男性との接触、及び強襲の考察について
「ふむ……これは何とも素晴らしいものだ」
私は手に持ったものを落とさぬよう注意しつつ眺め続けた。視線の先にはいくつもの試験管内で揺れる液体。粘度がかなりあるのか揺らせばゆっくりと表面が波打つ。水色、赤、紫、ピンク、はたまた白と様々な色をした液体からはわずかだがどれからもはっきりと魔力が漂ってきた。
私の言葉に後ろで控えていた一人の女性が疲れたようにため息をつく。
「めっちゃ苦労したんでっせ。魔界からジパングまでぇ、様々なスライムの体集めるために世界中駆けずり回らんっていけなかったんでっから」
「その分金は弾んでいるだろう。何か不満でもあるのかね?」
「まさかいな。ここでぇ商売できとるんはルアはんのおかげなんやねんさかい、不満なんてこれっぽっちもおまへん」
「それはよかった」
手にしていた試験管を傍の机に置いて私は彼女へと向き直った。
茶色の短髪に釣り目と整った顔立ち。ここの国の者というか、大陸の者とは少々違っているが美人なことに変わりない。少々目つきが悪くあくどい表情がよく似合う彼女の頭からは二つの耳が生えていた。いや、生えているのは耳だけではなく臀部からは大きな尻尾が一つ生えている。
『刑部狸』
こことは違う国出身の魔物。商売を得意とし、狡猾で策に長けた生粋の商人。そして私にとって都合のいい商売人だ。
本来この国、『ディユシエロ王国』は魔物との共存を認めない主神の国。魔界を滅し、魔物を殺し、魔王を討つべく騎士や勇者を率いて戦争を仕掛ける国だ。そんなところに魔物が入ろうものなら処刑は免れないだろう。いや、処刑で済むはずもなくもっと酷いこととなるに違いない。
しかしここで彼女が商売を営めているのは彼女が並はずれた魔術を会得していることと、私が匿っているからだ。
実際彼女から手に入るものはどれもこの王国に持ち込むことすら容易くない。魔界でとれるものなど国に入る前に燃やされるのが当然だ。王国の魔物化を防ぐため、民の魔物化を防ぐために仕方のないことである。
だが反面私の研究には欠かせない。それ故に私はこの狸を匿う手伝いをしているということだ。
「しっかしルアはん、ぼちぼちええ人見つけたらどないでっか?」
「…なんだ急に」
別の試験管を手にしながら私は彼女を見た。彼女はいやらしい笑みを浮かべながらこちらを見据えている。
「ルアさんもええ齢やのになあんも浮いた話せんから」
「そういう君はどうなのかね?人に言うよりも先に自分ではないのかね?」
とはいっても彼女は魔物。そしてここは反魔物の国。魔物を毛嫌いし、憎むものばかりの王国で誰が彼女と懇ろな仲になれるというのだろうか。
しかし彼女は笑う。くつくつと嬉しそうに。
「おや、いるのかね?」
「くっくっく…そら秘密でっせ」
その言葉は肯定という意味だろう。
「そうか…私以外にも物好きな人間はいるものだな」
私にとって彼女との付き合いはただの商売人と客の関係だ。だがそれ以上の関係の男性がこの国にいるというのだろうか。いたとしたらそれはきっと常識から外れた人間か、はたまた別の国から来た者だろう。どちらにしろ私には関係のないことだが。
「ルアはんも少し異性の事を気にかけたらどないでっか?」
「異性か…まぁ興味深いとは思っているよ。肉体、精神、体質、感情、それから女性とは違う器官。あげればキリがないな」
「…研究対象ってしてとちゃうねんか」
呆れたようにため息をつく狸。だが私は特に気にすることもなく店の棚に並べられた商品に視線を移す。見たこともない異国の物品の一つを手に取って眺めた。
「色恋なんて言われてもわからないものでね。どう思えば好きで何が愛なのかなんて私には理解できないな。私にとって研究が恋人で、実験が恋愛ならば真実が愛なのだから」
「そないな色気もないことを…」
「研究者にとってはそれでいいのだよ。真実こそが求めるもの。真理こそ欲すべきものだ」
その言葉にまたため息をつかれた。
はて、彼女たち魔物にとってはメインが性行為であり色恋は付属品ではないのだろうか。今の魔王が代替わりしてからというものそうなったものだと聞いている。生きるためには男性の精が必要であってそのための手練手管は本能的に備わっていると。
だが目の前の彼女を見るにそのようには思えない。もっとも色恋なんて経験したことのない私にはわからないのだが。
「ルアはんももっと気にかけへんともったいないで。顔も乳もええ線いっとるんやから」
「そう思ったことはないのだがね。別に胸など大きくなっても不都合なだけさ。汗疹はできるし、肩はこる。いいことなどありはしないのだよ」
「…」
私の言葉に恨めしそうに睨んでくる狸。その目つきと彼女の姿に私ははたと気づいた。
「これは失言だった。うっかりしていたよ」
「…別に胸だけが女の魅力ではおまへんのや」
そんなことを口にしながら彼女は一度店の奥へと消えてった。しばらくして再び姿を現すと手には奇妙な小瓶を抱えていた。
「さぁびすやで。ルアはんには日頃世話になっとるさかい持ってってや」
「それは魔物化の薬かね?」
「まさかいな。そんなんしてもルアはん気づくでっしゃろ?」
「当然だ」
これでも私は研究者だ。液体内に混入する魔力の量ぐらい触っただけで測定できるし、そこから魔物化するかしないかも理解できる。
「媚薬でっせ」
「…媚薬か」
妙に禍々しいピンク色の液体が小瓶の中で波打った。手を伸ばして受け取るとわずかなだが魔力を含んでいることがわかる。それでも魔物化には程遠く数時間で抜けるほどの量だ。
「こんなもの渡されても自分以外に飲むものはいないぞ」
「いつか現れる旦那はんに飲ませればええよ」
「こんな物好きな女の旦那になる男などいるわけないさ」
「いやいや、ルアはんももっと魅力的な女性になれまっせ」
意味深な笑みと言葉に私は首をかしげた。
だがただでもらえるのなら貰っておこう。いつか研究材料として使えるかもしれないし魔物が作ったものはただでさえ質がいいのだから。
それに…先ほどは言わなかったが私も近々男性と関わる機会があるのだ。彼に投与した時の反応を見てみるのも一興だ。
バッグの中に媚薬を仕舞い込み、スライムの入った試験管を丁寧に箱へと戻し抱きかかえた。
「ではまた今度寄らせてもらうよ」
そう言って店から出て行こうと横開きのドアを開けたその時彼女に呼び止められた。
「ルアはん。そっちの御代、貰ってへんねんけど」
「…おっとこれはうっかりしていた」
狸の店を出て私は人の賑わう大通りを歩いていた。片手には先ほど手に入れたスライムの体の一部。そしてもう片方の手には高級そうな羊皮紙だ。丁寧な文字の羅列の下、この王国の者ならば知らない者はいない人物の名前が刻まれている。
「…王様直々に私に命令してくるものかね」
ディユシエロ王国の王の名前。それはつまりこの書簡がこの王国で一番偉い人間のものからだという証だ。逆らうことはできず、しようものなら首を飛ばされる。だが応じればそれ相応の報酬は約束されよう。
だが問題はその羊皮紙に記されている仕事の内容だ。丁寧な文字で綴られたそれは私にとっては不可能ではなく、また労力もそこまで必要なものではない。大規模な殲滅魔法の研究でなければ永続的に使用可能な教科魔術でもない。
記されていた内容は一人の男性の調査。
と言っても尾行するわけではなく彼の体質等を調べて欲しいということだった。魔法が使えるか、はたまた何か普通ではない体質なのか、何か異常なことはないのかなど目立ったことを報告しろということらしい。
何とも変わった仕事だ。そんなことわざわざ私に依頼せずとも王宮仕えの魔術師などいくらでもいるだろうに。
だが、そこに記されている最低限の彼の情報を見て私は目を細めた。
『異世界』の『男性』
ただ二つの事実が私の探究心をくすぐってくる。
見たことはあるがかかわったことのない異世界の人間。そして今まで関わることのなかった男性だ。女性と比べて発達した肉体や精神、感情や体質など気になることをあげればキリがない。
