悪食VS鬼教官
……準々決勝……
「試合終了! 勝者、ジュリカ・エーベルヴィスト!」
審判が高らかに宣言し、客席から拍手が巻き起こる。双刀を鞘に納め、選手席に戻ってきたジュリカを労いながら、俺は今後のことに思いを馳せていた。
俺は戦いの中でしか生きられないだろう。ジュリカと共に、傭兵として世界を渡り歩いてみたい。教団にいた頃とは違い、自分が命を張るに足る戦場で戦うのだ。それこそが誇り。
《ジュリカ選手、準決勝に進出! 炎の渦のような激しく華麗な剣さばきで、今回も魅せてくれました!》
しかし。
俺は何を悩んでいるのだろうか。戦場で生きると決めたはずなのに。それを望んでいるというのに。
「腕上げたな」
「姉上ほどじゃないよ」
昨日ヅギの話を聞いてから、心の中で訳のわからない悩みが広がっていた。敵に回れば女子供も情け容赦なく殺し、人肉さえ食らうヅギが、内心では平和を望んでいたのだ。そんなことがあっていいのか? 奴も俺も、戦いの中でしか生きられないはずなのに。
何故だろう、それがたまらなくもどかしい。
「……スティレット、どうした?」
「ん……ああ、平気だ」
ジュリカが心配そうに俺を見つめてきた。肩を抱き寄せて誤魔化そうとするものの、彼女は釈然としない表情だ。
やはり彼女には、俺の心情など分かってしまうのだろう。男に女心は分からないが、女には男の考えることなんてすぐに分かってしまう、と言う奴がいたが、その通りだ。女というのは恐い。
そしてその女に対して、自分の心を偽るのがこんなにも辛いとは。今まで恋などしたことがなかっただけに、どうすればいいか分からない。
件のヅギは俺の心情を知ってか知らずか、蛾の蛹の素揚げとやらをポリポリ食べている。修道士の服装のまま、脇にグレイブを抱えて。こいつはあの娘と、上手くやっているのだろうか。戦場とは縁の無さそうなあの少女は、どうやってこいつを受け入れたのか。
分かったところで、俺にはどうにもできないだろうが。
その後の試合はろくに見ていなかった。サキュバスだという少女が魔法を使い、剣士を破ったというだけだ。そして次の試合は、ヅギとセシリアの対決だった。
ヅギはグレイブを手にし、気だるそうに舞台に上がる。昔から、戦闘時に熱くなることがほとんど無い奴だった。冷徹な殺人兵器だからか……はたまた、本当は争いを好んでいないからか。修道士の服が、僅かながら風に靡いていた。
対するセシリアは丈夫そうな籠手をはめ、笑みを浮かべて対峙した。肌の露出が多い恰好で、防御面は完全に無視している。あの籠手はサイクロプスの鍛冶屋に作らせたと言っていたが、細かい傷が多数あり、今まで多くの刃や鈍器を受け止めてきたのだろう。リーチの面ではヅギが圧倒的に有利だが、伊達にあの装備で勝ち上がってきたわけではない。ましてや、二人は戦場で何度か戦った仲だという。相手の手の内を知っているはずだ。
どちらが勝っても、おかしくない。
《さあ、この試合を楽しみにしていた方も多いことでしょう! 人肉食いの傭兵、【悪食】ヅギ・アスター! 私設軍の鬼教官、セシリア・エーベルヴィスト! 時には敵、時には味方として戦場で相まみえ、もしかしたら夜を共にすることも時にはあったかもしれません! 今この場で、二人の決着が付くのでしょうか!?》
司会者がさり気なくムーディーな話を混ぜた。子供も来てるだろうに。
両者が構えを取り、審判が進み出る。二人の放つ緊張感に、観客の声援さえが遮られるように思えた。この二人にかかれば、闘技場の舞台はもはや『戦場』になる。
「……始め!」
審判の合図と共に、まずセシリアが走り出した。彼女の場合、間合いを詰めなければ話にならない。
ヅギはそれを迎え撃つべく、股が地面につきそうなほど、体を深く沈み込ませる。あの体勢から柔軟な筋肉をバネにして、強烈な一撃を繰り出すのだ。まともにぶつかっては返り討ちは必死。
しかしセシリアは、敢えて正面から踏み込んだ。確かに他の方向から攻めても、ヅギはそれを読むかもしれない。だがあれでは、奴の口に飛び込むようなものだ!
