求める強さ
雲一つすら浮かんでいない、突き抜けるような青空の下。差し込む日の光が突き刺さる様な真冬の冷たさを和らげる。そんな中を私は白い息を吐き出しながら両手を擦り合わせて王宮内を見回っていた。
毎日見ている同じ王宮内の装飾。特にこれといった面白味のない見慣れた廊下を歩きながら今日の分の仕事をする。仕事と言ってもただの見回りだけなのだが。
「はぁ…っ」
冬の風から温めるように両手を擦り合わせ息を吹きかける。それでも容赦ない冷たさは私の肌から熱を奪って感覚を鈍らせていく。
「温かいもの食べたいなぁ…」
くぅっと切なく鳴くお腹に両手をあててみるが空腹は誤魔化しきれない。きっとそろそろ昼食時。それならこのまま休憩に入ってしまおうか。王宮の食堂にでも行こうかそれとも城下町で食べようか。でも城下町のレストランは大抵食べ終えてしまったし…。
「食堂も最近は新しいメニューないしなぁ…」
どこで食事をとろうかと考えながら歩いていると目の前の曲がり角からある人が出てきた。
「あ!」
私よりも頭半分ほど低い身長で体の線のわかりにくい服を着た、特徴的な黒い髪の人物。日の光を艶やかに反射する癖のあるそれはこの王国内ではまず見られない珍しいもの。さらにはその色に合わせたものなのか纏っているのは同じ色をした黒い布地の服。堅めの生地を使って作られたその服は黄金のボタンがつけられかなりの高級感が漂ってくる。何よりも特徴的なのは私へ向いた二つの瞳。髪の毛よりも服よりもずっと濃くて黒い色をした瞳はまるで明かりのない新月の夜をはめ込んだような闇色であり見つめ続けると吸い込まれそうな不思議な感覚に陥る。
それが彼という人間。
それが―
「あ、ユウタさん!」
「や。リチェーチ」
―黒崎ユウタという私に敗北を与えてくれた存在だった。
普段着ている、背中に十字架を背負ったデザインの制服と違う私服姿。片手には見慣れた荷物を持っている。どうやら今日はお仕事はなしなのだろうか。
「制服姿じゃないなんて珍しいですね!」
「こっちも制服なんだけどね。今日は休日だからさ。リチェーチは見回り?」
「はい!でも何もなくて退屈なものですけどね…」
「平和ってことでいいじゃん」
そんなことを話しながらユウタさんは私の隣並び歩き始めた。
ユウタさんと言えばこの王国で戦闘狂と歌われる王女様『レジーナ・ヴィルジニテ・ディユシエロ』様をたった一人で護衛している人だ。何でもあるときレジーナ様のお遊びで気に入られたのが原因だとかで無理矢理王族護衛という役職についたとか。だが、騎士団のトップである騎士団長すら適わないと言う実力者を一人で護衛するのだから柔らかな雰囲気とは逆にかなりの実力を秘めていることだろう。
事実、私はこの人相手に手も足も出すことはできなかったのだから。
「ん?三つ編み続けてるんだ」
「はい!これだと纏まって大分動きやすいです!」
「じゃ、もう片方もやればいいのに…」
私はユウタさんに教わり、編んだ片側の三つ編みを見せた。
私の知らないことをいろいろと知っていて、私のできないことをやってのける一人の男性。その素性は別世界の人間というのだから納得してしまう。住まう世界が今まで違っていた人間だ、私ができることでも彼はできないこともあり、その逆もまたたくさんある。
とても興味深く、それ故彼の傍は楽しい。
隣で並んで歩いていると手に持った荷物が揺れる。その度ふわりと漂ってくるのは空腹を刺激する良い香り。お腹が鳴りそうなのを我慢するがそれは間違いなくこの空腹を満たしてくれるものだろう。思わず口の端から涎が垂れそうになる。
ごくり、と喉がなった。
「ユウタさん…それは今日の分ですか?」
「ああ、そう。差し入れだよ。食べる?」
「はい!いただきますっ!」
「んじゃ、えっと…どこがいいかな」
「あっちの木陰なんて人目につかなくてバレにくいですよ!」
「バレにくいって…見回りがそんなこといっていいのか」
実際のところ護衛部隊の隊長と言っても普段私の仕事は王宮内の見回りと部隊の鍛錬だけだ。緊急時には先頭に立つことや殿をつとめることこそ私達の義務だがこういった平和時には退屈で退屈で詰まらぬ仕事でもある。
だから、隊長であってもこうしてお昼休みという名目の休憩をしても誰も困ることはない。しばらく職場から離れたところで問題なんて起きもしないのだ。
「ほら、行きましょう!」
「あ、ちょっと…仕方ないな」
はやる気持ちを抑えることもせず私はユウタさんの背中を押す。私よりも背丈はわずかに小さいのに肩幅は広く逞しい。体の線はわかりにくいがきっと細いことだろう。それでも男性らしい体つきだ。このどこでどうやって力が生まれるのか不思議で不思議でたまらない。
木陰の下についた私達は草の絨毯の上に座り込んだ。ユウタさんは胡坐をかき、その上に包みを広げる。いくつも並べられたのはここ最近になって見慣れてきた「オニギリ」というものだった。「コメ」というものを炊いて固まりになるように握り込んだそれは保温魔法のかかった魔法道具で持ってきたためか湯気がでていて暖かい。これなら出来立てと変わらない味がすることだろう。
それを前に私は両手をあわせて挨拶を一つ。