だが、一筋縄でいく仕事ではない。
誰もが初めては何もわからないように私にとっても初めての経験となるだろう。それ故どうすればいいのかなどわからないし、魔法すら役に立たないかもしれない。まぁ、だからこそ―
「―興味深くはあるな」
羊皮紙を折りたたみ白衣のポケットへと仕舞い込むと私は自分の研究室へ向かって歩き始めた。
自宅兼研究所である自宅に帰った私は刑部狸から買ったスライムの体の一部を眺めていた。
一般的なスライムから手ごわく凶暴なダークスライムの体の一部は部屋の明かりで煌めき、美しく照らし出される。混入した魔力の量は計り知れず何も知らない人間にとっては危険にもなるだろう。
さて、これをどう使わせてもらおうか。そう考えていた時家のドアがノックされた。
「…うん?」
こんな偏屈な研究者の元を訪れるのはせいぜい妹くらいなのだが約束はしていない。ならばいったい誰だろう。
ああ、そう言えば先ほどの羊皮紙に訪ねてくる時間帯が書かれていたな。どうもうっかりしていたらしい。
手にしていた試験管を箱へと戻すと足早にドアへと進んで―気づいた。
私は女性として男性を迎え入れた経験などない。対応だって知らないし、異世界から来たのだからなおのことだ。彼の常識とこの世界の常識、さらには知識に偏った研究者の私ではうまく事が運べるとは思えない。
さて、どうしたものか。
そう考えていると再びドアがノックされる。このまま応じなければ留守だと勘違いされるだろう。
仕方ない。先に招いてから考えることとしよう。そう結論付けた私はドアを開いた。
「お、おじゃまします…」
一礼して入ってきたのは私よりも年下で、妹よりも年上の青少年だった。
体の線のわかりにくく、高級そうな服を着込み、この辺りでは見られない特徴的な黒髪黒目、さらには私たちと違う顔の作りやわずかに黄色を混ぜたような肌の色をしていた。
外の国から来た男性。それもこの世界ではない別の世界から喚ばれた存在。それがこの青少年か。
「ふむ」
頭のてっぺんからつま先まで何度も何度も舐めるように彼を見る。
巨人のように大きかったり、滅茶苦茶な筋肉質であったり、はたまた小枝のように細かったり風に拭かれて飛びそうなほど小さかったりと思っていたのだがこうしてみると存外普通の、年相応の男性だ。黒髪黒目は確かに目立つが、その他が特に目立つものがない。
もう少しおもしろいものを期待していたのだが…。
「…あの?」
「ん?何かね?」
「…そうじろじろと見られると恥ずかしいのですが」
「おっと」
見つめられれば恥じる程度の羞恥心は備えているのか。これもまた、存外普通というか、ごく当たり前で一般的というか。そんな風に感じたことを傍に携えていた紙に書き上げていく。確か彼はこの世界の字が読めないのだからなにを書こうが問題ないだろう。
「済まないな。これはうっかりしていた。なにぶん今までこのように男性と関わる機会がなかったのでね、どうか容赦して欲しい」
「あ、いえ」
応答にも普通の反応。素っ気ない返事にも普通の態度。
だというのに羊皮紙には彼は一国の王女の護衛と書かれていた。それだけではなく勇者数人とも仲がいいだとか。
皆この男性のどこに引かれていったのか気にならないといえば嘘になる。というか、男性と関わる機会すら初めてなのだから興味がわかないわけがない。いくら普通であろうと男性であることに違いないし、その上で別世界から来たという事実もある。
探求者としての性だろうか。底の見えない闇をのぞき込みたくてうずうずする。光届かない底に何が存在するのか知りたくてたまらない。
だがそれは個人的な事になるので後回しにしておこう。今すべき事はこの国の未来に関することであり、これから先の戦争を大きく傾ける可能性のあることなのだから。
私は彼を率いて近くにあった椅子に座らせる。続いてその正面の椅子に足を組んで座った。
「ではまずは君の名前を聞かせてくれないかね?おっと、その前に自分の名前だったな、これはうっかりしていた」
近くにあった別の紙を取りペンを握る。ペンの先端を自分へ向けて私は彼に自己紹介をした。
「私の名前はルア・ヴェルミオン。しがない一研究者さ」
すると私の名前を聞いた彼は怪訝そうに首を傾げた。
「……?」
「聞き覚えがあるのかね?まぁ、あったところで気にすべき事ではないだろう。さぁ、次は君の番だ。君はなんと言う名なのかね?」
「ああ、黒崎ゆうたです黒崎が名字でゆうたが名前です」
「ふむ…くろさき、ゆうたか」
名前もまた、変わってる。というか変わっていて当然なのだが、妙に唇になじむというか、呼びやすいというか。印象深い外見とその名前だ、この国の者ならば一度出会えば忘れることないだろう。
その名前を紙に書き込むと一度ペンを置いて私は彼に向き直った。
「それではユウタ、これから君にはある頼みごとをする。何、至って簡単単純な行為だから気をはる必要もない」
「は、はぁ」
「では脱いでくれ」
その一言に彼は動きを止めた。表情も固まり、心なしかひきつっているようにも感じられる。それどころか座っていた椅子がわずかに後ろへと移動している気がした。
簡単に言えば引かれていた。
はて、私は初対面の青少年にいきなり引かれる発言をしただろうか?もしかすると先ほどの発言は彼にとって常識はずれのものだったか。いや…。
「…ああ、そうだ。済まない、いきなり脱いでくれと言うのは失礼だったかね。これはうっかりしていた」
自分の言動を省みると流石にこの言葉はあまりにも単純で引かれても仕方がなかったか。わかりやすさを追求してうっかり端的な一言で済ませるのはまずかった。青少年なのだからこれくらい平気かと思ったがそうでもないらしい。いやはや、初めての機会に私も少なからず心躍っているという事だろう。
それならばそれ相応の理由を付ければ彼も納得するに違いない。そう結論づけた私は彼に再び言葉を投げかけた。
「君の裸体が見たい、服を全部脱ぎ捨ててくれないか?」
「…あの、帰らせていただきます」
椅子から立ち上がり回れ右をして入ってきたドアから飛び出そうとするユウタをすぐさま後ろから羽交い締めにするように抱き込んだ。
思っていたよりも腕は細くなく、また女体よりもずっと堅い体の感触が伝わってくる。厚い服越しでもわかる肉体の感触に私はほぅっと小さく息を吐き出した。
男というのはこれほど体が堅くできているのか。年齢的には私よりも下だろうに、それでもその肉体はずいぶんと逞しい。
これが男と言うものか。何とも神秘的で興味深いものだ。
だが腕の中の彼はすぐさま逃げ出そうと暴れ出した。
「逃げ出さないでくれ。まだ名前しか聞いていないだろう?」
「こちとらヌーディストじゃないんで人前で服を脱げるような度胸ないんですよ!!」
「別にヌードをやれというのではない、ただ服を脱いで全裸になって私に見せてくれと言ってるだけだ」
「それ同じ意味ですからっ!!」
「おっと、これはうっかりしていた」
そんなことを言いながらも気づけば抱き上げた猫のようにするりと抜け出ていってしまうユウタ。もう少し感触を味わいたかったのだが単純な力比べでは彼の方が上なので仕方ない。
「そもそも何ですか!自分が何言ってるかわかってるんですか!?あんたはうちの師匠ですか!?」
「君の師匠がどういう人物かわからないが私がわからずにこんな発言するわけないだろう?ちゃんとそれ相応の理由があるのだよ」
「…理由?」
「そう、理由。大まかに二つだ」
私は指を二本立てて見せつけるとその理由が気になったのかユウタが動きを止める。
「…一応聞いておきますよ」
「そうか、聞いてくれるか。いや、こっちから先に話した方が君も驚かなかっただろう。これはうっかりしていた」
手入れなんてしていないぼさぼさ頭を掻くと私は一つ咳払いして人差し指をつきだした。
「まず一つ。別世界からこの国の王族の力を借りて来た者は誰一人例外なく特別な証が体のどこかに現れる。一般的にそれが勇者として選ばれた証だとか主神に選出された紋章だとか言われ、刻まれた者は魔法とまた違った能力を付与される」
