連載小説
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二十歳の頃

 さらに四年経った。僕とコロナは家の仕事は何でもできるようになり、父からも醸造家として認められた。だが町を取り巻く情勢は刻一刻と不穏さを増していく。父は町の会議などで家を空けることが多くなり、僕が代理として家の仕事を任されることも増えた。まだ経験不足だったが、コロナや熟練の使用人たちが手を貸してくれたので、何とか役目をこなすことができた。

 二十歳になった時にはすでに、根っからの醸造家になっていた。だがそれと同時に、現況について真剣に考えるようになっていた。他の町では人と魔物がどのように暮らしているか、町の守りはどうなっているか知らなくてはならない。家の仕事があるため、親魔物領から来た旅人を屋敷に招いて歓待し、話を聞くようにした。少年時代は終わったのである。
 そしてコロナも、少女時代に別れを告げていた。一緒に成長してきたはずなのに、何となく彼女の方が先に大人になったような気がした。父も「女の子とはそういうものだ」と言っていた気がする。だが今までと変わらず、彼女は常に僕の隣にいた。

「工房に残った弟子は僕だけになっちゃったよ」

 町の雑踏の中。友人の時計師・クラウゼは寂しげに言った。

「みんな魔物と結婚して、魔界へ移り住むって……町がきな臭くなってきたから」
「ヘンシェルさんはどう思っているんだ?」
「多分、何とも思ってないだろうね。師匠は時計と紅茶のこと以外は全部、『なるようになる』って言葉で片付けちゃう人だから」

 苦笑するクラウゼ。彼の師匠たるヘンシェル老は僕や父の懐中時計を作ってくれた、天才時計師だった。混沌としていく情勢の中、あの老人だけはそれまでと変わりなく自分の仕事を続けていた。今の僕にはあの人の気持ちが分かるし、尊敬もしている。頑固者として嫌う人もいたが、町の住人の多くは……特に物作りに携わる人のほとんどは、大なり小なり彼の影響を受けていた。

 その工房で働くクラウゼは誰よりも師匠を尊敬していて、今では『時計づくりだけでなく人生の師だった』と述懐している。ただしそんなクラウゼも、あの頃から女性との縁はあった。

「おーい、クラウゼー!」

 陽気な声と共に駆けてくる、お下げ髪の小さな女性。四年前のあの日、コロナが道を教えたドワーフのカトレだ。結局彼女も町に居ついていた。

「ヘンシェルさんがすぐに帰ってこいってさ! あんたにトゥールビヨンの作り方教えてくれるって!」
「えっ!?」

 その時のクラウゼの表情は驚きと喜びが入り混じったものだった。トゥールビヨンは時計の姿勢変化によって生じる速度差や、重力によるゼンマイの弛みを解消し、精度を高めるための機構だ。しかしその仕組みは恐ろしく複雑で、それを作る技術は時計師の極意とも言えるものらしい。
 思えばあの頃から、ヘンシェル老はクラウゼに全ての技術を受け継がせるつもりでいたのだろう。周りからは頑迷な職人と思われていても、常に未来を見据えていたのだ。

「早く行こ! ほら!」
「うん!」

 喜び勇んで駆け出していく二人を見て、僕とコロナの関係と同じだな、と思った。クラウゼとカトレは主従関係にあるわけではないが、嬉しい時には共に喜び、苦境には共に立ち向かう仲であり、その点は共通している。
 コロナも僕の隣で、二人の後ろ姿を楽しげに見送っていた。だがふいに眼差しに憂いを帯び、僕の方を見た。

「イェンス様。私たち魔物は、この町にとって『良い存在』なのでしょうか?」

 それは当時、コロナが心に抱いていた疑問だった。町は魔物を受け入れて、彼女たちも町へ貢献していた。しかしそのために教団から敵視されるようになり、住人たちは不安を募らせている。万一武力衝突となれば、町の自警団では到底太刀打ちできないだろう。バッカス教徒の騎士団が父を訪ね、「いざとなれば力を貸す」と言っていたが、それでも不利には変わりない。

 だが僕は彼女たちを町から追い出すなど、到底考えられなかった。教団より禁忌の少ない魔物たちの方が魔法の研究は進んでいて、町はすでにその恩恵を受けている。精霊使いなどの力もあって葡萄の木の調子も良い。
 クラウゼたち時計師も恩恵を受けている。元々時計の歯車はルビーを使用しており、それ故に高額だったのだが、魔物たちの進んだ錬金術のお陰で安価な人工ルビーを使えるようになった。だから今では庶民向けの時計も作れるようになったし、複雑な仕組みを作る余裕もできた。ヘンシェル技師が発明した目覚まし時計は今や各地に普及している。

