彼女の微笑みに堕ちて 〜Down the Alice's...〜
とある暖かい陽光が降り注ぐ気持ちのいい日に、彼女は私の前に現れた。
その時、私は椅子に腰かけ紅茶の香りを楽しみながら本を読んでいた。紙面が陰ったので、ふと顔を上げて見たものは、一人の可愛らしい少女だった。
その美しい容姿と柔らかな頬笑みに、私は一目で魅せられたと言えよう。
しかし彼女は、明らかに人間ではない。
私は一流とは言えないにしても、それなりの量の書物を読み、知識を得て、拙いながらも魔術を習得し、一度ならず(低級なものではあるが)魔物を退治した経歴を持つ。
今となっては足を痛めただ隠居している身に過ぎないとは言え、知識の探究や、魔術の研鑚を怠ったことはない。
故に、私は知っている。彼女は「アリス」と呼ばれる、珍しい「魔物」だ。それもサキュバスと呼ばれる上位の悪魔、その一種。
左右の側頭部からは角が生え、耳は先の尖った一般的な魔物のそれで、背には翼と尾が生えている。
魔物としては上位に位置するが、「性交に関する知識を全く持たない」「自らの食料が男性の精であるという事すら知らない」という奇妙な特徴を持つ。
意識的に人間の男性を襲いはしないはずだが、無意識に発せられる「誘惑の魔力」は徐々に心を蝕み、果てはサキュバス同様、相手をインキュバスへと変貌させてしまうほどの魔力を持つ。
私の彼女に対する感情は、彼女の発する「誘惑の魔力」によるものだと理解している。そう、理解してはいるのだ。
しかし…本当に、それだけだろうか?
魔術により不意を突かれたとしても対処できるよう防壁を張っていたとはいえ、彼女は上位の悪魔である。第一、付近に張っていた結界を無視するかのように庭へ侵入しているのだ。防壁など役に立っているはずもない。
それに、彼女の魔力は確かに強力なものであるが、あくまでその性質は微弱なものである。一朝一夕はおろか、一瞬で魅了されるような力ではないはず。
自分でも理解できない感情の奔流に呑まれている間、彼女はそこに佇み、微笑んでいた。
「こんにちは、初めまして」
ただ、一言だけを口にして。
彼女は、まるで子供のようだった。
私は実験のつもりで、彼女のために一冊の絵本を取り寄せた。とある国の王子と平民の娘が恋に落ち、しかし報われずに終わるというどこにでもあるような陳腐な物語だったが、だからこそ彼女の内面を知るには丁度良かった。
彼女は王子と娘が口付けする場面で顔を赤らめ、二人が騎士達に追われる場面で表情を曇らせ、物語の終焉として二人が永久に別たれる場面で涙した。
実に感情豊かで、表情がコロコロと変わる。
始め、お腹が空いたと上目使いに食事をねだられた時はやはり淫魔かと気を引き締めたものだが、襲ってくることなどなく笑顔で料理を口にする様は無邪気な子供そのものだった。
書物に没頭し構ってやらなかった時など、頬を膨らまして駄々を捏ねられた。本を閉じた時の嬉しそうな笑みは、忘れられないほど可愛いものだった。
絵本を読み終えた際、瞳を涙で濡らしながらも無垢な頬笑みと共に「ありがとう」と言われた時には、己の醜さを突き付けられたような気すらした。
また一度ならず、深夜彼女は私のベッドに潜り込んできたことがある。無論、私は身の危険を感じ身構えたものだが、当の彼女は生まれたばかりの小鹿のように震えながら「怖い夢を見た」などと言い、柔らかな頬を私の胸元にすり寄せてきた。その幼気(いたいけ)な様は保護欲を刺激し、微かに香る甘い香りは、彼女が女性なのだと強く意識せざるを得ないほどの情欲を感じさせた。
無意識の誘惑なのか、はたまた信頼の証なのか、彼女は私の胸の中で安らかな頬笑みと共に寝息を立てた。
そんな生活が、どれだけ続いただろうか。
過ぎ去る日々を指折り数えた訳ではないが、幸せな時間は坦々と、淡々と流れて行った。
