ーー赤い靴履いてた女の子が成長した姿、ねぇ。

　ーー可愛いけど、なんでまた今のご時世にそんな人形を作ったんだ？



　ーー今のご時世だからこそ、だよ。

　ーーもう『日米もし戦わば』なんて本も出てる。

　ーー仲良くやってた時代もあったことを、子供たちに伝えたくてな。

　ーーま、俺はたかが人形師だ。戦争を止める力なんて無いがね。




　ーーイヤや！　サヨちゃんほかしたらイヤや！


　ーー御国の大事やぞ！　子供かて分かるやろ！

　ーー敵国へ行った女の子の人形なんて持ってたらあかん！




　ーー車輪配置2-8-2、ミカド……。

　ーーあなたはアメリカから来たのね。

　ーーこれから、一緒に行こう。どこまでも。










　……夢、だったのだろうか。
　知らない木製の天井を見上げ、見えたものを思い出す。普通の人形だったサヨさん、その周りの人々、サヨさんとミカド。

「あ、起きた？」

　サヨさんの顔が僕を見下ろす。ほっとしたような表情で。
　僕は畳の上に寝かされていた。後頭部に当たる柔らかい感触が、彼女の膝だと気づく。どうやら風呂場で倒れて、他の部屋へ運ばれたらしい。そしてサヨさんが、膝枕しながら介抱してくれていた、と。

「いきなり倒れたから、お医者さんを呼んで診てもらったの。そしたら気持ち良すぎて気を失っちゃっただけだって」

　……風呂場での行為を思い出し、顔が熱くなる。僕を見つめる青い瞳はとても優しげで、この綺麗な顔に射精したことを思うと、罪悪感と満足感が同時に込み上げてくる。

「そんなことあるんだ、って思ったけど……なんか、ごめんね。私、凄く楽しくて」
「ぼ、僕の方こそ、迷惑かけちゃって……」

　そのときだった。どこからか微かに、太鼓の音が聞こえた。ほかの楽器も……これは祭囃子か。

「……お祭り、始まったみたい。起きられる？」
「うん、大丈夫だよ」

　ゆっくりと身を起こすと、不思議なことに体が軽く感じた。あんなことをした後なのに、しっかり熟睡したかのように元気だ。

　サヨさんは白い下着姿だった。ブラを着けているから余計に谷間が強調され、思わず欲情しそうになる。なんとか我慢して、出してくれた浴衣に着替えた。彼女の方も緑の綺麗な浴衣に赤い帯を締め、とてもよく似合っている。

　僕は貸してもらった下駄を、サヨさんはまた赤い靴を履いて、一緒に広場へ向かった。
　この世界ではあらゆるものが祀られる対象だと、汽車の中で聞いた。今夜の祭りは物流を支える蒸気機関車と、鉄道で働く人々への感謝の祭りだそうだ。広場の中心に置かれた古い機関車は電飾で輝き、それを囲むように昔ながらの縁日が行われていた。美味しそうな匂いが漂い、先程見たサヨさんの仕事仲間……同じ生きた人形や、鬼の人たちが浴衣姿で出店を回っている。

　他にも先程見た女の子と同じ烏天狗とか、下半身が丸ごと蛇やムカデになっている妖怪もいて、みんな女性だった。男はみんな普通の人間に見え、人外らしき女性と仲睦まじい様子だった。

「あ、ほら！　あれ食べよ！」

　サヨさんが指差したのは『氷睡蓮』と書かれた屋台。聞いたことのない食べ物だけど、机の上にはかき氷機が置かれ、イチゴやメロンなどと書かれた札が垂れている。
　僕らが近づくと、青白い肌の女の人が「いらっしゃい」と笑った。なんだか周囲に涼しい空気が漂っている。
　夜だけどまだ少し暑いから丁度いい。鉄道への感謝の祭りなので、サヨさんたちには店の利用券が配られている。急な参加だったのに、サヨさんの連れということで僕まで券をもらえた。雪睡蓮と書かれた券を一枚ずつ出して、注文する。

「私はイチゴ味ください」
「僕は……レモンで」
「はーい。少々お待ちくださいね」

　店員さんがカキ氷機に氷を入れ、その下にはカップなどではなく皿が置かれる。カキ氷機のハンドルを回すと、ガリガリと音が鳴って氷が粉砕された。普通のカキ氷よりかなり細かい、粉雪のようになった氷が皿に落ち、積もっていく。

　ある程度の山になったところで、店員さんは皿をカキ氷機から外し、イチゴのシロップをかけた。粉雪状のカキ氷か、昔一度食べたっけ……そんなことを思っているど、シロップで赤く染まった粉雪の山に変化が起き始めた。
　粉雪が形を変え、棒状に上へ伸び始めたのだ。先端に丸い膨らみができたかと思うと、それが四方八方へ開いた。その形は、雪でできた花。イチゴシロップの香りがする、赤い雪の睡蓮だった。

「お待ちどお様」

　店員さんが雪の茎を手折り、サヨさんに手渡す。続いてレモンシロップの黄色い雪睡蓮を作り、僕にくれた。雪でできた茎は確かに雪か氷の感触なのに、冷たすぎず、手で握っていても溶けない。
　芸術的で神秘的で、けれどシロップの匂いがする不思議な物体に、思わず見とれてしまう。サヨさんに倣ってその花弁を齧ってみる。雪の花はシャリッと気持ちの良い食感で、口の中ですーっと溶けていった。普通の雪や氷とは違う優しい冷たさで、シロップのレモン味が爽やかに口に広がった。

