連載小説
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鍛えた強さ 前編
冷たい風が頬を撫で、髪の毛を靡かせた。もうすぐ冬も終わろうというのに相変わらず肌を刺すような冷気が私の体から体温を奪っていく。だが寒くないのは虎の体毛のおかげだろうか。厳しい寒さの夜空の下でも体を存分に動かせているのは隠した体が魔物だからだろうか。

「はっ!」

腕を突き出す。ただその動作だけでも以前以上に体が動くことを実感する。私が万全だった頃など遠く及ばない。そう思えるほど魔物の体は充実していた。
魔物が人間よりもずっと強いのも頷ける。魔物に挑んだところで負けるのも当然だろう。だがその存在に勝たんとする勇者は化け物としか言いようがない。
一通りの鍛錬を終え、汗を拭う。これで今日の分は終了にしよう。あとはシャワーを浴びて、着替えをして、それで―

「―ユウタさんにお夜食作って貰おっと!」

鍛錬による空腹を満たすにはやはりおいしいものがいい。本来魔物は人肉を食べるとか、魂を吸い取るとか聞くが私は元々人間の身。もしそうだとしてもそう簡単に習慣が抜けるはずもなく、またあんなおいしいものを知ってしまってはやめられるはずもない。
スキップでもしたい気分で王宮の廊下を行く。人気はないので隠す必要もないが万が一のため体を人の姿に戻し、魔力も極力押さえ込む。勇者や王族の人まで誤魔化しきれないだろうが滅多にあうことはないから大丈夫だろう。

「…ん?」

廊下の途中まで進んだところで魔物の耳に音が届く。人間以上に鋭くなった感覚は遠くの音まで拾えるので誰か来たらすぐに気づけるから便利だ。
砂を巻き上げ、地面を擦る音。歩いているのとは違って不規則で、さらには力強いもの。ただの足音にしては聞こえる位置が遠すぎる。たぶん、私の居たところと違う鍛錬場だろう。
そしてかすかに香る嗅ぎなれた不思議な匂い。時折甘く、時折おいしそうで、それで私の体を満たし、ざわつかせる。間違いようのないそれはユウタさんのものだ。
こんな時間まで鍛錬だろうか。疑問に思いながら足の進める先を鍛錬場へと変える。しばらくすると音は大きくなり、廊下を抜けると目的の場所へとたどり着いた。

「…わぁ!」

月明かりに照らされた鍛錬場のど真ん中に一人踊るユウタさん。まるで風で靡くように手が動けばくるりとその場を回って構えを変える。かと思えば今度は渦を巻くように手を踊らせて、そして腰を下げて掌を裏返す。
流れるような一連の動作。それはまるで吹き抜けた風で舞う木の葉のように滑らかなものだった。派手さはないが舞と言っても通じるほど軽やかで艶めかしく、美しい。思わず見惚れてしまうほどのものだった。

「美しいものだろう?」
「っ!?」

突然隣から声をかけられそちらを向く。そこにいたのは夜の闇でも輝く金色の長髪を靡かせるこの王国の王女様、『レジーナ・ヴィルジニテ・ディユシエロ』様だった。

「レジーナ様っ!!?」

背筋が震える。今一番会ってはいけない人物であり、この王国で戦闘狂と有名な王女様。そして勇者と並ぶ実力者。もし今の私が気付かれればその瞬間殺されてもおかしくない。
だが彼女は顔をこちらへ向けることなく青い瞳でユウタさんを追う。どこかうっとりと見惚れたような表情で。

「まるで舞のようだろう?ユウタはあれを『ゴウジュウリュウ』の『ジュウの型』と言っていた」
「じゅ、ジュウ?お肉の焼けるような名前ですね」
「違うわ馬鹿者。柔らかいほうのジュウだ。相手の力や自分の力を水流のごとく捌き扱う技の一種だそうだ」

あれを武術と呼ぶのは抵抗がある。拳を握り、蹴りを放ち、膝を叩き込んで肘を打ち込む。相手を倒すための技術を集約させた無骨なものが武術だと私は考えている。
だが今目の前で行われているのは無骨さなんて欠片もない。風が吹き抜けるかのように素早く、時折小川の流れのように穏やかに、滑らかに揺蕩う水面の様な動きは相手を破壊する技術など込められていないように思える。
あれは武術などではない。あれはもっと品の高く、洗練された―



