私と貴方と不思議な出会い
別世界へと来ることは簡単なことだ。
瞼を閉じてただ適当に魔法を発動するだけ。
どんなところかは特定しないように。
あやふやな想像だけに頼って。
そうすることで私の知らない世界へと扉が開く。
帰るときはさらに簡単。
ただ思い浮かべればいいだけだから。
この世界を。
私が生まれ育ったここを。
といっても私のように魔力がある魔物じゃないと別世界へと飛ぶことは難しい。
できそうなものとしては…エキドナやバフォメット、あとはヴァンパイアなど魔物の中でも高位の存在だろう。
無論リリムも高位の存在なので別世界へと飛ぶ魔法を使うことはたやすい。
だから私は思い立ったらすぐに魔法を使って別の世界へととんだ。
目的はただ一つ。
理想の男性を見つけること。
私の思い描く旦那様を見つけること。
変装として魔法で幻影を纏い、どう見ても普通の人間に見えるようにした私はその地に足を下ろした。
私の知らない世界に。
未知なる土地に。
見たことのない道に。
足の裏から伝わる感触は土のそれとは違い、硬い石畳のように思える。
それでも石畳のような継ぎ目は見えない。
見たことのない家々。
何でできているのかわからない。
灰色の家、白い家、時折見えるカラフルな家。
二階建てのものがあれば細いけど三階建てのものもある。
見たことのない風景。
道の端に立つ等間隔で並んだ柱のようなものからは黒いロープのようなものが伝わっている。
上を見るとまるで網のように思え、飛ぶのにとても不憫な場所だと思った。
まるで捕らわれの身のように感じられた。
さらに少しばかり暑さを感じる…といっても夕日が見えるのでもう夕方なのだろう。
こちらにもちゃんとした太陽があるようだ。
それにしても、やはり暑いし日差しが思っている以上に強い。
夕方だというのに。
今の季節は夏なのだろうか。
そして、先ほどから私を見つめる複数の熱い視線。
私を取り巻くさまざまな人。
そのほとんどは男性。
中には女性のものもある。
皆が皆黒髪で黒目。
見たことのない変わった服を着ているがその姿を見て頭に浮かんだことはひとつ。
ここはジパングという国に近いらしい。
私はジパングというところに一度だけ行ったことがある。
皆黒髪黒目で賑やかで楽しい人たちだった。
そこでも私は夫となる存在を探していたのだが…それはここにいるのと変わらない。
皆口々に「綺麗だ」とか「美しい」だとかありきたりな言葉を発する。
荒い息をして、顔を赤くして。
視線を私から外すことなく、私以外を見ようとせずに。
これはいつもどおりだ。
いつもと同じ、変わらない状況。
どうやったって変えられないもの。
いくら幻影を纏おうと、いくら姿を変えようと。
どんな服を着て身を隠そうとしても意味がない
それは私がリリムという存在だから。
魔王の娘でサキュバスの最高位の者だから。
時には視線で心を射止め。
時には声で理性を貫き。
時には触れるだけで意識を染め上げる。
そうしたくなくても、だ。
せっかく世界を超えてまでやってきたというのに…収穫はなしなのかしら。
これじゃあ来た意味ないじゃないの。
そう思いながらも足を進めて少しこの世界を巡ろうかとしたそのときだった。
「うっわ…何あれ…痛々しいー。」
「馬鹿、そういうこと言うんじゃねえよ。」
「…?」
周りの感嘆するような声とは違うものが聞こえた。
周りの熱の篭った視線とは違うものを感じた。
なんと言うか…普通な声を。
どういえばいいのか…淡白な視線を。
そこに自分の興味がないものがあるかのような口調と風景の一端にしか思えないというかのような眼差しを。
私の感じたことのないもの。
声はまだ聞こえる。
「髪の毛白で頭に角、背中に翼でお尻に尻尾生やしてるんだよ?それに服なんてほら、痴女じゃん。」
「この暑さに頭やられてそういう人だって出て来るんだよ、指差すな。」
「…。」
なんだか…とても失礼なことを言われているように聞こえる。
だけど、そこじゃない。
気にすべきところはそこじゃない。
一人は高く、女性の声だろう。
一人は低く、男性の声だと思う。
その二人の声色は変わらず平坦なもの。
内容からして私のことをみているに違いない。
黒髪黒目が沢山いる中で髪の毛が白いという言葉が当てはまるのは私しかいないから。
いや、そこじゃない。
白い髪に…頭に角?
それに…翼や尻尾と言っていた?
それは…おかしい。
あまりにもおかしい。
私は今確かにその姿をしている。
肌の露出の多い、リリムとしての姿を惜しげもなく晒している。
だけど私は今魔法を使っている。
他からはこれといった普通の人にしか見えないように幻影を纏っている。
翼なんてあるわけなく。
尻尾なんて見えるわけなく。
角だって生えていないように見せているのに。
誰がどう見たところで私の姿はそこらの人となんら変わりない姿のはずだ。
それなのに。
なんと言っていた?
どう言っていた?
二人の声は私の何を言っていた?
私の姿を言っていなかった?
私のありのままの姿を見てなかった?
幻影を纏っているはずの私の姿を…見ていなかった?
私は声のするほうを見た。
見て、すぐに気づいた。
それはあまりにも異質な存在だったから。
周りに比べ何かが違う存在だったから。
私を取り巻く人たちのずっと後ろ。
そこで並んで二人はいた。
一人は女の子。
周りと同じように黒髪黒目。
女性というよりも少女という感じのする顔。
可愛らしく成長すれば美人になることがわかる。
絹のような綺麗で白い服を着ている姿。
だけど。
黒いスカートはまるで深く先の見えない光なき夜。
黒い髪はまるで触れればそのまま沈んでいきそうな影。
黒い瞳はまるで吸い込まれそうになる闇。
周りと同じはずなのに、何か違う。
なんと言うか…異常に濃くて、異常に深い。
周りがかすんで見えてしまうくらいに。
周りをものともしないくらいに。
そして、その隣。
そこにいたのは男の子。
となりの女の子とは頭一つ高い背丈。
同じように白い服に黒いズボン。
体格は並、顔も並だろう。
青年というには少し幼さを残すその顔。
だけどどことなく優しそうな雰囲気を出す男。
だけど、同じように異質であることに変わりない。
隣の女の子と同じ色のズボン。同じ色の髪。同じ色の瞳。
一見何もおかしくはないはずなのだが…違う。
やはり女の子同様に異常。
もし二人だけなら大しておかしくもなかっただろうけど…でも。
周りに人がいるとよくわかる。
魅了されている人たちと比べるとよく見える。
私の視線をものともしない心。
私の姿に惑わされないその理性。
私に染められないその意識。
―まるで何にも染まらない黒そのもののような…。
「…行くよ。」
彼女が言った。
隣の彼に向かって囁くように。
どうやら私に見られていることに気づいたらしい。
私の視線を感じて何かを感じたのだろうか。
「…急に?」
「いいから早く!」
その言葉に彼はしかめっ面をしながらそれに乗った。
それ。
車輪を二つ並べたようなものに。
前には籠が付いていて中にバッグのようなものがあり、後ろには椅子のようなもの、その後ろにも金属でできているかろうじて座れそうなところがある。
彼女はそこに座り、彼は前に座った。
「いいのかよ?」
「早くって言ってるでしょ!!」
「はいはい。」
そう言うと彼は足で何かを踏み、それは走り出した。
まるで滑り出すかのように。
滑らかな動きは加速して徐々に私から離れていく。
…あの二人。
どうしてだろうか、とても気になる。
気になりすぎる。
私の魅了をものともしなかった初めての存在。
初めて見た異常な逸材。
あれを見逃してしまうのは惜しい。
あんな二人と関わらないのはあまりにも惜しい。
それに。
あの男の子のほう。
どうしてだろう、初めて見た気がしない。
まるで私は彼を知っていたかのような、どこかで会っていたかのような気がする。
街で見かけたとか、すれ違ったとか、そういうのではなくて。
まるで…彼とは関わりを持っていたかのような。
ここは別世界のはずなのに。
初めて見たはずなのに。
どうして…なのだろう?
