ダンスとお前とオレとご褒美 前編
とても広い空間。
入れる人数は百なんて楽に越えるくらいの広さ。
床も壁も天井もこれといった装飾のない無機質な部屋。
窓も数個しかついておらず外からは何をやっているのかわからないようにしている。
まるで隠れやすいように。
隠し事をしやすいように。
そんな空間でそんな部屋の一番前。
そこにはこの空間にいるものの注目を集めるために作られたような舞台があった。
この空間の後ろまで見渡せるようなもので。
この空間で一番目立てる場所にあった。
そして、そこの上。
この空間に比べればそりゃ狭いが…でもそれなりには広い舞台の上。
そこにオレは立っていた。
フィオナとエリヴィラ二人による求愛を何とか昼までに応え切ったオレがいた。
「はいっ、ワンツー、スリーフォー、ファイブシックス、セブンエイトっ!」
リズムを取るように手を叩いて。
それにあわせて声を出して。
まるで何かを教える先生のような姿。
それは、あながち間違っちゃいない表現かもしれない。
なぜならオレは先生のように教えているから。
ただし、それは―
「はい、そこでターン!下見るなよー!」
―ダンス。
踊って舞ってのダンシングである。
こんな世界にもダンスという概念はあるのだと感心させられた。
あっても舞とか舞踊、ダンスとはまた違ったものだと思ってた。
しかし意外とあるもんなんだな。
回ったり、ステップ踏んだり。
オレのいた世界に似ているダンス。
別々の世界といえ行き着く先は同じなのかもしれない。
魔法なんてものがあり、魔物なんてものがいても考えは似たものなのかもしれない。
そして、そのダンスを考案したのが舞台の下で踊る集団の中にいる女の子。
外見はオレよりもずっと年というくらいの姿…なのだが。
頭から角を生やした茶髪の女の子。
ヤギみたいな角である。
さらに言うと着ている服がおかしい。
ただの布を纏っているといっても過言じゃないだろう。
あまりにも露出の多い姿である。
手足にいたってはモフモフしている毛に覆われているし。
さらにその手に握っているのは鎌。
人が振り回すにも大きすぎて危険な大きさのものを軽々とまわしているのである。
そんな女の子がこのダンスの発案者で考案者。
バフォメットのヘレナ・ファーガスである。
別の言い方をすれば…なんというか…言いにくいのだが…。
オレの妻である。
フィオナ、エリヴィラと続いての、三人目の妻である。
そんな愛おしい妻が踊っている。
『ダンシング・サバト』
ヘレナいわくここ最近へレナが先導している『サバト』の入信者が減っているそうだ。
だからこれで入信者をこれ以上減らさないために、また更なる入信者を誘惑…じゃなくて勧誘するんだそうだ。
小さく幼く可愛らしい、サバトの魅力を見せ付けるそうだ。
彼女の後ろで共に踊ってくれる魔女達と共に。
魔女。
これがまたとんでもない姿。
別にヘレナ同様に露出の多い姿をしてるというわけではない。
いや、似ているところもある。
…その、幼い姿だ。
ヘレナと同じで子供の姿。
それがこの場で踊っている。
大勢で、お尻を振ったりしている。
ヘレナに合わせて、ヘレナと同じように。
この光景オレは舞台上から見ているのだが…。
いやぁ…なんといいますか…。
背徳的な光景だ。
悪いことはしていないのになぜか罪悪感を感るんだけど…。
そもそもサバトというのは幼き少女の魅力と背徳の素晴らしさを世の中に広める宗教らしい。
…危険だ。
それしか言い様がない…。
それでもそのサバトを全ているヘレナがオレの妻であるがゆえにオレはこうして駆り出されている。
愛する妻が困っているなら助けるのが夫の役目。
オレも向こうの世界にいたときにはダンスを少しばかり経験していたからそれなりには手伝えるし。
少しばかりの経験…といっても見ていただけだけど。
ついでに言うと双子の姉に嫌々付き合わされてしてたものだけど。
「はーい!そこまでー!」
オレは手を大きく叩いて皆に示す。
終わりの合図。
今日はもうこれくらいやれば十分だろうと思って手を叩いた。
皆の動きもだいぶ良くなってるし。
それにこれ以上すれば怪我に繋がりかねない。
「ユウタっ!どうじゃった?どうじゃった!?わしらのダンスは!?」
終わりの合図と共に駆け寄ってきたヘレナ。
それなりの高さのある舞台を軽々と飛んで、オレの足元へと来る。
目をきらきら輝かせて。
期待に満ち溢れた瞳をして。
手にはギラつく刃をした鎌を持ったままに。
危ないな…。
でもそれだけ自分達の踊っているダンスが気になるのだろう。
「良かったぞ。前と比べるとすごく上手くなってるし。」
「本当かのう!?」
「本当だって。」
そう言ってオレはヘレナの頭を撫でた。
角が生えているので少々撫でにくいところもあるので後ろのほうを撫でる。
フィオナにしているような撫で方で。
「ふにゃ…♪」
ヘレナの顔が蕩けた。
蕩けたというか…気持ちよさそうな笑みを浮かべた。
可愛い。
不覚にもそう思ってしまう。
フィオナとは違った可愛さ。
エリヴィラとはまた違う可憐さ。
なんというか…年下特有の愛らしさというか…。
幼子独特の魅力というか…。
…危ない気持ちにさせられる。
そんな風に思いながらもオレはヘレナを撫でていた…のだが。
「ユウタ様!ヘレナ様ばかりずるいですっ!」
「私も頑張りましたよ!!」
「私のダンスはどうでしたか!?」
「ユウタ様〜!」
「…おっと。」
いけない。
他の魔女娘達もが騒ぎ出した。
おそらくオレがヘレナの頭を撫でていたことに対して、だろう。
外見どおり、子供のような反応。
これでもオレより年上の娘が混じっているのだから驚きだ。
さらに言うと。
ヘレナはオレよりもずっと年上らしい。
フィオナ、エリヴィラ、セスタの三人よりもずっと上。
ちなみにそれ以上がクレ―っといけない。
これは言っちゃいけないな。
女性に対しての歳の話はすべきじゃない。
「まったく、皆して仕方ないな。」
駆け寄ってくる魔女達に対して苦笑しつつ舞台から降りて頭を撫で回し始めた。
そうやって皆の頭を撫で回し終えて。
ただいまオレはヘレナの部屋にいた。
彼女をぬいぐるみのように大切そうに両手で抱きしめて。
というか、彼女がオレを抱きしめて離さないので仕方なく。
そうしてベッドの端に座っていた。
「んふふ〜♪ユウタの抱き心地は本当に良いの〜♪」
「そうか?」
「そうじゃよ♪ずっとこうして痛いくらいじゃ〜♪」
「そっか。」
オレも嫌ではないのでそのままでいる。
特に何かをすることもなく。
というかダンスの手伝いが終わったのでセスタの稽古まですることがなくなった。
思っていた以上に早くダンスが終わってしまったからだろう。
暇になってしまった。
どうしよう…することがないな。
そんなこんなでしばらくはこの状態が続きそうだ。
まぁでも…いっか。
ここ最近フィオナに構ってばかりだったからヘレナにも構ってあげないと。
