後編
髪から、肌から、服から滴る雨粒をそのままにオレは社へと足を進める。腐った床が抜けないように気を付けながら古ぼけた格子をあけて中へと進む。
中は真っ暗で何も見えない。夜で雨の降っている今明かりのない室内では何が何だかわかるはずもない。だけど、誰かがいる気配はする。とても小さな呼吸が、わずかに身じろぐ音がはっきりと感じられた。
一歩、二歩、三歩進んでようやく人の輪郭が浮かび上がってくる。暗闇の中だというのにはっきり瞳に映るそれは昔のように来るものを招こうとはせず、背中を見せる女性の姿だった。
「…っ」
オレの足音に反応してか頭の上の二つの耳がぴくりと動いた。続いて九本ある尻尾ざわめくようにゆらぐ。それでも彼女はこちらを振り向こうとはしなかった。
「…来るなと、言ったはずじゃぞ」
玉藻姐はオレに背中を見せたままそう言った。
「儂の言葉がわからんほど馬鹿ではあるまい?」
「わかってるよ」
「なら…」
ゆっくりと振り返る九尾の女性。暗闇の中だというのに金色の長髪が揺れ、九本の尻尾が靡き、誰もが見とれるだろう美貌を備えた顔がこちらを向くのをはっきりとわかる。長く生えそろった睫毛や桜色の唇さえも見えるのはそれだけ彼女の存在感があるということだろうか。
ただし、その表情は憎々しげに歪んでいた。その瞳は憤怒一色に染まっていた。
「なぜ…来た……?」
声自体静かなものだった。普段と比べれば少し落ち着いた、そんな声色だった。だがその一言からは明らかに怒りの感情が混じっていることが理解できる。
同時に、寂しさを感じさせるものでもあった。
「儂を一人にせい………今は一人になりたいんじゃ」
怒りたいのか、泣きたいのか。
すがりつきたいのか、叫びたいのか。
嘆きたいのか、慰めてほしいのか。
玉藻姐は自分自身どうしたいのかよくわかっていない姿をしていた。
これほど荒れる玉藻姐を見たのは初めてだ。今までにも命日には泣く姿を見たことがあるがオレに向かって怒鳴ることなんてなかったというのに。
だから…だからこそ。
こんな姿を見せつけられて、黙って去れるわけがない。
普段を知っているからこそ、なおさら一人にできはしない。
オレは玉藻姐へ向かって一歩踏み出した。
「いくら建物内でも濡れたままだと風邪ひくよ。戻ろう?」
「…一人にせい」
しかし彼女は動かない。
「こんなところで一人でいて倒れたりしたらどうするのさ。帰ろう?」
「…一人で帰れ」
それでも彼女は応じない。
「玉藻姐」
「…儂の言うことが聞けぬのか?」
彼女はオレの言葉を聞こうとしない。
一人閉じこもり、過去の思い出へと逃げていく。
その瞳が向けられているのは愛おしかった一人の女性。
その心が向けられているのは今はない昔の出来事。
共にこの世にはもうない、過ぎ去ってしまったもの。
抱いたところで気持ちは伝わらない。
想ったところで感情は届かない。
叫んだところで声は聞こえない。
泣いたところで誰も慰めてくれない。
―だからこそ、行かなければならない。
おばあちゃんに比べればオレのできることなんて些細なこと。玉藻姐を救った彼女とただ甘えていた青少年では雲泥の差だ。
せいぜいでいるのはここにとどまり続けること。
玉藻姐の隣で支えること。
彼女の心を支えること。
「…餓鬼が」
不意に呟いた声は聞いたことのないものだった。甘く、惑わすような声色は低く獣のように唸る声となっている。警戒するためのものなんてものじゃない、真っ向から敵対するための敵意をむき出しにしたものだ。
初めてみる玉藻姐の怒った姿。九本の尻尾が膨れ上がり切れ長の目がつり上がる。ちらりと覗く八重歯がやたら鋭く見え、剣呑な雰囲気はまるで師匠が師匠じゃなくなったときの状態みたいだ。
人を前にしているときと違う。
人間よりも遙かに格上の存在と向かい合う感覚。
精神が押しつぶされてしまいそうな、心が食われてしまいそうな、背筋がふるえ、冷や汗が吹き出し、呼吸すら満足に出来なくなる。
社の周りには九本の柱が建てられていた。それだけではなくいくつもの札が釣り下がっていた。その理由が今なら嫌というほどわかる。
九尾の妖狐。それは人間の手に負えるようなものではない。あれを誰がやったのかはわからないが普通の人間ならば恐怖し、慄くことだろう。今の玉藻姐を前にしただけでも気絶するかもしれない。そんな相手を野放しにできるほど人間は強くない。
「昔からそうじゃったな…やめろということをやめんで儂の尻尾に抱きつきにくる…なんとも鬱陶しい餓鬼じゃと思っとったが成長しても変わらんとは思わんかったぞ」
「…はっ」
だがオレは玉藻姐の言葉に鼻で笑ってやった。その怒り狂う神経を逆なでするように。
「そういう玉藻姐だっていつまでもうじうじしてるじゃん。おばあちゃんの命日がきてこれで何回目だと思ってるのさ?」
「…っ!」
「いい加減、現実見たら?」
怒り狂っているのなら何もみる気はないのだろう。だったら一度爆発させてしまった方がいい。冷静さがないのなら目の前のことなんて何も見えやしないのだから。
思い出に逃げてオレの言葉をきこうとしない。
過去へ思いをはせてオレの姿を見ようとしない。
それなら無理やりこちらを向かせるまでだ。
「貴様に何がわかる…?百も生きておらんただの餓鬼に儂の何がわかる?知ったような口を…きくな…っ!」
オレの言葉に玉藻姉の尻尾の毛が逆立った。誰が見ても明らかな怒りの感情を露わにした姿だった。
肌にからみつくような嫌な感覚、喉元を掻き切られそうな不快な雰囲気。怒り狂った金色色の瞳にとらわれたオレの姿が映し出される。
肌が痛かった。
まるで刃が食い込んでいるかの如く痛みが脳髄へ突き刺さる。触れたところで出血はないのだがそう感じてしまうほどオレは彼女を怒らせた。
「何も知らん糞餓鬼が!!九尾相手に図に乗るな!!」
噛みつくように顔を寄せ食らいつかんばかりの剣幕でオレに迫る玉藻姐。人間にはできない、獣のような凄みを感じる。
だが、感じたところで恐れおののいてもいられない。逆にオレからも一歩踏みだし襟首を掴んだ。
噛みつくつもりなら逆に噛みついてやる。食らいつくのなら存分に食わせてやる。
獣がなんだ。
狐がなんだ。
九尾がなんだ。
妖狐がなんだ。
オレにとっては玉藻姐は玉藻姐であることに変わりない。
「いつまでも死人追いかけてんじゃねぇよ!」
「黙れっ!失うことがどれだけ恐ろしいかわからぬ餓鬼がっ!この九尾に口出しするなっ!!」
「いい加減こっち向けよ!」
オレは玉藻姉の顔を力ずくで両手で挟み込むように包み込んだ。そうして頭突きを食らわせるつもりで額を彼女の額に打ち付けた。
一瞬目の前で火花が散る。だがそんなこと気にかけてる暇もない。鈍い痛みが額から広がる。だがそんなこと感じている時間はない。
目の前に玉藻姉の顔がある。誰もが見とれる美女であろうその表情は怒りに歪み、金色の瞳が憎々しげにオレをにらみつけていた。
それでも、オレは玉藻姉に向かって叫んだ。
「オレを見ろって言ってんだよっ!!!」
その声は社の外まで届いていたかもしれない。間近で聞いていた玉藻姉にとってあまりにもうるさい者だったかもしれない。
だがその一言に玉藻姐は動きを止めた。額をぶつけた痛みによるものか、あまりにも大きな叫び声のせいか、それともオレの言葉の為か。
「おばあちゃんのことを思う気持ちはよくわかるよ。いつまでもうじうじするなって言いたいわけじゃない。だけどさ…いい加減周りを見てよ」
先ほどとは打って変わって柔らかな声色でオレは玉藻姐に語りかけるように言った。
「一人で酒に溺れて何か楽になった?そうやって一人で泣いて何か変わった?」
「…っ………」
「玉藻姐…一人で抱え込まないでよ。オレも皆もいるんだからさ…」
玉藻姐はオレを見つめ目を細めた。桜色の唇は静かに口を開く。
「…いて、どうなる?儂の気持ちがわからぬ餓鬼が、何をしてくれる?」
「なんでも。オレにできることならなんだってやるよ」
それだけ玉藻姐を放っておけない。彼女を一人にはさせられない。
