おっちょこちょいな先生
オレとあやかは再び先生の自宅へと赴いていた
目の前の御子柴先生は既にヘアバンドも何もなく、昨日見た犬っぽい姿を晒してる。心なしか尻尾の動きがぎこちない。そんな彼女は床で正座、対するあやかはソファで足を組み直す。
態度でかいなこの暴君。
「ねぇ、ももちん。今日一日どうだった?」
「ど、どうだったって?」
「尻尾とか耳とかなしに上手く授業できた?」
「う、うん。なんとか。黒崎さんのしてくれたヘアバンドもちょうどいいし、長めのスカートだから尻尾もあんまり目立たず隠せてたと思う」
「そうだね。見てるこっちもいつも通りだったよ。ゆうたの方はどうだった?」
「おおむねそんなとこ」
今日はこちらでも世界史の授業があったが皆御子柴先生の姿を怪訝に思うことなどなかった。むしろイメチェンだとかで騒ぎたてる始末。聞けば、職員室でも好評だったとか。
御子柴先生は照れ臭そうににへらと笑う。臀部から生えた尻尾を揺らしながらの笑みは何とも愛らしくて誰もが見惚れることだろう。
だが、反対にあやかは冷たい視線で見下ろしていた。
「そっか。なら、なんで靴まで変えてきたの?」
「えっ!?」
その言葉に思い出す。
そう言えば今日の御子柴先生、隠すためとはいえ関係のない靴も変えてきてたっけ。ヒールが少し高い、ちょっと大人なデザインだった。
「大人っぽくて皆に好評だったね。でも、それでまたずっこけてたよね。おかげで見てるこっちはひやひやしたよ」
「…あ、そっちもしてたんだ」
室内用の靴とは言え教室内だって段差はある。ヒールをひっかけ教材をばらまいたのはあやかのクラスでもやっていたようだ。
「何で?」
「イメージチェンジするなら徹底的にするべきかなって思って」
「ただでさえ慣れない格好になってるのにそれ以上に慣れない物履いてどうする気だったの?」
「そ、それは…」
「それで失敗を繰り返したいの?それともドジしたところを慰めてもらいたかった?」
「うっ…ぅ…」
容赦はないが、間違いもない。
靴のサイズは問題なかったはずだった。それはきちんと確認した。耳や尻尾、露出をできる限り隠せばいいだけなのにこればかりは余計だ。
「一つの事も満足にできないのにできないこと増やしてどうするの」
本来ならば褒められたかった点を逆に注意される。それは期待していた分痛いことだろう。
年上の女性が、それも教師が年下の生徒に注意を受けて、気づけば大きな瞳に涙を溜めていた。
あ、やばい。これ昨日の二の舞だ。
「でも、今日の授業良かったですよ」
「…うぇ?」
そこで前に出るのがオレの役目。
涙目での上目遣いでこちらを見上げる御子柴先生。元気なく垂れた耳や尻尾も相まって正直………守ってあげたくなる。そんな庇護欲そそる彼女へ視線を合わせるとオレはできる限り笑みを浮かべて言った。
「えぇ、いつも通りですがちゃんと皆が理解できるように細かく説明してくれてましたし、ほら、ルネサンスあたりの話なんて映画の話も交えてすごくわかりやすかったんですよ」
「ほ、本当?」
「本当ですよ。授業中だって皆喋らずに先生の話を聞いてたじゃないですか」
本当は興味津々に先生見てただけなんだけど。
「今回は調子に乗り過ぎちゃって空回りしたってだけで、それでも教師としてちゃんとしてましたよ。それに教えるのが上手いから他の科目も担当してほしいなーって皆言うくらいなんですし、とりあえずはいつもの靴に履きかえて明日の授業も頑張りましょう」
「わ、私、頑張れる、かな…?」
「今までだって頑張ってきたんでしょう?無理な時はオレとあやかが助けますし、あとはドジしないように気を付ければ十分ですよ。貴方は世界史の教師として生徒の誰もが認める御子柴先生でしょう?」
ぽんっと、自然と掌を御子柴先生の頭へと置く。耳の間をゆっくりと撫でまわし指先で耳の根元を擽っていた。
「え、えへ、えへへ〜♪」
頭を撫でると嬉しそうに笑いながら尻尾を揺らす。耳も立てながらびゅんびゅんと元気よく。
褒められるのが嬉しいのか、尻尾の動きがとても速い。何より蕩けた笑みも相まって筆舌しがたい庇護欲をそそられる。皆が皆守ってあげたいのも当然と思えるほど。
ただ、隣の暴君が良い顔をしていないのだが。
「私、明日も頑張るね」
「でも明日オレのクラスに世界史ありませんけど」
「えっ」
「明日もあるのはアタシのクラスだけど」
「あっ」
「それじゃあ今日は帰るから、またねももちん」
「また明日、先生」
「…二人とも、ちょっと待って」
そろそろ帰ろうと立ち上がったあやかとオレを御子柴先生はそのままの姿勢で呼びとめた。何かと思って振り返れば心配そうに見上げてくる。
「昨日はそのまま帰らせちゃったけど、二人ともご両親やご家族は?」
「え?共働きですし、姉は大学に泊まりますが」
「別にごはんはこれが作ってくれるし何の問題もないよ」
あやかの言う通り家事はほぼオレが担当している。その間一切あやかは手伝わない。今更気にしたところで何も変わらないが。
だが、御子柴先生はオレの言葉に真剣な表情になる。
「高校生が二人だけなんて、そんなの危ないよ」
「え?って言っても今までだってこうでしたから別に平気ですよ」
「それでも。高校生って言ったってまだまだ子供だもん。何かあったらどうするの?」
「どうするのって言われても」
「だから、二人が良ければなんだけど、うちに泊まっていってもいいよ」
「「はい?」」
突然の提案にオレとあやかは揃えて素っ頓狂な声を出してしまった。それでも御子柴先生は立ち上がり、オレ達の手を両手でとってくる。
「最近何かと物騒な事件も多いし、黒崎君には悪いけど男の子が一人居たって大人数には勝てないでしょ?だから泊まっていきなよ。大丈夫、私これでも料理できるし、ソファもあるから黒崎くんも一緒に泊まれるよ。あ、着替えはないけど…」
そう言ってあやかが座っていたソファを見る。確かにあれならオレの背丈でも十分寝転べることだろう。
申し出が嫌なわけではない。嬉しいし、何とも御子柴先生らしい。
だが―同時に違和感を抱く。
それを即座に理解していたあやかはすぐに行動に出た。
「ももちん、なにそれ。無理に大人ぶろうとしてない?」
「ち、違うよ!私はただ心配だから…」
「心配だから、何?心配できる自分はすごい、とか思ってない?」
「思ってないよぉ!」
額に額を打ち付けんばかりの剣幕であやかは容赦なく言葉を突き立てた。御子柴先生は食い下がろうとはしないものの慌てて視線が泳いでる。どうやら図星らしい。
「ねぇ、ももちん」
だからあやかは追い打ちをかける。それは御子柴先生の厚意を無下にしたいから―ではない。
「アタシたちを自己満足するために使わないで」
