フランチェスカの誘惑について
夜風が通り過ぎていくと、服の左袖がひらひらと靡いた。まるで失った左腕を懐かしむかのように、中身のない袖が揺れている。
この町の月は故郷見たものより、白く澄んだように見える。星の瞬く黒一色の中に、ぽつりと氷が浮かんでいるかのようだ。その下で海が静かに波打ち、夜風が吹きすさぶ。船を浮かべて月見酒としゃれ込みたいところだが、この古都の月夜は見た目ほど美しくはない。
その理由は三つ。まず、この月の下で悪事を働く輩がいること。
二つ目は、それがこの町では普通だということ。
三つ目は……私の足下に、つい先ほど斬り捨てた男が転がっているからだ。
血溜まりを作っているその死体を雇い主に見せれば、数日食べていくのに困らない賞金が出る。逆に言うと、この町では人の命にその程度の値段しかつかない。この町の掟を破りさえしなければ平穏に暮らせるのだが、私のような人間がいくらいても、外からその掟を壊しにかかる馬鹿が後を絶たない。私の足下にいる男はまだ若く、懐からは二組の指輪が出てきた。女がいるのなら、この町で阿片剤を売ろうなどと考えなければいいものを。
「……」
一つ息を吐き、納刀。左腕を切り落とされて以来、この右腕一本で刀を操り、多くの人間を屠ってきた。祖国でもこのエスクーレ・シティでもやることは変わらないが、この悪徳の港の方が私のような人間を必要としている。人斬りが必要とされるなど、本来ならあってはならないことだろうが、それが現実だ。
ふいに、背後から足音が聞こえる。ゆっくりと振り向くと、月明かりに照らされた人影がすぐ近くまで来ていた。
「ご苦労さま、シロー」
「……フランチェスカ殿か」
眼鏡のずれを直し、私は彼女の顔を確認する。いつもと同じダークスーツに身を包み、濃い黄金色の髪が月光に煌めいていた。男にも女にも見える顔立ちに不敵な笑みを浮かべ、歩み寄ってくる男装の麗人。
フランチェスカ・リッピ。この町を牛耳る裏組織・ツェリーニファミリーの幹部だ。
「死体を確認しに来た。野晒しにしておくことになったからね」
「左様でござるか」
恐らく見せしめということだろうが、私としても運ぶ手間が省けて助かる。残酷ではあるが、この男は馬鹿なことをやりすぎたのだ。
フランチェスカは死体をちらりと眺め、内ポケットから小さな瓶を取り出すと、蓋を開けてぐっと飲む。私の国では貴重品の葡萄酒だが、この町の住民は常日頃から愛飲しており、特に彼女はいつでも持ち歩いているのだ。
「報酬は明朝払うよ。今夜は僕からのボーナスで我慢して」
ふわりとした動きで、彼女は私に瓶を差し出す。葡萄酒独特の香りに、一瞬だけ香水の匂いが混じった。ふとした瞬間に香る程度の匂いがむしろ色っぽく、少し意地の悪そうな笑顔にも、どことなく女の色気が感じられた。
「では、ありがたく」
私は半分ほど残っている瓶を受け取り、口をつける。足下に広がる血と同じ色の酒が、なめらかに喉を通っていく。口腔に残る渋みと香りを楽しみながら、すーっと飲み干していった。
この港町……エスクーレ・シティは、豊かな文化と陽気な住民、そして自由貿易で知られる中立都市だ。しかし豊かな町ほど、腐るのも早い。古来より様々な権力者や魔物がこの町を狙い、支配者が変わるたびに町は混乱し、時には汚職の温床となった。住民たちは翻弄されるばかりの日々に嫌気が差し、いつしか団結するようになった。
そうして生まれた裏の共同体を、この一帯では『マフィア』と呼ぶ。彼らがありとあらゆる外敵をエスクーレから駆逐し、殲滅し、時には敵の本拠に乗り込んで制裁を加える。近海の海賊たちを手なずけ、敵に対する防波堤にもしている。表通りを歩く住民の笑顔は、裏社会の鉄の掟によって守られているのだ。
日の国からこの町に流れ着いた私は、そのマフィア……ツェリーニファミリーから仕事を請け負い、賞金稼ぎとして生計を立てている。
「いい加減、僕らの兄弟になったらどうだい? シロー・イバ」
死体の口に石を詰め終えたとき、フランチェスカが耳元で囁いた。