オレにできることならなんだって喜んでしよう。どんなに無茶なことだとしても甘んじて受け入れよう。
それがおばあちゃんのように玉藻姐の救いになれるとは思ってない。
だけど、せめて支えくらいにはなれると思う。
オレはおばあちゃんと違って男なんだ。彼女にできないことならオレが代わりにやればいい。
「餓鬼が…九尾に向かって何をいっておるのか…わかっておるのか?」
唇の合間から鋭い八重歯が覗き、まるで舐めるように玉藻姐は顔を寄せる。鼻先が触れ合い、吐息が頬にかかる位置で彼女は脅しをかけるように言葉を紡いだ。
「九尾にそのようなこと…いってどうなるのかわからないほど馬鹿ではなかろう?」
彼女の言葉にオレは無言で頷いた。
「ならばその言葉…真かどうか確かめてやろうか?」
ずるりと舌が首筋を這う。生暖かく柔らかな感触は情欲を引き出すと言うよりも恐怖心を煽るような動きだった。
そのまま喉笛に噛みついてやろうかと。
このまま血管を食いちぎってやろうかと。
それでもお前は同じことがいえるのかと、そんな風に言いたげな行為をオレは甘んじて受け入れる。
湿った部分が空気にさらされ熱を奪う。唾液のたっぷり乗った舌が刷り込むように肌を擦る。獣に襲われる獲物というのはこう言った心境なのだろうかとそんな考えが頭の隅に浮かんだがすぐに消す。玉藻姐は獣ではないのだから。
ぱさりと長い金色の髪の毛が顔にかかったとき、同時に肌に生暖かい雫が落ちた。
「…違う」
「え?」
「こんなの、違う………」
二度三度、続いて落ちてくる雫にオレは玉藻姐を見据える。彼女の金色の瞳からはいくつもの雫が滴り落ちていた。
「玉藻、姐…?」
「こんなことしたかったわけではない…儂は、儂は…」
ぐしぐしと両手で涙を拭うが拭っても涙は溢れて止まらない。まるで子供のように泣きわめく玉藻姐。オレの目の前にいる彼女は九尾の狐ではなく、面倒見の良いお姉さんでもなく、酒好きの豪気な女性でもない。ただの一人の少女だった。
「儂は…わかっとるんじゃ……ゆうたが、儂に優しくしてくれることはすごく嬉しい…じゃが、甘えてはならん…」
「何でさ…」
「儂は…九尾じゃから……」
暗がりの中で滴った涙が古びた木の床にシミを作る。
「側にいて欲しいと思っておる。いや、ずっとここに閉じこめておきたいと思っておる……じゃが、そんなことはいけないとわかってる」
いくつもいくつも、まるで雨が降り注ぐように。
「ゆうたは人間じゃ…千歳も人間じゃ……人間は、人間とともにいきるのがいい…こんな化け狐の我が侭につきあわせる訳にはいかん。もう、千歳のようになるのは…御免じゃ…」
それはきっと先ほど見てきた過去の事。
玉藻姐のせいでおばあちゃんが皆と離れなければならなかったということ。
おばあちゃんが玉藻姐の誘いを断ってしまったこと。
彼女が言っているのはその二つの事だろう。
迷惑を掛けたくない。
拒絶されたくない。
だから―
「千歳はあの男とともに人間のままに死んでいった。ゆうたの父親も人間の女と契った。ゆうたも…人間としていきるべきじゃ」
―あるべき場所へと帰らせる。
「何、言ってるのさ…」
「儂は…人間ではないぞ…?妖狐じゃぞ?九尾じゃぞ?それが、わかっておるのか」
「そんなの今更だって、いったじゃん」
「ゆうたを…外の世界から隔絶させてしまうぞ?人間の世との関わりを断たせてしまうぞ?永久の檻に閉じこめて、人間を捨てることになるのじゃぞ?」
そう言って玉藻姐はオレの頬を両手で包み込んだ。細い指先が肌をなぞり、暖かな体温が染み込んできた。だが、その指先はしっかりとオレの顔を固定する。自分の姿を真っ向から見つめさせるように。
「のう、ゆうた……ぬしの目から見て儂はいったいどう映る?」
こちらをじっと見据える潤んだ金色の瞳の中にオレが映し出された。
「妖狐じゃろう?醜く、愚かな九尾じゃろう?」
添えられた指先が震えていた。今にも泣き出しそうな表情で玉藻姐は言った。
「人ではない………化け物じゃろう?」
自虐的な言葉であり、自分を貶めるような発言。
それをあの女性だったらどう否定したことだろうか。
深く傷ついた彼女の心を致したのは龍姫姉ではなく、おじいちゃんでもなく、お父さんでもなく、ただの人間の女性だけ。
おばあちゃんただ一人だけ。
「…玉藻姐」
おばあちゃんにできたのなら―オレだってできないわけじゃない。
共に人間。血の繋がった家族。
それでいて、オレもまた玉藻姐を想っているのだから。
そっと柔らかな彼女の頬を両手で挟み込む。零れた涙を指先でぬぐい取り、今度はそっと額を重ね合わせた。
「オレにとって玉藻姐は美人で、飲兵衛で、油揚げが好きで、色っぽくて、面倒見がよくて、頼りになって…それで」
にぃっと笑って玉藻姐に囁いた。
「大切な人なんだよ」
嘘偽りない本心を押し込んだ一つの言葉。
妖狐であろうが、人でなかろうがオレにとって玉藻姐というのはそういう女性だ、どこかおちゃらかした雰囲気がありながらも優しく、時に儚くて支えたくなる。甘えたくもあり、だけど慰めてあげたくなる。
だから…オレは………―
「―オレは、そんな玉藻姐とずっと一緒にいたいんだ」
人の世と隔絶されようとも。
文明から切り離されようとも。
永久の檻の閉じこめられようとも。
オレは玉藻姐と一緒にいたい。
おばあちゃんならもっと気の利いた言葉をいえたかもしれない。
玉藻姐にとっておばあちゃんほど響かない言葉だったかもしれない。
だけどこれがオレの精一杯。オレの想いを乗せた言葉だ。
「…馬鹿者ぉ」
涙ぐんだ玉藻姐は震える声でそう言うと溢れる涙をそのままにオレへ体を預けるように倒してきた。湿った服越しに感じられる柔らかな肌の感触。今も昔も変わらない大切な人のものだ。
「馬鹿者が…どうしようもない、大馬鹿者が…っ」
「うん…」
「昔と何も変わらん餓鬼が…」
「うん……」
「口だけは…一丁前に育ちおって…」
「育ってるのは口だけじゃないよ。ほら」
力を込めて玉藻姐を抱きしめる。胸板に顔をあて、片手を彼女の頭へとまわす。昔玉藻姐やおばあちゃんが慰める時にしてくれたことだ。
「こんなこともできるんだからさ…だから、たまにはオレを頼ってよ」
「っ………っ馬鹿、ものがぁぁ……っ」
そして玉藻姐は泣いた。大人だということは関係なく、年上の女性だということも考えず、人でないことも気にすることなく泣いた。オレの胸に顔を押し付け涙をぬぐい、嗚咽を漏らしてただ泣いた。
オレは彼女の体を抱きとめてその頭を撫でる。昔は撫でられる側だったが今ならこんなこともできる。もう甘えるだけの子供ではないのだから。
「…ゆうた」
切なげに呼ばれオレは玉藻姐の瞳を見据えた。熱のこもった視線はただまっすぐ向けられている。
「ん。何?」
「その言葉を…信じさせてくれぬか?」
「え…?」
「言葉だけでは足りん。その笑みだけでは満たされん。もっと深く、もっと強く……儂を満たしてくれぬか…?」
「玉藻姐…」
「儂に……」
濡れた瞳で切なげに玉藻姐は言う。
「儂にゆうたを…感じさせてくれぬか…?」
桜色の唇が紡いだ言葉にオレは迷いなく頷いた。
胡座のオレの上に玉藻姐が座り込む。お互いに体には何も纏っていない素肌をさらした姿。お互いの肌は何も遮ることなく重なり合う。
玉藻姐の腕はオレの首へのび、オレの頭は彼女の胸に押しつけられた。力ずくではない、それでも離さないように絡んでは背筋に肉ではない感触が押しつけられる。
胸とはまた違うふわふわしたそれは隙間を埋めるように背中を包んでくる。幼い頃抱きついたのと同じ感触だ。
もっと触れ合いたくて体を寄せようと一度身を離す。すると細い腕は拒むように力を込め、オレの顔を豊かに膨らんだ胸に押し付けた。
「んっ…」
時折ふざけて服越しに感じることのあったそれは吸い付くような肌と反則的な柔らかさを備えていた。ただ押し付けられるだけでも気持ち良く、それでいて情欲とはまた違うものを満たしていく。
「はぁ…っ♪」
満足そうに玉藻姐は長いため息をついた。
「温かいのぅ、ゆうたは。手放せなくなりそうじゃよ」
「そっか。そりゃよかったよ」