「てェェやァッ!」
セシリアは拳を振り上げ……殴らなかった。
ヅギの脇をすり抜けるようにして、跳躍。そのまま空中で体を捻り、ヅギの後頭部目がけて回し蹴りを繰り出した。
ヅギから見れば、セシリアが一瞬視界から消えただろう。それでも地面を転がって回避し、腰をバネに起き上がる。あの予測不可能な動きが、一番厄介だ。
「そらよっ!」
そのまま叩きつけるように、グレイブの峰を打ちおろした。さすがに斬るつもりはないようだが、それでも人間相手なら殴り殺せる威力だろう。しかしセシリアは両手を交差させ、受け止めた。金属音が響く。
ヅギはすかさず、連続攻撃を繰り出した。横薙ぎ、打ち降ろし、足払い、斬り上げ……。セシリアも避けながら応戦。時折武器がぶつかり合い、火花を散らす。やはりリーチのある分、ヅギの方が優勢だ。
しかしセシリアも負けてはいない。籠手でグレイブを上手く逸らし、懐へ飛び込む機会を窺っている。人斬り包丁と恐れられたヅギのグレイブ相手に、全く怖じた様子もなく果敢に挑む姿は、さすがジュリカの姉と言ったところだろう。
「うおおおおおっ!」
繰り出されたグレイブを籠手ですり上げ、そのままグレイブの柄を伝って懐へ入るセシリア。彼女のパンチをまともに受ければ、ヅギも無事では済まないだろう。例え至近距離からのショートパンチでも、オーガである彼女は凄まじい爆発力を持っているのだ。
短く、そして鋭い振りで、拳が打ち出された。
だがその瞬間、ヅギが微かに笑みを浮かべるのが見えた。
「!?」
刹那、爆発音とともにセシリアの体が後方に吹き飛んだ。ヅギとセシリアの間に衝撃波が発生したのだ。地面に体を打ちつけられ、転がりながらもなんとか体勢を立て直す。
しかしヅギが彼女に掌をかざすと、そこから一直線に炎が迸った。セシリアは辛うじて避けるが、その隙にヅギが接近して追い打ちをかける。
「魔法を使うのか……」
ジュリカが呟く。
そう、ヅギは熱を操る魔法を使う。先ほどの衝撃波もそれを利用したものだったのだろう。懐に入られた際の対抗手段を用意していたわけだ。どちらも一筋縄ではいかない。
「ほらっ!」
「ぐっ……ッ!」
ヅギが連続攻撃を叩き込み、一発がセシリアの腹に命中した。だが重いグレイブによる峰打ちを喰らったにも関わらず、セシリアは倒れない。それどころか、瞬時にグレイブの柄を掴んだかと思うと、力づくで引っ張った。
「うおっ!?」
ヅギがセシリアに引き寄せられる。間合いに引き込んだところで、拳が突き出された。先ほどのように衝撃波を使う余裕がなかったのか、ヅギは火炎放射で迎撃。しかしセシリアは、炎に構わずパンチを繰り出した。
籠手に包まれた拳は炎を切り裂き……ヅギの腹に、その一撃を見舞った。
……決まったか?……
見ていた誰もが、そう思っただろう。ヅギの体は大きく吹っ飛び、舞台端ギリギリの所へ仰向けに落ちた。これほどの一撃を受けたのだから、起き上がれるわけがない。しかしセシリアは、追撃すべく走り出した。殴った本人である彼女は、当たりが浅かったことに気付いたのだろう。ヅギは喰らう瞬間に自ら後方に吹っ飛ぶことで、衝撃を和らげたのだ。
理性による判断ではない。戦場で死と死の合間に見える生を掴み取ってきた、戦争屋の本能が、あの瞬間にこのような行動をとらせたのだ。
ヅギは体をバネのようにして起き上がる。しかし観衆が驚く前に、セシリアは奴の眼前まで肉迫していた。
「てぇりゃあぁぁ!!」
そして打ち出されるパンチ……しかしどういうことか。踏み込みが浅かった。セシリアほどの者が、間合いを測り違えたのである。何があったのかは分からないが、そのチャンスを逃すヅギではない。すぐさまグレイブを手放し、突き出されたセシリアの拳を掴む。そしてそれをそのまま、自分の後ろ……舞台の外へと送り出した。
「しまっ……!」
自分のパンチのエネルギーを利用され、セシリアは場外へと放り出された。しかし凄まじい反射神経で、片手を舞台の床にかける。ヅギは無情に、その手を踏みつけた。その構図は教団の連中が見れば、魔物を成敗する正義の修道士に見えるかもしれない。だが明らかに、ヅギは魔物より悪辣だった。
「ほら、落ちてくれよセシリアさん。今負けてくれないと、あんたを殺さないで倒す自信ないぜ?」
「ふざけんな! 誰が……」
その時、口を開いたセシリアの顔に、ヅギは袖口から白い塊を投下した。
「ぶほっ!?」
顔に直撃して粉が舞い散り、せき込んだセシリアは手を放す。
薄緑色のオーガの肢体が、舞台から落ち……地面に着いた。
「セシリア選手、場外! ヅギ・アスター選手の勝利!」
審判の宣言とともに、客席が一斉にざわめいた。ジュリカは姉が負けたことが信じられないのか、目を見開いてその光景を眺めていた。
ヅギはパンチを受けた腹をさすりながら、セシリアを見下ろす。
「ただの石灰さ。魔物も呼吸しなけりゃ生きていけないんだから、こういう武器は人間同様に効くよな」
「ゲホッ、ゲホッ……てめぇ、舐めた勝ち方しやがって」
「ははっ、いつだったかの戦争で俺が捕虜になったとき、独房のベッドで散々弄ってくれたじゃないか。お返しにちょっとくらい恥かかせようと思ってね」
「ちくしょう……ゲホッ!」
……ヅギは強い。そして勝利を掴み取るための、狡猾さも併せ持っている。こいつが情け容赦なく敵兵を殺し蹂躙するところを、俺は間近で見てきた。まさに、戦うための存在。それなのに、こいつは……何故……
俺の思考が泥沼化し始めたとき、ジュリカが俺の腕をがっしりと掴んだ。
「スティレット、来い!」
「ジ、ジュリカ……?」
「来いってば!」
ジュリカは立ち上がると、強引に俺の腕を引っ張る。目を合わせていないが、こころなしか尻尾の炎は妙に滾っているように見えた。
これは……怒りだ。ジュリカは俺に対して怒っているのだ。
他の出場者たちの視線を受けながら、俺はスタジアムの外へと引っ張り出されていった。
11/06/27 23:12更新 / 空き缶号
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