心遣いの休息
「―ふんっ!」
肩目掛けた横凪の一撃。風よりも早く刃よりも鋭いそれは相手を傷つけないための模擬剣であっても十分驚異となる威力を持ち、狙った場所を破壊せんと突き進む。
「―っ!」
だがどれほど早くも、どれだけ鋭くもその一撃は指先で押し上げられ軌道を無理やり変えられて相手の頭の上を空振っていく。
次いで反撃。
指を揃えたまま突き出される手刀。本物の剣のようにものを斬る鋭さはない攻撃だが音を切り空を裂かんばかりの一撃はまともに受ければ大怪我をするだろう。
「―!」
それをぎりぎり身を翻して躱す。殺気の込められていないその一撃はあたっても大した傷にはならないだろう。だが、この男が本気を出して打ち込んだなら大怪我は間違いない。
「ふふんっ♪」
やはりこれはいい。
何も考えることなく体を動かし本能の赴くままに剣を振るい、体を踊らすこの戦いがいい。
気にすることなどなにもない暴力的な感情のままに力を振るう、この激闘がいい。
目にも止まらぬ速さで剣を振るうと音すら残さない速さで手のひらが舞う。
肩への一撃を容易くいなし、首への斬撃を軽く弾き、体への攻撃を楽に躱す。
受けて避けて、そして反撃を繰り返す。
―剣を振るたびに私が王族だということを忘れていく。
―筋肉を躍動させるたびに私が王女だということを忘れていく。
―本能に従うたびに私が『女』だということを忘れていく。
あるのは野獣のように鋭い戦意。
いるのは戦士らしい熱い闘志。
存在するのは人間としての一つの欲求。
「流石だ、ユウタ!」
「それはどうもっ!」
激闘の最中でも時折会話を交えながら手と剣を交えていく。その様子は普段通り、私の護衛を務め鍛錬に付き合う姿だ。
それでもあの時のキスしたことを弄れば顔を赤くして視線を背ける。私自身も言うのは恥ずかしさはあるもののユウタの反応を見れれば気にすることではない。普段笑うか呆れるかの男なんだ、こんな反応を見れる機会は滅多にない。
ただ、こうして鍛錬中にはそんなことなかったかのように私の相手を務める。公私混同しないことはいいことだろうが、ちょっと面白みには欠ける。
「…」
試しにここで唇を奪ってやったら顔を真っ赤にするのだろうか、なんてくだらない考えが浮かんだその時だった。
かたんと、誰かが背後で足を踏み鳴らす音が聞こえた。
「―っ!」
「―!」
私達は互いに音がした方へと向き直る。私は手にした模擬剣を構え、ユウタは拳を構えたままで。
「…おっと、これは失礼」
本来私の許可が下りなければ私以外立ち入り禁止の場所であるのにもかかわらずその男は平然とした面持ちでこちらを見据えていた。そんなことをすれば不敬罪で首を飛ばすことにもなるのだが、そんなことこの男には関係ないだろう。
私はこの男を知っている。
なぜならこの男は今私が一番会いたくない人物であり、私の―
「―ここをどこだかわかっているのかこの無礼者がっ!」
私は射殺すような視線を向け、大声で怒鳴り散らした。
だが男は眉一つ動かさない。普通の者なら顔を真っ青にして頭を下げるというのにだ。それどころか自分の指先で唇を叩き、静かにと示して説教まで垂れる始末。
「そう声を荒げないでください、レジーナ姫。神の下にある国の王女としてみっともないですよ」
ディオース・ネフェッシュ
この国における修道女、僧侶、信仰者をまとめあげるたった一人の存在。勇者や聖女と同じ地位を獲得した教皇を生業とする男。
事実かどうかはわからないが、生まれつき神の声を聞くことのできる、この国で最も神に近い人間。神の声を聞き入れ、その意向のまま人々の信仰心を操る者。
「神は申しております」
ディオースは言葉を紡ぐこと自体に感動するような表情を浮かべながら薄青い瞳をこちらへ向けた。
「『人の上に立つ人よ、礼節と気品をわきまえよ』と」
まるで聖書の一句を唱えるように滑らかな口調で言葉を紡ぎ、こちらへと足を進めてくる。そして私に触れようとゆっくり手を伸ばし祝福するような笑みを浮かべる。
王女の前であってもここへ立ち入いることを禁じていてもこの男は気にすることない態度をとる。
それは自分が神の声を聞ける故の傲慢か、この国の教皇という地位故の驕慢か。
「ふん」
その手から逃れるように私は身を翻す。だがディオースは特に気にした様子もなく差し伸べた手を引いた。
「邪険にしなくとも良いではないですか、レジーナ姫」
「気安く触るな。一国の王女の珠の肌に傷でもついたらどうするつもりだ」
「何をおっしゃいますか。そのような態度をとらずとも―」
