中編
「そんじゃ、この部屋使ってね。」
お風呂からあがり、用意してもらった服に着替えて案内された部屋。
一人部屋にしては少し広い、置いてある家具の数が少ないところ。
中央に一人で寝るには大きなベッドがあり、その横には人が映し出される『てれび』とか言う板がありました。
反対側には鏡台があり、上には化粧道具のようなものがあります。
ここは…誰かの部屋でしょうか?
「ここしか空いてないんだ。ごめんね。」
「あ、いえ。この部屋は誰の部屋なんですか?」
「ここ?ここはオレらの両親の部屋。」
「ユウタ君のお父さんとお母さんの…?」
「そう。夫婦の部屋。」
その言葉を聞いただけで私の中の心臓が強く脈打ちました。
夫婦。
その言葉を聞いただけなのに体が自然と熱くなってきます。
隣のユウタ君を見れば頬をかいてそっぽを向いていました。
さっきのお風呂場でのことがまだ忘れられないのでしょうか、こちらを見ずに頬を掻いています。
耳が少し赤く染まっていました。
まるで恥ずかしがっているようにも見えます。
「それじゃ、おやすみ。」
「え、あ、おやすみなさい。」
ユウタ君はそそくさと部屋を出て、静かにドアを閉めました。
音をたてずに閉まるドア。
ドア越しで聞こえる、離れていってしまうユウタ君の足音。
少しだけ不安になりました。
「…寝ますか。」
誰かに言うわけでもなくただ一人呟きます。
一人の部屋でその言葉はむなしく響かずに消えました。
夫婦の部屋。
もともと二人部屋ですから私のような独り身の女性がいるのは不釣合いですね。
掛け布団をめくり、体を滑り込ませます。
人間の姿のまま。
この状態は普段よりも少し疲れますが今は仕方ありません。
泊めた女性がエキドナだったとわかったらただじゃすまないでしょうし。
ふぅと小さなため息にも似たものを出して瞼を下ろします。
このまま睡魔に身を任せて寝てしまいましょうか。
そう思っていても瞼の裏には映像が浮かびます。
あの踏切でユウタ君が飛び込み、私を助けてくれたこと。
そのまま手を引かれ、この家へ連れてきてもらったこと。
料理をするユウタ君の姿。…あと、ぐうたらするユウタ君のお姉さん。
風呂場で見た、私の服を畳んでくれていたこと。
私の体を見て、顔を真っ赤にしていたこと。
この部屋へ案内してくれたこと。
恥ずかしそうにそっぽを向きながら頬を掻いていたその姿。
…なんでしょうね私は。
目を閉じたらユウタ君のことばかり考えて。
これではまるで…恋をしているかのようじゃないですか…。
…恋、ですか。
…………………別のことを考えましょう。
ここはいったいどこなのか。
こんな国が今までにあったのか。
やはりこれは別の世界と考えるのが妥当でしょうか。
…別…世界ですか。
自分でもそうだとは思えませんが…もしそうだったとしたら。
ユウタ君が、別世界の人間であれば…そこらの猛者や英雄なんかと比べても遜色ありません。
むしろ勇者以上の逸材。王族よりさらに上の血。
そして…ユウタ君が私の旦那様になったら―
『ユウタ君、その今日も…。』
『今日もって…毎日でしょ。』
『すいません…でも…ユウタ君といると…。』
『…仕方ないな。ほら。』
『あぁ♪』
『今日は優しいのがいい?それとも激しいので?』
『ユウタ君のお好きな方で…♪』
『わかった。それじゃ…。』
『あぁん♪』
………………………………ありです!!!
とてもありですね!
ユウタ君は優しそうだし気配りなどもよくできていて私を蔑ろにしないでいてくれそうです。
ユウタ君と、私。
夜。ベッド。二人。恋人。夫婦。子供。子作り。愛。
『YES−YES枕』。
うふ…ふふふ…。
あ、涎が垂れてしまうところでした。
危ない危ない。
って、私は何を考えているのですか!?
そんなっユウタ君と私が…夫婦になるなど…。
ふ、夫婦に…。
「…夫婦、ですか。」
思えば考えたこともありませんでしたね。
私が自分で旦那様を見つけに行くなんてことも。
ずっと一人で旦那様が来るまで待ち続けなければいけなかったはずなのに。
あの難しいダンジョンを越えて来てくれた人と番になるエキドナとして、自身が番になる相手を探しに行くなど前代未聞。
ですが…。
「ユウタ、君…。」
そっと彼の名を呼びました。
それはただ呼んだだけなのに私の胸は締まります。
まるで心臓を握られているように。
でも…嫌な苦しさではありません。
むしろ…心地いい苦しさ。
苦しいのに心地いいなんて変なものなのですけどね。
「ユウタ…君…。」
もう一度彼の名を呼びます。
一人の部屋で、夫婦の部屋で呼ばれる青年の名。
不思議とその名を口にするたびに私の体は熱くなりました。
とても…いい気分ですね。
お酒で酔ったときのほろ酔い気分だとかそんな気分にも似た…いや、それ以上にとても良い気分。
不思議です。
ユウタ君の名前を呼んでいるだけだというのに。
まるで私が…ユウタ君を…。
「私は…ユウタ君が………
……好き。」
その言葉は自然に出てきました。
私がそれを口にするのが当然とでも言わんばかりに。
ごく自然と、発せられました。
「す…き…。」
胸が高鳴ります。
「好き…。」
体が熱くなります。
「私は…ユウタ君が…好き。」
そこで私は確信します。
私は恋をしていると。
ユウタ君に恋してると…。
初めて出会ったというのに私は彼に恋をしたと。
あったかい気持ちが胸の中から湧き上がってきます。
いい…気持ちです。
ただ少しばかり苦しい。
悪い苦しさではなくて…。
もっとユウタ君と一緒にいたいとそう思っています。
もっと、ずっと…一緒に…。
ユウタ君のそばに…。
…それなら……部屋にお邪魔するくらいなら…いいですよね?
そうです!それくらいならいいですよね!?
もう夜といってもまだそんなに遅い時間ではありませんし!