「っ!!」
御子柴先生が少しでも見せた『見栄』をそぎ落とすため。
ドジなのはわかっている。そのドジの原因がちょっとした背伸びから来たこともわかってる。
だから、まずはその気も起きないくらいに叩き潰す。
背伸びしたいならつま先をそぎ落とし。見栄を張りたいなら誇りを潰し、振る舞いすらも否定する。
それが間違いを徹底的に許さない暴君のやりようで―正しさを知っているあやかの手段。
先ほど同様に、いや、先ほど以上に血の気の引いた絶望的な表情へと変わっていく御子柴先生。涙はでなかったものの崩れ落ちそうな姿は見ていられない。
だが、慰めることはできそうにない。隣のあやかがオレの足を踏みつけ、動きだすのを止めている。
見れば、目が語っていた。
『黙れ』
「…」
そういうのならそうするべきだろう。結局のところ女性である御子柴先生を理解できるのはオレ以上にあやかのほうなのだから。
何より、今はオレの出番ではない。
「………じゃ、また学校で」
冷たく言い捨てたあやかの後へ続いてオレもまた家を出ていくのだった。
「褒められたいのかな、御子柴先生はさ」
自宅への帰り道の途中、毎度ながらあやかを後ろに乗せた二人乗りで人気のない道を進んでいく。そんな時、ふと今日見た御子柴先生の様子からそんな風に呟いた。
「なら、褒めるべき?」
「逆でしょ。褒める以上に叱ってあげないと」
「逆に?何で?」
「それじゃあ聞くけど、ももちんが他の先生から怒られてるとこみたことあるの?」
「そりゃ…」
一度もない。
というのもあの性格だ、ひたむきに頑張る姿には誰もが心を動かされる。熱血で頑張り屋で、でもドジっ子。だが、必死な姿を皆認めている。嫌う人などまずいない。
だが、あやかはオレの考えを察して首を振った。
「違うでしょ。叱るのは嫌いだからじゃないし、むしろ好きだからだって」
「…あー、そっか」
双子故に最低限の言葉で納得できてしまう。
皆あの頑張る姿に辛く当たることができないということだろう。心を鬼にしてまで指導する人がまずいないのだ。
外見の良さ。努力の姿勢。故に皆から愛されてはいても、それが良しとは限らない。
だからこそ―叱るべき。
「結構調子に乗りやすいタイプだったんだよ、ももちんは。今までちやほやされてたんだろうね。だからドジったところで笑って済んじゃった」
「笑って済むんじゃ改善する必要もないよなぁ」
それが今日の結果というわけか。
イメチェンとして靴まで変えて、結局失敗へと繋がってしまう。だが、皆笑って許してくれるから後悔しても改善する必要はない。
いや、むしろそんなドジがあるからこそ、なのかもしれない。ドジでない御子柴先生なんてらしくない。ドジだからこそ愛されるのなら直すに直せなくなったのかも…。
「まぁ、それ以上にあるんだけど」
その先の感情はオレには分からぬものだった。あやかが言わないということはオレの立ち入れるものではない。ならば、深く聞くことはしない。解決できるのはきっとあやかなのだから。
「だからあんまり甘やかすのはやめてよね」
「そういうあやかは厳しすぎるんだよ」
親戚の子供たちの面倒を見続けて、気づけば二つに分かれた接し方。
欠点を見つけて注意するあやか。
美点を探して褒めるオレ。
出来ることは真逆だが、二人だからこそ成し得るものは一人以上に大きくなる。
「とりあえず褒めるんなら適度に褒めること。間違っても甘やかし過ぎてダメにしないこと」
「ダメにって…」
「いい前例がいるでしょうが」
「誰?」
「変態」
その言葉にオレの空手の師匠が思い浮かんでしまった。否定したいが、この前の出来事を思い出すと言葉に詰まってしまう。
『師匠!何でオレの下着の間にお金突っ込むんですか!』
『え?ユウタは知らないの?これが礼儀作法だからだよ!』
『それストリッパーでしょうが!オレがストリッパーに見えたんですか!?』
『んふふ〜♪大丈夫!ユウタならなれるよ!あ、でも他の人の前で脱いでほしくないなー』
『師匠の前で脱ぐのすら抵抗あるんですが』
『なら、自分が先に脱ぐからそれならユウタも…あ、待って!冗談だから待って帰らないで!まだストレッチも終わってないよ!?今日はちゃんと組手もやるから!』
『いつもちゃんとしてください!』
「…あー」
…数年前はちゃんと師匠やってたはずなんだけどなぁ。
「そういえば師匠も一応空手を教えるって立場じゃ教師に近いものがあるけど、相談してみる?」
「あんなのがまともな教育者として役立つと?」
「…」
………思えないなぁ。
そして次の日。
やはりというか御子柴先生を床に正座させ、あやかのみがソファに座っていた。オレは迷った末床の上に胡坐をかく。
「それじゃあ今日の授業だけど、ももちん体の方はどう?」
「うん、なんだか軽くって調子も良いよ。最近あんまり眠らなくても全然平気だし、皆の声もよく聞こえるし」
「犬だしね」
「ちょっとヘアバンドがきついぐらいだけど、多分大丈夫。皆もちゃんと話を聞いてくれたし、今日は十分できたよ」
そう言ってぴこぴこと頭の上の耳を動かす。何とも愛らしい姿である。クラスの皆の前でやれば駆け寄りさぞ愛でてもらえたことだろう。
だが、正面にいるあやかの顔は険しかった。
「本当に?本当に十分できた?」
「うっ……そ、それは」
向けた瞳が細められる。送る視線は冷たいもの。つけあがった御子柴先生を落ち着け、問題のみを射抜くように鋭く突き刺さる。
「ももちんは世界史の先生だよね?じゃあ、何で数学の教材持ってきたの?」
「ひっ」
「…あー、だからこっちの授業遅れたのか」
今日の数学でうちの担任でもある早乙女先生が十分ほど授業に遅れていた。なんでも授業の教科書やチョークセットが持ってこれなくなったとかで。
だが、まさか御子柴先生のせいだったとは…このドジは筋金入りだ。
「え、ぁ、っと、それは、ね…トイレに行ったときに早乙女先生に教科書持っててもらっちゃって…その後急いで受け取って教室に行ったから…」
「それで普通間違えられる?ゆうた」
「ほら」
名前を呼ばれただけだがそこは双子。何も言わずとも意志を読み取りカバンの中から教科書を取り出した。御子柴先生が間違えたという数学の教科書だ。
あやかは自分のカバンから世界史の教科書を取り出した。二つを手に取り並べて見せる。
「見てよ、ももちん。大きさもデザインも重さだって違うでしょ?何より世界史って資料集が必須なんだから」
「…はぃ」
言っては悪いが、確かにこれを間違えるのは忙しかったとしても難しい。何より資料集の大きさ重さは教科書のほぼ倍。まとめて抱えればその大きさ重さでまず気づく。
これはドジというか、不注意すぎる。