「もう離しはせんがな」
「うん…いいよ」
どこか楽しげに笑みを浮かべる九尾の妖狐。悪戯をするように首筋を尻尾が撫でてきた。
闇の中でも見える金色の瞳。熱を孕んだ視線はただ訴える。お互いをもっと感じたいと。
自然、玉藻姐がゆっくりと顔を近づけてきた。それに答えるようにオレからも顔を寄せる。
「んっ…」
憧れに似た感情を抱く相手との口づけ。恥ずかしい気持ちもあるがそれを上回る快楽がある。染みついたアルコールの香りと塗りつぶす様に押し寄せてくる甘い味に頭がくらくらする。
優しい口づけは徐々に加速し、貪るように啜られる。舌が口内へと入ってくると遠慮することなく暴れてくる。絡ませ、扱き、嘗め回す。注がれる唾液を飲み下し、こちらも味わうように舌を突き出した。
何度も唇が押し付けられる。吸いあうように重ねては考えなしに舌でなめる。あるのはただ気持ちよくなりたいという本能と玉藻姐を感じたいという欲求のみだ。
理性のない獣の如く。それでいて空白を埋めるように情熱的に。
二本の腕が後頭部へとまわる。足が絡みつき、抱きしめる九本の尻尾が体を締め上げる。オレと玉藻姐の間にはすでに隙間はなく、ただ力のままに肌が重なるだけだった。
ふわふわと病み付きになる心地よさの尻尾で背を埋め尽くされ、温かくて柔らかな女体の感触が胸に押し付けられる。それだけではなく玉藻姐の手がオレの手を掴み持ち上げた。
柔らかな膨らみへと押し付けられた。手のひらから伝わってくるのは吸い付くような滑らかな肌触り。押し返すと飲み込まれそうになるほど柔らかく指先に力を込めるたびにぞくりと背筋が震える。
「んん…っ♪」
オレの指先に玉藻姐は甘い声を漏らした。女性を喜ばす技術も経験もない手つきだがそれでも彼女を悦ばせている、そうわかればやることなんてただ一つ。
もっと気持ちよくなってもらいたい。
もっとその姿を見てみたい。
よく知っている相手だからこそ、ずっと大切に思っていた相手だからこそ、その感情は情欲よりも強くなる。
オレは玉藻姐の体に口づけた。首筋に、次に鎖骨へ、肩へと吸っていく。唇で愛撫するかのようにキスしていく。そうして今度は豊かに膨らんだ胸の先端へと口づけた。
「んぁっ♪」
途端玉藻姐の体が跳ねあがる。それでも止まらず何度も口づけ、さらには舌を使って撫でていく。舐めるたびにそこは固さを増していきもっと愛してほしいと言わんばかりに玉藻姐はオレの顔に押し付けた。
「…んっ」
「ほぅっ♪ぁ…ぁあ、…んんんっ♪」
応えるように今度は口に含む。音を立てて口づけるだけではなく貪るように舌で弄ぶ。時に歯で挟み、舌で先端を舐め上げる。何度も何度もしつこいくらいに。経験などないのでがむしゃらに。
刺激するたびに玉藻姐は甘い声を降らせてくる。その声がもっと聞きたくてオレはさらに激しく吸い付いた。
「…もっ…と」
上気した顔でありながら玉藻姐はふと呟いた。その声にオレは顔をあげる。
「もっと、じゃ…………まだ、足りんわ…この程度では満足できん…」
切なげな瞳はオレを見つめ柔らかな体を押し付けてくる。触れ合った体からは早鐘のように鼓動を刻む心音が聞こえてきた。
「のぅ…ゆうた」
触れ合う肌から熱が混じる。刻まれる鼓動が重なる中玉藻姐はちろりとオレの頬を舐めた。
愛おしいものを可愛がるように。
欲するものを食らうように。
白魚のような指がオレのものへと絡みつく。すでに限界まで固くなった表面を撫でられる刺激はたまらない。思わず上ずった声が漏れるのを噛み殺して耐えていると玉藻姐は自分の女へと誘った。
「こっちを…埋めとくれ…っ」
前戯は不要なほど濡れそぼった玉藻姐のそこは暗がりでもわかるほど粘液が滴り落ち、オレの肌を濡らしていく。興奮していることを隠そうとはせず、むしろ早く早くと急かすように玉藻姐は荒い呼吸を繰り返した。
オレは玉藻姐を見る。
情欲を燃やした獣のような金色の瞳がこちらを向いていた。
玉藻姐はオレを見る。
熱を孕んだ視線には声など不要だった。
「はぅ…んんっ♪」
「っ!!」
玉藻姐が腰を下ろし、オレのものが飲み込まれる。淫靡な水音は社内に響き、互いが相手の感触に体を震わせた。
一気に腰を落とされて全てが埋まる。先端から根元まで飲み込まれた感触は十八年間感じたことのないものだった。
あまりも熱くて、あまりにもきつくて、それなのに柔らかく、それでいて心地よい。粘液にまみれた肉壁はあまりにも柔らかく、だというのにきつく締め上げる。燃えるような熱を持った無数の肉ひだが擦れ、吸い込むように律動する膣内にオレは唇をかんで耐え抜く。
それは一度感じれば二度と忘れられない快感。唇をかんだ程度の痛みではかき消せない、あまりのも耐えがたいものだった。
「んぁぁあ…♪感じるぞ…力強く脈打つのを儂の中で感じるぞ、ゆうた…♪」
艶めかしく舌なめずりをする玉藻姐はオレの瞳を覗き込んだ。あまりの快楽に言葉すら発せずにいると彼女は小さく笑い、優しく唇を舐め上げる。
「んむっ」
「んん…もっと儂にゆうたを感じさせてくれ…♪」
「玉藻、ねぇっ」
ゆっくりと玉藻姐の腰が上で動き出す。オレは彼女の体を優しく抱きとめされるがままに受け入れる。
動くたびに粘液にまみれた肉壁が擦れ奥へ奥へと誘ってくる。引き抜かれては逃がさないといわんばかりに絡みつき、精を絞ろうとうねり、纏わりつく。初めて感じる女性の中はあまりにも気持ちよく、それでいて心地いい。
「はぁあ……った♪良いぞ…ゆうたのが儂の中で固く反り立っておるわ…♪」
「ん…っ」
「のぅ、ゆうた…儂の中はいいかのぅ?」
両手で頬を挟まれた。顔を無理やり上に向かされどこか悪戯めいた笑みをこぼす玉藻姐が瞳に映る。艶やかなのにどこか子供っぽい。そんな風に思える笑みだった。
ただこちらは余裕などない。初めての行為に未曽有の快楽。耐えることすら難しいのだから答えただけでも果ててしまいそうだ。
それでも何とか声を捻り出し玉藻姐へと言葉を紡ぐ。
「いいよ…っ」
「そうか…♪そうか…♪」
ただ一言でも玉藻姐は嬉しそうに笑った。そして耳元で囁く。
「なら、もっとよくしてやろう♪」
その言葉と共に彼女は頬を一舐めし、さらに激しく腰を動かしてきた。
体がばらばらになってしまうんじゃないかと思うほどの快感が叩き込まれる。逃げるつもりはないがこれはあまりにも強すぎる。恐怖すら感じる快楽にオレは抗う術などなかった。
だが体は求めてやまない。男として、雄として、かつて憧れを抱き、愛しさを覚えた女子としてオレも合わせるように腰を動かしていた。背中を支える様に九本の尻尾が抱きしめる。
社の中に荒い呼吸が木霊する。雨音ではかき消せない情事の音をオレと玉藻姐が奏でていく。
人間と妖狐などここにはいない。いるのは雄と雌。互いを求めあう獣だけだ。
上下だけではなく前後左右に玉藻姐の腰が揺れる。その度に呼吸が危うくなるほどの快感が弾き出される。逃げるように顔をあげ大きく息を吸い込もうとしたその時。
「あむっ♪」
「んんっ」
見計らったように玉藻姐が唇に吸い付いてきた。
逃がすかとでも言いたげに金色の瞳がぎらついた。それだけでは飽き足らず膣壁がオレのものを締め上げた。
「っ!!!」
声にならない悲鳴が漏れる。それすらも玉藻姐は飲み込み腰の動きを加速させた。
互いをもっと感じたくて二本の細腕が体を這う。片手は背に、もう片手は腕を伝って掌に。指先を広げ、絡めあうように手を握られた。
何度も力が込められその度強く握られる。オレが間違いなくここにいることを確かめるように。
オレもその度に力を込めて握り返す。痛みすら感じそうなほど強く、決して離さぬように。
「あ…んんっ♪ふぁっ♪はぁあああっ♪ゆうた…っ♪ゆうたっ♪」
「玉藻…ね、ぇっ」
互いに互いの名を呼び合う。繋がりあってもなおここにいることを確かめたくて。
背筋を駆け上がる悪寒にも似た震え。下腹部で滾っていたものが爆発する予感に限界が近づいていることに気付く。だからと言ってやめられるわけもない。むしろこのまま吐き出したい。彼女の中を染め上げて、オレで全てを埋め尽くしたい。