「…うん。」
私は小さく呟くように言うと翼を開いた。
空を飛ぶため、そして二人を追うため。
二人を目の前にしてみたいから。
二人と話してみたいから。
二人と関わってみたいから。
そして、一番は…。
―彼に触れてみたいから。
彼と話して、彼と触れ合って。
彼と関わって、親密になってみたいから。
そこに何があるのか私は知ってる気がする。
そうして得られるものがなんだか理解してる気がする。
彼がどういった存在なのか、私にとってどんな存在なのかわかってる気がする。
だから。
私は周りの人たちから距離をとって、飛び立った。
二人を…いや、彼を追うために。
飛び立ってすぐに見つけた。
黒い髪をした頭が二つ並んで移動するのが見えた。
異質な存在が動いているのがわかる。
人通りがない大きい道を通りながらそれなりの速度で走っていく。
私から離れるためだろう。
でも、空を飛んでいる私のほうが早い。
それにここは建物が多く在りすぎる。
そのせいか、道が複雑に入り組んだところもあれば人が通れるのかわからないような細い道もある。
だからだろう。
私から逃げようとしても彼らは大きい道しか通ることができない。
いくら人がいなくて速度を出せようとも空から見れば丸見えだ。
そして好都合なことにその道には人がいない。
つまり、無駄に人を集めずに済むということ。
彼らと話をするのに邪魔される心配はなさそうだということだ。
私は翼を羽ばたかせ、黒い綱のようなものの間をすり抜け、二人のすっと前に降り立った。
「おわっ!!」
それを見た彼はどうやったのか、かなりの速度があったそれを減速させる。
徐々にそれは速度を減らし、そして私の前で止まった。
前、といってもそれなりには離れているけど。
さっきよりは随分近くなった。
こうしてみると先ほどよりもよくわかる。
彼の存在が、よくわかる。
「…チッ。」
舌打ちされた。
彼ではなく、後ろに乗っていた彼女に。
彼の肩から顔を覗かせて彼女はあからさまに嫌な顔をしている。
私に親の仇のというような視線を向けて。
私の体に穴を開けそうな気迫で。
「ねぇ、貴方達。」
私は声を掛けた。
聞けば誰かまわず理性を貫いてしまうような魅了する声。
そんな気は欠片もないのにそうなってしまう声で。
でも、二人は。
私の声を聞いてもそんなことにはならなかった。
彼は怪訝そうな顔をして、彼女は嫌そうな顔をさらに歪めた。
「あ、えっと…ちょっといいかしら?」
そんな私の言葉を聞いて二人は…。
「ターンしてさっさと帰るよ。」
彼女がそう言った。
明らかな無視。
どう見ても私と関わろうとしない態度。
そっけなく、平淡に。
彼女は彼の肩を叩いて言った。
し、失礼なのね…。
初対面とはいえそんな対応しなくてもいいじゃない。
そう思ってしまう。
しかし、そんな彼女の態度と反対の態度を彼は示してくれた。
「そう言うなって。何か困ってることでもあるんだろ?少しだけならいいんじゃねーの?」
後ろにいる彼女をたしなめるような口調で、それでも優しそうなものを感じさせる声で。
彼は言った。
「んで、いったい何用なんですか、えっと…人間じゃない、お姉さん?」
彼は乗っていたそれから降りてそう言った。
リリムという存在を前にしながらも物怖じした態度ではなく、あくまで女性に対して紳士的に。
私の魅了に惑わされているわけではなく、彼は本心でそうしようとしている。
それに、私は少し嬉しくなった。
しかし後ろの彼女は座ったまま。
そして浮かべる表情も先ほどと同じ嫌そうなもの。
でも、いいや。
それでも構わない。
今は彼と話してみたい。
彼女はいったい何なのか、彼とはどういった関係なのか気になるところだけど…でも。
彼のほうが気になるから。
「ここってどこなのかしら?」
私はそう聞いてみた。
ここが別世界だというのはわかっている。
それを望んで私は魔法で来たのだから。
でも、ここがどんな世界でどんなところなのかはわからない。
いくらなんでもここにはわからないことがありすぎる。
だからそれを知るためにも、私は彼に聞いてみる。
―あと、できれば彼のことも…。
「…またえらく答えにくい質問ですね…。」
困ったような表情を浮かべる彼と。
「はっ。」
鼻で笑う彼女。
さっきからなんでこんなに冷たい態度なのだろうか。
初対面で随分と嫌われたようだけど…嫌われることなんてしただろうか。
今まで嫌われた経験なんておろか、このような態度をとられたこともないというのに。
やはり二人には私の魅了が効いていない。
微塵も、欠片も。
どうしてなのだろうか。
彼らはいったいなんなのだろうか。
「言えることといえば…まぁ…地球の日本、とでもいうところですかね。」
「日本?」
「そ、日本。」
聞きなれない単語。
聞いたことのない言葉。
日本…ね。
それがこの世界、というかここのことなのだろう。
私は頷き、そしてまた聞く。
今度は先ほどよりも重要なこと。
聞いてみたいと思っていたこと。
「えっと、それで…貴方の名前を聞いてもいいかしら?」
彼の名前。
とても知りたいと思っていたこと。
もしかしたら私は彼を知っているかもしれないから。
彼の名前を聞けば何かを思い出すかもしれないから。
初めて出会った彼に、そんな思い出すようなことはないけど。
それでも何かわかりそうな気がする。
しかし帰ってきたのは冷笑だった。
ただし、彼からのではなく後ろの彼女からの。
「はっ。ここがどこだか聞いた後はすぐに名前って…随分とまぁ図々しいもんだね。」
「…。」
これはなんだろう、挑発なのだろうか。
こんな態度されたことはなかったけど…これはあまりにもなかった。
ここまで棘のある言葉も初めて聞いた。
さっきから何なのだろう彼女は。
どうしてここまでして私を邪険にするのだろうか。
「馬鹿、初対面の相手に何言ってるんだよ。」
流石にその態度を良くないと思ったのだろう、彼は振り向き彼女に言った。
しかし彼女はどこ吹く風。
彼の言葉に耳を傾ける気もないのだろう。
「初対面の相手だからこそでしょうに。それも相手が明らかに人じゃないでしょ?翼生えてて、尻尾も角もあって。さっきなんていろんな人が注目してたし。服装に至っては痴女だし。」
「痴女っ…!」
聞こえてはいたけど…正面から堂々と言われるときついものがあるわね。
っていうか彼女、清清しいほどにさっぱりしてる。
見ててすっきりするくらいに隠し事をしないというか。
何があっても自分を押し通すというか。
何が起ころうと動じないというか。
そんな女の子。
そして、彼は。
「馬鹿、そういうこと言うんじゃねーよ。」
彼もまた似ている。
というか、同じ。
何にも染められそうにないというか。
どんな誘惑にも、魅惑にも屈しないというか。
むしろ、染め返してしまいそうな、そんな風に感じる。
とても、不思議。
「あのね、初対面なのにそう気安く名前を教えるもんじゃないでしょうが。」
「そりゃそうだけど…明らかに対応がおかしいじゃんかよ。まるで師匠を前にしたみたいでさ。」
「あんなもんを前にして普通に対応しろっていうのが無理なんだよ。」
それに、と彼女は付け加える。
私を見て、言う。
「自分から名乗らないで他人の名前を聞くなんて失礼じゃないの?」
そういわれて気づく。
確かに失礼だった。
自分の名前を言わずに他人の名前を先に知ろうなんて図々しい。
彼女の言うとおりだ。
「ごめんなさい、私が悪かったわ。」
そういってみるが彼女は相変わらず表情を変えない。
しかし彼は違う。
私のほうを嫌な顔してみていない。
普通に接するような顔をしているのは少し残念だけど。
「私の名前はフィオナ。フィオナ・ネイサン・ローランド。」
私がそういうと彼は首をかしげた。
不思議そうに、怪訝そうに。
そして、言った。
「―フィオナ…?」
その言葉が、その私の名を呼ぶ声が。
どこか親しみ深く、どこか優しいところがある声が。
私には初めてに聞こえなかった。
まるで…私を親しく呼んでいたようなそんな風にも聞こえる。
親しい…ただ親しいだけじゃない。
もっと親密で大切な存在だったかのような声。
まるで私と彼は互いを―
「―…あっと、それじゃあこっちの番か。」
彼はそう言って私の前に一歩進み出た。
顔には微笑みを浮かべて。
優しそうに私を見つめて。
その黒い瞳に私を映して。
「―オレは黒崎ゆうた。よろしく、フィオナ。」
そう言った。
黒崎…ユウタ?