不公平はいけない。
やっぱり皆平等に愛すべきだろう。
というわけでオレはただへレナの頭を撫で続けていた。
「んふ〜♪」
彼女の時折発する可愛らしい声からするに嫌がってはいなさそうだ。
それならもうしばらく撫で続けよう。
できることなら…撫でているだけで終わるように。
これだけで済むように…したい。
というかこれで済んでくれ。
頼んじゃうから、土下座でもするから。
さっきフィオナとエリヴィラに散々絞られてたから…きつい。
そりゃもういろいろと。
肉体的にも、精神的にも。
だが…そんなこと考慮してくれるほど皆は甘くない。
いや、別の意味では甘甘なんだけどね。
そしてそれは、ヘレナにも言えること。
「のう、ユウタ。」
「うん?」
オレの名を呼びヘレナは顔を上げた。
外見は押さない彼女、身長も同じように子供のそれと変わらない。
ゆえに抱き合っているこの状態で顔を上げれば上目遣いになるのは当然のことだった。
…可愛いんだよなぁ。
お人形みたいで可愛らしい。
頬なんて触るとぷにぷにしてるし。
卵肌っていうんだっけな、こういうの。
「その…のう。わし…ダンスを頑張っておったじゃろう?」
どことなく不安そうな声。
不安というよりかは…甘えるという感じかもしれない。
普段の凛々しくフィオナの親衛隊隊長を務める彼女の姿からは程遠い。
ダンスを必死に頑張る姿とは似つかない。
甘えん坊で子供のような姿。
「ああ、すごい頑張ってたぞ。」
「じゃ、じゃろう?じゃから…その…のう?」
…これは。
ヘレナの言いたいことがわかった気がする。
わかりたくはなかったけど…ここまでされたら気づく。
恥ずかしげに頬を染めた表情で。
潤んだ瞳をオレに向けて。
これは…よく見てきたものだ。
フィオナが、エリヴィラが、セスタが、クレマンティーヌが。
皆がオレを求めるときにしているものだから。
そんな表情を浮かべたヘレナは言った。
ねだるように、オレにすがりつくようにして。
甘えるように、オレに求めるように。
「ご褒美が…欲しいのじゃ♪」
ご褒美。
ヘレナの言うご褒美が外見同様幼い子が好むようなものだとは…思えない。
この表情にこの声。
顔は幼くても浮かべているのは女の顔。
艶のある妖艶な大人の女。
「…ご褒美…。」
さっき撫でてあげたからいいじゃん、とは言えなかった。
妻なんだから。
皆平等に愛するって決めてるんだから。
…でも、だ。
もうしばらくは休みたい。
インキュバスとなってから体力の回復も幾分か早くなっている。
人間だったころと比べるとそりゃもうすごいくらいに。
でも…もう少し休ませて欲しい。
ということで、少しばかりの時間稼ぎをさせてもらおう。
「仕方ないな…ほら。」
そう言ってオレは学生服のポケットからあるものを取り出した。
「…それは?」
透明な袋の中に入っている球体。
透き通るような赤色であり大きさは一口サイズ。
それはオレのいた世界にも似たものがあった。
というか、これはオレのいた世界のものを真似て作ったものだ。
「飴玉。」
またはキャンディとも言う。
こっちの世界にも飴というのはある。
職人だってこの魔界の街にいた。
その職人とちょっと話をして、頼んでみた。
オレのいた世界のものと似たものを作れるか。
勿論オレもできる限りの知識提供をして。
この世界に来てからこんな事をよくしている。
クレマンティーヌとの政治に関わることに対する手伝いだけではない。
アラクネという下半身が蜘蛛の女性に服のデザインを考案したり、魔王城の食堂で働く方々に料理メニュー研究の手伝いをするし、同じインキュバス同士男だけの語らいなどなどと様々なことをしていた。
それが災いとしてか一人でいると誰かに連れて行かれたり拉致されたりする…。
基本的にフィオナと一緒にいるのでいつもしているというわけではないけど。
そんな感じで飴職人の方に頼んだものがこの飴玉である。
「…飴かのう。」
「飴だな。」
「…まさか、それがご褒美というつもりじゃなかろうな?」
「そーじゃなくて。」
オレは袋から飴玉を取り出して自分の口に含んだ。
とたんに感じる甘み。
色からもわかるように味はイチゴ。
それを含んでオレはヘレナの頬をそっと手で包んでいった。
「こういうご褒美―んっ。」
そしてそのまま口付けた。
「ふむっ♪」
唇を重ねるだけではない、舌を絡めて口内へと侵入させての激しいキス。
オレは重ねた唇を開き、ヘレナの口へとそれを移す。
唇は重ねたまま。
優しく深く、キスし続けた。
口移し。
自分の口内で噛み砕いたものや液体など飲食物を相手の口に直接移し入れること。
向こうの世界にいた頃のオレじゃ絶対にしなかったことだ。
されかけたことは…あるけど。
師匠によって。
師匠は…ひどかったな…。
あれは機能のことのように思い出せる夏合宿のときだ。
師匠の家に泊めてもらったときの…夕食のこと。
実は師匠もそれなりに料理ができるらしく二人並んで仲良く夕食を作り終え、これから食べようとしたそのときだ。
向かい合うように座っているオレと師匠。
師匠の顔にはいつものように満面の笑み。
しかしそれがいつも以上に嬉しそうだったのが不思議だったけど…。
「んふふ〜♪それじゃあ夕食にしようか、ユウタ♪」
「はい、師匠。それじゃあいただきま―あれ?」
「うん?どうしたの?」
「いや師匠…これ。」
テーブルを拭いて、料理を並べて。
それがオレの役だった。
他人の家で食事の準備としてできることといえばこれぐらいだろう。
食器の位置がわかったとして、材料の場所がわかったとして。
まだ一つわからないといけないものがある。
「…箸は…どうしたんですか?」
日本人なら誰でも使えるだろう、食事をするときに使う二本一対になった棒状のもの。
それが用意されてなかった。
箸がどこにしまってあるのか教えられてない。
というか、師匠が用意してくれるはずだけど…。
それに気づいた師匠は言った。
どことなく、わざとらしく大げさに。
「んん?おっと、これは大変だね♪箸がないと食事ができないや♪」
「師匠、どことなく嬉しそうですね。」
満面の笑みが輝いている。
普段以上に眩しかったな、あのときの師匠。
そして、その後が問題だった。
師匠の発言が問題だった。
「これはもう口移ししかないね♪」
…は?
……はい?
この女性はなんと言った?
何を移す?
夕食を。
何で移す?
口、で?
口…移し?
「いやいやいやいやいや師匠!?」
何言ってるんだこの女性は!?
輝かしい笑顔で何言い出すんだ!?
「おかしいでしょ!?口移しはないでしょ!?」
「むぅ、ユウタは口移しは嫌なの?」
「嫌以前の問題ですよ!?」
二人きりだから良かった。
他の人に聞かれたら誤解しか招かない発言だ!
「食べるときは口に入るでしょ?」
「そりゃ入りますけど…。」
「そのまま移せばいいだけでしょ?」
「その発想がおかしいっ!?」
どうして口移しにいくのかなぁ?