そうと決まれば…。
「…行きましょうか。」
私は期待に胸膨らませて体を起こしました。
ベッドから抜け出て床に足をつけます。
「…っ。」
少しばかり疲れたのでしょうか…足が上手く動きません。
人間の足というのは少々不便ですね。
よくもまあ二本しかない足で体重を支えられるなんて驚きですよ。
人間に変身するのをやめ、いつもの私の姿へとなりました。
薄青い肌に蛇の下半身のエキドナの姿。
やっぱりこちらの姿のほうがしっくりきますね。
そのまま夫婦の部屋を出てユウタ君の部屋へと向かいます。
場所はわかっています。この部屋に案内される前に教えられました。
階段を上ってすぐのドア。
この夫婦の部屋から一番遠いところ。
なにかあったら尋ねていいと言われて教えられました。
ただ…寝起きはかなり機嫌が悪いからそれ相応にあしらってくれとも言われました。
あの部屋に…ユウタ君が寝ているのですか…。
……おっと、危ない…涎が垂れるところでした。
私は音も立てずにそっとこの部屋のドアを開けました。
それがいけなかったのでしょう。
私は考えていませんでした。
この家にいるのは私とユウタ君だけではないということを。
もう一人、居るということに。
「あ。」
「あ…………。」
ユウタ君の双子のお姉さん。
彼女は階段を上って自分の部屋にでも行こうとしていたのでしょう。
ちょうどそこで私がドアを開け、部屋を出てしまいました。
私の目の前にはお姉さん。彼女の目の前には私。
私の目の前には人間の姿。彼女の目の前にはエキドナの姿。
ともに固まる体。
見開かれる目。
…見つかっちゃいました…。
どうしましょう、魔法で記憶をなかったことにしましょうか?
悲鳴を上げられると面倒ですし…とりあえず動きを封じさせてもらいましょうか…?
しかし彼女は私の予想とは違う動きを見せます。
悲鳴を上げることはせず。
怯えることさえもせず。
何事もなかったかのように自分の部屋のドアノブに手を置き、ドアを開けます。
…え?
「……驚かないのですか?」
「ふぇ?」
お姉さんは素っ頓狂な声とともに私を見ました。
しかし驚いている様子はありません。
恐ろしがっている様子も見せません。
「あー…驚けばいいの?」
「いえ…そういうわけではなく…この姿を見ても驚かないのですか?」
「うん。」
平然と首を縦に振ります。
目の前には人ではない姿の私がいるのに。
なんというか…肝が据わった女性といいますか…。
「エリヴィラさん、でしょ?」
「ええ、そうです。」
「肌の色違うね。人間じゃないんだ。」
「はい、エキドナです。」
「エキドナ…?何それ?下半身が蛇なのってメドゥーサじゃないの?」
この人…エキドナも知らないのですか。
というか…メドゥーサと間違われるなんて…。
「えっと…驚かないのですか?」
再度同じ質問をします。
目の前に人外、それも初めて見たような感想を言う人にしてはあまりにも感情が平淡すぎるというか…淡白すぎるというか…。
「別に。」
お姉さんは特にこれといった感情の変化を見せることなく言います。
「ゆうたが全身骨折して血まみれで全治三ヶ月の怪我しながらも帰ってきたことに比べれば軽いよ。」
それはそれで驚きですが…それとは明らか次元が違うでしょうに…。
というか…ユウタ君、全身骨折しながらどうやって帰ってきたのでしょうか…。
何があったのでしょう…?血まみれ…?
「弟に用があるの?」
お姉さんは顔だけこちらに向けて聞いてきます。
「はい。」
「そ。それなら変なことしないでよ。」
…変なこと……。
しません…とは言えませんでした。
そのままお姉さんは自分の部屋に入っていきます。
ガチャリと無機質な音とともに閉じるドア。
…世の中には随分と肝の据わった女性がいるのですね。
感心してしまいました。
私だけになった廊下。
よし、いきますか。
お姉さんに特にこれといったことを言われたわけでもありませんし。
音を立てずに移動してエキドナの姿のままユウタ君の部屋の前まで来ました。
このドアの向こうに…ユウタ君が…!
ごくりと、喉が鳴ります。
いきますか。
手をドアノブにかけ、ゆっくりとドアを開けていきます。
息を殺して、わずかな音も立てないようにゆっくりと…。
ドアの向こうは暗闇でした。
どうやら寝るときは小さな光もつけないほうが好きなのでしょうね。
カーテンが開いている窓から月明かりが差し込み闇の中を薄く照らしています。
その月明かりの下にいました。
ベッドの上で黒い寝巻きを着込んで仰向けで寝ています。
ドアをそっと閉め、その横に腰掛けました。
こうしてみると…ふふ、安らかな寝顔ですね。ただ少し頭のガーゼが痛々しいですけども。
口からだらしなく涎をたらして…とても愛らしいです。
「ユウタ君…。」
彼の名を呼びました。
しかし寝ている彼は反応を見せません。
当然ですが…それでも私の中の何かは満たされていきました。
頬に手を添えればその手の平が温かくなります。
温かな体温。
私以外の誰かにこうして触れるのは初めてですね。
そのままそっと撫でれば…ユウタ君は眉をくすぐったそうにひそめました。
その表情が、とても愛おしい。
初めて湧き出たこの感情。
私はその感情が赴くままに行動することにしました。
そっと。ゆっくりと。
私の顔をユウタ君の顔に近づけます。
他から見ればそれは寝顔を覗き込んでいるようにも見て取れたかもしれません。
ですが…私は止まることなく顔を近づけていきます。
吐かれる息が頬を撫でるくらい近くまで。
私の唇がユウタ君の唇と重なるように…。
そして。
ちゅっ
重なった唇。
誰にもしたことのないキス。
感じるのは温かな体温と今までに感じたことのない柔らかな感触。
それと…初めて感じる充足感。
胸のうちに広がる温かな気持ち。
静かに唇を離しました。
何でしょうか…これは。
心臓の鼓動があまりにも大きくてうるさいと思えるほどです。
いたずらをした後のような心境。
甘い蜜を啜ったときのような感動。
ただ唇が触れ合うだけだというのに…唇と唇を重ね合わせるだけの行為がこんなに気持ちがいいなんて…驚きです。
私の中の何かが求めます。
もっとキスしたいと、もっと触れ合いたいと。
「ユウタ君…。」
体の奥から湧き上がってくる熱に私は浮かされていたのでしょう。
何も考えることなく彼の唇にまた自分の唇を重ねます。
今度は舌まで使って触れ合いました。
その唇を優しく舐めて、唇をこじ開けユウタ君の口内へと侵入していきます。
より深く繋がるように、より綿密に交わるように。
「ん…んん…ちゅる…んむ♪」
舌でユウタ君の歯の裏を舐め、私の唾液を塗りたくります。
前歯から奥歯まで一つ一つ丁寧にしっかりと。
それから彼の舌に私の舌を絡めました。
「んんん♪」
舌と舌を絡めているという行為が私の中の欲望を掻き立てます。
私の舌とユウタ君の舌が絡み合っているという事実に胸が熱くなります。
味はしないはずなのにとても甘く感じられます。
もっと、欲しい…!