「正直心配になってきたんだけど、ももちんは家を出るときは鍵の確認とかちゃんとしてるの?学校でそれなら家の方は危ないんじゃないの?」
「このマンションオートロックだから」
「…オートロックで締め出された経験は?」
「…………」
「……ももちん?」
「ご…」
「五回?」
「……じゅぅ、はち……回」
「………」
よくもまぁそれほどまでの回数をカウントしていたなと感心してしまう。オートロックでこれなら普通の家なら泥棒入り放題じゃないのか。
「ももちんは不注意すぎるよ。一つのことを急ぎ過ぎて辺りが見えなくなってる。時間ギリギリな行動でもしてるの?」
「ちゃんと五分前行動してるの!それに、授業は上手く、できてる…から…」
「それはクラスの皆が真面目だからじゃないの?」
「うっ」
尻すぼみになっていく声をあやかの言葉がトドメを刺した。彼女も自覚していたのか視線が下がっていってしまう。
すかさずフォローを、と考えるも今日ばかりは先生と会ってない。普段の事を思い出すも先ほどの話が衝撃的すぎて思い浮かばなかった。
「それじゃあ不注意をなくすためにどうすればいいと思う?」
「か、確認をちゃんとする?」
「どうやってする?」
「えっと……えっと…」
「リストを作るとかいいんじゃないですか?オレも時間割を見ながら教科書揃えてますし」
「リスト…かぁ…」
ふと提案した言葉に御子柴先生は考え込むように顎に手を当てた。
だが、同時にオレの足が思い切り踏まれる。踏んだ相手を見れば睨みつけるようにこちらを見つめていた。
『勝手に甘やかすな』
そう言わんばかりの視線を無言で向けてくる。
どうやら御子柴先生自身に思いついて欲しかったらしい。何事も教えてばかりが良いことではないということだろう。相変わらず手厳しい。
「あとは、御子柴先生は時計持ってます?」
「いつも見てる腕時計ならあるけど」
「まずは三分…いや、一分程時間を進めてみましょうか。学校の時計は無理だからできる限り腕時計を見ながら行動しましょう」
「で、でも一分進めてることを知ってたら何の意味もないんじゃないかな?」
「一分進んでることがわかってるなら、一分程度の余裕は生まれると思いませんか?」
「余裕…」
時計の文字盤を見て示されてる時間から時間を引く。一分進んでいる事態を余裕ととれるかは気の持ちようだが、何もしないよりかはマシだろう。
最も、その事態を忘れたら終わりだが。
「その一分で落ち着いて辺りを確認してみれば今日みたいなことも減らせますよ。だから、まずはその一分進めた時計を見てやっていきましょうか」
最初から上手くいくとは思えない。だが、せめて一歩ぐらいは進まねば。
「うん、それじゃあ一分進めて頑張ってみる。何とかなる気がしてきたよ!」
「ももちん、一時間進んでる」
「えっ!?あっ!本当だっ!?」
「………」
ある意味師匠の方がマシなのかもしれない、と思ってしまった。
その後、一分進めた時計により御子柴先生が物を忘れることは少なくなった。なんとも喜ばしいことだが、それで全てが解決するほど彼女のドジは軽くはない。一つが直ったところで直すところはまだまだある。だからこそ次へと移る必要がある。
そして、今日もまたオレとあやかは御子柴先生の自宅にいた。
あやかの目はきつい。十八年間共に過ごしてきたからこそ分かるが、あの目は相当よろしくない時のものだ。
対する御子柴先生は暗い。普段の明るく頑張り屋な姿が想像できない程に、今にも死んでしまいそうなほど暗い。
「…今日の授業、どうだった?」
「…はい」
「はい、じゃわからないよ。何がダメだったのかぐらい言ってくれないと」
声のトーンも低い。怒っていることなんて家族でなくとも察せる程に。
「きょ、今日……授業に使う、指示棒で」
「指示棒で?」
「み、皆に……皆に……」
「皆に、何?」
苛立ちを隠せぬ声色にオレは横目で先を促すだけ。今日も今日とて世界史の授業はなかった故に何が起きたかはわからない。
ただ、一部のクラスで妙な騒ぎがあったが。
御子柴先生へ視線を戻せば彼女は固く拳を握りしめている。震えるほどに力を込めて艶やかな唇をかみしめて…何かを堪えているように見える。
二人の姿からあまり良い予感がしない。いや、むしろ悪い気がする。いや。確実に悪いことだ。
「み、皆に…」
「皆に?」
きっ、と唇を結び思い切り目を閉じて御子柴先生は喚くように言った。
「尻尾見られちゃいました…っ!!」
「…………は?はぁっ!?」
悪い予想はしていたが―その遥か上を飛び抜ける事態に身を乗り出してしまう。
あやかを見れば眉間を指で押さえている。御子柴先生にいたってはそのままわんわんと鳴き出した。
「もうだめだよぉ!私やってけないよぉ!!」
「……………一応聞きたいんだけど、指示棒で何やったのさ?」
「スカートをひっかけてずり落とした」
「おぅっ」
だから煩い歓声(主に男子)がこちらのクラスまで届いたのかと納得する。
だが、スカートの下にあるものは恥じる以上に絶対にばれてはいけない物。オレは見てないが普段尻尾は下着の外に出し、スカートで隠していると言っていた。それをずり落とせば当然人間ではない尻尾の部分まで見られたことだろう。
「終わった」
「いろんなものがね」
「うわぁあああああああああああっ!!」
大人であることも教師であることも関係なく少女の如く泣きわめく。一番最初に犬の姿を見せられた時以上に泣き腫らし、みっともない大声を上げ続けていた。
「んで、実際には?」
「アタシがフォローに回ったに決まってるでしょ。おかげで男どもは騒ぎっぱなし、女は陰で尻尾が流行る始末。それでもももちんのドジとちょっとしたお茶目ってことで話はクラス内だけの秘密ってことになって…まったく、大変だったんだから」
「…フォローっていったい何やって?」
「聞くな」
「………」
「ふぇぇええええええええっ!」
隣で睨みつける暴君と泣き叫ぶ犬教師。その間でどうすべきかなんてわかるわけもなく、オレはただただ茫然とするしかなかった。
御子柴先生に至っては声をかけたところで反応は返ってこない。しばらく泣かせた方がよさそうだ。
―だが、それを許さぬのが、我が暴君。
「ももちん」
今度は呼びかけると同時に一撃、頬を張った。多少の加減はあったが泣いてる女性にやることではない。
それでもあやかは引くこともなく、呆然と見上げる御子柴先生に詰め寄った。
「ももちん、聞いて」
「うぅ、ぁ…は、いぃ……」
「今日の授業は何が悪かったの?」
「皆に、しっぽ、見られちゃったことぉ…っ」
「そっちじゃなくて。指示棒を仕舞っておけばばれることすらどうにかなったでしょ。なのに、ももちんはどうして指示棒振り回してたの?」
