私と貴方と夏夜のハナビ
初めてその女性を目にして息が止まった。
吐き出そうとした息を思わず呑み込み、見入ってしまった。
美しい。
それはあまりにも美しい。
一つにまとめた灰色の長髪は周りの明かりで輝いている。
笑みを浮かべたその顔はあまりにも整いすぎている。
綺麗。
あまりにも、綺麗。
アヤカとはまた違った美しさ。
アヤカのを女の子らしい可愛らしさというのならば。
この女性は大人の女性としての美しさ。
大人として、女性としての魅力を惜しげもなく晒してる。
美人。
完璧。
そんな言葉じゃ物足りない。
そう思えるほどの女性だった。
次に感じたのは違和感だった。
それほどの美貌を兼ね備えておきながら。
それほどの美しさを持っていながら。
誰も彼女に目をくれない。
私の隣で歩く彼女は誰の視線も受けていない。
まるで風景の一端を見るかのように皆一目見ては興味ないというように視線を外す。
いや、それだけじゃない。
ユウタとアヤカと別れてから。
彼女の隣を歩き出してから。
―私は誰からも見られていない。
彼女と同じように、風景の一端に化してしまったかのように。
誰もが私に見惚れない。
私の魅了が消えたかのように回りは普通に歩いている。
一度見ても興味がないように視線を他へと移していく。
何で…?
不思議で、不可解な現象。
リリムとして生まれてきてこんなこと今まで経験したことはなかった。
何が…起きてるの?
そう考えたとき。
急に彼女は立ち止まった。
自然、私も止まらざるおえなくなる。
彼女は―ユウタのお師匠さんはこちらを向かない。
…どうしたのだろう?
「えっと…ユウタの、お師匠さん…?」
「ここら辺までくればいいかな?」
「え?何が…なのかしら?」
「いや、ここまでくればユウタにも聞かれないからさ。それじゃあお話しようか―
―リリムのお嬢さん。」
ユウタのお師匠さんは、そういった。
振り返って、私を見て。
ユウタに向けていたときの表情とはまったく違う笑みで。
確かにそういった。
幻影を纏っている私を。
どう見ても普通の人間にしか見えない私を。
―リリムと呼んだ。
「へぇ〜、ユウタとは昨日に会ったんだ。」
「え、ええ。」
あの後私はお師匠さんと共に歩いていた。
ただすることもなく。
話しているだけだ。
人ごみの中の隙間を縫うように移動して。
「…あの。」
「うん?何?」
そう言って首をかしげる仕草は大人の雰囲気を纏った彼女には似合わないだろう。
だけど、それでも異様なくらいに綺麗に映る。
誰もが見惚れてもいいくらいに。
それでも、誰も彼女に見惚れない。
せいぜい私だけだ。
「あの、どうして…。」
「どうして、わかったのか…でしょ?」
「…。」
幻影を纏った私をどうしてリリムとわかったのだろうか。
いや、それ以上にだ。
―私をリリムとわかったのはどうしてなのだろう。
この世界に私のお母様はいない。
そして魔物もまたいない…はず。
アヤカが言っていたユウタに引き寄せられてきた彼女達を除いたとしてもあまりにも少なすぎる数だ。
今こうやって歩いているだけでも周りには人間しかいない。
そんな世界で。
こんな人間しかいないところで。
どうしてリリムと見抜けたのだろう?
「女が女を騙せると思った?」
「…。」
「なんちゃって、ね。」
彼女は足を止めない。
そのまま私に話しかける。
「そうだね。それじゃあ―
―君と同じようなものだから…って言えなわかる?」
「っ!」
同じような…?
それってつまり。
「貴方も…魔物?」
「そうだよ。人間じゃない、ね。」
彼女もまた魔物。
しかしそうは思えない。
彼女から何も感じない。
魔物らしい魔力も。
人間ではないという雰囲気も。
何も、感じ取れない。
彼女は…いったい…?
「残念だけど自分が何かまでは教えられないよ。まだユウタにも言ってないからね。」
彼女はそう言ってふふっと小さく笑った。
ユウタ。
不思議とその名を呼んだときだけ彼女の顔が綻ぶ。
さっきと同じように。
ユウタに抱きついていたときと同じように、嬉しそうに。
まるで、ユウタといるのが嬉しいと言わんばかりに。
「言えることといえば自分はユウタの師匠。ただそれだけだよ。」
「ただ…それだけ?」
「そう。師弟関係ってところ。残念ながらそれ以上の関係にはなれてないんだよね。」
お師匠さんはそう言ってため息をついた。
残念そうに。
心底、疲れたように。
…本当に何なのだろう、この女性は。
こんな女性が…魔物。
いったい…何の?
「もうね〜、硬いんだよ、ユウタったら。自分がさ、あんな抱きついてまで誘惑してるって言うのにさ。」
「…。」
えっと…お師匠さん?
急に…愚痴り始めたんだけど?
「お風呂で背中を流しっことかしたのにさ。何であと一歩踏み出してくれないのかな?」
…え?
お風呂で…背中を流しっこって…その、二人で?
二人で…お風呂に入ったってこと…よね?
ユウタと…二人で?
「ユウタと一緒に寝たこともあったのにさ、ユウタったら何もしてくれないんだもん…。」
大人な外見とは似合わない子供のような口調。
私よりも長身完璧という言葉でも足りないくらいのプロポーションをしているのに、まるでいじけた子供みたい。
…でも、今なんていったのかしら?
ユウタと…一緒に寝たと…言ったの?
「他にもナース服で入院したユウタに看護しにいったこともあったっけ。」
「…。」
「あのときのユウタは可愛かったなぁ♪顔真っ赤にしてさ、体を拭こうとしても逃げようとするんだもん♪」
「…。」
「それにね、ユウタの来た服とか、抱きしめたときに香る匂いとかってなんだか嗅ぐとこう…体が熱くならない?」
「…えっと。」
それは…ある、かも。
「空手着から肌をちらちら見せてくるしさ、何かなあれは。もう誘ってるとしか見えないよ♪」
「…。」
「あれだね、ユウタはきっと誘ってるんだ♪何だかんだ言ったところで求めちゃってるんだよ♪んもう、ユウタったら〜♪」
「ええと…お師匠さん?」
「うん?」
「どうしてそんな話を?」
そう聞くと彼女は変わらぬ笑みを向けて答える。
子供っぽく、純粋な笑みで。
「君ならこの気持ち、わかってくれると思ってさ。だって君―
―ユウタが好きなんでしょ?」
「っ!!」
言われた。
アヤカに言われたことと同じものを。
さらにハッキリとした形で。
好きかどうかを、聞かれた。
「君も、ユウタが好きなんでしょ?」
確認のためか、私に聞こえてないと思ったのか彼女はもう一度繰繰り返す。
笑みも変わらず、先ほどと同じ口調で。
ただそれでも言葉は私の胸にさらに響く。
好き?
ユウタのことが?