もっと彼を感じたい…!!
私の体は欲望に従順でした。
手が動きます。
彼の体を包む寝巻きのボタンを一つ一つ丁寧に外していきました。
体が動きます。
彼の体を取り巻き、もっと私と触れ合うように。
ボタンを外し終えた二つの手は彼の胸板へ移動していきました。
手のひらに感じる温かな体温。
感じる少し硬い感触。
これがユウタ君の胸板。
逞しくって…男らしくって…。
とても…素敵です…!
片方の手は彼の後頭部へ回り、私の唇とより密接に重なるようにし、もう片方は下半身のズボンを脱がそうと動きます。
「ん…ちゅっ…ユウタ君…♪んん♪」
起きる気配を見せないユウタ君。
ここまでされていまだに眠り続けるなんてある意味すごいですね。
私にとってとても好都合です。
私の体で巻いた下半身からズボンを脱がせました。
起きないようにそっと脱がし、ズボンをベッドの下へ置いておきましょう。
そして、私の目に映るのは―
―ユウタ君の裸…っ!!
余計な筋肉は付いていない細身の体。
それでも逞しく、男性らしい体つき。
ユウタ君は私の体の中で一糸纏わぬ生まれたままの姿です。
この状況…すごくっ…興奮しますね…!
おっと、私も裸にならないと…。
やはり最初はともに同じ姿で…♪
すぐさま服を脱ぎ捨てて、私も一糸纏わぬ姿へとなります。
これで遮るものはありません。
お互いが生まれたままの姿。
ユウタ君の体温が直に肌を伝わってきて…あぁ♪
とても…温かいです♪
私の胸はユウタ君の胸板で形を変え、私の体はユウタ君の体に強く巻きつきます。
ここを…こうすればもっと…。
両腕をユウタ君の後頭部へと回しより強く抱きしめます。
温かい…。
触れ合った胸からはユウタ君の心臓の鼓動が伝わってきます。
今の今までこんなふうに誰かを抱きしめたことなんてありませんでした。
ずっとこんな状況に憧れていました。
愛しい人を自分の体の中で感じたいって…。
今のこの状況、とても嬉しいですね♪
しかし私の中の魔物の本能はこれだけでは治まりません。
もっと欲しいと叫びます。
これ以上のことをしたいと願います。
「ユウタ君…♪」
私の体の中にいる彼の名を呼びました。
しかし眠っているわけですから返事なんて返ってきません。
これは私のただの呟き。
自己満足のだけなのですから―
「……なに?」
「っ!!?!??!」
寝ていると思っていた彼が、今までずっと深い眠りの中にいたはずの彼が!
片目だけ開けて私を見ていました!
眉間に皺を寄せて…。
何かに耐えるように…何かに対して怒るように…!
「いったい何さ…エリヴィラさん…。こっちは気持ちよく寝てたのに…何の用?」
「はっはいっ!」
声色は落ち着いていますが…ですが感じられるかすかな怒気。
怒っているのですか…!?
彼が!あの優しそうにしていたユウタ君が!
そういえば、ユウタ君に言われたことを思い出します。
『寝起きは機嫌が悪いんだ。普段あの暴君(双子の姉)の相手をしているから夜くらいは静かにしたいんだよ。だから起こすときは静かに頼むわ。』
確か…そう言っていましたね。
その言葉の意味がよく理解できました。
明確な怒気とともに。
背中から伝う嫌な汗。
魔物の中でもかなり上位にいるエキドナが人間に睨まれただけで動けません。
異質な雰囲気。異常な気迫。
私が何もできなくなってしまうほどでした。
「エリヴィラさん…。」
「は、はいっ!」
「寝てるオレに何かした?」
「い、いえっ!別に何も…?」
「何を…した…?」
寝起きだからでしょう、とても不機嫌な声。
安眠妨害による怒り。
半目。
怒気を込めたその瞳。
睨みで誰かを殺せるというのなら彼の目で見られている私はもう死んでいるでしょう。
それほどの恐ろしさを感じさせる睨みでした。
「き…。」
観念した私は正直に言います。
「キスを…して、しまいました…。」
「…は?」
「あ、あと…服を…脱がしました…。」
「…いや、ちょっと待って。」
ユウタ君が止めました。
非常に言いにくそうに。
「さっきなんて言った?」
「え?…服を…。」
「そのひとつ前。」
「その…キスを……。」
「………………………………え?マジで?」
その発言で目を点にするユウタ君。
さっきまでの怒りが一瞬にして消えうせます。
怒っていたのが嘘だったかのように。
そして頭を抱えました。
「マジか…初めてを…そんな…。」
がっくりとうなだれます。
えっと…初めて…?
ユウタ君もキスは初め―
「エリヴィラさん…何やってんの?」
見れば。
ユウタ君の視線は私の体へ。
私の蛇の部分を見ていました。
人間ではない、エキドナの姿である私を見ていました。
「へぇ。青肌に…蛇か。」
人間でないものを見ているのに。
魔物に体を巻かれているのに、特にこれといった反応を見せません。
って…なんでそんな平然としていられるのでしょうか?
普通声をあげるなり叫ぶなりするのではないでしょうか?
「あのユウタ君?」
「ん?」
「驚かないのですか…?その、私の姿を見て…?」
「はぇ?驚けばいいの?」
「あ、いや…そういうことではなくて…。」
お姉さんと反応が同じでしたね。
さすが双子といいますか…。
肝が据わっていますね…。
「エリヴィラさんでしょ?」
「ええ、そうです。」
「肌の色違うんだ。」
「はい、エキドナです。」
「エキドナ…なんだ…へぇ。」
ここはお姉さんとは違う反応。
どうやらエキドナというものを知っているらしいですね。
しげしげと私の体を見つめてきます。
…恥ずかしいですね。
「…エキドナって怪物の母って神話じゃ言うけど…ふうん、そうなんだ。」
「え?」
「いやさ、本当に美人なんだなって…。」
「!!」
ゆっゆゆゆゆユウタ君何を言い出すんですか!!?
そ、そんなっ!美人だなんて…!!