「―芸術、だろう?」



ふふんと得意げに鼻を鳴らすレジーナ様の言葉に私は頷いた。
その後もユウタさんは舞い続けた。時には足を上げ、ゆっくりおろし、両腕を振っては空を割くように突出し、そして戻す。弾けた汗が月明かりで反射しながら舞う姿はレジーナ様の言うとおり芸術だった。
大きく息を吐き出すとユウタさんはゆっくりと姿勢を変えていく。開いた足を戻し、両手を重ね、そして体の横で止まった。どうやらこれで鍛錬は終了らしい。
するとぱちぱちとレジーナ様が称賛する様に手を叩いた。

「随分と熱心だな。男らしくていいではないか」
「わっ!見てたの!?」
「集中しすぎて気づかなかったのか?まぁ、あれだけの鍛錬だ、大目に見てやろう」

レジーナ様は近くに置いてあったタオルを手に取るとユウタさんへと渡す。一国の王女様が直々に手渡ししてくれるなんて随分と恐れ多く名誉なことだ。普通の騎士なら感涙を浮かべているだろう。だがそれを平然と受け取るユウタさんも随分と肝が据わっているというか…。
護衛と護衛対象。臣下と王族。その関係だからか随分と砕けた雰囲気な二人だ。
少し私の入りにくい空気の中。羨ましげに見つめていたその時、空の上から声が降ってきた。

「本当、素敵よね」

ガラスの鈴を響かせるような透き通った綺麗な声。レジーナ様のような威厳溢れるものとは反対に甘く色香を纏ったそれは誰のものか。
辺りを見渡すがここにいるのは私とユウタさんとレジーナ様のみのはずだ。だが声は変わらず響いてくる。
ただし、今度はユウタさんの隣から。

「ずっと見ていたいわ」

ユウタさんの隣の空間が歪み、黒や白い色が滲みだす。見続けているとそれは人の形へと変わり、そして一人の女性となった。
処女雪のように真っ白な髪の毛を靡かせる、透き通った白い肌をした女性。前面を大きく露出させた服に包まれた体は大きく整った胸や滑らかな腹部、眩しい太腿が目立つ。
だが、目立っているのはそれだけではない。
背中から大きく開いた白い翼。臀部から長く伸びた白い尻尾。そして白い髪の毛の間から生えているのはどう見ても角だ。
魔物。
それも私が知っている中でもかなり危険な部類に入る―いや、危険そのもの。

魔界の頂点にして魔を総べるものの娘。

傾国の美しさを兼ね備え、たった一人で国一つを堕落させる悪魔。


その名を―『リリム』


「こんな時間になにしてんだよ、フィオナ」

ユウタさんの声にリリムは―フィオナさんは彼の肩になれなれしく腕を掛けた。

「ふふっ。ちょっとレジーナを魔物にしてあげようかなって思っ―」

次の瞬間、青白い色の閃光がフィオナさんの首筋を薙いだ。だがそれよりも早く彼女はその場から飛び退く。

「危ないわね!何するのよレジーナ!!」
「ふふん」

閃光の正体はレジーナ様の手から放たれた魔力だった。レジーナ様は刀剣の形をしたそれを振るうとリリムに切っ先を向ける。

「さっさとここから消え失せろ。でないと私が消すぞ」
「もう、相変わらずなんだから。そんなのだからもてないのよ。ねぇユウタ」
「え?知らないけど」

王族特有の退魔の力を宿した魔力。それを打ち出したということは本気で殺しにかかっているのだろう。だがフィオナさんは怒ってはいるが本気ではなさそうだ。ディユシエロ王国内に軽々と入ってこれるあたりその実力が伺える。流石は魔物のトップクラスということだろう。
だが親しげに言葉を交わすユウタさんとは…どういった関係なのか気になる。本来ならば男性を魅了してやまないはずのリリムを前に平然と、友人のように応対する姿はなんなのか。
片や別世界の人間。
片や魔物を総べる王の娘。
そして王国の頂点に君臨する王女。
似ているようで全く逆な、近いようで正反対の三人。