「それは、ぁっ…そっちのほうが、わかりやすいと思ってぇ…っ」
「本当にそうなの?」
ぐいっと顎を引き無理やり視線を向けさせる。鼻先を寄せる様はまるで恋人同士の睦言だが、双方浮かべているのは真逆の表情。慰めなんてあるはずもない冷たい視線が一方的に突き刺さる。
「普段はそんなことしないよね?」
「だって、だって…早乙女先生が、貸してくれたから、ぁ……」
「断ろうとは思わなかったの?」
「せっかく、貸して、くれたから…だから…」
「上手くやれる根拠はあったの?」
「それは、それはぁ………っ」
「―ないよね?」
とても冷たい声だった。
否定できない事実であっても、ぼろぼろで崩れそうな姿であっても、あやかはただその事実を見据えた言葉を突き立てる。
「何がいけなかった?」
「わたしが、わた、しっがぁ…調子に、のってた、から…ぁ」
「何をしたから?」
「しじっ、棒で、スカート、ひっかけ、てっ……」
「自分が今人の恰好じゃないって忘れてたの?」
「ドジっ、したっ…から…して、しちゃってぇっ」
「ドジだから、じゃないでしょ。辺りを確認すれば分かったことじゃないの?」
「ごめん、ごめんなさぃ…ぃ……ごべんなざぃぃぃ…っ」
嗚咽交じりにも必死にあやかの言葉を返していくが徐々に言葉が形を失っていく。感情の整理もつかずただあったことを繋げるがやがて謝罪の言葉に塗れていった。
人間ではなくなって、その姿を皆に見られて。取り返しのつかない失敗をなんとかあやかがフォローして。
だとしても、これはあまりにも大きすぎる失敗だった。御子柴先生があやかを頼らなかったらと思うとぞっとするほどに。
事の重大さは分かってる。御子柴先生が恥も忘れて泣き叫ぶほどに。だが、それ以上に何が大切なのかをあやかは理解している。
だからこそ―
―徹底的に叩き潰す。
「ももちんは何で教師続けてるの?」
「…っ」
それは傍から見ていたオレにもわかる程、御子柴先生の心を貫く言葉だった。
嘲りのないただの疑問。だが一切の容赦なく彼女の胸を穿ったことだろう。涙を止めて、目を見開いて唇を固く結び、驚きと絶望の混じった表情を浮かべている。
「ドジしたいためじゃないでしょ?」
あやかの言っていることは間違いではない。むしろ的確な方だ。
しかし、御子柴先生は言葉を言い返せない。涙を止めても、嗚咽を止めても。
「皆に慰められたいからじゃないでしょ?」
流石にこれ以上任せられないとあやかの肩を叩くが跳ねのけられた。まだまだ言いたいことを言い切れてないと察したが、あまりにもこれはやり過ぎだ。
「教師なんてやらなくても良かったんじゃないの?」
それでも尚、抉っていく。
調子に乗りやすい御子柴先生をさらに削り、余裕を微塵も残さぬために。
涙を流すことすら忘れた御子柴先生はただ呆然とあやかを見上げている。だがあやかは当然気遣う素振りは一切なく、ただ事実のみを突き付け、そして最後に言い放った。
「それじゃあ、ももちん。宿題ね。次アタシが来るまでなんで教師になったのか教えてね」
返答を待つこともなくオレを残して出て行ってしまう。あの様子ではオレの自転車を使って帰るつもりだろう。
なら、とオレも立ち上がるが服を引かれているのに気付き、そちらへ視線を向けた。
「…ぁ…?……ぇ………」
ぼろぼろと、先ほどまでは止まっていた涙がぼろぼろと零れ落ちていく。表情が徐々に崩れ、やがてまた歪んでいく。
慌てて涙を拭くものをと周りを見るもそれより先に御子柴先生がオレの下腹部へと顔を押し付けてきた。
「おわっ!?先生っ!!」
あまりにも突然の事で驚き―気づく。小さくも大人な体は怯えたように震えていた。
まるで小動物が縋り付くような愛らしい姿。だが、その女性はこれ以上ないほど泣き腫らし、嗚咽すら出す余裕をなくしている。
普通の人間ならここで見捨てられるはずがない。逆に、優しい人間なら自分で立ち直るのを期待するだろう。
だがオレはあやかのように優しかろうと非情になれるはずがなく、小さく息を吐いてゆっくりと両腕を後頭部へと回した。掌で頭を撫でると腹部から再び嗚咽が響いてきた。
「ごべ、ごべんなぁいぃぃぃっ!!」
「ちょっと先生っ」
「あ、あぁあああうぅああああぁあ!!」
言葉にもならぬ嗚咽と回された腕の力に動けなくなる。引き剥がすことは容易いがこれ以上辛くされれば壊れかねない。
「…まったく、仕方ありませんね」
結局オレは座り込み、御子柴先生の頭を掻き抱く。後頭部へと手を添えてゆっくり頭を撫でていく。まるで親が子供を慰めるかのように。
だけども彼女は年上で、オレの方が年下で。なんてことは関係ない。服に涙が染み込もうとやがて肌へと伝おうとただその頭を撫で続ける。
結局御子柴先生が落ち着いたのはそれから三時間後―日も完全に落ちた夜の事だった。
「…ごめんね、こんな、ダメな教師で」
「いきなりなんですか。ダメなんて思ってないですよ」
聞いてるこっちまで泣きそうになるほど悲しい声に、こちらは真逆に明るく優しい声色で応じる。撫でる手は止めぬまま、その肩を柔らかく抱き留めて。
「黒崎さんと、黒崎君にも…苦労かけちゃって、ごめん…ね…」
「そんなぁ、いいんですよ。頼ってくれたのは先生じゃないですか。いっぱいいる生徒の中であやかを頼ったのなら、こっちは全力でサポートしますよ」
「巻き込んじゃって、ごめん、ね……っ」
一層力が強くなる。下腹部への柔らかさ、甘い香りが嫌でも女を意識させる。だが、どれほど柔らかくとも甘くとも今だけは欲望へとつながりそうにはない。
オレからも頭を寄せ、大きな二つの耳に囁いた。
「泣き止んだらゆっくり眠って、美味しいご飯食べて考えましょう」
「………うん」
「これでも料理、得意なんですよ。デザートも沢山作りますからね」
「…うん」
「明日はちょうど休みですし、朝にはまた来ますから」
「…うん」
返事はたったそれだけだった。だが、それ以上に込められた力と、臀部で揺れる尻尾が応じるように動く。
「…うん」
「あやかは先生が嫌いじゃないんですよ。ただ、先生が直さなきゃいけないところを誰よりも見てて、それに気づいてるんです」
「…うん」
「だから、直していきましょう。いっぱいがんばったら、いっぱい褒めてあげますから」
「うん…っ」
それ以上は言葉もなく、ただ抱き合って頭を撫でるだけ。
生徒と教師、男と女。そんなこと関係なくあるのはただ慰めるだけの人間と、人間ではなくなった女性が泣きじゃくるだけ。色気もない様子にオレはただ苦笑して、ただ頭を撫でていくのだった。
目の前の御子柴先生は既にヘアバンドも何もなく、昨日見た犬っぽい姿を晒してる。心なしか尻尾の動きがぎこちない。そんな彼女は床で正座、対するあやかはソファで足を組み直す。