「神話も中々当てになるもんだな…ってエリヴィラさん?顔赤いけど?」
「いいいっいえ!特に何でもありませんっ!」
「…そう。」
怪訝そうな顔をしながらもそれ以上は聞いてきませんでした。
知りたそうな顔をしつつもあえて触れずに。
良い人…ですね。
「それにしても…本当にこの世界の人じゃなかったんだ…。」
「え?」
「テレビも車も電車も知らないからさ。まるで別世界から来たみたいって思ってたから…まさか本当にそうだったとはね…。」
気づかれて…いたのですか…。
すごいですね…。
「ふーん…それともうひとつ…聞きたいんだけど?」
「は、はい!」
「今なんでオレは貴方に巻かれてんの?」
ユウタ君は言いました。
眠気が消えた、ハッキリとした目で私を見て。
…………えっと、なんとお答えしましょうか…。
これは…正直に答えたほうがいいのですか?
魔物らしい本能のまま答えましょうか?
夜這いをしに来ました…?
貴方の子種が欲しかったので…?
それとも貴方と一緒にいたいから…?
…迷いますね。
言い方ひとつでこうも変わるものでしたか…。
「えっと…その…なんて言いましょうか…。」
じーっと見つめてくるユウタ君。
「あ、そのですね!…その…。」
じーっと見つめてくるユウタ君。
「………その…。」
じーっと見つめてくるユウタ君。
「…えっと…。はい、正直に言います…。」
考えていてもいい案が浮かびませんでした。
こんな状況になるなんて予想外だったのですからいい案なんて浮かぶはずもありません。
私はありのままを、これからしたであろうことを話します。
「ユウタ君とその…シたくて…。」
「…?何を?」
「ですから、その…。」
とても恥ずかしいです。
自分の口からこんなことを言うことになるなんて思ってもいませんでした。
自分の本能を言葉に出して言うなんて…。
ユウタ君から見た私は今とても赤くなっているでしょう。
顔がとても熱く感じられるのですから。
「その……エッチなことを…。」
一瞬。
たった一瞬でユウタ君の顔が変わりました。
とても赤く。茹でられたような色。トマトのような真っ赤な色に。
遅れて、反応。
「…はっ!?え、ちょ!?…マジでっ!?」
わたわたと慌てふためきます。
さっきの怒っていた様子など微塵も感じさせないくらいに。
「は、ちょ、えっとそれってその!?え!?マジで!!?」
「はい、マジです!!」
マジってどういう意味かわかりませんがとにかく答えました。
答えを聞いたとたんにユウタ君はさらに顔を赤くします。
これ以上赤くなりそうにもないのに、爆発しそうなくらいに赤く。
「えっと、え?あ、うん…その、オレら初対面だよね?」
「はい!」
「今日初めて会ったんだよね!?」
「はい!!」
「会って間もないんだよね!?」
「はいっ!!」
「それなのにその、…えっと…マジでっ!?」
「マジですっ!!!」
「あ、うん…えー…わー…。」
唸りました。
とても困っているようですね。
困って…。
…やはり、こんな人間ではない魔物とは嫌なのでしょうか…。
そう、ですよね。
こんな蛇の下半身や青い肌なんて…人から見たら気持ちが悪いですよね…。
私はユウタ君の体を離しました。
「…?エリヴィラさん?」
「嫌…ですよね。こんな…魔物とするのは…。」
考えれば当然ですよね。
私達は魔物。
人ではない存在。
反魔物国があるように私達に嫌悪感を抱く人もいます。
誰もが誰も私達のような存在を受け入れてくれるというわけではないのですから…。
「すいませんでした…。」
「え?ちょっと?」
私はそれ以上何も口にすることなくベッドを出ます。
あまりにも一方的な行動。
あまりにも一方的な押し付け。
いくら気持ちが昂ぶっていたからと言ってユウタ君の気持ちを考えずに行動するなんて…。
私は…馬鹿ですね…。
自嘲気味に小さく笑い、脱いだ服を掴んで部屋を出ようとしました。
そのときです。
腕をつかまれました。
「…?」
誰…なんて聞かずともわかります。
この部屋の主であるユウタ君の手。
彼が私の腕を掴んでいました。
「…ユウタ、君…?」
「よっと。」
そんな小さな声をあげたかと思えば私の体はユウタ君に引き寄せられていました。
優しく、それほど強くない力で。
気づけば私の体はユウタ君の腕の中でした。
「ゆ、ユウタ君っ!?」
「エリヴィラさんさぁ…。」
ユウタ君は呆れたような声を出します。
顔を見ればどことなく笑っているような表情で。
どことなく照れているような赤い顔で言いました。
「人の返事を聞かずに行こうとするのはいただけないって。寝てる間に人のファーストキス奪ってくし…。」
「あ…その、すいませんでした。」
「まったくだよ。………オレの気持ちも知らないで…。」
「え?」
赤くなった顔。
背けて呟かれた言葉はしっかりと私の耳に届いていました。
「オレも…その、一応男だしさ…。エリヴィラさんみたいな美人に寄ってこられたら…その…嬉しいし。」
「…え?」
「初対面でっていうのは少しいただけないけど…その、エリヴィラさんとなら…いいと思ってるし…。」
…え??
今の言葉は…その、そういう意味ですか?
承諾という意味ですか!?
承認という言葉ですか!!??
「その…オレだって下心がなかったといえば嘘になるしさ…」
「わ、私は魔物ですよ?エキドナなんですよ!?」
「それでも、エリヴィラさんでしょ?」
背けた赤い顔を私に向けて。
その黒い瞳に私を映して。
彼はまっすぐ私に向かって言いました。
とてもまっすぐな言葉で。
「それならむしろ…よろしくお願いしたい…くらいだし…さ…。」
「え…。」
その言葉。
その一言がとても嬉しかったのです。
初めて出会って。
初めてこんな気持ちを抱いて。
初めてこんなに触れ合いたいと思って。
初めて…好きになって…。
その相手に言われて。
ユウタ君がそう言ってくれて。
とても、嬉しかったのです。
「エリヴィラさん…そんな、泣かなくても…。」
微笑みながら私の頬を撫でてくれます。
気づかぬうちに流した私の涙を拭うように。
とても温かな手で。
ああ、私ったらなんて顔をしているのでしょうか。
涙を流して、情けない顔をして。
こんな見せられないような顔をして…。
ユウタ君はそんな私を包み込むようにそっと頬を両手で包んでくれました。
何も言わずに、優しく。
温かいですね…感じたことのない温かさです。
すごく…落ち着きます…。
「エリヴィラさん…。」
彼が私の名を呼んでくれます。
「ユウタ、君…。」
私からも応えるように彼の頬を手で触れました。
月明かりに照らされた彼。
優しい温もりに包まれた私。
私達は静かにそっと顔を近づけて。
静かに口付けをしたのでした。
お風呂からあがり、用意してもらった服に着替えて案内された部屋。
一人部屋にしては少し広い、置いてある家具の数が少ないところ。
中央に一人で寝るには大きなベッドがあり、その横には人が映し出される『てれび』とか言う板がありました。
反対側には鏡台があり、上には化粧道具のようなものがあります。
ここは…誰かの部屋でしょうか?