賞金稼ぎではなく、正式にファミリーに入れという意味だ。彼女のみならず、以前から幹部たちに誘いを受けている。待遇は悪くはなさそうだし、私が個人的には彼らを好いているのも事実だ。しかし……。
「貴女方は郷土愛で戦うのでござろうが、拙者は所詮余所者。命がけでこの町を守る気にはなれませぬ故」
「ふうん」
微かに笑みを浮かべ、彼女は私の袖を引く。失った左腕の感覚は未だに残っているが、さすがに触覚は滅びているようだ。
だがその時、私は心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。袖を掴むフランチェスカの手が、私を見つめる紫色の瞳が、端の持ち上がった口元が、その鼓動を早めていく。顔が熱くなり、体中が何かを求めて疼くような感覚を覚える。この奇妙な気分は酒精(アルコール)のせいではないだろう。眼前で微笑むフランチェスカの姿から、私は目を離せなくなっていたのだ。
「効いてきたかな? フフ……」
くすくすと笑うフランチェスカ。彼女が歩き出し、私もそれに釣られて歩を進めてしまう。体が言うことを聞かず、抗えない。
「あのワインには良い物が混ぜてあってね。……怒らないでよ、僕だって同じのを飲んだんだから」
フランチェスカも私と同様、息が荒くなっていた。酒精と香水の匂いが、ふわりと漂う。月明かりの下、彼女の熱っぽい視線を受けながら、私はぼんやりとした頭でなすがままになっていた。
「僕からのボーナス、まだあるんだよ……♪」
… … …
蝋燭の明かりが灯った、安宿の薄暗い寝室。
私は全裸でベッドに寝かされ、フランチェスカは妖しげな笑みを浮かべながら、紫色の瞳でじっと見下ろしている。
彼女もダークスーツを脱ぎ去り、裸体を晒していた。その体つきは男とも女とも似つかず、脂身の無い胸と、華奢で柔らかそうな腰や腕を併せ持つ……強いて言うなら、初心な少年とでも言うべき体だった。しかし下半身に目をやると、そこに男の象徴たる、排泄と生殖を司る器官が存在しない。代わりにつるりとした割れ目があり、ぬめりを帯びた液が蝋燭の明かりで光っている。
その下に目をやると、内ももに刺青が彫られているのが分かる。時計の文字盤から、鈎爪の生えた手が出ているという奇妙な意匠だ。
刺青をすっと撫でたかと思うと、彼女は私の上に覆い被さるようにして、ベッドに乗ってくる。葡萄酒に混ぜられた薬と、女の象徴を間近で見せられた影響で、私の股の物は完全に怒張していた。それを指先でつつかれ、ぴりりと快感が走る。
「……こんなこと、アレッシオ殿に知られれば……」
ツェリーニファミリー首領の名を出したものの、私は完全に抵抗できなくなっていた。薬のせいだけではない、フランチェスカの体から滲み出る何かが、私を浸食しているように思えてならない。止めなければ駄目だと思いつつ、この後に起こる展開を待ち望んでいる自分がいるのも、認めざるを得なかった。
「そのドン・ツェリーニが許可したことさ。僕が君を籠絡して、ファミリーに釘付けにするために……」
「フランチェスカ殿はそのためだけに、こんなことまで……?」
私の言葉に、彼女はくすりと笑った。
「そのため“だけ”なんて、酷いなぁ……好きでもない男と寝るほど、安い女に見えるかい?」
その言葉と同時に、彼女の体に異変が起き始めた。金髪の一部が盛り上がったかと思うと、その中から黒く尖った突起が姿を見せる。硬そうで節のあるそれは、羊や山羊の角に酷似していた。同時に彼女の腰から、蝙蝠のそれを思わせる黒い翼が生え始める。折りたたまれた状態の翼がばさりと開かれ、微かな風が体に当たった。その頃には先端の尖った尻尾も現れ、彼女の背後でくねくねと揺れていた。
「魔物……!」
「ああ、シローにはこの姿見せてなかったね」
思い出したかのようにフランチェスカは言う。祖国では魔物などそれほど珍しくはなく、この町でも魔物の居住は……ツェリーニファミリーにさえ逆らわなければ……許されている。しかしまさかそのマフィアの幹部が魔物だったとは。驚くと同時に、私に流れ込んでくる奇妙な力が、彼女の魔力なのだとようやく気づいた。