どうしてだろう、その名前を聞くのは初めてなのに初めてな感じがしない。
今まで思い返してもユウタという名前をした男と会ったことはないのに。
何でなのだろう。
「それでこっちがオレの双子の姉。」
そう言ってユウタは後ろの彼女を指差した。
双子の、姉。
そうか、道理でユウタと彼女がどことなく似ているわけだ。
目元なんてそっくりだ。
それ以上に雰囲気が似ている。
…いや、何かが違うようにも感じられるのだけど。
―たぶん、私だから気づけるようなそんなものが…。
「ほら、自己紹介しろよ。」
ユウタはそう言ってお姉さんの肩を叩くがお姉さんはそっぽを向いた。
今まで憮然とした対応だったけど少し子供らしい態度を可愛いと思ってしまう。
「別にゆうたがされただけであってあたしにされたわけじゃないでしょ?」
「いや、お前も含まれてんだよ。」
「何であたしがそんなことをしなきゃいけないのさ。」
「それが礼儀ってもんだろ?」
「…あーもうわかったよ。」
そういうとお姉さんは仕方なさそうに私を見て言った。
相変わらずの表情だけど。
でも、そんな表情も可愛らしく見えてしまうのは不思議だ。
「あたしは黒崎あやか。ゆうたの双子の、お姉ちゃんだよ。」
彼女は―アヤカはそう言った。
黒崎、アヤカ…。
こちらの名前もまた初めて聞くものだけど…でも。
ユウタのようには感じない。
正真正銘、初めて聞いたものだ。
同じ双子なのに、同じような二人のはずなのに。
どうしてここまで違うのだろう…。
二人を前にしてそんな風に私は思っていた。
ただアヤカの疑うような視線を体に感じるままで。
「―はぁ、リリムねぇ。」
「…リリムって何?」
「サキュバスの一種、その最高位にいる存在だったけか。こっちの世界じゃ伝説にもなってるもんだよ。」
あのまま道の真ん中で堂々と話してるわけにもいかずに私とユウタとアヤカは歩いていた。
…いや、アヤカだけは歩いてはいない。
ユウタは歩いて、アヤカは先ほどからそれに乗り続けて。
自転車というらしい。
こっちの世界には見られない乗り物。
それから降りようとはせずに渋々ユウタが引っ張っている。
…ユウタが不憫に思えた。
なんていうか、上下関係がハッキリしてて。
アヤカがあまりにも偉そうで。
ユウタ…苦労してるのね。
「へぇ、でそのリリムさんがいったいこんな世界に何用なわけ?」
「何の用って…。」
…どうしよう。
理想の旦那様を見つけに来たけど…それを正直に話してもいいのだろうか。
ユウタはともかくアヤカは確実に鼻で笑う。
短い時間だけどそれぐらいは学習した。
彼女は私に対してとんでもない敵対心を持っている。
何でかは知らないけど。
でも、それなら。
「…観光でもしようと思ったのよ。」
「観光ぅ?」
アヤカが食いついてきた。
疑わしい目で私を見つめる。
怪しいというように、嘘をついていることを見破ろうとするように。
「観光、ね。それならちょうど時期がよかったじゃん。」
アヤカと反対の態度でユウタは言った。
私を見て、優しそうに言ってくれる。
こっちは優しいのに、どうしてこうも違うのだろう。
「時期がよかったって?」
先ほどの発言の意味を私は聞いてみた。
「ちょうど明日祭りがあるんだ。市でやるでかいやつがさ。」
「お祭り…。」
お祭り…ね。
お祭りといっても大してぴんと来ない。
お祭りくらいは向こうにもある。
あるが…こっちの世界のものはどんなものなのだろう。
私の知らない世界のお祭りは、どんなものを見せてくれるのだろう。
…知りたい。
お祭りのほかにもこの町も。
それから…ユウタのことも。
「ねぇ、ユウタ。」
「うん?」
「私、ちょっとこの町を見てみたいんだけど…案内、してもらえないかしら?」
身長はいくらか私のほうが上。
というか、歳も私のほうが上だろう。
でもできる限り上目遣いになるようにして、甘えるようにして言ってみた。
リリムなので自分がこんなことをするとは思ってなかったから上手くできたかわからないが…。
「はっ!だったら勝手に行けばいいんじゃない?」
また鼻で笑われた。
アヤカだ。
「空も飛べるんだしリリムっていう人外なアンタならゆうたを捕まえなくてもそこらの男捕まえて聞けばいいじゃないの。っていうか、何でゆうたなの?」
「それは…っ!」
言われて、詰まった。
どうしてユウタなのか。
それは、ユウタがいいから。
初めて出会ったはずなのにそんな風には感じられない。
傍にいると落ち着くというか。
まるで引き寄せられるというか。
口では上手く言い表せないものを感じるから。
もっと、感じたいから。
でも、言えなかった。
そんな私を見てユウタはため息をついた。
「ったく。さっきっから厳しいんだよ、お前は。そこらの男でいいならオレも当てはまるんじゃねーのかよ?」
「そーだけどさ。」
「それに、さっきの見たろ?皆が皆フィオナを見ただけで魅了されたように動かなくなってた。あんな状態でもの尋ねたり案内を頼める奴がいるのかよ?」
「…。」
それはいないだろう。
私にもそれくらいわかる。
また人の沢山いるところにいけば先ほどと同じ状況になる。
また誰かを魅了してしまう。
男性を皆虜にして、時には女性をも惑わせてしまう。
したくないのに、だ。
でも、ユウタは違う。
そして、アヤカも違う。
何でだかは…わからない。
「あーはいはい、わかったよ。わかりました。それなら行けばいいでしょ。ったく。」
そういうなりアヤカは自転車から降りて籠の中から小さいバックを取り出した。
そしてびしっと、人差し指をユウタに突きつける。
「夜までに帰ってくること。今日はお母さんもお父さんもお姉ちゃんだっていないんだからユウタが夕食作ってよね。」
「はいはい、わかった。夜までには帰る。」
ユウタの言葉を聞くと満足そうに頷きアヤカは反対方向へと進みだした。
私を一瞥して、早足で。
彼女は離れていった。
…っていうか、さっきの会話。
ユウタが夕食を作るって…。
…自分で作る気はないのだろうか?
「ユウタって苦労してるのね。」
「男だからね。女のために苦労するのは当たり前。」
…それはどうなのだろうか。
たぶん、それはユウタがアヤカの弟だからそう思えるんじゃないの…?
ユウタは自転車に跨った。
そして、私に手を差し伸べる。
…?
どういうことだろうか。
「乗れよ。流石にオレは空を飛べないけど自転車のほうは歩くより早いだろ?町案内してやるよ。」
その言葉に。
向けられた手に。
浮かべた微笑に。
私の中の何かが反応した。
何かは、わからないけど。
「それじゃあ、お願い♪」
「はいよ。」
私はそっとユウタの手を握った。
その手は温かくとても落ち着くような手だった。
「それにしてもここは変わった町ね。」
「そりゃ魔法なんてある世界から来たらそう見えるだろうよ。」
あのあと私はアヤカが座っていたところに座っていた。
自転車の後ろの席に。
自転車というのも中々いいものね。
空を飛んでるわけじゃないのに風を感じられて心地いい。
そんなふうに感じながら私は自転車に座っていた。
座って前に座るユウタに抱きついて。
最初のほうはユウタが「…おい、女性がそう気安く男に抱きつくもんじゃないだろ…?」などといわれていたがお構いなしに抱きついている。
胸にまで手を回して。
離れることがないように。
やめろと言われたが…やめられそうもなかった。
あまりにも温かい。
あまりにも心地いい。
ここへ来たときに感じた、今も感じてる暑さとは別で。
暑いと思っても、心地いい。
ユウタに触れているというだけで、ユウタといられるというだけで。
知りもしなかった充足を感じる。
本当に、不思議。
そして、もう一つ不思議なこと。
ここまでしているのにユウタが平然としていられること。
私はリリムという存在なのに。
ただでさえ近づけば魅了されるというのに。
触れればさらに惑わすというのに。
ユウタは女の子に接するように丁寧で、紳士的。
本能的にならないでどこまでも自分らしい態度。
あのアヤカに似ている、どこまでも変わらなくて、染まらない。
本当に、不思議。
私とユウタは自転車に乗って人の少ない道を走っている。
ユウタはこの辺の道に詳しいらしく細いところから広い道まで人がいないところを上手く進んで行ってくれる。
そのおかげで私も変に注目されることもない。
嬉しい。
そうやって気遣ってくれるところが。
ユウタが優しくしてくれるところが。
「あの建物は何なの?」
走りながら私は見える建物を指差して聞いてみる。
見たことのない建造物で見たこともないデザインの建物が多い。
それの外観から予想できないようなものまである。
「あのでかいやつ?あれは図書館。」
「へぇ…ならあれは?」
「あれは市役所。」
「それじゃあ、あれは?」
「あれはうどん屋だな。」
「じゃ…あれは?」
「あれは…っ!」
ユウタの声が詰まった。
動きも一瞬止まったように見えた。
抱きしめているので体が硬直したのもよくわかるけど…どうしたのだろう。
私はまだ見えているカラフルな建物を指差してユウタに聞いてみる。
細長く上へ伸びている建物だ。
「ねぇユウタ、あれは何なの?」
「…あれはホテル。」
「ホテル?」
聞きなれない言葉だ。
ホテル…いったいどんな建物なのだろう。
「…簡単にいうと宿泊施設兼休憩所ってところ。」
「ああ、宿屋と同じね!」
宿屋と同じことをするところをホテルというのだろう。
それなら私にもわかる。
名前は違っても同じようなものはあるものね。
…でも。
「宿屋にしては外装が派手ね。」
「…そりゃな。」
普段目にする宿屋は質素なものもあるし中には高級な雰囲気を感じさせるものもあるけど。
あれは明らかに異様だ。
この町でこじんまりと建っているのにそれでも目立つようになっている。
あんなカラフルな色をしていて…何でだろう。
「あれは…あれだ。…ラブホだからな。」
「ラブホ?」
また聞きなれない言葉だ。
ホは…先ほどのホテルということだろうけど…。
ラブ?
ラブはその…ラブラブのことだろうか?
「どういうところなの?」
「……。」
「…ユウタ?」
「あー…えっとな…その…。」
どうしたのだろう。
言葉を詰まらせたりして。
そんなに言いたくないことなのだろうか?
「…男女がさ、一組になって宿屋に入るだろ?」
「ええ、入るわね。」
「そこで夜にすることといえば…それだろ?」
「…ええ、するわね。」
「あれは、そういうことをするための場所。」
「…ああ、そういうことね!」
だからラブってつくのね!
そのラブっていうことなのね!
それなら私のいた魔界にもあった。
魔王城の下の街に沢山あった。
へぇ〜こっちにもそんなものがあるんだ。
それを知ってみると…どうしてだろう。
中も見てみたい。
だって私はそんな宿にも行った経験はないのだから。
「どんな風になってるのかしらね?」
「流石に知らねーよ。」
「え?何で?」
「普通、あんなところに入る高校生いねーよ。少なくとも、オレはそんなんじゃない。」
「何でよ?」
「そういうことしたことねーからだよ。」
「…え?」
ユウタは今、何て言った?
したことがない?