この女性の頭の中はどうなってるのかなぁ!?
「それじゃあ何?ユウタは手で食べるとでも言うの?」
「手以前にスプーンとフォークとかいう選択肢は!?」
おかしい!
いろんなところが間違ってる!
口か手しかないってどういうことですか!?
そんな風に激昂するオレに対して師匠は仕方ないと呟き、それを出した。
テーブルの下に隠していたようにそれを。
灰色で二本、棒状のもの。
…箸だ。
「箸あるじゃないですか!?」
「そりゃね一応はあるよ。」
なぜか残念そうに言った師匠。
渋々というか…嫌々というかそんな感じで。
何だこの人は。
何で今まで隠していたんだ…。
そんなことを思っていると師匠が顔を上げた。
「あ♪」
「…?」
素晴らしい笑みで。
先ほどよりも輝かしい笑みで。
オレを見て、嬉しそうに笑っていた。
「そういえば自分の家、これしか箸がないんだよね♪」
「…え?」
言われてみれば。
師匠は一人暮らしである。
他に住んでいる者なんていない。
時折オレが来るくらいである。
箸なんて一人、師匠の分があれば十分。
それなら師匠が箸を一人分しか持っていないのも頷ける。
…しまった。
そこらへんを考慮すべきだった。
「あ、でも!割り箸は持ってないんですか?」
「ないよそんなもの。」
めちゃくちゃ平淡な声で返された。
師匠の顔が一気に真顔になった。
興味がないというように。
論外だとでも言わんばかりに。
…この反応、あるな。
割り箸どっかに持ってるな…。
それを隠してるな…師匠。
「ふふふ〜♪それじゃあこの箸を使って夕食としようか♪あ、勿論割り箸なんてものはないからね?」
「いやいや、師匠?」
「ほらユウタ、あ〜んして…♪」
「いやいやいや師匠!?」
それでなんで食べさせることになるんですかね!?
ほんとにもうこの女性は発想がオレの予想を超えてる!
それが師匠との思い出だ。
…まぁ、この後のことを話すとなると…その、いただきました。
師匠の使う箸で、夕食を師匠の手によって食べさせられました。
あれは恥ずかしかった…。
死ぬような思いを何度もしてきてるけど…あれは別の意味で死ぬかと思った。
穴があったら入りたかった…。
何とか口移しは避けられたけど。
隙あらば襲い掛かってくるつもりだったんじゃないかと思う。
お風呂に入ってたときに侵入してくるし。
なぜか寝床を一緒にさせられるし。
きつかった。
よく襲わなかったな、師匠。
よく襲われなかったな、オレ。
そしてこの世界に来て。
皆と結婚して、その後実は口移しされまくりだったりする。
特にフィオナ、エリヴィラ、クレマンティーヌによって。
フィオナは朝昼夜関係なくしてくるし。
エリヴィラは作ってきたお菓子を食べさせてくれるときにするし。
クレマンティーヌは…。
……あれはもう口移しじゃないな。
移す気がないというか。
襲い掛かってくるというか…。
そんな風に考えて、思い出す。
それは二人で食事をしていたときのこと。
食事といってもちょっとしたお茶の時間。
オレとクレマンティーヌはメイド(クレマンティーヌに使えている何十人ものうちの一人らしい)に用意してもらったものを食していたときのこと。
紅茶とケーキ。
クレマンティーヌはチーズケーキ。
オレはチョコレートケーキ。
…何で種類が違うのだろうか?
そう疑問に思っていたが…それはクレマンティーヌの思惑だったということをすぐに知ることになる。
「ユウタ。」
「うん?何?」
ケーキの3分の1を食べたところ。
クレマンティーヌに名を呼ばれて動かしていた手を止めた。
親指で唇を拭ってクリームがついていないか確かめて。
もしクリームがついてたりしたら恥ずかしいし、それに失礼だ。
「ふふ、クリームがついているよ。」
「…え?マジ?」
クリームがついてるって…なんてこった。
この歳で子供みたいな失態をするとは…恥ずかしい。
先ほど親指で拭った唇にはついていなかったから…頬にでもついているのだろうか。
「子供っぽいところもあるのだね、どれ、私が拭いてあげよう。」
「いいよ、平気だって。」
子供のような失態をしてしまったことによる恥ずかしさから、誰かからクリームを拭かれる恥ずかしさからオレは身を引こうとする。
…のだが。
がっしりと手を掴まれた。
両手を。
頬を拭おうとしていた手まで、だ。
「厚意は無碍にするものじゃない。そういう時は相手の厚意を尊重して受けるべきだよ。」
「…そう?」
「そうさ。」
「それじゃあ…頼む。」
その言葉にオレは甘えることにした。
クレマンティーヌの厚意を受け取ることにした。
したのだが…。
それは間違いだったと気づくのはすぐだった。
「よし…♪」
気のせいか嬉しそうに返事をしたクレマンティーヌ。
浮かべた表情は楽しげで、嬉しげで、それでいてどことなく妖艶なもの。
クレマンティーヌはオレよりもずっと年上なのだからそう思うのも自然だと思って特に気にはしなかった。
そのままオレの頬を両手で包んだ。
動かないように。
固定、された。
そうして、彼女はオレの顔に顔を寄せてきた。
拭うと言っておいて、顔を寄せてきた。
それなら既に頬に添えられている手は何だというところなのだが。
あれ?これは…?
もしかしたらあれだろうか?
口で拭うとかそういうやつなのか?
オレだってそういうことならその…少しはしたことがある。
フィオナに、共に食事をしていたときのこと。
頬に食べかすがついていたのでオレの口でとった。
まるで、キスするように。
フィオナがしてくれって言うんだから、しかたなく。
それでその後なぜだか押し倒されて行為へと及んだりしたのだが…。
つまりクレマンティーヌがしようとしていることはそういうことか。
そう思っていたのだがその予想は外れる。
唇に触れた感触によって。
「ちゅ♪」
「んっ!?」
唇、である。
別の言い方をすれば…キスである。
クリームが頬についているのなら頬に唇を触れさせるだろう。
それがなぜか唇。
クリームがついてるわけがないのに。
親指で拭って確認したのに。
それをわかっているのかそれともわざとしているのかクレマンティーヌは唇を離そうとしない。
それどころか、なぜか唇の隙間から彼女の舌と思わしきものが侵入してきた。
静かに、それでも大胆に。
優しく、それでいて深く。
チョコレートとはまた違う甘さが口内へと広がった。
「んんんんんっ!?」
「んん、れろ、はむっん…んん、ちゅ♪」
クレマンティーヌはオレを離す気がないのだろう、しっかりと手に力を込める。
痛みを感じるものではない。
しかし、逃げられるものでもない。
固定であって束縛。
そして吸血鬼は自分の思うがままに啜る。
牙を立てずに、血を飲まずに。
深く、やらしく、ねちっこく。
厚意に隠れた本能がオレを貪りつくす。
長く長いキスをして、ようやくクレマンティーヌは唇を離した。
「ふぅ、やっととれた♪」
何が?