「今からたっぷり、僕のことを教えてあげる……♪」
彼女が、私の男根をぎゅっと掴んだ。力を入れたり、緩めたり、感触を確かめるかのように弄ってくる。さらに顔を近づけてまじまじと観察されると、羞恥心がこみ上げると共に先走りの液が分泌されていった。さらに小さな鼻をひくつかせ、臭いまで確かめられる。
「うわぁ、いいニオイ……大きさは昔の僕のと同じくらいか」
「え……?」
「フフ……まあ詳しいことは追々……」
不可解な言葉を呟いたかと思うと、フランチェスカは男根を両手でしごき始めた。手の温もりとすべすべした肌の感触が、竿を、亀頭をゆっくりと擦っていく。それを見つめる紫色の瞳が、蝋燭の灯りで不思議な色合いに見えた。指先で先走りの汁をすくって口に運び、フランチェスカはうっとりとした表情を浮かべて、さらに責め続ける。掌が肉棒に擦れる度、彼女の息が亀頭にかかる度、体が射精を要求する。
このままでは不味い。心に残った最後の理性が警告してくるものの、私は目の前の魔物に、オスともメスとも似つかぬ存在に、抗う気力が沸いてこなかった。そもそも何が不味いのか……と言えば、後戻りができなくなることだ。幹部であり首領の信任も厚いフランチェスカと体を重ねてしまったら、その時点で彼らツェリーニファミリーと縁は切れなくなる。
そんな私を嘲笑うかのように、フランチェスカが手の動きを早める。
「ほぉら、イっちゃえ……♪」
甘い声と共に、股間を中心に快楽が駆けめぐっていく。素早く掌でしごかれ、片手で玉袋をくすぐられる。こそばゆい刺激で、反射的に脚をばたつかせてしまったが、それでもフランチェスカは男根から離れない。むしろ私の抵抗を楽しむかのように、笑いながら顔を見上げてきた。
「どう? 僕の手。ほら、遠慮しないで出しちゃえよ……シローの特濃ザーメン、打ち上げ花火みたいに飛ばしてみなよ?」
その言葉は密のように甘い毒として、私の耳に注ぎ込まれた。その瞬間、粘っていた理性があっけなく情欲にひれ伏した。フランチェスカの手の動きに導かれるがごとく、玉袋で作られた物が輸精管を通っていく。粘度が高いのか、ゆっくりとこみ上げ……一気に爆発した。
「うわっ」
フランチェスカが驚きの声を上げたのも無理はない。大量に迸った精液は重力に従って落下し、私の股間部と彼女の手、顔にびちゃびちゃと降り注いだ。出し尽くした快感で脱力し、その余韻と敗北感で胸が一杯になる。
それに対し、フランチェスカは白濁まみれの顔に勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「フフっ。一杯出ちゃったね、シロー」
「……一体何を飲ませたので……うっ!?」
彼女の舌が、股間に付着した精液を舐め取り始めた。赤い舌がねっとりと這い回る刺激と、上目遣いで見つめてくる紫色の瞳により、私の体は再び彼女を求めて疼き出した。葡萄酒に混ぜられた薬の効果か、男根はあっという間に硬さを取り戻し、天井を指して反り返る。
「マンドラゴラの根に……僕の魔力を抽出して精製した薬さ。男がサキュバスの魔力を体に取り込むと、どうなるかは分かるよね?」
「……インキュバス」
快楽に溶けていく頭から、その知識を抜き出した。魔物と長く交わり続けた男は魔力を体にため込み、彼女たちとの性交に特化した体質に変化する。それがインキュバス。『魔物のオス』と呼ぶべきか『進化した人類』と呼ぶべきか、親魔物派の中でも意見は分かれているが、とにかく無尽蔵の精を持ち、魔物と愛し合うのに適した存在なのだ。特に魔王の同族であるサキュバス種と性交を続けた場合、より早くインキュバス化するという。或いはサキュバスの魔力を抽出した魔法薬を飲めば、より手軽にインキュバス化できるとも文献に書かれていた。
つまり……。
「そうまでして、私をファミリーに入れたいのでござるか?」
「ああ、入れたいね。“隻腕の鼬”シロー・イバ……余所へ奪われたら惜しい。そして何よりも……」