「いただきますっ!」
ユウタさんから教えられた食前の作法。何でも料理となってくれた材料やそれを作った人への感謝を込めた挨拶らしい。
「どうぞ、召し上がれ」
そういってユウタさんからオニギリを受け取ってすぐに口へと運ぶ。
普段から食べ慣れているパスタやパンとはまた違う感触。この王国では手に入らない材料でできた料理は珍しく、王宮の食堂や城下町のレストランではお目にかかれないだろう。さらにはおいしい。薄い塩で味付けやものや焼いた卵で閉じたもの、はたまた細かく刻んだお肉を混ぜ込んだものと種類は豊富でどれも美味。おかげで私も手が止まらなくなるほどだ。
「そんなに頬張ってたら喉詰まらすよ」
「はっふぇ、おいひいんれふふぉんっ」
「そういってもらえるのは嬉しいよ」
私の言葉に彼は心底嬉しそうに笑みを浮かべながら自分の分に手を伸ばした。
「んぐ、それに食べないとやっていけないのはユウタさんもよく知ってるでしょう?」
「まぁ、レジーナの相手をしてりゃ嫌でもわかるよ」
見回りといっても必要な体力はかなりのもの。時には鍛錬もするのだからお腹はすぐに減るし、食べないとやっていけない。そこにこんなにおいしい料理を持ってこられては食べるなというほうが無理だろう。
護衛仕事は体力勝負。王族相手と護衛部隊の隊長という役柄こそ違うが同僚とも言えるユウタさん。それならいかに体力が大切なのか、食事が大切になってくるかを十分理解していることだろう。
だからこそ食べる。そして寝る。食事と休息は体力を回復させるために必要なことであって、悪いことじゃない。私がやっていることは至極当然なことだ。
「ごちそうさまでしたっ!」
「おそまつさま」
用意してもらった料理を全て平らげた後、両手をあわせて一礼する。これもまたユウタさんから教わった食後の作法。料理を作ってくれた人―つまるところ目の前のユウタさんに感謝の意を込めた挨拶だ。
「ユウタさんが作る料理っていつも珍しいものばかりですよね!それでおいしいし!」
「実際コンビニとかで売られてたもの真似て作ってるだけだから受けはいいと思うよ」
「…こんびに?」
「まぁ、こっちの話」
「…?でも、ユウタさんどうしたんですか?休日だって言うのにわざわざ私のところに来てくれるなんて」
「さっき外でようと思ったら窓下にリチェーチがいたのとちょうど米がつきそうだったからさ、余ったのをいつもみたいに食べてもらってそのまま買い物にいこうかと思ってたんだよ」
そういってユウタさんはベルトにくくりつけた財布を揺らした。金属のこすれる音が響くがあまり量は入ってないように思える。量と音からして中身は金貨だろうか。
「…それだけのお金で買い物に行くんですか?」
「基本的に見慣れぬ土地じゃ財布にお金は全部入れるべきじゃないんだよ。半分以上は別のとこにしまってるから大丈夫」
そう言ってユウタさんは胸ポケットを叩いた。
これから一人で買い物にいくユウタさん。彼の後を追って城下町への買い出しか……退屈な見回りよりかはずっと楽しいことだろう。
「それなら私手伝いますっ!」
「ん?」
「いつもご馳走になっていますから是非とも!私をお供に!」
「いや、見回りは?」
「さぼります!」
「おい」
呆れ顔でため息をつくユウタさん。だがさぼって昼寝をするわけではない。こう見えても私は結構鍛えているし、力仕事もお手の物。普段からお世話になっているのだからこういう時こそ役立たないと。
「その分荷物運びさせてください!日々鍛錬したこの体なら重たい荷物も軽々ですよ!」
「いや、女性に荷物持たせるのは失礼だって」
「いつも食べさせてもらってますからそのお礼です!」
「でもさぼるし」
「見回りなんて平和すぎてやることないんですよ。だから私一人さぼっても特に変わりません!」
「威張るなよ、護衛部隊隊長殿」
もう一度呆れたようにため息をつくが顔には苦笑を浮かべている。本気で嫌がったり怒ったりしてはいないようだ。
口ではなんだかんだ言いながらも頼みこめば断らない。嫌がるのも素振りだけで結局は甘やかす。優しくて、思わず甘えすぎて申し訳なく思ってしまうがやめることはできそうにない。
退屈な日常に色をくれる興味深い存在。この王宮内で誰とも被らない性格や雰囲気は堪らなく心地よく、程よい位に刺激的。まるで滑らかな口溶けのデザートのように甘く、時折ピリリと辛くもある。様々な色を溶け込ませたかのように多彩であり、舐めるたびに味が変わって飽きさせない。それなら退屈なんて感じる暇もないだろう。
実際に舐めたらどんな味がするのだろうか、なんてことを考えてしまう。流石にそこまでしたら嫌がられそうだからやらないけど。
「それで一体どこへ?」
「城下町の外壁周辺のお店だよ」
「それなら!あそこらへん治安が悪いですから護衛しますよ!」
「別にそこまで危険じゃないよ。もしもの時はなんとかなると思うし」
「もしもの時があるからこそ危ないんです!安全だなんて言い切ることはできませんよ!」
「それ王宮内でも同じこと言えるよね」
呆れ顔のユウタさんの背中を押して王宮の門付近へと移動する。だがここの門番は私の部隊の管轄外なので見つかったら大変だ。報告されようものなら大問題でたぶんレジーナ様直々に喝を入れられるかもしれない。
