仮面の口元に手を当てながら、息を殺して音の主が姿を現すのを待つ。
次第に大きくなる音に男は冷や汗をかく。
やがてそれは姿を現した。

「...いない...」

男の真下で大きなきのこがせわしなく木の周りをぱたぱたと駆けながら何かを探している。

(な、なんだ本当に...こいつは、マタンゴなのか...?見た目はマタンゴと同じきのこのそれだが...マタンゴより柔らかそうだな、弾力肌というか...くそ、かさのせいで顔が見えない...まあ、だからといって上なんか見られたら困るんだが...)

現れたその魔物に気づかれないように男は観察を続ける。

「...気のせいだった...」

木の周りを何周かした後、その魔物は来た道とは別方向へと駆けていった。

「......行ったみたいだな」

魔物が駆けていった方向を見ながら男は呟く。

「あれはマタンゴなんかじゃない...おそらくマタンゴとは違う別の魔物...まったく、とんだ大発見だ...!」

男は身を隠していた木から飛び降りた。

『パキィッ!』

「...ゆっくり降りるべきだったな」

何かが折れる乾いた音が着地した男の足から響いた。
一瞬の静寂の後、男の耳に先程まで聞いていた足音が再び聞こえてきた。
男は音の近づく方向とは真逆の方向に走り出す。

「幸い距離はある、ならこのまま逃げるしかないな...!」





「ねえまって...ねえったら」

「はぁ...はぁ...に、人間と魔物の...はぁ...身体能力の差を考えるべきっ...だった....っ!」

走り始めてからどれくらいの時間が経過したのか。
そんなことを考える余裕すら男からは消えかかっていた。
走り始めて暫くすると、その魔物は男の遥か後方に姿を現した。
走りながら姿を確認した男は、やはり自分の知るマタンゴではないと再確認した。
思考の読めないぼんやりとした表情とは裏腹に狙いを定め激しく駆けてくるその異様な姿に、男は改めて恐怖を覚えた。

「精を...搾られるだけで、済むだろうか...!」

そんなことを考えていると、突然男の視界が反転した。

「!?...ッ!」

どうやら転んだようだ、そう判断した男は衝撃に備える。
つまずいて勢い良く転がる男はよろけながら何とか立ち上がると、近づいてくる魔物に目線を向ける。

「だいじょうぶ...?」

男を心配するような声色で話しながら、魔物は男に向かってぱたぱたと駆けてくる。

「はぁ...まったく、疲れ知らずかこの娘は...それとも思考が単純なのか...」

そこまで呟いて男は思いつく。

「...一か八か、試してみるか...なるべくケガのないように...」

男は周囲に視線を走らせ木の葉が山になっている部分を発見すると、それを背にして魔物を見据えて腕を広げる。
立ち止まり腕を広げる男を見た魔物は、目を光らせて走る速度を上げた。

「...準備万端...?なら遠慮はなし、受け止めて...」

やがて男まであと数歩というところまできた魔物は、男に抱きつく為に大きく飛躍し飛び掛かった。

「...すまん、許せ」

「あれ...?」

一直線で男めがけて飛び込んできた魔物を、男は紙一重でかわして後ろへと受け流した。
木の葉の山が弾む音を確認し、男は再び走り出す為に乱れた呼吸を整えようとした。

「すぅ....はぁッ!?」

「もう...恥ずかしがる必要なんて、ない...かわいい...♥」

背中に何かがぶつかる衝撃を感じながら、男は前のめりになる身体を何とか支える。
確認するまでもなく、魔物が飛びついてきたのだと男は理解した。
男は咄嗟に魔物の腕を引き剥がし、その腕の届く範囲から逃れるべく前に転がる。
体勢を整え魔物へと向き直った直後、魔物が再び男へと抱きついてきた。
首に腕を回される寸前、その腕を掴み今度は後ろへと転がる要領で魔物を茂みへと投げ込む。