思わずそう聞きたかったのだが口が上手く動かない。
息を吸うので精一杯だ。
あまりにも長いキスに酸欠になりかけた。
体を襲う脱力感。
力の入らない代わりに巡るのは厚意に隠れた欲望にもたらされた快楽の余韻。
「ク、クレマン、ティーヌ…?」
ようやく息も整ってきて話すこともできるように回復したところで。
オレは椅子の背もたれにかかった体を起こして彼女を見た。
「うん?どうしたんだい?」
「…さっきの、何?」
「私の厚意だが?」
「…一応、聞いておきたいんだけど…クリーム、どこについてたのを拭った?」
重い手を動かして自分の頬を触ってみる。
手のひらに感じるのはいつもどおり自分の肌の感触。
クリームなんてついてるようには感じられない。
しかしクレマンティーヌは笑った。
オレに質問がおかしいとでも言うように。
「しっかりとついていたじゃないか。」
「…どこに?」
「舌に♪」
「それはもうついてるって言えないと思うんだけど!?」
そもそも口の中に入っている時点で拭う必要さえもないだろうに!
わざわざ舌で拭うって!
ただキスするための口実じゃねーか!
「嫌だったかい?」
「そりゃその……。」
そう聞かれると答えにくいものがある。
嫌だとはいえない。
というか、嫌なわけない。
「嫌じゃ、ないけど…。」
「そうかい、それは良かったよ♪」
そう言ってクレマンティーヌは微笑んだ。
…反則だと思う。
その笑みも、その質問も。
全部オレが拒めないものだから。
流石生きてる時間が違うというか、経験の差というか。
クレマンティーヌのペースに乗せられやすいというか…。
そんなことを考えているとクレマンティーヌの視線に気づいた。
…どうしたのだろう。
血のように赤い瞳がオレを映し出す。
ぺろりと舌で唇を舐めて。
「…どうしたのさ?」
「いや、ユウタの食べているケーキも中々美味だと思ってね。」
「食べてないじゃん。」
ん?あ、いや。
そうか。クレマンティーヌが言ってることはそういうことか。
おそらく先ほどの口付けのときにチョコレートの風味でも伝わってきたというところだろう。
「私もそっちにすればよかったかな?」
「そう?そっちのチーズケーキもおいしそうだと思うけど?」
「そうかい?それなら食べてみるかい?」
「…それじゃあ…少し貰おうか―」
はっと、気づいた。
途中まで言って、そこでやっと気づいた。
どうしてケーキの種類が違うかに。
クレマンティーヌの浮かべている表情が先ほどの表情に戻っていることに。
楽しげで、嬉しげで、妖艶な笑みに。
「―そうかい♪それではたっぷり味わってくれよ、ユウタ♪」
…あれは。
あれはあれできつかった。
結局ケーキ全部が口移しになるし…。
ケーキの種類が違っていたのは最初からそれを狙っていたことだったらしいし。
さらには「あまりにも甘いものが続きすぎて口直しが欲しくなるね。どれ、紅茶でもどうだい?」なんて言葉と共に紅茶も口でだったし…。
恥ずかしかった。
周りに誰もいなくて良かった。
恥じらいをものともせずに求めて来るんだよなぁ、クレマンティーヌ。
フィオナもエリヴィラもヘレナだってセスタだって。
皆恥じらいをあまり持たずにオレを求めてくるけど…クレマンティーヌはまた違う。
一線超えてる。
人目なんか気にしない。
誰にどう見られようと構わない。
気持ちのいいくらいにサッパリしていているのにオレを求めるときはべったりしてる。
一番年上なのに。
一番大人なのに…。
ヘレナよりもずっと上なのに…。
「んんっ。」
「ん、はぁ、んちゅ♪」
そんなことをヘレナに口移ししながら思い出していた。
おっといけないな。
女性とキスしているときに他の女性を想うもんじゃないな。
それはあまりにも失礼。
なのでこれ以上思い出すのもやめようか。
そう思ってオレはヘレナとキスを続ける。
小さくてその可愛らしい唇にオレの唇を重ね続ける。
ヘレナはオレに合わせるように、というよりもオレを求めるように顔を上げて唇を啄ばんだ。
身長に差があるのでオレがいくらか身を屈めてそれに応じる。
小さい舌がオレの舌を舐めあげた。
オレも応えるように絡ませる。
甘い。
先ほど口移しした飴玉の味だろうか。
イチゴのような甘さとはまた違う甘みが口の中に広がってくる。
ずっと啜っていたくなるような、ずっと味わいたくなるような。
蕩けるような甘さ。
思考も理性も何もかも溶かしていきそうな味。
ただ…少しばかり引っかかる。
この甘さを…オレは知っているような。
そんな気がする。
でもまぁいいか。
このままキスに浸っているのもまたいいだろう。
だが、ヘレナの口内には飴玉が入っている。
小さい体の彼女のことだ、このままキスし続けるのは苦しくなってしまうんじゃないか。
そう思ってオレはそっと唇を離した。
「ふぁ…。」
そんな気の抜けたような、はたまた熱に浮かされたような声を漏らすヘレナ。
だらしなく開いた口からは一筋どちらのものかわからない唾液が垂れる。
頬は赤く染まり、メジリが下がったその表情。
快楽に酔った女の表情そのものだった。
「もっと…。」
その言葉にオレはもう一度キスしたい欲求に駆られた。
その幼い顔をさらに蕩けさせたいという欲望が湧き出した。
もっと激しく貪ってヘレナを快楽に狂わせたいと、そう思う。
でも。
オレはヘレナの額にキスをした。
そのまま彼女の頭を撫でる。
優しく、子供をあやすように。
小さいその体を抱きしめて。
「その飴が食べ終わったらな。」
そう言った。
これ以上したいという思いもあるわけだが…それでもする以上は相手にも良くなってもらいたい。
相手が苦しむようなことはしたくない。
飴玉が口内に入っているヘレナでは幾分か苦しいものがあるだろう。
口内に小さいとはいえ飴玉が入っているんだ、呼吸が普段よりし辛いことだろう。
だから、待つ。
疲れた後には甘いものがいいって言うし。
それに…オレももう少し休憩したいし。
「んん…仕方ないのう。」
「あ、その飴玉できれば噛まずに舐めてくれ。」
「ん?何でじゃ?」
「それは―
―舐めてからのお楽しみ。」
オレの世界であった、オレが好きだった飴によく似せたものだから。
思わず幼い頃を思い出すようなそんなものだから。
誰も思いつかずにオレ自身も驚いて舐めていた飴玉。
ふとあの頃を思い出して考えてみた飴玉。
そんなものでヘレナを驚かせたい。
幼く無邪気で頑張り屋なヘレナがどう驚くのか見てみたい。
だからオレは待つまでだ。
ヘレナが飴を舐め終わるまで。
その飴の驚くべきところに到達するまで。
ヘレナを抱きしめ、頭を撫でて待つ。
しかし、オレは気づいてなかった。
いや、気づくべきだったんだ。
この飴玉にオレも知らない仕掛けを施されているのを…。
先ほど引っかかった甘さ、あれの正体に…。
その結果、フィオナとエリヴィラを二人相手にしたときぐらいに大変な思いをすることを…。