「…はぁ」
「そんな疑わしそうな目で見るな。実際にユウタはそういった人間を数人見ているはずだぞ」
「えっと…誰のことですか?」
「わかりやすいのは青い髪の女誑しの勇者や聖女、そして君にべったりらしい女嫌いだ」
「…あ」
勇者と面識があるどころか親しい関係にある彼ならば知っているはずだ。彼らは皆体のそれぞれに特殊な証を刻まれていることを。
女たらしは手のひらに。
聖女は瞳に。
女嫌いは胸に。
それぞれ刻まれ、それぞれが魔法で説明できない能力を発揮する。それは使いようによって大型殲滅魔法にも匹敵するほどのものでありこの王国の最高戦力として存在する。
「つまりだ、君には勇者や聖女と言った者達と同じほどの脅威になる可能性がある。そして私はそれを見極めることを上から命じられているんだ」
「なるほど」
「そして二つ」
私は中指を立てて彼の顔に突きつけた。
「私が男性の体に興味がある。つまり君の体に途方もない好奇心を抱いている。君の裸体を是非とも観察したい。以上だ」
「帰る」
すぐさま踵を返してドアから出て行こうと踏み出すユウタを見て私は指を鳴らす。乾いた音が部屋に響くと次の瞬間彼の動きが固まった。
「っ!?」
「君はうっかりしているな。ここは私の研究室だぞ?逃げ出す者をとらえるための仕掛けも侵入者を迎撃する魔法もいくらでも用意してあるに決まっているだろう」
「ぐ、ぬ…っ足がぁあっ!!」
床に足が張り付いたようにその場から動けないユウタを見据えて私は笑みを浮かべた。
確かその場所には粘着魔法を仕掛けておいたはずだ。以前私がうっかりかかってしまったが一度発動すれば魔法の使えない人間では解除不可能な力でとらわれるものである。魔法を使えない彼にとってこの空間はさぞ鬼門であることだろう。
「さて、それでは早速裸になってもらおうかね。何、心配することはない。体のどこに証が浮き出たのか見るだけだ。うっかり触ったりはしないから安心してくれ」
「だったら自分で確認できるんだよっ!」
「一人では目の届かない部分が出てくるだろう?うっかり見逃してたらたまったものではない。私が見てあげよう」
「アイルとかレジーナとかメイドさんにでも頼むわっ!」
「それはダメだ。これほど興味深いことを他人には譲れない」
「興味で脱がされたくないんだよっ!!ちょっ!ほんとに待って!!」
「何をそこまで嫌がるのかね?ああ、そうか。嫌よ嫌よも好きのうちというものか。これはうっかりしていたな」
「何をうっかりするんだよっ!オレはただ嫌がって」
「いや、皆まで言わなくていい。本当は好きなのに認めたくないと言うのだろう?恥ずかしがることは何もない。ここには私とユウタの二人だけだ。無論、うっかり外部に漏らしたりすることはないから安心して欲しい。これは私たちの秘密としよう」
「それあんたがバレたらセクハラで捕まるだけだろうがっ!」
「捕まったとしてもそんなもの大事の前の小事だ。別世界の人間の体を見るのは初めてだし、男性の体を見る機会に恵まれるのも初めてなんだ、こんなチャンスうっかり逃すわけにはいかんのだよ」
「ちょっと待てよっ!ほんとに待てって!!」
「さて、まずはどこからいこうかね?女性と違う部分は特に見てみたいのだからまずは胸といこうかね。いや、それとも男性と名のつく性器からにしようかね」
「…」
「…そんなところで落ち込まなくてもいいのではないかね?」
ユウタは部屋の隅で小さく丸まっている。先ほど私がしたことが相当精神的に来たらしい。
これはうっかり悪いことをしてしまった。といっても実際には私が下着の中へ手を突っ込んだら平手を食らって昏倒させられたのだが。
いや、うっかりしていた。さすがに足しかとらえられない粘着魔法では反撃を食らうのも仕方ない。これは改良の余地がある。
しかし男性というのは難しい。肌をさらすことなど平然だろうと思っていたのだが服を脱がそうとしただけで生娘のような反応をするわ、撫でまわしただけで絹を引き裂いたような声を上げるわ、挙げ句の果てにはビンタで倒されるわと力がある分女性よりも危険かもしれない。
しかし、だからこそ。
わからないものほど探求心を刺激するものはない。求めて止まない知識欲を満たしてくれるものはない。簡単には行かないからこそ燃え上がり、どうしても知りたくなってしまう。
だがさすがにこれ以上やれば私も怪我をしかねない。あの戦闘狂姫の護衛である彼が本気を出したら私の首がもげてもおかしくないだろう。
「いや、済まなかった」
「…」
「別に君を辱めたかったからあんなことをしたわけではないことを理解してほしい。さすがの私も初対面の相手を裸にして楽しむような趣味趣向は持っていないのだよ」
「…楽しんでたくせに」
「違うんだ、ただうっかりしていただけだ」
「さっきっからうっかりしてるだけじゃん」
「誰にだってうっかりすることぐらいあるだろう?」
「その頻度がおかしいんだよ、あんたはどんだけ抜けてるのさ」
「抜けているのではないのだよ、ただうっかりしているだけだ」
「…何そのこだわり?」
先ほど聞いたのとは全く違う声色には流石に気まずさを覚えずにはいられなかった。別に私はこんな険悪な雰囲気になりたくてあんなことをしたわけじゃない、ただ男性という存在とこれほどまで近づいたこともないし、証を探すため肌を見て良いと許可を取っていた故に興奮してしまっただけなんだ。断じて辱めて屈辱を味会わせたいわけじゃない。それを信じてもらうにはどうすればいいだろう。
何分今まで人間とふれ合う機会はなかったわけではないが、普通の人間と比べると圧倒的に足りない。それ故私はこういう会話自体あまり得意ではないのだ。レジーナ王女やその妹君のように民衆を引きつける声も口調も言葉も私にはない。
誠心誠意謝ればいいのだろうか?だが、それだけにしては足らない気がする。とはいえ、他にできることなど私にはわからない。
「ならあれかね、私も脱げばおあいこだ。それで水に流そうじゃないか」
「…は?」
「ユウタだけに脱げと言うのは不公平だったな。これはうっかりしていたよ。やはり相手に要求するならばそれ相応の誠意というものを見せなければならない。自分だけ特をすると言うのは納得いかないと君は言いたいんだろう?」
「いや、別にそんなことを言ってるわけじゃな」
「皆まで言わなくて良い。こんな女として気遣っていない肌を見ることでユウタの不満が解消されるのなら存分に見るが良い」
「いや、だから」
「どこまで脱ごうか。やはり一糸纏わぬ姿の方がいいかね?私もそのつもりで脱がしたのだからこれでおあいこというやつだ」
「人のはな」
「だが私も一応女という自覚はある。年頃の乙女などとうにすぎたが羞恥心というものもあるのだ、そこらへんは許容してほしい。いや、そうしたら不公平かね。これはうっかりしていた。ならば仕方ない、私も恥じらうことなく全てを曝け出して―」
突然白衣の襟を捕まれる。そのままぐいっと顔を寄せられた。
目の前にある見慣れぬ顔立ち。そして目を奪う闇を切り抜いたような瞳。その奥に見えるのは静かに燃えさかる怒りの炎。
「話を、聞け」
「…そうしよう」
戦場とは無縁の研究者だが流石にこの剣幕には引き下がるしかなかった。まるで刃を突き立てられたかのような気迫に思わず頷いてしまう。
興味や好奇心をここで抑えたくはないが危険を冒してまでするべきではない。機会はまだあるのだ、じっくりと時間をかけていけばいい。
「とにかく、もう脱ぎませんので」
「ああ、安心してくれ。さすがの私もまたビンタをくらいたくはないからな。もう無理矢理脱がすような真似はしない。ただ」
「…ただ?」
「それでも私の前で脱いでもらうことには変わりない。それだけは許容していてほしい。いいかね」
私の言葉にユウタはあからさまに嫌な顔をするのだった。
「さて、これでひとまず今日は終わりにしよう。ああ、それと君に鍵を渡しておかなければな」
「…鍵?」
「ああ」