「はあ、はあ...!?」

「受け止めて...」

投げ込んだのとほぼ同時にまるで跳ねるかのように茂みから飛び出し、再び飛び掛かってきた魔物を男はぎりぎりで避ける。
男が避けた為に空振り、抱きつき損ねた魔物は地面に転がる。
しかし、次の瞬間には立ち上がり男と向き合っていた。

「ちょ、ちょっと待て...なんなんだ、君はいったい...抱きつキノコかなんかか?...いや、何でもない...今のは忘れてくれ」

「?...自己紹介がまだ...いけないいけない...キュウ、マイコニドのキュウ...これから末永くよろしくお願い...します」

「あ、ご丁寧にどうも...俺はクハっていう者で...違う、そうじゃない...」

お辞儀をするキュウに思わず頭を下げて自己紹介をしたクハだったが、すぐに首を振ってキュウを問い詰める。

「君はマタンゴとは違うのか?君は...きのこだよな、どこから見ても...」

「マタンゴ属ではある...でも、マタンゴじゃない...」

「そうなのか、しかしマイコニドか...知らなかったな...」

「これからもっと...知ることになる」

そう言いながらもキュウは忙しなくクハの周りを走り回っていた。

(落ち着きのないように見えて、俺を逃がさないようにしてるわけか...マタンゴのように誘引能力はないようだが...)

「確かにマタンゴとは違うな...うっと、いや...活発過ぎる...」

「落ち着きのない娘は...嫌...?」

クハの周りを走り回るキュウが一瞬だけ悲しそうな顔を見せる。

「いや、なんというか...はあ...キュウちゃん...君は、どうして俺を追いかけてくる?何が目的だ?」

「目的...そんな難しく考えないでいい...」

そこで言葉を切ったキュウを不思議に思い、次の言葉を待つクハだったが、言葉を待つあまりキュウの突然の行動に反応することが出来なかった。
キュウはクハへと飛び掛かり、抱きついてきた。

「言葉よりも行動...私達マイコニドは...抱きつくなんて言わない...抱きつこうとした瞬間...私達は既に抱きついてる...」

「な、なるほどな...理解した、だが...」

クハがキュウの身体を抱き締め返す。

「ふふふ、だんだん...その気になってきた...?」

「ごめんな...許してくれ、キュウちゃん」

「...?」

キュウが首をかしげる。
クハはそれを確認することなく、キュウを強く抱き締める。

「もう、大胆...!?」

キュウには何が起きたのか分からなかった。
世界が反転したと思ったのもつかの間、気づいた時には頭から地面に叩きつけられていた。
衝撃で胞子を撒き散らすキュウの身体からクハは素早く離れると、逃走用の為の道を確保しつつキュウから距離をとった。

「....!?」

「激しいのが好きなの?...燃えてきた♥」

頭から叩きつけられたはずのキュウは、一瞬のうちに体勢を立て直しクハの眼前に迫っていた。

「しぶといなキュウちゃん...少しは休んだらどうだ?」

「一瞬一秒、少しでも...長い時間愛しい人とくっついていたい...休んでる暇なんて...ない」

そう言ってにこりと微笑むキュウ。
咄嗟に身を翻しよろめきながらクハは走り出す。
その判断は正しかった。
地面に頭からぶつかったはずの柔らかい身体が跳ねたかと思うと、次の瞬間には駆け出していた。
もちろん逃げた男を追うためだ。

「ねえまって...」

「勘弁してくれ...ッ!」

その後も追いつかれて飛びつかれる度に受け流し、投げ飛ばし、跳ね飛ばしてを繰り返すクハだったが、次第に体力は奪われていった。
どれだけ距離があろうと派手に転がろうとキュウはクハを追いかけ、近づく度にクハに飛び掛かった。
その攻防が幾度となく繰り返され...。