玉藻姐も同じように思っているのか背中に回った足に力が入った。九本の尻尾も同様にオレの体を抱き寄せる。逃がすつもりなどとうになく、隙間を開けることすら許さない玉藻姐は確実にオレの精を求めていた。
「玉藻姐っ…もう…っ」
「あぁ…っ♪出せ…出せっ♪儂の、んんっ♪中に…」
互いが身を寄せ合い肌が密着する。滲んだ汗が混じりあい、熱は溶けて一つになる。
膣内はより強く締め上げられ我慢する暇など一瞬もなかった。快楽のまま、欲望のまま玉藻姐の中へと精液は吐き出された。
「はぁあああああああああああああっ♪」
今まで聞いたことのない嬌声と共に玉藻姐は体を震わせた。オレも同じように射精の快感に体を震わせる。
頭の中が真っ白になるほどの快感は意識を塗りつぶす。すでに消え失せていた理性も、貪りたいという欲望も、行為の果てへの躊躇いも、この壮絶な快感への恐怖すらも全てが押しつぶされた。
玉藻姐の足が強く絡みつき、これ以上ないほど奥へと押し付けられる。遮るものは何もなく精液は彼女の子宮へと注がれた。何度も脈打ち、吐き出す度に神経が焼き切れそうな快楽が体中を駆け巡る。
だがそれだけでは収まらない。もっと欲しいと強請るように膣内はうねり子宮口が吸い上げる。もっと満たせと言わんばかりに貪欲に反応する動きにたまらず精液を吐き出した。
「んぉ…あ……まだ、出るのかぁ…♪」
脈動し吐き出される精液の感触に玉藻姐は嬉しそうに言った。
「玉藻…姐…っ」
「はぁ…ぁあ……気持ち、よかったかのぅ?」
「ん…」
小さく頷くと玉藻姐はオレの頭を撫でてくれる。よくやった、そんな風に言わんばかりに。
慰めているのはこちらだというのに主導権は彼女が握っている。まったくこれでは恰好がつかないじゃないかと内心苦笑した。
だが、まだだ。
この程度ではまだ足りない。
「まだ…儂の中で脈打っておるぞ…っ♪まだまだ儂を感じさせてくれるのかのぅ?」
「ん…」
獣と獣。互いに体に灯った欲望の火はそう簡単に消えてくれない。
男と女。一度限りで終われるほど情事は呆気ないものではない。
オレと玉藻姐。一度踏み越えたからには遠慮も何もいらない。
「感じさせとくれ、ゆうた…一度では足らん。一晩では足らん。儂に…ゆうたをもっと感じさせてくれ…儂を、ぬしで埋め尽くしとくれ」
玉藻姐はオレを欲する様に腰を蠢かす。
「頑張らせてもらうよ、玉藻姐」
オレは応えるように玉藻姐の手を握りこむ。
そうしてオレと玉藻姐は再び情事へと溺れていく。外では雨が止んでいることも気づくことなく快楽の底へと沈んでいくのだった。
やや冷たい風が頬を撫でる。赤く染まった葉は揺れ、秋の色へと変わった景色の中で舞い踊る。そんな景色を眺めながらオレと玉藻姐は縁側に並んで座っていた。
頬を撫でる風に身を震わすとそっと体を包み込んでくれる金色の尻尾。九本も生えたそれは人間一人たやすく包み込めるほど大きい。
「んん〜」
もふもふな尻尾はオレの体を優しく包み、吹き抜ける風から守ってくれる。触れているだけで心地よいそれは一度味わえばしばらく離れることはできないだろう。
もっとも、離れないというよりも離してくれないといった方が正しいのかもしれないが。
「もう少し近こう寄れ」
伸びてきた白く細い腕はオレの肩へとまわり優しく抱き寄せる。その力に抗うことなく従い体を横へと倒していく。とんっとわずかな衝撃と共に触れ合う体。肩に頭を預け体は抱き寄せられた。服越しにも感じられる温かさと柔らかさはオレの大好きなものだ。
ただ、女性に寄りかかる男の姿は傍から見るとなんと恥ずかしいことか。
「こうしたほうが温かいのぅ」
「…玉藻姐。流石にこんなことされる歳じゃないんだけど」
「儂にとっては大人になろうとゆうたはずっと子供じゃよ」
「大人って言われてももう外見何も変わんないけどね」
「互いにのぅ。こういうのを世間で『ぺあるっく』というのじゃろう?」
「それ違うけど」
横文字に弱いことは相変わらずで思わず笑ってしまう。いくら年上の女性であっても、人の恐れる妖狐であってもオレにとっての玉藻姐は玉藻姐だった。
ただ、昔なら常に置いてあった酒瓶はなくなっている。おめでたいことがあれば飲むのだ毎日というほどではなくなった。
「玉藻姐、最近お酒飲まないね」
「時には飲んでおるじゃろう?昨晩も注いでもらったしのぅ」
「いや、昔と比べれば大分減ったって思ってさ」
「当然のことじゃよ」
「ん?何が?」
顔をあげて玉藻姐の顔を見る。すると彼女はオレの耳元に口を近づけて囁いた。
「酔える男がおるのじゃ、酒なんぞによってられるか♪」
こういうところをかっこいいと思ってしまうのはオレがいまだに子供じみた考えをしているからだろうか。聞くだけでいまだに恥ずかしいと思ってしまうのはまだまだ大人になり切れないからだろうか。
聞いてるだけで恥ずかしくなり照れてしまう言葉。それでも玉藻姐にとっては飾らない本心の言葉だ。
「ただの餓鬼がいい男になったものじゃ。時間の流れは本当に…不思議なものじゃのぅ」
玉藻姐は感慨深そうに言うとオレの頬を指先で撫でた。
かつては尻尾で抱かれるほど小さかった幼子は今や隣に寄り添う一人の男。過ぎる時間の中を共に過ごす大切な相手。ただ甘えることしかできなかった子供も気づけば憧れを抱いた女性を支える存在だ。
「不思議だねぇ」
玉藻姐の言葉を肯定しながらオレは撫でる指先に自身の指先を絡める。昔は大きくて包まれていた手も同じくらいにまでなっている。だが、これ以上大きくなることはないだろう。
生まれて数年、世話になってまた数年。
そして―オレと玉藻姐が共に暮らしてもう数十年だ。
「大分長い時間を生きてきたのぅ」
いくつもの季節が巡り、何年もの時間が流れたこの日。
九尾が閉じ込めたのは抜け出せない永久の牢獄。温もりで紡がれた鎖が絡まり、優しさによる錠で閉じられた日常はあまりにも幸せすぎるものだった。
ずっとこの時が続けばいい。そう何度思ったことか。
実現するとわかっていても何度心で願ったことか。
「玉藻姐」
「ん?なんじゃ?」
思っても、わかっても、願っても、それが何度目になろうともこの言葉を紡いでいく。
「これからも一緒だよ」
オレの言葉に玉藻姐は微笑んだ。昔と何も変わらない優しい穏やかな笑みだ。ただでさえ元が絶世と言っても過言ではないのだからそのような笑みを浮かべられてはたまらない。何度も向けられようとも慣れるものではない。
ゆっくりと尻尾がオレの体を包み込んだ。筆舌しがたい心地よさを備えた九本はまるで獲物を捕らえるかのようにまとわりついてくる。そうなればお互いの距離が縮まるのは当然の事。
こつんと玉藻姐の額がオレの額に重なった。
「当然じゃ。九尾をその気にさせたんじゃ、一生どころか永遠の時で責任を取ってもらうぞ」
「喜んで」
互いに笑みを浮かべどちらともなく笑いあう。そうして二人を包み込んだ九本の尻尾の中でオレと玉藻姐は口づけを交わすのだった。
―HAPPY END―
「…ふんっ」
「どふっ!!な、いきなりなにすんだよあやかっ!」
「別に。あたしがどこにいようとあたしの勝手でしょうが」
「相変わらずじゃのぅ、あやかは。自分勝手なのは今も昔も変わらんわ」
「ふん…真昼間っからべたべたされたら鬱陶しいったらありゃしないんだよ。そういうのは夜にやってくれる?」
「それならここに来なければよかろう」
「…あたしはここに居たいんだよ」
「かっかっか。立派に尻尾が生えて少しは素直になったのかのぅ?まぁ外見は昔と全く変わっておらんが」
「…ちょ、玉藻姐っ」
「昔の千歳はあやかぐらいの姿でも大きかったというのに…孫にまで遺伝はしないものじゃのぅ」
「…その無駄な脂肪引きちぎられたいの?」
「尻尾三本しか生えておらん子狐が九尾にかなうと思っておるのか?」
「ただの飾りでしょうが、そんなもの」
「素直になったかと思えば夜の間だけかのぅ…どれ、久しぶりに躾てやるわ」
「上等。表に出なよ」
「ちょっと玉藻姐!あやか!…………あぁもう、仕方ないな…っ!!」