清廉で、汚れない純粋な笑みの裏に残忍で欲望に塗れた言葉を紡ぐ。神に選ばれた人間らしいとは思えない、穢らわしい感情を露わにして。
「―いずれ、貴方はわた」
言い切る前に一瞬、目にも止まらない速さで黒い風が吹き抜けた。次の瞬間ディオースの鼻先に固く握り締めた拳が添えられる。
「!」
「っ!?」
「どうもすいませんね、こちらレジーナ姫様の護衛なんで」
そう言って私とディオースの間に立っていたのはユウタだった。いつもどおりというか社交辞令なのか一応の笑みを浮かべている。ただ、笑みというには少々固く、そして鋭い目つきの表情で纏った雰囲気も普段と違ってどこか剣呑で重苦しい。
そして何より続いた言葉。
「―あまり…出過ぎた真似してんじゃねぇよ」
ぞくりと背筋が震えた。
その声色が普段絶対に想像できないほど低く恐ろしいものだったからではない。瞳に宿した光が獣のようにぎらついていたからではない。口調が荒々しくなったのも纏った気迫が本気だったからでもない。
私を前にして庇ってくれる男など今までいなかったからだ。
いくら今までにも護衛が付いていたとは言えたいてい私のほうが実力は上なので先陣をきることが多かった。護衛なんて護る暇すら与えないほどの激闘をすることが多かった。
だが、今は戦っているわけではないがこうして男の背中を眺め、そして守られている。今までにない経験は言葉にできない感動があった。
―ふふん♪女として男に守られるというのは…良いものだ♪
「…」
ディオースは無言で一歩後ろへ下がる。地位が上であっても容赦なく殴りかかろうとするユウタの前では流石の教皇でも危険を感じたらしい。もしもここで一歩近づけばそこらの暴漢へ打ち込むのと同等の一撃を見舞いされたことだろう。
「レジーナ姫、一つ忠告しておきます」
「なんだ?」
その場からこほんと一つ咳払いをしてディオースは何事もなかったかのように優雅な振る舞いで述べた。
「この男はあまりにも危険過ぎます。関わりを持たれると貴方も、この国にとってもいい影響にならないでしょう。神も申しておりますようにこの国は貴方あってのものですので」
「ふふん?ならどうして神はこの男を別世界から呼び寄せた?」
「っ」
この言葉にはさすがのも黙ってしまう。この男も本当は疑問を抱き、薄々感づいていたのだろう。
召喚魔法を用いて別世界から勇者の素質ある人間を呼び寄せる。選ばれた者は『神の意志により選出され神の力の一部を与えられる』と王家に伝えられているがその魔法を使う私たち王族ですら事実は分かっていない。
もしその言葉が事実ならば神はどうしてこの国にあまり利益を与えず、むしろ害あるような存在を寄越したのか、それは神の声を聞けるこの男ですらわかってないらしい。
「神を愚弄するのですか?」
「事実を言ったまでだろう?」
「…まぁいいでしょう」
瞼を閉じて聖書の一句を述べるかのような安らかな表情で、それでいて神への敬意とユウタへの敵意を込めた言葉を紡ぐ。
「神はきっと全てを見越しているのです。どのような石ころでも磨けばそれなりに輝くものですからね」
「石ころか。それなら注意しておけ」
私はユウタの肩に肘を乗せてふふんっと笑う。ユウタは一瞬嫌そうな顔をするも為すがまま特に何もしなかった。
「ただの石ころだとしても、この男はお前よりもずっと男らしいぞ?それこそ輝けばダイヤにすら勝るくらいにな」
「…随分とご執着されているようですね」
「少なくともお前よりかはずっと男らしいからな」
「…いいでしょう」
反論を諦めたのか無駄だと悟ったのかディオースはまた一つ咳払いをする。そして、ねっとりと粘りつくような視線で私を見据えてきた。
そうして言葉を紡いでいく。
「私たちに必要なのはそのような感情ではありません」
込められた感情は神への陶酔。
「神は申しております」
隠された心は男の欲望。
「『成すべきことのためにはどのような感情でも受け入れるべきだ』と」
掲げられた信条は一つの使命。
「レジーナ姫もよくわかっているのでしょう?」
「…」
「分かっているのならばそれでいいのです。神の申される言葉は絶対。神の示される意志こそ真理。それを理解しているのならば十分です」
そう言ってディオースは私に恭しく頭を下げた。
「ではまたお会いしましょう」
聖職者としてあるべき笑みを浮かべ、それでも一個人の感情を込めた言葉を残して私たちの前から去っていった。
ディオースが目の前から消えて数秒後ユウタは怪訝そうな表情で私に向き直る。
「…何あれ?ゲームとか漫画に出てきそうな奴だったけど」