それってそういうことをしたことないって…。
それってつまり…。
「とにかく、知らないからな。」
ユウタはそっけなくそういった。
でも…気になるものは気になる。
知らないといわれると余計に。
でも、どっちが気になるかといわれれば…それは勿論ユウタの方。
ユウタのさっきの発言のこと。
流石に正面から聞けるようなことじゃないんだろうけど。
それくらい、私もわかってるから。
でも…やっぱり…。
「ねぇ、ユウタ?」
「うん?」
「今どこに向かってるの?」
「もう少し待っててくれよ。すぐに着くから。」
先ほどから私とユウタは山道を走っていた。
といっても本当に山の中のような凸凹したところじゃない。
先ほどから続く石畳のような道の上をだ。
平坦な道と比べると明らかに坂になっているところをユウタはすいすいと進んでいく。
私が自転車に乗っていても軽々と。
あまり力を入れていないように見えるけどかなり大変なことじゃないのだろうか。
意外とユウタは力持ちのようだ。
それはこうやって抱きしめていてもわかる。
薄い絹のような服越しに感じるユウタの体。
一見すると細身だけどそれはちゃんと筋肉がついていてとてもしっかりとしている。
だけどそうは見えない。
もしかしたらユウタは着やせするタイプなのだろうか。
それじゃあこの服の下にはどんな体が見られるのだろうか。
この手を動かしてユウタの服の下に差し入れたらどんな風なものを感じられるのだろう。
どんな感触がするのだろう。
…あ、いけない。涎が出てきちゃいそう。
「…フィオナ?」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
思わず上ずった声が出てしまった。
いけない。
いかがわしいことを考えていたのがばれそうだ。
「…いい?」
「え?」
そういうとユウタは私の手に自分の手を重ねてきた。
温かな手が、重なった。
「っ!ユウタ!?」
「いや…着いたから離してもらえる?」
…どうやらいつの間にか着いていたようだ。
自転車も止まり、私とユウタはある場所に着いた。
木々が多く、人気もないような場所。
それでいて開けた場所に。
ここは…どんなとこなのだろう?
広場のように見える。
空も開けて先ほどの電信柱から伝っている電線の数も明らかに減っている。
「ユウタ…ここは?」
私も自転車から降りてユウタに聞く。
ユウタは私を見ながら進んでいく。
広場の先に。
「ほら、来いよ。ここがオレの、連れてきたかったところだよ。」
そう言ってユウタは私の手をとった。
自然に。
まるで手を繋ぐことに慣れているかのように。
それは―私にも同じだった。
こうすることが当たり前のように思えた。
こうやってユウタに手を繋がれることが当然とでもいうように。
「ユウタ…?」
「こっち。」
ゆっくりと歩き、ユウタは進んでいく。
その中でも私はいつの間にそうしていたのだろう。
ユウタの手を握って、ユウタの指に指を絡めていた。
それはまるで―愛し合った恋人のように。
ユウタも嫌がる素振りはない。
そのまま、私にされるがままだ。
いや…ユウタからも応えるように手を握ってくれた。
どんな顔をしているかはわからないけど、でも。
嫌、というわけではなさそうだ。
「ほら、ここだ。」
そう言ってユウタが止まったところ。
私はユウタの隣に立つように並んだ。
魔界では見られない夕日が私達の影を伸ばして。
二人の姿を照らし出す。
でも、夕日が照らしたのはそれだけじゃない。
「わぁ…っ!!」
それは町。
夕日の赤い光が町を照らしていた。
ユウタが立っていた、私を連れて来てくれた場所は町を一望できる場所だった。
私の見たことのない町を見せてくれるところだった。
それも、最高の形で。
赤い光に飾られた町の全てを見せてくれた。
夕日という魔界で目にできないものをこうも美しいとは思わなかった。
「綺麗…。」
思わず感嘆の声が漏れてしまうくらいに。
その声を聞いてユウタは嬉しそうに笑った。
握った手を握り返して。
「絶景だろ?この町を一望できる唯一の場所なんだぜ、ここは。」
そう言った。
そう言って笑った。
夕日に照らされる笑顔。
それは私に見せられたことが嬉しそうで。
子供のように、どことなく無邪気なもの。
その笑みを見てまた、心が躍る。
心臓が高鳴る。
なぜだか、心惹かれる。
「ほら、あれ見ろよ。」
そう言ってユウタはあいているほうの手で指差した。
その先を言われるがままに見る。
指のずっと先。
町の中にある大きな道路を指差していた。
道幅が先ほど通ってきたところよりもずっと広い。
何十人も並んで歩いていけそうな幅だ。
そこを見たこともない鉄の塊が走っている。
車、というらしい。
先ほどユウタに教えてもらったけど…あれに人が乗っているのだから不思議だ。
私のいたところでいうなら…馬車というところだろうか。
「あそこが明日祭りが開かれる場所なんだよ。当日は交通止めになってあの長い道路に沿って屋台が出るんだ。」
「やたい?」
「別の言い方をすれば露店。祭りのときにしか出ない店とでもいうところだろーな。」
「そんなものが出るのね。」
「ああ、カキ氷に綿飴、射的に型抜き金魚すくい。さまざまなものが出るんだよ。」
またどれも聞いたことのないものだった。
かき…氷?しゃてきに…きんぎょすくい?
何なのだろう、それは。
「見てみたいわね。」
「祭りが開かれるのは明日の夜だけどな。」
明日の、夜。
それはつまり今夜はどこかで夜を明かさないといけないことになるということだ。
一応お金は持ってきている。
必要になるかもしれないから今まで貯めていたお金を持ってきている。
でもここは別世界。
先ほど町中を見てまわったが看板には私の知らない文字。
道路に書いてある数字だって白線だってどういう意味なのか知らない。
この世界のルールというものを私は知らない。
そんな中で宿をとれるわけがない。
…どうしよう。
「ねぇ、ユウタ。」
「うん?どうした。」
「宿、どうしよう…。」
「…泊まるところないんだっけか。」
「うん。あ、でもお金は一応あるわよ?」
「通貨が違うんだろそれ…。」
先ほど自転車に乗ってるときにユウタに見せたお金。
一応、金貨である。
私のいたところならそれ一枚で高級料理店でお腹が膨れ上がるくらいに料理を食べても全然お釣りがくるというくらいの額。
普通の人の生活なら金貨一枚で一週間以上裕福に暮らせるくらいのものだ。
まだ何枚も持っているうちの一枚をユウタに見せるとユウタは固まっていた。
「…マジでか。」
そう言って私に戻してくれた。
なぜだかとても丁寧な手つきで。
宝石を取り扱うくらいに慎重に。
「それを換金できればいいと思うけど…換金できるところなんてオレ知らないからなぁ…。」
「さっきのラブホにも余裕で泊まれるかもしれないわね。」
「おいそれはやめろよ。」
ユウタが真顔に戻った。
急だ。
急な変化だった。
一気に感情が冷めたように感じられた。
「女性が一人でそんなところに行くもんじゃねーぞ?ただでさえそんな挑発的な格好してるんだからさ。」
「それはユウタとアヤカだけにしか見えてないんだってば。これでもちゃんとした服を纏ってるように見せてるのよ?」
魔法を使ったというのにユウタとアヤカにはそれを見抜かれていた。
まるで魔法が効かないというように。
それは二人が魔法に適性がないという理由かあるいは―
―二人があまりにも特別な存在だから…?
「とにかくだ。女性が一人でそんなホテル行くなって。」
「あら?一人じゃないわよ。」
当然相手はいる。
共に向かう相手が、いる。
「は?」
首をかしげるユウタに対して私は言った。
手をしっかり握ったまま。
ユウタの闇のような瞳を見据えて。
まるで魅了するかのように。
惑わすように、甘えるようにして。
「―ユウタ、一緒に行きましょ?」
その言葉を聞いた途端に。
「…。」
するりと、ユウタは私の手から自分の手を抜き取った。
あまりにも自然に。
あまりにも手際よく。
しっかりと握って、指まで絡めていたのに、だ。
まるで救った水のように指の間から漏れるようにユウタは抜けた。
「あれ?」
「初対面の相手とそんな店に入ろうとすんなよ、フィオナ。」
まったく、と言ってユウタは困ったように頭を掻いた。
どうみても困っているようにしか見えない。
あまりに慎み深くて、遠慮深くて。
それでいて…なぜだろう。
ユウタらしいと思ってしまうのは…。
「リリムといえど女性なんだから、自分の体は大切にしろよ。」
「してるわよ。」
「してる奴が初対面の相手にラブホに行こうなんて言わないんだよ。」
渋ってる。
あからさまに呆れてる。
嫌という感じはしないけど。
でも困ったふうに感じているようだった。
「とにかくだ、そんなところに泊まるのはやめなさい。」
「何でよ?」
「そんなこともしないのに行くようなとこじゃねーだろ。」
「しないの?」
「何を?」
「そそそれは…そ、その…。」
…どうしてだろう。
わかってはいるのに言葉にすることが出来ない。
というよりも、言うことが恥ずかしいから。
先ほどの発言はできたというのに。
私はリリムなのに。
サキュバスとして最高位の存在なのに。
どうして普通の少女のように戸惑っているのだろう。