中は真っ暗で何も見えない。夜で雨の降っている今明かりのない室内では何が何だかわかるはずもない。だけど、誰かがいる気配はする。とても小さな呼吸が、わずかに身じろぐ音がはっきりと感じられた。
一歩、二歩、三歩進んでようやく人の輪郭が浮かび上がってくる。暗闇の中だというのにはっきり瞳に映るそれは昔のように来るものを招こうとはせず、背中を見せる女性の姿だった。
「…っ」
オレの足音に反応してか頭の上の二つの耳がぴくりと動いた。続いて九本ある尻尾ざわめくようにゆらぐ。それでも彼女はこちらを振り向こうとはしなかった。
「…来るなと、言ったはずじゃぞ」
玉藻姐はオレに背中を見せたままそう言った。
「儂の言葉がわからんほど馬鹿ではあるまい?」
「わかってるよ」
「なら…」
ゆっくりと振り返る九尾の女性。暗闇の中だというのに金色の長髪が揺れ、九本の尻尾が靡き、誰もが見とれるだろう美貌を備えた顔がこちらを向くのをはっきりとわかる。長く生えそろった睫毛や桜色の唇さえも見えるのはそれだけ彼女の存在感があるということだろうか。
ただし、その表情は憎々しげに歪んでいた。その瞳は憤怒一色に染まっていた。
「なぜ…来た……?」
声自体静かなものだった。普段と比べれば少し落ち着いた、そんな声色だった。だがその一言からは明らかに怒りの感情が混じっていることが理解できる。
同時に、寂しさを感じさせるものでもあった。
「儂を一人にせい………今は一人になりたいんじゃ」
怒りたいのか、泣きたいのか。
すがりつきたいのか、叫びたいのか。
嘆きたいのか、慰めてほしいのか。
玉藻姐は自分自身どうしたいのかよくわかっていない姿をしていた。
これほど荒れる玉藻姐を見たのは初めてだ。今までにも命日には泣く姿を見たことがあるがオレに向かって怒鳴ることなんてなかったというのに。
だから…だからこそ。
こんな姿を見せつけられて、黙って去れるわけがない。
普段を知っているからこそ、なおさら一人にできはしない。
オレは玉藻姐へ向かって一歩踏み出した。
「いくら建物内でも濡れたままだと風邪ひくよ。戻ろう?」
「…一人にせい」
しかし彼女は動かない。
「こんなところで一人でいて倒れたりしたらどうするのさ。帰ろう?」
「…一人で帰れ」
それでも彼女は応じない。
「玉藻姐」
「…儂の言うことが聞けぬのか?」
彼女はオレの言葉を聞こうとしない。
一人閉じこもり、過去の思い出へと逃げていく。
その瞳が向けられているのは愛おしかった一人の女性。
その心が向けられているのは今はない昔の出来事。
共にこの世にはもうない、過ぎ去ってしまったもの。
抱いたところで気持ちは伝わらない。
想ったところで感情は届かない。
叫んだところで声は聞こえない。
泣いたところで誰も慰めてくれない。
―だからこそ、行かなければならない。
おばあちゃんに比べればオレのできることなんて些細なこと。玉藻姐を救った彼女とただ甘えていた青少年では雲泥の差だ。
せいぜいでいるのはここにとどまり続けること。
玉藻姐の隣で支えること。
彼女の心を支えること。
「…餓鬼が」
不意に呟いた声は聞いたことのないものだった。甘く、惑わすような声色は低く獣のように唸る声となっている。警戒するためのものなんてものじゃない、真っ向から敵対するための敵意をむき出しにしたものだ。
初めてみる玉藻姐の怒った姿。九本の尻尾が膨れ上がり切れ長の目がつり上がる。ちらりと覗く八重歯がやたら鋭く見え、剣呑な雰囲気はまるで師匠が師匠じゃなくなったときの状態みたいだ。
人を前にしているときと違う。
人間よりも遙かに格上の存在と向かい合う感覚。
精神が押しつぶされてしまいそうな、心が食われてしまいそうな、背筋がふるえ、冷や汗が吹き出し、呼吸すら満足に出来なくなる。
社の周りには九本の柱が建てられていた。それだけではなくいくつもの札が釣り下がっていた。その理由が今なら嫌というほどわかる。
九尾の妖狐。それは人間の手に負えるようなものではない。あれを誰がやったのかはわからないが普通の人間ならば恐怖し、慄くことだろう。今の玉藻姐を前にしただけでも気絶するかもしれない。そんな相手を野放しにできるほど人間は強くない。
「昔からそうじゃったな…やめろということをやめんで儂の尻尾に抱きつきにくる…なんとも鬱陶しい餓鬼じゃと思っとったが成長しても変わらんとは思わんかったぞ」
「…はっ」
だがオレは玉藻姐の言葉に鼻で笑ってやった。その怒り狂う神経を逆なでするように。
「そういう玉藻姐だっていつまでもうじうじしてるじゃん。おばあちゃんの命日がきてこれで何回目だと思ってるのさ?」
「…っ!」
「いい加減、現実見たら?」
怒り狂っているのなら何もみる気はないのだろう。だったら一度爆発させてしまった方がいい。冷静さがないのなら目の前のことなんて何も見えやしないのだから。
思い出に逃げてオレの言葉をきこうとしない。
過去へ思いをはせてオレの姿を見ようとしない。
それなら無理やりこちらを向かせるまでだ。
「貴様に何がわかる…?百も生きておらんただの餓鬼に儂の何がわかる?知ったような口を…きくな…っ!」
オレの言葉に玉藻姉の尻尾の毛が逆立った。誰が見ても明らかな怒りの感情を露わにした姿だった。
肌にからみつくような嫌な感覚、喉元を掻き切られそうな不快な雰囲気。怒り狂った金色色の瞳にとらわれたオレの姿が映し出される。
肌が痛かった。
まるで刃が食い込んでいるかの如く痛みが脳髄へ突き刺さる。触れたところで出血はないのだがそう感じてしまうほどオレは彼女を怒らせた。
「何も知らん糞餓鬼が!!九尾相手に図に乗るな!!」
噛みつくように顔を寄せ食らいつかんばかりの剣幕でオレに迫る玉藻姐。人間にはできない、獣のような凄みを感じる。
だが、感じたところで恐れおののいてもいられない。逆にオレからも一歩踏みだし襟首を掴んだ。
噛みつくつもりなら逆に噛みついてやる。食らいつくのなら存分に食わせてやる。
獣がなんだ。
狐がなんだ。
九尾がなんだ。
妖狐がなんだ。
オレにとっては玉藻姐は玉藻姐であることに変わりない。
「いつまでも死人追いかけてんじゃねぇよ!」
「黙れっ!失うことがどれだけ恐ろしいかわからぬ餓鬼がっ!この九尾に口出しするなっ!!」
「いい加減こっち向けよ!」
オレは玉藻姉の顔を力ずくで両手で挟み込むように包み込んだ。そうして頭突きを食らわせるつもりで額を彼女の額に打ち付けた。
一瞬目の前で火花が散る。だがそんなこと気にかけてる暇もない。鈍い痛みが額から広がる。だがそんなこと感じている時間はない。
目の前に玉藻姉の顔がある。誰もが見とれる美女であろうその表情は怒りに歪み、金色の瞳が憎々しげにオレをにらみつけていた。
それでも、オレは玉藻姉に向かって叫んだ。
「オレを見ろって言ってんだよっ!!!」
その声は社の外まで届いていたかもしれない。間近で聞いていた玉藻姉にとってあまりにもうるさい者だったかもしれない。
だがその一言に玉藻姐は動きを止めた。額をぶつけた痛みによるものか、あまりにも大きな叫び声のせいか、それともオレの言葉の為か。
「おばあちゃんのことを思う気持ちはよくわかるよ。いつまでもうじうじするなって言いたいわけじゃない。だけどさ…いい加減周りを見てよ」
先ほどとは打って変わって柔らかな声色でオレは玉藻姐に語りかけるように言った。
「一人で酒に溺れて何か楽になった?そうやって一人で泣いて何か変わった?」
「…っ………」
「玉藻姐…一人で抱え込まないでよ。オレも皆もいるんだからさ…」
玉藻姐はオレを見つめ目を細めた。桜色の唇は静かに口を開く。
「…いて、どうなる?儂の気持ちがわからぬ餓鬼が、何をしてくれる?」
「なんでも。オレにできることならなんだってやるよ」
それだけ玉藻姐を放っておけない。彼女を一人にはさせられない。
オレにできることならなんだって喜んでしよう。どんなに無茶なことだとしても甘んじて受け入れよう。
それがおばあちゃんのように玉藻姐の救いになれるとは思ってない。
だけど、せめて支えくらいにはなれると思う。
