つららはそだつ
夏でも雪が残る山の中に、俺たちの住まいはある。最初はヒヨミさん一人が住む小さな庵だったが、もう何年も増築を繰り返して、小さな屋敷と言えるくらいになった。
「……この時期になると、やっぱりあの日を思い出すなあ」
膝枕に頭を預けながら、ぼんやりと呟く。
「この世界へ来た日のこと?」
「ああ」
「素敵な思い出だものね」
彼女は微笑んで、耳掃除を続けてくれる。シャリシャリとひんやりした感触が耳の中をこすっては、風鈴みたいな音を立てて気持ち良い。
氷柱の耳かき……ヒヨミさんが作る氷柱女グッズの中でも、特に人気のある品だ。夏場の暑い夜に使うとよく眠れると評判で、よくヒヨミさんと一緒に売りに行って、俺自身にもこれで耳掃除してもらっている。誰が使っても十分効果はあるが、本当なら氷柱女が使うのが一番良いらしい。
まあ、今俺に耳掃除をしてくれてる氷柱女はヒヨミさんじゃないんだが。
「仕上げだよ」
綺麗になった耳に、ふーっと涼しい息を吹きかけられる。これが気持ち良いんだ。
「はい、終わったよ。お父様」
「ありがとな、ヒサメ」
微笑む長女の顔は、ヒヨミさんによく似ていた。その膝に頭を乗せたまま、しばらくぼーっとしてしまう。けどすぐに、外から別の家族の声が聞こえた。
「ただいま帰りましたー」
抑揚の無い声で、三女が帰宅を告げた。今年で十二歳、小さな体で何か大荷物を担いで、縁側を歩いていく。
いや、大荷物っていうか、氷漬けになった男の子じゃねーか。
「おいヒヨリ、どうしたんだその子!?」
「山で獲ってきました。十四さいのオスです」
「鹿じゃねーんだから!」
「解凍すればおいしくいただけます」
「……性的な意味でだよな?」
「はい。いくらわたしでも人のお肉は食べません」
ポーカーフェイスで淡々と喋るヒヨリ。こいつは誰に似たんだか分からん。
「あんた、ちゃんとお世話できるの?」
「だいじょーぶです。姉様より先に、わたしが父様に初孫の顔を見せてさしあげます」
ヒサメに向けて親指を立て、三女はパタパタと部屋へ駆けて行った。今の氷柱女や雪女に氷漬けにされても死にはしないが……あの少年は色々な意味で災難だな。娘に彼氏(多分何日もしないうちに婿へ昇格する)ができたってのに、ショックや感慨よりも同情が先に来た。
「……最近の若い子ってのは」
「父様も若いでしょ」
「若いってか、母さんと会ったときから歳取った感じがしねーな。しかしまあ、お前は外で男探そうとか全くしなかったな」
「父様が男前なのがいけないんだよ。母さんも認めてくれたし、いいでしょ?」
「もちろん、今さら他所へ嫁に行かれても嫌だ」
そう言って、俺は娘とキスをした。ヒヨミさんとするみたいな、濃厚なのを。
妖怪は妊娠中も積極的にセックスして、精をもらい続けないと赤ん坊が成長しない。お腹にいるうちに父親の精を知った娘の中には、それが刷り込まれて父親しか恋愛対象として見れなくなるヤツが時たまいるらしい。ヒヨミさんも「しょうがないか」と笑っていた。
それから二人同時に相手する夜が増えたが、両方に十分な精液を出すまで止めてくれないから時間がかかって、商売に支障が出る。それに二人ともたまには自分が俺を独占したいと言うから、どちらかだけを相手にする日も設けた。それで今のところ、楽しくやれている。
「誰に似たんだろうね、ヒヨリは」
すっとふすまを開けて、ヒヨミさんがやってきた。大きなお腹に手を添えて、ゆっくりと俺たちの側までやってくる。さっきまで次女と四女に縫い物を教えていたらしい。
「ヒヨミさん、あいつら上達しましたか?」
「うん、ヒナの方はもう売り物にできるくらい。ヒサヨはとりあえず、楽しくやってくれればいいさ」