そんなの……。
…もう、決まってる。
「ええ、私はユウタが好きよ。」
迷わない。
惑わない。
自分の気持ちは既にわかってる。
胸の奥に抱いたこの感情は既に理解している。
もう、気づいてる。
―私はユウタに恋してる。
「そっか。」
そう言ったお師匠さんは笑みを浮かべた。
子供っぽい笑みじゃない、凛とした笑みでもない。
慈悲深い笑み。
まるで愛する我が子の成長を見守るような、そんな笑み。
その笑みに一瞬戸惑いながらも私も彼女に聞いてみる。
「貴方も、なんでしょ?」
それは誰から見ても明らかなもの。
あまりにもユウタと触れ合いたいと行動するその姿は誰が見ても好意によるもの。
ユウタを好きだから。
ユウタが大切だから。
もっと触れたいと、もっと近くにいたいと思う。
それこそ私や、アヤカと同じように。
「ふふ、勿論だよ。自分もユウタは好き。」
やはりとは思わない。
それを聞いて納得するくらいだ。
だけど…ひとつ気になることがある。
彼女とユウタは師弟関係にしては明らかに度を越すようなものだったけど…。
それ以上に気になるのは…アヤカ。
アヤカはこの女性を…嫌っていた。
それこそ私を初めて目の前にしたときのように。
それは…何で?
ユウタを傷つけるといっていたけど…どうやって?
今の彼女からはそんなものを感じられないのに。
「ユウタは優しいからね。ユウタ自身が傷つくことになるのに…自分に接してくれてさ。」
「…。」
「孤独だった自分を、皆離れて行った自分を…助けてくれたからさ。」
「…。」
「ユウタだけなんだ。自分を救ってくれたのは。だから自分は…好きだよ。ユウタが。」
その言葉から。
その話から。
ユウタとこのお師匠さんの関係がただならないということがよくわかる。
他人じゃない、ただの師弟関係でもない。
もっと上、もっと重要な、大切な関係。
「だから、今日だけだよ。」
彼女は続けた。
「今日だけ、君に譲ってあげる。」
「え…?」
「今日は、ユウタに手を出さないであげる。」
その言葉がどういう意味か、わかる。
同じ男の人を好きになったもの同士だから、通じる。
だけどわからない。
一つ、わからない。
彼女が私にそういってくれた意味が。
ここで、お祭りという大切なイベントで、ユカタを着てまでユウタに迫った彼女が手をださないというそのわけ。
何で、なのだろう?
「今日逃したら、自分はユウタといちゃラブしちゃうからね♪自分もそんなに我慢はできそうにないんだから。もうユウタもいい歳だし…もうそろそろ本格的に襲っちゃおうか迷ってたところだからね。」
「そう、なの…。」
「うん。だから今日だけ譲ってあげる。若い娘は、もっと頑張らないとね♪」
若い娘…。
そう言った彼女は私よりも年上で大人の女性の魅力を存分に感じさせるのだが、言うほど彼女も歳を取ってないと思うのに…。
それに彼女も人ではない魔物。
それなら歳なんて取らないのではないのだろうか?
「えっと…ありがとう。」
私自身何に対してかよくわからない。
ユウタを襲わないといったことに対してか。
私に今日の舞台を譲るといってくれたことか。
よくわからないけど、とりあえず私はお師匠さんに感謝の言葉を述べた。
その言葉を聞いて彼女は嬉しそうな笑みで答える。
「どうしたしまして、かな?ふふ、それじゃあ自分はそろそろお暇させていただくよ。ちょうどユウタも来たみたいだし。」
「え?」
お師匠さんの指差すほうを見ると…いた。
黒いユカタで黒い髪の毛をした男の人が手を振っている。
隣にぴったりとくっついている女性は同じ色の髪の毛、ユカタを纏っている。
ユウタとアヤカだ。
二人とも今まで何をしていたのだろうか?
「それじゃあ、またね。リリムのお嬢さん。」
そう言ったお師匠さんは私の傍から離れてユウタのほうへと歩いていく。
途端に、私に集中する熱い視線。
男女問わずいつものように絡みついてくる。
それこそいつものように。
お師匠さんはユウタ前まで行くと遠慮せずに、当然というように自然な流れで抱きついた。
「えへへ〜ありがとう、ユウタ♪おかげで楽しいお話できたよ♪」
「そうですか…それより師匠、公の場で抱きつくのはやめてください。」
「これはお礼が必要かな♪」
「師匠?聞いてます?」
「それじゃあ次の稽古のときはエッチな下着を着てしてあげるよ♪場所は自分の部屋のベッドの上だからね♪」
「いや師匠、ですから…。」
「それともまたナース服がいいかな?あ、でも前の猫耳のときはユウタ…抱きしめてくれたからあれがいいかな♪」
「っ!師匠!その話はやめてください!!」
「お家の人にはちゃんと合宿だって誤魔化して来るんだよ?あ、でもユウタがそういうことをわかってるのなら…ちゃんと言ってくるのも…ありかな♪」
「師匠、お家の人が隣にいるんですけど?」
「ああ、お姉さん…いたんだ。」
「最初っからいたけど?」
「それじゃあ、ユウタは自分の家に泊まってくるから、よろしくね?」
「よろしくじゃないでしょうが。」
「っていうか師匠、マジで抱きつくのはやめてくださいって。」
「んふふ♪照れなくてもいいんだよ、ユウタ♪」
「嫌がってんだよ、馬鹿。」
「だからそういうこと言うなよあやか。」
そのまま二、三言葉を交わしてお師匠さんはユウタから名残惜しそうに離れた。
離れて、一度私を見る。
ユウタとアヤカに見えないようにこちらを向いて。
そしてあの慈愛に満ち溢れた笑みを向けて歩いていった。
ユウタとアヤカと離れて、人ごみに消えていった。
…不思議な女性ね。
人間ではない魔物。
あれで、魔物。
私達と同じ存在…。
「フィオナ。」
「っ!」
名前を呼ばれてそちらを見た。
そこにいるのはユウタ。
人ごみを掻き分けて、私の目の前にいた。
「ほら、行こうぜ。」
そう言って手を差し伸べる。
先ほどと同じように私に向かって。
促すように手を揺らす。
それを見て私は。
「うんっ!」
その手を握って、指を絡めて。
再び繋いだ。
しっかり握っているとわかっていても。
離れないように。
離さないように。
ユウタの腕に抱きついた。
「まったく。」
そういいながら苦笑し、それでもユウタは私を受け入れてくれる。
困ったような顔をしても、優しく受け止めてくれる。
お師匠さんの言っていたことがよくわかるぐらいに。
ユウタは、優しい。
思わずその優しさに甘えてしまうくらいに。
だから、私はユウタが…。
「フィオナ?」
「うん?何?」
「ちょっと移動するぞ?」
「え?」
ユウタは私を引いて歩き出す。
隣のアヤカも同じ速度で。
お祭りの屋台を回っていたときよりも早足で。
「どこへ行くの?」
「そりゃ、まぁ…。」
お楽しみ。
そういうユウタの顔はどこか嬉しそうで、楽しそうな表情を浮かべていた。
歩いて数分も掛からないところ。
それでもお祭りの会場からは随分と遠く離れてしまった。
人気のない、提灯の明かりもないくらいところで私達はいた。
ある建物を目の前にして。
「ここは?」
見れば廃れてしまっているのがよくわかるところ。
壁はヒビが入り、所々蔦が張り付いていて長い間誰にも使われていないということがよくわかる。
それでもこの建物、相当な大きさだ。
周りの建物と比べると飛びぬけて空に突き立っている。
何の建物だったのかしら?
「ここは元デパートだよ。」
「デパート?」
「そ、様々なものが売ってる大型の雑貨店とでもいうところ。」
「へぇ…。」
本当にこの世界にはいろいろあるのね。
いろいろあって不思議。
私の知らないものばかりがあるんだもの。
そう考えてるとアヤカの声が掛かる。
「それじゃ早いとこ行こ?始まっちゃうよ?」
「おっとそうだったな。それじゃあ行こうか。」
「え?」
行くって…この建物の中に?