態度でかいなこの暴君。
「ねぇ、ももちん。今日一日どうだった?」
「ど、どうだったって?」
「尻尾とか耳とかなしに上手く授業できた?」
「う、うん。なんとか。黒崎さんのしてくれたヘアバンドもちょうどいいし、長めのスカートだから尻尾もあんまり目立たず隠せてたと思う」
「そうだね。見てるこっちもいつも通りだったよ。ゆうたの方はどうだった?」
「おおむねそんなとこ」
今日はこちらでも世界史の授業があったが皆御子柴先生の姿を怪訝に思うことなどなかった。むしろイメチェンだとかで騒ぎたてる始末。聞けば、職員室でも好評だったとか。
御子柴先生は照れ臭そうににへらと笑う。臀部から生えた尻尾を揺らしながらの笑みは何とも愛らしくて誰もが見惚れることだろう。
だが、反対にあやかは冷たい視線で見下ろしていた。
「そっか。なら、なんで靴まで変えてきたの?」
「えっ!?」
その言葉に思い出す。
そう言えば今日の御子柴先生、隠すためとはいえ関係のない靴も変えてきてたっけ。ヒールが少し高い、ちょっと大人なデザインだった。
「大人っぽくて皆に好評だったね。でも、それでまたずっこけてたよね。おかげで見てるこっちはひやひやしたよ」
「…あ、そっちもしてたんだ」
室内用の靴とは言え教室内だって段差はある。ヒールをひっかけ教材をばらまいたのはあやかのクラスでもやっていたようだ。
「何で?」
「イメージチェンジするなら徹底的にするべきかなって思って」
「ただでさえ慣れない格好になってるのにそれ以上に慣れない物履いてどうする気だったの?」
「そ、それは…」
「それで失敗を繰り返したいの?それともドジしたところを慰めてもらいたかった?」
「うっ…ぅ…」
容赦はないが、間違いもない。
靴のサイズは問題なかったはずだった。それはきちんと確認した。耳や尻尾、露出をできる限り隠せばいいだけなのにこればかりは余計だ。
「一つの事も満足にできないのにできないこと増やしてどうするの」
本来ならば褒められたかった点を逆に注意される。それは期待していた分痛いことだろう。
年上の女性が、それも教師が年下の生徒に注意を受けて、気づけば大きな瞳に涙を溜めていた。
あ、やばい。これ昨日の二の舞だ。
「でも、今日の授業良かったですよ」
「…うぇ?」
そこで前に出るのがオレの役目。
涙目での上目遣いでこちらを見上げる御子柴先生。元気なく垂れた耳や尻尾も相まって正直………守ってあげたくなる。そんな庇護欲そそる彼女へ視線を合わせるとオレはできる限り笑みを浮かべて言った。
「えぇ、いつも通りですがちゃんと皆が理解できるように細かく説明してくれてましたし、ほら、ルネサンスあたりの話なんて映画の話も交えてすごくわかりやすかったんですよ」
「ほ、本当?」
「本当ですよ。授業中だって皆喋らずに先生の話を聞いてたじゃないですか」
本当は興味津々に先生見てただけなんだけど。
「今回は調子に乗り過ぎちゃって空回りしたってだけで、それでも教師としてちゃんとしてましたよ。それに教えるのが上手いから他の科目も担当してほしいなーって皆言うくらいなんですし、とりあえずはいつもの靴に履きかえて明日の授業も頑張りましょう」
「わ、私、頑張れる、かな…?」
「今までだって頑張ってきたんでしょう?無理な時はオレとあやかが助けますし、あとはドジしないように気を付ければ十分ですよ。貴方は世界史の教師として生徒の誰もが認める御子柴先生でしょう?」
ぽんっと、自然と掌を御子柴先生の頭へと置く。耳の間をゆっくりと撫でまわし指先で耳の根元を擽っていた。
「え、えへ、えへへ〜♪」
頭を撫でると嬉しそうに笑いながら尻尾を揺らす。耳も立てながらびゅんびゅんと元気よく。
褒められるのが嬉しいのか、尻尾の動きがとても速い。何より蕩けた笑みも相まって筆舌しがたい庇護欲をそそられる。皆が皆守ってあげたいのも当然と思えるほど。
ただ、隣の暴君が良い顔をしていないのだが。
「私、明日も頑張るね」
「でも明日オレのクラスに世界史ありませんけど」
「えっ」
「明日もあるのはアタシのクラスだけど」
「あっ」
「それじゃあ今日は帰るから、またねももちん」
「また明日、先生」
「…二人とも、ちょっと待って」
そろそろ帰ろうと立ち上がったあやかとオレを御子柴先生はそのままの姿勢で呼びとめた。何かと思って振り返れば心配そうに見上げてくる。
「昨日はそのまま帰らせちゃったけど、二人ともご両親やご家族は?」
「え?共働きですし、姉は大学に泊まりますが」
「別にごはんはこれが作ってくれるし何の問題もないよ」
あやかの言う通り家事はほぼオレが担当している。その間一切あやかは手伝わない。今更気にしたところで何も変わらないが。
だが、御子柴先生はオレの言葉に真剣な表情になる。
「高校生が二人だけなんて、そんなの危ないよ」
「え?って言っても今までだってこうでしたから別に平気ですよ」
「それでも。高校生って言ったってまだまだ子供だもん。何かあったらどうするの?」
「どうするのって言われても」
「だから、二人が良ければなんだけど、うちに泊まっていってもいいよ」
「「はい?」」
突然の提案にオレとあやかは揃えて素っ頓狂な声を出してしまった。それでも御子柴先生は立ち上がり、オレ達の手を両手でとってくる。
「最近何かと物騒な事件も多いし、黒崎君には悪いけど男の子が一人居たって大人数には勝てないでしょ?だから泊まっていきなよ。大丈夫、私これでも料理できるし、ソファもあるから黒崎くんも一緒に泊まれるよ。あ、着替えはないけど…」
そう言ってあやかが座っていたソファを見る。確かにあれならオレの背丈でも十分寝転べることだろう。
申し出が嫌なわけではない。嬉しいし、何とも御子柴先生らしい。
だが―同時に違和感を抱く。
それを即座に理解していたあやかはすぐに行動に出た。
「ももちん、なにそれ。無理に大人ぶろうとしてない?」
「ち、違うよ!私はただ心配だから…」
「心配だから、何?心配できる自分はすごい、とか思ってない?」
「思ってないよぉ!」
額に額を打ち付けんばかりの剣幕であやかは容赦なく言葉を突き立てた。御子柴先生は食い下がろうとはしないものの慌てて視線が泳いでる。どうやら図星らしい。
「ねぇ、ももちん」
だからあやかは追い打ちをかける。それは御子柴先生の厚意を無下にしたいから―ではない。
「アタシたちを自己満足するために使わないで」
「っ!!」
御子柴先生が少しでも見せた『見栄』をそぎ落とすため。
ドジなのはわかっている。そのドジの原因がちょっとした背伸びから来たこともわかってる。
