連載小説
[TOP][目次]
かくりよ
 ……しばらくウトウトしながら、ただ電車にガタゴト揺られていた。乗った覚えなんてない電車に。
 ブレーキの音は耳障りだが、めちゃくちゃ爽やかに目が覚めた。なんか古臭い木造の列車で、中はガラガラだけど、俺の隣にはなんか涼しい……

「あ、起きた?」

 あの女神様が座っていた。

「もう良くなったみたいだね。けど、大人しくしてた方がいいよ」

 話しながら、座席の上から荷物を下ろして背負っている。
 右目は氷の塊に覆われてよく見えないが、左の瞳も氷みたいな、キレイな青色だった。顔の形だけなら冷たそうな美人に見えるってのに、優しく、あったかく笑ってくれている。肌の色は相変わらず青みがかって、その上に白い霜が付いて、エロい着物の上に冷気を着てるみたいだ。
 やっぱり体のあちこちから氷柱が垂れていて、あのとき感じた良い匂いもする。

 俺の口の中には、果物の味が残っていた。
 あ?
 まさかこれ、夢じゃねーのか?

 女神様が俺の背中と、膝裏に手を回して。

「じっとしてな、よっと!」

 ヒョイっと抱き上げられた。これはいわゆる、アレか、お姫様抱っこってヤツか。

「休めるところへ行こう」

 俺を抱えたまま、女神様はゆっくりと列車から降りた。駅に着いてたみたいだ。

 うん、確かに駅っぽい場所だ。ホームに黄色い線、駅弁屋、路線図、電車を待つ客、制服を着た駅員……駅には違いねーな。けどいろいろおかしい。でかい木がホームのあっちこっちに生えて天井を支えてるし、路線図には知らねぇ駅名ばかりだ。
 しかも今し方降りたのは電車じゃなくて、汽車だった。真っ黒で無骨な、昔どっかの公園で見たのと同じ古い乗り物だ。

 駅の中は人で賑わっているけど、人って言えるのか怪しい。まあ、言っちまえば化け物だらけだ。下半身がヘビだったりクモだったり、動物の耳や尻尾が生えていたり、肌が赤や青でツノが生えていたり。俺を抱いている女神様と同じ、現実離れした女たちだ。

 頭はスッキリしてる。やっぱ現実だってのか、現実離れしたこの景色は。

「ねえ」

 人混みを避けて歩きながら、女神様が声をかけてきた。

「あたしの名前はヒヨミ。ヒは氷、ヨミは歌詠みの詠みね。まあ名前だけで詩才は無いんだけど。……あんたは?」
「え、あ……氷室辰巳っす。干支の辰と巳です」
「ふうん、氷室か……親近感の湧く苗字だね」

 俺を抱きかかえたまま、ヒヨミさんという女神は下り階段へ歩いていく。

「歳はいくつ?」
「えー、十七です」
「なら二つ違いだね、あたしとは」

 話している間、階段を一段降りるごとに、おっぱいが上下に揺れた。万一着物からポロリとかしたら、俺は理性を保てるのか?
 いや、それよりも聞いておかなきゃいけないことがあるだろ。これはどう考えても夢じゃねーから。

「あの、ヒヨミさん。ここって何処なんスか?」
「んー、そうだねぇ……あの汽車に乗るまでのこと、覚えてる?」

 どう説明しようか、ヒヨミさんは少し悩んだみたいに見えた。
 さっきまで乗っていた汽車か。覚えてるもなにも、気づいたら乗っていて、気づいたらヒヨミさんに手当してもらっていた。

「えーと、部活中にめちゃくちゃ気分悪くなって。ヤベェ、熱中症かなとか思って……そこから、ヒヨミさんに会うまで記憶が無いっすね」
「なるほどね。じゃあやっぱり、神隠しに遭ったわけか」
「……神隠し?」