ということで。
「よいしょー!」
私はユウタさんを抱え上げた。膝裏に腕を通しもう片腕を背中へと、いわゆるお姫様抱っこという形で。
「…は?」
「わぁ、結構ユウタさんって重いんですね!」
「いやいや」
体の線のわかりにくい服を着ているが両腕にはかなりの重量がかかってくる。見た目よりもずっと重いのはこの細い体を筋肉で絞りあげたからだろう。そのためにかなりの鍛錬と努力を積み重ねてきたに違いない。これならこの人が強いのも納得すると言うものだ。
「突然何すんのさ」
「だって門番さんに見つかったらさぼってるのばれちゃいますからね、城壁を越えていこうかと思いまして!」
「思うなよ。っていうか重くないの?」
「これでも護衛部隊の隊長ですよ?それなりに魔法だって使えるんです!」
もっとも私が使えるのは肉体強化系だけ。体を鋼鉄のように堅くしたり人間以上の筋力を出したりとそう言ったものしかできない。それでも彼一人を抱き抱え城壁を越えることぐらいなら十分だ。
「それじゃあ壁を駆け上がりますから舌噛まないように気をつけてください。あと振り落とされないように抱きついていてくださいね!」
「え?駆け上が…え?」
練り上げた魔力を足に溜め、私は一気に壁を駆け上がっていった。
城壁を超え、城下町の屋根を飛び、王宮から離れた人気のない場所へたどり着くと私はユウタさんを下ろした。
「レジーナといいリチェーチと言い…実力者って言うのはみんな似たようなこと考えつくんもんだね」
「レジーナ様と同じと言われるなんて光栄ですね!」
「誉めてないから」
お互いに乱れてしまった服装を直して街を歩いていく。流石に護衛部隊の隊長が勤務時間中に街中を堂々と歩くわけにもいかずに人気のない裏路地を選びながら。そうしてたどり着いた目的地はユウタさんの言った通りこの王国と外を隔てる壁付近にあった。周りの家とはちょっと違う木造立ての建物には大きな狸の絵が描かれた看板が飾られている。一見何のお店かわかりにくいがユウタさんが食料を買いに来たというのならそういう店なのだろう。
「狸…ですね?」
「狸だよ」
「狸というと狸汁っておいしいですよね!」
「食べたことないからわからないんだけど」
そんなことを話し合いながらユウタさんは戸を横に引き中へと入っていく。その後を続いて私も入っていと出迎えたのは一風変わった格好をした女性だった。この王国で見られるものとは違う、ユウタさんが着ている服ともまた違う格好でありながら異様さを感じさせずこんな王国でもうまくとけ込めている。茶色の短めの髪の毛。その上にアクセサリーなのか葉っぱの髪留めをしている。まるで表の看板の狸のように。前髪がやや長いのか目元まで影ができ少しあくどい雰囲気を醸し出しいてるがそれ以外を見れば美人といってもいい女性だろう。笑顔を浮かべ両手を擦りあわせている様子からこの女性が店主に違いない。
「おぉ!まいどおおきに、ゆうたはん。頼まれとったもん揃えといたで」
「いつもどうもです」
「こないな町でぇはゆうたはんぐらいしか利用してくれる人はおまへんから、ぎょうさんさーびすしまっせ」
にこにことあくどい雰囲気ながらも嬉しそうに笑みを浮かべる女店主。
客と商人。それだけの間柄にしては親しげなのはここを利用する人が少ないからなのだろうか。それにしては彼女はどこか熱のこもった視線をユウタさんに投げかけている。肝心のユウタさんは気づいていないのか特に反応はないけど。
世間話も一段落すると彼女の視線が私に向いた。
「それで…今度は一体どこのべっぴんさん連れ歩とるんでっか?」
「その言い方やめてくれませんかね」
「英雄色を好む言いおるけどゆうたはんはまさに英雄の器でんがな。こらかなわんわぁ」
「やめてくれませんか本当」
「ほんならもう一人くらい囲ってもええんちゃうか?ゆうたはん…♪」
「いえ、ですから…」
流石にこのまま放っておくのはよくないだろう。彼も困っているのだから止めなければ。そう思ってユウタさんの前に出て私は彼女に向かって敬礼をした。
「ディユシエロ王国護衛部隊隊長、リチェーチ・ガルディエータと言います!」
「ちょ、肩書軽々しく言うもんじゃないでしょ」
知らない人には自己紹介。ちょっとばかり余計なことを口にしていたがこんなところで部隊隊長だとばれたところで報告なんてされはしないだろう。見たところ国外から来た人間らしいし。
だが一瞬、彼女の目が細められた。自己紹介をしただけだというのに何やら警戒するように雰囲気も剣呑なものとなる。
「ほぉ……こらご丁寧に。まさか王国の護衛部隊隊長はんがこないなところに何用や?」
「彼女はオレの護衛をしてくれるとかでついてきただけですよ」
「あら、そうでっか。こら失敬」
ユウタさんの言葉にけろりと雰囲気を変える店主さん。何やらあまり王国の関係者に良い印象を持ってないのかもしれない。
「ゆうたはん。いつも通りこれでええでっか?」
「はい、いいですよ。御代はこれで大丈夫ですか?」
「ええよええよ。こないなぎょうさんいらんて。お得意様なんや、さーびすしたるで」