そんなある日、私は自分の認識に異常を覚えた。
深夜の、それも私の隣で体をすり寄せ眠る彼女に情欲を感じたことはあったが、日も高く明るい時間にまで、私は彼女を「欲して」いることに気付いたのだ。
始め、それは感情として、しかし次第にそれは熱い吐息に混じり、遂にはこの身を、血を熱く昂らせた。
彼女は彼女なりに私の異変を感じ取ったのか、時折心配そうに私を見つめた。その瞳に、恐れすら抱いた。私はこんなにも純粋にして無垢な少女を、組み伏せ、穢し、嬲り、犯し、汚れた精に塗れさせることを望んでいる。その事実が、私は怖かった。
私はこんなにも獰猛な人間だったのか、私はこんなにも嗜虐的な男だったのか。
女性と肌を重ねた経験がない訳ではない。しかし、こんな欲求は初めてだった。
想像しただけで、背徳感に胸が震える。まるで舌舐めずりする蛇のように、彼女を求めている。
私は、壊れてしまったのだろうか。
彼女の無邪気な頬笑みが、愛おしい。
彼女の無垢な瞳が、眩しい。
彼女の跳ねるような仕草が、可愛らしい。
彼女の白い肌が、美しい。
彼女の、彼女を、彼女が、欲しい。
欲しい。
欲しい。
ふと、我に返る。
私は今、何を考えていた。
唖然とする私の目の前で、彼女が私を見上げる。まるで子供をあやすかのように、椅子に座っている私よりも目線を下げるためか、膝を曲げて、首を傾げて。
「大丈夫?」
優しく、声をかけるのだ。
いつものように、穢れなき澄んだ声を。
まるで、媚びるように。
違う。
私は、何を考えている。
彼女が、媚びているだと?
馬鹿馬鹿しい、私に媚びを売り、何を求めるというのだ。
否、彼女が媚びることなど有り得ない。ただ純粋に求めることはあっても、薄汚れた肉欲に身を任せることなど、断じて。
そう、これは私の妄想に過ぎない。
彼女の魔力が、私の精神を蝕んだのだろう。彼女はサキュバスだ。それは種として、その生態故であり、彼女の意思ではない。
彼女の、意思では、ない。
禁欲的な日々が、どれだけ過ぎただろうか。
いや、生活自体は普段通りのものだ。変わったのは、私の認識に過ぎない。
彼女は変わらず愛らしく、無垢な少女のまま。
そう、愛らしく、無垢な、少女のまま。
いけない。日を追うごとに欲求は募るばかりで、気を緩めると彼女の魔力に当てられてしまう。
彼女に罪はない。罰を受けるべきは、私だ。
これまで以上に、私は彼女を想うようになった。それは穢れた欲求に限定したものではない。むしろ純粋に、より彼女を愛おしいと感じる。
私は努めて平静を装いながら、今までの日常通り彼女に接した。一時期は自らの内に湧く欲求をただ恐れ、不自然な振る舞いから彼女を心配させてしまっていた。が、今はそのようなこともなく、彼女はまた楽しげに笑っている。
微笑む彼女を見て、私は苦い欲求と共に幸福を噛み締めるのだ。
そんな、ある日のこと。
もう何度目だろうか、ひらひらと揺れる純白の寝間着を身に纏い、彼女は枕を抱き締め私の部屋にやってきた。
一度彼女が部屋に来た際、(彼女を守るためとはいえ)一喝して追い出してしまったせいか、おずおずと扉を開く。
ベッドの端に寄り、布団を持ち上げることで受け入れる素振りを見せると、曇らせていた表情は晴れ、軽やかに私の元へ歩を進めた。そのまま飛び込むように潜り込み、額と掌を私の胸元へ当てた。
「今日はどうしたんだい?」
そう問いかけると、彼女は顔を上げ、私を見つめながら微笑む。
「何でもないの」
両腕を伸ばし私の背に回しながら、おどけた声で囁いた。
さらさらと流れる金糸と見紛う美しい髪から、普段の柔らかい香りではなく鼻腔から頭の奥まで溶かし尽すような甘い香りがした。
何時手に入れたのか、またその理由も分からないが、商人から買ったのだろう。確かに、それでいて淡く香水の香りがする。