 一応、聞いたことあるような単語だ。

「ここは見ての通り、人ならざる者が住む世界。たまにあんたみたいな只人がフラッと、ここへ飛ばされちゃうことがあるんだよ」

 えらく簡単に説明された。小さい頃から妖怪とか好きだったし、会ってみたいと思ったこともあるが、あの頃の空想が現実になったってのか。

「ま、むしろ神隠しに遭って運が良かったね。どんなところにいたのかは知らないけど、下手すりゃあ死んでたかもしれないよ」
「あ、はい……助けてくれて、本当にありがとうございます!」

 俺はバカだ。ここが何処かじゃなくて、真っ先にお礼を言わなきゃいけなかった。女にお姫様抱っこされてお礼を言うってのも、ちょっと情けねーけど。

「うん。暑さには気をつけなよ。現世の医学も凄いみたいだけど、霍乱……熱中症には『わくちん』とやらも無いんでしょ?」
「その通りっす。本当に気をつけます」

 ぶっちゃけ、ああなったのは昭和脳のクソ顧問のせいだ。けどヒヨミさんに助けてもらって、俺は心に決めたぜ。これからは無茶な練習は堂々と拒否しちまおうってな。いや、そもそも「これから」なんていらねーわ、部活やめるわ。

 しかし本当に、ヒヨミさんの体は不思議な冷たさだ。氷みたいな体に抱かれているのに、辛い寒さは感じねえ。クソ暑い真夏にクーラーのよく聞いた部屋へ逃げ込んだ瞬間みたいな、そんな気持ちよさがずっと続いている。
 だからって、いつまでもこのままってのは。

「あ、俺もう元気なんで、自分で歩けますよ」
「まあそうだろうね、あたしの薬は効くから。でも、霍乱を甘く見ちゃダメ」
「けど、あんまりご迷惑は……ヒヨミさん、荷物も背負ってるじゃないですか」
「妖怪にはどうってことないよ。それに……」

 ずいっと、顔に胸が近付いてきた。青白くて、霜が降りた、冷やしおっぱいが。

「眼福でしょ?」
「……ハイ」
「ん、正直でよろしい。二つしか違わないけど、あたしの方がお姉さん……もうしばらく、甘えてなよ」

 ヒヨミさんは微笑んで、階段を降り続けた。辺りの壁には提灯がかかっていたり、木の根っこみたいなのが突き出ていたり、異界って感じが強く出ている。道中で狐の尻尾が生えた巫女さんたちとすれ違ったりもした。

「ヒヨミさんって、雪女なんですか?」

 なんとなく話を続けたい。

「ちょっと違うね。あたしは氷柱女」
「ああ、氷柱みたいな綺麗な嫁さんが欲しいって言うと現れるとか……」
「ふうん、よく知ってるね」
「小さい頃から結構好きだったんスよ、妖怪」

 図書室に置いてあった言い伝えの本とか、よく読んでたな。祖父ちゃんの家に行ったとき、和室に目目連とか出ないか気になったっけ。まさかこの歳になって実際に会うとは思わなかったし、ましてや同年代の美人だなんて思わなかったけどな。

「そっか。妖怪としちゃ、悪い気はしないな」

 どのくらい階段を降りたのか。ヒヨミさんは不思議な光で照らされた通路へ入った。両側には店があり、温泉マークの描かれた暖簾が沢山並んでいる。人通りも多くて、明らかに異形なやつ、人間ぽいやつ、いろんなのが歩いている。みんな笑顔で楽しそうに。
 温泉街って感じの雰囲気で、いちゃつきながら歩いているカップルもいた。見ているうちに気づいたんだが、どうも尻尾だのツノだのが生えてるのは女ばかりで、男はみんな人間っぽい見た目をしてるみたいだ。こんな賑わってるところを女にお姫様抱っこされて歩くのってのは……まあ、たまにチラッと見られる程度で、あんまり気にされてないみたいだ。たまにあることなのか……カップルは二人だけの世界に入っているだけかもな。

「……結構、楽しいところでしょ?」
「そうッスね。ここって観光地なんスか?」
「まあそうだね。結構あっちこっちから人も来るし……あんたみたく神隠しに遭った人をもてなすのにも、よく使われるんだよ」