オレはおばあちゃんと違って男なんだ。彼女にできないことならオレが代わりにやればいい。
「餓鬼が…九尾に向かって何をいっておるのか…わかっておるのか?」
唇の合間から鋭い八重歯が覗き、まるで舐めるように玉藻姐は顔を寄せる。鼻先が触れ合い、吐息が頬にかかる位置で彼女は脅しをかけるように言葉を紡いだ。
「九尾にそのようなこと…いってどうなるのかわからないほど馬鹿ではなかろう?」
彼女の言葉にオレは無言で頷いた。
「ならばその言葉…真かどうか確かめてやろうか?」
ずるりと舌が首筋を這う。生暖かく柔らかな感触は情欲を引き出すと言うよりも恐怖心を煽るような動きだった。
そのまま喉笛に噛みついてやろうかと。
このまま血管を食いちぎってやろうかと。
それでもお前は同じことがいえるのかと、そんな風に言いたげな行為をオレは甘んじて受け入れる。
湿った部分が空気にさらされ熱を奪う。唾液のたっぷり乗った舌が刷り込むように肌を擦る。獣に襲われる獲物というのはこう言った心境なのだろうかとそんな考えが頭の隅に浮かんだがすぐに消す。玉藻姐は獣ではないのだから。
ぱさりと長い金色の髪の毛が顔にかかったとき、同時に肌に生暖かい雫が落ちた。
「…違う」
「え?」
「こんなの、違う………」
二度三度、続いて落ちてくる雫にオレは玉藻姐を見据える。彼女の金色の瞳からはいくつもの雫が滴り落ちていた。
「玉藻、姐…?」
「こんなことしたかったわけではない…儂は、儂は…」
ぐしぐしと両手で涙を拭うが拭っても涙は溢れて止まらない。まるで子供のように泣きわめく玉藻姐。オレの目の前にいる彼女は九尾の狐ではなく、面倒見の良いお姉さんでもなく、酒好きの豪気な女性でもない。ただの一人の少女だった。
「儂は…わかっとるんじゃ……ゆうたが、儂に優しくしてくれることはすごく嬉しい…じゃが、甘えてはならん…」
「何でさ…」
「儂は…九尾じゃから……」
暗がりの中で滴った涙が古びた木の床にシミを作る。
「側にいて欲しいと思っておる。いや、ずっとここに閉じこめておきたいと思っておる……じゃが、そんなことはいけないとわかってる」
いくつもいくつも、まるで雨が降り注ぐように。
「ゆうたは人間じゃ…千歳も人間じゃ……人間は、人間とともにいきるのがいい…こんな化け狐の我が侭につきあわせる訳にはいかん。もう、千歳のようになるのは…御免じゃ…」
それはきっと先ほど見てきた過去の事。
玉藻姐のせいでおばあちゃんが皆と離れなければならなかったということ。
おばあちゃんが玉藻姐の誘いを断ってしまったこと。
彼女が言っているのはその二つの事だろう。
迷惑を掛けたくない。
拒絶されたくない。
だから―
「千歳はあの男とともに人間のままに死んでいった。ゆうたの父親も人間の女と契った。ゆうたも…人間としていきるべきじゃ」
―あるべき場所へと帰らせる。
「何、言ってるのさ…」
「儂は…人間ではないぞ…?妖狐じゃぞ?九尾じゃぞ?それが、わかっておるのか」
「そんなの今更だって、いったじゃん」
「ゆうたを…外の世界から隔絶させてしまうぞ?人間の世との関わりを断たせてしまうぞ?永久の檻に閉じこめて、人間を捨てることになるのじゃぞ?」
そう言って玉藻姐はオレの頬を両手で包み込んだ。細い指先が肌をなぞり、暖かな体温が染み込んできた。だが、その指先はしっかりとオレの顔を固定する。自分の姿を真っ向から見つめさせるように。
「のう、ゆうた……ぬしの目から見て儂はいったいどう映る?」
こちらをじっと見据える潤んだ金色の瞳の中にオレが映し出された。
「妖狐じゃろう?醜く、愚かな九尾じゃろう?」
添えられた指先が震えていた。今にも泣き出しそうな表情で玉藻姐は言った。
「人ではない………化け物じゃろう?」
自虐的な言葉であり、自分を貶めるような発言。
それをあの女性だったらどう否定したことだろうか。
深く傷ついた彼女の心を致したのは龍姫姉ではなく、おじいちゃんでもなく、お父さんでもなく、ただの人間の女性だけ。
おばあちゃんただ一人だけ。
「…玉藻姐」
おばあちゃんにできたのなら―オレだってできないわけじゃない。
共に人間。血の繋がった家族。
それでいて、オレもまた玉藻姐を想っているのだから。
そっと柔らかな彼女の頬を両手で挟み込む。零れた涙を指先でぬぐい取り、今度はそっと額を重ね合わせた。
「オレにとって玉藻姐は美人で、飲兵衛で、油揚げが好きで、色っぽくて、面倒見がよくて、頼りになって…それで」
にぃっと笑って玉藻姐に囁いた。
「大切な人なんだよ」
嘘偽りない本心を押し込んだ一つの言葉。
妖狐であろうが、人でなかろうがオレにとって玉藻姐というのはそういう女性だ、どこかおちゃらかした雰囲気がありながらも優しく、時に儚くて支えたくなる。甘えたくもあり、だけど慰めてあげたくなる。
だから…オレは………―
「―オレは、そんな玉藻姐とずっと一緒にいたいんだ」
人の世と隔絶されようとも。
文明から切り離されようとも。
永久の檻の閉じこめられようとも。
オレは玉藻姐と一緒にいたい。
おばあちゃんならもっと気の利いた言葉をいえたかもしれない。
玉藻姐にとっておばあちゃんほど響かない言葉だったかもしれない。
だけどこれがオレの精一杯。オレの想いを乗せた言葉だ。
「…馬鹿者ぉ」
涙ぐんだ玉藻姐は震える声でそう言うと溢れる涙をそのままにオレへ体を預けるように倒してきた。湿った服越しに感じられる柔らかな肌の感触。今も昔も変わらない大切な人のものだ。
「馬鹿者が…どうしようもない、大馬鹿者が…っ」
「うん…」
「昔と何も変わらん餓鬼が…」
「うん……」
「口だけは…一丁前に育ちおって…」
「育ってるのは口だけじゃないよ。ほら」
力を込めて玉藻姐を抱きしめる。胸板に顔をあて、片手を彼女の頭へとまわす。昔玉藻姐やおばあちゃんが慰める時にしてくれたことだ。
「こんなこともできるんだからさ…だから、たまにはオレを頼ってよ」
「っ………っ馬鹿、ものがぁぁ……っ」
そして玉藻姐は泣いた。大人だということは関係なく、年上の女性だということも考えず、人でないことも気にすることなく泣いた。オレの胸に顔を押し付け涙をぬぐい、嗚咽を漏らしてただ泣いた。
オレは彼女の体を抱きとめてその頭を撫でる。昔は撫でられる側だったが今ならこんなこともできる。もう甘えるだけの子供ではないのだから。
「…ゆうた」
切なげに呼ばれオレは玉藻姐の瞳を見据えた。熱のこもった視線はただまっすぐ向けられている。
「ん。何?」
「その言葉を…信じさせてくれぬか?」
「え…?」
「言葉だけでは足りん。その笑みだけでは満たされん。もっと深く、もっと強く……儂を満たしてくれぬか…?」
「玉藻姐…」
「儂に……」
濡れた瞳で切なげに玉藻姐は言う。
「儂にゆうたを…感じさせてくれぬか…?」
桜色の唇が紡いだ言葉にオレは迷いなく頷いた。
胡座のオレの上に玉藻姐が座り込む。お互いに体には何も纏っていない素肌をさらした姿。お互いの肌は何も遮ることなく重なり合う。
玉藻姐の腕はオレの首へのび、オレの頭は彼女の胸に押しつけられた。力ずくではない、それでも離さないように絡んでは背筋に肉ではない感触が押しつけられる。
胸とはまた違うふわふわしたそれは隙間を埋めるように背中を包んでくる。幼い頃抱きついたのと同じ感触だ。
もっと触れ合いたくて体を寄せようと一度身を離す。すると細い腕は拒むように力を込め、オレの顔を豊かに膨らんだ胸に押し付けた。
「んっ…」
時折ふざけて服越しに感じることのあったそれは吸い付くような肌と反則的な柔らかさを備えていた。ただ押し付けられるだけでも気持ち良く、それでいて情欲とはまた違うものを満たしていく。
「はぁ…っ♪」
満足そうに玉藻姐は長いため息をついた。
「温かいのぅ、ゆうたは。手放せなくなりそうじゃよ」
「そっか。そりゃよかったよ」
「もう離しはせんがな」
「うん…いいよ」
どこか楽しげに笑みを浮かべる九尾の妖狐。悪戯をするように首筋を尻尾が撫でてきた。
闇の中でも見える金色の瞳。熱を孕んだ視線はただ訴える。お互いをもっと感じたいと。