「え、でも遠距離転送用の札とかサービスしてもらってますし悪いですよ」
「ほんなら、もっと他のもんも見てってやぁ。商売人にさーびすすんねんやったらもっとぎょうさん買ってってぇな」
両手をもみもみしながらいやらしい笑みを浮かべて身を寄せる店主さん。後ろに下がりながら困った笑みを浮かべるユウタさんを横目に私は一人店内のものを見て回っていた。
どこかで見たことのある、ハートの形をした果物。キャベツに似ているのだが全く別物である野菜。蜂蜜よりも濃い色をした液体を詰め込んだ瓶に微量の魔力を感じるアクセサリー。どうやら売っているのは食べ物だけではないらしい。
これならもしかしたら…肉体強化の魔法が付与された道具やアクセサリーも置かれているかもしれない。
「…あの」
「うん?なんか用でっか?」
ユウタさんは店内の商品を物色してる。そんな姿を嬉しそうに眺める店主さんに私は小声で訪ねた。
「あの、すいません。こちらのお店って食べ物屋さん…というわけではないんですか?」
「むしろ万屋っちゅー方がしっくりくるで。食べ物、薬、はたまた防具や武器もぎょうさんと取りそろえとるからなぁ」
「…なら、その……強化魔法のかかったアクセサリーとか置いてませんか?」
「強化?そらまたけったいなもんをお探しでんがな。わざわざ護衛部隊の隊長はんがそないなもの探すなんて、あんはんならそないなもん使わんでも十分強いでっしゃろ?護衛部隊の隊長はんなんやし」
「ええ、まぁ、それなりに実力はありますが…それでもまた足りないんです…!」
退屈な護衛職。日常に刺激のない見回りだけのお仕事では体も訛りやがては体も衰える。だけど、先日退屈を塗り返してくれる刺激を与えてくれた人がいた。
護衛という守るだけが使命だった私に敗北を与えてくれた人がいた。
どうして負けたのかはわからない。
どうやって敗北したのかすらわからない。
だけど、だからこそ。
そんな相手に勝ちたいと思っている。
「私は」
敗北という刺激を与えてくれた相手に感謝を
「ユウタさんに」
退屈という日常を覆してくれた相手に敬意を
「勝ちたいんですっ!」
そして、勝利を塗り替える正々堂々の敗北を贈りたい。
体を強化した際の感覚を馴染ませ、その域まで魔法を用いず至る。努力の目標地点を決めるためのきっかけが欲しい。
血反吐を吐くことすら厭わない鍛錬や、骨身を削る思いをしてまで強くなるためのチャンスが欲しい。
「…ふむ、ほんなら、これなんてどうやろか」
木箱の中から取り出されたのは指輪にも見えなくはない髪留めだった。琥珀でできたのか黄褐色であり、部屋の明かりを艶やかに反射する。黒いギザギザの、まるで雷のような模様がいくつも入っている。
「これは?」
「名のある武道家の使っとった髪留めや。これならあんはんにもちょうどつけられるやろ」
彼女は私の左頬―三つ編みにした髪の毛に添えた。確かにこれなら普段の髪留め代わりにすればちょうどいいだろう。
「まずは形から入ってみぃや。その武道家と同じ気分になれりゃそん時はきっと武道家の実力もつくことやろ」
「…形から、ですか」
そんなものを身につけたところで実力というのは簡単につくわけではない。だが、その武道家さんと同じことを感じられれば多少は強くはなれるだろうか。
それにこれからは微力ながら魔力を感じる。身体強化魔法を施したのとは違う、もっと禍々しいもの…そう、まるで魔物の魔力に近いものだ。
魔物の魔力を宿した道具
それは身に着けた者に絶大な効果をもたらす半面代償として体を蝕み、やがては魔物へと変貌させる恐ろしいもの。本来ならばこのディユシエロ王国で所持するどころか持ち込むことすら禁止されているもののはずだ。
これを長く身に着けていれば魔物の魔力に体を犯されやがて体は魔物のそれへと変貌することだろう。いかに魔力の扱いに長けている私とてそれは同じことだ。
「強くなりたいんとちゃいまっか?ほんなら、多少の危険を冒さんと。『虎穴に入らずんば虎児を得ず』やで」
「こけつを…え?なんですか?」
「虎児を得ず。獲物を仕留めるんなら相応の危険を冒さんとだめやいうことや。あんはんならその心意気に免じて銅貨一枚、お安くしときまっせ」
危険を冒さなければ手に入らない実力。それは並みならぬ努力が相応の実力を与えてくれるのと同じこと。血反吐を吐くほど、骨を折るほどの苦労が私を強くさせてくれる。なら、この危険もまた私に力をくれるのだろうか。
さらに強くなるきっかけがある。
ユウタさんに勝てるチャンスがある。
ならば迷うことはなにもない。
「これ、下さい!」
「毎度!おおきに!」
財布のポケットから出した銅貨を差し出し代わりに髪飾りを受け取った。直接地肌に触れると禍々しいまでの魔力を感じられる。ずっと身に着けていれば魔物になってしまうのではないか、そう思えるほど濃密な魔力だ。
だけど、それでも強くなるきっかけとなるのなら、退屈な日常を色づける要因の一つとなるのなら…それもまたいい刺激なのかもしれない。
貰った髪飾りをポケットにしまうと私は未だ店内を見て回るユウタさんの方へと駆けだした。
「くくっ…立派な虎になるんやで♪」
