連載小説
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前編
「さすがにいろんな魔物がいるぜ……」

 荷物を手に町中を歩きながら、俺は声を漏らした。本格的な親魔物領、それも魔物の領主が治める町へ来るのは初めてだが、町には思った以上に様々な形態の妖女が溢れていた。角や尻尾が生えている奴らはもちろん、下半身が丸ごと蛇や虫の物に置き換わった魔物もいる。透き通った粘液が女の形をしている奴もいる。人間とは違う、異形の連中が町を闊歩している。

「おーい、どいてどいて!」

 背後から女の声が聞こえた。振り向いた瞬間、材木を乗せた荷車が猛スピードで突っ込んできた。慌てて飛び退くと、その荷車は暴風のごとく脇を通り抜ける。

 荷車を引く少女は朗らかな笑顔と共に一礼し、そのまま往来を突っ切り駆けていった。節のある六本の足をフル稼働させ、自分の体よりも大きい重そうな荷物を元気よく運んでいる。もう少しでぶつかりそうだったが、その微笑ましいとも言える姿を見ると許してあげたくなった。

 そう、魔物と言っても本当は人間を食い殺したりはしない。人間と全く同じではないだろうが、遊び、食べ、働き、恋をすることだってできる。この往来でも魔物が露天で買い物をしたり、人間の男と二人で歩いている姿が見受けられた。靴磨きの子供の横に、赤い粘液の体を持つ魔物が座っていたりもする。そして種族問わず、往来には笑い声が溢れていた。
 このルージュ・シティでなら、やっていけそうだ。まだ彼女達の異形の姿は怖いが、これだけ陽気な町で暮らすならすぐに慣れるだろう。教団の勢力圏で育った俺を、町の住人たちが受け入れてくれれば、だが。


 そんなことを考えながら、俺は新しい職場にたどり着いた。

「ルージュ教会……ここか」

 魔物の住むこの町にも教会があった。どんな神様に祈るのか分からないが礼拝堂があり、壁にステンドグラスがはめ込まれている。礼拝堂自体は小さな平屋であり、そこから渡り廊下で居住スペースに通じているようだ。外装は質素ながらも、なかなかシャレた建築である。

 とりあえず礼拝堂を覗いてみよう。
 そう思った瞬間、そのドアが開いた。木製の質素なドアの内側から、ずるりと這いずるような音が聞こえる。隙間から伸びてきたのはピンク色の、腕ほどの太さがある……

 触手。

「うおおおっ!?」

 反射的に叫んで飛び退いたが、続いて見えたのは優しげな緑色の瞳だった。白いローブ姿の修道女がゆっくりと姿を現し、俺に微笑を向ける。髪は奇麗な金髪で、清楚な乙女といった印象だ。ただしその体からはローブを突き破って多数の触手が伸びており、粘液を滴らせ蠢いていた。
 小柄な彼女は俺を見つめ、にこりと笑う。

「ごめんなさい、驚かせちゃった?」
「あ、いえっ!」

 しまった、まったく俺という奴は。これからこの教会で働くというのに。いくら相手が魔物とはいえ、初っ端から雇い主にこんなリアクションしてどうするんだ。

「大変失礼しました。パン職人のフィルマン・ルーヘンです」
「ああ、貴方が!」

 修道女はぱちんと手を叩いた。

「私はシュリー。この教会を取り仕切ってるの。よろしくね」
「はい。まだ魔物に慣れていないので失礼なことをしてしまいました、すみません」
「ちょっとずつ慣れてくれれば大丈夫だよ」

 可愛らしく微笑み、頷くシュリーさん。多分ローパーという魔物だろう。優しげな表情とグロテスクな触手にはかなりのギャップがあるが、寛大そうな人でよかった。
 彼女が礼拝堂のドアを開け放ち、中からの視線がこちらに集中する。魔物の修道女が数名、子供が十人ほど礼拝堂に集まっており、歌の練習でもしていたようだ。オルガンもちゃんとある一方、祭壇や神像などは置かれていない。何に祈るか分からない奇妙な礼拝堂だ。

「みんな、パン屋さんが到着したよ」

 シュリーさんが告げる。
 俺はごくりと唾を飲み込んだ。腕には自信はある。接客もできる。魔物と一緒に暮らすのも、まあ慣れていけると思っている。だが果たして、この不思議な町の教会で俺は受け入れられるのか、改めて不安になってきた。魔物たちからしてみれば反魔物領で育った俺の方こそが異質なのだ。
 とにかく大事なのは挨拶だ。先ほどは失敗したし、ここで良い印象を持ってもらわなくては。