だから、まずはその気も起きないくらいに叩き潰す。
背伸びしたいならつま先をそぎ落とし。見栄を張りたいなら誇りを潰し、振る舞いすらも否定する。
それが間違いを徹底的に許さない暴君のやりようで―正しさを知っているあやかの手段。
先ほど同様に、いや、先ほど以上に血の気の引いた絶望的な表情へと変わっていく御子柴先生。涙はでなかったものの崩れ落ちそうな姿は見ていられない。
だが、慰めることはできそうにない。隣のあやかがオレの足を踏みつけ、動きだすのを止めている。
見れば、目が語っていた。
『黙れ』
「…」
そういうのならそうするべきだろう。結局のところ女性である御子柴先生を理解できるのはオレ以上にあやかのほうなのだから。
何より、今はオレの出番ではない。
「………じゃ、また学校で」
冷たく言い捨てたあやかの後へ続いてオレもまた家を出ていくのだった。
「褒められたいのかな、御子柴先生はさ」
自宅への帰り道の途中、毎度ながらあやかを後ろに乗せた二人乗りで人気のない道を進んでいく。そんな時、ふと今日見た御子柴先生の様子からそんな風に呟いた。
「なら、褒めるべき?」
「逆でしょ。褒める以上に叱ってあげないと」
「逆に?何で?」
「それじゃあ聞くけど、ももちんが他の先生から怒られてるとこみたことあるの?」
「そりゃ…」
一度もない。
というのもあの性格だ、ひたむきに頑張る姿には誰もが心を動かされる。熱血で頑張り屋で、でもドジっ子。だが、必死な姿を皆認めている。嫌う人などまずいない。
だが、あやかはオレの考えを察して首を振った。
「違うでしょ。叱るのは嫌いだからじゃないし、むしろ好きだからだって」
「…あー、そっか」
双子故に最低限の言葉で納得できてしまう。
皆あの頑張る姿に辛く当たることができないということだろう。心を鬼にしてまで指導する人がまずいないのだ。
外見の良さ。努力の姿勢。故に皆から愛されてはいても、それが良しとは限らない。
だからこそ―叱るべき。
「結構調子に乗りやすいタイプだったんだよ、ももちんは。今までちやほやされてたんだろうね。だからドジったところで笑って済んじゃった」
「笑って済むんじゃ改善する必要もないよなぁ」
それが今日の結果というわけか。
イメチェンとして靴まで変えて、結局失敗へと繋がってしまう。だが、皆笑って許してくれるから後悔しても改善する必要はない。
いや、むしろそんなドジがあるからこそ、なのかもしれない。ドジでない御子柴先生なんてらしくない。ドジだからこそ愛されるのなら直すに直せなくなったのかも…。
「まぁ、それ以上にあるんだけど」
その先の感情はオレには分からぬものだった。あやかが言わないということはオレの立ち入れるものではない。ならば、深く聞くことはしない。解決できるのはきっとあやかなのだから。
「だからあんまり甘やかすのはやめてよね」
「そういうあやかは厳しすぎるんだよ」
親戚の子供たちの面倒を見続けて、気づけば二つに分かれた接し方。
欠点を見つけて注意するあやか。
美点を探して褒めるオレ。
出来ることは真逆だが、二人だからこそ成し得るものは一人以上に大きくなる。
「とりあえず褒めるんなら適度に褒めること。間違っても甘やかし過ぎてダメにしないこと」
「ダメにって…」
「いい前例がいるでしょうが」
「誰?」
「変態」
その言葉にオレの空手の師匠が思い浮かんでしまった。否定したいが、この前の出来事を思い出すと言葉に詰まってしまう。
『師匠!何でオレの下着の間にお金突っ込むんですか!』
『え?ユウタは知らないの?これが礼儀作法だからだよ!』
『それストリッパーでしょうが!オレがストリッパーに見えたんですか!?』
『んふふ〜♪大丈夫!ユウタならなれるよ!あ、でも他の人の前で脱いでほしくないなー』
『師匠の前で脱ぐのすら抵抗あるんですが』
『なら、自分が先に脱ぐからそれならユウタも…あ、待って!冗談だから待って帰らないで!まだストレッチも終わってないよ!?今日はちゃんと組手もやるから!』
『いつもちゃんとしてください!』
「…あー」
…数年前はちゃんと師匠やってたはずなんだけどなぁ。
「そういえば師匠も一応空手を教えるって立場じゃ教師に近いものがあるけど、相談してみる?」
「あんなのがまともな教育者として役立つと?」
「…」
………思えないなぁ。
そして次の日。
やはりというか御子柴先生を床に正座させ、あやかのみがソファに座っていた。オレは迷った末床の上に胡坐をかく。
「それじゃあ今日の授業だけど、ももちん体の方はどう?」
「うん、なんだか軽くって調子も良いよ。最近あんまり眠らなくても全然平気だし、皆の声もよく聞こえるし」
「犬だしね」
「ちょっとヘアバンドがきついぐらいだけど、多分大丈夫。皆もちゃんと話を聞いてくれたし、今日は十分できたよ」
そう言ってぴこぴこと頭の上の耳を動かす。何とも愛らしい姿である。クラスの皆の前でやれば駆け寄りさぞ愛でてもらえたことだろう。
だが、正面にいるあやかの顔は険しかった。
「本当に?本当に十分できた?」
「うっ……そ、それは」
向けた瞳が細められる。送る視線は冷たいもの。つけあがった御子柴先生を落ち着け、問題のみを射抜くように鋭く突き刺さる。
「ももちんは世界史の先生だよね?じゃあ、何で数学の教材持ってきたの?」
「ひっ」
「…あー、だからこっちの授業遅れたのか」
今日の数学でうちの担任でもある早乙女先生が十分ほど授業に遅れていた。なんでも授業の教科書やチョークセットが持ってこれなくなったとかで。
だが、まさか御子柴先生のせいだったとは…このドジは筋金入りだ。
「え、ぁ、っと、それは、ね…トイレに行ったときに早乙女先生に教科書持っててもらっちゃって…その後急いで受け取って教室に行ったから…」
「それで普通間違えられる?ゆうた」
「ほら」
名前を呼ばれただけだがそこは双子。何も言わずとも意志を読み取りカバンの中から教科書を取り出した。御子柴先生が間違えたという数学の教科書だ。
あやかは自分のカバンから世界史の教科書を取り出した。二つを手に取り並べて見せる。
「見てよ、ももちん。大きさもデザインも重さだって違うでしょ?何より世界史って資料集が必須なんだから」
「…はぃ」
言っては悪いが、確かにこれを間違えるのは忙しかったとしても難しい。何より資料集の大きさ重さは教科書のほぼ倍。まとめて抱えればその大きさ重さでまず気づく。
これはドジというか、不注意すぎる。
「正直心配になってきたんだけど、ももちんは家を出るときは鍵の確認とかちゃんとしてるの?学校でそれなら家の方は危ないんじゃないの?」
「このマンションオートロックだから」