毎日見ている同じ王宮内の装飾。特にこれといった面白味のない見慣れた廊下を歩きながら今日の分の仕事をする。仕事と言ってもただの見回りだけなのだが。
「はぁ…っ」
冬の風から温めるように両手を擦り合わせ息を吹きかける。それでも容赦ない冷たさは私の肌から熱を奪って感覚を鈍らせていく。
「温かいもの食べたいなぁ…」
くぅっと切なく鳴くお腹に両手をあててみるが空腹は誤魔化しきれない。きっとそろそろ昼食時。それならこのまま休憩に入ってしまおうか。王宮の食堂にでも行こうかそれとも城下町で食べようか。でも城下町のレストランは大抵食べ終えてしまったし…。
「食堂も最近は新しいメニューないしなぁ…」
どこで食事をとろうかと考えながら歩いていると目の前の曲がり角からある人が出てきた。
「あ!」
私よりも頭半分ほど低い身長で体の線のわかりにくい服を着た、特徴的な黒い髪の人物。日の光を艶やかに反射する癖のあるそれはこの王国内ではまず見られない珍しいもの。さらにはその色に合わせたものなのか纏っているのは同じ色をした黒い布地の服。堅めの生地を使って作られたその服は黄金のボタンがつけられかなりの高級感が漂ってくる。何よりも特徴的なのは私へ向いた二つの瞳。髪の毛よりも服よりもずっと濃くて黒い色をした瞳はまるで明かりのない新月の夜をはめ込んだような闇色であり見つめ続けると吸い込まれそうな不思議な感覚に陥る。
それが彼という人間。
それが―
「あ、ユウタさん!」
「や。リチェーチ」
―黒崎ユウタという私に敗北を与えてくれた存在だった。
普段着ている、背中に十字架を背負ったデザインの制服と違う私服姿。片手には見慣れた荷物を持っている。どうやら今日はお仕事はなしなのだろうか。
「制服姿じゃないなんて珍しいですね!」
「こっちも制服なんだけどね。今日は休日だからさ。リチェーチは見回り?」
「はい!でも何もなくて退屈なものですけどね…」
「平和ってことでいいじゃん」
そんなことを話しながらユウタさんは私の隣並び歩き始めた。
ユウタさんと言えばこの王国で戦闘狂と歌われる王女様『レジーナ・ヴィルジニテ・ディユシエロ』様をたった一人で護衛している人だ。何でもあるときレジーナ様のお遊びで気に入られたのが原因だとかで無理矢理王族護衛という役職についたとか。だが、騎士団のトップである騎士団長すら適わないと言う実力者を一人で護衛するのだから柔らかな雰囲気とは逆にかなりの実力を秘めていることだろう。
事実、私はこの人相手に手も足も出すことはできなかったのだから。
「ん?三つ編み続けてるんだ」
「はい!これだと纏まって大分動きやすいです!」
「じゃ、もう片方もやればいいのに…」
私はユウタさんに教わり、編んだ片側の三つ編みを見せた。
私の知らないことをいろいろと知っていて、私のできないことをやってのける一人の男性。その素性は別世界の人間というのだから納得してしまう。住まう世界が今まで違っていた人間だ、私ができることでも彼はできないこともあり、その逆もまたたくさんある。
とても興味深く、それ故彼の傍は楽しい。
隣で並んで歩いていると手に持った荷物が揺れる。その度ふわりと漂ってくるのは空腹を刺激する良い香り。お腹が鳴りそうなのを我慢するがそれは間違いなくこの空腹を満たしてくれるものだろう。思わず口の端から涎が垂れそうになる。
ごくり、と喉がなった。
「ユウタさん…それは今日の分ですか?」
「ああ、そう。差し入れだよ。食べる?」
「はい!いただきますっ!」
「んじゃ、えっと…どこがいいかな」
「あっちの木陰なんて人目につかなくてバレにくいですよ!」
「バレにくいって…見回りがそんなこといっていいのか」
実際のところ護衛部隊の隊長と言っても普段私の仕事は王宮内の見回りと部隊の鍛錬だけだ。緊急時には先頭に立つことや殿をつとめることこそ私達の義務だがこういった平和時には退屈で退屈で詰まらぬ仕事でもある。
だから、隊長であってもこうしてお昼休みという名目の休憩をしても誰も困ることはない。しばらく職場から離れたところで問題なんて起きもしないのだ。
「ほら、行きましょう!」
「あ、ちょっと…仕方ないな」
はやる気持ちを抑えることもせず私はユウタさんの背中を押す。私よりも背丈はわずかに小さいのに肩幅は広く逞しい。体の線はわかりにくいがきっと細いことだろう。それでも男性らしい体つきだ。このどこでどうやって力が生まれるのか不思議で不思議でたまらない。
木陰の下についた私達は草の絨毯の上に座り込んだ。ユウタさんは胡坐をかき、その上に包みを広げる。いくつも並べられたのはここ最近になって見慣れてきた「オニギリ」というものだった。「コメ」というものを炊いて固まりになるように握り込んだそれは保温魔法のかかった魔法道具で持ってきたためか湯気がでていて暖かい。これなら出来立てと変わらない味がすることだろう。
それを前に私は両手をあわせて挨拶を一つ。
「いただきますっ!」
ユウタさんから教えられた食前の作法。何でも料理となってくれた材料やそれを作った人への感謝を込めた挨拶らしい。
「どうぞ、召し上がれ」
そういってユウタさんからオニギリを受け取ってすぐに口へと運ぶ。