入れる人数は百なんて楽に越えるくらいの広さ。
床も壁も天井もこれといった装飾のない無機質な部屋。
窓も数個しかついておらず外からは何をやっているのかわからないようにしている。
まるで隠れやすいように。
隠し事をしやすいように。
そんな空間でそんな部屋の一番前。
そこにはこの空間にいるものの注目を集めるために作られたような舞台があった。
この空間の後ろまで見渡せるようなもので。
この空間で一番目立てる場所にあった。
そして、そこの上。
この空間に比べればそりゃ狭いが…でもそれなりには広い舞台の上。
そこにオレは立っていた。
フィオナとエリヴィラ二人による求愛を何とか昼までに応え切ったオレがいた。
「はいっ、ワンツー、スリーフォー、ファイブシックス、セブンエイトっ!」
リズムを取るように手を叩いて。
それにあわせて声を出して。
まるで何かを教える先生のような姿。
それは、あながち間違っちゃいない表現かもしれない。
なぜならオレは先生のように教えているから。
ただし、それは―
「はい、そこでターン!下見るなよー!」
―ダンス。
踊って舞ってのダンシングである。
こんな世界にもダンスという概念はあるのだと感心させられた。
あっても舞とか舞踊、ダンスとはまた違ったものだと思ってた。
しかし意外とあるもんなんだな。
回ったり、ステップ踏んだり。
オレのいた世界に似ているダンス。
別々の世界といえ行き着く先は同じなのかもしれない。
魔法なんてものがあり、魔物なんてものがいても考えは似たものなのかもしれない。
そして、そのダンスを考案したのが舞台の下で踊る集団の中にいる女の子。
外見はオレよりもずっと年というくらいの姿…なのだが。
頭から角を生やした茶髪の女の子。
ヤギみたいな角である。
さらに言うと着ている服がおかしい。
ただの布を纏っているといっても過言じゃないだろう。
あまりにも露出の多い姿である。
手足にいたってはモフモフしている毛に覆われているし。
さらにその手に握っているのは鎌。
人が振り回すにも大きすぎて危険な大きさのものを軽々とまわしているのである。
そんな女の子がこのダンスの発案者で考案者。
バフォメットのヘレナ・ファーガスである。
別の言い方をすれば…なんというか…言いにくいのだが…。
オレの妻である。
フィオナ、エリヴィラと続いての、三人目の妻である。
そんな愛おしい妻が踊っている。
『ダンシング・サバト』
ヘレナいわくここ最近へレナが先導している『サバト』の入信者が減っているそうだ。
だからこれで入信者をこれ以上減らさないために、また更なる入信者を誘惑…じゃなくて勧誘するんだそうだ。
小さく幼く可愛らしい、サバトの魅力を見せ付けるそうだ。
彼女の後ろで共に踊ってくれる魔女達と共に。
魔女。
これがまたとんでもない姿。
別にヘレナ同様に露出の多い姿をしてるというわけではない。
いや、似ているところもある。
…その、幼い姿だ。
ヘレナと同じで子供の姿。
それがこの場で踊っている。
大勢で、お尻を振ったりしている。
ヘレナに合わせて、ヘレナと同じように。
この光景オレは舞台上から見ているのだが…。
いやぁ…なんといいますか…。
背徳的な光景だ。
悪いことはしていないのになぜか罪悪感を感るんだけど…。
そもそもサバトというのは幼き少女の魅力と背徳の素晴らしさを世の中に広める宗教らしい。
…危険だ。
それしか言い様がない…。
それでもそのサバトを全ているヘレナがオレの妻であるがゆえにオレはこうして駆り出されている。
愛する妻が困っているなら助けるのが夫の役目。
オレも向こうの世界にいたときにはダンスを少しばかり経験していたからそれなりには手伝えるし。
少しばかりの経験…といっても見ていただけだけど。
ついでに言うと双子の姉に嫌々付き合わされてしてたものだけど。
「はーい!そこまでー!」
オレは手を大きく叩いて皆に示す。
終わりの合図。
今日はもうこれくらいやれば十分だろうと思って手を叩いた。
皆の動きもだいぶ良くなってるし。
それにこれ以上すれば怪我に繋がりかねない。
「ユウタっ!どうじゃった?どうじゃった!?わしらのダンスは!?」
終わりの合図と共に駆け寄ってきたヘレナ。
それなりの高さのある舞台を軽々と飛んで、オレの足元へと来る。
目をきらきら輝かせて。
期待に満ち溢れた瞳をして。
手にはギラつく刃をした鎌を持ったままに。
危ないな…。
でもそれだけ自分達の踊っているダンスが気になるのだろう。
「良かったぞ。前と比べるとすごく上手くなってるし。」
「本当かのう!?」
「本当だって。」
そう言ってオレはヘレナの頭を撫でた。
角が生えているので少々撫でにくいところもあるので後ろのほうを撫でる。
フィオナにしているような撫で方で。
「ふにゃ…♪」
ヘレナの顔が蕩けた。
蕩けたというか…気持ちよさそうな笑みを浮かべた。
可愛い。
不覚にもそう思ってしまう。
フィオナとは違った可愛さ。
エリヴィラとはまた違う可憐さ。
なんというか…年下特有の愛らしさというか…。
幼子独特の魅力というか…。
…危ない気持ちにさせられる。
そんな風に思いながらもオレはヘレナを撫でていた…のだが。
「ユウタ様!ヘレナ様ばかりずるいですっ!」
「私も頑張りましたよ!!」
「私のダンスはどうでしたか!?」
「ユウタ様〜!」
「…おっと。」
いけない。
他の魔女娘達もが騒ぎ出した。
おそらくオレがヘレナの頭を撫でていたことに対して、だろう。
外見どおり、子供のような反応。
これでもオレより年上の娘が混じっているのだから驚きだ。
さらに言うと。
ヘレナはオレよりもずっと年上らしい。
フィオナ、エリヴィラ、セスタの三人よりもずっと上。
ちなみにそれ以上がクレ―っといけない。
これは言っちゃいけないな。
女性に対しての歳の話はすべきじゃない。
「まったく、皆して仕方ないな。」
駆け寄ってくる魔女達に対して苦笑しつつ舞台から降りて頭を撫で回し始めた。
そうやって皆の頭を撫で回し終えて。
ただいまオレはヘレナの部屋にいた。
彼女をぬいぐるみのように大切そうに両手で抱きしめて。
というか、彼女がオレを抱きしめて離さないので仕方なく。
そうしてベッドの端に座っていた。
「んふふ〜♪ユウタの抱き心地は本当に良いの〜♪」
「そうか?」
「そうじゃよ♪ずっとこうして痛いくらいじゃ〜♪」
「そっか。」
オレも嫌ではないのでそのままでいる。
特に何かをすることもなく。
というかダンスの手伝いが終わったのでセスタの稽古まですることがなくなった。
思っていた以上に早くダンスが終わってしまったからだろう。
暇になってしまった。
どうしよう…することがないな。
そんなこんなでしばらくはこの状態が続きそうだ。
まぁでも…いっか。
ここ最近フィオナに構ってばかりだったからヘレナにも構ってあげないと。
不公平はいけない。