顔に出たのだろう。まるで悪戯に成功した子供のように、それでいて慈しみ愛おしむかのように彼女は笑った。
「どう?」
何が、どう、なのかは分からない。
「良い、香りだね」
だからだろうか、彼女は急にそっぽを向いて私に背を向けた。
「もう」
と、怒ったような、拗ねたような声を残して。
しかし、布団の中でゆっくりと揺れる尻尾を見る限り、機嫌が悪いわけではないようだ。
私は困り果て、数瞬悩んだ末に取り敢えず頭を撫でてみた。
「もう!」
それが彼女の望んだ答えだったのかどうかは定かではないが、大きな声を上げ振り向き、先ほどの抱擁と異なり腕を背に回すなり力強く抱き締めてきた。
「今日はね」
いくらか間を置いて、告白するかのように囁く。
「初めて、会った日なの」
何のことかと口にしようとした寸でのところで思い出した。
今日は1年前、私たちが初めて出会った日。
忘れもしないあの日、などとと思っていたが、別の意味で忘れていたようだ。
やはり顔に出たのだろう。彼女の視線が私に突き刺さる。
「やっぱり、忘れてたんだ」
落ち込むような声と共に、彼女の腕により一層力が入る。それは不届き者を責めるかのように、愛する者を離すまいとするかのように。
「すまなかった」
私には、謝罪の言葉を口にしながら彼女の頭を撫でることくらいしかできない。
だが、それで多少なりとも満足してくれたのか、背に回していた腕から力が抜け、私の胸元に触れていた額が離れた。
彼女の瞳が私を映す。彼女は口元に緩やかな曲線を描き、僅かに目を細め、ただ、一言。
「大好き」
と、言った。
私は瞬時に理解した。
私は、もう彼女から離れることなど出来はしない。
彼女を、私の全てにしたい。
私は、彼女の全てになりたい。
彼女の、全てが、欲しい。
それは、理性という名の牢獄から解き放たれた瞬間だった。
気が付くと、私は自らの唇を彼女のそれに重ねていた。
しかして彼女は抵抗の素振りすらなく、目を閉じ受け入れてくれる。
不思議と、一時期この身を焦がしていた乱暴な欲求はなかった。
ただ、彼女が欲しい。
それだけだった。
首筋に当てた指先は、滑るように脇・腰を通って腿に触れる。
彼女はぴくんと肩を揺らし、頬を朱色に染め、口付けの名残か唇は小さく開き、眠気にまどろむように瞳を濡らした。
再度、唇を重ねる。私は彼女の更に深いところを求めたが、挟み追い出すかのように拒まれた。無垢な彼女にはまだ早いか、などと思っている間に、意を決するように多少目蓋に力を込め、口を開き、自らの下唇に先を触れさせる程度ではあるが、彼女は私の求めに応じる証を差し出した。
愛おしさの余り我を忘れそうになるほどの衝撃に耐え、私は貪るように彼女と唾液を交わした。
一瞬、彼女が強く息を吐いた。何事か、と思う間もなくその意味を知る。
無意識に、彼女の丘陵に触れていた。また滑らせた手は骨盤の辺りを彷徨っていたはずが、張りのある球体を歪めさせている。
彼女はそれを受け入れる意思を示すかのように、互いのもので濡れた唇を一層強く求めた。
当然思い止まることなど有り得ず、指に力を込め応える。
熱い吐息が彼女から漏れ、私の喉を刺激する。
そのえも言えぬ快感に押され、指は淫らに動き出す。
掌にふと違和を覚え唇を離し、彼女は恥ずかしそうに目を背ける
手に吸い付くような柔らかさの中程にあって、押し返すかのようなしこり。
自らの存在を強く主張し僅かに揺れるそれを、求めた。
彼女は不意に声を上げ、自分でもそれに驚いたのか耳まで赤くなっている。
ふと、頭を過った。
淫魔「アリス」は性交に関する知識を持たないと言われている。もしや彼女は、自分が何をしているのか、何をされているのか理解していないのではないか?