ユウタの前だとリリムとしてというよりも、女性としての自分が出てきてしまう。
本能に素直になりたいと思うけど、気持ちも素直になってしまう。
そんな私の様子を見てユウタは大きくため息をついた。
やはり困った様子で。
呆れた顔で。
「わかった、わかったよ。流石にフィオナをそんなところに行かすわけにもいかないからな。まったく、仕方ないな。」
そう言ってユウタは私を見た。
横から夕日に照らされるその姿で。
私に手を差し伸べて。
「―うち、来るか?どうせ親も姉ちゃんもしばらくはいないんだから。いるのはオレと、あやかだけなんだし。」
そう言ってきた。
それは、つまり。
ユウタの家で泊まらせてくれるということ。
ユウタと一つ屋根の下で過ごせるということ。
それは、その事実は。
私にとって願ってもないものだった。
あのアヤカがいるのはちょっと大変そうだけど。
でも、ユウタの傍にいられることに変わりない。
だから私はその手をとった。
その手をもう一度握った。
「えっと、よろしくお願いします…っ!」
「おう。」
そう言って握り返してくれたユウタの手はやはり温かかく、とても落ち着けるものだった。
―ルートチェンジ―
→クロクロルート
瞼を閉じてただ適当に魔法を発動するだけ。
どんなところかは特定しないように。
あやふやな想像だけに頼って。
そうすることで私の知らない世界へと扉が開く。
帰るときはさらに簡単。
ただ思い浮かべればいいだけだから。
この世界を。
私が生まれ育ったここを。
といっても私のように魔力がある魔物じゃないと別世界へと飛ぶことは難しい。
できそうなものとしては…エキドナやバフォメット、あとはヴァンパイアなど魔物の中でも高位の存在だろう。
無論リリムも高位の存在なので別世界へと飛ぶ魔法を使うことはたやすい。
だから私は思い立ったらすぐに魔法を使って別の世界へととんだ。
目的はただ一つ。
理想の男性を見つけること。
私の思い描く旦那様を見つけること。
変装として魔法で幻影を纏い、どう見ても普通の人間に見えるようにした私はその地に足を下ろした。
私の知らない世界に。
未知なる土地に。
見たことのない道に。
足の裏から伝わる感触は土のそれとは違い、硬い石畳のように思える。
それでも石畳のような継ぎ目は見えない。
見たことのない家々。
何でできているのかわからない。
灰色の家、白い家、時折見えるカラフルな家。
二階建てのものがあれば細いけど三階建てのものもある。
見たことのない風景。
道の端に立つ等間隔で並んだ柱のようなものからは黒いロープのようなものが伝わっている。
上を見るとまるで網のように思え、飛ぶのにとても不憫な場所だと思った。
まるで捕らわれの身のように感じられた。
さらに少しばかり暑さを感じる…といっても夕日が見えるのでもう夕方なのだろう。
こちらにもちゃんとした太陽があるようだ。
それにしても、やはり暑いし日差しが思っている以上に強い。
夕方だというのに。
今の季節は夏なのだろうか。
そして、先ほどから私を見つめる複数の熱い視線。
私を取り巻くさまざまな人。
そのほとんどは男性。
中には女性のものもある。
皆が皆黒髪で黒目。
見たことのない変わった服を着ているがその姿を見て頭に浮かんだことはひとつ。
ここはジパングという国に近いらしい。
私はジパングというところに一度だけ行ったことがある。
皆黒髪黒目で賑やかで楽しい人たちだった。
そこでも私は夫となる存在を探していたのだが…それはここにいるのと変わらない。
皆口々に「綺麗だ」とか「美しい」だとかありきたりな言葉を発する。
荒い息をして、顔を赤くして。
視線を私から外すことなく、私以外を見ようとせずに。
これはいつもどおりだ。
いつもと同じ、変わらない状況。
どうやったって変えられないもの。
いくら幻影を纏おうと、いくら姿を変えようと。
どんな服を着て身を隠そうとしても意味がない
それは私がリリムという存在だから。
魔王の娘でサキュバスの最高位の者だから。
時には視線で心を射止め。
時には声で理性を貫き。
時には触れるだけで意識を染め上げる。
そうしたくなくても、だ。
せっかく世界を超えてまでやってきたというのに…収穫はなしなのかしら。
これじゃあ来た意味ないじゃないの。
そう思いながらも足を進めて少しこの世界を巡ろうかとしたそのときだった。
「うっわ…何あれ…痛々しいー。」
「馬鹿、そういうこと言うんじゃねえよ。」
「…?」
周りの感嘆するような声とは違うものが聞こえた。
周りの熱の篭った視線とは違うものを感じた。
なんと言うか…普通な声を。
どういえばいいのか…淡白な視線を。
そこに自分の興味がないものがあるかのような口調と風景の一端にしか思えないというかのような眼差しを。
私の感じたことのないもの。
声はまだ聞こえる。
「髪の毛白で頭に角、背中に翼でお尻に尻尾生やしてるんだよ?それに服なんてほら、痴女じゃん。」
「この暑さに頭やられてそういう人だって出て来るんだよ、指差すな。」
「…。」
なんだか…とても失礼なことを言われているように聞こえる。
だけど、そこじゃない。
気にすべきところはそこじゃない。
一人は高く、女性の声だろう。
一人は低く、男性の声だと思う。
その二人の声色は変わらず平坦なもの。
内容からして私のことをみているに違いない。
黒髪黒目が沢山いる中で髪の毛が白いという言葉が当てはまるのは私しかいないから。
いや、そこじゃない。
白い髪に…頭に角?
それに…翼や尻尾と言っていた?
それは…おかしい。
あまりにもおかしい。
私は今確かにその姿をしている。
肌の露出の多い、リリムとしての姿を惜しげもなく晒している。
だけど私は今魔法を使っている。
他からはこれといった普通の人にしか見えないように幻影を纏っている。
翼なんてあるわけなく。
尻尾なんて見えるわけなく。
角だって生えていないように見せているのに。
誰がどう見たところで私の姿はそこらの人となんら変わりない姿のはずだ。
それなのに。
なんと言っていた?
どう言っていた?
二人の声は私の何を言っていた?
私の姿を言っていなかった?
私のありのままの姿を見てなかった?
幻影を纏っているはずの私の姿を…見ていなかった?
私は声のするほうを見た。
見て、すぐに気づいた。
それはあまりにも異質な存在だったから。
周りに比べ何かが違う存在だったから。
私を取り巻く人たちのずっと後ろ。
そこで並んで二人はいた。
一人は女の子。
周りと同じように黒髪黒目。
女性というよりも少女という感じのする顔。
可愛らしく成長すれば美人になることがわかる。
絹のような綺麗で白い服を着ている姿。
だけど。
黒いスカートはまるで深く先の見えない光なき夜。
黒い髪はまるで触れればそのまま沈んでいきそうな影。
黒い瞳はまるで吸い込まれそうになる闇。
周りと同じはずなのに、何か違う。
なんと言うか…異常に濃くて、異常に深い。
周りがかすんで見えてしまうくらいに。
周りをものともしないくらいに。
そして、その隣。
そこにいたのは男の子。
となりの女の子とは頭一つ高い背丈。
同じように白い服に黒いズボン。
体格は並、顔も並だろう。
青年というには少し幼さを残すその顔。
だけどどことなく優しそうな雰囲気を出す男。
だけど、同じように異質であることに変わりない。
隣の女の子と同じ色のズボン。同じ色の髪。同じ色の瞳。
一見何もおかしくはないはずなのだが…違う。
やはり女の子同様に異常。
もし二人だけなら大しておかしくもなかっただろうけど…でも。
周りに人がいるとよくわかる。
魅了されている人たちと比べるとよく見える。
私の視線をものともしない心。
私の姿に惑わされないその理性。
私に染められないその意識。
―まるで何にも染まらない黒そのもののような…。
「…行くよ。」
彼女が言った。
隣の彼に向かって囁くように。
どうやら私に見られていることに気づいたらしい。
私の視線を感じて何かを感じたのだろうか。
「…急に?」
「いいから早く!」
その言葉に彼はしかめっ面をしながらそれに乗った。
それ。
車輪を二つ並べたようなものに。
前には籠が付いていて中にバッグのようなものがあり、後ろには椅子のようなもの、その後ろにも金属でできているかろうじて座れそうなところがある。
彼女はそこに座り、彼は前に座った。
「いいのかよ?」
「早くって言ってるでしょ!!」
「はいはい。」
そう言うと彼は足で何かを踏み、それは走り出した。
まるで滑り出すかのように。
滑らかな動きは加速して徐々に私から離れていく。
…あの二人。
どうしてだろうか、とても気になる。
気になりすぎる。
私の魅了をものともしなかった初めての存在。
初めて見た異常な逸材。
あれを見逃してしまうのは惜しい。
あんな二人と関わらないのはあまりにも惜しい。
それに。
あの男の子のほう。
どうしてだろう、初めて見た気がしない。
まるで私は彼を知っていたかのような、どこかで会っていたかのような気がする。
街で見かけたとか、すれ違ったとか、そういうのではなくて。
まるで…彼とは関わりを持っていたかのような。
ここは別世界のはずなのに。
初めて見たはずなのに。
どうして…なのだろう?