 けれど僕にとって一番大事なのは、そういう実利的なことではない。

「この町はコロナにとって『良い存在』なの? この町を大事にして、僕たちと一緒に守っていきたいと思う?」
「もちろんです!」

 コロナはきっぱりと言い切った。その答えだけで十分だ。

「なら、コロナも町にとって大事な存在だ。僕たちの先祖もきっと、そう思っている」

 僕“たち”の先祖という言葉を、魔物相手に使える人間はあまりいないだろう。かつて我が家の当主は娘とキキーモラの婚約を認めることができず、娘に駆け落ちされた。だが今のこの町を見ればきっと、僕らを応援してくれるのではないだろうか。そんな気がした。

「もちろん、僕に取っては単に大事なだけじゃない。特別な存在だ」
「……ありがとうございます」

 微笑んで、手を繋いでくるコロナ。細く綺麗な手だが、僕について仕事をこなしているため、少したくましさを感じるようになった。羽毛もより美しく、長くなっている。小さくてか弱そうだった彼女も、すらりと背の高い大人の女性へと成長した。
 彼女は僕の手をどう感じているだろうか……そんなことをふと、考えていた。





 ……やがてその年も、収穫期が近付いていた。ワインの出来の八割は葡萄の質で決まると言って良い。葡萄の色をよく観察し、最適な日に収穫するのが醸造家の腕だ。子供の頃から養ってきた観察眼を発揮するときが来ていた。

 そんなある日の夜、僕は父に呼ばれた。その頃は町の会議などで気疲れし、少し痩せていたのを覚えている。


「教団が最後通告をしてきた」

 重々しく告げられた言葉。いよいよか、と思った。

「一月以内に市内の魔物全てを追放しなければ、軍をさし向けるとのことだ。町の自警団では到底太刀打ちできない」
「バッカス騎士団の援軍は?」

 父は同じバッカス信徒への影響力が強い。酒神バッカスは魔物寄りの神だが、何故か主神教団からも邪教認定を受けておらず、信仰を認められている。国の法律として酒神信仰を禁止している地域もあるが、教団としてはバッカス騎士団と正面から事を構えるのは避けたいはずだ。

「もちろん来てくれるだろうが、戦力の差は埋まるまい。政治的な駆け引きに使えるかもしれないが、相手はレスカティエ教国だ。魔物殺しのためなら王族さえ蔑ろにする連中だ。むしろ酒神信仰の非合法化を呼びかける機会と見るだろう」
「なら、町を守る方法は……二つか」

 父は頷いた。

「教団の要求を飲むか、魔王の支配下に入るか。魔王は我々を守ってくれるだろうが、先祖たちが長年守ってきた『自由自治』と『独立独歩』は失われる」

 それこそ、市議会が悩んでいることだった。町の自由と、その自由故に生み出された職人たちの伝統。僕らの町にとって何よりも大事なことだった。

「イェンス。お前は見識のある若者に成長してくれた。意見を聞きたい」


 ……そのとき、父はすでに自分の結論を出していたのかもしれない。僕を呼び出したのは、僕が家の、そして町の未来を担う世代だと考えてのことだろう。
 そして僕の意見もすでに決まっていた。

「魔王に降るべきだと思う」
「町の自治権を手放すことになるぞ」
「教団に従っても、それは結局同じだ。レスカティエの植民地になるだけだろう」

 それは僕が確信を持っていたことだ。このトーラガルドは肥沃で豊かな土地だ。最初は町からの魔物の退去だけで済んだとしても(もちろん、僕にとってはそれだけで耐え難いことだったが)、次は魔物との戦いやら勇者の育成やらと理由をつけ、金をたかってくるだろう。やがては土地を巻き上げられ、気づいたときには全てを失ってしまう。レスカティエの教団上層部の悪どさはすでに聞き及んでいた。

「同じような選択をした町の人たちと会って話をした。魔物たちは少なくとも個人の自由を重視して、保証している。僕らの先祖が長年自由自治を守り抜いてきたのは、それが『個人の自由』を守るための手段だったからだ。その手段に拘って、一番守るべきものを守れないのであれば……」
「……その時点で、町は滅んだも同然だな」