自然、玉藻姐がゆっくりと顔を近づけてきた。それに答えるようにオレからも顔を寄せる。
「んっ…」
憧れに似た感情を抱く相手との口づけ。恥ずかしい気持ちもあるがそれを上回る快楽がある。染みついたアルコールの香りと塗りつぶす様に押し寄せてくる甘い味に頭がくらくらする。
優しい口づけは徐々に加速し、貪るように啜られる。舌が口内へと入ってくると遠慮することなく暴れてくる。絡ませ、扱き、嘗め回す。注がれる唾液を飲み下し、こちらも味わうように舌を突き出した。
何度も唇が押し付けられる。吸いあうように重ねては考えなしに舌でなめる。あるのはただ気持ちよくなりたいという本能と玉藻姐を感じたいという欲求のみだ。
理性のない獣の如く。それでいて空白を埋めるように情熱的に。
二本の腕が後頭部へとまわる。足が絡みつき、抱きしめる九本の尻尾が体を締め上げる。オレと玉藻姐の間にはすでに隙間はなく、ただ力のままに肌が重なるだけだった。
ふわふわと病み付きになる心地よさの尻尾で背を埋め尽くされ、温かくて柔らかな女体の感触が胸に押し付けられる。それだけではなく玉藻姐の手がオレの手を掴み持ち上げた。
柔らかな膨らみへと押し付けられた。手のひらから伝わってくるのは吸い付くような滑らかな肌触り。押し返すと飲み込まれそうになるほど柔らかく指先に力を込めるたびにぞくりと背筋が震える。
「んん…っ♪」
オレの指先に玉藻姐は甘い声を漏らした。女性を喜ばす技術も経験もない手つきだがそれでも彼女を悦ばせている、そうわかればやることなんてただ一つ。
もっと気持ちよくなってもらいたい。
もっとその姿を見てみたい。
よく知っている相手だからこそ、ずっと大切に思っていた相手だからこそ、その感情は情欲よりも強くなる。
オレは玉藻姐の体に口づけた。首筋に、次に鎖骨へ、肩へと吸っていく。唇で愛撫するかのようにキスしていく。そうして今度は豊かに膨らんだ胸の先端へと口づけた。
「んぁっ♪」
途端玉藻姐の体が跳ねあがる。それでも止まらず何度も口づけ、さらには舌を使って撫でていく。舐めるたびにそこは固さを増していきもっと愛してほしいと言わんばかりに玉藻姐はオレの顔に押し付けた。
「…んっ」
「ほぅっ♪ぁ…ぁあ、…んんんっ♪」
応えるように今度は口に含む。音を立てて口づけるだけではなく貪るように舌で弄ぶ。時に歯で挟み、舌で先端を舐め上げる。何度も何度もしつこいくらいに。経験などないのでがむしゃらに。
刺激するたびに玉藻姐は甘い声を降らせてくる。その声がもっと聞きたくてオレはさらに激しく吸い付いた。
「…もっ…と」
上気した顔でありながら玉藻姐はふと呟いた。その声にオレは顔をあげる。
「もっと、じゃ…………まだ、足りんわ…この程度では満足できん…」
切なげな瞳はオレを見つめ柔らかな体を押し付けてくる。触れ合った体からは早鐘のように鼓動を刻む心音が聞こえてきた。
「のぅ…ゆうた」
触れ合う肌から熱が混じる。刻まれる鼓動が重なる中玉藻姐はちろりとオレの頬を舐めた。
愛おしいものを可愛がるように。
欲するものを食らうように。
白魚のような指がオレのものへと絡みつく。すでに限界まで固くなった表面を撫でられる刺激はたまらない。思わず上ずった声が漏れるのを噛み殺して耐えていると玉藻姐は自分の女へと誘った。
「こっちを…埋めとくれ…っ」
前戯は不要なほど濡れそぼった玉藻姐のそこは暗がりでもわかるほど粘液が滴り落ち、オレの肌を濡らしていく。興奮していることを隠そうとはせず、むしろ早く早くと急かすように玉藻姐は荒い呼吸を繰り返した。
オレは玉藻姐を見る。
情欲を燃やした獣のような金色の瞳がこちらを向いていた。
玉藻姐はオレを見る。
熱を孕んだ視線には声など不要だった。
「はぅ…んんっ♪」
「っ!!」
玉藻姐が腰を下ろし、オレのものが飲み込まれる。淫靡な水音は社内に響き、互いが相手の感触に体を震わせた。
一気に腰を落とされて全てが埋まる。先端から根元まで飲み込まれた感触は十八年間感じたことのないものだった。
あまりも熱くて、あまりにもきつくて、それなのに柔らかく、それでいて心地よい。粘液にまみれた肉壁はあまりにも柔らかく、だというのにきつく締め上げる。燃えるような熱を持った無数の肉ひだが擦れ、吸い込むように律動する膣内にオレは唇をかんで耐え抜く。
それは一度感じれば二度と忘れられない快感。唇をかんだ程度の痛みではかき消せない、あまりのも耐えがたいものだった。
「んぁぁあ…♪感じるぞ…力強く脈打つのを儂の中で感じるぞ、ゆうた…♪」
艶めかしく舌なめずりをする玉藻姐はオレの瞳を覗き込んだ。あまりの快楽に言葉すら発せずにいると彼女は小さく笑い、優しく唇を舐め上げる。
「んむっ」
「んん…もっと儂にゆうたを感じさせてくれ…♪」
「玉藻、ねぇっ」
ゆっくりと玉藻姐の腰が上で動き出す。オレは彼女の体を優しく抱きとめされるがままに受け入れる。
動くたびに粘液にまみれた肉壁が擦れ奥へ奥へと誘ってくる。引き抜かれては逃がさないといわんばかりに絡みつき、精を絞ろうとうねり、纏わりつく。初めて感じる女性の中はあまりにも気持ちよく、それでいて心地いい。
「はぁあ……った♪良いぞ…ゆうたのが儂の中で固く反り立っておるわ…♪」
「ん…っ」
「のぅ、ゆうた…儂の中はいいかのぅ?」
両手で頬を挟まれた。顔を無理やり上に向かされどこか悪戯めいた笑みをこぼす玉藻姐が瞳に映る。艶やかなのにどこか子供っぽい。そんな風に思える笑みだった。
ただこちらは余裕などない。初めての行為に未曽有の快楽。耐えることすら難しいのだから答えただけでも果ててしまいそうだ。
それでも何とか声を捻り出し玉藻姐へと言葉を紡ぐ。
「いいよ…っ」
「そうか…♪そうか…♪」
ただ一言でも玉藻姐は嬉しそうに笑った。そして耳元で囁く。
「なら、もっとよくしてやろう♪」
その言葉と共に彼女は頬を一舐めし、さらに激しく腰を動かしてきた。
体がばらばらになってしまうんじゃないかと思うほどの快感が叩き込まれる。逃げるつもりはないがこれはあまりにも強すぎる。恐怖すら感じる快楽にオレは抗う術などなかった。
だが体は求めてやまない。男として、雄として、かつて憧れを抱き、愛しさを覚えた女子としてオレも合わせるように腰を動かしていた。背中を支える様に九本の尻尾が抱きしめる。
社の中に荒い呼吸が木霊する。雨音ではかき消せない情事の音をオレと玉藻姐が奏でていく。
人間と妖狐などここにはいない。いるのは雄と雌。互いを求めあう獣だけだ。
上下だけではなく前後左右に玉藻姐の腰が揺れる。その度に呼吸が危うくなるほどの快感が弾き出される。逃げるように顔をあげ大きく息を吸い込もうとしたその時。
「あむっ♪」
「んんっ」
見計らったように玉藻姐が唇に吸い付いてきた。
逃がすかとでも言いたげに金色の瞳がぎらついた。それだけでは飽き足らず膣壁がオレのものを締め上げた。
「っ!!!」
声にならない悲鳴が漏れる。それすらも玉藻姐は飲み込み腰の動きを加速させた。
互いをもっと感じたくて二本の細腕が体を這う。片手は背に、もう片手は腕を伝って掌に。指先を広げ、絡めあうように手を握られた。
何度も力が込められその度強く握られる。オレが間違いなくここにいることを確かめるように。
オレもその度に力を込めて握り返す。痛みすら感じそうなほど強く、決して離さぬように。
「あ…んんっ♪ふぁっ♪はぁあああっ♪ゆうた…っ♪ゆうたっ♪」
「玉藻…ね、ぇっ」
互いに互いの名を呼び合う。繋がりあってもなおここにいることを確かめたくて。
背筋を駆け上がる悪寒にも似た震え。下腹部で滾っていたものが爆発する予感に限界が近づいていることに気付く。だからと言ってやめられるわけもない。むしろこのまま吐き出したい。彼女の中を染め上げて、オレで全てを埋め尽くしたい。
玉藻姐も同じように思っているのか背中に回った足に力が入った。九本の尻尾も同様にオレの体を抱き寄せる。逃がすつもりなどとうになく、隙間を開けることすら許さない玉藻姐は確実にオレの精を求めていた。