普段から食べ慣れているパスタやパンとはまた違う感触。この王国では手に入らない材料でできた料理は珍しく、王宮の食堂や城下町のレストランではお目にかかれないだろう。さらにはおいしい。薄い塩で味付けやものや焼いた卵で閉じたもの、はたまた細かく刻んだお肉を混ぜ込んだものと種類は豊富でどれも美味。おかげで私も手が止まらなくなるほどだ。
「そんなに頬張ってたら喉詰まらすよ」
「はっふぇ、おいひいんれふふぉんっ」
「そういってもらえるのは嬉しいよ」
私の言葉に彼は心底嬉しそうに笑みを浮かべながら自分の分に手を伸ばした。
「んぐ、それに食べないとやっていけないのはユウタさんもよく知ってるでしょう?」
「まぁ、レジーナの相手をしてりゃ嫌でもわかるよ」
見回りといっても必要な体力はかなりのもの。時には鍛錬もするのだからお腹はすぐに減るし、食べないとやっていけない。そこにこんなにおいしい料理を持ってこられては食べるなというほうが無理だろう。
護衛仕事は体力勝負。王族相手と護衛部隊の隊長という役柄こそ違うが同僚とも言えるユウタさん。それならいかに体力が大切なのか、食事が大切になってくるかを十分理解していることだろう。
だからこそ食べる。そして寝る。食事と休息は体力を回復させるために必要なことであって、悪いことじゃない。私がやっていることは至極当然なことだ。
「ごちそうさまでしたっ!」
「おそまつさま」
用意してもらった料理を全て平らげた後、両手をあわせて一礼する。これもまたユウタさんから教わった食後の作法。料理を作ってくれた人―つまるところ目の前のユウタさんに感謝の意を込めた挨拶だ。
「ユウタさんが作る料理っていつも珍しいものばかりですよね!それでおいしいし!」
「実際コンビニとかで売られてたもの真似て作ってるだけだから受けはいいと思うよ」
「…こんびに?」
「まぁ、こっちの話」
「…?でも、ユウタさんどうしたんですか?休日だって言うのにわざわざ私のところに来てくれるなんて」
「さっき外でようと思ったら窓下にリチェーチがいたのとちょうど米がつきそうだったからさ、余ったのをいつもみたいに食べてもらってそのまま買い物にいこうかと思ってたんだよ」
そういってユウタさんはベルトにくくりつけた財布を揺らした。金属のこすれる音が響くがあまり量は入ってないように思える。量と音からして中身は金貨だろうか。
「…それだけのお金で買い物に行くんですか?」
「基本的に見慣れぬ土地じゃ財布にお金は全部入れるべきじゃないんだよ。半分以上は別のとこにしまってるから大丈夫」
そう言ってユウタさんは胸ポケットを叩いた。
これから一人で買い物にいくユウタさん。彼の後を追って城下町への買い出しか……退屈な見回りよりかはずっと楽しいことだろう。
「それなら私手伝いますっ!」
「ん?」
「いつもご馳走になっていますから是非とも!私をお供に!」
「いや、見回りは?」
「さぼります!」
「おい」
呆れ顔でため息をつくユウタさん。だがさぼって昼寝をするわけではない。こう見えても私は結構鍛えているし、力仕事もお手の物。普段からお世話になっているのだからこういう時こそ役立たないと。
「その分荷物運びさせてください!日々鍛錬したこの体なら重たい荷物も軽々ですよ!」
「いや、女性に荷物持たせるのは失礼だって」
「いつも食べさせてもらってますからそのお礼です!」
「でもさぼるし」
「見回りなんて平和すぎてやることないんですよ。だから私一人さぼっても特に変わりません!」
「威張るなよ、護衛部隊隊長殿」
もう一度呆れたようにため息をつくが顔には苦笑を浮かべている。本気で嫌がったり怒ったりしてはいないようだ。
口ではなんだかんだ言いながらも頼みこめば断らない。嫌がるのも素振りだけで結局は甘やかす。優しくて、思わず甘えすぎて申し訳なく思ってしまうがやめることはできそうにない。
退屈な日常に色をくれる興味深い存在。この王宮内で誰とも被らない性格や雰囲気は堪らなく心地よく、程よい位に刺激的。まるで滑らかな口溶けのデザートのように甘く、時折ピリリと辛くもある。様々な色を溶け込ませたかのように多彩であり、舐めるたびに味が変わって飽きさせない。それなら退屈なんて感じる暇もないだろう。
実際に舐めたらどんな味がするのだろうか、なんてことを考えてしまう。流石にそこまでしたら嫌がられそうだからやらないけど。
「それで一体どこへ?」
「城下町の外壁周辺のお店だよ」
「それなら!あそこらへん治安が悪いですから護衛しますよ!」
「別にそこまで危険じゃないよ。もしもの時はなんとかなると思うし」
「もしもの時があるからこそ危ないんです!安全だなんて言い切ることはできませんよ!」
「それ王宮内でも同じこと言えるよね」
呆れ顔のユウタさんの背中を押して王宮の門付近へと移動する。だがここの門番は私の部隊の管轄外なので見つかったら大変だ。報告されようものなら大問題でたぶんレジーナ様直々に喝を入れられるかもしれない。
ということで。
「よいしょー!」
私はユウタさんを抱え上げた。膝裏に腕を通しもう片腕を背中へと、いわゆるお姫様抱っこという形で。
「…は?」