フランチェスカが姿勢を変えた。肘から先を失った左腕を掴み、私の上半身に向かって這い寄り……次の瞬間、頭を抱き締めてきた。彼女のほぼ平らな胸に押しつけられると、膨らみが無いにも関わらず奇妙な柔らかさが伝わってくる。
--そう言えば物心ついてから、誰かに抱きしめられたことなど無かったな……
後頭部を優しく撫でられると、このまま眠ってしまいたいような気分になってきた。いつも私に命令を伝え、時々からかいながら食事に誘ってくる男装の麗人。もしかすると私は以前から、彼女に何かを求めていたのかもしれない……そう思えてきた。
「何よりも、僕がシローを欲しいんだよ。シロー・イバという男を」
熱のこもった声で、フランチェスカは言う。腰に巻き付いてきた何かが、彼女の尻尾だとすぐに分かった。
「僕はね、元々人間だったんだよ。しかもフランチェスコという男だった」
「男……!?」
私が驚きの声をあげると、彼女は抱き締める力を強めた。胸に当たった息がくすぐったかったのかもしれない。
貧胸を押しつけながら私の頭を、そして芋のような形の上腕だけが残る左腕を、優しく撫でてくれる。この年になって女に抱かれて頭を撫でられ、しかもそれを喜ぶとは、我ながら情けない。ましてや相手は『元』男ときている。だが胸のぬくもりは、その羞恥さえも塗りつぶしていった。
「教団の勇者だったんだよ、一応。懐中時計持ったリリムをマジギレさせたせいで、このザマさ」
自嘲するかのような、少し戯けた口調だった。ふいに抱擁を解き、紫色の瞳が間近で私を見つめる。最高級の紫水晶を磨いて加工したかのような、吸い込まれそうなほどに澄んだ紫色だ。彼女の求めを全て受け入れれば、この瞳も、あの胸のぬくもりも全て手にはいるのではないか……そんな欲望がこみ上げてくる。
「僕の昔話、聞かせてやるよ。シローのコレで遊びながらね」
フランチェスカはにやりと笑い、おもむろに男根を掴んできた。二度目の勃起の後放置されていた男根は、その感触に敏感に反応してしまう。
彼女の笑顔を眼前に見ながら、私は確実に彼女の虜になっていく自分を、自覚し始めていた。
この町の月は故郷見たものより、白く澄んだように見える。星の瞬く黒一色の中に、ぽつりと氷が浮かんでいるかのようだ。その下で海が静かに波打ち、夜風が吹きすさぶ。船を浮かべて月見酒としゃれ込みたいところだが、この古都の月夜は見た目ほど美しくはない。
その理由は三つ。まず、この月の下で悪事を働く輩がいること。
二つ目は、それがこの町では普通だということ。
三つ目は……私の足下に、つい先ほど斬り捨てた男が転がっているからだ。
血溜まりを作っているその死体を雇い主に見せれば、数日食べていくのに困らない賞金が出る。逆に言うと、この町では人の命にその程度の値段しかつかない。この町の掟を破りさえしなければ平穏に暮らせるのだが、私のような人間がいくらいても、外からその掟を壊しにかかる馬鹿が後を絶たない。私の足下にいる男はまだ若く、懐からは二組の指輪が出てきた。女がいるのなら、この町で阿片剤を売ろうなどと考えなければいいものを。
「……」
一つ息を吐き、納刀。左腕を切り落とされて以来、この右腕一本で刀を操り、多くの人間を屠ってきた。祖国でもこのエスクーレ・シティでもやることは変わらないが、この悪徳の港の方が私のような人間を必要としている。人斬りが必要とされるなど、本来ならあってはならないことだろうが、それが現実だ。
ふいに、背後から足音が聞こえる。ゆっくりと振り向くと、月明かりに照らされた人影がすぐ近くまで来ていた。
「ご苦労さま、シロー」
「……フランチェスカ殿か」
眼鏡のずれを直し、私は彼女の顔を確認する。いつもと同じダークスーツに身を包み、濃い黄金色の髪が月光に煌めいていた。男にも女にも見える顔立ちに不敵な笑みを浮かべ、歩み寄ってくる男装の麗人。
フランチェスカ・リッピ。この町を牛耳る裏組織・ツェリーニファミリーの幹部だ。
「死体を確認しに来た。野晒しにしておくことになったからね」
「左様でござるか」
恐らく見せしめということだろうが、私としても運ぶ手間が省けて助かる。残酷ではあるが、この男は馬鹿なことをやりすぎたのだ。