「玉藻姐っ…もう…っ」
「あぁ…っ♪出せ…出せっ♪儂の、んんっ♪中に…」
互いが身を寄せ合い肌が密着する。滲んだ汗が混じりあい、熱は溶けて一つになる。
膣内はより強く締め上げられ我慢する暇など一瞬もなかった。快楽のまま、欲望のまま玉藻姐の中へと精液は吐き出された。
「はぁあああああああああああああっ♪」
今まで聞いたことのない嬌声と共に玉藻姐は体を震わせた。オレも同じように射精の快感に体を震わせる。
頭の中が真っ白になるほどの快感は意識を塗りつぶす。すでに消え失せていた理性も、貪りたいという欲望も、行為の果てへの躊躇いも、この壮絶な快感への恐怖すらも全てが押しつぶされた。
玉藻姐の足が強く絡みつき、これ以上ないほど奥へと押し付けられる。遮るものは何もなく精液は彼女の子宮へと注がれた。何度も脈打ち、吐き出す度に神経が焼き切れそうな快楽が体中を駆け巡る。
だがそれだけでは収まらない。もっと欲しいと強請るように膣内はうねり子宮口が吸い上げる。もっと満たせと言わんばかりに貪欲に反応する動きにたまらず精液を吐き出した。
「んぉ…あ……まだ、出るのかぁ…♪」
脈動し吐き出される精液の感触に玉藻姐は嬉しそうに言った。
「玉藻…姐…っ」
「はぁ…ぁあ……気持ち、よかったかのぅ?」
「ん…」
小さく頷くと玉藻姐はオレの頭を撫でてくれる。よくやった、そんな風に言わんばかりに。
慰めているのはこちらだというのに主導権は彼女が握っている。まったくこれでは恰好がつかないじゃないかと内心苦笑した。
だが、まだだ。
この程度ではまだ足りない。
「まだ…儂の中で脈打っておるぞ…っ♪まだまだ儂を感じさせてくれるのかのぅ?」
「ん…」
獣と獣。互いに体に灯った欲望の火はそう簡単に消えてくれない。
男と女。一度限りで終われるほど情事は呆気ないものではない。
オレと玉藻姐。一度踏み越えたからには遠慮も何もいらない。
「感じさせとくれ、ゆうた…一度では足らん。一晩では足らん。儂に…ゆうたをもっと感じさせてくれ…儂を、ぬしで埋め尽くしとくれ」
玉藻姐はオレを欲する様に腰を蠢かす。
「頑張らせてもらうよ、玉藻姐」
オレは応えるように玉藻姐の手を握りこむ。
そうしてオレと玉藻姐は再び情事へと溺れていく。外では雨が止んでいることも気づくことなく快楽の底へと沈んでいくのだった。
やや冷たい風が頬を撫でる。赤く染まった葉は揺れ、秋の色へと変わった景色の中で舞い踊る。そんな景色を眺めながらオレと玉藻姐は縁側に並んで座っていた。
頬を撫でる風に身を震わすとそっと体を包み込んでくれる金色の尻尾。九本も生えたそれは人間一人たやすく包み込めるほど大きい。
「んん〜」
もふもふな尻尾はオレの体を優しく包み、吹き抜ける風から守ってくれる。触れているだけで心地よいそれは一度味わえばしばらく離れることはできないだろう。
もっとも、離れないというよりも離してくれないといった方が正しいのかもしれないが。
「もう少し近こう寄れ」
伸びてきた白く細い腕はオレの肩へとまわり優しく抱き寄せる。その力に抗うことなく従い体を横へと倒していく。とんっとわずかな衝撃と共に触れ合う体。肩に頭を預け体は抱き寄せられた。服越しにも感じられる温かさと柔らかさはオレの大好きなものだ。
ただ、女性に寄りかかる男の姿は傍から見るとなんと恥ずかしいことか。
「こうしたほうが温かいのぅ」
「…玉藻姐。流石にこんなことされる歳じゃないんだけど」
「儂にとっては大人になろうとゆうたはずっと子供じゃよ」
「大人って言われてももう外見何も変わんないけどね」
「互いにのぅ。こういうのを世間で『ぺあるっく』というのじゃろう?」
「それ違うけど」
横文字に弱いことは相変わらずで思わず笑ってしまう。いくら年上の女性であっても、人の恐れる妖狐であってもオレにとっての玉藻姐は玉藻姐だった。
ただ、昔なら常に置いてあった酒瓶はなくなっている。おめでたいことがあれば飲むのだ毎日というほどではなくなった。
「玉藻姐、最近お酒飲まないね」
「時には飲んでおるじゃろう?昨晩も注いでもらったしのぅ」
「いや、昔と比べれば大分減ったって思ってさ」
「当然のことじゃよ」
「ん?何が?」
顔をあげて玉藻姐の顔を見る。すると彼女はオレの耳元に口を近づけて囁いた。
「酔える男がおるのじゃ、酒なんぞによってられるか♪」
こういうところをかっこいいと思ってしまうのはオレがいまだに子供じみた考えをしているからだろうか。聞くだけでいまだに恥ずかしいと思ってしまうのはまだまだ大人になり切れないからだろうか。
聞いてるだけで恥ずかしくなり照れてしまう言葉。それでも玉藻姐にとっては飾らない本心の言葉だ。
「ただの餓鬼がいい男になったものじゃ。時間の流れは本当に…不思議なものじゃのぅ」
玉藻姐は感慨深そうに言うとオレの頬を指先で撫でた。
かつては尻尾で抱かれるほど小さかった幼子は今や隣に寄り添う一人の男。過ぎる時間の中を共に過ごす大切な相手。ただ甘えることしかできなかった子供も気づけば憧れを抱いた女性を支える存在だ。
「不思議だねぇ」
玉藻姐の言葉を肯定しながらオレは撫でる指先に自身の指先を絡める。昔は大きくて包まれていた手も同じくらいにまでなっている。だが、これ以上大きくなることはないだろう。
生まれて数年、世話になってまた数年。
そして―オレと玉藻姐が共に暮らしてもう数十年だ。
「大分長い時間を生きてきたのぅ」
いくつもの季節が巡り、何年もの時間が流れたこの日。
九尾が閉じ込めたのは抜け出せない永久の牢獄。温もりで紡がれた鎖が絡まり、優しさによる錠で閉じられた日常はあまりにも幸せすぎるものだった。
ずっとこの時が続けばいい。そう何度思ったことか。
実現するとわかっていても何度心で願ったことか。
「玉藻姐」
「ん?なんじゃ?」
思っても、わかっても、願っても、それが何度目になろうともこの言葉を紡いでいく。
「これからも一緒だよ」
オレの言葉に玉藻姐は微笑んだ。昔と何も変わらない優しい穏やかな笑みだ。ただでさえ元が絶世と言っても過言ではないのだからそのような笑みを浮かべられてはたまらない。何度も向けられようとも慣れるものではない。
ゆっくりと尻尾がオレの体を包み込んだ。筆舌しがたい心地よさを備えた九本はまるで獲物を捕らえるかのようにまとわりついてくる。そうなればお互いの距離が縮まるのは当然の事。
こつんと玉藻姐の額がオレの額に重なった。
「当然じゃ。九尾をその気にさせたんじゃ、一生どころか永遠の時で責任を取ってもらうぞ」
「喜んで」
互いに笑みを浮かべどちらともなく笑いあう。そうして二人を包み込んだ九本の尻尾の中でオレと玉藻姐は口づけを交わすのだった。
―HAPPY END―
「…ふんっ」
「どふっ!!な、いきなりなにすんだよあやかっ!」
「別に。あたしがどこにいようとあたしの勝手でしょうが」
「相変わらずじゃのぅ、あやかは。自分勝手なのは今も昔も変わらんわ」
「ふん…真昼間っからべたべたされたら鬱陶しいったらありゃしないんだよ。そういうのは夜にやってくれる?」
「それならここに来なければよかろう」
「…あたしはここに居たいんだよ」
「かっかっか。立派に尻尾が生えて少しは素直になったのかのぅ?まぁ外見は昔と全く変わっておらんが」
「…ちょ、玉藻姐っ」
「昔の千歳はあやかぐらいの姿でも大きかったというのに…孫にまで遺伝はしないものじゃのぅ」
「…その無駄な脂肪引きちぎられたいの?」
「尻尾三本しか生えておらん子狐が九尾にかなうと思っておるのか?」
「ただの飾りでしょうが、そんなもの」
「素直になったかと思えば夜の間だけかのぅ…どれ、久しぶりに躾てやるわ」
「上等。表に出なよ」
「ちょっと玉藻姐!あやか!…………あぁもう、仕方ないな…っ!!」
14/02/01 20:26更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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