「…うん。」
私は小さく呟くように言うと翼を開いた。
空を飛ぶため、そして二人を追うため。
二人を目の前にしてみたいから。
二人と話してみたいから。
二人と関わってみたいから。
そして、一番は…。
―彼に触れてみたいから。
彼と話して、彼と触れ合って。
彼と関わって、親密になってみたいから。
そこに何があるのか私は知ってる気がする。
そうして得られるものがなんだか理解してる気がする。
彼がどういった存在なのか、私にとってどんな存在なのかわかってる気がする。
だから。
私は周りの人たちから距離をとって、飛び立った。
二人を…いや、彼を追うために。
飛び立ってすぐに見つけた。
黒い髪をした頭が二つ並んで移動するのが見えた。
異質な存在が動いているのがわかる。
人通りがない大きい道を通りながらそれなりの速度で走っていく。
私から離れるためだろう。
でも、空を飛んでいる私のほうが早い。
それにここは建物が多く在りすぎる。
そのせいか、道が複雑に入り組んだところもあれば人が通れるのかわからないような細い道もある。
だからだろう。
私から逃げようとしても彼らは大きい道しか通ることができない。
いくら人がいなくて速度を出せようとも空から見れば丸見えだ。
そして好都合なことにその道には人がいない。
つまり、無駄に人を集めずに済むということ。
彼らと話をするのに邪魔される心配はなさそうだということだ。
私は翼を羽ばたかせ、黒い綱のようなものの間をすり抜け、二人のすっと前に降り立った。
「おわっ!!」
それを見た彼はどうやったのか、かなりの速度があったそれを減速させる。
徐々にそれは速度を減らし、そして私の前で止まった。
前、といってもそれなりには離れているけど。
さっきよりは随分近くなった。
こうしてみると先ほどよりもよくわかる。
彼の存在が、よくわかる。
「…チッ。」
舌打ちされた。
彼ではなく、後ろに乗っていた彼女に。
彼の肩から顔を覗かせて彼女はあからさまに嫌な顔をしている。
私に親の仇のというような視線を向けて。
私の体に穴を開けそうな気迫で。
「ねぇ、貴方達。」
私は声を掛けた。
聞けば誰かまわず理性を貫いてしまうような魅了する声。
そんな気は欠片もないのにそうなってしまう声で。
でも、二人は。
私の声を聞いてもそんなことにはならなかった。
彼は怪訝そうな顔をして、彼女は嫌そうな顔をさらに歪めた。
「あ、えっと…ちょっといいかしら?」
そんな私の言葉を聞いて二人は…。
「ターンしてさっさと帰るよ。」
彼女がそう言った。
明らかな無視。
どう見ても私と関わろうとしない態度。
そっけなく、平淡に。
彼女は彼の肩を叩いて言った。
し、失礼なのね…。
初対面とはいえそんな対応しなくてもいいじゃない。
そう思ってしまう。
しかし、そんな彼女の態度と反対の態度を彼は示してくれた。
「そう言うなって。何か困ってることでもあるんだろ?少しだけならいいんじゃねーの?」
後ろにいる彼女をたしなめるような口調で、それでも優しそうなものを感じさせる声で。
彼は言った。
「んで、いったい何用なんですか、えっと…人間じゃない、お姉さん?」
彼は乗っていたそれから降りてそう言った。
リリムという存在を前にしながらも物怖じした態度ではなく、あくまで女性に対して紳士的に。
私の魅了に惑わされているわけではなく、彼は本心でそうしようとしている。
それに、私は少し嬉しくなった。
しかし後ろの彼女は座ったまま。
そして浮かべる表情も先ほどと同じ嫌そうなもの。
でも、いいや。
それでも構わない。
今は彼と話してみたい。
彼女はいったい何なのか、彼とはどういった関係なのか気になるところだけど…でも。
彼のほうが気になるから。
「ここってどこなのかしら?」
私はそう聞いてみた。
ここが別世界だというのはわかっている。
それを望んで私は魔法で来たのだから。
でも、ここがどんな世界でどんなところなのかはわからない。
いくらなんでもここにはわからないことがありすぎる。
だからそれを知るためにも、私は彼に聞いてみる。
―あと、できれば彼のことも…。
「…またえらく答えにくい質問ですね…。」
困ったような表情を浮かべる彼と。
「はっ。」
鼻で笑う彼女。
さっきからなんでこんなに冷たい態度なのだろうか。
初対面で随分と嫌われたようだけど…嫌われることなんてしただろうか。
今まで嫌われた経験なんておろか、このような態度をとられたこともないというのに。
やはり二人には私の魅了が効いていない。
微塵も、欠片も。
どうしてなのだろうか。
彼らはいったいなんなのだろうか。
「言えることといえば…まぁ…地球の日本、とでもいうところですかね。」
「日本?」
「そ、日本。」
聞きなれない単語。
聞いたことのない言葉。
日本…ね。
それがこの世界、というかここのことなのだろう。
私は頷き、そしてまた聞く。
今度は先ほどよりも重要なこと。
聞いてみたいと思っていたこと。
「えっと、それで…貴方の名前を聞いてもいいかしら?」
彼の名前。
とても知りたいと思っていたこと。
もしかしたら私は彼を知っているかもしれないから。
彼の名前を聞けば何かを思い出すかもしれないから。
初めて出会った彼に、そんな思い出すようなことはないけど。
それでも何かわかりそうな気がする。
しかし帰ってきたのは冷笑だった。
ただし、彼からのではなく後ろの彼女からの。
「はっ。ここがどこだか聞いた後はすぐに名前って…随分とまぁ図々しいもんだね。」
「…。」
これはなんだろう、挑発なのだろうか。
こんな態度されたことはなかったけど…これはあまりにもなかった。
ここまで棘のある言葉も初めて聞いた。
さっきから何なのだろう彼女は。
どうしてここまでして私を邪険にするのだろうか。
「馬鹿、初対面の相手に何言ってるんだよ。」
流石にその態度を良くないと思ったのだろう、彼は振り向き彼女に言った。
しかし彼女はどこ吹く風。
彼の言葉に耳を傾ける気もないのだろう。
「初対面の相手だからこそでしょうに。それも相手が明らかに人じゃないでしょ?翼生えてて、尻尾も角もあって。さっきなんていろんな人が注目してたし。服装に至っては痴女だし。」
「痴女っ…!」
聞こえてはいたけど…正面から堂々と言われるときついものがあるわね。
っていうか彼女、清清しいほどにさっぱりしてる。
見ててすっきりするくらいに隠し事をしないというか。
何があっても自分を押し通すというか。
何が起ころうと動じないというか。
そんな女の子。
そして、彼は。
「馬鹿、そういうこと言うんじゃねーよ。」
彼もまた似ている。
というか、同じ。
何にも染められそうにないというか。
どんな誘惑にも、魅惑にも屈しないというか。
むしろ、染め返してしまいそうな、そんな風に感じる。
とても、不思議。
「あのね、初対面なのにそう気安く名前を教えるもんじゃないでしょうが。」
「そりゃそうだけど…明らかに対応がおかしいじゃんかよ。まるで師匠を前にしたみたいでさ。」
「あんなもんを前にして普通に対応しろっていうのが無理なんだよ。」
それに、と彼女は付け加える。
私を見て、言う。
「自分から名乗らないで他人の名前を聞くなんて失礼じゃないの?」
そういわれて気づく。
確かに失礼だった。
自分の名前を言わずに他人の名前を先に知ろうなんて図々しい。
彼女の言うとおりだ。
「ごめんなさい、私が悪かったわ。」
そういってみるが彼女は相変わらず表情を変えない。
しかし彼は違う。
私のほうを嫌な顔してみていない。
普通に接するような顔をしているのは少し残念だけど。
「私の名前はフィオナ。フィオナ・ネイサン・ローランド。」
私がそういうと彼は首をかしげた。
不思議そうに、怪訝そうに。
そして、言った。
「―フィオナ…?」
その言葉が、その私の名を呼ぶ声が。
どこか親しみ深く、どこか優しいところがある声が。
私には初めてに聞こえなかった。
まるで…私を親しく呼んでいたようなそんな風にも聞こえる。
親しい…ただ親しいだけじゃない。
もっと親密で大切な存在だったかのような声。
まるで私と彼は互いを―
「―…あっと、それじゃあこっちの番か。」
彼はそう言って私の前に一歩進み出た。
顔には微笑みを浮かべて。
優しそうに私を見つめて。
その黒い瞳に私を映して。
「―オレは黒崎ゆうた。よろしく、フィオナ。」
そう言った。
黒崎…ユウタ?
