連載小説
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おこと、みみかき

「おまたせー」

 モヤモヤが増幅していくとき、大きな物を抱えたトモネちゃんが戻ってきた。楽器……日本の伝統的な琴だ。

「アカネちゃん。コウキくんのために、お琴弾いてあげて」
「え……いいけど、トモネちゃんは弾かないの?」
「ふふ……トモネは別のおもてなしするの」

 妹の側に琴を置いて、爪を渡して、トモネちゃんは得意げに笑った。
 着物の袂から取り出したのは小さな……梵天付きの耳かきだ。

「これでお耳掃除してあげる」
「ああ……そっか」

 アカネちゃんは納得したように微笑んだ。

「さっきお耳にちゅーしたとき、けっこう汚れてたもんね……」
「そうそう……耳あか、いっぱいだったから」

 クスクスと笑われ、ふいに恥ずかしさがこみ上げてくる。確かに滅多に耳掃除をしない方だったけど、そもそも耳の穴を覗かれるなんて普通は思わないだろう。そんな僕を他所に、アカネちゃんはテキパキと演奏の準備を始め、トモネちゃんは囲炉裏から少しだけ離れたところへ正座した。

「ほら、コウキくん。トモネのお膝に、ころんってして」

 ふともものあたりを叩きながら促すトモネちゃん。同年代の女の子に膝枕されるというのは、小学生だった僕には抵抗があったけれど、嫌がっても無駄だと思った。また耳に『ふー ふー ちゅっ ちゅっ』をされてしまうだろうし、そうなったらどうせ逆らえないだろうから。
 おずおずと体を横にして、着物越しの脚に頭を乗せる。左の耳を上にすると、右側頭部に温かく柔らかいふとももを感じた。またドキリと胸が高鳴る。

「うーん……やっぱり耳あか、たまってる」
「トモネちゃん、反対側はアカネがやりたいな……」
「いいよ。交代でしようね」

 話しながら、トモネちゃんは僕の耳たぶを軽く引っ張り、溝をカリカリと掃除し始めた。そして部屋に流れる、ゆったりとした琴の音。

「痛かったら言ってね……」

 竹製の耳かきが、強すぎない摩擦で汚れを掻き出していった。外周から内側へ向かって、ゆっくりと。アニメやドラマでこういう場面を見たことはあるが、まさか自分が同年代の女の子にしてもらう日が来るとは思わなかった。早まった鼓動はなかなか治らないと思ったけど、アカネちゃんの琴の音色のおかげか、だんだん心が落ち着いてくる。
 音楽に詳しいわけじゃないし、ましてや和楽なんてほとんど聞いたことなかったけど、アカネちゃんは上手だと思った。僕も授業で楽器を演奏したことはあったけど、いつもスムーズにできず、つっかえていたから。

「この耳かきね、学校で作ったんだけど……いろいろなおまじない、かけてあるの」

 琴の音を邪魔しないようにか、トモネちゃんは小さめの声で話す。

「耳あかが吸いついて、キレイに取れるおまじないとか……耳のなかにグサッ、ってなってもケガしないおまじないとか」

 耳の穴の入り口を、耳かきがカリカリと擦る。気持ちいい。

「トモネたちのお母さまも、耳かきすっごく上手なの」
「……帰ってきたら、してもらいたいな……」

 琴を弾くアカネちゃんが、どこかしんみりとした声で呟いた。母親が家にいない寂しさは僕にも分かるけど、二人の両親はいつも一緒にいるのだから、僕とは大違いだ。
 それでもやっぱり、寂しくはなるのだろう。僕の母親はあんなのだったけど、やっぱり寂しかったから。

「そうだね……じゃあ、次にお母さまが帰ってきたら、コウキくんも耳かきしてもらお?」
「え……トモネちゃん、それじゃコウキくんがお家に帰れないよ……?」
「あ、そっか……でも、いったん帰った後でも、また来てもらえるって聞いたよ」
「ああ……『ご招待しんせい』っていうのすればいいんだよね」

 話をしながらでも琴は淀みなく奏でられ、耳かきも続いている。二人とも慣れているのだろうと思った。でもそれより、帰った後でもまた来れるという話が少し気になった。またこの二人のところへ遊びに来るというのは少し恥ずかしいけど、どうせ帰っても居場所は無い。

