トリアージ
「1人を助けるために10人を死なせてはならない…」
そう呟いたのが聞こえた。だがそれに応える暇はない。
何故ならそう呟いた人…ラレィは、手を止めずに手術を行っていた。
外科的な処置、と言えば聞こえは良いが、
実際の所行われているのは負傷した四肢の切断術が主である。
野外で開放性の外傷を受けた時、6時間以内に手術を受ける事が出来た場合、
傷口からの感染のリスクが小さい。ので外科的に縫合して閉鎖する事が可能である。
これを「ゴールデンタイム」と言う。
これを過ぎると、最近汚染などが進み縫合するのは難しくなってくる。
従って衛生隊は負傷兵の捜索、移送、止血を行い、
6時間以内に野戦病院に運ばなくてはならない。
衛生隊では、多くの人数が患者を迅速に運ぶという仕事に充てられる。
それは手術開始までの時間を短縮し、機動力を伴う軍隊の行動に適応する為である。
「縫合は終わったな。よし、デュラン」
「はい」
「休憩しよう…音が止んだ、戦いは終わったようだ」
言われてみれば…今まで聞こえていた喚声や砲火の音が止んでいる。
ここは戦場から川を隔てた後方にある衛生隊の野戦病院である。
私はそこでこの隊長であり軍医…ラレィが指揮する衛生隊に所属している。
川を隔てているとは言え、どんどん負傷兵が運ばれてくる状況である。
総員340名以上の我等衛生隊は朝から目の回るような忙しさだった。
これでもかなり前線に近づけて貰えたんだよ…とラレィ隊長は言う。
他の国の従軍医達はもっと後方の安全な場所に留め置かれている。
何故このような危険な場所に居るのか…それは部隊を指揮するラレィの悲願
無差別型のトリアージ(選別)を行う為である。
「さっきの言葉の意味かね?」
粗末な天幕の中で、私ことデュランはラレィ隊長と同じテーブルに座っていた。
紅茶でも…と思ったがそんな気の利いたものがあるハズも無くコーヒーを飲む。
朝から休む暇も無かったので、一息入れる事が出来て良かった。
お互い手術時の格好のままである、
血まみれの白衣や飛び散った血が足や腕に付着し不衛生極まりない。
衛生隊としては本末転倒だな…とお互い笑いあった。
何気ない話を続ける。しかし私はふと先ほどの手術中にラレィ隊長が呟いた言葉がどうしても気になってしまう。
思い切って聞いてみる事にした。
「はい…確か1人を助けるために…」
「10人を死なせてはならない」
「そうです」
聞かれたくなかったのか、先程まで笑みを浮かべていたラレィ隊長の表情が曇る。
失敗だったかな…と内心後悔した、話題を変えようとあれこれ悩んでいる内に隊長が口を開いた。
「ある将軍に言われてね、攻囲戦に参加した時だ。重傷者を後回しにし、
戦列復帰可能な軽傷者の治療を優先しろと」
「差別型のトリアージ…ですか」
「うむ…それをやれと言われてね、食って掛かった私に言ったのがさっきの言葉なんだよ」
ラレィが指揮する衛生隊の理念…それは無差別のトリアージ
身分の高い者も低い者も同じ扱いをする。
戦場医療の場でも、平等・博愛と言う精神を具現化すべく、
従来のように金持ち優先の治療では無く、
差別をしない、つまり階級、社会的地位、国籍、人種(ここでは魔物も含む)を問わず、
医学的な観点のみで患者を選ぶと言う意味である。
「まあ、あの時は今回のように敵から出向いて来てくれた訳でもないし、
こっちから敵国内部へ深く侵攻した戦いだったからね、
将軍の言う事は最もだったと思うよ」
「そうなんですか?」
差別型のトリアージを行ってしまった戦いの事をラレィ隊長は多く語ろうとはしない。
「じゃあ君に質問してみよう、君は軍団の司令官で遠く離れた敵国へ侵攻している。
しかし補給路が敵に脅かされている、
更に本国からの補充も受けられない状況で、君ならどうやって兵力を補充するかな?」
「えっ…いきなり何ですか」
唐突な質問だった…少々困惑してしまう。
しかし彼の問い掛けが答えに繋がるのは私にも理解出来る。
必死に頭を働かせる…が、やっぱり考えが纏まらないなぁ。重労働後の、しかも寝不足だし。
「現地民の兵士や傭兵を雇うとか…」
「その答えは論外だね、君が軍の司令官じゃなくて良かったよ。本当に…」
そう言ってははは…と静かに笑う。
私が必死に頭から搾り出した答えは失笑モノであった。