「ここしか空いてないんだ。ごめんね。」
「あ、いえ。この部屋は誰の部屋なんですか?」
「ここ?ここはオレらの両親の部屋。」
「ユウタ君のお父さんとお母さんの…?」
「そう。夫婦の部屋。」
その言葉を聞いただけで私の中の心臓が強く脈打ちました。
夫婦。
その言葉を聞いただけなのに体が自然と熱くなってきます。
隣のユウタ君を見れば頬をかいてそっぽを向いていました。
さっきのお風呂場でのことがまだ忘れられないのでしょうか、こちらを見ずに頬を掻いています。
耳が少し赤く染まっていました。
まるで恥ずかしがっているようにも見えます。
「それじゃ、おやすみ。」
「え、あ、おやすみなさい。」
ユウタ君はそそくさと部屋を出て、静かにドアを閉めました。
音をたてずに閉まるドア。
ドア越しで聞こえる、離れていってしまうユウタ君の足音。
少しだけ不安になりました。
「…寝ますか。」
誰かに言うわけでもなくただ一人呟きます。
一人の部屋でその言葉はむなしく響かずに消えました。
夫婦の部屋。
もともと二人部屋ですから私のような独り身の女性がいるのは不釣合いですね。
掛け布団をめくり、体を滑り込ませます。
人間の姿のまま。
この状態は普段よりも少し疲れますが今は仕方ありません。
泊めた女性がエキドナだったとわかったらただじゃすまないでしょうし。
ふぅと小さなため息にも似たものを出して瞼を下ろします。
このまま睡魔に身を任せて寝てしまいましょうか。
そう思っていても瞼の裏には映像が浮かびます。
あの踏切でユウタ君が飛び込み、私を助けてくれたこと。
そのまま手を引かれ、この家へ連れてきてもらったこと。
料理をするユウタ君の姿。…あと、ぐうたらするユウタ君のお姉さん。
風呂場で見た、私の服を畳んでくれていたこと。
私の体を見て、顔を真っ赤にしていたこと。
この部屋へ案内してくれたこと。
恥ずかしそうにそっぽを向きながら頬を掻いていたその姿。
…なんでしょうね私は。
目を閉じたらユウタ君のことばかり考えて。
これではまるで…恋をしているかのようじゃないですか…。
…恋、ですか。
…………………別のことを考えましょう。
ここはいったいどこなのか。
こんな国が今までにあったのか。
やはりこれは別の世界と考えるのが妥当でしょうか。
…別…世界ですか。
自分でもそうだとは思えませんが…もしそうだったとしたら。
ユウタ君が、別世界の人間であれば…そこらの猛者や英雄なんかと比べても遜色ありません。
むしろ勇者以上の逸材。王族よりさらに上の血。
そして…ユウタ君が私の旦那様になったら―
『ユウタ君、その今日も…。』
『今日もって…毎日でしょ。』
『すいません…でも…ユウタ君といると…。』
『…仕方ないな。ほら。』
『あぁ♪』
『今日は優しいのがいい?それとも激しいので?』
『ユウタ君のお好きな方で…♪』
『わかった。それじゃ…。』
『あぁん♪』
………………………………ありです!!!
とてもありですね!
ユウタ君は優しそうだし気配りなどもよくできていて私を蔑ろにしないでいてくれそうです。
ユウタ君と、私。
夜。ベッド。二人。恋人。夫婦。子供。子作り。愛。
『YES−YES枕』。
うふ…ふふふ…。
あ、涎が垂れてしまうところでした。
危ない危ない。
って、私は何を考えているのですか!?
そんなっユウタ君と私が…夫婦になるなど…。
ふ、夫婦に…。
「…夫婦、ですか。」
思えば考えたこともありませんでしたね。
私が自分で旦那様を見つけに行くなんてことも。
ずっと一人で旦那様が来るまで待ち続けなければいけなかったはずなのに。
あの難しいダンジョンを越えて来てくれた人と番になるエキドナとして、自身が番になる相手を探しに行くなど前代未聞。
ですが…。
「ユウタ、君…。」
そっと彼の名を呼びました。
それはただ呼んだだけなのに私の胸は締まります。
まるで心臓を握られているように。
でも…嫌な苦しさではありません。
むしろ…心地いい苦しさ。
苦しいのに心地いいなんて変なものなのですけどね。
「ユウタ…君…。」
もう一度彼の名を呼びます。
一人の部屋で、夫婦の部屋で呼ばれる青年の名。
不思議とその名を口にするたびに私の体は熱くなりました。
とても…いい気分ですね。
お酒で酔ったときのほろ酔い気分だとかそんな気分にも似た…いや、それ以上にとても良い気分。
不思議です。
ユウタ君の名前を呼んでいるだけだというのに。
まるで私が…ユウタ君を…。
「私は…ユウタ君が………
……好き。」
その言葉は自然に出てきました。
私がそれを口にするのが当然とでも言わんばかりに。
ごく自然と、発せられました。
「す…き…。」
胸が高鳴ります。
「好き…。」
体が熱くなります。
「私は…ユウタ君が…好き。」
そこで私は確信します。
私は恋をしていると。
ユウタ君に恋してると…。
初めて出会ったというのに私は彼に恋をしたと。
あったかい気持ちが胸の中から湧き上がってきます。
いい…気持ちです。
ただ少しばかり苦しい。
悪い苦しさではなくて…。
もっとユウタ君と一緒にいたいとそう思っています。
もっと、ずっと…一緒に…。
ユウタ君のそばに…。
…それなら……部屋にお邪魔するくらいなら…いいですよね?
そうです!それくらいならいいですよね!?
もう夜といってもまだそんなに遅い時間ではありませんし!