親しいとは言い難いレジーナ様とフィオナさん。

気さくな友人の様なフィオナさんとユウタさん。

どこか砕けた雰囲気のユウタさんとレジーナ様。

彼女たちの関係は一体どんなものなのだろうか。

「それよかなんだよ。こんな時にいきなり来るなんてさ」

呆れたようにため息をついたユウタさんは汗をぬぐいながらそう聞いた。濡れた肌は月明かりの下で艶やかに照らされどこか色っぽく映る。ぞくぞくと感じてしまうのは私が人間ではないからだろうか。
フィオナさんはユウタさんの言葉に小さく笑うとこちらへと視線を向けてきた。
とても赤い、鮮血の様な瞳。見ているだけで虜になってしまう魔性の美貌。同性すら見惚れさせる人外の色気を醸し出しながら彼女は彼に囁いた。

「同族の匂いもしたからね」
「っ!!」

魔物となったからかその言葉は私にも届いた。傍で囁かれていたユウタさんには当然だがレジーナ様にはどうだろう。もしも聞こえてしまったら…私の命はそこで終わりだ。
恐る恐るレジーナ様の方を見る。彼女の瞳は私ではなくユウタさんとフィオナさんの方に向いているが聞こえたかどうかはわからない。

「同族?こんなところにいるわけないだろ」

ユウタさんは特に気にした様子もなくそう言った。本当は内心驚き、誤魔化そうと必死になっているのが伺える。

「あら、私はリリムよ?魔物の気配なんて眠っていてもわかるわ」
「っ!」

当然と言えば当然だ。
相手は魔を総べる王の娘。いわば魔の頂点に君臨するもの。
レジーナ様がこの王国の頂きにいるようにリリムもまた頂上に達する存在だ。そんな彼女に即席で覚えた人化の魔法が通じるわけがなかった。

「…ふふん」

凛々しく透き通った青い瞳がこちらに向けられる。
嫌な汗が背中を伝う。呼吸が乱れ、恐怖が心を満たしていく。一刻も早くここから逃げ出したい、彼女の前から離れたいと本能が叫んでる。だが、ここで本気で逃げ出しても彼女なら容易く私を殺してくれることだろう。
しかしレジーナ様はふふんと鼻を鳴らすだけだった。

「レジーナ…様…?」
「私に隠し事ができると思っているのか?これでも前線で魔物と闘い続けているんだぞ。ユウタの体に染みついた魔物の魔力とユウタとお前の動向で嫌でも気づく」
「え…!?」

ということは最初からばれていたということで…だけど、レジーナ様は私に殺気すら向けてこない。つまりそれは…。

「こ、殺さないんですか…?」
「なんだ?死にたいのか?」
「い、いえ…!ですが…私は今は…その、人間ではないのですから……」
「仮にも私が隊長を命じた相手をどうして容易く殺すことができようか。魔物になったものには容赦はしないが私が一度信頼を置いた相手だぞ。そう易々と切り捨てられるほど私は非常ではない」
「レ、レジーナ様ぁ…っ!」

このディユシエロ王国の頂点である彼女だから魔物化した相手はどんな者だろうと容赦なく切り捨てる。そう思っていた。
だが彼女は私の事を信頼し、魔物となっても殺さずにいてくれる。一国の王女であるレジーナ様のその一言が私の胸に響いてくる。

「情けない声を出すな。それでも私が隊長に命じた者か?」
「は、はいっ!すいませんっ!!」
「あらあら」

レジーナ様の発言にフィオナさんはまじまじと見つめる。赤い瞳を光らせ、柔らかそうな唇はにやりと笑みを浮かべ、何かを言いたげに。

「…気色悪い笑みを浮かべてなんだ」
「随分貴方も丸くなったのねレジーナ。昔なら魔物と見れば見境なく切りかかっていたっていうのに。誰かに影響されたのかしら?」

意味深に赤い瞳がユウタさんへと向いた―次の瞬間。

「…ふんっ」

フィオナさんの頭が殴られた。グーで思い切り。

「痛ったぁあ!?」
「無論殺してやる。貴様のような輩は見境なく切り捨ててやる。だがこの者は一度私が信頼した者だ。それも隊長という役割を与えた実力者だ。貴様ら下賤でいやしい魔物とは全く違う」
「そんなこと言うためだけに殴るの!?酷いんじゃないの!?」
「なんだ?なら切り殺された方がよかったか?」