どうもこの人はどこまでが本気なのか冗談なのか…わからない。
不思議なオッサンである。あ、オッサンって言っちゃった。
「誰がオッサンかね、全く君には上官に対する敬意と言うもが欠けているんじゃないかと前々から思っていたんだよ」
「いや、その…すいません」
何故わかった。実際かなり高齢だったハズなのに。
今でも第一線で活躍している。凄い人なのは間違いない。
そう思い頭を下げる、
そんな遣り取りをしながらも、頭の中では必死に答えを導き出そうとしていた。
「…基本的に補充出来ないんじゃないですか?」
ふと思い浮かんだ事を口にしてみる、考えてみればそうである。補給が経たれているのだ。現地で何かを雇うにも金が要る。
そんな余裕があるだろうか。
「大体正解かな、外からは無理。しかし仮にも衛生隊に所属してるのに、その答えでは不合格だ」
「…さっき仰ってましたよね、負傷者でも軽傷者を優先しろって」
「わかったようだね」
「まさか…」
「そう、そのまさかだよ」
負傷兵さ、そう隊長は呟いた。
軽傷者の早期戦列復帰以外、兵力を補充する手段が無い。
だから重傷者は見捨てられたのだ。
この衛生隊…と言うより、この軍隊、この国が反魔物側で参戦している事自体私には驚きだった。
某国の王位継承問題から発展した今回の争いは、
反魔物派の勢力、親魔物派の勢力、
そして魔王軍を巻き込み、一大会戦へと発展していった。
この国が反魔物派の国と同盟を結んでいるので反魔物側として参戦し…
事の細かい経緯は知らないが、大体はこんな所だ。
私個人としては、さほど魔物に対して敵対感情は無いのだが、
そもそも感情を持つほど関わりが無いという理由である。
結局は国の決定の前では個人の意思など無意味なのだ。
川を隔てて前方に味方の連合軍が布陣。
さらにもう一つ川を隔てて敵の連合軍が対峙。
戦端が開かれたのはまだ霧がかっている早朝だった。
それからは前線から一番近いこの衛生隊は大忙しだったのを覚えている。
敵味方関係なく運ばれてくる兵士…稀に魔物も居た。
それでも運ばれて来るのは人間が殆どだった。
最初はここでの扱いに慣れないのか混乱する兵士が殆どだった。
文句を言う連中も出てくる。
だがそんな事を一々気にしている暇も無い。
ぶん殴って黙らせておけ。とはわれ等がラレィ隊長殿のお言葉である
「貴族の次男坊、三男坊って奴は可哀想なんだよ…」
「またいきなりですね…」
手術の手を止め、ふと隊長がそんな事を言う。
予想外だった。
この人貴族とか嫌いだったよな…むしろ貴族死ね!とか常日頃から言ってたような…
「貴族の次男坊、三男坊はまず小隊長を任される、でもそれで終わりだ。小隊長は隊列の先頭で突撃と叫んで突っ込み、戦死する、そんな仕事だからね」
「また大げさな…」
「いやいや、大げさなもんかい。いいかね、中隊長たる中尉はルテナン(lieutenant)だろう?では少尉は?」
「セカンド・ルテナンですよね?」
「語源は?」
「……『代理人』?」
「そう、小隊長は中隊長に代わって命令を出す『代理人』なのさ…それが貴族の次男坊三男坊のお仕事だよ」
「指揮官としての能力とかはいらないんですか?」
「いらないよ、突っ込んで死ぬだけだし」
何とも嫌な話を聞いてしまったな。
そう言えばさっき収容した若い将校、えらい身なりが良かった気が…
死んでしまったので確認のしようが無い。
いやいや、余計な事は考えちゃ駄目だな。
そう自分に言い聞かせ、手を動かす。
鋸を使い、ガリガリと患者の腕を切り落とす。
どうやら見た感じ傭兵のようだが、今日で廃業だな…
傭兵、とは聞こえが良いが、
結局の所食い扶持に困ったボンクラや協調性の無いアホの集団である。
嫌われ者の集団とも言う。
傭兵の蛮行は、国を疲弊させるのだ。
中にもまともな奴は居るだろうが…そんなのは稀だ。
それでもこんなゴロツキだろうと救う、それが仕事である。
「雑兵と同じようなもんか…」
とはジパング出身らしい同僚の言葉である。
どこの国も似たようなやつ等が多いのだ。
「ところで、結局我々が勝ったんですか?」
もう夜になった、しかし前線からの情報があまり伝わってこない。
じわじわ不安になってくる。
静かになったとは言え、本当に勝ってるんだろうか?