そうと決まれば…。
「…行きましょうか。」
私は期待に胸膨らませて体を起こしました。
ベッドから抜け出て床に足をつけます。
「…っ。」
少しばかり疲れたのでしょうか…足が上手く動きません。
人間の足というのは少々不便ですね。
よくもまあ二本しかない足で体重を支えられるなんて驚きですよ。
人間に変身するのをやめ、いつもの私の姿へとなりました。
薄青い肌に蛇の下半身のエキドナの姿。
やっぱりこちらの姿のほうがしっくりきますね。
そのまま夫婦の部屋を出てユウタ君の部屋へと向かいます。
場所はわかっています。この部屋に案内される前に教えられました。
階段を上ってすぐのドア。
この夫婦の部屋から一番遠いところ。
なにかあったら尋ねていいと言われて教えられました。
ただ…寝起きはかなり機嫌が悪いからそれ相応にあしらってくれとも言われました。
あの部屋に…ユウタ君が寝ているのですか…。
……おっと、危ない…涎が垂れるところでした。
私は音も立てずにそっとこの部屋のドアを開けました。
それがいけなかったのでしょう。
私は考えていませんでした。
この家にいるのは私とユウタ君だけではないということを。
もう一人、居るということに。
「あ。」
「あ…………。」
ユウタ君の双子のお姉さん。
彼女は階段を上って自分の部屋にでも行こうとしていたのでしょう。
ちょうどそこで私がドアを開け、部屋を出てしまいました。
私の目の前にはお姉さん。彼女の目の前には私。
私の目の前には人間の姿。彼女の目の前にはエキドナの姿。
ともに固まる体。
見開かれる目。
…見つかっちゃいました…。
どうしましょう、魔法で記憶をなかったことにしましょうか?
悲鳴を上げられると面倒ですし…とりあえず動きを封じさせてもらいましょうか…?
しかし彼女は私の予想とは違う動きを見せます。
悲鳴を上げることはせず。
怯えることさえもせず。
何事もなかったかのように自分の部屋のドアノブに手を置き、ドアを開けます。
…え?
「……驚かないのですか?」
「ふぇ?」
お姉さんは素っ頓狂な声とともに私を見ました。
しかし驚いている様子はありません。
恐ろしがっている様子も見せません。
「あー…驚けばいいの?」
「いえ…そういうわけではなく…この姿を見ても驚かないのですか?」
「うん。」
平然と首を縦に振ります。
目の前には人ではない姿の私がいるのに。
なんというか…肝が据わった女性といいますか…。
「エリヴィラさん、でしょ?」
「ええ、そうです。」
「肌の色違うね。人間じゃないんだ。」
「はい、エキドナです。」
「エキドナ…?何それ?下半身が蛇なのってメドゥーサじゃないの?」
この人…エキドナも知らないのですか。
というか…メドゥーサと間違われるなんて…。
「えっと…驚かないのですか?」
再度同じ質問をします。
目の前に人外、それも初めて見たような感想を言う人にしてはあまりにも感情が平淡すぎるというか…淡白すぎるというか…。
「別に。」
お姉さんは特にこれといった感情の変化を見せることなく言います。
「ゆうたが全身骨折して血まみれで全治三ヶ月の怪我しながらも帰ってきたことに比べれば軽いよ。」
それはそれで驚きですが…それとは明らか次元が違うでしょうに…。
というか…ユウタ君、全身骨折しながらどうやって帰ってきたのでしょうか…。
何があったのでしょう…?血まみれ…?
「弟に用があるの?」
お姉さんは顔だけこちらに向けて聞いてきます。
「はい。」
「そ。それなら変なことしないでよ。」
…変なこと……。
しません…とは言えませんでした。
そのままお姉さんは自分の部屋に入っていきます。
ガチャリと無機質な音とともに閉じるドア。
…世の中には随分と肝の据わった女性がいるのですね。
感心してしまいました。
私だけになった廊下。
よし、いきますか。
お姉さんに特にこれといったことを言われたわけでもありませんし。
音を立てずに移動してエキドナの姿のままユウタ君の部屋の前まで来ました。
このドアの向こうに…ユウタ君が…!
ごくりと、喉が鳴ります。
いきますか。
手をドアノブにかけ、ゆっくりとドアを開けていきます。
息を殺して、わずかな音も立てないようにゆっくりと…。
ドアの向こうは暗闇でした。
どうやら寝るときは小さな光もつけないほうが好きなのでしょうね。
カーテンが開いている窓から月明かりが差し込み闇の中を薄く照らしています。
その月明かりの下にいました。
ベッドの上で黒い寝巻きを着込んで仰向けで寝ています。
ドアをそっと閉め、その横に腰掛けました。
こうしてみると…ふふ、安らかな寝顔ですね。ただ少し頭のガーゼが痛々しいですけども。
口からだらしなく涎をたらして…とても愛らしいです。
「ユウタ君…。」
彼の名を呼びました。
しかし寝ている彼は反応を見せません。
当然ですが…それでも私の中の何かは満たされていきました。
頬に手を添えればその手の平が温かくなります。
温かな体温。
私以外の誰かにこうして触れるのは初めてですね。
そのままそっと撫でれば…ユウタ君は眉をくすぐったそうにひそめました。
その表情が、とても愛おしい。
初めて湧き出たこの感情。
私はその感情が赴くままに行動することにしました。
そっと。ゆっくりと。
私の顔をユウタ君の顔に近づけます。
他から見ればそれは寝顔を覗き込んでいるようにも見て取れたかもしれません。
ですが…私は止まることなく顔を近づけていきます。
吐かれる息が頬を撫でるくらい近くまで。
私の唇がユウタ君の唇と重なるように…。
そして。
ちゅっ
重なった唇。
誰にもしたことのないキス。
感じるのは温かな体温と今までに感じたことのない柔らかな感触。
それと…初めて感じる充足感。
胸のうちに広がる温かな気持ち。
静かに唇を離しました。
何でしょうか…これは。
心臓の鼓動があまりにも大きくてうるさいと思えるほどです。
いたずらをした後のような心境。
甘い蜜を啜ったときのような感動。
ただ唇が触れ合うだけだというのに…唇と唇を重ね合わせるだけの行為がこんなに気持ちがいいなんて…驚きです。
私の中の何かが求めます。
もっとキスしたいと、もっと触れ合いたいと。
「ユウタ君…。」
体の奥から湧き上がってくる熱に私は浮かされていたのでしょう。
何も考えることなく彼の唇にまた自分の唇を重ねます。
今度は舌まで使って触れ合いました。
その唇を優しく舐めて、唇をこじ開けユウタ君の口内へと侵入していきます。
より深く繋がるように、より綿密に交わるように。
「ん…んん…ちゅる…んむ♪」
舌でユウタ君の歯の裏を舐め、私の唾液を塗りたくります。
前歯から奥歯まで一つ一つ丁寧にしっかりと。
それから彼の舌に私の舌を絡めました。
「んんん♪」
舌と舌を絡めているという行為が私の中の欲望を掻き立てます。
私の舌とユウタ君の舌が絡み合っているという事実に胸が熱くなります。
味はしないはずなのにとても甘く感じられます。
もっと、欲しい…!