どうしてだろう、その名前を聞くのは初めてなのに初めてな感じがしない。
今まで思い返してもユウタという名前をした男と会ったことはないのに。
何でなのだろう。
「それでこっちがオレの双子の姉。」
そう言ってユウタは後ろの彼女を指差した。
双子の、姉。
そうか、道理でユウタと彼女がどことなく似ているわけだ。
目元なんてそっくりだ。
それ以上に雰囲気が似ている。
…いや、何かが違うようにも感じられるのだけど。
―たぶん、私だから気づけるようなそんなものが…。
「ほら、自己紹介しろよ。」
ユウタはそう言ってお姉さんの肩を叩くがお姉さんはそっぽを向いた。
今まで憮然とした対応だったけど少し子供らしい態度を可愛いと思ってしまう。
「別にゆうたがされただけであってあたしにされたわけじゃないでしょ?」
「いや、お前も含まれてんだよ。」
「何であたしがそんなことをしなきゃいけないのさ。」
「それが礼儀ってもんだろ?」
「…あーもうわかったよ。」
そういうとお姉さんは仕方なさそうに私を見て言った。
相変わらずの表情だけど。
でも、そんな表情も可愛らしく見えてしまうのは不思議だ。
「あたしは黒崎あやか。ゆうたの双子の、お姉ちゃんだよ。」
彼女は―アヤカはそう言った。
黒崎、アヤカ…。
こちらの名前もまた初めて聞くものだけど…でも。
ユウタのようには感じない。
正真正銘、初めて聞いたものだ。
同じ双子なのに、同じような二人のはずなのに。
どうしてここまで違うのだろう…。
二人を前にしてそんな風に私は思っていた。
ただアヤカの疑うような視線を体に感じるままで。
「―はぁ、リリムねぇ。」
「…リリムって何?」
「サキュバスの一種、その最高位にいる存在だったけか。こっちの世界じゃ伝説にもなってるもんだよ。」
あのまま道の真ん中で堂々と話してるわけにもいかずに私とユウタとアヤカは歩いていた。
…いや、アヤカだけは歩いてはいない。
ユウタは歩いて、アヤカは先ほどからそれに乗り続けて。
自転車というらしい。
こっちの世界には見られない乗り物。
それから降りようとはせずに渋々ユウタが引っ張っている。
…ユウタが不憫に思えた。
なんていうか、上下関係がハッキリしてて。
アヤカがあまりにも偉そうで。
ユウタ…苦労してるのね。
「へぇ、でそのリリムさんがいったいこんな世界に何用なわけ?」
「何の用って…。」
…どうしよう。
理想の旦那様を見つけに来たけど…それを正直に話してもいいのだろうか。
ユウタはともかくアヤカは確実に鼻で笑う。
短い時間だけどそれぐらいは学習した。
彼女は私に対してとんでもない敵対心を持っている。
何でかは知らないけど。
でも、それなら。
「…観光でもしようと思ったのよ。」
「観光ぅ?」
アヤカが食いついてきた。
疑わしい目で私を見つめる。
怪しいというように、嘘をついていることを見破ろうとするように。
「観光、ね。それならちょうど時期がよかったじゃん。」
アヤカと反対の態度でユウタは言った。
私を見て、優しそうに言ってくれる。
こっちは優しいのに、どうしてこうも違うのだろう。
「時期がよかったって?」
先ほどの発言の意味を私は聞いてみた。
「ちょうど明日祭りがあるんだ。市でやるでかいやつがさ。」
「お祭り…。」
お祭り…ね。
お祭りといっても大してぴんと来ない。
お祭りくらいは向こうにもある。
あるが…こっちの世界のものはどんなものなのだろう。
私の知らない世界のお祭りは、どんなものを見せてくれるのだろう。
…知りたい。
お祭りのほかにもこの町も。
それから…ユウタのことも。
「ねぇ、ユウタ。」
「うん?」
「私、ちょっとこの町を見てみたいんだけど…案内、してもらえないかしら?」
身長はいくらか私のほうが上。
というか、歳も私のほうが上だろう。
でもできる限り上目遣いになるようにして、甘えるようにして言ってみた。
リリムなので自分がこんなことをするとは思ってなかったから上手くできたかわからないが…。
「はっ!だったら勝手に行けばいいんじゃない?」
また鼻で笑われた。
アヤカだ。
「空も飛べるんだしリリムっていう人外なアンタならゆうたを捕まえなくてもそこらの男捕まえて聞けばいいじゃないの。っていうか、何でゆうたなの?」
「それは…っ!」
言われて、詰まった。
どうしてユウタなのか。
それは、ユウタがいいから。
初めて出会ったはずなのにそんな風には感じられない。
傍にいると落ち着くというか。
まるで引き寄せられるというか。
口では上手く言い表せないものを感じるから。
もっと、感じたいから。
でも、言えなかった。
そんな私を見てユウタはため息をついた。
「ったく。さっきっから厳しいんだよ、お前は。そこらの男でいいならオレも当てはまるんじゃねーのかよ?」
「そーだけどさ。」
「それに、さっきの見たろ?皆が皆フィオナを見ただけで魅了されたように動かなくなってた。あんな状態でもの尋ねたり案内を頼める奴がいるのかよ?」
「…。」
それはいないだろう。
私にもそれくらいわかる。
また人の沢山いるところにいけば先ほどと同じ状況になる。
また誰かを魅了してしまう。
男性を皆虜にして、時には女性をも惑わせてしまう。
したくないのに、だ。
でも、ユウタは違う。
そして、アヤカも違う。
何でだかは…わからない。
「あーはいはい、わかったよ。わかりました。それなら行けばいいでしょ。ったく。」
そういうなりアヤカは自転車から降りて籠の中から小さいバックを取り出した。
そしてびしっと、人差し指をユウタに突きつける。
「夜までに帰ってくること。今日はお母さんもお父さんもお姉ちゃんだっていないんだからユウタが夕食作ってよね。」
「はいはい、わかった。夜までには帰る。」
ユウタの言葉を聞くと満足そうに頷きアヤカは反対方向へと進みだした。
私を一瞥して、早足で。
彼女は離れていった。
…っていうか、さっきの会話。
ユウタが夕食を作るって…。
…自分で作る気はないのだろうか?
「ユウタって苦労してるのね。」
「男だからね。女のために苦労するのは当たり前。」
…それはどうなのだろうか。
たぶん、それはユウタがアヤカの弟だからそう思えるんじゃないの…?
ユウタは自転車に跨った。
そして、私に手を差し伸べる。
…?
どういうことだろうか。
「乗れよ。流石にオレは空を飛べないけど自転車のほうは歩くより早いだろ?町案内してやるよ。」
その言葉に。
向けられた手に。
浮かべた微笑に。
私の中の何かが反応した。
何かは、わからないけど。
「それじゃあ、お願い♪」
「はいよ。」
私はそっとユウタの手を握った。
その手は温かくとても落ち着くような手だった。
「それにしてもここは変わった町ね。」
「そりゃ魔法なんてある世界から来たらそう見えるだろうよ。」
あのあと私はアヤカが座っていたところに座っていた。
自転車の後ろの席に。
自転車というのも中々いいものね。
空を飛んでるわけじゃないのに風を感じられて心地いい。
そんなふうに感じながら私は自転車に座っていた。
座って前に座るユウタに抱きついて。
最初のほうはユウタが「…おい、女性がそう気安く男に抱きつくもんじゃないだろ…?」などといわれていたがお構いなしに抱きついている。
胸にまで手を回して。
離れることがないように。
やめろと言われたが…やめられそうもなかった。
あまりにも温かい。
あまりにも心地いい。
ここへ来たときに感じた、今も感じてる暑さとは別で。
暑いと思っても、心地いい。
ユウタに触れているというだけで、ユウタといられるというだけで。
知りもしなかった充足を感じる。
本当に、不思議。
そして、もう一つ不思議なこと。
ここまでしているのにユウタが平然としていられること。
私はリリムという存在なのに。
ただでさえ近づけば魅了されるというのに。
触れればさらに惑わすというのに。
ユウタは女の子に接するように丁寧で、紳士的。
本能的にならないでどこまでも自分らしい態度。
あのアヤカに似ている、どこまでも変わらなくて、染まらない。
本当に、不思議。
私とユウタは自転車に乗って人の少ない道を走っている。
ユウタはこの辺の道に詳しいらしく細いところから広い道まで人がいないところを上手く進んで行ってくれる。
そのおかげで私も変に注目されることもない。
嬉しい。
そうやって気遣ってくれるところが。
ユウタが優しくしてくれるところが。
「あの建物は何なの?」
走りながら私は見える建物を指差して聞いてみる。
見たことのない建造物で見たこともないデザインの建物が多い。
それの外観から予想できないようなものまである。
「あのでかいやつ?あれは図書館。」
「へぇ…ならあれは?」
「あれは市役所。」
「それじゃあ、あれは?」
「あれはうどん屋だな。」
「じゃ…あれは?」
「あれは…っ!」
ユウタの声が詰まった。
動きも一瞬止まったように見えた。
抱きしめているので体が硬直したのもよくわかるけど…どうしたのだろう。
私はまだ見えているカラフルな建物を指差してユウタに聞いてみる。
細長く上へ伸びている建物だ。
「ねぇユウタ、あれは何なの?」
「…あれはホテル。」
「ホテル?」
聞きなれない言葉だ。
ホテル…いったいどんな建物なのだろう。
「…簡単にいうと宿泊施設兼休憩所ってところ。」
「ああ、宿屋と同じね!」
宿屋と同じことをするところをホテルというのだろう。
それなら私にもわかる。
名前は違っても同じようなものはあるものね。
…でも。
「宿屋にしては外装が派手ね。」
「…そりゃな。」
普段目にする宿屋は質素なものもあるし中には高級な雰囲気を感じさせるものもあるけど。
あれは明らかに異様だ。
この町でこじんまりと建っているのにそれでも目立つようになっている。
あんなカラフルな色をしていて…何でだろう。
「あれは…あれだ。…ラブホだからな。」
「ラブホ?」
また聞きなれない言葉だ。
ホは…先ほどのホテルということだろうけど…。
ラブ?
ラブはその…ラブラブのことだろうか?
「どういうところなの?」
「……。」
「…ユウタ?」
「あー…えっとな…その…。」
どうしたのだろう。
言葉を詰まらせたりして。
そんなに言いたくないことなのだろうか?
「…男女がさ、一組になって宿屋に入るだろ?」
「ええ、入るわね。」
「そこで夜にすることといえば…それだろ?」
「…ええ、するわね。」
「あれは、そういうことをするための場所。」
「…ああ、そういうことね!」
だからラブってつくのね!
そのラブっていうことなのね!
それなら私のいた魔界にもあった。
魔王城の下の街に沢山あった。
へぇ〜こっちにもそんなものがあるんだ。
それを知ってみると…どうしてだろう。
中も見てみたい。
だって私はそんな宿にも行った経験はないのだから。
「どんな風になってるのかしらね?」
「流石に知らねーよ。」
「え?何で?」
「普通、あんなところに入る高校生いねーよ。少なくとも、オレはそんなんじゃない。」
「何でよ?」
「そういうことしたことねーからだよ。」
「…え?」
ユウタは今、何て言った?
したことがない?