またもや粗末な天幕の中で、粗末な机に向かって書類に目を通す隊長に私は問い掛けた。
今行っているのは戦死者の処置である、具体的には記録と埋葬。
人事がやるような仕事までやっているのだ、この人は。
「ああ、うん、勝ってるよ。今追撃中じゃないかな」
「何でわかるんですか?」
「さっき運ばれてきたデュラハンに聞いた」
………
……
…
今サラッと怖い事言わなかったか。
そんな私の無言の抗議を受けて書類整理をしていた隊長が顔を上げる。
「何か言いたそうな顔だな」
「いや、わかってて言ってるでしょ!?デュラハンって…」
デュラハン、実際見た事は無いが非常に高位で強い魔物だと図鑑に書いてあったのを思い出した。
そんな恐ろしいものがココに居るのか!?一言も聞いて無いぞ?
「言ってないからね」
「思考を読まんで下さいよ、それより、何でデュラハンに聞いたって!」
言いたい事は山ほどあるが、まずはそれである。
「彼女の所属は親衛隊の騎兵らしいけど、味方の攻勢失敗に乗じて反撃に出たそうだ、しかし結局阻止された
それが引き金となって敵軍が壊走、現在我が連合軍が追撃中だそうだ」
「崩せたんですか!?魔王軍の精鋭ですよ?」
敵の精鋭を崩したのだ。にわかには信じがたい事である。
しかし、そうでも無いとデュラハンのような魔物が運び込まれる訳が無い。
我が連合軍の司令官様がよほどの戦上手なのか。
はたまた一騎当千の勇者でも現れたのか。
「両軍合わせて10万は下るまいって会戦にね、後者みたいなのが1人2人現れた所で何も変わらないよ」
「なら司令官が優秀だったって事ですよね?」
司令官って誰だったっけ…確か記念日のような名前気がする?
どうでもいいか。
「負傷兵を見たらわかる通り、殆どが敵の将兵だよ。魔物も含めてね。名将と言っていいね、司令官殿は」
後から聞いた話だが、敵は戦力の7割ほどを失っていた。対するこちらは2割あるか無いか、だそうだ。
大勝である。こんなボロ勝ちも最近では珍しい。
反魔物勢力は負け続けだったのだ。
「で、敵国の負傷兵はどうするんです?帰らせるんですか」
問題は余りに多すぎる敵兵の処遇であった。まさか全員連れて帰るのか?