やっぱり皆平等に愛すべきだろう。
というわけでオレはただへレナの頭を撫で続けていた。
「んふ〜♪」
彼女の時折発する可愛らしい声からするに嫌がってはいなさそうだ。
それならもうしばらく撫で続けよう。
できることなら…撫でているだけで終わるように。
これだけで済むように…したい。
というかこれで済んでくれ。
頼んじゃうから、土下座でもするから。
さっきフィオナとエリヴィラに散々絞られてたから…きつい。
そりゃもういろいろと。
肉体的にも、精神的にも。
だが…そんなこと考慮してくれるほど皆は甘くない。
いや、別の意味では甘甘なんだけどね。
そしてそれは、ヘレナにも言えること。
「のう、ユウタ。」
「うん?」
オレの名を呼びヘレナは顔を上げた。
外見は押さない彼女、身長も同じように子供のそれと変わらない。
ゆえに抱き合っているこの状態で顔を上げれば上目遣いになるのは当然のことだった。
…可愛いんだよなぁ。
お人形みたいで可愛らしい。
頬なんて触るとぷにぷにしてるし。
卵肌っていうんだっけな、こういうの。
「その…のう。わし…ダンスを頑張っておったじゃろう?」
どことなく不安そうな声。
不安というよりかは…甘えるという感じかもしれない。
普段の凛々しくフィオナの親衛隊隊長を務める彼女の姿からは程遠い。
ダンスを必死に頑張る姿とは似つかない。
甘えん坊で子供のような姿。
「ああ、すごい頑張ってたぞ。」
「じゃ、じゃろう?じゃから…その…のう?」
…これは。
ヘレナの言いたいことがわかった気がする。
わかりたくはなかったけど…ここまでされたら気づく。
恥ずかしげに頬を染めた表情で。
潤んだ瞳をオレに向けて。
これは…よく見てきたものだ。
フィオナが、エリヴィラが、セスタが、クレマンティーヌが。
皆がオレを求めるときにしているものだから。
そんな表情を浮かべたヘレナは言った。
ねだるように、オレにすがりつくようにして。
甘えるように、オレに求めるように。
「ご褒美が…欲しいのじゃ♪」
ご褒美。
ヘレナの言うご褒美が外見同様幼い子が好むようなものだとは…思えない。
この表情にこの声。
顔は幼くても浮かべているのは女の顔。
艶のある妖艶な大人の女。
「…ご褒美…。」
さっき撫でてあげたからいいじゃん、とは言えなかった。
妻なんだから。
皆平等に愛するって決めてるんだから。
…でも、だ。
もうしばらくは休みたい。
インキュバスとなってから体力の回復も幾分か早くなっている。
人間だったころと比べるとそりゃもうすごいくらいに。
でも…もう少し休ませて欲しい。
ということで、少しばかりの時間稼ぎをさせてもらおう。
「仕方ないな…ほら。」
そう言ってオレは学生服のポケットからあるものを取り出した。
「…それは?」
透明な袋の中に入っている球体。
透き通るような赤色であり大きさは一口サイズ。
それはオレのいた世界にも似たものがあった。
というか、これはオレのいた世界のものを真似て作ったものだ。
「飴玉。」
またはキャンディとも言う。
こっちの世界にも飴というのはある。
職人だってこの魔界の街にいた。
その職人とちょっと話をして、頼んでみた。
オレのいた世界のものと似たものを作れるか。
勿論オレもできる限りの知識提供をして。
この世界に来てからこんな事をよくしている。
クレマンティーヌとの政治に関わることに対する手伝いだけではない。
アラクネという下半身が蜘蛛の女性に服のデザインを考案したり、魔王城の食堂で働く方々に料理メニュー研究の手伝いをするし、同じインキュバス同士男だけの語らいなどなどと様々なことをしていた。
それが災いとしてか一人でいると誰かに連れて行かれたり拉致されたりする…。
基本的にフィオナと一緒にいるのでいつもしているというわけではないけど。
そんな感じで飴職人の方に頼んだものがこの飴玉である。
「…飴かのう。」
「飴だな。」
「…まさか、それがご褒美というつもりじゃなかろうな?」
「そーじゃなくて。」
オレは袋から飴玉を取り出して自分の口に含んだ。
とたんに感じる甘み。
色からもわかるように味はイチゴ。
それを含んでオレはヘレナの頬をそっと手で包んでいった。
「こういうご褒美―んっ。」
そしてそのまま口付けた。
「ふむっ♪」
唇を重ねるだけではない、舌を絡めて口内へと侵入させての激しいキス。
オレは重ねた唇を開き、ヘレナの口へとそれを移す。
唇は重ねたまま。
優しく深く、キスし続けた。
口移し。
自分の口内で噛み砕いたものや液体など飲食物を相手の口に直接移し入れること。
向こうの世界にいた頃のオレじゃ絶対にしなかったことだ。
されかけたことは…あるけど。
師匠によって。
師匠は…ひどかったな…。
あれは機能のことのように思い出せる夏合宿のときだ。
師匠の家に泊めてもらったときの…夕食のこと。
実は師匠もそれなりに料理ができるらしく二人並んで仲良く夕食を作り終え、これから食べようとしたそのときだ。
向かい合うように座っているオレと師匠。
師匠の顔にはいつものように満面の笑み。
しかしそれがいつも以上に嬉しそうだったのが不思議だったけど…。
「んふふ〜♪それじゃあ夕食にしようか、ユウタ♪」
「はい、師匠。それじゃあいただきま―あれ?」
「うん?どうしたの?」
「いや師匠…これ。」
テーブルを拭いて、料理を並べて。
それがオレの役だった。
他人の家で食事の準備としてできることといえばこれぐらいだろう。
食器の位置がわかったとして、材料の場所がわかったとして。
まだ一つわからないといけないものがある。
「…箸は…どうしたんですか?」
日本人なら誰でも使えるだろう、食事をするときに使う二本一対になった棒状のもの。
それが用意されてなかった。
箸がどこにしまってあるのか教えられてない。
というか、師匠が用意してくれるはずだけど…。
それに気づいた師匠は言った。
どことなく、わざとらしく大げさに。
「んん?おっと、これは大変だね♪箸がないと食事ができないや♪」
「師匠、どことなく嬉しそうですね。」
満面の笑みが輝いている。
普段以上に眩しかったな、あのときの師匠。
そして、その後が問題だった。
師匠の発言が問題だった。
「これはもう口移ししかないね♪」
…は?
……はい?
この女性はなんと言った?
何を移す?
夕食を。
何で移す?
口、で?
口…移し?
「いやいやいやいやいや師匠!?」
何言ってるんだこの女性は!?
輝かしい笑顔で何言い出すんだ!?
「おかしいでしょ!?口移しはないでしょ!?」
「むぅ、ユウタは口移しは嫌なの?」
「嫌以前の問題ですよ!?」
二人きりだから良かった。
他の人に聞かれたら誤解しか招かない発言だ!
「食べるときは口に入るでしょ?」
「そりゃ入りますけど…。」
「そのまま移せばいいだけでしょ?」
「その発想がおかしいっ!?」
どうして口移しにいくのかなぁ?