フランチェスカは死体をちらりと眺め、内ポケットから小さな瓶を取り出すと、蓋を開けてぐっと飲む。私の国では貴重品の葡萄酒だが、この町の住民は常日頃から愛飲しており、特に彼女はいつでも持ち歩いているのだ。
「報酬は明朝払うよ。今夜は僕からのボーナスで我慢して」
ふわりとした動きで、彼女は私に瓶を差し出す。葡萄酒独特の香りに、一瞬だけ香水の匂いが混じった。ふとした瞬間に香る程度の匂いがむしろ色っぽく、少し意地の悪そうな笑顔にも、どことなく女の色気が感じられた。
「では、ありがたく」
私は半分ほど残っている瓶を受け取り、口をつける。足下に広がる血と同じ色の酒が、なめらかに喉を通っていく。口腔に残る渋みと香りを楽しみながら、すーっと飲み干していった。
この港町……エスクーレ・シティは、豊かな文化と陽気な住民、そして自由貿易で知られる中立都市だ。しかし豊かな町ほど、腐るのも早い。古来より様々な権力者や魔物がこの町を狙い、支配者が変わるたびに町は混乱し、時には汚職の温床となった。住民たちは翻弄されるばかりの日々に嫌気が差し、いつしか団結するようになった。
そうして生まれた裏の共同体を、この一帯では『マフィア』と呼ぶ。彼らがありとあらゆる外敵をエスクーレから駆逐し、殲滅し、時には敵の本拠に乗り込んで制裁を加える。近海の海賊たちを手なずけ、敵に対する防波堤にもしている。表通りを歩く住民の笑顔は、裏社会の鉄の掟によって守られているのだ。
日の国からこの町に流れ着いた私は、そのマフィア……ツェリーニファミリーから仕事を請け負い、賞金稼ぎとして生計を立てている。
「いい加減、僕らの兄弟になったらどうだい? シロー・イバ」
死体の口に石を詰め終えたとき、フランチェスカが耳元で囁いた。
賞金稼ぎではなく、正式にファミリーに入れという意味だ。彼女のみならず、以前から幹部たちに誘いを受けている。待遇は悪くはなさそうだし、私が個人的には彼らを好いているのも事実だ。しかし……。
「貴女方は郷土愛で戦うのでござろうが、拙者は所詮余所者。命がけでこの町を守る気にはなれませぬ故」
「ふうん」
微かに笑みを浮かべ、彼女は私の袖を引く。失った左腕の感覚は未だに残っているが、さすがに触覚は滅びているようだ。
だがその時、私は心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。袖を掴むフランチェスカの手が、私を見つめる紫色の瞳が、端の持ち上がった口元が、その鼓動を早めていく。顔が熱くなり、体中が何かを求めて疼くような感覚を覚える。この奇妙な気分は酒精(アルコール)のせいではないだろう。眼前で微笑むフランチェスカの姿から、私は目を離せなくなっていたのだ。
「効いてきたかな? フフ……」
くすくすと笑うフランチェスカ。彼女が歩き出し、私もそれに釣られて歩を進めてしまう。体が言うことを聞かず、抗えない。
「あのワインには良い物が混ぜてあってね。……怒らないでよ、僕だって同じのを飲んだんだから」
フランチェスカも私と同様、息が荒くなっていた。酒精と香水の匂いが、ふわりと漂う。月明かりの下、彼女の熱っぽい視線を受けながら、私はぼんやりとした頭でなすがままになっていた。
「僕からのボーナス、まだあるんだよ……♪」
… … …
蝋燭の明かりが灯った、安宿の薄暗い寝室。
私は全裸でベッドに寝かされ、フランチェスカは妖しげな笑みを浮かべながら、紫色の瞳でじっと見下ろしている。
彼女もダークスーツを脱ぎ去り、裸体を晒していた。その体つきは男とも女とも似つかず、脂身の無い胸と、華奢で柔らかそうな腰や腕を併せ持つ……強いて言うなら、初心な少年とでも言うべき体だった。しかし下半身に目をやると、そこに男の象徴たる、排泄と生殖を司る器官が存在しない。代わりにつるりとした割れ目があり、ぬめりを帯びた液が蝋燭の明かりで光っている。
その下に目をやると、内ももに刺青が彫られているのが分かる。時計の文字盤から、鈎爪の生えた手が出ているという奇妙な意匠だ。