魔物だって居るんだろう?まあそれは教団の騎士団に引き渡せばいいのか…
「それを本人たちから聞きたかったんだよ。」
「ハイ?」
「いや後ろのね…」
後ろ?と言われ振り返る、女性が1人立っていた。
いつから居たんだ…全く気付かなかったぞ。だが彼女が人間では無いと一目で理解出来た。
まず目に付くのは紫色の鎧、所々に配置されている大きな目玉、しかもギョロギョロ動いている。
更に異様なオーラを纏っている…もうこれだけ見れば大体わかる…
「デュラハンさん…?」
「そうだ、その攻勢失敗に乗じて反撃したが失敗して惨めに壊走し、
こんな所に運ばれた哀れな親衛隊騎兵のデュラハンだ」
すごく怒ってる、眉間に皺なんか作って、あーこちらを睨んでる…美人な顔が台無しだ。
お世辞抜きで上等な美人だと思う、こんなのが馬に乗って突っ込んできたら誰だって嫌だろう。
なんて事を口に出したら斬られそう。思っても言わない。
「おい、こいつ斬っていいか?」
お前もかよ!何でどいつもこいつも人の思考を読めるんだよ!エスパーか!魔物恐るべし…
「デュラン、君ね、前から言おうと思ってたんだけど、考えてる事全部口に出てるよ」
「おお…隊長殿…今更ですか」
この場に来て衝撃的な事実であった。つまり今までこのオッサンは私の考えている事を全部理解していたのだ!
思い返すだけでも恐ろしい事である…シリアスムードだったのに!全部吹っ飛んでしまった…
「一応大事な部下なんでね、斬られちゃ困るよ。それより今は君達の処遇についてだが…」
「一応なのか…」
このオッサn…ラレィ隊長はそう呟いた私を無視して話を進める。
どうやらこのデュラハン含め今も少数だが魔物がこの野戦病院に居るらしい
反魔物連合として参加している我々としては、
当然捕らえて教団から出張ってきている騎士団に引き渡すのが道理である。
さっき私が呟いた事であるが、
しかしそれはラレィ隊長が唱える無差別型のトリアージの理論に反する行為である。
この辺りがどうしようもなく面倒臭い、
そこで隊長殿は直接本人たちに自身の処遇について尋ねたのである。
「そちらの言い分は理解出来たつもりだ…無論感謝もしている。しかし、我々を騎士団へ引き渡すと言うのであれば話は別だ、抵抗はさせて貰う」
彼女の言う事も最もだ。
「建前としては、だ、参戦した側の理念に沿った行動を取らなければならない。しかし、我々衛生隊の存在理由からすればそれは相反する事でもある。私個人としてもそれは決して譲れない」
「その熱意は非常に素晴らしいのだが…どうも私には理想論にか聞こえないな」
「だから建前は、さ、こちらとて何の打算も無しにこんな酔狂な事をやってる訳でも無い…」
隊長の言う通り、こんな事をするにも理由があった。
ひとつは、前線近くで負傷兵を救護する際、
敵からの攻撃を受けずに安全に救護するために考え出されたというもの
また、差別の無い待遇は革命の輸出を意味している。
あくまで、敵は封建領主であり、被支配者層の兵士達では無いと。
要は反魔物、親魔物勢力の関係無く、
封建的な体制の打破が隊長の目的である。と聞かされた。
彼は軍人、医師であると同時に熱狂的な革命戦士でもあったのだ。
「結局の所、魔物と親しくしていても、民主的な国なら我々の味方、封建的な国なら敵なのさ、君たち魔物は大した問題ではない」
「わからんな…」
「わかるまい…魔王を頂点に封建的な体制から決して逃れる事の出来ない魔物にはね…君だってデュラハン、つまり貴族だろう」
貴族は好かん…そう言って力なく笑う、しかしその目は笑ってはいなかった。
「話を戻そう…でだ、君達魔物には帰って貰う」
「帰らせるんですか!?」
険悪なムードが一変、予想外な答えに私も少々面食らってしまう。
流石に全員お帰りくださいと言うとは思わなかった。
「うん、今ここに居る魔物は全員解放する…そこでだ、君に纏めて欲しいんだよ」
「私をここに呼んだ理由がそれか?」
「まともに話が出来そうな魔物は君くらいしか居なかったからね…」
「他の魔物って…何が居るんですか?」
うん…と私の問いに答えながら読んでいた書類に再び目を落とす。
どうやら指揮官殿は別に負傷者リストも確認していたようだ。
危ないのはここに居る彼女…デュラハンくらいで、
後は精々スライムやらハーピーやらじゃないかと期待していたのだが、
見事にその幻想は打ち砕かれた。
このデュラハン…名前はクラウディアと言った、
彼女は太腿への銃創が原因でここに担ぎ込まれていた。
貫通していたので縫合して包帯を巻き終わりである。
魔物、しかもアンデッドであるデュラハンにはこれで十分なのだとか。
まあ、大事な所守る気無いだろうって思うよその鎧は、聞こえて無いよな…?