私は白衣のポケットの一つから銀色の鍵を取り出した。私のものであると示す特徴的な十字架の刻まれた手のひらに収まる鍵。それはこの研究室に出入りできる数少ない手段である。
それをユウタの手のひらに落とした。
「ユウタ、君にはこれから暫く私のもとへと通ってほしい。というのも理由は先ほど話しただろう。君の勇者としての素質を確かめるため、あわよくば発現させるためだ」
「…そんなことできるんですか?」
「さてね。できるかどうかはわからない。発現には規則性も何もない。あの女嫌い達も気づいたら浮き出ていたとか、ふとしたきっかけでできるようになったとかそういうものだ。王族の扱う魔法故に私の様な一介の研究者には理解が及ばないのだよ」
だが、彼はこの王国の勇者候補の一人だ。それならば能力発現うんぬんよりも勇者としての素質を理解し、伸ばすには―
―勇者として育てるには私が誰よりも適任ということだろう。
ユウタが帰ってしまった後私は紙に記したことを眺めていた。
肉体、精神共に健康。魔力を感じられないのは彼が魔法と無縁の世界から来たゆえのものだろうか。態度には一癖あったが許容できる範囲。潜在能力は割とありそうで勇者としての素質は有りだろう。そう結論付けてテーブルの上に置く。
「いや、今日は充実したな」
刑部狸からは貴重なスライムの体の一部手に入れることができたし、男性に初めて触れることができた。女体にはないあの堅い感触は今も思い出せるほど鮮明に刻まれぞくぞくする。初めてだったからか抑えがきかず反撃まで受けたが良い経験になった。
今回だけでも十分な収穫はあった。なら今度は何をしてやろうか。そんな風に考えて辺りを見回したその時。
「…うん?」
スライムを入れた箱が空いていた。いや、空いていたのは箱だけではなく試験管もだった。
「…はて、閉め忘れたか」
一応スライムの体ということもあって本体とは離れても多量の魔力が宿っている。中には人間に寄生するものもいるのだ、不用意に扱っては危険である。
蓋を締め直し確認する。中が少々湿り気を帯びていたのは異常だが気にすることなく箱を閉じ―
「―うっかりしているな」
―る寸前、ぱちりと指を鳴らした。
刹那、私の背後が燃え上がる。物音と共にその場から何かが飛び退いた。
私はゆっくりとそちらへと振り返る。この研究室はかなりの広さを有するがそこにいた者は隠れずその場に立ち尽くして笑みを浮かべていた。
柔らかい光を宿した瞳と浮かべるのは上品な笑み。まるで貴族や王族が人前にでる時に浮かべる気品を備えたもので慈愛にも満ち溢れていた。全体的に整った顔立ちは美しいと言えるだろう。あの狸も美人の部類に入るが目の前の存在もまた同様だろう。
「あらあら、よくおわかりになりましたね」
彼女は、そう言った。
背丈は私よりも小さく、それでも胸が大きく腹は引っ込み色気のある曲線をした女性らしい体つき。一糸纏わずさらしたなめらかな肌は部屋の明かりを反射する艶やかなものでありずいぶんとさわり心地が良さそうだ。
最もその肌は人間の色をしていない。
「これはうっかりしていたな。まさかスライム丸ごと一匹入っているとは」
それは青色だった。透き通った綺麗な、湖の様な色をした肌だった。
人間とは違う、スライム特有の肌の色。肉体とは違うもので構成された体は時折水面のように波打った。
だが、これがただのスライムとは思えない。あの箱の中で器用に隠れられ、そして人間と対峙しても余裕のある態度をとっている。色合いからしてスライムと似ているがただのスラムは頭の上に冠をのせていない。
私はこの個体を知っている。
「クイーンスライム、かね?」
「ご明察ですわ。クイーンスライムのヴェロニカと申します。以後、お見知りおきを」
そう言って彼女はうやうやしく頭を下げた。
スライム特有の分裂機能に欠陥を持つ、クイーンの名を付けられたスライム。本体の周りには分裂できずに肥大化した複数の分体を侍らせているという。そのため本体の動きは緩慢だが分体は彼女の統制下にあり、分体の数によっては軍勢にもなる恐るべき存在だ。
「これはご丁寧な自己紹介だな。私はルア・ヴェルミオン。一介の研究者だ」
「あらあら。反魔物国家の方なら驚くか嫌悪するかと思ったのですが普通の対応ですね」
「私は研究者だからな。あらゆる可能性のある存在をないがしろにはしないのだよ。それで、目的は何かね?もしかしなくともディユシエロ王国の侵略なのかね?」
私の言葉に彼女はおかしそうに、それでも上品に笑った。
「うっかりさんですわね。そのようなこと聞かれて答える人はまずいませんよ」
「君は人ではないからな」
「ええ、人ではありません。ですからお答えしましょう。その通りですわ」
「…成る程」
あの刑部狸の商品に紛れ込み、この研究室を拠点に侵略を開始するつもりだったのだろう。クイーンスライムは栄養さえあればどんどん肥大化し、王国すら築くという。そんな魔物が王国に紛れようものなら一気に飲み込まれる。至って単純明快な作戦。作戦ともいいがたいほど簡単なことだが実際に起きれば被害は甚大だ。
「ということは私はどうなってしまうのかね?」
「魔物になって貰いましょうか。折角そこにスライムの体の一部があるのですから貴方もスライムになってはどうです?ダークスライムや寄生スライムがお勧めですよ」
「ふむ」
ここで私がこのスライムにとりこまれ魔物になろうものならディユシエロ王国は陥落だ。うっかりして国一つ落としましたとは流石に私も笑えない。国の上部ならクイーンスライムに立ち向かえる者もいるだろうが国内を侵攻される中民を全て守りきれるかと聞かれれば別だ。
なら、どうするか。
「それでは早速はじめましょう」
そう言って彼女は一礼する。次の瞬間その両隣に彼女と似たスライムが現れた。特徴的なヘッドドレスまでしている。
次いでまた二体。今度は槍を持った騎士の風貌をしたものととんがり帽子をかぶった魔法使いの姿のもの。
どうやらここに来る前から肥大化していたらしい。本体にはまだまだ肥大化した分体が収まっていることだろう。これでは研究室が彼女で溢れてしまう。
だが。
「君は人のことをよく調べてきたのかね?」
「…はい?」
「何、襲う相手のことをあらかじめ調べ、その行動を予測し、見合った戦略を立て道具を用いる。例え相手が格下だとしても何か隠し玉になるような、一発逆転の手となるようなものを用意していないのか用心すべきではないのかねと、聞いたんだ」
ここは私の研究室。いわば私の城である。先ほどユウタがかかったように様々な罠があるし、なにより私がいる。
「やれやれ、あの刑部狸もうっかりしているな。こんな見え見えの罠で私をはめるつもりだったならせめて素性くらい伝えておくべきだろうに…いや、私自身が伝えていないんだったな、これはうっかりしていた」
「…何を言いたいのです?」
「まぁつまりだ」
私は人差し指と中指を立てた。
「この反魔物領域のディユシエロ王国で魔物を一人匿うことのできる人間が何の変哲もない研究者だと思ったのかね」
そして振り下ろす。次の瞬間彼女の周りが燃え上がった。紅蓮の業火は彼女を取り巻き、分体を蒸発させる。
「っ!」
「ほら、油断しすぎだ」
小指を立てて空中に躍らせる。刹那、彼女の四方へ天井から銀色の板が落ちてきた。
侵入者用の、それも対魔法使い兼魔物用の捕獲トラップ。
「!」
「退魔を宿し、魔力を遮断する銀の壁だ。閉じ込められれば爆発すら抑え込む空間圧縮の魔法付きときているぞ」
次いで私は指を鳴らした。すると銀の壁は全てが縮み、彼女を閉じ込めたまま手のひらに収まる箱へと変化する。私はそれを静かに拾い上げた。
がたがたと揺れる箱。だがいくらクイーンスライムとて抜け出せるものではない。スライムでも抜け出せる隙間はなく、また魔法も通用しないのだから。
「どうやらうっかりしていたのは君の方だったらしいな」
観念したのか動かなくなった箱に私はそう言うのだった。