顔を上げ、彼女を見つめながら悩んでいると、彼女は怪訝そうに首を傾げた。もしかしたら、これは彼女にとって遊びの延長なのかもしれない。それともただのスキンシップなのか。
不意に聞こえた音に、視線が向けられる。
彼女が身動きしたのは分かる。しかし、先ほど聞こえた音は、衣擦れのそれではないはず。
後ろに回していた手を引き抜き、そのまま腹を撫でるように、触れる。
湿気を含むその音は、間違いなく彼女によるものだった。
「ご、ごめんなさい」
消え入るようなか細い声が耳に届く。何を謝っているのだろうと思案し、得心した。彼女は性知識を持たない。自分の身に何が起こっているのか、正しく理解してはいないのだろう。
となると、思い当たる事柄は一つしかない。
「大丈夫、そのまま、体を預けて」
彼女の下着に触れながら、口付ける。
彼女の体から力が抜けてゆくのが分かる。それが、嬉しかった。
おもむろに下着に手をかけ、ゆっくりと足先の方へ滑らせる。下着には彼女から糸が引かれており、私の興奮を助長させる。
足首まで下ろし片足から外すと、そのまま両膝を曲げさせ彼女の秘部が露わとなる。
「綺麗だ」
言うが早いか、私は彼女に顔を埋め、淫猥な水音を立てた。
「あ…んっ、あっ」
彼女の口から、こうも甘く扇情的な声を聞いたのは初めてだった。
私は彼女を悦ばそうと、その深奥へ舌を伸ばし、掻き乱す。いや、彼女がそれを悦びとするかは分からない。恐らく建前で、ただそうしたかったのだろう。音はより大きく響き、震える声が耳を打つ。
私は我慢の限界に達し、自らのそれを彼女に宛がった。
花開く前の蕾のような彼女は私を拒んだが、欲情し怒張したそれに抗うことは出来ず、私を受け入れた。
「んんっ」
シーツを握り締め、目元に涙を浮かべ、破瓜の血を流しながらも、彼女はやがてうっすらと微笑んだ。
それが彼女の負担になることも承知で、しかし欲求に逆らうことも出来ず、私は彼女を貪った。
体を揺らし、水音を立てる度に彼女は声を上げ、幾度か繰り返すと声色は甘いものに変わり、吐息は荒々しいものから熱いものとなっていった。
まるで私の全てを受け入れてくれているかのような彼女に応えるべく、私は彼女の奥を掻き混ぜた。
一際大きな声を上げる彼女。それは苦痛でなく、悦楽であることは疑いようもなかった。
適応の早さは淫魔故か、少しずつではあるが、彼女も体を揺らし求めてくる。彼女の奥は私を逃がすまいと絡み付き、締め上げる。
私は昂る感情を抑えることなく、求めるままに、彼女を汚した。
私と彼女の日常は変わらず、無邪気に笑う彼女は太陽のように眩しかった。
彼女は「アリス」の性質通り、肌を重ねたことなど忘れ、心身共に清らかなままであり続けた。
そんな彼女が愛おしい。
場違いではあるだろうが、私は彼女との出会いを神に感謝している。
最早、彼女の居ない生活など想像も出来ない。
彼女が居て、私が居て、他に何が要るというのだ。
彼女の微笑みは、彼女の瞳は、私に向けられている。
その幸福がこれからも続くようにと、ただ祈る。
そうして今宵も、愛と肉欲は紡がれる。
その時、私は椅子に腰かけ紅茶の香りを楽しみながら本を読んでいた。紙面が陰ったので、ふと顔を上げて見たものは、一人の可愛らしい少女だった。
その美しい容姿と柔らかな頬笑みに、私は一目で魅せられたと言えよう。
しかし彼女は、明らかに人間ではない。
私は一流とは言えないにしても、それなりの量の書物を読み、知識を得て、拙いながらも魔術を習得し、一度ならず(低級なものではあるが)魔物を退治した経歴を持つ。