どうやら騎兵隊が突っ込んだ先が銃兵の戦列だったようで、
何度か突撃を繰り返したが結局敵を崩せず、逆に騎兵隊が壊走してしまった
と彼女は言う。
「シン・レッド・ラインみたいだね」
「何のことですか」
「いや、こっちの話だよ」
たまにわけのわからん事を言うのがこのオッサン…もとい隊長殿の癖でもある。
「デュラハンは彼女1人…、リザードマンやアマゾネス、ミノタウロスやオークなんかも居るね」
「そうですか彼女1人だけ…っておい!」
どいつもこいつも一癖も二癖もある魔物ばっかりじゃないか…何でこんな平然としていられるんだろうこの人は…
ウチの衛生隊に魔法を使える人間は…残念ながら居ないのである。今更ながら、治癒魔法くらい学ぶべきだったろうかと後悔している。
もし戦闘が始まったら一方的に捻り潰されるんじゃなかろうか。既に何人か文字通り食われているかもしれない。
衛生隊とは真に中途半端な兵科である。それは隊長たるラレィ本人も認めている所である。
限定的ながら武器使用や戦闘行為も行えるが、戦闘兵科とは言いがたい、
逆に兵站兵科とも言えない。正直よくわからないのである。
戦場で組織を動かすノウハウは、歩兵部隊や砲兵部隊から学ぶしかない。
私も無論それは一応学んだ。なので、仮にそれらの戦闘部隊を指揮しろと言われても最低限は出来るつもりである。
どうも逆に戦闘兵科の指揮官は衛生隊を指揮する事が出来ない、らしい
良くも悪くも衛生隊の運用思想は独特なのだ。
話が逸れてしまったが、今挙げられた魔物連中は厄介である。戦闘のプロと言って良い種族も混じっている。
この知識も図鑑の受け売りであるが…
「今暴れられたらどうなるか…」
「その辺は大丈夫だろう、怪我の程度で言っても軽傷なのはクラウディア君くらいで、残りは今体を満足に動かせる状態でもない」
「それにだ、我々をそこらの魔物と一緒にするな、仮にも誇り高き魔王軍の兵士だぞ」
後者の言葉はどうなのか私にはわからないが、少なくとも前者の言葉は信用に足る。
安心し胸を撫で下ろす。しかしここで一つ疑問が浮かぶ…
「…今追撃中なんですよね?うちの軍」
「うむ」
「見つかったらどうするんですか?」
おそらく敵は後方の都市部に逃げたのだろう。要塞都市があり、そこが拠点になっている。
しかし彼女たちを帰すとしても、行き先はそこしか無い。
つまり、敵味方入り混じってドンパチやってる中を擦り抜けてそこに逃げ帰れと言う事なのだろうが到底無理な話である。
攻囲戦が始まれば尚更だが、時間的にもう始まっているだろう。
「一応歩ける者は自力で帰らせてるんだけどね…流石に魔物となれば簡単にはいかない」
「私は別にかまわんが…突破できる自信はある、しかし…」
クラウディア1人ならば、それも可能であっただろう、しかし、満足に動けない味方を抱えたままではそうはいかない。
味方を置いて逃げてはどうかとも聞いてみたが、やはり出来れば全員連れて帰りたいとか。
仲間想いだな…実際魔物とこうやって関わった事が無かった私にとっては新鮮だったりする。
人とあまり変わらないのか、とは言え表向きは敵なのであまり関わるのもこちらにとっては危険だ。
何せ反魔物側なのだから…騎士団辺りに目を付けられちゃ適わない。
「そこで彼の出番と言う訳なんだよ」
「こいつが?」
さっきも言ったが教団領から騎士団も出張ってきているので、負傷兵のなかにそれらが混じっている可能性もあった。
しかし、こんな得体の知れない衛生隊の世話にはなりたくない。と言って歩いて後方に下がった騎士が1人居たくらいで
そんな心配は無かっ…、今私がどうって言われたような?