いくらなんでも…危ないんじゃないのかしら…?
だって…暗いし、不気味だし…。
「平気。中は月明かりで意外と明るいんだからさ。」
「そう。それに早くしないと時間過ぎるって。」
「え?時間って…何の?」
「そりゃ…なぁ。」
「まぁ…ねぇ。」
ユウタとアヤカは顔を見合わせた。
互いが浮かべる表情は何か隠し事をしてる顔。
それも、笑いながら。
何かを企んでいる、それが嫌でもわかる笑みを浮かべながら。
「秘密。」
「もう少しだから待ってくれよ。」
楽しそうな笑みを浮かべてそう言った。
中に入ってみると確かに明るい。
割れた窓から月明かりが差し込んで照らしているようだ。
それでも、不気味。
誰の気配もしない廃れた場所。
埃は積もり、床はひび割れ長年誰も入った様子がないことを感じさせられる。
普通の人なら入るのもためらうだろう。
私自身一人だったら絶対に入らなかった。
だけど。
「ここはやっぱ変わんないな。」
「そりゃね。誰も来ないでしょ、こんなところ。」
この二人は違った。
怖がっていない。
というか平然としてる。
暗闇に恐怖しないというか、人気がなくても普通というか。
そんな風に感じているのだろうか。
「二人とも、怖くないの?」
「ん?普通。」
「暗いだけだし。小さい頃にはよく遊びに忍び込んでたし。」
「…。」
二人に恐怖なんてものはあるのだろうか?
二人とも、意外と大物だったりするのかもしれない。
「それじゃあ、あたしは先に言ってるわ。二人は後から追いついてきなよ。」
そういうなりアヤカは一人先に行ってしまう。
ゲタを履いているというのに軽やかに歩いて。
それでも私達が追いつけないように、早く歩く。
どう…したのだろう?
自分からユウタの手を離すなんて。
…私とユウタを二人っきりにさせて…。
二人っきり…?
ユウタと…二人?
その事実に気づいた私は自然顔が熱くなるのを感じた。
「あー、えっとさ。フィオナ。」
恥ずかしそうにユウタが言い、握った私の手からすり抜ける。
そして私の前に立った。
片手をユカタの袖に通して。
中で何かを探るように手を動かして。
そして、それを取り出した。
白い長方形の箱。
デザインはない。
ただ真っ白というだけの箱だ。
「これは…?」
「初めてのお祭りで、それも別世界のだろ?だったら少し思い出に残るようなもんがあってもいいかなぁ…なんて思ってさ。」
そう言って箱を開けた。
私に見えるように。
「これ、記念に。」
そこにあったのは銀色のペンダント。
細いチェーンに通された銀色のハートが三つ、月明かりで輝いている。
一見どこにでも売っていそうなアクセサリー。
だけどユウタが手に持ち、月明かりに輝くそれはそんなこと感じさせなかった。
シンプルで細かな装飾はない。
それでも輝くそれは特別に見える。
今まで手にしてきた宝石よりも、アクセサリーよりも。
ずっとずっと特別に。
「露店が出てたからさ、そこであやかと一緒に行ってきた。」
ということは、さきほど私がお師匠さんと話している最中に行ってきたのだろう。
あのわずかな時間でよく探せたと思う。
あれほどの屋台の中に露店があったとは気づかなかった。
「だから、プレゼント。安っぽいのは勘弁してくれよ。流石に高校生じゃこのぐらいが限度だからさ。」
そう言ってユウタは私に手渡した。
私はそれを両手で包むように受け取る。
大切なものだから。
ユウタがくれたものだから。
「あ、ありがとう…っ。」
「どういたしまして。」
初めて。
こんなの、初めてだ。
別に今までにも贈り物なんてされたことはある。
親から、友人から。
それから男の人から。
といっても男の人はただ私の魅了に惑わされていただけ。
どうにかして気を引きたいがために贈り物という形で私の意識を向けさせる。
そんなものはいらない。
勿論もらうわけもなくただ過ぎ去った。
でもこれは違う。
ユウタのは違う。
ユウタは私に惑わされたからじゃない。
私を一人の女性と思っての厚意だろう。
真っ直ぐに、私を見据えた末の行動だろう。
それが嬉しい。
ユウタがくれることが嬉しい。
胸の奥から温かな気持ちがこみ上げてくる。
溢れて泉のように湧き出してくる。
その中には当然魔物としての本能も混じって…。
私は思わず嬉しそうに笑っているユウタの手を取って身を寄せる。
「おっと?」
そんな声を出しながらもユウタは退かずに私の体を受け止めた。
ガラスの割れた窓から刺しこむ月明かりに照らされる私達。
伝わってくるのは温かな体温と、それから命の鼓動。
私のじゃなくて、ユウタのもの。
そのまま手を差し伸べたらユウタに触れられる。
そのまま腕をまわせばユウタを抱きしめられる。
そんな距離。
夕方、浴衣に着替えさせてもらったときにもこれくらい近くにいた。
それでもユウタはどうにかして逃げ出そうとしていたけど。
でも、今は。
私を受け止めている。
逃げずに、そのままでいる。
それが私に淡い期待を抱かせる。
「ユウタ…。」
「うん?」
顔を見れば黒い、吸い込まれそうになるほどに黒い瞳に私が映りこんでいる。
深い、闇のような色の瞳。
それを見つめて、そのままそっと首を伸ばす。
本当はアヤカとはとある約束したのに。
そのためにもこの先まで我慢しないといけないのに。
でも。
せめて。
唇、くらいなら…。
お礼という意味で…なら、いいよね?
嬉しいという感情と共にこみ上げた魔物としての本能が私をさらに突き動かした。
そっと、ゆっくりと。
気づかれないように。
私はユウタの唇に…自分の唇を…重ね…。
「っと、早くあやかに追いつこうか。」
そう言ってユウタは私の体から離れた。
静かに、掴んでいた腕からすり抜けるように。
また逃げられた。
あと一歩というところでユウタは逃げ出す。
昨日の町並みを見ていたときもそうだ。
ぎりぎりまで近づけるのに、あと一歩は絶対に届かせない。
それはある意味残酷だ。
淡い期待をことごとく消し去ってしまう。
ユウタが逃げるのは優しいからだというのは知っている。
自分のためじゃない、相手を尊重しているからというのは知っている。
アヤカに聞いたからわかってる。
でも、これじゃあ。
酷い優しさだ。
優しいを通りこして残酷だ。
…でも。
「ほら、行こうフィオナ。」
そう言って差し出されたユウタの手を私は握る。
今は、いい。
もうすぐだから。
もう少しだから。
―アヤカと共に考えた策があるのだから。
「どうにか間に合ったな。」
途中でアヤカに追いつき、私達は今この建物の屋上にいた。
外から見たときも思っていたがここは高い。
昨日の町を一望できたところよりもずっと高い。
「わぁ…!」
そして目に入る町並みは昨日とはまた違う。
建物に明かりがついて輝く町。
夕焼けに染まったものを見たときとはまた違うものを感じさせる。
「ほらゆうた、フィオナ。」
アヤカが指差したのはお祭りの屋台が立ち並ぶ通りとは逆の方向。
明かりのついていないくらい部分。
あれは…?