もっと彼を感じたい…!!
私の体は欲望に従順でした。
手が動きます。
彼の体を包む寝巻きのボタンを一つ一つ丁寧に外していきました。
体が動きます。
彼の体を取り巻き、もっと私と触れ合うように。
ボタンを外し終えた二つの手は彼の胸板へ移動していきました。
手のひらに感じる温かな体温。
感じる少し硬い感触。
これがユウタ君の胸板。
逞しくって…男らしくって…。
とても…素敵です…!
片方の手は彼の後頭部へ回り、私の唇とより密接に重なるようにし、もう片方は下半身のズボンを脱がそうと動きます。
「ん…ちゅっ…ユウタ君…♪んん♪」
起きる気配を見せないユウタ君。
ここまでされていまだに眠り続けるなんてある意味すごいですね。
私にとってとても好都合です。
私の体で巻いた下半身からズボンを脱がせました。
起きないようにそっと脱がし、ズボンをベッドの下へ置いておきましょう。
そして、私の目に映るのは―
―ユウタ君の裸…っ!!
余計な筋肉は付いていない細身の体。
それでも逞しく、男性らしい体つき。
ユウタ君は私の体の中で一糸纏わぬ生まれたままの姿です。
この状況…すごくっ…興奮しますね…!
おっと、私も裸にならないと…。
やはり最初はともに同じ姿で…♪
すぐさま服を脱ぎ捨てて、私も一糸纏わぬ姿へとなります。
これで遮るものはありません。
お互いが生まれたままの姿。
ユウタ君の体温が直に肌を伝わってきて…あぁ♪
とても…温かいです♪
私の胸はユウタ君の胸板で形を変え、私の体はユウタ君の体に強く巻きつきます。
ここを…こうすればもっと…。
両腕をユウタ君の後頭部へと回しより強く抱きしめます。
温かい…。
触れ合った胸からはユウタ君の心臓の鼓動が伝わってきます。
今の今までこんなふうに誰かを抱きしめたことなんてありませんでした。
ずっとこんな状況に憧れていました。
愛しい人を自分の体の中で感じたいって…。
今のこの状況、とても嬉しいですね♪
しかし私の中の魔物の本能はこれだけでは治まりません。
もっと欲しいと叫びます。
これ以上のことをしたいと願います。
「ユウタ君…♪」
私の体の中にいる彼の名を呼びました。
しかし眠っているわけですから返事なんて返ってきません。
これは私のただの呟き。
自己満足のだけなのですから―
「……なに?」
「っ!!?!??!」
寝ていると思っていた彼が、今までずっと深い眠りの中にいたはずの彼が!
片目だけ開けて私を見ていました!
眉間に皺を寄せて…。
何かに耐えるように…何かに対して怒るように…!
「いったい何さ…エリヴィラさん…。こっちは気持ちよく寝てたのに…何の用?」
「はっはいっ!」
声色は落ち着いていますが…ですが感じられるかすかな怒気。
怒っているのですか…!?
彼が!あの優しそうにしていたユウタ君が!
そういえば、ユウタ君に言われたことを思い出します。
『寝起きは機嫌が悪いんだ。普段あの暴君(双子の姉)の相手をしているから夜くらいは静かにしたいんだよ。だから起こすときは静かに頼むわ。』
確か…そう言っていましたね。
その言葉の意味がよく理解できました。
明確な怒気とともに。
背中から伝う嫌な汗。
魔物の中でもかなり上位にいるエキドナが人間に睨まれただけで動けません。
異質な雰囲気。異常な気迫。
私が何もできなくなってしまうほどでした。
「エリヴィラさん…。」
「は、はいっ!」
「寝てるオレに何かした?」
「い、いえっ!別に何も…?」
「何を…した…?」
寝起きだからでしょう、とても不機嫌な声。
安眠妨害による怒り。
半目。
怒気を込めたその瞳。
睨みで誰かを殺せるというのなら彼の目で見られている私はもう死んでいるでしょう。
それほどの恐ろしさを感じさせる睨みでした。
「き…。」
観念した私は正直に言います。
「キスを…して、しまいました…。」
「…は?」
「あ、あと…服を…脱がしました…。」
「…いや、ちょっと待って。」
ユウタ君が止めました。
非常に言いにくそうに。
「さっきなんて言った?」
「え?…服を…。」
「そのひとつ前。」
「その…キスを……。」
「………………………………え?マジで?」
その発言で目を点にするユウタ君。
さっきまでの怒りが一瞬にして消えうせます。
怒っていたのが嘘だったかのように。
そして頭を抱えました。
「マジか…初めてを…そんな…。」
がっくりとうなだれます。
えっと…初めて…?
ユウタ君もキスは初め―
「エリヴィラさん…何やってんの?」
見れば。
ユウタ君の視線は私の体へ。
私の蛇の部分を見ていました。
人間ではない、エキドナの姿である私を見ていました。
「へぇ。青肌に…蛇か。」
人間でないものを見ているのに。
魔物に体を巻かれているのに、特にこれといった反応を見せません。
って…なんでそんな平然としていられるのでしょうか?
普通声をあげるなり叫ぶなりするのではないでしょうか?
「あのユウタ君?」
「ん?」
「驚かないのですか…?その、私の姿を見て…?」
「はぇ?驚けばいいの?」
「あ、いや…そういうことではなくて…。」
お姉さんと反応が同じでしたね。
さすが双子といいますか…。
肝が据わっていますね…。
「エリヴィラさんでしょ?」
「ええ、そうです。」
「肌の色違うんだ。」
「はい、エキドナです。」
「エキドナ…なんだ…へぇ。」
ここはお姉さんとは違う反応。
どうやらエキドナというものを知っているらしいですね。
しげしげと私の体を見つめてきます。
…恥ずかしいですね。
「…エキドナって怪物の母って神話じゃ言うけど…ふうん、そうなんだ。」
「え?」
「いやさ、本当に美人なんだなって…。」
「!!」
ゆっゆゆゆゆユウタ君何を言い出すんですか!!?
そ、そんなっ!美人だなんて…!!