「デュランに馬車で運ばせよう、君達全員」
「………うん?今、何と…?」
「馬車でだよ、川もあるし、大きく迂回して行くといい、時間がかかるけど、その分見つかる可能性も低くなる」
聞き間違いだろうか、今凄い事を言われたような気がしたんだが…
ああ、クラウディアも信じられないと言った表情でこちらを見ている。
やっぱり私の聞き間違いだったんだろう。
「君が彼女たちを運ぶんだよ」
「何で私なんですか!!ヤダー!!」
「ヤダー!って君ね…」
「絶対嫌です!何で私なんですか!?」
「デュランとデュラハンって似てるよね」
「お世話になりました」
「冗談だよ…君くらいしか適任者が居ないからだ…」
つまり今手が空いていて、地位もそこそこな私が適任だと隊長殿は仰ったのだ。
私はこれでも3つの衛生隊の1つ、その中でも何人かを指揮する立場にある将校だ。
現在追撃中の軍に1個衛生隊を追従させており、今ここには約230名の隊員が居る。
しかし負傷者の数が多く、遺体の処理埋葬などに人を取られており、ここから動けそうに無いのだ。
「そこらの1兵卒を向かわせる訳にもいかないだろう。ある程度の地位にあり、状況を説明出来る者が行かないと」
無茶苦茶な理論だ。
「なら隊長殿がお行きになればよろしいじゃないですか!」
「私はまだ仕事が残ってるんだよ、今手が空いてるのは君くらいだろう?」
「しかし…」
確かに今手が空いているのは自分くらいだ
しかし、そんな事よりも、もっと重要な事がある。
「私が襲われたらどうするんですか…」
「誰に?」
「……」
無言のまま指をさした先にはデュラハンのクラウディア。
そうだよ、魔物って男襲うんだよな?図鑑に書いてたし!
これって貞操の危機なんじゃ無いのか…
いくら負傷してるとは言え普通の人間なんかよりよっぽど厄介な連中を連れて行けと。
「さっきからお前は…人を侮辱して!!私がそこらの年中発情している魔物連中と同じように見えるのか!?絶好調だ殺すぞ!」
そう言ってクラウディアはマントの中に手を入れ長剣を取り出し、
それを勢い良く振り下ろす。怒らせてしまったようだ。
どんな不思議マントなんだろう…
などと余裕をかましている場合では無い。でも気になる。
「ちょっと待って、落ち着け!冷静になれ!」
「お前が落ち着け!」
今にも私に斬りかかって来そうなクラウディアを必死に宥めたつもりだが、
逆効果だったようだ。
「大体だな、こっちだってお前なんぞお断りだ!!」
「何だと?そりゃあどっちの意味で!」
「両方だアホ!!」
どうやら完璧に嫌われてしまった
いや、別に好かれようとか思ってたわけじゃないよ?
この後隊長が割って入らなければ、私もデュラハンのように首と胴が離れ離れになっていたかもしれない。
お互い気持ちを落ち着けろ、と言われ冷静さを取り戻す。
「デュラン君は女性の扱いがサッパリだからね…」
実際女性の扱いは苦手だった、
何故なら女性と触れ合った経験もあまり無い、良い思い出も皆無である。
むしろ嫌な思い出ばかりかもしれない…まあそれはいいとして。
結局どちらもラレィ隊長懸命の説得により折れた。話せばわかる、素晴らしい事だ。
嫌々だが…私は彼女たちを敵地まで移送する任務を請け負う事になる。
骨は拾ってやる!なんて言われても…結局死ぬのか私は。
まだやりたい事が沢山あると言うのに!