この女性の頭の中はどうなってるのかなぁ!?
「それじゃあ何?ユウタは手で食べるとでも言うの?」
「手以前にスプーンとフォークとかいう選択肢は!?」
おかしい!
いろんなところが間違ってる!
口か手しかないってどういうことですか!?
そんな風に激昂するオレに対して師匠は仕方ないと呟き、それを出した。
テーブルの下に隠していたようにそれを。
灰色で二本、棒状のもの。
…箸だ。
「箸あるじゃないですか!?」
「そりゃね一応はあるよ。」
なぜか残念そうに言った師匠。
渋々というか…嫌々というかそんな感じで。
何だこの人は。
何で今まで隠していたんだ…。
そんなことを思っていると師匠が顔を上げた。
「あ♪」
「…?」
素晴らしい笑みで。
先ほどよりも輝かしい笑みで。
オレを見て、嬉しそうに笑っていた。
「そういえば自分の家、これしか箸がないんだよね♪」
「…え?」
言われてみれば。
師匠は一人暮らしである。
他に住んでいる者なんていない。
時折オレが来るくらいである。
箸なんて一人、師匠の分があれば十分。
それなら師匠が箸を一人分しか持っていないのも頷ける。
…しまった。
そこらへんを考慮すべきだった。
「あ、でも!割り箸は持ってないんですか?」
「ないよそんなもの。」
めちゃくちゃ平淡な声で返された。
師匠の顔が一気に真顔になった。
興味がないというように。
論外だとでも言わんばかりに。
…この反応、あるな。
割り箸どっかに持ってるな…。
それを隠してるな…師匠。
「ふふふ〜♪それじゃあこの箸を使って夕食としようか♪あ、勿論割り箸なんてものはないからね?」
「いやいや、師匠?」
「ほらユウタ、あ〜んして…♪」
「いやいやいや師匠!?」
それでなんで食べさせることになるんですかね!?
ほんとにもうこの女性は発想がオレの予想を超えてる!
それが師匠との思い出だ。
…まぁ、この後のことを話すとなると…その、いただきました。
師匠の使う箸で、夕食を師匠の手によって食べさせられました。
あれは恥ずかしかった…。
死ぬような思いを何度もしてきてるけど…あれは別の意味で死ぬかと思った。
穴があったら入りたかった…。
何とか口移しは避けられたけど。
隙あらば襲い掛かってくるつもりだったんじゃないかと思う。
お風呂に入ってたときに侵入してくるし。
なぜか寝床を一緒にさせられるし。
きつかった。
よく襲わなかったな、師匠。
よく襲われなかったな、オレ。
そしてこの世界に来て。
皆と結婚して、その後実は口移しされまくりだったりする。
特にフィオナ、エリヴィラ、クレマンティーヌによって。
フィオナは朝昼夜関係なくしてくるし。
エリヴィラは作ってきたお菓子を食べさせてくれるときにするし。
クレマンティーヌは…。
……あれはもう口移しじゃないな。
移す気がないというか。
襲い掛かってくるというか…。
そんな風に考えて、思い出す。
それは二人で食事をしていたときのこと。
食事といってもちょっとしたお茶の時間。
オレとクレマンティーヌはメイド(クレマンティーヌに使えている何十人ものうちの一人らしい)に用意してもらったものを食していたときのこと。
紅茶とケーキ。
クレマンティーヌはチーズケーキ。
オレはチョコレートケーキ。
…何で種類が違うのだろうか?
そう疑問に思っていたが…それはクレマンティーヌの思惑だったということをすぐに知ることになる。
「ユウタ。」
「うん?何?」
ケーキの3分の1を食べたところ。
クレマンティーヌに名を呼ばれて動かしていた手を止めた。
親指で唇を拭ってクリームがついていないか確かめて。
もしクリームがついてたりしたら恥ずかしいし、それに失礼だ。
「ふふ、クリームがついているよ。」
「…え?マジ?」
クリームがついてるって…なんてこった。
この歳で子供みたいな失態をするとは…恥ずかしい。
先ほど親指で拭った唇にはついていなかったから…頬にでもついているのだろうか。
「子供っぽいところもあるのだね、どれ、私が拭いてあげよう。」
「いいよ、平気だって。」
子供のような失態をしてしまったことによる恥ずかしさから、誰かからクリームを拭かれる恥ずかしさからオレは身を引こうとする。
…のだが。
がっしりと手を掴まれた。
両手を。
頬を拭おうとしていた手まで、だ。
「厚意は無碍にするものじゃない。そういう時は相手の厚意を尊重して受けるべきだよ。」
「…そう?」
「そうさ。」
「それじゃあ…頼む。」
その言葉にオレは甘えることにした。
クレマンティーヌの厚意を受け取ることにした。
したのだが…。
それは間違いだったと気づくのはすぐだった。
「よし…♪」
気のせいか嬉しそうに返事をしたクレマンティーヌ。
浮かべた表情は楽しげで、嬉しげで、それでいてどことなく妖艶なもの。
クレマンティーヌはオレよりもずっと年上なのだからそう思うのも自然だと思って特に気にはしなかった。
そのままオレの頬を両手で包んだ。
動かないように。
固定、された。
そうして、彼女はオレの顔に顔を寄せてきた。
拭うと言っておいて、顔を寄せてきた。
それなら既に頬に添えられている手は何だというところなのだが。
あれ?これは…?
もしかしたらあれだろうか?
口で拭うとかそういうやつなのか?
オレだってそういうことならその…少しはしたことがある。
フィオナに、共に食事をしていたときのこと。
頬に食べかすがついていたのでオレの口でとった。
まるで、キスするように。
フィオナがしてくれって言うんだから、しかたなく。
それでその後なぜだか押し倒されて行為へと及んだりしたのだが…。
つまりクレマンティーヌがしようとしていることはそういうことか。
そう思っていたのだがその予想は外れる。
唇に触れた感触によって。
「ちゅ♪」
「んっ!?」
唇、である。
別の言い方をすれば…キスである。
クリームが頬についているのなら頬に唇を触れさせるだろう。
それがなぜか唇。
クリームがついてるわけがないのに。
親指で拭って確認したのに。
それをわかっているのかそれともわざとしているのかクレマンティーヌは唇を離そうとしない。
それどころか、なぜか唇の隙間から彼女の舌と思わしきものが侵入してきた。
静かに、それでも大胆に。
優しく、それでいて深く。
チョコレートとはまた違う甘さが口内へと広がった。
「んんんんんっ!?」
「んん、れろ、はむっん…んん、ちゅ♪」
クレマンティーヌはオレを離す気がないのだろう、しっかりと手に力を込める。
痛みを感じるものではない。
しかし、逃げられるものでもない。
固定であって束縛。
そして吸血鬼は自分の思うがままに啜る。
牙を立てずに、血を飲まずに。
深く、やらしく、ねちっこく。
厚意に隠れた本能がオレを貪りつくす。
長く長いキスをして、ようやくクレマンティーヌは唇を離した。
「ふぅ、やっととれた♪」
何が?