 話をしながら、ヒヨミさんは暖簾の一つをくぐった。古風な温泉旅館……まあ実際に行ったことはねーけど、そんな感じの玄関だ。ヒヨミさんが「ごめんください」と言うと、奥からすぐに返事が返ってきた。パタパタと足音がして、着物姿の女の子が出てきた。

「ヒヨミちゃん、こんにちはぁ。……その人、どないしたん?」

 ふんわりした髪のカワイイその子は、穏やかな声で尋ねてきた。心配そうな目で見られたが、そりゃまあ心配するわな。この子は耳も尻尾もないし、肌の色も日本人の女の子と変わらねーけど、多分人間じゃない。なんとなくそれが分かる。

「ミヤちゃん、こんにちは。ちょっと拾い物をしてね」
「ほな、神隠しに遭った人?」
「うん、しかも霍乱で苦しんでいてね。ここへ納める凍果丸を少し使っちゃったんだよ、ごめんね」
「そら大変やったね。こっちは全然大丈夫やで」

 話を聞いて、出会ったときに食わせてもらったアイスみたいなのを思い出した。ヒヨミさんは薬だって言ってたが、あれはここに届ける物だったのか。

「ありがとう。一緒に休ませるから、部屋へ案内してもらえる?」
「ほいほい、お二人様ご案内〜」


 ……部活の最中に熱中症で倒れたヤツはいくらもいるだろうが、それで妖怪の温泉宿へ連れて行かれたヤツはなかなかいないだろうな。
 俺たちは青々とした畳の部屋へ通された。和室ってのは不思議なもんで、なんとなく懐かしい気分になる。けど襖に描かれた鶴の絵が動いて羽ばたいているあたりは、やっぱり神様や妖怪の世界なんだな。

 障子を開けると潮風が当たった。外はすごい景色で、夕焼け空の下にだだっ広い海が広がっていた。現世の海と違うのは、その上を長い橋がいくつも走っていること。何処へ続いているのか分からないくらい、ひたすら長い。
 よく見ると橋の上で煙が動いていて、あの橋の上を汽車が走っているんだと分かった。なんかどう見ても海の中に突っ込んで行く橋もあるんだが、もしかして竜宮城でもあるのか?

 さっきのミヤって子が、おやつを持ってきてくれた。つっても、ヒヨミさんが納めた『凍果丸』とかいうのだ。なんでも、妖怪が作った果物と塩を混ぜ合わせ、ヒヨミさんの力で凍らせた物らしい。

「口に入れなきゃ溶けないし、簡単には腐らない。霍乱や暑気あたりの妙薬だけど、おやつに食べちゃってもいい」
「ヒヨミさんは、こういうのを作る商売なんスか?」
「うん、結構人気なんだよ。あたしら氷柱女は冬の妖怪だけど、稼ぎ時は夏ってわけ」

 面白いもんだよね、と笑うヒヨミさん。言い伝えの氷柱女は冬が終わると姿を消してしまい、その間に夫が別の女と結婚してしまうと、次の冬に氷柱で刺し殺しに来るなんて話もあった。けど実際の氷柱女は夏でも大丈夫みたいだ。むしろ熱中症の俺を冷たい体で……「冷やしおっぱい」で癒してくれたくらいで。
 元気になったせいか、ムスコが反応しかけちまった。座布団に座って誤魔化して、凍果丸を一粒つまむ。口に入れると濃いジュースになったが、出会ったとき食わせてもらった物よりしょっぺぇ。

「さっきのより塩が効いてますね。これはこれで美味いッスけど」
「いやいや、同じ味だよ」

 笑いながら、自分も一粒食べるヒヨミさん。彼女の口の中でも溶けるんだろうか。

「体が熱でやられると塩も甘く感じるからね。塩気が分かるなら、味覚が元に戻ったってことだよ」
「あー、そういうもんなんスか」

 だけどまあ、何にせよ美味い。俺がもう一粒食おうとすると、ヒヨミさんが皿を取り上げて笑った。

「先にお風呂行って、体を洗っておいで。言っちゃ悪いけどあんた、かなり汗臭いから」
23/10/22 23:45更新 / 空き缶号
戻る 次へ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33