刺青をすっと撫でたかと思うと、彼女は私の上に覆い被さるようにして、ベッドに乗ってくる。葡萄酒に混ぜられた薬と、女の象徴を間近で見せられた影響で、私の股の物は完全に怒張していた。それを指先でつつかれ、ぴりりと快感が走る。
「……こんなこと、アレッシオ殿に知られれば……」
ツェリーニファミリー首領の名を出したものの、私は完全に抵抗できなくなっていた。薬のせいだけではない、フランチェスカの体から滲み出る何かが、私を浸食しているように思えてならない。止めなければ駄目だと思いつつ、この後に起こる展開を待ち望んでいる自分がいるのも、認めざるを得なかった。
「そのドン・ツェリーニが許可したことさ。僕が君を籠絡して、ファミリーに釘付けにするために……」
「フランチェスカ殿はそのためだけに、こんなことまで……?」
私の言葉に、彼女はくすりと笑った。
「そのため“だけ”なんて、酷いなぁ……好きでもない男と寝るほど、安い女に見えるかい?」
その言葉と同時に、彼女の体に異変が起き始めた。金髪の一部が盛り上がったかと思うと、その中から黒く尖った突起が姿を見せる。硬そうで節のあるそれは、羊や山羊の角に酷似していた。同時に彼女の腰から、蝙蝠のそれを思わせる黒い翼が生え始める。折りたたまれた状態の翼がばさりと開かれ、微かな風が体に当たった。その頃には先端の尖った尻尾も現れ、彼女の背後でくねくねと揺れていた。
「魔物……!」
「ああ、シローにはこの姿見せてなかったね」
思い出したかのようにフランチェスカは言う。祖国では魔物などそれほど珍しくはなく、この町でも魔物の居住は……ツェリーニファミリーにさえ逆らわなければ……許されている。しかしまさかそのマフィアの幹部が魔物だったとは。驚くと同時に、私に流れ込んでくる奇妙な力が、彼女の魔力なのだとようやく気づいた。
「今からたっぷり、僕のことを教えてあげる……♪」
彼女が、私の男根をぎゅっと掴んだ。力を入れたり、緩めたり、感触を確かめるかのように弄ってくる。さらに顔を近づけてまじまじと観察されると、羞恥心がこみ上げると共に先走りの液が分泌されていった。さらに小さな鼻をひくつかせ、臭いまで確かめられる。
「うわぁ、いいニオイ……大きさは昔の僕のと同じくらいか」
「え……?」
「フフ……まあ詳しいことは追々……」
不可解な言葉を呟いたかと思うと、フランチェスカは男根を両手でしごき始めた。手の温もりとすべすべした肌の感触が、竿を、亀頭をゆっくりと擦っていく。それを見つめる紫色の瞳が、蝋燭の灯りで不思議な色合いに見えた。指先で先走りの汁をすくって口に運び、フランチェスカはうっとりとした表情を浮かべて、さらに責め続ける。掌が肉棒に擦れる度、彼女の息が亀頭にかかる度、体が射精を要求する。
このままでは不味い。心に残った最後の理性が警告してくるものの、私は目の前の魔物に、オスともメスとも似つかぬ存在に、抗う気力が沸いてこなかった。そもそも何が不味いのか……と言えば、後戻りができなくなることだ。幹部であり首領の信任も厚いフランチェスカと体を重ねてしまったら、その時点で彼らツェリーニファミリーと縁は切れなくなる。
そんな私を嘲笑うかのように、フランチェスカが手の動きを早める。
「ほぉら、イっちゃえ……♪」
甘い声と共に、股間を中心に快楽が駆けめぐっていく。素早く掌でしごかれ、片手で玉袋をくすぐられる。こそばゆい刺激で、反射的に脚をばたつかせてしまったが、それでもフランチェスカは男根から離れない。むしろ私の抵抗を楽しむかのように、笑いながら顔を見上げてきた。
「どう? 僕の手。ほら、遠慮しないで出しちゃえよ……シローの特濃ザーメン、打ち上げ花火みたいに飛ばしてみなよ?」
その言葉は密のように甘い毒として、私の耳に注ぎ込まれた。その瞬間、粘っていた理性があっけなく情欲にひれ伏した。フランチェスカの手の動きに導かれるがごとく、玉袋で作られた物が輸精管を通っていく。粘度が高いのか、ゆっくりとこみ上げ……一気に爆発した。
「うわっ」