平然と殺気を放ち、青白い退魔の力を宿した魔力が右手から放出される。だというのにフィオナさんは子供のように舌を出した。それだけ余裕があるという顕われなんだろう。
べぇっと子供っぽく舌を出したフィオナさんは私の方に向き直るとすぐに表情を笑みに変え、私の手を取った。

「ところで。ねぇ、貴方。私達のところに来ない?」
「え!?」
「わかるのよ。貴方、とても素晴らしい力を秘めてるわ。元々の実力も相当だったみたいだけど人虎になってさらにすごいことになってるわ」

細く長い指先が私の腕をなぞっていく。すると爪の先から徐々に虎の腕へと変わっていった。人化の魔法をこうも容易く解かれることにぞっとする。流石はリリムだ。まるで呼吸する様に魔法を操れるのだから。

「私もいつか国を任される。そこでは男性と魔物が仲睦まじく暮らしあうとても素敵な国にしたいの。そのためにも貴方の様な素晴らしい素質を備えた魔物がいてくれるととても嬉しいわ」
「わ、私がですか…?」
「ええ。レジーナに認められて、忠誠心も持ち合わせて。それに波ならない実力も備えて、とっても魅力的よ」

魔性の瞳が私を捕らえ、惑わす様に言葉を紡ぐ。同性だというのに、同じ魔物だというのに彼女の言葉は私の心を揺らしてくる。
頷いてしまいたくなる。
その手に触れて欲しくなる。
彼女の意のままに従いたくなる。
彼女の物へとなりたくなる。
だが私とフィオナさんの間に一本の細い腕が差し出された。確認せずともわかる、レジーナ様のものだ。

「それは私のものだ。私が信頼を置いて隊長に命じた存在だ。貴様なんぞにくれてやるものか」
「それだけ魅力的なの。欲しがったっていいじゃない。それに人虎ってすごいのよ?ユウタには悪いけどこの子の方がずっと強いわ」
「……………ほぅ?」

フィオナさんの言葉にレジーナ様の目が細められた。肌がちりちりと刺激され、剣呑な雰囲気を漂わせ始める。どうやら今の言葉がレジーナ様を怒らせたらしい。

「随分な物言いだな。私の護衛がたかだか虎の魔物に勝てないと?確かに元は私の信頼を置いた者だが魔物になろうがこの男が負けることなどありえん」
「あら?」
「ふふん」

ディユシエロ王国第一王女、レジーナ様。
魔界の頂点の姫君、フィオナさん。
お互いに対立する国のトップ同士の睨みあい。隠した実力は勇者すら超えるのではないか、そう思わせるほどの雰囲気はとても常人が近づけるようなものではなく、立っているだけでも汗が噴き出してくる。気の弱い人ならここにいるだけで命を落としかねない、まるで戦場のように張りつめた緊張感。指先どころか呼吸すら止まってしまう。
だがとんっと私の注意を逸らす様にユウタさんが肘で突いた。

「大丈夫?」
「え、は、はい!何とか…!」
「なら良いんだけど」
「…ユウタさんは大丈夫なんですか?」
「まぁ、二人が睨みあうといつもこれだし」

ということはこの二人、敵対しつつも顔を合わせる機会が多いということか。
この王宮内にばれずに侵入するリリムもそうだがそのリリムと顔を合わせて無事でいるレジーナ様もすごい。流石はディユシエロ王国のトップだろう。
そして、その双方を目前にして平然としてられるユウタさんも。
そんなユウタさんは疲れた顔で私の方へ顔を近づけて囁いた。

「…なんか親の喧嘩に巻き込まれた子供の気持ちだよ」
「ですね」

バレないように苦笑する。
これでは一国の王女も魔界の姫君もただ自慢がしたくてたまらない一人の女性。どことなく似たところのある少女な姿が微笑ましい。一歩間違えれば殺し合いになりかねないのは恐ろしいけど。

「いかに魔物が優れていようが最後に勝つのは人間だ。怪物を、化け物を殺すのはいつだって努力を積み重ねた人間だ。こいつのようにな。貴様のように元から備わったものしか扱えん、精進することすらわからんリリムには到底理解できないことだろうがな」