「始まるよ。」
アヤカがそういった次の瞬間。
それは始まった。
爆発音に似た何かが響いたと思えばそれが。
それが、弾けた。
「わぁ…!」
けたたましい音と共に弾けたのは様々な色をした火。
空に舞い散り、大輪の花を咲かす。
それは赤であり、緑であり、黄色であり。
暗い夜空に大きく光り輝いた。
「綺麗…っ!」
「だろ?ここはこの町で一番花火の見えるところなんだよ。」
「ハナビ?」
「そ。あれのこと。」
ユウタが指差すのは空に撃ちあがる様々な光の花。
次々と咲いては消え、そしてまた咲き誇る。
様々な色が数々弾ける。
月の明かりをものともせずに。
こんなの初めて見た。
ハナビ…というのだからあの光には火を使っているのだろう。
火炎魔法でもあんなに綺麗なものはできない。
昨日の夕焼けに映える町を見たときよりも、このお祭りの風景を見たときよりも。
ずっとすごい感動を覚える。
「祭りのもう一つのメイン。終わりの締めだな。」
「え…終わり?」
「そ。もう祭りも終わりだ。」
その言葉を聞いて一瞬感動が引いた。
終わり。
お祭りの終わり。
この楽しい一日もじき終わる。
そう感じたから。
「ねぇ、二人とも。」
そこでアヤカが口を開いた。
「少し座らない?」
「座らないって…いわれてもな。」
ユウタはアヤカの言葉に辺りを見回した。
建物の屋上。
それも既に人のいない。
そんな場所で座るところなんてものはない。
でも、今立っているこの場に座ってもせっかく着たユカタが汚れてしまう。
誰もいないのだからこの場も建物の中のように汚れているのは明白だ。
でも。
私に名案がある。
「浴衣が汚れるだろ?」
そう言ったユウタの手を私は引いた。
「うん?どうした?」
「私に任せて。」
これは、私の仕事。
ここからは、私達の時間。
だってさっきのアヤカの発言は―
―合図、だから。
ぱちんと指を鳴らして私はそれを転移魔法で召喚する。
それ。
ごとんと音を立てて屋上の床に現れた。
私の部屋にある一番大きなもの。
一人で使おうと全然余裕があり、二人使っても十分に広く、三人でもまだまだいけるそれ。
私の、ベッドだ。
「…。」
ユウタが固まった。
手を繋ぎ、その腕に抱きついているのだから良くわかる。
その反応の意味も、わかる。
…露骨すぎただろうか?
「…他にない?」
「三人で座れるソファとかは持ってないの。」
「いや、なら椅子は?」
「部屋には二つしかないから。」
「いや…別に二つでも良かったんじゃ…。」
「別にいいでしょうが、ゆうた。外見がどうでも座れるんだから。」
「あやかはいいだろ、同じ女の子だからさ。オレは男だぞ?女の子の寝てるところに腰掛けるのには抵抗感じるっていうんだよ。」
「あたしのにはよく腰掛けてるくせに?」
「あやかは別だ。」
流石のユウタも困り果てた顔をしている。
渋って、意地でも座らないつもりだろう。
優しく、自分を卑下して、遠慮深い。
ユウタらしい。
そう思ってしまった。
でも、それじゃあダメだ。
アヤカと手を組んで考えたことが、苦労して立てた考えが水の泡だ。
建物の屋上という絶好の場所。
ハナビを前にしている絶好のタイミング。
逃せるわけもない。
だからこそ。
無理やりになってしまうが私はユウタの腕を抱きしめたままベッドに座る。
そうなれば抱きついているのだからユウタの腕も当然引かれることになる。
そして私は魔物。
リリム。
人間と比べればいくらか力が強い。
ドラゴンを素手で相手したユウタに敵うかわからないけどそれでも座らせるくらいなら全然できる。
「おわっ!」
バランスを崩し、倒れこむユウタ。
それに追い討ちをかけるようにアヤカが手を引っ張った。
ぼすんと、音を立てて座る私達。
「…。」
「ね、こうしてハナビ見ましょ?」
「立ってるよりもずっと楽でしょうが。」
「…仕方ないな。」
あきらめたようにため息をつきながらユウタは体重をベッドに預けた。
そのまま私達は三人並んでベッドに座り、ハナビを見ていた。
相変わらず空に撃ちあがり、そして開く可憐な火の花。
私達はしゃべらない。
アヤカもユウタも、私も何も。
ただこうして並んでハナビを見ている。
それを目に焼き付けながらも私はそっと身をユウタに寄せた。
「…。」
ユウタは何も言わない。
だって隣のアヤカも同じようにしているから。
ユウタに体を預けて、抱きついているようにしているから。
言ったところでどうにもならないと諦めてるのかもしれない。
そんなユウタに私は話しかける。
「ねぇ、ユウタ…。」
「ん?」
「今日は…とても楽しかったわ。」
「それはよかった。」
「こんなに楽しかったの、初めて。」
「そっか。」
「こんなに嬉しいのも…初めて。」
「…そ、か。」
「ねぇ、ユウタ。」
私は咲き誇るハナビから目を逸らしてユウタを見た。
その視線に気づいたのかユウタも私を見る。
「うん?」
「次も…また、来ていいかしら?」
お願いするように、頼み込むように。
そっと呟くように。
ユウタにそれを言った。
次のお祭りもまた、ユウタと共に回りたい。
そう思えたから。
いや、そうじゃない。
心の底からそうしたいと思ったから。
「ああ、いいぞ。」
でも、祭りは来年だけどな。
残念そうにそう付け加える。
それを聞いて私はどこかしょんぼりしていた。
お祭りを共にまわるのに一年も空いてしまうのに残念がっている。
一年.
それはあまりにも長い。
そう思ってるとさらにユウタは続けた。
「まぁ、別に祭りのときまで待たなくてもいいんだけどさ。」
「…え?」
それは…どういうこと?
祭りまで…待たなくていい?
「夏が終わっても秋には体育祭、ハロウィン。冬になればクリスマスとかいろいろあるんだ。」
―だから。
「―来たいときに来ればいいさ。その時はまた、案内するから。」
そう言ってユウタは恥ずかしそうに、照れくさそうに微笑んだ。
ああ。
やっぱりそうなんだ。
ユウタは優しい。
だからこそ、私は彼を好きになった。
それはおそらくアヤカも同じ。
そして、ユウタのお師匠さんもまた、そうなのだろう。
ユウタが、好き。
「…でも。」
私は続ける。
そっと、ユウタの耳に届くように。
そして、隣のアヤカにかろうじて聞こえるように。
「もっと、ユウタといたい…♪」
一瞬、ユウタの体が反応した。
びくりと、小さく震えた。
手を触れてないとわからない、傍から見たら絶対にわからないぐらいに。
その反応がなんだか、わかる。
アヤカに聞いているからわかる。
それは、動揺。
焦って、惑ってる証。
誘惑に強い、魅了の効かないユウタにとっての弱点。
それは好意。
好きだという気持ち。
誘惑するんじゃなくて。
魅了するのではなくて。
ただ真っ直ぐに好きだということ。
「…そっか。」
そう言ったユウタは視線をハナビに戻していた。
平然としているように見えるけど、焦っているようだ。
視線の先をアヤカに変える。
見れば彼女は笑みを浮かべている。
私を見て、小悪魔のように意地の悪い。
それは合図。
私も笑みで返すとアヤカの手がユウタの浴衣を掴んだ。
私はユウタの体に擦り寄り、腕をさらに強く抱きしめる。
そして。
「…ほら、花火が終わるぞ?」
ユウタの言葉の後ですぐに大輪の火の花が咲いた。
それを見て私とアヤカは。
それを合図に見立てて二人で共に。
―ユウタをベッドに引き倒した。
―ルートチェンジ―
→クロクロルート
吐き出そうとした息を思わず呑み込み、見入ってしまった。
美しい。
それはあまりにも美しい。
一つにまとめた灰色の長髪は周りの明かりで輝いている。
笑みを浮かべたその顔はあまりにも整いすぎている。
綺麗。
あまりにも、綺麗。
アヤカとはまた違った美しさ。
アヤカのを女の子らしい可愛らしさというのならば。
この女性は大人の女性としての美しさ。
大人として、女性としての魅力を惜しげもなく晒してる。
美人。
完璧。
そんな言葉じゃ物足りない。
そう思えるほどの女性だった。
次に感じたのは違和感だった。
それほどの美貌を兼ね備えておきながら。
それほどの美しさを持っていながら。
誰も彼女に目をくれない。
私の隣で歩く彼女は誰の視線も受けていない。
まるで風景の一端を見るかのように皆一目見ては興味ないというように視線を外す。
いや、それだけじゃない。
ユウタとアヤカと別れてから。
彼女の隣を歩き出してから。
―私は誰からも見られていない。
彼女と同じように、風景の一端に化してしまったかのように。
誰もが私に見惚れない。
私の魅了が消えたかのように回りは普通に歩いている。
一度見ても興味がないように視線を他へと移していく。
何で…?