「落ち着く...」

「おいおい...」

キュウはクハの胴体を腕でしっかりと抱き締めると、クハの顔を見つめる。
長い攻防の末、クハはキュウに捕まってしまった。

「クハ?そろそろそれ...外して?...顔が見えない」

「これか?...キュウちゃん、悪いがそれは...」

「それじゃあできない...」

「?...何をだ?」

「...キス...言っちゃった♥」

「...理由を聞いてもいいか?」

「...?キスするのに...理由なんている?好きな人とキスをしちゃ駄目?」

「駄目...だな、うん...少なくとも俺とは駄目だ」

「.....なら踊る...一緒に...」

「はあ?急にどうした...いきなり?」

「...夢だった、好きな人と一緒に踊ること...」

「なんか始まったな、おい...」

「...最初に飛び掛かった時、それを避ける時にクハ...私がケガをしないようにしてくれた...」

「その後頭から叩きつけたのは俺だが...それはいいのか?」

「それでもわざわざ謝った...クハからしたら...襲われたのに...ますます好きになった...うん♥」

「襲ってる自覚はあったんだな...」

「ふふふ...お詫びも兼ねて、気持ち良くするから...」

抱き締める腕に力が入る。
キュウの魔物特有の異様なまでの自身への執着に、クハは困惑する。
キスするだけで終わる筈がない。
クハは何とかこの場から離れるために考えを巡らす。

(...なんだ?妙な気分だ、頭が働かない...と、とにかく、今はこの娘を何とかしないと...!)

(この娘を何とか...この娘に何か...?いや違う...なんだこの感じは...気分が悪いわけじゃない...むしろ...)

朦朧とした意識の中でクハは改めてキュウの顔を見る。

「こうして見ると...かわいいな、それに...その白い髪も綺麗だ...」

「!...照れる...」

(...ん?俺は...何を言って...そ、そうだ...)

「...キュウちゃん」

「何、クハ...?」

男は魔物の抱き締める腕を身体から引き剥がし、そのまま両手を握り腕を広げる。

「...?」

「...踊ろうか、一緒に」

魔物の手を引きながら男はぎこちなくステップを踏み始める。

(おかしいな、身体が勝手...だが、この際...もう何でもいい、策を...考える時間を、稼ぐん...だ)

自身から提案したとはいえ、突然のことに首をかしげるキュウではあったが、だんだんと顔を綻ばせ始める。
森の中で男と魔物は踊る。
一方はこの場を切り抜ける為の時間稼ぎをし、もう一方はこの状況を心底楽しんでいた。
ここまでの攻防で身体から大量の胞子を撒き散らしたキュウの手を取り、意識の朦朧としたクハは踊る。
踊る最中、キュウの手によって外された仮面のことなどクハは気にしていなかった。
何のために時間を稼いでいるのかすら、もはやクハには分からなくなっていたのだ。

(俺は何を...まあいい...今は、この娘と一緒にいたい...)

「...楽しい...」

「ああ、そうだな...」

キュウを叩きつけた衝撃で撒き散らされた胞子は、知らず知らずのうちに仮面をすり抜けクハの身体に吸い込まれていたのだった。

「愛してる...クハ♥」





クハの友人が帰ってきたクハに対して信じられないものを見るような目を向けた。
それを受けたクハは、身体に抱きついたキュウを見ながら呟いた。

「さて...何から説明しようか...」

「クハと私は愛し合った...踊り終わって、その熱の冷めぬまま、お互いを求めて...」

「待て、俺が話す...つまり、だ...俺、この娘と結婚する」

「......顔見ないで...多分、赤くなってる...」

耳どころかきのこのかさまで真っ赤に染めたキュウが抱きついたクハの胸に顔を埋める。

「そんな顔も出来るんだな」

それを見てクハは微笑みながらキュウの頭を撫でる。
そんなやりとりを静かに見ていた友人は、やれやれといった様子で肩をすくめたのだった。
19/01/29 22:35更新 / 窓ワック

■作者メッセージ
抱きつくのが大好きな魔物娘というイメージで書きました。

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