「…オートロックで締め出された経験は?」
「…………」
「……ももちん?」
「ご…」
「五回?」
「……じゅぅ、はち……回」
「………」
よくもまぁそれほどまでの回数をカウントしていたなと感心してしまう。オートロックでこれなら普通の家なら泥棒入り放題じゃないのか。
「ももちんは不注意すぎるよ。一つのことを急ぎ過ぎて辺りが見えなくなってる。時間ギリギリな行動でもしてるの?」
「ちゃんと五分前行動してるの!それに、授業は上手く、できてる…から…」
「それはクラスの皆が真面目だからじゃないの?」
「うっ」
尻すぼみになっていく声をあやかの言葉がトドメを刺した。彼女も自覚していたのか視線が下がっていってしまう。
すかさずフォローを、と考えるも今日ばかりは先生と会ってない。普段の事を思い出すも先ほどの話が衝撃的すぎて思い浮かばなかった。
「それじゃあ不注意をなくすためにどうすればいいと思う?」
「か、確認をちゃんとする?」
「どうやってする?」
「えっと……えっと…」
「リストを作るとかいいんじゃないですか?オレも時間割を見ながら教科書揃えてますし」
「リスト…かぁ…」
ふと提案した言葉に御子柴先生は考え込むように顎に手を当てた。
だが、同時にオレの足が思い切り踏まれる。踏んだ相手を見れば睨みつけるようにこちらを見つめていた。
『勝手に甘やかすな』
そう言わんばかりの視線を無言で向けてくる。
どうやら御子柴先生自身に思いついて欲しかったらしい。何事も教えてばかりが良いことではないということだろう。相変わらず手厳しい。
「あとは、御子柴先生は時計持ってます?」
「いつも見てる腕時計ならあるけど」
「まずは三分…いや、一分程時間を進めてみましょうか。学校の時計は無理だからできる限り腕時計を見ながら行動しましょう」
「で、でも一分進めてることを知ってたら何の意味もないんじゃないかな?」
「一分進んでることがわかってるなら、一分程度の余裕は生まれると思いませんか?」
「余裕…」
時計の文字盤を見て示されてる時間から時間を引く。一分進んでいる事態を余裕ととれるかは気の持ちようだが、何もしないよりかはマシだろう。
最も、その事態を忘れたら終わりだが。
「その一分で落ち着いて辺りを確認してみれば今日みたいなことも減らせますよ。だから、まずはその一分進めた時計を見てやっていきましょうか」
最初から上手くいくとは思えない。だが、せめて一歩ぐらいは進まねば。
「うん、それじゃあ一分進めて頑張ってみる。何とかなる気がしてきたよ!」
「ももちん、一時間進んでる」
「えっ!?あっ!本当だっ!?」
「………」
ある意味師匠の方がマシなのかもしれない、と思ってしまった。
その後、一分進めた時計により御子柴先生が物を忘れることは少なくなった。なんとも喜ばしいことだが、それで全てが解決するほど彼女のドジは軽くはない。一つが直ったところで直すところはまだまだある。だからこそ次へと移る必要がある。
そして、今日もまたオレとあやかは御子柴先生の自宅にいた。
あやかの目はきつい。十八年間共に過ごしてきたからこそ分かるが、あの目は相当よろしくない時のものだ。
対する御子柴先生は暗い。普段の明るく頑張り屋な姿が想像できない程に、今にも死んでしまいそうなほど暗い。
「…今日の授業、どうだった?」
「…はい」
「はい、じゃわからないよ。何がダメだったのかぐらい言ってくれないと」
声のトーンも低い。怒っていることなんて家族でなくとも察せる程に。
「きょ、今日……授業に使う、指示棒で」
「指示棒で?」
「み、皆に……皆に……」
「皆に、何?」
苛立ちを隠せぬ声色にオレは横目で先を促すだけ。今日も今日とて世界史の授業はなかった故に何が起きたかはわからない。
ただ、一部のクラスで妙な騒ぎがあったが。
御子柴先生へ視線を戻せば彼女は固く拳を握りしめている。震えるほどに力を込めて艶やかな唇をかみしめて…何かを堪えているように見える。
二人の姿からあまり良い予感がしない。いや、むしろ悪い気がする。いや。確実に悪いことだ。
「み、皆に…」
「皆に?」
きっ、と唇を結び思い切り目を閉じて御子柴先生は喚くように言った。
「尻尾見られちゃいました…っ!!」
「…………は?はぁっ!?」
悪い予想はしていたが―その遥か上を飛び抜ける事態に身を乗り出してしまう。
あやかを見れば眉間を指で押さえている。御子柴先生にいたってはそのままわんわんと鳴き出した。
「もうだめだよぉ!私やってけないよぉ!!」
「……………一応聞きたいんだけど、指示棒で何やったのさ?」
「スカートをひっかけてずり落とした」
「おぅっ」
だから煩い歓声(主に男子)がこちらのクラスまで届いたのかと納得する。
だが、スカートの下にあるものは恥じる以上に絶対にばれてはいけない物。オレは見てないが普段尻尾は下着の外に出し、スカートで隠していると言っていた。それをずり落とせば当然人間ではない尻尾の部分まで見られたことだろう。
「終わった」
「いろんなものがね」
「うわぁあああああああああああっ!!」
大人であることも教師であることも関係なく少女の如く泣きわめく。一番最初に犬の姿を見せられた時以上に泣き腫らし、みっともない大声を上げ続けていた。
「んで、実際には?」
「アタシがフォローに回ったに決まってるでしょ。おかげで男どもは騒ぎっぱなし、女は陰で尻尾が流行る始末。それでもももちんのドジとちょっとしたお茶目ってことで話はクラス内だけの秘密ってことになって…まったく、大変だったんだから」
「…フォローっていったい何やって?」
「聞くな」
「………」
「ふぇぇええええええええっ!」
隣で睨みつける暴君と泣き叫ぶ犬教師。その間でどうすべきかなんてわかるわけもなく、オレはただただ茫然とするしかなかった。
御子柴先生に至っては声をかけたところで反応は返ってこない。しばらく泣かせた方がよさそうだ。
―だが、それを許さぬのが、我が暴君。
「ももちん」
今度は呼びかけると同時に一撃、頬を張った。多少の加減はあったが泣いてる女性にやることではない。
それでもあやかは引くこともなく、呆然と見上げる御子柴先生に詰め寄った。
「ももちん、聞いて」
「うぅ、ぁ…は、いぃ……」
「今日の授業は何が悪かったの?」
「皆に、しっぽ、見られちゃったことぉ…っ」
「そっちじゃなくて。指示棒を仕舞っておけばばれることすらどうにかなったでしょ。なのに、ももちんはどうして指示棒振り回してたの?」
「それは、ぁっ…そっちのほうが、わかりやすいと思ってぇ…っ」
「本当にそうなの?」