「……ほかにも、『神隠し』された人っているの?」

 尋ねてみることにした。他の人たちがちゃんと現世へ帰ったのか、その後どうなったのかを知りたくて。
 すると、双子たちからは意外な答えが返ってきた。

「いるよー。トモネたちのお父さまも、そうだったもん」
「お母さまのことが大好きになって……帰りたくなくなっちゃったんです」

 僕は驚いた。こちらにずっと住んでいるだけでなく、オバケと結婚した人間もいるなんて。

 でも、帰らなくて大丈夫ということは?
 もしかして、僕もこっちの世界にいた方が幸せに暮らせるんじゃないか……そんな根拠のない考えさえも湧いてきた。自分でも何を考えているのか、よく分かっていなかった。

 きっと心のどこかで、もう二人に惹かれていたのだろう。


「ん……ちょっとだけおくの方、耳かき入れるね」

 トモネちゃんが、耳の穴へ耳かきを差し込む。少し奥の方を、そっと掃除してくれた。少しくすぐったいけど、気持ちいい。

「ふふっ……コウキくんのお耳、どんどんキレイになってく……」

 迷走神経が程よく刺激されて、とても気持ち良かった。するとトモネちゃんは、膝の上にいる僕の目の前に耳かきを出してきた。白いふわふわ……梵天の方を。

「はーい……これで仕上げをしまーす」

 小さなその梵天は真っ白で、とても柔らかそうだった。だがそれだけじゃなくて、何か不思議な雰囲気があった。というか、ふわふわがモゾモゾ動いていたのだ。それでも不気味には感じず、何故か分からないうちに楽しい気分になってくる。

「このボンテンね……ケサランパサランっていうオバケが出すふわふわでできてるの。すっごく気持ちいいんだよ」
「耳に入ると、心の中が幸せでいっぱいになって……頭がおバカさんになっちゃうくらい、気持ちいいんですよ」

 二人の言葉を聞いて、不安が沸き起こった。頭がおバカさんになる、という部分に恐怖すら感じた。けど、膝から起き上がろうとした僕はあっさり押さえつけられてしまった。

「動いちゃだーめっ……」
「大丈夫ですよ……アカネたちも使ってますから」

 トモネちゃんは僕より力が強かった。やっぱり人間ではないから。
 ぷすっ、と耳へ入ってくる、得体の知れないふわふわ。モゾモゾ動いて、汚れをかき出した耳道を優しく撫でる。その途端、不安や恐怖心がすーっと消えてしまった。

「ほーら……おバカさんになぁれっ……」

 悪戯っぽく囁きながら、トモネちゃんは耳かきをくるくると回した。
 あれは凄い体験だった。柔らかくて滑らかなふわふわが耳の中で踊るにつれ、胸に多幸感が満ちていった。琴の音色もさらに綺麗に聞こえ、弾いてくれるアカネちゃんへの感謝まで沸き起こってきた。
 何もかもどうでもいいと思うくらい、それまで生きてきた中で最高の幸せを感じていた。両親への不満も、女性への不信感も、学校のことも、全部どうでもいい。

「あはっ」

 思わず笑い声が出た。当たり前のことに今更気づいたのだ。

 僕はもっと、幸せで良いのだと。

「ね? きもちいいでしょ?」

 トモネちゃんは得意げに、しばらく梵天で耳掃除をしてくれた。幸せな気持ちがどんどん大きくなる。
 すぽん、と耳かきが引き抜かれ、耳がすっきりとした。

「はい、綺麗になったよ。最後に……ふーっ」

 耳に吹きかけられる、甘い香りの息。さっきよりもっと、くすぐったく感じて、ゾクゾクした。僕の体がびくんと震え、トモネちゃんは楽しそうに笑った。
 
 すごく、気持ちいい。

「今の、も、もう一回、して」

 気付けば、トモネちゃんにお願いしていた。プライドも女性不信も、未知への恐怖心も失くして。
 彼女は快く応じてくれた。

「うん、いいよ……ふーっ」

 優しい吐息が、耳の奥まで届く。耳垢がなくなったからか、それとも梵天の効果か、耳の迷走神経はより敏感に快楽を感じていた。
 トモネちゃんも、僕がびくびく震えるのが面白かったようだ。