不思議で、不可解な現象。
リリムとして生まれてきてこんなこと今まで経験したことはなかった。
何が…起きてるの?
そう考えたとき。
急に彼女は立ち止まった。
自然、私も止まらざるおえなくなる。
彼女は―ユウタのお師匠さんはこちらを向かない。
…どうしたのだろう?
「えっと…ユウタの、お師匠さん…?」
「ここら辺までくればいいかな?」
「え?何が…なのかしら?」
「いや、ここまでくればユウタにも聞かれないからさ。それじゃあお話しようか―
―リリムのお嬢さん。」
ユウタのお師匠さんは、そういった。
振り返って、私を見て。
ユウタに向けていたときの表情とはまったく違う笑みで。
確かにそういった。
幻影を纏っている私を。
どう見ても普通の人間にしか見えない私を。
―リリムと呼んだ。
「へぇ〜、ユウタとは昨日に会ったんだ。」
「え、ええ。」
あの後私はお師匠さんと共に歩いていた。
ただすることもなく。
話しているだけだ。
人ごみの中の隙間を縫うように移動して。
「…あの。」
「うん?何?」
そう言って首をかしげる仕草は大人の雰囲気を纏った彼女には似合わないだろう。
だけど、それでも異様なくらいに綺麗に映る。
誰もが見惚れてもいいくらいに。
それでも、誰も彼女に見惚れない。
せいぜい私だけだ。
「あの、どうして…。」
「どうして、わかったのか…でしょ?」
「…。」
幻影を纏った私をどうしてリリムとわかったのだろうか。
いや、それ以上にだ。
―私をリリムとわかったのはどうしてなのだろう。
この世界に私のお母様はいない。
そして魔物もまたいない…はず。
アヤカが言っていたユウタに引き寄せられてきた彼女達を除いたとしてもあまりにも少なすぎる数だ。
今こうやって歩いているだけでも周りには人間しかいない。
そんな世界で。
こんな人間しかいないところで。
どうしてリリムと見抜けたのだろう?
「女が女を騙せると思った?」
「…。」
「なんちゃって、ね。」
彼女は足を止めない。
そのまま私に話しかける。
「そうだね。それじゃあ―
―君と同じようなものだから…って言えなわかる?」
「っ!」
同じような…?
それってつまり。
「貴方も…魔物?」
「そうだよ。人間じゃない、ね。」
彼女もまた魔物。
しかしそうは思えない。
彼女から何も感じない。
魔物らしい魔力も。
人間ではないという雰囲気も。
何も、感じ取れない。
彼女は…いったい…?
「残念だけど自分が何かまでは教えられないよ。まだユウタにも言ってないからね。」
彼女はそう言ってふふっと小さく笑った。
ユウタ。
不思議とその名を呼んだときだけ彼女の顔が綻ぶ。
さっきと同じように。
ユウタに抱きついていたときと同じように、嬉しそうに。
まるで、ユウタといるのが嬉しいと言わんばかりに。
「言えることといえば自分はユウタの師匠。ただそれだけだよ。」
「ただ…それだけ?」
「そう。師弟関係ってところ。残念ながらそれ以上の関係にはなれてないんだよね。」
お師匠さんはそう言ってため息をついた。
残念そうに。
心底、疲れたように。
…本当に何なのだろう、この女性は。
こんな女性が…魔物。
いったい…何の?
「もうね〜、硬いんだよ、ユウタったら。自分がさ、あんな抱きついてまで誘惑してるって言うのにさ。」
「…。」
えっと…お師匠さん?
急に…愚痴り始めたんだけど?
「お風呂で背中を流しっことかしたのにさ。何であと一歩踏み出してくれないのかな?」
…え?
お風呂で…背中を流しっこって…その、二人で?
二人で…お風呂に入ったってこと…よね?
ユウタと…二人で?
「ユウタと一緒に寝たこともあったのにさ、ユウタったら何もしてくれないんだもん…。」
大人な外見とは似合わない子供のような口調。
私よりも長身完璧という言葉でも足りないくらいのプロポーションをしているのに、まるでいじけた子供みたい。
…でも、今なんていったのかしら?
ユウタと…一緒に寝たと…言ったの?
「他にもナース服で入院したユウタに看護しにいったこともあったっけ。」
「…。」
「あのときのユウタは可愛かったなぁ♪顔真っ赤にしてさ、体を拭こうとしても逃げようとするんだもん♪」
「…。」
「それにね、ユウタの来た服とか、抱きしめたときに香る匂いとかってなんだか嗅ぐとこう…体が熱くならない?」
「…えっと。」
それは…ある、かも。
「空手着から肌をちらちら見せてくるしさ、何かなあれは。もう誘ってるとしか見えないよ♪」
「…。」
「あれだね、ユウタはきっと誘ってるんだ♪何だかんだ言ったところで求めちゃってるんだよ♪んもう、ユウタったら〜♪」
「ええと…お師匠さん?」
「うん?」
「どうしてそんな話を?」
そう聞くと彼女は変わらぬ笑みを向けて答える。
子供っぽく、純粋な笑みで。
「君ならこの気持ち、わかってくれると思ってさ。だって君―
―ユウタが好きなんでしょ?」
「っ!!」
言われた。
アヤカに言われたことと同じものを。
さらにハッキリとした形で。
好きかどうかを、聞かれた。
「君も、ユウタが好きなんでしょ?」
確認のためか、私に聞こえてないと思ったのか彼女はもう一度繰繰り返す。
笑みも変わらず、先ほどと同じ口調で。
ただそれでも言葉は私の胸にさらに響く。
好き?
ユウタのことが?