突然レジーナ様はユウタさんの肩を掴むと抱き寄せる。まるで抱き上げられた猫のように逃げ出そうと暴れるがレジーナ様の力には勝てず諦めたように力を抜いた。

「あら、確かに人間の潜在能力は目を見張るものがあるわ。だからこそ私達はそんな人間に魅力を感じてる。でもね、人間が自力で空を飛べる?人間が口から火を吐ける?ドラゴンはその両方ができるし、私だって空を飛べるわ。レジーナ、貴方にはできるの?」

そう言いながらフィオナさんは私の腕を掴んで引っ張った。虎となった腕を取るとレジーナ様に見せつけるように突き出す。

「努力することを知らない魔物が調子に乗るな。ドラゴンだろうとやがては打ち取られ、リリムですら敵わぬ勇者が私の王国にはいるんだ。血反吐を吐いてまで貴様らを殲滅せんとするものが大勢いるんだぞ。現に戦力にはならないかもしれないがユウタはお前の魅了に靡いていないだろう?所詮魔物はその程度、いずれ人間に打ち負かされる命運よ」
「私達だって努力はするわよ。レジーナは魔物がどれだけ優れているか認められないだけでしょ。貴方って本当に狭量なのね。そんなんだからユウタだって貴方の命令に従わないのよ。それって王女としてどうなの?一国を背負って立つのに自分の臣下一人言うこと聞かせられないどころか、ユウタだって貴方に靡いてるように見えないわよ。女の魅力も全然じゃないの。魔物っていうのはね、元々男性を愛するために努力するの。私達が目指しているのは人間よりも強くなることじゃなくて人間を愛して、愛されるためなの。殲滅だとか討伐だとか粋がってるだけの貴方じゃ到底私達の魅力には勝てないわよ」

一度言葉を止めるとずいっと二人が顔を寄せた。よく見るとレジーナ様は眉間にしわがより、フィオナさんは赤い瞳がぎらついていた。怖。

「ここで髪の毛一本すら残さず浄化されたいか?いや、特別に首だけは残して王宮の壁に飾ってやる。きっと皆お前の首を見たら人間の偉大さを再確認し、人間であることを誇りに思うことだろう」
「あら、ディユシエロ王国も魔界にしてあげましょうか?特別に貴方は魔界を総べる王女にしてあげるわよ。皆が淫らに暮らす姿を見て愉悦を覚えて人間であったことを忘れるくらい快楽に堕落することね。魔物になってよかったって言うに違いないわ」
「…叩き切られたいか?」
「…魔物になりたいの?」

言っていることからしてもう恐ろしすぎる。女性同士の言い争いは結構熾烈なものがあるが国のトップ同士の争いとなるとその舌戦も過激なものとなる。
その二人につかまってしまった私達。流石に困り顔のユウタさんも止めようとレジーナさまの肩を叩く。私も同じようにフィオナさんの肩を叩いた。

「ちょっとレジーナ。落ち着いてよ」
「落ち着けるか。これほどの屈辱を受けて黙っていられるわけがないだろうが」
「あのフィオナさん?ちょっと落ち着きましょう。ほら、深呼吸して」
「静かにして貰えるかしら。いくら魔物でも馬鹿にされたままじゃ終われないわ」

レジーナ様の視線がユウタさんに、フィオナさんの目が私に向く。

「…ふふん。ならば試してみるか?」
「ええ、そのほうがはっきりするでしょうね」
「…は?」
「え?えっと…レジーナ様?フィオナさん?」

フィオナさんは私の肩を掴み、レジーナ様はユウタさんの肩に手を乗せて言った。


「ねえ、貴方。人虎の力見せつけてもらえるかしら?」


「ユウタ。どちらが実力が上かわからせてやれ」


「…は?」
「…え?」

二人の言葉に私達は一瞬反応ができなかった。

「なんだ?聞こえなかったわけではないだろう?」
「いや、っていうかレジーナ、リチェーチは元々こっち側じゃん」
「あの、フィオナさん?私元々その人間なんですが」
「今は魔物でしょ」

ああ、だめだ。お互いにお互いが譲らない。

「戦え、ユウタ!」
「パス」

だがそれでもユウタさんはレジーナ様の言葉を平然と拒否で返した。
王族の言葉はこの王国内では絶対だ。それに拒否するということは王の命令に背くと同じこと。首を切られてもおかしくない所行だ。だがユウタさんは恐れるわけもなくあきれ顔を浮かべるだけ。