私は手に持ったものを落とさぬよう注意しつつ眺め続けた。視線の先にはいくつもの試験管内で揺れる液体。粘度がかなりあるのか揺らせばゆっくりと表面が波打つ。水色、赤、紫、ピンク、はたまた白と様々な色をした液体からはわずかだがどれからもはっきりと魔力が漂ってきた。
私の言葉に後ろで控えていた一人の女性が疲れたようにため息をつく。
「めっちゃ苦労したんでっせ。魔界からジパングまでぇ、様々なスライムの体集めるために世界中駆けずり回らんっていけなかったんでっから」
「その分金は弾んでいるだろう。何か不満でもあるのかね?」
「まさかいな。ここでぇ商売できとるんはルアはんのおかげなんやねんさかい、不満なんてこれっぽっちもおまへん」
「それはよかった」
手にしていた試験管を傍の机に置いて私は彼女へと向き直った。
茶色の短髪に釣り目と整った顔立ち。ここの国の者というか、大陸の者とは少々違っているが美人なことに変わりない。少々目つきが悪くあくどい表情がよく似合う彼女の頭からは二つの耳が生えていた。いや、生えているのは耳だけではなく臀部からは大きな尻尾が一つ生えている。
『刑部狸』
こことは違う国出身の魔物。商売を得意とし、狡猾で策に長けた生粋の商人。そして私にとって都合のいい商売人だ。
本来この国、『ディユシエロ王国』は魔物との共存を認めない主神の国。魔界を滅し、魔物を殺し、魔王を討つべく騎士や勇者を率いて戦争を仕掛ける国だ。そんなところに魔物が入ろうものなら処刑は免れないだろう。いや、処刑で済むはずもなくもっと酷いこととなるに違いない。
しかしここで彼女が商売を営めているのは彼女が並はずれた魔術を会得していることと、私が匿っているからだ。
実際彼女から手に入るものはどれもこの王国に持ち込むことすら容易くない。魔界でとれるものなど国に入る前に燃やされるのが当然だ。王国の魔物化を防ぐため、民の魔物化を防ぐために仕方のないことである。
だが反面私の研究には欠かせない。それ故に私はこの狸を匿う手伝いをしているということだ。
「しっかしルアはん、ぼちぼちええ人見つけたらどないでっか?」
「…なんだ急に」
別の試験管を手にしながら私は彼女を見た。彼女はいやらしい笑みを浮かべながらこちらを見据えている。
「ルアさんもええ齢やのになあんも浮いた話せんから」
「そういう君はどうなのかね?人に言うよりも先に自分ではないのかね?」
とはいっても彼女は魔物。そしてここは反魔物の国。魔物を毛嫌いし、憎むものばかりの王国で誰が彼女と懇ろな仲になれるというのだろうか。
しかし彼女は笑う。くつくつと嬉しそうに。
「おや、いるのかね?」
「くっくっく…そら秘密でっせ」
その言葉は肯定という意味だろう。
「そうか…私以外にも物好きな人間はいるものだな」
私にとって彼女との付き合いはただの商売人と客の関係だ。だがそれ以上の関係の男性がこの国にいるというのだろうか。いたとしたらそれはきっと常識から外れた人間か、はたまた別の国から来た者だろう。どちらにしろ私には関係のないことだが。
「ルアはんも少し異性の事を気にかけたらどないでっか?」
「異性か…まぁ興味深いとは思っているよ。肉体、精神、体質、感情、それから女性とは違う器官。あげればキリがないな」
「…研究対象ってしてとちゃうねんか」
呆れたようにため息をつく狸。だが私は特に気にすることもなく店の棚に並べられた商品に視線を移す。見たこともない異国の物品の一つを手に取って眺めた。
「色恋なんて言われてもわからないものでね。どう思えば好きで何が愛なのかなんて私には理解できないな。私にとって研究が恋人で、実験が恋愛ならば真実が愛なのだから」
「そないな色気もないことを…」
「研究者にとってはそれでいいのだよ。真実こそが求めるもの。真理こそ欲すべきものだ」
その言葉にまたため息をつかれた。
はて、彼女たち魔物にとってはメインが性行為であり色恋は付属品ではないのだろうか。今の魔王が代替わりしてからというものそうなったものだと聞いている。生きるためには男性の精が必要であってそのための手練手管は本能的に備わっていると。
だが目の前の彼女を見るにそのようには思えない。もっとも色恋なんて経験したことのない私にはわからないのだが。
「ルアはんももっと気にかけへんともったいないで。顔も乳もええ線いっとるんやから」
「そう思ったことはないのだがね。別に胸など大きくなっても不都合なだけさ。汗疹はできるし、肩はこる。いいことなどありはしないのだよ」
「…」
私の言葉に恨めしそうに睨んでくる狸。その目つきと彼女の姿に私ははたと気づいた。
「これは失言だった。うっかりしていたよ」
「…別に胸だけが女の魅力ではおまへんのや」
そんなことを口にしながら彼女は一度店の奥へと消えてった。しばらくして再び姿を現すと手には奇妙な小瓶を抱えていた。
「さぁびすやで。ルアはんには日頃世話になっとるさかい持ってってや」
「それは魔物化の薬かね?」
「まさかいな。そんなんしてもルアはん気づくでっしゃろ?」
「当然だ」
これでも私は研究者だ。液体内に混入する魔力の量ぐらい触っただけで測定できるし、そこから魔物化するかしないかも理解できる。
「媚薬でっせ」
「…媚薬か」
妙に禍々しいピンク色の液体が小瓶の中で波打った。手を伸ばして受け取るとわずかなだが魔力を含んでいることがわかる。それでも魔物化には程遠く数時間で抜けるほどの量だ。
「こんなもの渡されても自分以外に飲むものはいないぞ」
「いつか現れる旦那はんに飲ませればええよ」
「こんな物好きな女の旦那になる男などいるわけないさ」
「いやいや、ルアはんももっと魅力的な女性になれまっせ」
意味深な笑みと言葉に私は首をかしげた。
だがただでもらえるのなら貰っておこう。いつか研究材料として使えるかもしれないし魔物が作ったものはただでさえ質がいいのだから。
それに…先ほどは言わなかったが私も近々男性と関わる機会があるのだ。彼に投与した時の反応を見てみるのも一興だ。
バッグの中に媚薬を仕舞い込み、スライムの入った試験管を丁寧に箱へと戻し抱きかかえた。
「ではまた今度寄らせてもらうよ」
そう言って店から出て行こうと横開きのドアを開けたその時彼女に呼び止められた。
「ルアはん。そっちの御代、貰ってへんねんけど」
「…おっとこれはうっかりしていた」
狸の店を出て私は人の賑わう大通りを歩いていた。片手には先ほど手に入れたスライムの体の一部。そしてもう片方の手には高級そうな羊皮紙だ。丁寧な文字の羅列の下、この王国の者ならば知らない者はいない人物の名前が刻まれている。
「…王様直々に私に命令してくるものかね」
ディユシエロ王国の王の名前。それはつまりこの書簡がこの王国で一番偉い人間のものからだという証だ。逆らうことはできず、しようものなら首を飛ばされる。だが応じればそれ相応の報酬は約束されよう。
だが問題はその羊皮紙に記されている仕事の内容だ。丁寧な文字で綴られたそれは私にとっては不可能ではなく、また労力もそこまで必要なものではない。大規模な殲滅魔法の研究でなければ永続的に使用可能な教科魔術でもない。
記されていた内容は一人の男性の調査。
と言っても尾行するわけではなく彼の体質等を調べて欲しいということだった。魔法が使えるか、はたまた何か普通ではない体質なのか、何か異常なことはないのかなど目立ったことを報告しろということらしい。
何とも変わった仕事だ。そんなことわざわざ私に依頼せずとも王宮仕えの魔術師などいくらでもいるだろうに。
だが、そこに記されている最低限の彼の情報を見て私は目を細めた。
『異世界』の『男性』
ただ二つの事実が私の探究心をくすぐってくる。
見たことはあるがかかわったことのない異世界の人間。そして今まで関わることのなかった男性だ。女性と比べて発達した肉体や精神、感情や体質など気になることをあげればキリがない。
だが、一筋縄でいく仕事ではない。
誰もが初めては何もわからないように私にとっても初めての経験となるだろう。それ故どうすればいいのかなどわからないし、魔法すら役に立たないかもしれない。まぁ、だからこそ―
