余話
「うーん、至福!」
ワインを飲み干し、わたしは息を吐いた。パスタの歯ごたえと言い、ワインの喉越しと言い、この港町の料理は格別だ。作っているのは陽気な中年のシェフで、褒めると大喜びでお酒をサービスしてくれたりする。景観も素晴らしい。このレストランからは港が見えるようになっていて、古い町並みと限りなく青い海が憎いほど合っている。この町を恐れる魔物もいるけど、来てみればそれほど怖くはない。普通にしている分には、人にも魔物にも優しい町なのだ。今回は目的があって来たけど、何度でもふらりと立ち寄りたくなる町である。
「ご機嫌だな、お姫様」
横から声をかけてくる男がいた。殺し屋マフィア幹部、フィベリオ・ルジャーノ。よく知った男だ。
「美味しい物を食べているときは、誰だって幸せになるものよ」
「そりゃそうだ。座っていいかい?」
「どうぞ」
フィベリオはわたしの向かい側に腰掛けた。彼はいつもグレーのスーツを着ていて、それがこの町の青空と海によく似合っている。グレーを好む理由は「コントラストの低い色だから目立ちにくい」という殺し屋らしいものだけど、どこかで粋な男を演出しようとするのがこの町のマフィアだ。
「やってくれたな、今回は」
「あら、何のこと?」
パスタをフォークに巻き、口に運ぶ。アルデンテの噛みごたえと、それに絡むバジルの風味が舌を楽しませる。
「アカツキの居場所を教えたんだろ? 傾くどころか引っ繰り返った国で、“傾国の黒稲荷”とか呼ばれてる女に」
言いながら、フィベリオは片手を上げてウェイターを呼んだ。若いウェイターが嬉しそうにやってくるのは、わたしの近くに来られるからだろう。これでも一応、リリムとしての魅了の力は押さえ込んでいる。そうしないとわたしが町を歩く度に馬車が事故ったり、煙突掃除夫が屋根から落ちたりするから。
「アレッシオは怒ってるの?」
首領の名を出し、ニコリと笑ってみせる。フィベリオは苦笑しつつ、ウェイターに注文を述べた。
「スパゲッティ・アッラ・レスカティアーナを。……首領は気にしちゃいないさ。あんたも魔界のお姫様として、立場ってものがあるだろうし」
「おっと。誤解の無いように言っておくけど」
名残惜しそうに去っていくウェイターを見送り、わたしは告げた。
「わたしは自分がリリムだからっていう理由で動いたことは一度も無いわ。父上と母上の娘に生まれたことは誇りに思ってるけど、それは私の手柄じゃないし」
「いや、そもそもあんたは何がしたいんだよ」
姿勢を崩し、フィベリオはわたしを見る。
「その辺を適当にふらついたり、俺たちみたいな悪党と友達付き合いしたり。あと今回みたいに話をややこしくしたり」
「迷惑だったら謝るけどね。わたしはただ、あの狐っ娘の願いを叶えてやりたかっただけ」
レスカティエの重臣である黒稲荷・今宵の従兄弟に当たる男が、教団の元で魔物に害を為している。そして彼女は、自分の従兄弟を助け出したかった。魔物になって辛い人間時代を捨てても、いや、むしろ魔物になったからこそ、他者に対する憐れみが強くなったのかもしれない。凶行を続ける従兄弟を、止めたかったのだ。
私は教団がツェリーニ・ファミリーとの戦いにアカツキ・アマノミヤを使ったことを知り、親衛隊も使って教団の行動を調べた。そしてフランチェスカがアカツキに接触した際、彼女の魔力を察知してその居場所を伝えたのだ。
「レスカティエは奴をどうするんだ?」
「脳に傷を負って半身不随らしいから、誰か適当な娘が介護につくと思うよ。今宵ちゃんにはもう旦那様がいるし♪」
八人で共用とはいえ、伴侶は伴侶。それはともかく、アカツキはこれから強制的に、幸せに包まれた日々を送ることになるだろう。ただし彼の罪が消えるわけではない。
「むしろ、死ぬより辛い試練かもね。自分を許せなきゃ、本当の意味で幸せにはなれないもの」
「俺たちの町に放火した野郎だ、どれだけ苦しもうと知るか」
「そうね。でも……」
最後の一口分のパスタを巻きとる手を止め、私はフィベリオと目を合わせた。
「殺しちゃったら、もう二度と会えない。ぶん殴って謝らせることもできない」
「……」
「……そっとしておいてあげて?」
するとフィベリオはふっと息を吐き、陽気に笑みを浮かべる。
「俺の仕事は敵を倒すことであって、増やすことじゃねぇ。ただ貶されるのも嫌われるのも構わねぇが、舐められるのは我慢ならねぇからな。あんたと俺たちの信頼関係を確かめたかったんだよ」