そんなの……。
…もう、決まってる。
「ええ、私はユウタが好きよ。」
迷わない。
惑わない。
自分の気持ちは既にわかってる。
胸の奥に抱いたこの感情は既に理解している。
もう、気づいてる。
―私はユウタに恋してる。
「そっか。」
そう言ったお師匠さんは笑みを浮かべた。
子供っぽい笑みじゃない、凛とした笑みでもない。
慈悲深い笑み。
まるで愛する我が子の成長を見守るような、そんな笑み。
その笑みに一瞬戸惑いながらも私も彼女に聞いてみる。
「貴方も、なんでしょ?」
それは誰から見ても明らかなもの。
あまりにもユウタと触れ合いたいと行動するその姿は誰が見ても好意によるもの。
ユウタを好きだから。
ユウタが大切だから。
もっと触れたいと、もっと近くにいたいと思う。
それこそ私や、アヤカと同じように。
「ふふ、勿論だよ。自分もユウタは好き。」
やはりとは思わない。
それを聞いて納得するくらいだ。
だけど…ひとつ気になることがある。
彼女とユウタは師弟関係にしては明らかに度を越すようなものだったけど…。
それ以上に気になるのは…アヤカ。
アヤカはこの女性を…嫌っていた。
それこそ私を初めて目の前にしたときのように。
それは…何で?
ユウタを傷つけるといっていたけど…どうやって?
今の彼女からはそんなものを感じられないのに。
「ユウタは優しいからね。ユウタ自身が傷つくことになるのに…自分に接してくれてさ。」
「…。」
「孤独だった自分を、皆離れて行った自分を…助けてくれたからさ。」
「…。」
「ユウタだけなんだ。自分を救ってくれたのは。だから自分は…好きだよ。ユウタが。」
その言葉から。
その話から。
ユウタとこのお師匠さんの関係がただならないということがよくわかる。
他人じゃない、ただの師弟関係でもない。
もっと上、もっと重要な、大切な関係。
「だから、今日だけだよ。」
彼女は続けた。
「今日だけ、君に譲ってあげる。」
「え…?」
「今日は、ユウタに手を出さないであげる。」
その言葉がどういう意味か、わかる。
同じ男の人を好きになったもの同士だから、通じる。
だけどわからない。
一つ、わからない。
彼女が私にそういってくれた意味が。
ここで、お祭りという大切なイベントで、ユカタを着てまでユウタに迫った彼女が手をださないというそのわけ。
何で、なのだろう?
「今日逃したら、自分はユウタといちゃラブしちゃうからね♪自分もそんなに我慢はできそうにないんだから。もうユウタもいい歳だし…もうそろそろ本格的に襲っちゃおうか迷ってたところだからね。」
「そう、なの…。」
「うん。だから今日だけ譲ってあげる。若い娘は、もっと頑張らないとね♪」
若い娘…。
そう言った彼女は私よりも年上で大人の女性の魅力を存分に感じさせるのだが、言うほど彼女も歳を取ってないと思うのに…。
それに彼女も人ではない魔物。
それなら歳なんて取らないのではないのだろうか?
「えっと…ありがとう。」
私自身何に対してかよくわからない。
ユウタを襲わないといったことに対してか。
私に今日の舞台を譲るといってくれたことか。
よくわからないけど、とりあえず私はお師匠さんに感謝の言葉を述べた。
その言葉を聞いて彼女は嬉しそうな笑みで答える。
「どうしたしまして、かな?ふふ、それじゃあ自分はそろそろお暇させていただくよ。ちょうどユウタも来たみたいだし。」
「え?」
お師匠さんの指差すほうを見ると…いた。
黒いユカタで黒い髪の毛をした男の人が手を振っている。
隣にぴったりとくっついている女性は同じ色の髪の毛、ユカタを纏っている。
ユウタとアヤカだ。
二人とも今まで何をしていたのだろうか?
「それじゃあ、またね。リリムのお嬢さん。」
そう言ったお師匠さんは私の傍から離れてユウタのほうへと歩いていく。
途端に、私に集中する熱い視線。
男女問わずいつものように絡みついてくる。
それこそいつものように。
お師匠さんはユウタ前まで行くと遠慮せずに、当然というように自然な流れで抱きついた。
「えへへ〜ありがとう、ユウタ♪おかげで楽しいお話できたよ♪」
「そうですか…それより師匠、公の場で抱きつくのはやめてください。」
「これはお礼が必要かな♪」
「師匠?聞いてます?」
「それじゃあ次の稽古のときはエッチな下着を着てしてあげるよ♪場所は自分の部屋のベッドの上だからね♪」
「いや師匠、ですから…。」
「それともまたナース服がいいかな?あ、でも前の猫耳のときはユウタ…抱きしめてくれたからあれがいいかな♪」
「っ!師匠!その話はやめてください!!」
「お家の人にはちゃんと合宿だって誤魔化して来るんだよ?あ、でもユウタがそういうことをわかってるのなら…ちゃんと言ってくるのも…ありかな♪」
「師匠、お家の人が隣にいるんですけど?」
「ああ、お姉さん…いたんだ。」
「最初っからいたけど?」
「それじゃあ、ユウタは自分の家に泊まってくるから、よろしくね?」
「よろしくじゃないでしょうが。」
「っていうか師匠、マジで抱きつくのはやめてくださいって。」
「んふふ♪照れなくてもいいんだよ、ユウタ♪」
「嫌がってんだよ、馬鹿。」
「だからそういうこと言うなよあやか。」
そのまま二、三言葉を交わしてお師匠さんはユウタから名残惜しそうに離れた。
離れて、一度私を見る。
ユウタとアヤカに見えないようにこちらを向いて。
そしてあの慈愛に満ち溢れた笑みを向けて歩いていった。
ユウタとアヤカと離れて、人ごみに消えていった。
…不思議な女性ね。
人間ではない魔物。
あれで、魔物。
私達と同じ存在…。
「フィオナ。」
「っ!」
名前を呼ばれてそちらを見た。
そこにいるのはユウタ。
人ごみを掻き分けて、私の目の前にいた。
「ほら、行こうぜ。」
そう言って手を差し伸べる。
先ほどと同じように私に向かって。
促すように手を揺らす。
それを見て私は。
「うんっ!」
その手を握って、指を絡めて。
再び繋いだ。
しっかり握っているとわかっていても。
離れないように。
離さないように。
ユウタの腕に抱きついた。
「まったく。」
そういいながら苦笑し、それでもユウタは私を受け入れてくれる。
困ったような顔をしても、優しく受け止めてくれる。
お師匠さんの言っていたことがよくわかるぐらいに。
ユウタは、優しい。
思わずその優しさに甘えてしまうくらいに。
だから、私はユウタが…。
「フィオナ?」
「うん?何?」
「ちょっと移動するぞ?」
「え?」
ユウタは私を引いて歩き出す。
隣のアヤカも同じ速度で。
お祭りの屋台を回っていたときよりも早足で。
「どこへ行くの?」
「そりゃ、まぁ…。」
お楽しみ。
そういうユウタの顔はどこか嬉しそうで、楽しそうな表情を浮かべていた。
歩いて数分も掛からないところ。
それでもお祭りの会場からは随分と遠く離れてしまった。
人気のない、提灯の明かりもないくらいところで私達はいた。
ある建物を目の前にして。
「ここは?」
見れば廃れてしまっているのがよくわかるところ。
壁はヒビが入り、所々蔦が張り付いていて長い間誰にも使われていないということがよくわかる。
それでもこの建物、相当な大きさだ。
周りの建物と比べると飛びぬけて空に突き立っている。
何の建物だったのかしら?
「ここは元デパートだよ。」
「デパート?」
「そ、様々なものが売ってる大型の雑貨店とでもいうところ。」
「へぇ…。」
本当にこの世界にはいろいろあるのね。
いろいろあって不思議。
私の知らないものばかりがあるんだもの。
そう考えてるとアヤカの声が掛かる。
「それじゃ早いとこ行こ?始まっちゃうよ?」
「おっとそうだったな。それじゃあ行こうか。」
「え?」
行くって…この建物の中に?
いくらなんでも…危ないんじゃないのかしら…?