「神話も中々当てになるもんだな…ってエリヴィラさん?顔赤いけど?」
「いいいっいえ!特に何でもありませんっ!」
「…そう。」
怪訝そうな顔をしながらもそれ以上は聞いてきませんでした。
知りたそうな顔をしつつもあえて触れずに。
良い人…ですね。
「それにしても…本当にこの世界の人じゃなかったんだ…。」
「え?」
「テレビも車も電車も知らないからさ。まるで別世界から来たみたいって思ってたから…まさか本当にそうだったとはね…。」
気づかれて…いたのですか…。
すごいですね…。
「ふーん…それともうひとつ…聞きたいんだけど?」
「は、はい!」
「今なんでオレは貴方に巻かれてんの?」
ユウタ君は言いました。
眠気が消えた、ハッキリとした目で私を見て。
…………えっと、なんとお答えしましょうか…。
これは…正直に答えたほうがいいのですか?
魔物らしい本能のまま答えましょうか?
夜這いをしに来ました…?
貴方の子種が欲しかったので…?
それとも貴方と一緒にいたいから…?
…迷いますね。
言い方ひとつでこうも変わるものでしたか…。
「えっと…その…なんて言いましょうか…。」
じーっと見つめてくるユウタ君。
「あ、そのですね!…その…。」
じーっと見つめてくるユウタ君。
「………その…。」
じーっと見つめてくるユウタ君。
「…えっと…。はい、正直に言います…。」
考えていてもいい案が浮かびませんでした。
こんな状況になるなんて予想外だったのですからいい案なんて浮かぶはずもありません。
私はありのままを、これからしたであろうことを話します。
「ユウタ君とその…シたくて…。」
「…?何を?」
「ですから、その…。」
とても恥ずかしいです。
自分の口からこんなことを言うことになるなんて思ってもいませんでした。
自分の本能を言葉に出して言うなんて…。
ユウタ君から見た私は今とても赤くなっているでしょう。
顔がとても熱く感じられるのですから。
「その……エッチなことを…。」
一瞬。
たった一瞬でユウタ君の顔が変わりました。
とても赤く。茹でられたような色。トマトのような真っ赤な色に。
遅れて、反応。
「…はっ!?え、ちょ!?…マジでっ!?」
わたわたと慌てふためきます。
さっきの怒っていた様子など微塵も感じさせないくらいに。
「は、ちょ、えっとそれってその!?え!?マジで!!?」
「はい、マジです!!」
マジってどういう意味かわかりませんがとにかく答えました。
答えを聞いたとたんにユウタ君はさらに顔を赤くします。
これ以上赤くなりそうにもないのに、爆発しそうなくらいに赤く。
「えっと、え?あ、うん…その、オレら初対面だよね?」
「はい!」
「今日初めて会ったんだよね!?」
「はい!!」
「会って間もないんだよね!?」
「はいっ!!」
「それなのにその、…えっと…マジでっ!?」
「マジですっ!!!」
「あ、うん…えー…わー…。」
唸りました。
とても困っているようですね。
困って…。
…やはり、こんな人間ではない魔物とは嫌なのでしょうか…。
そう、ですよね。
こんな蛇の下半身や青い肌なんて…人から見たら気持ちが悪いですよね…。
私はユウタ君の体を離しました。
「…?エリヴィラさん?」
「嫌…ですよね。こんな…魔物とするのは…。」
考えれば当然ですよね。
私達は魔物。
人ではない存在。
反魔物国があるように私達に嫌悪感を抱く人もいます。
誰もが誰も私達のような存在を受け入れてくれるというわけではないのですから…。
「すいませんでした…。」
「え?ちょっと?」
私はそれ以上何も口にすることなくベッドを出ます。
あまりにも一方的な行動。
あまりにも一方的な押し付け。
いくら気持ちが昂ぶっていたからと言ってユウタ君の気持ちを考えずに行動するなんて…。
私は…馬鹿ですね…。
自嘲気味に小さく笑い、脱いだ服を掴んで部屋を出ようとしました。
そのときです。
腕をつかまれました。
「…?」
誰…なんて聞かずともわかります。
この部屋の主であるユウタ君の手。
彼が私の腕を掴んでいました。
「…ユウタ、君…?」
「よっと。」
そんな小さな声をあげたかと思えば私の体はユウタ君に引き寄せられていました。
優しく、それほど強くない力で。
気づけば私の体はユウタ君の腕の中でした。
「ゆ、ユウタ君っ!?」
「エリヴィラさんさぁ…。」
ユウタ君は呆れたような声を出します。
顔を見ればどことなく笑っているような表情で。
どことなく照れているような赤い顔で言いました。
「人の返事を聞かずに行こうとするのはいただけないって。寝てる間に人のファーストキス奪ってくし…。」
「あ…その、すいませんでした。」
「まったくだよ。………オレの気持ちも知らないで…。」
「え?」
赤くなった顔。
背けて呟かれた言葉はしっかりと私の耳に届いていました。
「オレも…その、一応男だしさ…。エリヴィラさんみたいな美人に寄ってこられたら…その…嬉しいし。」
「…え?」
「初対面でっていうのは少しいただけないけど…その、エリヴィラさんとなら…いいと思ってるし…。」
…え??
今の言葉は…その、そういう意味ですか?
承諾という意味ですか!?
承認という言葉ですか!!??
「その…オレだって下心がなかったといえば嘘になるしさ…」
「わ、私は魔物ですよ?エキドナなんですよ!?」
「それでも、エリヴィラさんでしょ?」
背けた赤い顔を私に向けて。
その黒い瞳に私を映して。
彼はまっすぐ私に向かって言いました。
とてもまっすぐな言葉で。
「それならむしろ…よろしくお願いしたい…くらいだし…さ…。」
「え…。」
その言葉。
その一言がとても嬉しかったのです。
初めて出会って。
初めてこんな気持ちを抱いて。
初めてこんなに触れ合いたいと思って。
初めて…好きになって…。
その相手に言われて。
ユウタ君がそう言ってくれて。
とても、嬉しかったのです。
「エリヴィラさん…そんな、泣かなくても…。」
微笑みながら私の頬を撫でてくれます。
気づかぬうちに流した私の涙を拭うように。
とても温かな手で。
ああ、私ったらなんて顔をしているのでしょうか。
涙を流して、情けない顔をして。
こんな見せられないような顔をして…。
ユウタ君はそんな私を包み込むようにそっと頬を両手で包んでくれました。
何も言わずに、優しく。
温かいですね…感じたことのない温かさです。
すごく…落ち着きます…。
「エリヴィラさん…。」
彼が私の名を呼んでくれます。
「ユウタ、君…。」
私からも応えるように彼の頬を手で触れました。
月明かりに照らされた彼。
優しい温もりに包まれた私。
私達は静かにそっと顔を近づけて。
静かに口付けをしたのでした。
11/03/27 20:32更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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