「じゃあ、もっと……ふーっ……ふーっ」

 立て続けに吹き込まれる息は、もうたまらない快感だった。ずっと彼女の膝の上で、この息に吹かれていたいくらい。僕のためにこんなことをしてくれるトモネちゃんがどんどん好きになったし、その気持ちを伝えたいとも思った。

 トモネちゃん、大好き……そう言おうとしたとき、琴の音が止まった。

「トモネちゃんっ、アカネの番でしょ」
「あっ、そっか……じゃあ、こうたーい」

 拗ねた様子のアカネちゃんが、トモネちゃんと入れ替わった。僕の肩をひょいっと持ち上げて、膝枕を交代する。アカネちゃんの膝も柔らかかった。
 そして今度はトモネちゃんが明るく軽快な曲を弾き始めた。

「はい、じゃあ反対側のお耳を出してくださーい」

 促されるまま、膝の上で寝返りを打つ。アカネちゃんのお腹の方へ顔を向ける格好となった。甘い匂いを間近で感じた瞬間、また胸が高鳴ってしまう。

「はーい、よくできました……あれ……?」

 僕の頭を撫でながら、アカネちゃんはそのことに気づいた。

「コウキくん、なんだかすごくドキドキしてる……?」
「んー、さっきアカネちゃんのだいじなトコロ見ちゃったから、それ思い出したんじゃないかな?」
「ふえっ!? そうなんですか……!?」

 慌てた様子のアカネちゃん。そういうわけではなかったけど、言われたせいで本当に思い出してしまった。少し膨らんだ、まっすぐに走る割れ目。

「……女の子って、本当にちんちん無いんだね……」

 おバカさんになっていたため、思ったことをそのまま口に出してしまった。クスクスと恥ずかしそうに笑いながら、アカネちゃんは耳かきを始めた。

「そうですよぉ……そうじゃなきゃ、男の子とつながれませんから……」

 その言葉の後、しばらく静かに耳かきが続いた。トモネちゃんの琴が、明るく優しく部屋に響く。そして耳かきはシャリシャリとした感触で、汚れをかき出していった。
 男の子とつながる、というのがどういう意味なのか、その頃には分からなかった。今思えば、そうしたことからは遠ざけられて育ったように思う。自分は不倫しながら、息子は性的なことと無関係でいさせようとした、そんな母の心理は未だに分からない。

 ドキドキしたまま、膝の上で耳かきを続けてもらう。服を着ているから見えないけど、駅で見えた割れ目が目の前にあるんだな……そんなことを思うと、胸の高鳴りが止まらなかった。

「……コウキくんのドキドキ、すごい……」
「ふふっ、やっぱり男の子だもんね……もしかしたら、お父さまみたいに……」
「えっ……もしそうだったら……えへへ……」

 明るい曲が流れる中で、二人の声はどこか艶やかだった。ピンク色の唇が開く度、ハチミツのような良い匂いがする。それにドキドキしている間も、耳かきが奥の方に入り、優しく掃除してくれる。

「はーい……ボンテン入れますよ……」

 また、あのふわふわが耳に入ってきた。幸せな気持ちで胸が一杯だった。

「あ、アカネちゃんと、トモネちゃんって……」
「はい、何ですか……?」
「甘い、ニオイが、する……」

 蕩けそうな頭で、ぼんやりと言葉を紡ぐ。

「えっ、そうかなぁ……どんなニオイですか?」
「ハチミツみたいな……お花みたいな……」
「ハチミツ……アカネたち、ハチさんのオバケじゃないけれど……」
「コウキくんが言ってるのはたぶん、女の子のニオイだよ」

 琴を弾くトモネちゃんが言った。女の子の匂いなんて、それまで感じたことなんて無かった。女の子を避けていたからでもあると思うけど。

「トモネたちにドキドキしたから、トモネたちのニオイが良いニオイになったんだよ」
「わっ……そっか。うれしいな……」

 くるくると耳かきが周り、引き抜かれる。最後にアカネちゃんも、耳に息を吹きかけてくれた。多幸感とドキドキが後に残り、仰向けに寝返りを打つ。アカネちゃんは僕を見下ろし、白いほっぺたを赤くして微笑んでいた。
 すると琴の音が止まり、トモネちゃんが僕の方へ寄ってきた。同じようにほっぺたを赤くしながら、僕の下半身……股間をじっと見つめる。

「……つん」

 股間の盛り上がったところを、白い指がつついた。


23/02/22 21:39更新 / 空き缶号
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