だって…暗いし、不気味だし…。
「平気。中は月明かりで意外と明るいんだからさ。」
「そう。それに早くしないと時間過ぎるって。」
「え?時間って…何の?」
「そりゃ…なぁ。」
「まぁ…ねぇ。」
ユウタとアヤカは顔を見合わせた。
互いが浮かべる表情は何か隠し事をしてる顔。
それも、笑いながら。
何かを企んでいる、それが嫌でもわかる笑みを浮かべながら。
「秘密。」
「もう少しだから待ってくれよ。」
楽しそうな笑みを浮かべてそう言った。
中に入ってみると確かに明るい。
割れた窓から月明かりが差し込んで照らしているようだ。
それでも、不気味。
誰の気配もしない廃れた場所。
埃は積もり、床はひび割れ長年誰も入った様子がないことを感じさせられる。
普通の人なら入るのもためらうだろう。
私自身一人だったら絶対に入らなかった。
だけど。
「ここはやっぱ変わんないな。」
「そりゃね。誰も来ないでしょ、こんなところ。」
この二人は違った。
怖がっていない。
というか平然としてる。
暗闇に恐怖しないというか、人気がなくても普通というか。
そんな風に感じているのだろうか。
「二人とも、怖くないの?」
「ん?普通。」
「暗いだけだし。小さい頃にはよく遊びに忍び込んでたし。」
「…。」
二人に恐怖なんてものはあるのだろうか?
二人とも、意外と大物だったりするのかもしれない。
「それじゃあ、あたしは先に言ってるわ。二人は後から追いついてきなよ。」
そういうなりアヤカは一人先に行ってしまう。
ゲタを履いているというのに軽やかに歩いて。
それでも私達が追いつけないように、早く歩く。
どう…したのだろう?
自分からユウタの手を離すなんて。
…私とユウタを二人っきりにさせて…。
二人っきり…?
ユウタと…二人?
その事実に気づいた私は自然顔が熱くなるのを感じた。
「あー、えっとさ。フィオナ。」
恥ずかしそうにユウタが言い、握った私の手からすり抜ける。
そして私の前に立った。
片手をユカタの袖に通して。
中で何かを探るように手を動かして。
そして、それを取り出した。
白い長方形の箱。
デザインはない。
ただ真っ白というだけの箱だ。
「これは…?」
「初めてのお祭りで、それも別世界のだろ?だったら少し思い出に残るようなもんがあってもいいかなぁ…なんて思ってさ。」
そう言って箱を開けた。
私に見えるように。
「これ、記念に。」
そこにあったのは銀色のペンダント。
細いチェーンに通された銀色のハートが三つ、月明かりで輝いている。
一見どこにでも売っていそうなアクセサリー。
だけどユウタが手に持ち、月明かりに輝くそれはそんなこと感じさせなかった。
シンプルで細かな装飾はない。
それでも輝くそれは特別に見える。
今まで手にしてきた宝石よりも、アクセサリーよりも。
ずっとずっと特別に。
「露店が出てたからさ、そこであやかと一緒に行ってきた。」
ということは、さきほど私がお師匠さんと話している最中に行ってきたのだろう。
あのわずかな時間でよく探せたと思う。
あれほどの屋台の中に露店があったとは気づかなかった。
「だから、プレゼント。安っぽいのは勘弁してくれよ。流石に高校生じゃこのぐらいが限度だからさ。」
そう言ってユウタは私に手渡した。
私はそれを両手で包むように受け取る。
大切なものだから。
ユウタがくれたものだから。
「あ、ありがとう…っ。」
「どういたしまして。」
初めて。
こんなの、初めてだ。
別に今までにも贈り物なんてされたことはある。
親から、友人から。
それから男の人から。
といっても男の人はただ私の魅了に惑わされていただけ。
どうにかして気を引きたいがために贈り物という形で私の意識を向けさせる。
そんなものはいらない。
勿論もらうわけもなくただ過ぎ去った。
でもこれは違う。
ユウタのは違う。
ユウタは私に惑わされたからじゃない。
私を一人の女性と思っての厚意だろう。
真っ直ぐに、私を見据えた末の行動だろう。
それが嬉しい。
ユウタがくれることが嬉しい。
胸の奥から温かな気持ちがこみ上げてくる。
溢れて泉のように湧き出してくる。
その中には当然魔物としての本能も混じって…。
私は思わず嬉しそうに笑っているユウタの手を取って身を寄せる。
「おっと?」
そんな声を出しながらもユウタは退かずに私の体を受け止めた。
ガラスの割れた窓から刺しこむ月明かりに照らされる私達。
伝わってくるのは温かな体温と、それから命の鼓動。
私のじゃなくて、ユウタのもの。
そのまま手を差し伸べたらユウタに触れられる。
そのまま腕をまわせばユウタを抱きしめられる。
そんな距離。
夕方、浴衣に着替えさせてもらったときにもこれくらい近くにいた。
それでもユウタはどうにかして逃げ出そうとしていたけど。
でも、今は。
私を受け止めている。
逃げずに、そのままでいる。
それが私に淡い期待を抱かせる。
「ユウタ…。」
「うん?」
顔を見れば黒い、吸い込まれそうになるほどに黒い瞳に私が映りこんでいる。
深い、闇のような色の瞳。
それを見つめて、そのままそっと首を伸ばす。
本当はアヤカとはとある約束したのに。
そのためにもこの先まで我慢しないといけないのに。
でも。
せめて。
唇、くらいなら…。
お礼という意味で…なら、いいよね?
嬉しいという感情と共にこみ上げた魔物としての本能が私をさらに突き動かした。
そっと、ゆっくりと。
気づかれないように。
私はユウタの唇に…自分の唇を…重ね…。
「っと、早くあやかに追いつこうか。」
そう言ってユウタは私の体から離れた。
静かに、掴んでいた腕からすり抜けるように。
また逃げられた。
あと一歩というところでユウタは逃げ出す。
昨日の町並みを見ていたときもそうだ。
ぎりぎりまで近づけるのに、あと一歩は絶対に届かせない。
それはある意味残酷だ。
淡い期待をことごとく消し去ってしまう。
ユウタが逃げるのは優しいからだというのは知っている。
自分のためじゃない、相手を尊重しているからというのは知っている。
アヤカに聞いたからわかってる。
でも、これじゃあ。
酷い優しさだ。
優しいを通りこして残酷だ。
…でも。
「ほら、行こうフィオナ。」
そう言って差し出されたユウタの手を私は握る。
今は、いい。
もうすぐだから。
もう少しだから。
―アヤカと共に考えた策があるのだから。
「どうにか間に合ったな。」
途中でアヤカに追いつき、私達は今この建物の屋上にいた。
外から見たときも思っていたがここは高い。
昨日の町を一望できたところよりもずっと高い。
「わぁ…!」
そして目に入る町並みは昨日とはまた違う。
建物に明かりがついて輝く町。
夕焼けに染まったものを見たときとはまた違うものを感じさせる。
「ほらゆうた、フィオナ。」
アヤカが指差したのはお祭りの屋台が立ち並ぶ通りとは逆の方向。
明かりのついていないくらい部分。
あれは…?