「―興味深くはあるな」
羊皮紙を折りたたみ白衣のポケットへと仕舞い込むと私は自分の研究室へ向かって歩き始めた。
自宅兼研究所である自宅に帰った私は刑部狸から買ったスライムの体の一部を眺めていた。
一般的なスライムから手ごわく凶暴なダークスライムの体の一部は部屋の明かりで煌めき、美しく照らし出される。混入した魔力の量は計り知れず何も知らない人間にとっては危険にもなるだろう。
さて、これをどう使わせてもらおうか。そう考えていた時家のドアがノックされた。
「…うん?」
こんな偏屈な研究者の元を訪れるのはせいぜい妹くらいなのだが約束はしていない。ならばいったい誰だろう。
ああ、そう言えば先ほどの羊皮紙に訪ねてくる時間帯が書かれていたな。どうもうっかりしていたらしい。
手にしていた試験管を箱へと戻すと足早にドアへと進んで―気づいた。
私は女性として男性を迎え入れた経験などない。対応だって知らないし、異世界から来たのだからなおのことだ。彼の常識とこの世界の常識、さらには知識に偏った研究者の私ではうまく事が運べるとは思えない。
さて、どうしたものか。
そう考えていると再びドアがノックされる。このまま応じなければ留守だと勘違いされるだろう。
仕方ない。先に招いてから考えることとしよう。そう結論付けた私はドアを開いた。
「お、おじゃまします…」
一礼して入ってきたのは私よりも年下で、妹よりも年上の青少年だった。
体の線のわかりにくく、高級そうな服を着込み、この辺りでは見られない特徴的な黒髪黒目、さらには私たちと違う顔の作りやわずかに黄色を混ぜたような肌の色をしていた。
外の国から来た男性。それもこの世界ではない別の世界から喚ばれた存在。それがこの青少年か。
「ふむ」
頭のてっぺんからつま先まで何度も何度も舐めるように彼を見る。
巨人のように大きかったり、滅茶苦茶な筋肉質であったり、はたまた小枝のように細かったり風に拭かれて飛びそうなほど小さかったりと思っていたのだがこうしてみると存外普通の、年相応の男性だ。黒髪黒目は確かに目立つが、その他が特に目立つものがない。
もう少しおもしろいものを期待していたのだが…。
「…あの?」
「ん?何かね?」
「…そうじろじろと見られると恥ずかしいのですが」
「おっと」
見つめられれば恥じる程度の羞恥心は備えているのか。これもまた、存外普通というか、ごく当たり前で一般的というか。そんな風に感じたことを傍に携えていた紙に書き上げていく。確か彼はこの世界の字が読めないのだからなにを書こうが問題ないだろう。
「済まないな。これはうっかりしていた。なにぶん今までこのように男性と関わる機会がなかったのでね、どうか容赦して欲しい」
「あ、いえ」
応答にも普通の反応。素っ気ない返事にも普通の態度。
だというのに羊皮紙には彼は一国の王女の護衛と書かれていた。それだけではなく勇者数人とも仲がいいだとか。
皆この男性のどこに引かれていったのか気にならないといえば嘘になる。というか、男性と関わる機会すら初めてなのだから興味がわかないわけがない。いくら普通であろうと男性であることに違いないし、その上で別世界から来たという事実もある。
探求者としての性だろうか。底の見えない闇をのぞき込みたくてうずうずする。光届かない底に何が存在するのか知りたくてたまらない。
だがそれは個人的な事になるので後回しにしておこう。今すべき事はこの国の未来に関することであり、これから先の戦争を大きく傾ける可能性のあることなのだから。
私は彼を率いて近くにあった椅子に座らせる。続いてその正面の椅子に足を組んで座った。
「ではまずは君の名前を聞かせてくれないかね?おっと、その前に自分の名前だったな、これはうっかりしていた」
近くにあった別の紙を取りペンを握る。ペンの先端を自分へ向けて私は彼に自己紹介をした。
「私の名前はルア・ヴェルミオン。しがない一研究者さ」
すると私の名前を聞いた彼は怪訝そうに首を傾げた。
「……?」
「聞き覚えがあるのかね?まぁ、あったところで気にすべき事ではないだろう。さぁ、次は君の番だ。君はなんと言う名なのかね?」
「ああ、黒崎ゆうたです黒崎が名字でゆうたが名前です」
「ふむ…くろさき、ゆうたか」
名前もまた、変わってる。というか変わっていて当然なのだが、妙に唇になじむというか、呼びやすいというか。印象深い外見とその名前だ、この国の者ならば一度出会えば忘れることないだろう。
その名前を紙に書き込むと一度ペンを置いて私は彼に向き直った。
「それではユウタ、これから君にはある頼みごとをする。何、至って簡単単純な行為だから気をはる必要もない」
「は、はぁ」
「では脱いでくれ」
その一言に彼は動きを止めた。表情も固まり、心なしかひきつっているようにも感じられる。それどころか座っていた椅子がわずかに後ろへと移動している気がした。
簡単に言えば引かれていた。
はて、私は初対面の青少年にいきなり引かれる発言をしただろうか?もしかすると先ほどの発言は彼にとって常識はずれのものだったか。いや…。
「…ああ、そうだ。済まない、いきなり脱いでくれと言うのは失礼だったかね。これはうっかりしていた」
自分の言動を省みると流石にこの言葉はあまりにも単純で引かれても仕方がなかったか。わかりやすさを追求してうっかり端的な一言で済ませるのはまずかった。青少年なのだからこれくらい平気かと思ったがそうでもないらしい。いやはや、初めての機会に私も少なからず心躍っているという事だろう。
それならばそれ相応の理由を付ければ彼も納得するに違いない。そう結論づけた私は彼に再び言葉を投げかけた。
「君の裸体が見たい、服を全部脱ぎ捨ててくれないか?」
「…あの、帰らせていただきます」
椅子から立ち上がり回れ右をして入ってきたドアから飛び出そうとするユウタをすぐさま後ろから羽交い締めにするように抱き込んだ。
思っていたよりも腕は細くなく、また女体よりもずっと堅い体の感触が伝わってくる。厚い服越しでもわかる肉体の感触に私はほぅっと小さく息を吐き出した。
男というのはこれほど体が堅くできているのか。年齢的には私よりも下だろうに、それでもその肉体はずいぶんと逞しい。
これが男と言うものか。何とも神秘的で興味深いものだ。
だが腕の中の彼はすぐさま逃げ出そうと暴れ出した。
「逃げ出さないでくれ。まだ名前しか聞いていないだろう?」
「こちとらヌーディストじゃないんで人前で服を脱げるような度胸ないんですよ!!」
「別にヌードをやれというのではない、ただ服を脱いで全裸になって私に見せてくれと言ってるだけだ」
「それ同じ意味ですからっ!!」
「おっと、これはうっかりしていた」
そんなことを言いながらも気づけば抱き上げた猫のようにするりと抜け出ていってしまうユウタ。もう少し感触を味わいたかったのだが単純な力比べでは彼の方が上なので仕方ない。
「そもそも何ですか!自分が何言ってるかわかってるんですか!?あんたはうちの師匠ですか!?」
「君の師匠がどういう人物かわからないが私がわからずにこんな発言するわけないだろう?ちゃんとそれ相応の理由があるのだよ」
「…理由?」
「そう、理由。大まかに二つだ」
私は指を二本立てて見せつけるとその理由が気になったのかユウタが動きを止める。
「…一応聞いておきますよ」
「そうか、聞いてくれるか。いや、こっちから先に話した方が君も驚かなかっただろう。これはうっかりしていた」
手入れなんてしていないぼさぼさ頭を掻くと私は一つ咳払いして人差し指をつきだした。
「まず一つ。別世界からこの国の王族の力を借りて来た者は誰一人例外なく特別な証が体のどこかに現れる。一般的にそれが勇者として選ばれた証だとか主神に選出された紋章だとか言われ、刻まれた者は魔法とまた違った能力を付与される」
「…はぁ」
「そんな疑わしそうな目で見るな。実際にユウタはそういった人間を数人見ているはずだぞ」