夫婦になって、旦那様と呼ばれるようになっても、ヒヨミさんにはつい敬語を使ってしまう。何というか、娘がどれだけできても、今現在も五女と六女を妊娠していても、ヒヨミさんはあの日のヒヨミさんだから。
「そうっスね。しかしまあ、双子だけに今までになく大きくなりましたね、お腹」
「ふふ、そうだね」
にっこり微笑んでお腹を撫でるヒヨミさんは、何だか神々しい。
「人間はそう簡単に妖怪を孕ませられない、って聞きましたけど……」
「鼠とかの妖はポンポン生まれるらしいけどね。あたしらは、なんだろ……突然変異ってやつかな」
「この分だと、私みたいに父様に恋しちゃう子が増えるかもね」
「あるかもね。あんたもそのうち孕むだろうし」
家族三人で談笑していた、そのとき。やかましい足音と悲鳴が近づいてきた。
「うわああああ! 来るなあああああ!」
「わーい、まてまてー」
……必死に逃げる、裸に剥かれた少年。自分の背丈より長い氷柱を構えて追いかける三女。ひでぇ絵面だ。
「……さすがに止めてくるよ」
「わたしが行くよ、母様」
立ち上がろうとしたヒヨミさんを、ヒサメが制した。身重の母親を気遣う良い娘だ。
騒がしい娘たちとその犠牲者を眺めながら、ヒヨミさんと並んで座る。これが今の俺の日常で、ヒヨミさんのご両親とも仲良くやってる。どうみても二十代前半の義父さんが、太平洋戦争中の軍人だったと聞いたときはぶったまげたが、俺も気づけば十七歳の頃のまま、二十年近くこの世界にいる。
娘たちには幸せになってほしい。そして長女はともかく、他の娘たちと結婚するであろう男どもだって、俺みたいに幸せになってほしい。ちなみに今、ヒヨリに氷柱でカンチョーされかけた少年を、ヒサメが間一髪で救助した。
「旦那様、お一ついかが?」
ヒヨミさんが胸の谷間から、紫色の粒を取り出した。あの日食べさせてもらったのと同じ、凍果丸。
けど双子の宿るお腹を見ながら食べるそれは、あの日より甘かった。
ーーおわり
「……この時期になると、やっぱりあの日を思い出すなあ」
膝枕に頭を預けながら、ぼんやりと呟く。
「この世界へ来た日のこと?」
「ああ」
「素敵な思い出だものね」
彼女は微笑んで、耳掃除を続けてくれる。シャリシャリとひんやりした感触が耳の中をこすっては、風鈴みたいな音を立てて気持ち良い。
氷柱の耳かき……ヒヨミさんが作る氷柱女グッズの中でも、特に人気のある品だ。夏場の暑い夜に使うとよく眠れると評判で、よくヒヨミさんと一緒に売りに行って、俺自身にもこれで耳掃除してもらっている。誰が使っても十分効果はあるが、本当なら氷柱女が使うのが一番良いらしい。
まあ、今俺に耳掃除をしてくれてる氷柱女はヒヨミさんじゃないんだが。
「仕上げだよ」
綺麗になった耳に、ふーっと涼しい息を吹きかけられる。これが気持ち良いんだ。
「はい、終わったよ。お父様」
「ありがとな、ヒサメ」
微笑む長女の顔は、ヒヨミさんによく似ていた。その膝に頭を乗せたまま、しばらくぼーっとしてしまう。けどすぐに、外から別の家族の声が聞こえた。
「ただいま帰りましたー」
抑揚の無い声で、三女が帰宅を告げた。今年で十二歳、小さな体で何か大荷物を担いで、縁側を歩いていく。
いや、大荷物っていうか、氷漬けになった男の子じゃねーか。
「おいヒヨリ、どうしたんだその子!?」
「山で獲ってきました。十四さいのオスです」
「鹿じゃねーんだから!」
「解凍すればおいしくいただけます」
「……性的な意味でだよな?」
「はい。いくらわたしでも人のお肉は食べません」
ポーカーフェイスで淡々と喋るヒヨリ。こいつは誰に似たんだか分からん。
「あんた、ちゃんとお世話できるの?」
「だいじょーぶです。姉様より先に、わたしが父様に初孫の顔を見せてさしあげます」