「ありがと」
安心したわたしはスパゲッティを口に運び、最後の一口をゆっくりと味わった。そうしている間に、フィベリオの頼んだ料理が運ばれてくる。レスカティエ風という意味のパスタだけど、魔界化前のレスカティエのことであり、魔界料理ではない。
「しかしレミィナ姫、あんたはなんでまた、俺たちみたいな悪党と付き合うんだい?」
「あら、善人とか悪人とかって、凄くくだらない区別だと思わない?」
食後に飲む蒸留酒を口にしつつ、わたしは言う。華やかな香りと強いアルコールが口に広がる。
「魅力的な人か、つまらない人か。それだけよ、人間も魔物も。だから貴方も、あのシー・ビショップと仲良くしてあげなよ?」
私の言葉に、フィベリオは面食らったような顔をした。彼によく会いに来るシー・ビショップがいて、彼がそっけない態度をとり続けているのを私は知っていた。
「……海の司祭が、マフィアと仲良くしちゃ駄目だろ」
「そういうところが、分かってないのよ」
ぐっと蒸留酒を飲み干し、わたしは席を立った。もうすぐこの町を立ち、ルージュ・シティに向かう。親友リライアが作ったあの町は、どれだけ発展しただろうか。どんな面白い物語が生まれているのだろうか。今から楽しみで仕方ない。
店員に銅貨を渡し、自分の会計を済ませる。その時、フィベリオがテーブルから声をかけてきた。
「あんたさっき、自分を許せなきゃ駄目だって言ってたな」
椅子にもたれながら、武闘派幹部は陽気な声で語る。
「その意味じゃフランチーとイバは、本当に幸せになれそうだぜ」
「んふふっ。それは何より」
私の懐中時計を貶し、さらにはそれを作ったあの人まで侮辱したムカツク勇者。それが今ではマフィアの一員で、夜には夫と一緒に快楽の時間を過ごしている。やっぱりこの世は面白い。
懐から時計を取り出して、時間を見る。独立した秒針は、今日も逆回りに時を刻んでいた。私の時間は無限にあるけど、世界の時間は凄い速さで動いているのだ。じっとしているなんて勿体ない。
「またね、フィベリオ。アレッシオにも宜しく」
「ああ、気をつけてな」
店を出て、私は歩き始めた。私の【時】を楽しむために。
ワインを飲み干し、わたしは息を吐いた。パスタの歯ごたえと言い、ワインの喉越しと言い、この港町の料理は格別だ。作っているのは陽気な中年のシェフで、褒めると大喜びでお酒をサービスしてくれたりする。景観も素晴らしい。このレストランからは港が見えるようになっていて、古い町並みと限りなく青い海が憎いほど合っている。この町を恐れる魔物もいるけど、来てみればそれほど怖くはない。普通にしている分には、人にも魔物にも優しい町なのだ。今回は目的があって来たけど、何度でもふらりと立ち寄りたくなる町である。
「ご機嫌だな、お姫様」
横から声をかけてくる男がいた。殺し屋マフィア幹部、フィベリオ・ルジャーノ。よく知った男だ。
「美味しい物を食べているときは、誰だって幸せになるものよ」
「そりゃそうだ。座っていいかい?」
「どうぞ」
フィベリオはわたしの向かい側に腰掛けた。彼はいつもグレーのスーツを着ていて、それがこの町の青空と海によく似合っている。グレーを好む理由は「コントラストの低い色だから目立ちにくい」という殺し屋らしいものだけど、どこかで粋な男を演出しようとするのがこの町のマフィアだ。
「やってくれたな、今回は」
「あら、何のこと?」
パスタをフォークに巻き、口に運ぶ。アルデンテの噛みごたえと、それに絡むバジルの風味が舌を楽しませる。
「アカツキの居場所を教えたんだろ? 傾くどころか引っ繰り返った国で、“傾国の黒稲荷”とか呼ばれてる女に」
言いながら、フィベリオは片手を上げてウェイターを呼んだ。若いウェイターが嬉しそうにやってくるのは、わたしの近くに来られるからだろう。これでも一応、リリムとしての魅了の力は押さえ込んでいる。そうしないとわたしが町を歩く度に馬車が事故ったり、煙突掃除夫が屋根から落ちたりするから。
「アレッシオは怒ってるの?」
首領の名を出し、ニコリと笑ってみせる。フィベリオは苦笑しつつ、ウェイターに注文を述べた。
「スパゲッティ・アッラ・レスカティアーナを。……首領は気にしちゃいないさ。あんたも魔界のお姫様として、立場ってものがあるだろうし」
「おっと。誤解の無いように言っておくけど」
名残惜しそうに去っていくウェイターを見送り、わたしは告げた。