「フィルマン・ルーヘンです。どうぞよろし…」
「パン屋だー!」
「やきたてのパンが毎日たべられるんだね!」

 自己紹介を終える前に、子供達が群がっていた。人間・魔物ともに多種多様な少年少女たちが俺を取り囲む。

「ぼくにもパンの作り方、おしえて!」

 十歳くらいの少年が目を輝かせる。

「わたし、あまいパンがいい!」

 悪魔の少女が無邪気に笑う。

「にく! にくの入ったパン!」

 ワーウルフらしき少女が元気に叫んだ。

「売り方のべんきょうしますよー」

 東洋風の服を着た少女が微笑む。動物の耳と太い尻尾が生えているが、この子は何の魔物だろう……アナグマか?

「はいはい、また夕ご飯のときにお話ししようねー」

 シュリーさんが触手で子供達をつつき道を空けさせた。他の修道女たちがくすくすと笑っている。

「シスター・ポリーヌ。悪いけど、フィルマンさんをお部屋にご案内して」

 ポリーヌと呼ばれた修道女がこくりと頷いた。シュリーさんと同じ純白のローブを纏い、濃紺の髪の美少女である。目元にある泣きぼくろが可愛らしい。しかし常に微笑を浮かべているシュリーさんと違い、彼女は何処か物悲しそうな表情だった。
 そんなポリーヌさんもまた人間ではなく、下半身は蛇の体。艶のある鱗に覆われたそれをうねらせ、俺の方へ這い寄ってきた。親魔物領ではありふれた存在らしいが、ラミアという魔物を間近で見るのは初めてだ。

「パン職人のフィルマン・ルーヘンです。これからよろしく」

 ひとまずは笑顔で挨拶。だが彼女からの返事は返ってこない。
 ポリーヌさんは懐から手帳と羽ペンを取り出すと、インクもつけず手帳に何か書き始めた。慣れた手つきで素早く書き込むと、その面を俺に見せる。

 ――『ラミアのポリーヌです。こちらこそよろしくおねがいします』

 かなり急いで書いていたのに、整った奇麗な字だった。どうやら彼女は何かの事情で声が出せないらしい。言いたいことはいつも筆談で語っているのだろう。
 彼女は白い指で礼拝堂の奥……渡り廊下の入り口を示すと、そこへ這っていく。俺もシュリーさんたちに一礼して、子供達に見送られながら後に続いた。



 奇麗に掃除された渡り廊下を通り、ポリーヌさんは宿舎へと入っていく。彼女が一切声を出さないので、俺の足音と、蛇体がずりずり這う音だけが聞こえる。後ろから見ると蛇体の動きがよく分かった。ラミアは人間とは違い、腰から下を常に左右へ揺らし、うねらせる必要があるわけだ。

 つまり、まあ、アレだ。腰の動きが何かエロい。
 聖職者の清楚なローブとのギャップが、なんとも不思議なエロさを生み出している。それにローブも微妙にサイズがあっていないのか、体のラインが少し出ていた。失礼とは思いながらも、その艶かしい動きをついつい観察してしまう。こうして見ると下半身が蛇というのも案外奇麗に思えてくる。蛇腹のところとかプニプニしてそうだし。

 ふいに、ポリーヌさんが振り向いた。また手帳に素早く文字を書き、羽ペンで宿舎の奥にあるドアを差した。

 ――『あの部屋にパンを焼くかまどがあります』

 先ほどと同じく丁寧な字で告げられた。どうやらあのドアの向こうが俺の仕事場らしい。荷物を置いたら確認しておこう。

「かまどは今まで使っていたんですか?」

 尋ねると、彼女は再び羽ペンを走らせる。

 ――『素人ですが、みんなで何度か作っていました。火はよく燃えます』

「そうですか、なら安心です。子供達も楽しみにしているみたいだし、頑張りますよ」

 今までいろいろなパン屋で修行してきたが、今回はいよいよ俺が工房のチーフとなるわけだ。先ほどの子供達の反応を思い出すとが然やる気も出てくる。
 するとポリーヌさんは口の端を少し上げ、手帳に文を書き込んだ。