今となっては足を痛めただ隠居している身に過ぎないとは言え、知識の探究や、魔術の研鑚を怠ったことはない。
故に、私は知っている。彼女は「アリス」と呼ばれる、珍しい「魔物」だ。それもサキュバスと呼ばれる上位の悪魔、その一種。
左右の側頭部からは角が生え、耳は先の尖った一般的な魔物のそれで、背には翼と尾が生えている。
魔物としては上位に位置するが、「性交に関する知識を全く持たない」「自らの食料が男性の精であるという事すら知らない」という奇妙な特徴を持つ。
意識的に人間の男性を襲いはしないはずだが、無意識に発せられる「誘惑の魔力」は徐々に心を蝕み、果てはサキュバス同様、相手をインキュバスへと変貌させてしまうほどの魔力を持つ。
私の彼女に対する感情は、彼女の発する「誘惑の魔力」によるものだと理解している。そう、理解してはいるのだ。
しかし…本当に、それだけだろうか?
魔術により不意を突かれたとしても対処できるよう防壁を張っていたとはいえ、彼女は上位の悪魔である。第一、付近に張っていた結界を無視するかのように庭へ侵入しているのだ。防壁など役に立っているはずもない。
それに、彼女の魔力は確かに強力なものであるが、あくまでその性質は微弱なものである。一朝一夕はおろか、一瞬で魅了されるような力ではないはず。
自分でも理解できない感情の奔流に呑まれている間、彼女はそこに佇み、微笑んでいた。
「こんにちは、初めまして」
ただ、一言だけを口にして。
彼女は、まるで子供のようだった。
私は実験のつもりで、彼女のために一冊の絵本を取り寄せた。とある国の王子と平民の娘が恋に落ち、しかし報われずに終わるというどこにでもあるような陳腐な物語だったが、だからこそ彼女の内面を知るには丁度良かった。
彼女は王子と娘が口付けする場面で顔を赤らめ、二人が騎士達に追われる場面で表情を曇らせ、物語の終焉として二人が永久に別たれる場面で涙した。
実に感情豊かで、表情がコロコロと変わる。
始め、お腹が空いたと上目使いに食事をねだられた時はやはり淫魔かと気を引き締めたものだが、襲ってくることなどなく笑顔で料理を口にする様は無邪気な子供そのものだった。
書物に没頭し構ってやらなかった時など、頬を膨らまして駄々を捏ねられた。本を閉じた時の嬉しそうな笑みは、忘れられないほど可愛いものだった。
絵本を読み終えた際、瞳を涙で濡らしながらも無垢な頬笑みと共に「ありがとう」と言われた時には、己の醜さを突き付けられたような気すらした。
また一度ならず、深夜彼女は私のベッドに潜り込んできたことがある。無論、私は身の危険を感じ身構えたものだが、当の彼女は生まれたばかりの小鹿のように震えながら「怖い夢を見た」などと言い、柔らかな頬を私の胸元にすり寄せてきた。その幼気(いたいけ)な様は保護欲を刺激し、微かに香る甘い香りは、彼女が女性なのだと強く意識せざるを得ないほどの情欲を感じさせた。
無意識の誘惑なのか、はたまた信頼の証なのか、彼女は私の胸の中で安らかな頬笑みと共に寝息を立てた。
そんな生活が、どれだけ続いただろうか。
過ぎ去る日々を指折り数えた訳ではないが、幸せな時間は坦々と、淡々と流れて行った。
そんなある日、私は自分の認識に異常を覚えた。
深夜の、それも私の隣で体をすり寄せ眠る彼女に情欲を感じたことはあったが、日も高く明るい時間にまで、私は彼女を「欲して」いることに気付いたのだ。
始め、それは感情として、しかし次第にそれは熱い吐息に混じり、遂にはこの身を、血を熱く昂らせた。