クラウディアはと言うと、仲間の魔物達を説得して来たようで、皆何も言わず言う事を聞いてくれた。
しかし、何を言われたのか皆私を見る目が妙に生暖かい…とても辛い。
「十分気をつけるんだ、外の世界を知るいい機会だと思えばいい。気にせずゆっくりして来なさい」
いざ出発となった時、隊長自ら見送りに来てくれた。
しかし何でこう含みのある台詞ばっかり吐くんですか貴方は…
「貴方達の御好意には感謝する…皆を代表して私から礼を言わせて貰う」
そう言ってクラウディアが深々と頭を下げた。
その礼儀正しい姿からは先程の怒り狂った様子は伺えない。
首を外せば本音が聞ける…なんて事が図鑑に書いてあったような…
今外したらどうなるんだろう…
うーむ、やはり知的好奇心は尽きる事を知らないな…
医者と言う職業柄か、余計なことばかり気になってしまう。
やらないけど、本当に殺されそうだし。
「首に触れたら殺すからな」
「聞こえてるし…」
ようやく出発した馬車を見送る。まだ何か言い合っているようだ。
仲良くとは言わんが、お互い協力出来んもんかね、まあ、親密な仲になってくれても、それはそれでいいんだが。
そんな事を思いながら通りかかった部下を呼び止める。
「ああ君、これを出しておいてくれ…」
「はあ…?」
呼ばれた部下が素っ頓狂な声をあげる。
呼び止められたのはデュランの同僚であるジパング出身の軍医であった。
「これをですか…しかし…」
「頼んだよ」
書類を渡し強引に会話を切り上げ隊長殿は天幕に帰って行った。
不審に思いその書類を見てみるが、特におかしい点は見つからない。
「死亡届…」
ただ、そこに記載された名には覚えがあった。
『第1衛生隊 アンリ・デュラン中尉』
「あいつ、死んじまったのか!?」
「軍隊の中では限界がある、戦術的要求が人道的要求を上回る…これからも長く続くだろう
だからこそ、彼には軍隊の外で、我々が目指した理念を叶えて欲しい…」
医学生の頃は、個人の尊重、などと言われていた医療文化の中で育てられた。
しかし軍医になると、国のための個人犠牲といった組織優先理論を教え込まれる。
この矛盾に気付き、深く深く悩んだ。
そして今も、悩んでいる。
生きている間に答えが見つかるのだろうか、
「人を助けたい、ただそれだけの理由なのに、こうも悩んでしまうものなのか…」
そう呟く…その言葉を拾ってくれる男はもう居ない。
願わくば、彼には悔いの無い人生を送って欲しい。
あと何年働けるだろうか、もう私は軍隊から離れる事は出来ないだろう。
余談
ドナドナ宜しく馬車は順調に進んでいた、ハズであったのだが。
「うう…まさかこんな事になるなんて…」
拝啓ラレィ隊長殿、別れてまだ数時間しか経っていませんが…
どうやら私はもうそちらに帰れそうにもありません。
何故なら…
襲われました。
「泣きたいのはこっちだバカ…」
「だって気になったから…」
簡潔に言えば、知的好奇心に負け隙を見てクラウディアの首を外してみた。
そこまでは良かったのだが…
「まさかあんな事になるなんて…」
首を外して断面を覗いた瞬間、彼女の胴体は私を組み敷いていた。
一瞬何が起こったのかわからなかったが、気が付くと彼女が私の上に跨って腰を振っていたのだ。
2回3回と…10回辺りの絶頂で数えるのを止めて思考停止してしまった、
無論私にとっては初体験である。
「青春だな…」
「いやいや、ただのアホだ」
後ろからアマゾネスやリザードマン達の言葉が突き刺さる。
流石に魔物らしく回復するのも早かった。
残りの魔物はまだまともに動けないようだ、大人しくしてくれているのはいいんだが…
その人を哀れむような視線をやめて欲しい…アホって言うな。
「魔物は基本好色だ、デュラハンは文字通り頭で蓋をして理性的に動いている…
それを外せば押さえ込んでいる感情が漏れてしまう。溜め込んだ精もな」
アマゾネスが教えてくれた。
後でメモしておこう。
「そんな状況では…襲われるのも無理はない、己の無学を恥じるんだな…」
このリザードマンは私に何か恨みでもあるんだろうか、さっきから言葉に棘がある。