「わぁ、結構ユウタさんって重いんですね!」
「いやいや」
体の線のわかりにくい服を着ているが両腕にはかなりの重量がかかってくる。見た目よりもずっと重いのはこの細い体を筋肉で絞りあげたからだろう。そのためにかなりの鍛錬と努力を積み重ねてきたに違いない。これならこの人が強いのも納得すると言うものだ。
「突然何すんのさ」
「だって門番さんに見つかったらさぼってるのばれちゃいますからね、城壁を越えていこうかと思いまして!」
「思うなよ。っていうか重くないの?」
「これでも護衛部隊の隊長ですよ?それなりに魔法だって使えるんです!」
もっとも私が使えるのは肉体強化系だけ。体を鋼鉄のように堅くしたり人間以上の筋力を出したりとそう言ったものしかできない。それでも彼一人を抱き抱え城壁を越えることぐらいなら十分だ。
「それじゃあ壁を駆け上がりますから舌噛まないように気をつけてください。あと振り落とされないように抱きついていてくださいね!」
「え?駆け上が…え?」
練り上げた魔力を足に溜め、私は一気に壁を駆け上がっていった。
城壁を超え、城下町の屋根を飛び、王宮から離れた人気のない場所へたどり着くと私はユウタさんを下ろした。
「レジーナといいリチェーチと言い…実力者って言うのはみんな似たようなこと考えつくんもんだね」
「レジーナ様と同じと言われるなんて光栄ですね!」
「誉めてないから」
お互いに乱れてしまった服装を直して街を歩いていく。流石に護衛部隊の隊長が勤務時間中に街中を堂々と歩くわけにもいかずに人気のない裏路地を選びながら。そうしてたどり着いた目的地はユウタさんの言った通りこの王国と外を隔てる壁付近にあった。周りの家とはちょっと違う木造立ての建物には大きな狸の絵が描かれた看板が飾られている。一見何のお店かわかりにくいがユウタさんが食料を買いに来たというのならそういう店なのだろう。
「狸…ですね?」
「狸だよ」
「狸というと狸汁っておいしいですよね!」
「食べたことないからわからないんだけど」
そんなことを話し合いながらユウタさんは戸を横に引き中へと入っていく。その後を続いて私も入っていと出迎えたのは一風変わった格好をした女性だった。この王国で見られるものとは違う、ユウタさんが着ている服ともまた違う格好でありながら異様さを感じさせずこんな王国でもうまくとけ込めている。茶色の短めの髪の毛。その上にアクセサリーなのか葉っぱの髪留めをしている。まるで表の看板の狸のように。前髪がやや長いのか目元まで影ができ少しあくどい雰囲気を醸し出しいてるがそれ以外を見れば美人といってもいい女性だろう。笑顔を浮かべ両手を擦りあわせている様子からこの女性が店主に違いない。
「おぉ!まいどおおきに、ゆうたはん。頼まれとったもん揃えといたで」
「いつもどうもです」
「こないな町でぇはゆうたはんぐらいしか利用してくれる人はおまへんから、ぎょうさんさーびすしまっせ」
にこにことあくどい雰囲気ながらも嬉しそうに笑みを浮かべる女店主。
客と商人。それだけの間柄にしては親しげなのはここを利用する人が少ないからなのだろうか。それにしては彼女はどこか熱のこもった視線をユウタさんに投げかけている。肝心のユウタさんは気づいていないのか特に反応はないけど。
世間話も一段落すると彼女の視線が私に向いた。
「それで…今度は一体どこのべっぴんさん連れ歩とるんでっか?」
「その言い方やめてくれませんかね」
「英雄色を好む言いおるけどゆうたはんはまさに英雄の器でんがな。こらかなわんわぁ」
「やめてくれませんか本当」
「ほんならもう一人くらい囲ってもええんちゃうか?ゆうたはん…♪」
「いえ、ですから…」
流石にこのまま放っておくのはよくないだろう。彼も困っているのだから止めなければ。そう思ってユウタさんの前に出て私は彼女に向かって敬礼をした。
「ディユシエロ王国護衛部隊隊長、リチェーチ・ガルディエータと言います!」
「ちょ、肩書軽々しく言うもんじゃないでしょ」
知らない人には自己紹介。ちょっとばかり余計なことを口にしていたがこんなところで部隊隊長だとばれたところで報告なんてされはしないだろう。見たところ国外から来た人間らしいし。
だが一瞬、彼女の目が細められた。自己紹介をしただけだというのに何やら警戒するように雰囲気も剣呑なものとなる。
「ほぉ……こらご丁寧に。まさか王国の護衛部隊隊長はんがこないなところに何用や?」
「彼女はオレの護衛をしてくれるとかでついてきただけですよ」
「あら、そうでっか。こら失敬」
ユウタさんの言葉にけろりと雰囲気を変える店主さん。何やらあまり王国の関係者に良い印象を持ってないのかもしれない。
「ゆうたはん。いつも通りこれでええでっか?」
「はい、いいですよ。御代はこれで大丈夫ですか?」
「ええよええよ。こないなぎょうさんいらんて。お得意様なんや、さーびすしたるで」
「え、でも遠距離転送用の札とかサービスしてもらってますし悪いですよ」
「ほんなら、もっと他のもんも見てってやぁ。商売人にさーびすすんねんやったらもっとぎょうさん買ってってぇな」