それってそういうことをしたことないって…。
それってつまり…。
「とにかく、知らないからな。」
ユウタはそっけなくそういった。
でも…気になるものは気になる。
知らないといわれると余計に。
でも、どっちが気になるかといわれれば…それは勿論ユウタの方。
ユウタのさっきの発言のこと。
流石に正面から聞けるようなことじゃないんだろうけど。
それくらい、私もわかってるから。
でも…やっぱり…。
「ねぇ、ユウタ?」
「うん?」
「今どこに向かってるの?」
「もう少し待っててくれよ。すぐに着くから。」
先ほどから私とユウタは山道を走っていた。
といっても本当に山の中のような凸凹したところじゃない。
先ほどから続く石畳のような道の上をだ。
平坦な道と比べると明らかに坂になっているところをユウタはすいすいと進んでいく。
私が自転車に乗っていても軽々と。
あまり力を入れていないように見えるけどかなり大変なことじゃないのだろうか。
意外とユウタは力持ちのようだ。
それはこうやって抱きしめていてもわかる。
薄い絹のような服越しに感じるユウタの体。
一見すると細身だけどそれはちゃんと筋肉がついていてとてもしっかりとしている。
だけどそうは見えない。
もしかしたらユウタは着やせするタイプなのだろうか。
それじゃあこの服の下にはどんな体が見られるのだろうか。
この手を動かしてユウタの服の下に差し入れたらどんな風なものを感じられるのだろう。
どんな感触がするのだろう。
…あ、いけない。涎が出てきちゃいそう。
「…フィオナ?」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
思わず上ずった声が出てしまった。
いけない。
いかがわしいことを考えていたのがばれそうだ。
「…いい?」
「え?」
そういうとユウタは私の手に自分の手を重ねてきた。
温かな手が、重なった。
「っ!ユウタ!?」
「いや…着いたから離してもらえる?」
…どうやらいつの間にか着いていたようだ。
自転車も止まり、私とユウタはある場所に着いた。
木々が多く、人気もないような場所。
それでいて開けた場所に。
ここは…どんなとこなのだろう?
広場のように見える。
空も開けて先ほどの電信柱から伝っている電線の数も明らかに減っている。
「ユウタ…ここは?」
私も自転車から降りてユウタに聞く。
ユウタは私を見ながら進んでいく。
広場の先に。
「ほら、来いよ。ここがオレの、連れてきたかったところだよ。」
そう言ってユウタは私の手をとった。
自然に。
まるで手を繋ぐことに慣れているかのように。
それは―私にも同じだった。
こうすることが当たり前のように思えた。
こうやってユウタに手を繋がれることが当然とでもいうように。
「ユウタ…?」
「こっち。」
ゆっくりと歩き、ユウタは進んでいく。
その中でも私はいつの間にそうしていたのだろう。
ユウタの手を握って、ユウタの指に指を絡めていた。
それはまるで―愛し合った恋人のように。
ユウタも嫌がる素振りはない。
そのまま、私にされるがままだ。
いや…ユウタからも応えるように手を握ってくれた。
どんな顔をしているかはわからないけど、でも。
嫌、というわけではなさそうだ。
「ほら、ここだ。」
そう言ってユウタが止まったところ。
私はユウタの隣に立つように並んだ。
魔界では見られない夕日が私達の影を伸ばして。
二人の姿を照らし出す。
でも、夕日が照らしたのはそれだけじゃない。
「わぁ…っ!!」
それは町。
夕日の赤い光が町を照らしていた。
ユウタが立っていた、私を連れて来てくれた場所は町を一望できる場所だった。
私の見たことのない町を見せてくれるところだった。
それも、最高の形で。
赤い光に飾られた町の全てを見せてくれた。
夕日という魔界で目にできないものをこうも美しいとは思わなかった。
「綺麗…。」
思わず感嘆の声が漏れてしまうくらいに。
その声を聞いてユウタは嬉しそうに笑った。
握った手を握り返して。
「絶景だろ?この町を一望できる唯一の場所なんだぜ、ここは。」
そう言った。
そう言って笑った。
夕日に照らされる笑顔。
それは私に見せられたことが嬉しそうで。
子供のように、どことなく無邪気なもの。
その笑みを見てまた、心が躍る。
心臓が高鳴る。
なぜだか、心惹かれる。
「ほら、あれ見ろよ。」
そう言ってユウタはあいているほうの手で指差した。
その先を言われるがままに見る。
指のずっと先。
町の中にある大きな道路を指差していた。
道幅が先ほど通ってきたところよりもずっと広い。
何十人も並んで歩いていけそうな幅だ。
そこを見たこともない鉄の塊が走っている。
車、というらしい。
先ほどユウタに教えてもらったけど…あれに人が乗っているのだから不思議だ。
私のいたところでいうなら…馬車というところだろうか。
「あそこが明日祭りが開かれる場所なんだよ。当日は交通止めになってあの長い道路に沿って屋台が出るんだ。」
「やたい?」
「別の言い方をすれば露店。祭りのときにしか出ない店とでもいうところだろーな。」
「そんなものが出るのね。」
「ああ、カキ氷に綿飴、射的に型抜き金魚すくい。さまざまなものが出るんだよ。」
またどれも聞いたことのないものだった。
かき…氷?しゃてきに…きんぎょすくい?
何なのだろう、それは。
「見てみたいわね。」
「祭りが開かれるのは明日の夜だけどな。」
明日の、夜。
それはつまり今夜はどこかで夜を明かさないといけないことになるということだ。
一応お金は持ってきている。
必要になるかもしれないから今まで貯めていたお金を持ってきている。
でもここは別世界。
先ほど町中を見てまわったが看板には私の知らない文字。
道路に書いてある数字だって白線だってどういう意味なのか知らない。
この世界のルールというものを私は知らない。
そんな中で宿をとれるわけがない。
…どうしよう。
「ねぇ、ユウタ。」
「うん?どうした。」
「宿、どうしよう…。」
「…泊まるところないんだっけか。」
「うん。あ、でもお金は一応あるわよ?」
「通貨が違うんだろそれ…。」
先ほど自転車に乗ってるときにユウタに見せたお金。
一応、金貨である。
私のいたところならそれ一枚で高級料理店でお腹が膨れ上がるくらいに料理を食べても全然お釣りがくるというくらいの額。
普通の人の生活なら金貨一枚で一週間以上裕福に暮らせるくらいのものだ。
まだ何枚も持っているうちの一枚をユウタに見せるとユウタは固まっていた。
「…マジでか。」
そう言って私に戻してくれた。
なぜだかとても丁寧な手つきで。
宝石を取り扱うくらいに慎重に。
「それを換金できればいいと思うけど…換金できるところなんてオレ知らないからなぁ…。」
「さっきのラブホにも余裕で泊まれるかもしれないわね。」
「おいそれはやめろよ。」
ユウタが真顔に戻った。
急だ。
急な変化だった。
一気に感情が冷めたように感じられた。
「女性が一人でそんなところに行くもんじゃねーぞ?ただでさえそんな挑発的な格好してるんだからさ。」
「それはユウタとアヤカだけにしか見えてないんだってば。これでもちゃんとした服を纏ってるように見せてるのよ?」
魔法を使ったというのにユウタとアヤカにはそれを見抜かれていた。
まるで魔法が効かないというように。
それは二人が魔法に適性がないという理由かあるいは―
―二人があまりにも特別な存在だから…?
「とにかくだ。女性が一人でそんなホテル行くなって。」
「あら?一人じゃないわよ。」
当然相手はいる。
共に向かう相手が、いる。
「は?」
首をかしげるユウタに対して私は言った。
手をしっかり握ったまま。
ユウタの闇のような瞳を見据えて。
まるで魅了するかのように。
惑わすように、甘えるようにして。
「―ユウタ、一緒に行きましょ?」
その言葉を聞いた途端に。
「…。」
するりと、ユウタは私の手から自分の手を抜き取った。
あまりにも自然に。
あまりにも手際よく。
しっかりと握って、指まで絡めていたのに、だ。
まるで救った水のように指の間から漏れるようにユウタは抜けた。
「あれ?」
「初対面の相手とそんな店に入ろうとすんなよ、フィオナ。」
まったく、と言ってユウタは困ったように頭を掻いた。
どうみても困っているようにしか見えない。
あまりに慎み深くて、遠慮深くて。
それでいて…なぜだろう。
ユウタらしいと思ってしまうのは…。
「リリムといえど女性なんだから、自分の体は大切にしろよ。」
「してるわよ。」
「してる奴が初対面の相手にラブホに行こうなんて言わないんだよ。」
渋ってる。
あからさまに呆れてる。
嫌という感じはしないけど。
でも困ったふうに感じているようだった。
「とにかくだ、そんなところに泊まるのはやめなさい。」
「何でよ?」
「そんなこともしないのに行くようなとこじゃねーだろ。」
「しないの?」
「何を?」
「そそそれは…そ、その…。」
…どうしてだろう。
わかってはいるのに言葉にすることが出来ない。
というよりも、言うことが恥ずかしいから。
先ほどの発言はできたというのに。
私はリリムなのに。
サキュバスとして最高位の存在なのに。
どうして普通の少女のように戸惑っているのだろう。
ユウタの前だとリリムとしてというよりも、女性としての自分が出てきてしまう。
本能に素直になりたいと思うけど、気持ちも素直になってしまう。
そんな私の様子を見てユウタは大きくため息をついた。
やはり困った様子で。
呆れた顔で。
「わかった、わかったよ。流石にフィオナをそんなところに行かすわけにもいかないからな。まったく、仕方ないな。」
そう言ってユウタは私を見た。
横から夕日に照らされるその姿で。
私に手を差し伸べて。
「―うち、来るか?どうせ親も姉ちゃんもしばらくはいないんだから。いるのはオレと、あやかだけなんだし。」
そう言ってきた。
それは、つまり。
ユウタの家で泊まらせてくれるということ。
ユウタと一つ屋根の下で過ごせるということ。
それは、その事実は。
私にとって願ってもないものだった。
あのアヤカがいるのはちょっと大変そうだけど。
でも、ユウタの傍にいられることに変わりない。
だから私はその手をとった。
その手をもう一度握った。
「えっと、よろしくお願いします…っ!」
「おう。」
そう言って握り返してくれたユウタの手はやはり温かかく、とても落ち着けるものだった。
―ルートチェンジ―
→クロクロルート
11/08/11 20:53更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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