彼女は彼女なりに私の異変を感じ取ったのか、時折心配そうに私を見つめた。その瞳に、恐れすら抱いた。私はこんなにも純粋にして無垢な少女を、組み伏せ、穢し、嬲り、犯し、汚れた精に塗れさせることを望んでいる。その事実が、私は怖かった。
私はこんなにも獰猛な人間だったのか、私はこんなにも嗜虐的な男だったのか。
女性と肌を重ねた経験がない訳ではない。しかし、こんな欲求は初めてだった。
想像しただけで、背徳感に胸が震える。まるで舌舐めずりする蛇のように、彼女を求めている。
私は、壊れてしまったのだろうか。
彼女の無邪気な頬笑みが、愛おしい。
彼女の無垢な瞳が、眩しい。
彼女の跳ねるような仕草が、可愛らしい。
彼女の白い肌が、美しい。
彼女の、彼女を、彼女が、欲しい。
欲しい。
欲しい。
ふと、我に返る。
私は今、何を考えていた。
唖然とする私の目の前で、彼女が私を見上げる。まるで子供をあやすかのように、椅子に座っている私よりも目線を下げるためか、膝を曲げて、首を傾げて。
「大丈夫?」
優しく、声をかけるのだ。
いつものように、穢れなき澄んだ声を。
まるで、媚びるように。
違う。
私は、何を考えている。
彼女が、媚びているだと?
馬鹿馬鹿しい、私に媚びを売り、何を求めるというのだ。
否、彼女が媚びることなど有り得ない。ただ純粋に求めることはあっても、薄汚れた肉欲に身を任せることなど、断じて。
そう、これは私の妄想に過ぎない。
彼女の魔力が、私の精神を蝕んだのだろう。彼女はサキュバスだ。それは種として、その生態故であり、彼女の意思ではない。
彼女の、意思では、ない。
禁欲的な日々が、どれだけ過ぎただろうか。
いや、生活自体は普段通りのものだ。変わったのは、私の認識に過ぎない。
彼女は変わらず愛らしく、無垢な少女のまま。
そう、愛らしく、無垢な、少女のまま。
いけない。日を追うごとに欲求は募るばかりで、気を緩めると彼女の魔力に当てられてしまう。
彼女に罪はない。罰を受けるべきは、私だ。
これまで以上に、私は彼女を想うようになった。それは穢れた欲求に限定したものではない。むしろ純粋に、より彼女を愛おしいと感じる。
私は努めて平静を装いながら、今までの日常通り彼女に接した。一時期は自らの内に湧く欲求をただ恐れ、不自然な振る舞いから彼女を心配させてしまっていた。が、今はそのようなこともなく、彼女はまた楽しげに笑っている。
微笑む彼女を見て、私は苦い欲求と共に幸福を噛み締めるのだ。
そんな、ある日のこと。
もう何度目だろうか、ひらひらと揺れる純白の寝間着を身に纏い、彼女は枕を抱き締め私の部屋にやってきた。
一度彼女が部屋に来た際、(彼女を守るためとはいえ)一喝して追い出してしまったせいか、おずおずと扉を開く。
ベッドの端に寄り、布団を持ち上げることで受け入れる素振りを見せると、曇らせていた表情は晴れ、軽やかに私の元へ歩を進めた。そのまま飛び込むように潜り込み、額と掌を私の胸元へ当てた。
「今日はどうしたんだい?」
そう問いかけると、彼女は顔を上げ、私を見つめながら微笑む。
「何でもないの」
両腕を伸ばし私の背に回しながら、おどけた声で囁いた。
さらさらと流れる金糸と見紛う美しい髪から、普段の柔らかい香りではなく鼻腔から頭の奥まで溶かし尽すような甘い香りがした。
何時手に入れたのか、またその理由も分からないが、商人から買ったのだろう。確かに、それでいて淡く香水の香りがする。
顔に出たのだろう。まるで悪戯に成功した子供のように、それでいて慈しみ愛おしむかのように彼女は笑った。
「どう?」