 ――『私に敬語は結構です。友達だと思ってもらえると嬉しいです』

 手帳を差し出しながら、彼女は上目遣いで俺の反応をうかがっていた。そこにいるのは教団が流布している恐ろしげな魔物像とはまるで違う、可愛い女の子。
 どうやら大丈夫そうだ、この町はちゃんと俺を受け入れてくれる。

「……分かった。改めてよろしくな!」

 俺が手を差し出すと、ポリーヌは微笑を浮かべてそれを握ってくれた。その白い手は柔らかく、何処か儚げだった。



















 … … …




 … …





 …











 与えられた小さな部屋で身支度を済ませ、作業場を確認した。かまどは腕のいい職人が作ったようで、一級品と言ってよい代物だった。この教会は孤児や預けられた子供に勉強や手芸を教えており、領主(話によるとヴァンパイアらしい)も相応の援助をしているとのことだ。小物類や絵本などを作り、それを売る勉強もしているらしい。そして商品にパンを加えるため、この俺がスカウトされたのである。
 シスター・シュリー曰くこの教会は特定の神を崇めず、冠婚葬祭を行う場所として存在しているという。時々医学などの講義が行われたり、集会の場所に使われることもあるらしい。ここまでアバウトな教会は初めて見たが、教団が権力を握っている国よりは印象がよかった。

 夕食を終えた後は子供達と遊び、シュリーさんたちと明日の打ち合わせも行った。明日はルージュ・シティ商工会が集会を行うので、お茶の時間にパンを出してみては、とのことである。この町でどのような材料を調達できるか、どのような味が好まれるかを調べ、本格的な販売へ移るつもりである。
 その辺りのざっくりとした計画はポリーヌが紙にまとめてくれた。普段筆談で話しているため、書記を務めることが多いらしい。

「……こいつは良い粉だ。産地はどこですか?」

 夜、倉庫で小麦粉の質をチェックする。貿易が盛んで、しかも人間と魔物が共存するこの町でなら、人間の国では手に入らない物も簡単に手に入るらしい。この上質な小麦も、反魔物国家に比べるとかなり安く売られているそうだ。

「ポローヴェ産だったな、確か」

 修道士のヅギさんが、赤い瞳で粉を眺めながら答えた。俺を除けばこの教会唯一の成人男性である彼は、身長こそ低いものの結構な美男子で、筋肉もついているように見える。腰には刀身の湾曲したククリナイフをぶら下げており、どうも堅気の聖職者には見えない。

「この町には大抵のものは集まる。物資も、人も、いろいろとな」

 そう言ってヅギさんは軽く咳き込んだ。小麦粉でも吸ったのだろうか。

「……ふう。あんたが腕利きだって聞いて期待してたんだ。いいパンは焼けそうか?」
「ええ、設備も材料もしっかりしてる。信頼してくださって大丈夫です。ただ粉にも特性ってものがありますから、発酵時間を見極めるのに手間はかかるかも」
「なるほど。ま、頑張ってくれよ。オレは明日出かけるから、食えないかもしれないけど」

 雑談をしつつ倉庫から出る。子供達はそろそろ寝た頃だろうか。俺も明日に備え、早めに寝ておかなくては。

「なあ、フィルマン……」

 また咳をしながら、ヅギさんは俺の名を呼んだ。

「お前、反魔物領の出身なんだろ。よくこの町に来る気になったな」
「……ちょっとワケ有りで、あっちこっちを旅してましてね。教団の顔色を伺って暮らすのが嫌になったんですよ」
「そう、か。どういう経緯であの連中と関わりを持ったのかは……ま、訊かないけど」

 あの連中、というのは俺をこの町に紹介した人たちのことを言っているのだと分かった。俺が平穏に生きていれば関わり合いにならなかった、そんな世界の住人たちだ。だがヅギさんもどちらかと言えば、彼らと同じような世界を生きてきたように見えた。そもそも彼らのことを知っている時点で、あちらの世界に関わった身なのだろう。
 俺の考えていることが分かったのか、ヅギさんはにやりと笑みを作る。

「なーに、このルージュ・シティは『ワケ有り』が集まる町でもあるのさ。亡命者、没落貴族、軍人崩れ、被差別民族、元お尋ね者……いろいろ、な」
「……俺やヅギさんにはうってつけ、ってことですか」
「お前はオレよりはずっとマシだって」