「始まるよ。」
アヤカがそういった次の瞬間。
それは始まった。
爆発音に似た何かが響いたと思えばそれが。
それが、弾けた。
「わぁ…!」
けたたましい音と共に弾けたのは様々な色をした火。
空に舞い散り、大輪の花を咲かす。
それは赤であり、緑であり、黄色であり。
暗い夜空に大きく光り輝いた。
「綺麗…っ!」
「だろ?ここはこの町で一番花火の見えるところなんだよ。」
「ハナビ?」
「そ。あれのこと。」
ユウタが指差すのは空に撃ちあがる様々な光の花。
次々と咲いては消え、そしてまた咲き誇る。
様々な色が数々弾ける。
月の明かりをものともせずに。
こんなの初めて見た。
ハナビ…というのだからあの光には火を使っているのだろう。
火炎魔法でもあんなに綺麗なものはできない。
昨日の夕焼けに映える町を見たときよりも、このお祭りの風景を見たときよりも。
ずっとすごい感動を覚える。
「祭りのもう一つのメイン。終わりの締めだな。」
「え…終わり?」
「そ。もう祭りも終わりだ。」
その言葉を聞いて一瞬感動が引いた。
終わり。
お祭りの終わり。
この楽しい一日もじき終わる。
そう感じたから。
「ねぇ、二人とも。」
そこでアヤカが口を開いた。
「少し座らない?」
「座らないって…いわれてもな。」
ユウタはアヤカの言葉に辺りを見回した。
建物の屋上。
それも既に人のいない。
そんな場所で座るところなんてものはない。
でも、今立っているこの場に座ってもせっかく着たユカタが汚れてしまう。
誰もいないのだからこの場も建物の中のように汚れているのは明白だ。
でも。
私に名案がある。
「浴衣が汚れるだろ?」
そう言ったユウタの手を私は引いた。
「うん?どうした?」
「私に任せて。」
これは、私の仕事。
ここからは、私達の時間。
だってさっきのアヤカの発言は―
―合図、だから。
ぱちんと指を鳴らして私はそれを転移魔法で召喚する。
それ。
ごとんと音を立てて屋上の床に現れた。
私の部屋にある一番大きなもの。
一人で使おうと全然余裕があり、二人使っても十分に広く、三人でもまだまだいけるそれ。
私の、ベッドだ。
「…。」
ユウタが固まった。
手を繋ぎ、その腕に抱きついているのだから良くわかる。
その反応の意味も、わかる。
…露骨すぎただろうか?
「…他にない?」
「三人で座れるソファとかは持ってないの。」
「いや、なら椅子は?」
「部屋には二つしかないから。」
「いや…別に二つでも良かったんじゃ…。」
「別にいいでしょうが、ゆうた。外見がどうでも座れるんだから。」
「あやかはいいだろ、同じ女の子だからさ。オレは男だぞ?女の子の寝てるところに腰掛けるのには抵抗感じるっていうんだよ。」
「あたしのにはよく腰掛けてるくせに?」
「あやかは別だ。」
流石のユウタも困り果てた顔をしている。
渋って、意地でも座らないつもりだろう。
優しく、自分を卑下して、遠慮深い。
ユウタらしい。
そう思ってしまった。
でも、それじゃあダメだ。
アヤカと手を組んで考えたことが、苦労して立てた考えが水の泡だ。
建物の屋上という絶好の場所。
ハナビを前にしている絶好のタイミング。
逃せるわけもない。
だからこそ。
無理やりになってしまうが私はユウタの腕を抱きしめたままベッドに座る。
そうなれば抱きついているのだからユウタの腕も当然引かれることになる。
そして私は魔物。
リリム。
人間と比べればいくらか力が強い。
ドラゴンを素手で相手したユウタに敵うかわからないけどそれでも座らせるくらいなら全然できる。
「おわっ!」
バランスを崩し、倒れこむユウタ。
それに追い討ちをかけるようにアヤカが手を引っ張った。
ぼすんと、音を立てて座る私達。
「…。」
「ね、こうしてハナビ見ましょ?」
「立ってるよりもずっと楽でしょうが。」
「…仕方ないな。」
あきらめたようにため息をつきながらユウタは体重をベッドに預けた。
そのまま私達は三人並んでベッドに座り、ハナビを見ていた。
相変わらず空に撃ちあがり、そして開く可憐な火の花。
私達はしゃべらない。
アヤカもユウタも、私も何も。
ただこうして並んでハナビを見ている。
それを目に焼き付けながらも私はそっと身をユウタに寄せた。
「…。」
ユウタは何も言わない。
だって隣のアヤカも同じようにしているから。
ユウタに体を預けて、抱きついているようにしているから。
言ったところでどうにもならないと諦めてるのかもしれない。
そんなユウタに私は話しかける。
「ねぇ、ユウタ…。」
「ん?」
「今日は…とても楽しかったわ。」
「それはよかった。」
「こんなに楽しかったの、初めて。」
「そっか。」
「こんなに嬉しいのも…初めて。」
「…そ、か。」
「ねぇ、ユウタ。」
私は咲き誇るハナビから目を逸らしてユウタを見た。
その視線に気づいたのかユウタも私を見る。
「うん?」
「次も…また、来ていいかしら?」
お願いするように、頼み込むように。
そっと呟くように。
ユウタにそれを言った。
次のお祭りもまた、ユウタと共に回りたい。
そう思えたから。
いや、そうじゃない。
心の底からそうしたいと思ったから。
「ああ、いいぞ。」
でも、祭りは来年だけどな。
残念そうにそう付け加える。
それを聞いて私はどこかしょんぼりしていた。
お祭りを共にまわるのに一年も空いてしまうのに残念がっている。
一年.
それはあまりにも長い。
そう思ってるとさらにユウタは続けた。
「まぁ、別に祭りのときまで待たなくてもいいんだけどさ。」
「…え?」
それは…どういうこと?
祭りまで…待たなくていい?
「夏が終わっても秋には体育祭、ハロウィン。冬になればクリスマスとかいろいろあるんだ。」
―だから。
「―来たいときに来ればいいさ。その時はまた、案内するから。」
そう言ってユウタは恥ずかしそうに、照れくさそうに微笑んだ。
ああ。
やっぱりそうなんだ。
ユウタは優しい。
だからこそ、私は彼を好きになった。
それはおそらくアヤカも同じ。
そして、ユウタのお師匠さんもまた、そうなのだろう。
ユウタが、好き。
「…でも。」
私は続ける。
そっと、ユウタの耳に届くように。
そして、隣のアヤカにかろうじて聞こえるように。
「もっと、ユウタといたい…♪」
一瞬、ユウタの体が反応した。
びくりと、小さく震えた。
手を触れてないとわからない、傍から見たら絶対にわからないぐらいに。
その反応がなんだか、わかる。
アヤカに聞いているからわかる。
それは、動揺。
焦って、惑ってる証。
誘惑に強い、魅了の効かないユウタにとっての弱点。
それは好意。
好きだという気持ち。
誘惑するんじゃなくて。
魅了するのではなくて。
ただ真っ直ぐに好きだということ。
「…そっか。」
そう言ったユウタは視線をハナビに戻していた。
平然としているように見えるけど、焦っているようだ。
視線の先をアヤカに変える。
見れば彼女は笑みを浮かべている。
私を見て、小悪魔のように意地の悪い。
それは合図。
私も笑みで返すとアヤカの手がユウタの浴衣を掴んだ。
私はユウタの体に擦り寄り、腕をさらに強く抱きしめる。
そして。
「…ほら、花火が終わるぞ?」
ユウタの言葉の後ですぐに大輪の火の花が咲いた。
それを見て私とアヤカは。
それを合図に見立てて二人で共に。
―ユウタをベッドに引き倒した。
―ルートチェンジ―
→クロクロルート
11/09/10 20:53更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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