思わずそう聞きたかったのだが口が上手く動かない。
息を吸うので精一杯だ。
あまりにも長いキスに酸欠になりかけた。
体を襲う脱力感。
力の入らない代わりに巡るのは厚意に隠れた欲望にもたらされた快楽の余韻。
「ク、クレマン、ティーヌ…?」
ようやく息も整ってきて話すこともできるように回復したところで。
オレは椅子の背もたれにかかった体を起こして彼女を見た。
「うん?どうしたんだい?」
「…さっきの、何?」
「私の厚意だが?」
「…一応、聞いておきたいんだけど…クリーム、どこについてたのを拭った?」
重い手を動かして自分の頬を触ってみる。
手のひらに感じるのはいつもどおり自分の肌の感触。
クリームなんてついてるようには感じられない。
しかしクレマンティーヌは笑った。
オレに質問がおかしいとでも言うように。
「しっかりとついていたじゃないか。」
「…どこに?」
「舌に♪」
「それはもうついてるって言えないと思うんだけど!?」
そもそも口の中に入っている時点で拭う必要さえもないだろうに!
わざわざ舌で拭うって!
ただキスするための口実じゃねーか!
「嫌だったかい?」
「そりゃその……。」
そう聞かれると答えにくいものがある。
嫌だとはいえない。
というか、嫌なわけない。
「嫌じゃ、ないけど…。」
「そうかい、それは良かったよ♪」
そう言ってクレマンティーヌは微笑んだ。
…反則だと思う。
その笑みも、その質問も。
全部オレが拒めないものだから。
流石生きてる時間が違うというか、経験の差というか。
クレマンティーヌのペースに乗せられやすいというか…。
そんなことを考えているとクレマンティーヌの視線に気づいた。
…どうしたのだろう。
血のように赤い瞳がオレを映し出す。
ぺろりと舌で唇を舐めて。
「…どうしたのさ?」
「いや、ユウタの食べているケーキも中々美味だと思ってね。」
「食べてないじゃん。」
ん?あ、いや。
そうか。クレマンティーヌが言ってることはそういうことか。
おそらく先ほどの口付けのときにチョコレートの風味でも伝わってきたというところだろう。
「私もそっちにすればよかったかな?」
「そう?そっちのチーズケーキもおいしそうだと思うけど?」
「そうかい?それなら食べてみるかい?」
「…それじゃあ…少し貰おうか―」
はっと、気づいた。
途中まで言って、そこでやっと気づいた。
どうしてケーキの種類が違うかに。
クレマンティーヌの浮かべている表情が先ほどの表情に戻っていることに。
楽しげで、嬉しげで、妖艶な笑みに。
「―そうかい♪それではたっぷり味わってくれよ、ユウタ♪」
…あれは。
あれはあれできつかった。
結局ケーキ全部が口移しになるし…。
ケーキの種類が違っていたのは最初からそれを狙っていたことだったらしいし。
さらには「あまりにも甘いものが続きすぎて口直しが欲しくなるね。どれ、紅茶でもどうだい?」なんて言葉と共に紅茶も口でだったし…。
恥ずかしかった。
周りに誰もいなくて良かった。
恥じらいをものともせずに求めて来るんだよなぁ、クレマンティーヌ。
フィオナもエリヴィラもヘレナだってセスタだって。
皆恥じらいをあまり持たずにオレを求めてくるけど…クレマンティーヌはまた違う。
一線超えてる。
人目なんか気にしない。
誰にどう見られようと構わない。
気持ちのいいくらいにサッパリしていているのにオレを求めるときはべったりしてる。
一番年上なのに。
一番大人なのに…。
ヘレナよりもずっと上なのに…。
「んんっ。」
「ん、はぁ、んちゅ♪」
そんなことをヘレナに口移ししながら思い出していた。
おっといけないな。
女性とキスしているときに他の女性を想うもんじゃないな。
それはあまりにも失礼。
なのでこれ以上思い出すのもやめようか。
そう思ってオレはヘレナとキスを続ける。
小さくてその可愛らしい唇にオレの唇を重ね続ける。
ヘレナはオレに合わせるように、というよりもオレを求めるように顔を上げて唇を啄ばんだ。
身長に差があるのでオレがいくらか身を屈めてそれに応じる。
小さい舌がオレの舌を舐めあげた。
オレも応えるように絡ませる。
甘い。
先ほど口移しした飴玉の味だろうか。
イチゴのような甘さとはまた違う甘みが口の中に広がってくる。
ずっと啜っていたくなるような、ずっと味わいたくなるような。
蕩けるような甘さ。
思考も理性も何もかも溶かしていきそうな味。
ただ…少しばかり引っかかる。
この甘さを…オレは知っているような。
そんな気がする。
でもまぁいいか。
このままキスに浸っているのもまたいいだろう。
だが、ヘレナの口内には飴玉が入っている。
小さい体の彼女のことだ、このままキスし続けるのは苦しくなってしまうんじゃないか。
そう思ってオレはそっと唇を離した。
「ふぁ…。」
そんな気の抜けたような、はたまた熱に浮かされたような声を漏らすヘレナ。
だらしなく開いた口からは一筋どちらのものかわからない唾液が垂れる。
頬は赤く染まり、メジリが下がったその表情。
快楽に酔った女の表情そのものだった。
「もっと…。」
その言葉にオレはもう一度キスしたい欲求に駆られた。
その幼い顔をさらに蕩けさせたいという欲望が湧き出した。
もっと激しく貪ってヘレナを快楽に狂わせたいと、そう思う。
でも。
オレはヘレナの額にキスをした。
そのまま彼女の頭を撫でる。
優しく、子供をあやすように。
小さいその体を抱きしめて。
「その飴が食べ終わったらな。」
そう言った。
これ以上したいという思いもあるわけだが…それでもする以上は相手にも良くなってもらいたい。
相手が苦しむようなことはしたくない。
飴玉が口内に入っているヘレナでは幾分か苦しいものがあるだろう。
口内に小さいとはいえ飴玉が入っているんだ、呼吸が普段よりし辛いことだろう。
だから、待つ。
疲れた後には甘いものがいいって言うし。
それに…オレももう少し休憩したいし。
「んん…仕方ないのう。」
「あ、その飴玉できれば噛まずに舐めてくれ。」
「ん?何でじゃ?」
「それは―
―舐めてからのお楽しみ。」
オレの世界であった、オレが好きだった飴によく似せたものだから。
思わず幼い頃を思い出すようなそんなものだから。
誰も思いつかずにオレ自身も驚いて舐めていた飴玉。
ふとあの頃を思い出して考えてみた飴玉。
そんなものでヘレナを驚かせたい。
幼く無邪気で頑張り屋なヘレナがどう驚くのか見てみたい。
だからオレは待つまでだ。
ヘレナが飴を舐め終わるまで。
その飴の驚くべきところに到達するまで。
ヘレナを抱きしめ、頭を撫でて待つ。
しかし、オレは気づいてなかった。
いや、気づくべきだったんだ。
この飴玉にオレも知らない仕掛けを施されているのを…。
先ほど引っかかった甘さ、あれの正体に…。
その結果、フィオナとエリヴィラを二人相手にしたときぐらいに大変な思いをすることを…。
11/08/07 21:03更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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