 自嘲気味にヅギさんは笑った。

「ここじゃ人様に迷惑をかけなきゃ、いくらでも好きなことができる。むしろお前みたいな職人にうってつけだろ。美味いパンを作ってくれや……」

 俺に背を向けると、ヅギさんは軽く手を振って寝室に入った。咳の音が微かに聞こえるが、次の瞬間にはドアが閉まる。シュリーさんと同じ部屋を使っているようだが……まあ、そういう関係なのだろう。仲良さそうだったし。

 部屋に戻ろうと思ったとき渡り廊下のドアが微かに空いているのに気づいた。

「……閉め忘れかな」

 礼拝堂はもう施錠されていたはずだ。もしかしたら誰か残っているのかもしれないし、一応確認してから閉めよう……そう思い、ドアを開けた瞬間。
 渡り廊下の向こう、礼拝堂の方から何かが聞こえてきた。やはり誰かいるのか。

 よく見ると礼拝堂側のドアも僅かに開き、そこから明かりが漏れている。廊下の中程まで来ると、その音ははっきりと聞こえるようになってきた。

「……んっ……はぁ……」

 吐息の混じった、女の声。それもかなり艶かしい。

「はぁぅ……あん……」

 俺の心臓が高鳴り始めた。声の主が誰なのか分からないが、その声は妙に俺の興奮を誘う。優しくくすぐられるように、疼くような気持ちよささえ覚えた。
 声に引きずられるかのように、ふらふらと礼拝堂へ向かう俺。もっとこの声を聞いてみたい。焼きたてのパンを目の前にしたときのような空腹感を持って、俺は声の主を確かめに向かった。

 あと三歩……

 二歩……

 一歩……

 そっとドアを開ける。そこには……

「ひゃぁん……んんぅ、あふ……♥」

 甘い声を上げながら、床にうずくまるラミアの修道女。とぐろを巻いた彼女の前には魔法火のランプが置かれており、今何が起きているのか見ることができた。
 ポリーヌはローブの裾をたくし上げ、人間の上半身と蛇体の境目を手でひたすらまさぐっている。喘ぎ声に混ざり、ぴちゃぴちゃと水の音が聞こえた。彼女の細い指が盛んに刺激している箇所に何があるのか、ランプはしっかり照らしていた。それは柔らかそうな割れ目……女性器だ。

「……あひゃ……ん……ココでするの……イイ……♥」

 彼女は声を出せないのではなかったのか。だがそんな疑問も、甘い喘ぎにかき消されてしまった。頭がぼーっとするような、夢心地になりそうな声だ。
 そんな俺に気づかず、ポリーヌはさらにローブをまくり上げた。控えめの、それでもちゃんと存在感のあるバストを露出させ、両手で揉み始めた。

「あはぁ……おっぱいも、気持ちイイよぉ……♥」

 卑猥な言葉で俺の息を荒くさせつつ、彼女はミルクを搾るかのように胸を刺激する。そして留守になった女性器には蛇の尻尾が擦り付けられた。

「ひぅぅぅん……♥」

 うっとりした表情でよだれを垂らしながら、ポリーヌは自慰の快楽を貪る。粘液の滴る女性器と尻尾がランプに照らされ、ぬらぬらといやらしく輝いていた。俺は自分の股間のモノが最大限に勃起しているのを感じながら、ただただその光景に見入った。

「あんっ……めっ……もう……♥」

 ポリーヌが歯を食いしばり、身を仰け反らせて痙攣した。そのまましばらく硬直していたかと思うと、手をだらりと下げ、割れ目から何かが噴出した。その液体はきらきらと光りながら放物線を描き、礼拝堂の床をびちゃびちゃと汚していく。その勢いはゆっくりと衰え、やがて止まった。

 放尿を終え、しばらく放心していたポリーヌだったが、ふとため息を吐く。とぐろを巻いていた蛇体を起こし、ゆっくりと横を向き……

「〜〜〜〜〜〜ッ!?」

 俺と目が合った。












 ――『ごめんなさい』

 雑巾でポリーヌのおしっこを拭き取ると、彼女は赤面して俯きながら俺にメモを見せてきた。ローブはちゃんと正しているにも関わらず、小刻みに震えるその姿は先ほどの媚態に直結しそうになる。本当に凄まじい衝撃だった。この清楚で少しミステリアスな女の子が、夜中の礼拝堂でオナニーにふけっていたとは。