「えっと…誰のことですか?」
「わかりやすいのは青い髪の女誑しの勇者や聖女、そして君にべったりらしい女嫌いだ」
「…あ」
勇者と面識があるどころか親しい関係にある彼ならば知っているはずだ。彼らは皆体のそれぞれに特殊な証を刻まれていることを。
女たらしは手のひらに。
聖女は瞳に。
女嫌いは胸に。
それぞれ刻まれ、それぞれが魔法で説明できない能力を発揮する。それは使いようによって大型殲滅魔法にも匹敵するほどのものでありこの王国の最高戦力として存在する。
「つまりだ、君には勇者や聖女と言った者達と同じほどの脅威になる可能性がある。そして私はそれを見極めることを上から命じられているんだ」
「なるほど」
「そして二つ」
私は中指を立てて彼の顔に突きつけた。
「私が男性の体に興味がある。つまり君の体に途方もない好奇心を抱いている。君の裸体を是非とも観察したい。以上だ」
「帰る」
すぐさま踵を返してドアから出て行こうと踏み出すユウタを見て私は指を鳴らす。乾いた音が部屋に響くと次の瞬間彼の動きが固まった。
「っ!?」
「君はうっかりしているな。ここは私の研究室だぞ?逃げ出す者をとらえるための仕掛けも侵入者を迎撃する魔法もいくらでも用意してあるに決まっているだろう」
「ぐ、ぬ…っ足がぁあっ!!」
床に足が張り付いたようにその場から動けないユウタを見据えて私は笑みを浮かべた。
確かその場所には粘着魔法を仕掛けておいたはずだ。以前私がうっかりかかってしまったが一度発動すれば魔法の使えない人間では解除不可能な力でとらわれるものである。魔法を使えない彼にとってこの空間はさぞ鬼門であることだろう。
「さて、それでは早速裸になってもらおうかね。何、心配することはない。体のどこに証が浮き出たのか見るだけだ。うっかり触ったりはしないから安心してくれ」
「だったら自分で確認できるんだよっ!」
「一人では目の届かない部分が出てくるだろう?うっかり見逃してたらたまったものではない。私が見てあげよう」
「アイルとかレジーナとかメイドさんにでも頼むわっ!」
「それはダメだ。これほど興味深いことを他人には譲れない」
「興味で脱がされたくないんだよっ!!ちょっ!ほんとに待って!!」
「何をそこまで嫌がるのかね?ああ、そうか。嫌よ嫌よも好きのうちというものか。これはうっかりしていたな」
「何をうっかりするんだよっ!オレはただ嫌がって」
「いや、皆まで言わなくていい。本当は好きなのに認めたくないと言うのだろう?恥ずかしがることは何もない。ここには私とユウタの二人だけだ。無論、うっかり外部に漏らしたりすることはないから安心して欲しい。これは私たちの秘密としよう」
「それあんたがバレたらセクハラで捕まるだけだろうがっ!」
「捕まったとしてもそんなもの大事の前の小事だ。別世界の人間の体を見るのは初めてだし、男性の体を見る機会に恵まれるのも初めてなんだ、こんなチャンスうっかり逃すわけにはいかんのだよ」
「ちょっと待てよっ!ほんとに待てって!!」
「さて、まずはどこからいこうかね?女性と違う部分は特に見てみたいのだからまずは胸といこうかね。いや、それとも男性と名のつく性器からにしようかね」
「…」
「…そんなところで落ち込まなくてもいいのではないかね?」
ユウタは部屋の隅で小さく丸まっている。先ほど私がしたことが相当精神的に来たらしい。
これはうっかり悪いことをしてしまった。といっても実際には私が下着の中へ手を突っ込んだら平手を食らって昏倒させられたのだが。
いや、うっかりしていた。さすがに足しかとらえられない粘着魔法では反撃を食らうのも仕方ない。これは改良の余地がある。
しかし男性というのは難しい。肌をさらすことなど平然だろうと思っていたのだが服を脱がそうとしただけで生娘のような反応をするわ、撫でまわしただけで絹を引き裂いたような声を上げるわ、挙げ句の果てにはビンタで倒されるわと力がある分女性よりも危険かもしれない。
しかし、だからこそ。
わからないものほど探求心を刺激するものはない。求めて止まない知識欲を満たしてくれるものはない。簡単には行かないからこそ燃え上がり、どうしても知りたくなってしまう。
だがさすがにこれ以上やれば私も怪我をしかねない。あの戦闘狂姫の護衛である彼が本気を出したら私の首がもげてもおかしくないだろう。
「いや、済まなかった」
「…」
「別に君を辱めたかったからあんなことをしたわけではないことを理解してほしい。さすがの私も初対面の相手を裸にして楽しむような趣味趣向は持っていないのだよ」
「…楽しんでたくせに」
「違うんだ、ただうっかりしていただけだ」
「さっきっからうっかりしてるだけじゃん」
「誰にだってうっかりすることぐらいあるだろう?」
「その頻度がおかしいんだよ、あんたはどんだけ抜けてるのさ」
「抜けているのではないのだよ、ただうっかりしているだけだ」
「…何そのこだわり?」
先ほど聞いたのとは全く違う声色には流石に気まずさを覚えずにはいられなかった。別に私はこんな険悪な雰囲気になりたくてあんなことをしたわけじゃない、ただ男性という存在とこれほどまで近づいたこともないし、証を探すため肌を見て良いと許可を取っていた故に興奮してしまっただけなんだ。断じて辱めて屈辱を味会わせたいわけじゃない。それを信じてもらうにはどうすればいいだろう。
何分今まで人間とふれ合う機会はなかったわけではないが、普通の人間と比べると圧倒的に足りない。それ故私はこういう会話自体あまり得意ではないのだ。レジーナ王女やその妹君のように民衆を引きつける声も口調も言葉も私にはない。
誠心誠意謝ればいいのだろうか?だが、それだけにしては足らない気がする。とはいえ、他にできることなど私にはわからない。
「ならあれかね、私も脱げばおあいこだ。それで水に流そうじゃないか」
「…は?」
「ユウタだけに脱げと言うのは不公平だったな。これはうっかりしていたよ。やはり相手に要求するならばそれ相応の誠意というものを見せなければならない。自分だけ特をすると言うのは納得いかないと君は言いたいんだろう?」
「いや、別にそんなことを言ってるわけじゃな」
「皆まで言わなくて良い。こんな女として気遣っていない肌を見ることでユウタの不満が解消されるのなら存分に見るが良い」
「いや、だから」
「どこまで脱ごうか。やはり一糸纏わぬ姿の方がいいかね?私もそのつもりで脱がしたのだからこれでおあいこというやつだ」
「人のはな」
「だが私も一応女という自覚はある。年頃の乙女などとうにすぎたが羞恥心というものもあるのだ、そこらへんは許容してほしい。いや、そうしたら不公平かね。これはうっかりしていた。ならば仕方ない、私も恥じらうことなく全てを曝け出して―」
突然白衣の襟を捕まれる。そのままぐいっと顔を寄せられた。
目の前にある見慣れぬ顔立ち。そして目を奪う闇を切り抜いたような瞳。その奥に見えるのは静かに燃えさかる怒りの炎。
「話を、聞け」
「…そうしよう」
戦場とは無縁の研究者だが流石にこの剣幕には引き下がるしかなかった。まるで刃を突き立てられたかのような気迫に思わず頷いてしまう。
興味や好奇心をここで抑えたくはないが危険を冒してまでするべきではない。機会はまだあるのだ、じっくりと時間をかけていけばいい。
「とにかく、もう脱ぎませんので」
「ああ、安心してくれ。さすがの私もまたビンタをくらいたくはないからな。もう無理矢理脱がすような真似はしない。ただ」
「…ただ?」
「それでも私の前で脱いでもらうことには変わりない。それだけは許容していてほしい。いいかね」
私の言葉にユウタはあからさまに嫌な顔をするのだった。
「さて、これでひとまず今日は終わりにしよう。ああ、それと君に鍵を渡しておかなければな」
「…鍵?」
「ああ」
私は白衣のポケットの一つから銀色の鍵を取り出した。私のものであると示す特徴的な十字架の刻まれた手のひらに収まる鍵。それはこの研究室に出入りできる数少ない手段である。