ぐいっと顎を引き無理やり視線を向けさせる。鼻先を寄せる様はまるで恋人同士の睦言だが、双方浮かべているのは真逆の表情。慰めなんてあるはずもない冷たい視線が一方的に突き刺さる。
「普段はそんなことしないよね?」
「だって、だって…早乙女先生が、貸してくれたから、ぁ……」
「断ろうとは思わなかったの?」
「せっかく、貸して、くれたから…だから…」
「上手くやれる根拠はあったの?」
「それは、それはぁ………っ」
「―ないよね?」
とても冷たい声だった。
否定できない事実であっても、ぼろぼろで崩れそうな姿であっても、あやかはただその事実を見据えた言葉を突き立てる。
「何がいけなかった?」
「わたしが、わた、しっがぁ…調子に、のってた、から…ぁ」
「何をしたから?」
「しじっ、棒で、スカート、ひっかけ、てっ……」
「自分が今人の恰好じゃないって忘れてたの?」
「ドジっ、したっ…から…して、しちゃってぇっ」
「ドジだから、じゃないでしょ。辺りを確認すれば分かったことじゃないの?」
「ごめん、ごめんなさぃ…ぃ……ごべんなざぃぃぃ…っ」
嗚咽交じりにも必死にあやかの言葉を返していくが徐々に言葉が形を失っていく。感情の整理もつかずただあったことを繋げるがやがて謝罪の言葉に塗れていった。
人間ではなくなって、その姿を皆に見られて。取り返しのつかない失敗をなんとかあやかがフォローして。
だとしても、これはあまりにも大きすぎる失敗だった。御子柴先生があやかを頼らなかったらと思うとぞっとするほどに。
事の重大さは分かってる。御子柴先生が恥も忘れて泣き叫ぶほどに。だが、それ以上に何が大切なのかをあやかは理解している。
だからこそ―
―徹底的に叩き潰す。
「ももちんは何で教師続けてるの?」
「…っ」
それは傍から見ていたオレにもわかる程、御子柴先生の心を貫く言葉だった。
嘲りのないただの疑問。だが一切の容赦なく彼女の胸を穿ったことだろう。涙を止めて、目を見開いて唇を固く結び、驚きと絶望の混じった表情を浮かべている。
「ドジしたいためじゃないでしょ?」
あやかの言っていることは間違いではない。むしろ的確な方だ。
しかし、御子柴先生は言葉を言い返せない。涙を止めても、嗚咽を止めても。
「皆に慰められたいからじゃないでしょ?」
流石にこれ以上任せられないとあやかの肩を叩くが跳ねのけられた。まだまだ言いたいことを言い切れてないと察したが、あまりにもこれはやり過ぎだ。
「教師なんてやらなくても良かったんじゃないの?」
それでも尚、抉っていく。
調子に乗りやすい御子柴先生をさらに削り、余裕を微塵も残さぬために。
涙を流すことすら忘れた御子柴先生はただ呆然とあやかを見上げている。だがあやかは当然気遣う素振りは一切なく、ただ事実のみを突き付け、そして最後に言い放った。
「それじゃあ、ももちん。宿題ね。次アタシが来るまでなんで教師になったのか教えてね」
返答を待つこともなくオレを残して出て行ってしまう。あの様子ではオレの自転車を使って帰るつもりだろう。
なら、とオレも立ち上がるが服を引かれているのに気付き、そちらへ視線を向けた。
「…ぁ…?……ぇ………」
ぼろぼろと、先ほどまでは止まっていた涙がぼろぼろと零れ落ちていく。表情が徐々に崩れ、やがてまた歪んでいく。
慌てて涙を拭くものをと周りを見るもそれより先に御子柴先生がオレの下腹部へと顔を押し付けてきた。
「おわっ!?先生っ!!」
あまりにも突然の事で驚き―気づく。小さくも大人な体は怯えたように震えていた。
まるで小動物が縋り付くような愛らしい姿。だが、その女性はこれ以上ないほど泣き腫らし、嗚咽すら出す余裕をなくしている。
普通の人間ならここで見捨てられるはずがない。逆に、優しい人間なら自分で立ち直るのを期待するだろう。
だがオレはあやかのように優しかろうと非情になれるはずがなく、小さく息を吐いてゆっくりと両腕を後頭部へと回した。掌で頭を撫でると腹部から再び嗚咽が響いてきた。
「ごべ、ごべんなぁいぃぃぃっ!!」
「ちょっと先生っ」
「あ、あぁあああうぅああああぁあ!!」
言葉にもならぬ嗚咽と回された腕の力に動けなくなる。引き剥がすことは容易いがこれ以上辛くされれば壊れかねない。
「…まったく、仕方ありませんね」
結局オレは座り込み、御子柴先生の頭を掻き抱く。後頭部へと手を添えてゆっくり頭を撫でていく。まるで親が子供を慰めるかのように。
だけども彼女は年上で、オレの方が年下で。なんてことは関係ない。服に涙が染み込もうとやがて肌へと伝おうとただその頭を撫で続ける。
結局御子柴先生が落ち着いたのはそれから三時間後―日も完全に落ちた夜の事だった。
「…ごめんね、こんな、ダメな教師で」
「いきなりなんですか。ダメなんて思ってないですよ」
聞いてるこっちまで泣きそうになるほど悲しい声に、こちらは真逆に明るく優しい声色で応じる。撫でる手は止めぬまま、その肩を柔らかく抱き留めて。
「黒崎さんと、黒崎君にも…苦労かけちゃって、ごめん…ね…」
「そんなぁ、いいんですよ。頼ってくれたのは先生じゃないですか。いっぱいいる生徒の中であやかを頼ったのなら、こっちは全力でサポートしますよ」
「巻き込んじゃって、ごめん、ね……っ」
一層力が強くなる。下腹部への柔らかさ、甘い香りが嫌でも女を意識させる。だが、どれほど柔らかくとも甘くとも今だけは欲望へとつながりそうにはない。
オレからも頭を寄せ、大きな二つの耳に囁いた。
「泣き止んだらゆっくり眠って、美味しいご飯食べて考えましょう」
「………うん」
「これでも料理、得意なんですよ。デザートも沢山作りますからね」
「…うん」
「明日はちょうど休みですし、朝にはまた来ますから」
「…うん」
返事はたったそれだけだった。だが、それ以上に込められた力と、臀部で揺れる尻尾が応じるように動く。
「…うん」
「あやかは先生が嫌いじゃないんですよ。ただ、先生が直さなきゃいけないところを誰よりも見てて、それに気づいてるんです」
「…うん」
「だから、直していきましょう。いっぱいがんばったら、いっぱい褒めてあげますから」
「うん…っ」
それ以上は言葉もなく、ただ抱き合って頭を撫でるだけ。
生徒と教師、男と女。そんなこと関係なくあるのはただ慰めるだけの人間と、人間ではなくなった女性が泣きじゃくるだけ。色気もない様子にオレはただ苦笑して、ただ頭を撫でていくのだった。
16/05/10 23:44更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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