 父は意を決した。少しやつれていても、その眼差しは昔と変わらない、頼もしい父だった。

「しばらく帰ってこれなくなるかもしれない。皆を頼む」
「任せてくれ」


 そのとき僕は初めて、父と握手を交わした。親子としてではなく、男と男の立場で。






 ……それから数日後、市議会は町の親魔物領化を可決した。父は使節団の一員として魔界へ赴き、僕は葡萄園とワイナリーを取り仕切った。使用人たちも僕を信用してくれていたし、コロナが頑張ってくれたので、仕事は上手く回っていた。

 しかし。そろそろ収穫期かと思っていた、ある朝。

「坊ちゃん! 教団の軍隊が来たぞ!」

 仕事の準備にかかろうとしたとき、ハンスが大慌てでやってきた。ほぼ同時に警報の鐘がけたたましく打ち鳴らされる。すぐさまコロナを連れて二階へ上がり、見晴らしの良い部屋から外を見た。葡萄園の向こうに確かに見えた。隊列を組んで近づいてくる、幾多の影が。
 コロナが望遠鏡を持って来てくれたので、その正体ははっきりと分かった。レンズ越しに見えたのは煌びやかな鎧を身に纏った、紛れもないレスカティエ騎兵隊。こちらが要求に応じないと見て、予定を繰り上げて攻め込んで来たのである。

 同じ頃自警団もやってきて、葡萄園を囲む石垣の前に防衛線を作り始めた。荷車を並べて即席の壁とし、その後ろから弓矢や長槍で迎撃体制を取る。普段から訓練している戦法だった。バッカス騎士団もすでに町へ駐留しているはずで、すぐに駆けつけてくると思われた。

「坊っちゃま、早くお逃げくだされ!」
「ここにいては危険です!」

 使用人たちは口々に言う。だがコロナは僕をじっと見つめているだけだった。きっと、僕の考えていることが分かったからだ。

 望遠鏡を下へ向け、葡萄園を見る。たわわに実った黒い葡萄……その色合い。
 僕は決断した。普通なら正気の沙汰ではない選択をしたのだ。

「葡萄を収穫してくる。今が最良のタイミングだ」

 コロナを除き、その場にいた全員が目を見開いた。普通はそうだろう、これからすぐ側で戦が始まるのに、葡萄の収穫を始めるだなんて。
 だが僕はそれに強い使命感を感じていた。今まで皆で木の剪定をし、実った小さな房を大事に育ててきた。今更戦争などのために、この努力を無にしてたまるか。あの葡萄でワインを作り上げることが、不条理な世界への精一杯の抵抗だと僕は信じたのだ。

「お供いたします」

 コロナはいつものように微笑んだ。僕は迷った。どれだけ危険なことなのかは分かっていたから。だが彼女もまた、決心を固めていた。

「一緒に立ち向かうと誓いました」

 何という力強い笑顔なのだろうか。優しい覚悟の光が見えた。僕が誰に何と言われようとやめないように、コロナもまたやめないだろう。
 今までずっとそうだった。コロナが一緒だったから、上手くやってこれた。彼女が隣にいてくれたから、心が強くなった。だから今回もきっと上手くいく、必ずやり遂げられると信じた。

「坊ちゃん、命あっての物種ですぜ」

 ハンスは何とかして僕を止めようとしていた。元傭兵である彼は、勇猛果敢な英雄が偶然飛んできた流れ矢で斃れるところも見たという。心配するのも当たり前だ。
 だが僕の心は決まっていた。窓から葡萄の木々を指差し、彼に告げた。

「あれが、僕の命だ」

 少しの間、ハンスはじっと僕の目を見ていた。だがやがて、ニヤリと笑った。

「ならば、お供しやしょう」

 それを聞いて、他の使用人たちが「俺も」「私も」と名乗りを上げた。全員の心が一つになったのだ。

 その時の彼らの眼差しは、いつも父へ向けられているそれと同じだった。






 ……やがて、戦が始まった。突撃する教団の騎兵隊を、自警団はバリケートで防いで応戦する。その間に駆けつけてきたバッカス騎士団が教団の側面へ突撃し、大混戦となった。
 そのうち教団の弓隊までやってきて、葡萄園まで流れ矢が飛んできた。

 それでも僕らは籠を背負って駆け回り、葡萄を収穫した。まさかそんなことをしている奴らがいるとは教団も思わなかっただろう。美しく瑞々しい葡萄はずっしりとしていて、籠は次第に重くなってくる。いつものようにのんびりやっている場合ではない。

 流れ矢が何度か近くを掠めたが、怖くなかった。ただ隣にいるコロナに当たらないかだけが心配で、できるだけ彼女の盾になれるよう動いた。ハンスはそんな僕のさらに盾になろうとし、常に戦場側に立っていた。