両手をもみもみしながらいやらしい笑みを浮かべて身を寄せる店主さん。後ろに下がりながら困った笑みを浮かべるユウタさんを横目に私は一人店内のものを見て回っていた。
どこかで見たことのある、ハートの形をした果物。キャベツに似ているのだが全く別物である野菜。蜂蜜よりも濃い色をした液体を詰め込んだ瓶に微量の魔力を感じるアクセサリー。どうやら売っているのは食べ物だけではないらしい。
これならもしかしたら…肉体強化の魔法が付与された道具やアクセサリーも置かれているかもしれない。
「…あの」
「うん?なんか用でっか?」
ユウタさんは店内の商品を物色してる。そんな姿を嬉しそうに眺める店主さんに私は小声で訪ねた。
「あの、すいません。こちらのお店って食べ物屋さん…というわけではないんですか?」
「むしろ万屋っちゅー方がしっくりくるで。食べ物、薬、はたまた防具や武器もぎょうさんと取りそろえとるからなぁ」
「…なら、その……強化魔法のかかったアクセサリーとか置いてませんか?」
「強化?そらまたけったいなもんをお探しでんがな。わざわざ護衛部隊の隊長はんがそないなもの探すなんて、あんはんならそないなもん使わんでも十分強いでっしゃろ?護衛部隊の隊長はんなんやし」
「ええ、まぁ、それなりに実力はありますが…それでもまた足りないんです…!」
退屈な護衛職。日常に刺激のない見回りだけのお仕事では体も訛りやがては体も衰える。だけど、先日退屈を塗り返してくれる刺激を与えてくれた人がいた。
護衛という守るだけが使命だった私に敗北を与えてくれた人がいた。
どうして負けたのかはわからない。
どうやって敗北したのかすらわからない。
だけど、だからこそ。
そんな相手に勝ちたいと思っている。
「私は」
敗北という刺激を与えてくれた相手に感謝を
「ユウタさんに」
退屈という日常を覆してくれた相手に敬意を
「勝ちたいんですっ!」
そして、勝利を塗り替える正々堂々の敗北を贈りたい。
体を強化した際の感覚を馴染ませ、その域まで魔法を用いず至る。努力の目標地点を決めるためのきっかけが欲しい。
血反吐を吐くことすら厭わない鍛錬や、骨身を削る思いをしてまで強くなるためのチャンスが欲しい。
「…ふむ、ほんなら、これなんてどうやろか」
木箱の中から取り出されたのは指輪にも見えなくはない髪留めだった。琥珀でできたのか黄褐色であり、部屋の明かりを艶やかに反射する。黒いギザギザの、まるで雷のような模様がいくつも入っている。
「これは?」
「名のある武道家の使っとった髪留めや。これならあんはんにもちょうどつけられるやろ」
彼女は私の左頬―三つ編みにした髪の毛に添えた。確かにこれなら普段の髪留め代わりにすればちょうどいいだろう。
「まずは形から入ってみぃや。その武道家と同じ気分になれりゃそん時はきっと武道家の実力もつくことやろ」
「…形から、ですか」
そんなものを身につけたところで実力というのは簡単につくわけではない。だが、その武道家さんと同じことを感じられれば多少は強くはなれるだろうか。
それにこれからは微力ながら魔力を感じる。身体強化魔法を施したのとは違う、もっと禍々しいもの…そう、まるで魔物の魔力に近いものだ。
魔物の魔力を宿した道具
それは身に着けた者に絶大な効果をもたらす半面代償として体を蝕み、やがては魔物へと変貌させる恐ろしいもの。本来ならばこのディユシエロ王国で所持するどころか持ち込むことすら禁止されているもののはずだ。
これを長く身に着けていれば魔物の魔力に体を犯されやがて体は魔物のそれへと変貌することだろう。いかに魔力の扱いに長けている私とてそれは同じことだ。
「強くなりたいんとちゃいまっか?ほんなら、多少の危険を冒さんと。『虎穴に入らずんば虎児を得ず』やで」
「こけつを…え?なんですか?」
「虎児を得ず。獲物を仕留めるんなら相応の危険を冒さんとだめやいうことや。あんはんならその心意気に免じて銅貨一枚、お安くしときまっせ」
危険を冒さなければ手に入らない実力。それは並みならぬ努力が相応の実力を与えてくれるのと同じこと。血反吐を吐くほど、骨を折るほどの苦労が私を強くさせてくれる。なら、この危険もまた私に力をくれるのだろうか。
さらに強くなるきっかけがある。
ユウタさんに勝てるチャンスがある。
ならば迷うことはなにもない。
「これ、下さい!」
「毎度!おおきに!」
財布のポケットから出した銅貨を差し出し代わりに髪飾りを受け取った。直接地肌に触れると禍々しいまでの魔力を感じられる。ずっと身に着けていれば魔物になってしまうのではないか、そう思えるほど濃密な魔力だ。
だけど、それでも強くなるきっかけとなるのなら、退屈な日常を色づける要因の一つとなるのなら…それもまたいい刺激なのかもしれない。
貰った髪飾りをポケットにしまうと私は未だ店内を見て回るユウタさんの方へと駆けだした。
「くくっ…立派な虎になるんやで♪」
14/09/14 22:47更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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