ヒサメに向けて親指を立て、三女はパタパタと部屋へ駆けて行った。今の氷柱女や雪女に氷漬けにされても死にはしないが……あの少年は色々な意味で災難だな。娘に彼氏(多分何日もしないうちに婿へ昇格する)ができたってのに、ショックや感慨よりも同情が先に来た。
「……最近の若い子ってのは」
「父様も若いでしょ」
「若いってか、母さんと会ったときから歳取った感じがしねーな。しかしまあ、お前は外で男探そうとか全くしなかったな」
「父様が男前なのがいけないんだよ。母さんも認めてくれたし、いいでしょ?」
「もちろん、今さら他所へ嫁に行かれても嫌だ」
そう言って、俺は娘とキスをした。ヒヨミさんとするみたいな、濃厚なのを。
妖怪は妊娠中も積極的にセックスして、精をもらい続けないと赤ん坊が成長しない。お腹にいるうちに父親の精を知った娘の中には、それが刷り込まれて父親しか恋愛対象として見れなくなるヤツが時たまいるらしい。ヒヨミさんも「しょうがないか」と笑っていた。
それから二人同時に相手する夜が増えたが、両方に十分な精液を出すまで止めてくれないから時間がかかって、商売に支障が出る。それに二人ともたまには自分が俺を独占したいと言うから、どちらかだけを相手にする日も設けた。それで今のところ、楽しくやれている。
「誰に似たんだろうね、ヒヨリは」
すっとふすまを開けて、ヒヨミさんがやってきた。大きなお腹に手を添えて、ゆっくりと俺たちの側までやってくる。さっきまで次女と四女に縫い物を教えていたらしい。
「ヒヨミさん、あいつら上達しましたか?」
「うん、ヒナの方はもう売り物にできるくらい。ヒサヨはとりあえず、楽しくやってくれればいいさ」
夫婦になって、旦那様と呼ばれるようになっても、ヒヨミさんにはつい敬語を使ってしまう。何というか、娘がどれだけできても、今現在も五女と六女を妊娠していても、ヒヨミさんはあの日のヒヨミさんだから。
「そうっスね。しかしまあ、双子だけに今までになく大きくなりましたね、お腹」
「ふふ、そうだね」
にっこり微笑んでお腹を撫でるヒヨミさんは、何だか神々しい。
「人間はそう簡単に妖怪を孕ませられない、って聞きましたけど……」
「鼠とかの妖はポンポン生まれるらしいけどね。あたしらは、なんだろ……突然変異ってやつかな」
「この分だと、私みたいに父様に恋しちゃう子が増えるかもね」
「あるかもね。あんたもそのうち孕むだろうし」
家族三人で談笑していた、そのとき。やかましい足音と悲鳴が近づいてきた。
「うわああああ! 来るなあああああ!」
「わーい、まてまてー」
……必死に逃げる、裸に剥かれた少年。自分の背丈より長い氷柱を構えて追いかける三女。ひでぇ絵面だ。
「……さすがに止めてくるよ」
「わたしが行くよ、母様」
立ち上がろうとしたヒヨミさんを、ヒサメが制した。身重の母親を気遣う良い娘だ。
騒がしい娘たちとその犠牲者を眺めながら、ヒヨミさんと並んで座る。これが今の俺の日常で、ヒヨミさんのご両親とも仲良くやってる。どうみても二十代前半の義父さんが、太平洋戦争中の軍人だったと聞いたときはぶったまげたが、俺も気づけば十七歳の頃のまま、二十年近くこの世界にいる。
娘たちには幸せになってほしい。そして長女はともかく、他の娘たちと結婚するであろう男どもだって、俺みたいに幸せになってほしい。ちなみに今、ヒヨリに氷柱でカンチョーされかけた少年を、ヒサメが間一髪で救助した。
「旦那様、お一ついかが?」
ヒヨミさんが胸の谷間から、紫色の粒を取り出した。あの日食べさせてもらったのと同じ、凍果丸。
けど双子の宿るお腹を見ながら食べるそれは、あの日より甘かった。
ーーおわり
23/10/23 08:47更新 / 空き缶号
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