 怖くはなくても、やはり死にたくなかった。コロナに渡すつもりで、すでに指輪を買っていたのだから。

 だが不思議なことに僕にもコロナにも、一緒に来た使用人たちにも、矢は一発も当たらなかった。ハンスは風も無いのに葡萄の木の枝が揺れて、自分めがけて飛んできた矢を払い落すのを見たという。今思えばドリアードが助けてくれたのかもしれない。

 そして、最後の一房を鋏で切り取ったときだった。

 葡萄の木や鳥とは異なる大きな影が、地面に映った。


「イェンス様! あれ!」

 コロナが目を輝かせ、空を指差した。
 飛竜。翼となった前脚で力強く羽ばたく、ワイバーンの群れだった。以前町でワイバーンを見たことはあったが、飛竜になった姿はその時初めて見た。背には長槍や弓で武装した兵士を乗せ、それが何騎も飛来する。彼ら、彼女らは体をほぼ垂直にして旋回し、慌てふためく教団の軍勢へと急降下していった。甲高い雄叫びを上げながら。


「魔王の援軍だ……!」


 僕たちは葡萄で一杯になった籠を背負ったまま、飛来する竜騎士たちを呆然と見上げていた。教団は弓や魔法で応戦するも、次第に総崩れとなっていく。
 その時、一人のドラゴンライダーが上空から僕らを見下ろし、敬礼を送ってきた。彼はそのまま相棒と一緒に敵陣へ舞い降りていった。

 自然と、コロナと手を繋いでいた。顔を見合わせ、互いに頷く。


 勝ったのだ、と。






 ……ちょうどその日、父たち町の使節団は魔王の元へ赴き、正式に親魔物領宣言を行っていた。もっとも魔物たちはその前から援軍の用意をしてくれていたようだが。

 町は公式に魔王の領土となり、魔王軍が駐屯して守りに着くことになった。大変だったのは町の司祭だ。とはいえ元々魔物に理解のある人だったので、問題が起きたわけではない。しかし自警団には独身の男が多かったし、数で圧倒的に劣る中教団に立ち向かったことで大層男を上げていた。
 やってきた魔王軍の年若いデュラハンやリザードマンたちは彼らに尊敬の眼差しを向け、それがすぐに恋する少女のそれに変わる。結婚式が立て続けに行われて、司祭はてんてこ舞いだった。

 魔界からは名目上の統治者として、リリムのレミィナ王女が送られてきた。彼女はその頃から聡明ではあったが、当時はまだ幼い子供で、あくまでも友好の証であった。町の議会はそれまで通り存続し、そこへ魔界から派遣されてきた議員を加え、政治を行なっていくことになった。


 こうして僕らの町・トーラガルドは新しい時代を迎えることになった。本当に大事なものを、守り抜いた上で。


 そして新しい時代は僕にもやってきた。
 父が町へ帰ってきたとき、隣に美しいワイトの女性を連れていたのである。僕は驚いた。彼女は肖像画に描かれていた、僕を産んだ直後に死んだという母その人だったのだから。

 それも魔王からの贈り物だった。母の声など覚えていなかったはずなのに、頭を撫でて「大きくなったわね」と微笑みかけられ、自然と涙が溢れてきた。

「イェンス、お前はすでに一人前だ。お前さえ良ければ、これから私に代わって我が家の家長となって欲しい」

 父は静かな声で言った。彼は確かに歳を取ったが、引退するのはまだ先だろうと思っていたので驚いた。

「私はお前が生まれるまでワイン造りのことばかり考えて、家族を顧みることがなかった。これからは彼女のために生きたいのだ。頼めるか?」


 ……僕は了承した。父が家のため、町のため、お客のため、使用人達のため、そして僕のためにどれだけ頑張ってきたか、知っていたから。そして命がけで葡萄を収穫したこと、ハンスたちが僕についてきたことで、自信もついていた。コロナと一緒なら、必ずやり遂げられると。



 こうして僕は使用人たちから「坊っちゃま」を改め「旦那様」と呼ばれるようになった。


 さらに同年のうちに、コロナは……「奥様」と呼ばれるようになったのだ。


19/12/03 22:42更新 / 空き缶号
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■作者メッセージ
お読みいただきありがとうございます。
すみません、今回で完結の予定でしたが、エピローグが思ったより長くなるので先に二十歳編を投稿させていただきました。
もう少しおつきあいください。

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