フランチェスカが驚きの声を上げたのも無理はない。大量に迸った精液は重力に従って落下し、私の股間部と彼女の手、顔にびちゃびちゃと降り注いだ。出し尽くした快感で脱力し、その余韻と敗北感で胸が一杯になる。
それに対し、フランチェスカは白濁まみれの顔に勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「フフっ。一杯出ちゃったね、シロー」
「……一体何を飲ませたので……うっ!?」
彼女の舌が、股間に付着した精液を舐め取り始めた。赤い舌がねっとりと這い回る刺激と、上目遣いで見つめてくる紫色の瞳により、私の体は再び彼女を求めて疼き出した。葡萄酒に混ぜられた薬の効果か、男根はあっという間に硬さを取り戻し、天井を指して反り返る。
「マンドラゴラの根に……僕の魔力を抽出して精製した薬さ。男がサキュバスの魔力を体に取り込むと、どうなるかは分かるよね?」
「……インキュバス」
快楽に溶けていく頭から、その知識を抜き出した。魔物と長く交わり続けた男は魔力を体にため込み、彼女たちとの性交に特化した体質に変化する。それがインキュバス。『魔物のオス』と呼ぶべきか『進化した人類』と呼ぶべきか、親魔物派の中でも意見は分かれているが、とにかく無尽蔵の精を持ち、魔物と愛し合うのに適した存在なのだ。特に魔王の同族であるサキュバス種と性交を続けた場合、より早くインキュバス化するという。或いはサキュバスの魔力を抽出した魔法薬を飲めば、より手軽にインキュバス化できるとも文献に書かれていた。
つまり……。
「そうまでして、私をファミリーに入れたいのでござるか?」
「ああ、入れたいね。“隻腕の鼬”シロー・イバ……余所へ奪われたら惜しい。そして何よりも……」
フランチェスカが姿勢を変えた。肘から先を失った左腕を掴み、私の上半身に向かって這い寄り……次の瞬間、頭を抱き締めてきた。彼女のほぼ平らな胸に押しつけられると、膨らみが無いにも関わらず奇妙な柔らかさが伝わってくる。
--そう言えば物心ついてから、誰かに抱きしめられたことなど無かったな……
後頭部を優しく撫でられると、このまま眠ってしまいたいような気分になってきた。いつも私に命令を伝え、時々からかいながら食事に誘ってくる男装の麗人。もしかすると私は以前から、彼女に何かを求めていたのかもしれない……そう思えてきた。
「何よりも、僕がシローを欲しいんだよ。シロー・イバという男を」
熱のこもった声で、フランチェスカは言う。腰に巻き付いてきた何かが、彼女の尻尾だとすぐに分かった。
「僕はね、元々人間だったんだよ。しかもフランチェスコという男だった」
「男……!?」
私が驚きの声をあげると、彼女は抱き締める力を強めた。胸に当たった息がくすぐったかったのかもしれない。
貧胸を押しつけながら私の頭を、そして芋のような形の上腕だけが残る左腕を、優しく撫でてくれる。この年になって女に抱かれて頭を撫でられ、しかもそれを喜ぶとは、我ながら情けない。ましてや相手は『元』男ときている。だが胸のぬくもりは、その羞恥さえも塗りつぶしていった。
「教団の勇者だったんだよ、一応。懐中時計持ったリリムをマジギレさせたせいで、このザマさ」
自嘲するかのような、少し戯けた口調だった。ふいに抱擁を解き、紫色の瞳が間近で私を見つめる。最高級の紫水晶を磨いて加工したかのような、吸い込まれそうなほどに澄んだ紫色だ。彼女の求めを全て受け入れれば、この瞳も、あの胸のぬくもりも全て手にはいるのではないか……そんな欲望がこみ上げてくる。
「僕の昔話、聞かせてやるよ。シローのコレで遊びながらね」
フランチェスカはにやりと笑い、おもむろに男根を掴んできた。二度目の勃起の後放置されていた男根は、その感触に敏感に反応してしまう。
彼女の笑顔を眼前に見ながら、私は確実に彼女の虜になっていく自分を、自覚し始めていた。
11/10/31 20:45更新 / 空き缶号
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