「美味しい……！」
「でしょ？　夏祭りの定番なの」

　サヨさんも嬉しそうに、イチゴ味の睡蓮を食べる。人形だけど食事はできるんだな、と思った。そういえばドロップも持っていたっけ。
　雪の花弁を食べているうちに、空気が涼しく感じるようになっていた。体の表面に冷気が膜を張って、暑さから守ってくれているような感覚だ。

「神様や妖怪の食べ物って、こういう感じなんだ」
「普通のもあるよ。焼きそばとか」

　改めて辺りを見回すと、確かに焼きそばとかフランクフルトとか、現世でもよく見かける屋台もあった。下半身がタコの女性が、8本の足を器用に使ってたこ焼きを焼いているのは、現世ではまず見られないシュールな光景だけど。



　しばらく2人で店を巡り、買い食いしたり、射的をしたりと祭りを楽しんだ。けれど一番嬉しかったのは、サヨさんと手を繋いでいられたことだった。
　風呂場では予想外の経験をしたけれど、ここで暮らしたいという気持ちは変わらない。むしろ、サヨさんとずっと一緒にいたいという気持ちはますます強まった。彼女のことも、この世界のことも、もっと深く知りたい。

　そろそろ、一緒に働かせてほしいと頼んでみようか。そう思っていたとき、不意にヒューッと笛のような音がした。
　反射的に空を見上げると、空中に上がっていく火の玉が見えた。立て続けに3つ、空で弾ける。赤、青、緑の花火が開花し、光の粒が夜空へ散っていく。

「……綺麗だ」
「うん」

　広場の人々もみんな、次々に打ち上げられる花火に見とれていた。大輪の花が咲いたり、火が枝垂れ桜のように放物線を描いて落ちていったり。蝶や鳥の形に開く花火もあった。光と音、微かに漂ってくる火薬の匂い。なんだか無性に懐かしい気持ちになってくる。

　けどそのとき、サヨさんの様子が何かおかしいことに気づいた。空の花火よりも、別の方向をチラチラと気にしているみたいだ。

　彼女の視線を追うと、広場の一角にいつの間にか汽車の客車が置かれていた。紺色の綺麗な車体で、窓にはカーテンがかけられている。周りではサヨさんと同じ人形たちが、何やら準備や打ち合わせをしている。

「どうかしたの？」
「うん、ちょっと……」

　何だかそわそわしたような、けれどどこか楽しそうな様子のサヨさん。あの客車に特別な何かがあるのだろうか。
　次々に花火が打ち上げられる中、彼女はふいに駆け出した。

「ちょっと待ってて！　様子見てくる！」
「何があるの？」
「それはお楽しみ！」

　赤い靴が軽い足音を立て、客車へと向かって行った。追いかけようかと思ったけど、彼女が「お楽しみ」と言うのだから、無碍にしたくない。
　花火を見上げて、出店で買った扇子で顔をあおぐ。雪睡蓮の冷気は残っているけど、風があった方が気持ちいい。

　その時。ふと、背後に何かの気配を感じた。

「ちょいちょい、そこのキミ」

　ほんわかとした声に振り向くと、浴衣姿の女の子が立っていた。見た目は人外らしいところはなく、人形でもなさそうだけど、どこか浮世離れした雰囲気だ。
　何故かは分からないけど、なんとなく狐を連想した。顔が似ているというわけじゃなくて、そういう気配を纏っているというか、そんな気がする。

「僕……ですか？」
「そうそう。キミ、もしかしてサヨちゃんのええ人なん？」

　ええ人、の意味に気づくまで、若干の間が空いた。

「ええと、そう言っていいのかは、ちょっと」

　曖昧な返事をするしかなかった。風呂場であんな行為をしたとはいえ、今日出会ったばかりには違いないのだ。もちろん、僕はそうなりたいと思うけれど。

「せやけどキミ、サヨちゃんのこと好きやろ？　その扇子にも描いてあるし」

　謎の女の子は悪戯っぽい笑みを浮かべる。何のことかと思い、扇子を見て驚いた。買ったときは無地の青い扇子だったのに、いつの間にか絵が表れていたのだ。
　一足の赤い靴。サヨさんの靴だ。

「それ、強く思ってはるものの絵が出るんよ。かな〜り入れ込んでるんやない？」
「それはまあ、そうですけど」

　事実なので正直に答えた。サヨさんが好きだ。
　すると彼女は、満足げに頷いた。

「良かったわぁ。あの子のこと、大事にしてあげてな？」
「サヨさんの友達なんですか？」
「んー。友達言うていいか、分からんのやけど……」

　女の子は苦笑する。ふと、どこかで彼女を見たことがあるような気がした。

「ま、あの子の幸せを願ってる、っちゅーことで。ほなさいなら」

　最後にまた悪戯っぽく笑い、身を翻した。
　そのとき思い出したのは、夢の中で見た小さな女の子。サヨさんの持ち主だっただろう女の子と、その後ろ姿が被って見えたのだ。

　慌てて呼び止めようとしたとき、彼女はすでに雑踏の中へ消えていた。すっと吸い込まれるかのように。

　それと入れ替わるように、赤い靴の足音が再び近づいてくる。サヨさんが戻ってきた。嬉しそうな、ワクワクした笑顔で。