何が、どう、なのかは分からない。
「良い、香りだね」
だからだろうか、彼女は急にそっぽを向いて私に背を向けた。
「もう」
と、怒ったような、拗ねたような声を残して。
しかし、布団の中でゆっくりと揺れる尻尾を見る限り、機嫌が悪いわけではないようだ。
私は困り果て、数瞬悩んだ末に取り敢えず頭を撫でてみた。
「もう!」
それが彼女の望んだ答えだったのかどうかは定かではないが、大きな声を上げ振り向き、先ほどの抱擁と異なり腕を背に回すなり力強く抱き締めてきた。
「今日はね」
いくらか間を置いて、告白するかのように囁く。
「初めて、会った日なの」
何のことかと口にしようとした寸でのところで思い出した。
今日は1年前、私たちが初めて出会った日。
忘れもしないあの日、などとと思っていたが、別の意味で忘れていたようだ。
やはり顔に出たのだろう。彼女の視線が私に突き刺さる。
「やっぱり、忘れてたんだ」
落ち込むような声と共に、彼女の腕により一層力が入る。それは不届き者を責めるかのように、愛する者を離すまいとするかのように。
「すまなかった」
私には、謝罪の言葉を口にしながら彼女の頭を撫でることくらいしかできない。
だが、それで多少なりとも満足してくれたのか、背に回していた腕から力が抜け、私の胸元に触れていた額が離れた。
彼女の瞳が私を映す。彼女は口元に緩やかな曲線を描き、僅かに目を細め、ただ、一言。
「大好き」
と、言った。
私は瞬時に理解した。
私は、もう彼女から離れることなど出来はしない。
彼女を、私の全てにしたい。
私は、彼女の全てになりたい。
彼女の、全てが、欲しい。
それは、理性という名の牢獄から解き放たれた瞬間だった。
気が付くと、私は自らの唇を彼女のそれに重ねていた。
しかして彼女は抵抗の素振りすらなく、目を閉じ受け入れてくれる。
不思議と、一時期この身を焦がしていた乱暴な欲求はなかった。
ただ、彼女が欲しい。
それだけだった。
首筋に当てた指先は、滑るように脇・腰を通って腿に触れる。
彼女はぴくんと肩を揺らし、頬を朱色に染め、口付けの名残か唇は小さく開き、眠気にまどろむように瞳を濡らした。
再度、唇を重ねる。私は彼女の更に深いところを求めたが、挟み追い出すかのように拒まれた。無垢な彼女にはまだ早いか、などと思っている間に、意を決するように多少目蓋に力を込め、口を開き、自らの下唇に先を触れさせる程度ではあるが、彼女は私の求めに応じる証を差し出した。
愛おしさの余り我を忘れそうになるほどの衝撃に耐え、私は貪るように彼女と唾液を交わした。
一瞬、彼女が強く息を吐いた。何事か、と思う間もなくその意味を知る。
無意識に、彼女の丘陵に触れていた。また滑らせた手は骨盤の辺りを彷徨っていたはずが、張りのある球体を歪めさせている。
彼女はそれを受け入れる意思を示すかのように、互いのもので濡れた唇を一層強く求めた。
当然思い止まることなど有り得ず、指に力を込め応える。
熱い吐息が彼女から漏れ、私の喉を刺激する。
そのえも言えぬ快感に押され、指は淫らに動き出す。
掌にふと違和を覚え唇を離し、彼女は恥ずかしそうに目を背ける
手に吸い付くような柔らかさの中程にあって、押し返すかのようなしこり。
自らの存在を強く主張し僅かに揺れるそれを、求めた。
彼女は不意に声を上げ、自分でもそれに驚いたのか耳まで赤くなっている。
ふと、頭を過った。
淫魔「アリス」は性交に関する知識を持たないと言われている。もしや彼女は、自分が何をしているのか、何をされているのか理解していないのではないか?