「わたしは自分がリリムだからっていう理由で動いたことは一度も無いわ。父上と母上の娘に生まれたことは誇りに思ってるけど、それは私の手柄じゃないし」
「いや、そもそもあんたは何がしたいんだよ」
姿勢を崩し、フィベリオはわたしを見る。
「その辺を適当にふらついたり、俺たちみたいな悪党と友達付き合いしたり。あと今回みたいに話をややこしくしたり」
「迷惑だったら謝るけどね。わたしはただ、あの狐っ娘の願いを叶えてやりたかっただけ」
レスカティエの重臣である黒稲荷・今宵の従兄弟に当たる男が、教団の元で魔物に害を為している。そして彼女は、自分の従兄弟を助け出したかった。魔物になって辛い人間時代を捨てても、いや、むしろ魔物になったからこそ、他者に対する憐れみが強くなったのかもしれない。凶行を続ける従兄弟を、止めたかったのだ。
私は教団がツェリーニ・ファミリーとの戦いにアカツキ・アマノミヤを使ったことを知り、親衛隊も使って教団の行動を調べた。そしてフランチェスカがアカツキに接触した際、彼女の魔力を察知してその居場所を伝えたのだ。
「レスカティエは奴をどうするんだ?」
「脳に傷を負って半身不随らしいから、誰か適当な娘が介護につくと思うよ。今宵ちゃんにはもう旦那様がいるし♪」
八人で共用とはいえ、伴侶は伴侶。それはともかく、アカツキはこれから強制的に、幸せに包まれた日々を送ることになるだろう。ただし彼の罪が消えるわけではない。
「むしろ、死ぬより辛い試練かもね。自分を許せなきゃ、本当の意味で幸せにはなれないもの」
「俺たちの町に放火した野郎だ、どれだけ苦しもうと知るか」
「そうね。でも……」
最後の一口分のパスタを巻きとる手を止め、私はフィベリオと目を合わせた。
「殺しちゃったら、もう二度と会えない。ぶん殴って謝らせることもできない」
「……」
「……そっとしておいてあげて?」
するとフィベリオはふっと息を吐き、陽気に笑みを浮かべる。
「俺の仕事は敵を倒すことであって、増やすことじゃねぇ。ただ貶されるのも嫌われるのも構わねぇが、舐められるのは我慢ならねぇからな。あんたと俺たちの信頼関係を確かめたかったんだよ」
「ありがと」
安心したわたしはスパゲッティを口に運び、最後の一口をゆっくりと味わった。そうしている間に、フィベリオの頼んだ料理が運ばれてくる。レスカティエ風という意味のパスタだけど、魔界化前のレスカティエのことであり、魔界料理ではない。
「しかしレミィナ姫、あんたはなんでまた、俺たちみたいな悪党と付き合うんだい?」
「あら、善人とか悪人とかって、凄くくだらない区別だと思わない?」
食後に飲む蒸留酒を口にしつつ、わたしは言う。華やかな香りと強いアルコールが口に広がる。
「魅力的な人か、つまらない人か。それだけよ、人間も魔物も。だから貴方も、あのシー・ビショップと仲良くしてあげなよ?」
私の言葉に、フィベリオは面食らったような顔をした。彼によく会いに来るシー・ビショップがいて、彼がそっけない態度をとり続けているのを私は知っていた。
「……海の司祭が、マフィアと仲良くしちゃ駄目だろ」
「そういうところが、分かってないのよ」
ぐっと蒸留酒を飲み干し、わたしは席を立った。もうすぐこの町を立ち、ルージュ・シティに向かう。親友リライアが作ったあの町は、どれだけ発展しただろうか。どんな面白い物語が生まれているのだろうか。今から楽しみで仕方ない。
店員に銅貨を渡し、自分の会計を済ませる。その時、フィベリオがテーブルから声をかけてきた。
「あんたさっき、自分を許せなきゃ駄目だって言ってたな」
椅子にもたれながら、武闘派幹部は陽気な声で語る。
「その意味じゃフランチーとイバは、本当に幸せになれそうだぜ」
「んふふっ。それは何より」
私の懐中時計を貶し、さらにはそれを作ったあの人まで侮辱したムカツク勇者。それが今ではマフィアの一員で、夜には夫と一緒に快楽の時間を過ごしている。やっぱりこの世は面白い。
懐から時計を取り出して、時間を見る。独立した秒針は、今日も逆回りに時を刻んでいた。私の時間は無限にあるけど、世界の時間は凄い速さで動いているのだ。じっとしているなんて勿体ない。
「またね、フィベリオ。アレッシオにも宜しく」
「ああ、気をつけてな」
店を出て、私は歩き始めた。私の【時】を楽しむために。
12/02/11 23:36更新 / 空き缶号
戻る
次へ