「いいっていいって、誰にも言わないから。友達だろ?」

 そう言ってやると、ポリーヌは手帳に『ありがとう』と書き込んだ。俺のことを少しは信頼してくれているようだ。
 ふと、彼女は俺の下半身へ目を向けた。なんということか、俺のイチモツは未だにズボンを押し上げたままだった。痛いほどに。

「あー、……俺も寝る前にオナニーしとこうかな、ハハハ」

 俺の股間を凝視してくるポリーヌに、思わず恥ずかしいことを言ってしまった。だがポリーヌは笑わなかった。それどころか、何か決心したような表情でペンを取った。インク無しで字を書ける魔法の羽ペンで、手帳にさらさらと文章を綴っていく。
 そして、その言葉が俺の前に突き出された。

 ――『ではお詫びに、わたしがフィルマンさんの自慰をお手伝いします!』

 一瞬、彼女が何を言っているのか分からなかった。だが考えをまとめる前に、ポリーヌは俺に飛びかかってきた。

「うおっ、ち、ちょっと!?」

 長い蛇の下半身が、俺の体に巻き付いていく。もちっとした感触の蛇腹に体を抱かれ、身動きを封じられた。そして後ろから、ポリーヌの上半身が抱きついてくる。耳元に彼女の息が当たりくすぐったい。あり得ないと分かってはいたが、このまま彼女に食べられてしまうのではないかという恐怖が頭をよぎった。
 俺の胸に手を回したまま、ポリーヌは手帳に字を書き込んだ。

 ――『このまま自慰をしてください』

「いやいやいや、無理だから! いくらなんでも女の子に見られながらとか……!」

 そういう性癖を持っている奴なら興奮するが、俺はノーマルな男だ。多分。
 だがポリーヌは俺の体にしっかり巻き付き、放す気配はない。ふいに、彼女の唇が俺の耳元に近づいた。

「……楽にして。目を閉じて」

 その声を聞いた瞬間。頭の中一杯に甘い感覚が広がった。先ほどの喘ぎ声と同じ、何か不思議な力が耳を犯していく。

「目を、閉じて」

 もう一度ささやかれ、まぶたが次第に重くなり、ぴったりと閉じてしまう。真っ暗だ。

「私と一緒に、深呼吸しましょうね。一緒にですよ、一緒に……」

 耳元で、ポリーヌが大きく息を吸う音が聞こえた。俺も釣られるように息を吸う。肺の中が空気で満たされた。
 そして彼女の吐く息が、耳に吹きかけられる。少し温かくて、甘い匂いがして……俺も一緒に息を吐き出す。

「どんなニオイがしました? 私のニオイ、感じました……?」

 再び、彼女が息を吸う。俺も合わせて深呼吸。

「今、私の体がフィルマンさんに巻き付いてます……女の子の体が、巻き付いています……」

 真っ暗な視界。耳にポリーヌの声だけが聞こえてくる。甘い蜜を耳に注ぎ込まれているような気分だ。
 また息を吸う。吐く。

「私に抱っこされたまま、フィルマンさんはとてもリラックスして……力が抜けて……えっちな気分になってくる……」

 ポリーヌの手が俺の胸を撫でた。ぞわぞわと、不思議な気持ちよさが広がってくる。股間が熱い。胸が高鳴る。ポリーヌが自慰にふけっていた光景が、頭一杯に広がった。
 息を吸う。吐く。

「すると今度は……ほら、私の体がだんだん浮き上がって……フィルマンさんも一緒に、足が地面から離れていきますよ」

 体が浮き上がる。俺の足が床から離れ、宙にだらりとぶらさがる。
 息を吸う。吐く。

「もっと高く、高く浮いて……」

 高く……高く……。
 息を吸う。吐く。

「……はい、止まりましたね……私たちは今、とても高いところに浮いていますよ」

 息を吸う。吐く。

「でも大丈夫……落っこちないように、ちゃんと抱っこしててあげますから……」

 俺に巻き付く蛇の体が、少しだけ強くしまった。上半身も、ぎゅっと俺を抱きしめてくれた。俺が落ちないように……。

「怖くなーい、怖くなーい……私たちは今、宙をふわふわと漂っています。気持ちいい……でも、もっと気持ちよくなりたい……」

 ポリーヌは俺の頭から頬にかけて、優しく撫でてくれた。その手の柔らかな感触に、耳にかかる息に、背中に当たる胸に興奮する。気持ちよく。ああ、そうだ。俺は気持ちよくなりたい。