顔を上げ、彼女を見つめながら悩んでいると、彼女は怪訝そうに首を傾げた。もしかしたら、これは彼女にとって遊びの延長なのかもしれない。それともただのスキンシップなのか。
不意に聞こえた音に、視線が向けられる。
彼女が身動きしたのは分かる。しかし、先ほど聞こえた音は、衣擦れのそれではないはず。
後ろに回していた手を引き抜き、そのまま腹を撫でるように、触れる。
湿気を含むその音は、間違いなく彼女によるものだった。
「ご、ごめんなさい」
消え入るようなか細い声が耳に届く。何を謝っているのだろうと思案し、得心した。彼女は性知識を持たない。自分の身に何が起こっているのか、正しく理解してはいないのだろう。
となると、思い当たる事柄は一つしかない。
「大丈夫、そのまま、体を預けて」
彼女の下着に触れながら、口付ける。
彼女の体から力が抜けてゆくのが分かる。それが、嬉しかった。
おもむろに下着に手をかけ、ゆっくりと足先の方へ滑らせる。下着には彼女から糸が引かれており、私の興奮を助長させる。
足首まで下ろし片足から外すと、そのまま両膝を曲げさせ彼女の秘部が露わとなる。
「綺麗だ」
言うが早いか、私は彼女に顔を埋め、淫猥な水音を立てた。
「あ…んっ、あっ」
彼女の口から、こうも甘く扇情的な声を聞いたのは初めてだった。
私は彼女を悦ばそうと、その深奥へ舌を伸ばし、掻き乱す。いや、彼女がそれを悦びとするかは分からない。恐らく建前で、ただそうしたかったのだろう。音はより大きく響き、震える声が耳を打つ。
私は我慢の限界に達し、自らのそれを彼女に宛がった。
花開く前の蕾のような彼女は私を拒んだが、欲情し怒張したそれに抗うことは出来ず、私を受け入れた。
「んんっ」
シーツを握り締め、目元に涙を浮かべ、破瓜の血を流しながらも、彼女はやがてうっすらと微笑んだ。
それが彼女の負担になることも承知で、しかし欲求に逆らうことも出来ず、私は彼女を貪った。
体を揺らし、水音を立てる度に彼女は声を上げ、幾度か繰り返すと声色は甘いものに変わり、吐息は荒々しいものから熱いものとなっていった。
まるで私の全てを受け入れてくれているかのような彼女に応えるべく、私は彼女の奥を掻き混ぜた。
一際大きな声を上げる彼女。それは苦痛でなく、悦楽であることは疑いようもなかった。
適応の早さは淫魔故か、少しずつではあるが、彼女も体を揺らし求めてくる。彼女の奥は私を逃がすまいと絡み付き、締め上げる。
私は昂る感情を抑えることなく、求めるままに、彼女を汚した。
私と彼女の日常は変わらず、無邪気に笑う彼女は太陽のように眩しかった。
彼女は「アリス」の性質通り、肌を重ねたことなど忘れ、心身共に清らかなままであり続けた。
そんな彼女が愛おしい。
場違いではあるだろうが、私は彼女との出会いを神に感謝している。
最早、彼女の居ない生活など想像も出来ない。
彼女が居て、私が居て、他に何が要るというのだ。
彼女の微笑みは、彼女の瞳は、私に向けられている。
その幸福がこれからも続くようにと、ただ祈る。
そうして今宵も、愛と肉欲は紡がれる。
11/03/25 03:18更新 / 魁斗