「…お前。不敬罪で死にたいのか?」
「あのねレジーナ。オレだって何度も女性相手に戦いたくないんだよ。こっちにも曲げられないもんはあるんだって」
「男らしくていいものではあるがそれとこれとは話が別だろう?私はお前の主も同然。そしてお前は私の臣下だろう?それなら上の言葉に従うことは当然のことだ」
「だからって何度も戦いたくないよ。それに見てよ。リチェーチの体。あれ魔物だよ。虎だよ?人間が獣に勝てるわけないでしょ」
「獣にも勝てない人間が勇者候補として名を連ねるか?ただの貧弱な人間が私の護衛を一人で勤められるのか?ユウタ、お前は十分人間離れしているだろうが」

お互いに譲らぬ言葉の応酬。ああいえばこう言い、こう言えばああ言う。その繰り返し。レジーナ様相手に拒絶の言葉をなんの躊躇いもなく口にするその度胸。本来ならば首を切られてもおかしくないというのにユウタさんは平然と言葉を紡ぐ。
ふとレジーナ様が何かを思いついたように顔を上げる。そしてにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「ならどうだ?私の為に戦うというのなら…私がお前の為に何でも一つしてやっていいぞ?」
「じゃこの戦い取り消しで」
「おい待てこら」

同性ですら見惚れる美貌を持ったレジーナ様が妖艶に囁いたというのにユウタさんは即答する。その言葉にレジーナ様はユウタさんの襟首をつかみ引き寄せる。

「私のために戦うこと前提と言っただろうが!」
「なんでもしてくれるって言ったのに!」
「それは戦った後に決まっているだろうが!!」
「心構えだけでも十分じゃん!!」

言葉の応酬は止まらない。だがそんな言い合いができるほどユウタさんはレジーナ様と親しい間柄なのだろう。そうでなければ皆と同じように恐れおののき、私みたいに言葉一つ交えるのにおどおどするはずだ。
二人をフィオナさんと並んで見ていると戦闘狂と呼ばれたレジーナ姫も一人の女性なのだろう。譲らぬ言い合いをしているだけだというのにどこか彼女の顔は綻んでいる。
ふと、隣のフィオナさんをみた。レジーナ様とユウタさんのやりとりを前に彼女はおもしろくなさそうに頬を膨らませている。まるでのけ者にされてすねる子供のように。

「だったらこれはどうだ?お前がよく行くあの胡散臭い女の店のコメとかいう食材、あれを買い占めてやる。それならお前も乗るだろう?」
「別にそんな大量には…」
「やります!!」
「何でリチェーチが手あげんの…」
「やりましょうよユウタさん!私オコメ欲しいです!」
「別にそんなにあったところでしまう場所に困るんだけど」
「なら私の部屋にもおいて言いですから!」

それに再びユウタさんと戦えるチャンスを逃す訳にはいかない。なんだかんだで私も結構乗り気だった。
この体がどこまでユウタさんに届くのかを試したい。人間と魔物という大きな差ができてしまったが実のところ私はユウタさんの実力を片鱗しかわかっていない。

知りたい、彼の実力を全てが。

あの美しい舞踊のような武術がどれだけ私を楽しませてくれるのか。
その闇色の瞳の奥に宿した覚悟はどれだけ私に刺激を与えてくれるのか。

「戦え、ユウタ!」
「ね?お願いよユウタ!」
「戦いましょう、ユウタさん!!」

一国の王女と魔界の姫君と私。肩を並べること自体無礼になりかねないが抱いた気持ちは同じもの。三人一緒に目の前で渋る男性へと迫っていく。

「…ああ、もう。全く仕方ないな」

そうしてようやく彼は諦めたように空を仰ぎ、疲れたようにため息をつくのだった。
14/11/03 00:42更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということで堕落ルート人虎編第四話、バトル編へと突入します
本当ならこの話で入るはずだったのですが量が多くなりそうだったので次回になります
もうしわけありません
ここにきてまたもや登場するディユシエロ王国レジーナ王女とリリムのフィオナ
やはりこの二人の関わりは外せませんね
次回は後編、バトル回になります!

ここまで読んでくださってありがとうございます!!
それでは次回もよろしくお願いします!!

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