「どうすればいいか、分かりますよね……? ねえ、浮かんだままオナニーしたら、きっと気持ちいいですよ……?」

 股間のものがズボンの中で、破裂しそうなほどに膨らんでいる。これを外に出したら、しごいたら、射精したら……

「私がちゃんと見ててあげますから、大丈夫です……ほらほら、早くおちんちんを出してあげなくちゃ。私がぎゅっと抱っこして、じっと見ててあげるから、安心してください」

 そうか、ポリーヌが見てくれているなら大丈夫なはずだ。何が大丈夫なんだ? 分からない。
 とにかく俺は目を閉じたまま、手探りでズボンを降ろした。パンツも。衣類の圧迫から解放されて、ペニスが真上を向くのが分かった。

「わ、元気なおちんちん……見てると、ドキドキしちゃう……♥」

 ポリーヌの声も、どこか興奮したようだった。俺も一緒に気分が高まる。
 もう止められない。俺はペニスを握り、いつもやるようにしごき始めた。ポリーヌに抱きしめられ、宙を漂いながら。

「うわぁ……男の人のオナニーって、そんなに強くおちんちんを握るんだ……♥」

 観察されている。ポリーヌは俺を、俺の自慰を見ている。それがどんどん俺を高め、一心不乱にペニスをしごかされた。

「そうそう……ちゃんと見てますから、思いっきりオナニーしてくださいね……それで、出そうになったら言ってくださいね……」

 ポリーヌの蛇体が、ゆっくりと波打つのが分かった。巻き付かれている俺の体がマッサージされ、揉み解されて行く。上半身も、控えめながら柔らかな胸が服越しに押し付けられ、耳元には時々彼女の頬が触れる。その感触がたまらなく気持ちよくて、浮遊感も味わいつつ夢心地で自慰にふけった。

「ふふっ……フィルマンさん、気持ちよさそう」

 ポリーヌが笑っている。俺まで楽しくなってくる。

「……そうですよね、女の子に抱っこされて、巻き付かれて、宙に浮いて……もしかしたら、人生で一番気持ちいいオナニーかも」

 もしかしなくても、人生最高の自慰だった。ひたすらペニスをしごく俺を、ポリーヌという可愛い魔物が抱きしめてくれている。優しく見守ってくれている。甘く囁いてくれている。その全てが俺の快感を高めて行った。漂ってくるポリーヌのニオイも、頭をぼーっとさせる。このまま寝てしまっても手だけは自慰を続けそうな気がした。ポリーヌと一緒にふわふわと浮きながら眠れたら、それはどれだけ気持ちいいだろうか……

 そう考えている間にも、俺のペニスは我慢の限界に達しつつあった。こみ上げてきた射精感が、全身へ広がっていく。

「……ポリーヌ……出ちゃう……」

 夢心地の中で、辛うじて呟いた。すると突然、ペニスの先端部分が柔らかく温かい物に包まれた。優しく亀頭を揉んで、すっぽりと包み込んでくる。これは……てのひら?

「ちゃんと出るって言えましたね……フィルマンさんは偉いです……」

 彼女が褒めてくれたかと思ったら、ねっとりした感触が耳を這った。舌で舐められたのかな?

「ごほうびをあげますね……私の手をおむつだと思って、いっぱいオモラシしちゃいましょうね……♥」

 おむつ。オモラシ。赤ん坊のような扱いをしながら、ポリーヌは亀頭をもみもみと刺激してきた。
 もう射精寸前の俺は、ただ幸せな気分で一杯だ。彼女のご褒美を受け入れ、てのひらが与えてくる快楽に身をよじる。

「おちんちん、脈打ってる……気持ちよく、出しちゃいましょうね……」

 俺の頭を撫で、蛇体でマッサージをしながら、ポリーヌは最後まで甘く優しい声をかけてくれている。

「ほら……ぴゅっ、ぴゅっ、ぴゅーっ……」

 ポリーヌの声に合わせ、精液が漏れだした。

「あ、あああ……!」
「いっぱい出てます……フィルマンさんのセーエキ、温かいですよ……♥」

 ささやきを満喫しつつ、俺は彼女の手に思いっきり射精した。快感と共に迸っていくそれを、ポリーヌはしっかり見守り、受け止めてくれる。幸せだった。
 その快楽は長い間続いたかのように思えたが、ほんの少しの間のことだったのだろう。多幸感に包まれた俺の射精は終わった。息を吐く俺を、ポリーヌは優しく撫でてくれている。

「……濃い精液、たくさん射精できましたね……気持ちよかったですね……」

 子供をあやすように、ポリーヌはささやく。

「私たちはもう、すごく高いところまで浮いちゃいました。落ちたら大変です……でも……」

 ポリーヌは一端言葉を切った。

「……でも、離しちゃいます」

 その瞬間、彼女の体がしゅるりと離れた。
 俺は宙に放たれ……支える物はもうない……

 落ちる!