今後デュラハンを見つけても首を外さないようにしないと。
「とにかく!さっきの事は忘れろ!いいな!?これは事故だ…」
頭を付け直したクラウディアである。顔が真っ赤だ。
いや私だって恥ずかしいよ…ほんとに。
だって初めてで逆レイp…
「それ以上言うと殺すぞ…」
殺気である。
「初心だねぇ…」
「いや、アホなだけだろう…」
外野が五月蝿いが今はそれどころではない。
「クソッ…男にとってみれば初めては大事なイベントなのに…トラウマものじゃないか!」
どう考えてもおっさんと呼ばれる年齢に片足を突っ込み始めた男の台詞とは思えない。
しかし、それくらい大切な事なのだ、大きなお友達にはわかって貰えるハズだ。
「それはこっちの台詞だバカ!」
「何だと!?お前だって初めてなんだろう?偉そうに!」
そう、驚いた事に彼女も初めてだったのだ。
昔から戦の事しか頭に無かったからな、とはリザードマンの言葉である。
どうも身内からマスコットみたいな扱い受けてたんじゃないだろうかこのアホデュラハン。
「昔から言うだろう!一度も攻めた事の無い兵士より一度も攻められた事のない城の方が価値があると!」
どこぞのお偉いさんの台詞だったか、師曰くである。
いや…合ってるのかソレ。
「一度も攻められないような場所に城を建てるバカが居るか!そんなものは無駄だ」
「それを言うなら!使いもしない兵士を育てる事だって無駄だろう!?」
「私はそもそも軍医だ!兵士じゃない!」
「私だって城じゃないぞ!」
「見たらわかるわ!」
話が脱線してしまっている。しかしお互い今更後には退けない感じである。
終いにはバカだのアホだの言い合う始末。
子供の口喧嘩のようだった。
「ああ…確かにアホだ」
「だろう?アホだ」
それまで好意的に解釈していたアマゾネスがついに折れた。
2人の様子を眺めているリザードマンとアマゾネスの意見が一致した瞬間であった。
種族を超えた共通認識、アホが二人だと。
クラウディアと口論し、他の魔物達から生暖かい目で見守られながら、何とか目的地を目指す。
「わかった…責任取ってやる…」
「何だって?」
「責任取ってやる、と言っているのだ」
会話が途切れてお互い黙っていたのだが、クラウディアが唐突に口を開いた。
「責任って…何の?」
「お前を一人前の兵士してやった責任を取ってやる!」
「それって…」
私が言い終わる前に、彼女は私の肩に手を置き、顔を近づけて来た。
そういえば彼女の真顔を見たのはこれが始めてかもしれない、
意識すると急に恥ずかしくなってくる。
「この城を自由に出たり入ったり出来る権利をくれてやろう」
「えっ、下ネタ…」
最悪だ、最悪の口説き文句?だ。
必死に私を言い負かそうと考え出したのがこれである。
「おめでとう…と言うべきなんだろうかこれは」
「アホだ…アホ過ぎる。しかしまぁ、アホ同士お似合いだと思うぞ」
祝福されてるんだか馬鹿にされてるんだかよくわからない言葉を送られてしまった、
投げやりな拍手とセットである。
今のをプロポーズと認識出来たのかアンタ達…。
しかもこのアホ…
クラウディアは己の股間を指差しながらしてやったりと言った表情なのが凄く辛い、辛すぎる…
もう言い返す気さえ起きなかった。負けたよ…お前すげぇよ…
これからどうなる、隊長悲しむかな。
失踪扱いなのか…それとも捕虜か?意外と死亡扱いだったりして。
何れにしろ、本当に帰れないんだろうなあ…
頭を抱えて悩む私を、クラウディアは嬉しそうに見つめていた。
「まあ、医者も悪く無いか…」
彼女が何か呟いたようだが、ちゃんと聞き取れなかった。
その後、負傷した魔物数名と1名の『捕虜』を乗せた馬車が、
無事要塞都市まで辿り着いた事が確認された。
捕虜がどうなったのかは…今となっては知る由も無い。
この捕虜と、死亡したある軍医が同一人物であると言う噂が流れたが、
上官により否定されている。
その軍医の上官でもあったドミニク・ジャン・ラレィ氏は後にこう語る。
「あいつマジもげればいいのに」
10/10/14 04:00更新 / 白出汁