それをユウタの手のひらに落とした。
「ユウタ、君にはこれから暫く私のもとへと通ってほしい。というのも理由は先ほど話しただろう。君の勇者としての素質を確かめるため、あわよくば発現させるためだ」
「…そんなことできるんですか?」
「さてね。できるかどうかはわからない。発現には規則性も何もない。あの女嫌い達も気づいたら浮き出ていたとか、ふとしたきっかけでできるようになったとかそういうものだ。王族の扱う魔法故に私の様な一介の研究者には理解が及ばないのだよ」
だが、彼はこの王国の勇者候補の一人だ。それならば能力発現うんぬんよりも勇者としての素質を理解し、伸ばすには―
―勇者として育てるには私が誰よりも適任ということだろう。
ユウタが帰ってしまった後私は紙に記したことを眺めていた。
肉体、精神共に健康。魔力を感じられないのは彼が魔法と無縁の世界から来たゆえのものだろうか。態度には一癖あったが許容できる範囲。潜在能力は割とありそうで勇者としての素質は有りだろう。そう結論付けてテーブルの上に置く。
「いや、今日は充実したな」
刑部狸からは貴重なスライムの体の一部手に入れることができたし、男性に初めて触れることができた。女体にはないあの堅い感触は今も思い出せるほど鮮明に刻まれぞくぞくする。初めてだったからか抑えがきかず反撃まで受けたが良い経験になった。
今回だけでも十分な収穫はあった。なら今度は何をしてやろうか。そんな風に考えて辺りを見回したその時。
「…うん?」
スライムを入れた箱が空いていた。いや、空いていたのは箱だけではなく試験管もだった。
「…はて、閉め忘れたか」
一応スライムの体ということもあって本体とは離れても多量の魔力が宿っている。中には人間に寄生するものもいるのだ、不用意に扱っては危険である。
蓋を締め直し確認する。中が少々湿り気を帯びていたのは異常だが気にすることなく箱を閉じ―
「―うっかりしているな」
―る寸前、ぱちりと指を鳴らした。
刹那、私の背後が燃え上がる。物音と共にその場から何かが飛び退いた。
私はゆっくりとそちらへと振り返る。この研究室はかなりの広さを有するがそこにいた者は隠れずその場に立ち尽くして笑みを浮かべていた。
柔らかい光を宿した瞳と浮かべるのは上品な笑み。まるで貴族や王族が人前にでる時に浮かべる気品を備えたもので慈愛にも満ち溢れていた。全体的に整った顔立ちは美しいと言えるだろう。あの狸も美人の部類に入るが目の前の存在もまた同様だろう。
「あらあら、よくおわかりになりましたね」
彼女は、そう言った。
背丈は私よりも小さく、それでも胸が大きく腹は引っ込み色気のある曲線をした女性らしい体つき。一糸纏わずさらしたなめらかな肌は部屋の明かりを反射する艶やかなものでありずいぶんとさわり心地が良さそうだ。
最もその肌は人間の色をしていない。
「これはうっかりしていたな。まさかスライム丸ごと一匹入っているとは」
それは青色だった。透き通った綺麗な、湖の様な色をした肌だった。
人間とは違う、スライム特有の肌の色。肉体とは違うもので構成された体は時折水面のように波打った。
だが、これがただのスライムとは思えない。あの箱の中で器用に隠れられ、そして人間と対峙しても余裕のある態度をとっている。色合いからしてスライムと似ているがただのスラムは頭の上に冠をのせていない。
私はこの個体を知っている。
「クイーンスライム、かね?」
「ご明察ですわ。クイーンスライムのヴェロニカと申します。以後、お見知りおきを」
そう言って彼女はうやうやしく頭を下げた。
スライム特有の分裂機能に欠陥を持つ、クイーンの名を付けられたスライム。本体の周りには分裂できずに肥大化した複数の分体を侍らせているという。そのため本体の動きは緩慢だが分体は彼女の統制下にあり、分体の数によっては軍勢にもなる恐るべき存在だ。
「これはご丁寧な自己紹介だな。私はルア・ヴェルミオン。一介の研究者だ」
「あらあら。反魔物国家の方なら驚くか嫌悪するかと思ったのですが普通の対応ですね」
「私は研究者だからな。あらゆる可能性のある存在をないがしろにはしないのだよ。それで、目的は何かね?もしかしなくともディユシエロ王国の侵略なのかね?」
私の言葉に彼女はおかしそうに、それでも上品に笑った。
「うっかりさんですわね。そのようなこと聞かれて答える人はまずいませんよ」
「君は人ではないからな」
「ええ、人ではありません。ですからお答えしましょう。その通りですわ」
「…成る程」
あの刑部狸の商品に紛れ込み、この研究室を拠点に侵略を開始するつもりだったのだろう。クイーンスライムは栄養さえあればどんどん肥大化し、王国すら築くという。そんな魔物が王国に紛れようものなら一気に飲み込まれる。至って単純明快な作戦。作戦ともいいがたいほど簡単なことだが実際に起きれば被害は甚大だ。
「ということは私はどうなってしまうのかね?」
「魔物になって貰いましょうか。折角そこにスライムの体の一部があるのですから貴方もスライムになってはどうです?ダークスライムや寄生スライムがお勧めですよ」
「ふむ」
ここで私がこのスライムにとりこまれ魔物になろうものならディユシエロ王国は陥落だ。うっかりして国一つ落としましたとは流石に私も笑えない。国の上部ならクイーンスライムに立ち向かえる者もいるだろうが国内を侵攻される中民を全て守りきれるかと聞かれれば別だ。
なら、どうするか。
「それでは早速はじめましょう」
そう言って彼女は一礼する。次の瞬間その両隣に彼女と似たスライムが現れた。特徴的なヘッドドレスまでしている。
次いでまた二体。今度は槍を持った騎士の風貌をしたものととんがり帽子をかぶった魔法使いの姿のもの。
どうやらここに来る前から肥大化していたらしい。本体にはまだまだ肥大化した分体が収まっていることだろう。これでは研究室が彼女で溢れてしまう。
だが。
「君は人のことをよく調べてきたのかね?」
「…はい?」
「何、襲う相手のことをあらかじめ調べ、その行動を予測し、見合った戦略を立て道具を用いる。例え相手が格下だとしても何か隠し玉になるような、一発逆転の手となるようなものを用意していないのか用心すべきではないのかねと、聞いたんだ」
ここは私の研究室。いわば私の城である。先ほどユウタがかかったように様々な罠があるし、なにより私がいる。
「やれやれ、あの刑部狸もうっかりしているな。こんな見え見えの罠で私をはめるつもりだったならせめて素性くらい伝えておくべきだろうに…いや、私自身が伝えていないんだったな、これはうっかりしていた」
「…何を言いたいのです?」
「まぁつまりだ」
私は人差し指と中指を立てた。
「この反魔物領域のディユシエロ王国で魔物を一人匿うことのできる人間が何の変哲もない研究者だと思ったのかね」
そして振り下ろす。次の瞬間彼女の周りが燃え上がった。紅蓮の業火は彼女を取り巻き、分体を蒸発させる。
「っ!」
「ほら、油断しすぎだ」
小指を立てて空中に躍らせる。刹那、彼女の四方へ天井から銀色の板が落ちてきた。
侵入者用の、それも対魔法使い兼魔物用の捕獲トラップ。
「!」
「退魔を宿し、魔力を遮断する銀の壁だ。閉じ込められれば爆発すら抑え込む空間圧縮の魔法付きときているぞ」
次いで私は指を鳴らした。すると銀の壁は全てが縮み、彼女を閉じ込めたまま手のひらに収まる箱へと変化する。私はそれを静かに拾い上げた。
がたがたと揺れる箱。だがいくらクイーンスライムとて抜け出せるものではない。スライムでも抜け出せる隙間はなく、また魔法も通用しないのだから。
「どうやらうっかりしていたのは君の方だったらしいな」
観念したのか動かなくなった箱に私はそう言うのだった。
14/03/09 22:14更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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