「……はっ!」

 ……目を開けたとき、俺の足は地面に、正確には礼拝堂の床に着いていた。目の前ではポリーヌが、手についた精液を美味しそうに舐めとっている。

 数秒考え、ようやく気づいた。俺はここから全く動いていなかったのだ。ポリーヌの不思議な声に惑わされ、操られ、本当に宙に浮かんだと思い込んでいたのである。そして、幸せに自慰にふけっていた。
 ポリーヌは精液を全て舐めると、手帳に羽ペンを走らせた。

 ――『どや!』

 勝ち誇ったような笑顔を浮かべる彼女。普段の物悲しげな顔はどこへ行ったのか、健康的で溌剌とした表情だった。ついでに尻尾も楽しそうに左右へ振られている。可愛い。
 だがそれを愛でるよりも、訊きたいことを訊かなくては。

「ポリーヌ、声が出せなかったんじゃ……?」

 すると彼女は少し恥ずかしそうに目をそらし、手帳を俺に見せながら文を綴った。

 ――『私たちラミアは声に魔力をこめて、男の人を誘惑する魔物です』

 ――『私は持って生まれた欠陥のせいで、魔力を制御できません』

 ――『出す声全てに魔力がこもってしまうから、普段は喋れないのです』

 そこまで書くと、ポリーヌは筆を止めた。
 ああ、そうか。彼女の哀しそうな表情の意味が分かった気がする。声を出せないのではなく、出せるのに出してはいけなかったのだ。それがどれだけ辛いかは想像に難くない。魔物とはいえ年頃の女の子だ、みんなと仲良くあれこれ喋ったり、歌を歌ったりしてみたいだろう。わがままなことも口に出してみたいだろう。愚痴の一つもこぼしてみたいだろう。
 そして今、俺を相手に思い切り話すことができた。それは俺にとってたまらなく気持ちよかったが、彼女にとっても楽しかったのだ。

 と、ポリーヌの手が再び、ペンを走らせ始めた。少しためらいながら、ゆっくりと。

 ――『もし』

 ――『よろしければ、また』


 ――『私と、』



 ――『えっちなこと』


 ……ポリーヌは真っ赤になって俯いてしまった。恥ずかしくてたまらないのだろう。見せられた俺も恥ずかしい。

 しかしそれは間違いなく、ポリーヌの心の声だった。思いっきり喋りたいと、俺に卑猥な言葉をささやきたいと、彼女は願っている。対する俺も、彼女の甘い声の快楽を忘れられるはずがなかった。つまり答えは決まっている。
 ふしだら? 背徳? もう知ったことか! 清い心だけじゃパンは作れないし、腹も膨れない!

「ポリーヌ」

 名前を呼んで手を握ると、彼女は弾かれたように顔を上げた。

「俺も、その……ポリーヌの声をもっと聞きたいし、何よりもポリーヌのことを、もっと知りたい」

 はっきりと、彼女に俺の心の声を伝える。パン生地をこねるときのように、しっかりと力を入れて声を出す。

「だから……こちらこそお願いします、ってことで」
「……!」

 すると途端に、ポリーヌの顔に笑顔が戻った。子供のように無邪気に笑みを浮かべ、彼女はコクコクと頷く。

 魔法火のランプに照らされるその笑顔を見て、俺はこの町に確かな希望を見出していた。
12/09/24 22:48更新 / 空き缶号
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■作者メッセージ

まずは前編、お読みいただきありがとうございます。
ルージュ・シティの物語はまだまだ続きます。
そして今回は先に言っておきますが、前中後の三部構成の予定です。

久しぶりに、悪食傭兵牧師とシュリーの教会が舞台となりました。
ラミアの魔声による催眠強制オナニーというプレイなので、都合上かなり字数が多くなってしまいましたが、お気に召したでしょうか?w
まったりした雰囲気の教会ですが、次回ここでハプニングが発生します。
よろしければ今後もお付き合いください。

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33