「その言葉がいったい何のゲームを示すのかわからないが、あれはこの国の教皇だ」
「教皇?」
「簡単に言うと勇者かそれ以上の地位にいる存在で、この国の宗教を取り仕切る最高位ということだ。雰囲気だけでそれぐらいわかると思ったがよくあれを殴ろうという気になれたな」
「別に。この国の人にとっちゃあれはお偉いさんでもオレにとっちゃ関係ないようなもんだし」
…まぁ、確かにそうだろう。
この国に忠誠を誓ったわけでもないユウタにとっては本来私の護衛につくことすらなく、私への言動だって不敬罪上等と言わんばかりに変わらない。そんなユウタがあのような輩に頭を下げることなどあるはずもない。
それに、とユウタは言葉を続ける。
「レジーナ滅茶苦茶嫌がってたじゃん」
「…そんなにか?」
「そんなにさ」
「…そうか」
国民の前で笑みを浮かべ、騎士たちの前では凛々しい表情をして、そのせいで本来の素顔を見せられる相手はそういない。王女として表情の変化なんて特に気を配っていたはずなのだがそれでも出てしまうほど私は嫌がっていただろうか。
いや、それだけじゃないな。
そこまで大きく表情に出したつもりはないんだ、きっとユウタの方が敏感に感じ取ったのかもしれない。
「些細な変かもバレてしまうほどユウタはそんなに私のことを見ているということか」
「…ん?え?なんでそんな話に?」
「実際そういうことだろう?ふふん♪まぁ一国の王女である私の美貌なんだ、ずっとでも見蕩れてしまうのは仕方ないことだな♪」
「いや、別に見蕩れてないけど」
「…お前というやつは本当に…はぁ」
ため息をつきたくなる発言に私は思わず苦笑した。
私にとってはこれでいい。このぐらいの気軽さが何とも心地いい。もう長い時間この男を隣に立たせているがあんな教皇や勇者と並ぶよりもずっといい。
できれば、ずっと続けば良かったのだが…。
「…良かったのだがな…」
「…レジーナ?」
「ん、なんでもない」
頭の中の考えを振り切るように呟いてため息を吐いた。ここ最近ため息の回数が増えてきた気がするが…それも仕方ないか。
そんな私をじっと見つめてユウタは―
「―あ、そうだ」
ふと思い出したように護衛用の制服のポケットから二枚の札を取り出した。よく見えるようにと私の目前で二枚とも揺らされる。
「…なんだこれは」
「もらったんだよ、ほら、あのお米を買った店の人から」
「…お前まだあの店に行ってたのか」
「人付き合いは大切だからね」
「お前はまったく……それで、これはなんだ?」
「ジパングの温泉宿の日帰りチケットだってさ」
「温泉、か……」
手渡されて眺めてみるとただの紙切れというわけではないらしい。わずかながら魔力の込められたそれは転移魔法陣が見えないように刻まれている。発動させればここから一気にジパングへ飛べるという代物だろう。
だが、そのチケットに書かれている文字を見て私は目を細めた。
「…」
ユウタが字を読めないことは関わりを持つものなら皆知っていることだろう。それはおそらくあの女も例外ではないはずだ。
むしろそれがわかっていたからこそ、このようなものを渡したと考えるべきか。
「…」
商売人故の頭の回転といい、人の素質を見抜いて策を巡らすことといい、やはりあの女、私の妹のように戦略に長けた者だと考えるべきだろう。狡猾で抜け目なくて、もしユウタがさらに深くまで踏み込めば絡め取られること間違いない。なんとも厄介なことだ。
だが、その狡猾さが裏目に出たらしい。
ユウタにはただのチケットと偽って渡したのだろうが字が読めるものからすれば何が書いてあるのかバレバレだ。おそらくこれを渡してユウタ自身に誘って欲しかったのだろうが、この男を操ろうとする事自体間違ってる。
それなりに共にいる私でさえこの男の底がわからないのにたった数回会っただけの、商売人と客の関係だったあの女に推し量ることなどできやしない。
ならばせっかく訪れた機会だ、ありがたく頂戴しておくとしよう。
「そうだな、なら行くか」
ジパングは魔物の住まう国。私たちにとって浄化すべき対象である。本来ならばそんな場所で体を休めることなどできるわけがない。
だが今の私にはもうどうでもよかった。いや、ただ単に自暴自棄になっているのかもしれない。そこに魔物がいようと浄化すべき国であろうともうなんでもいい。
この国から、あのことから、少し離れられる時間が欲しかった。
考える時間が欲しいわけじゃない。
この男ともう一度、邪魔されずに二人きりになりたかった。
足掻ける余裕が欲しいわけじゃない。
―私にはもう猶予が残されていないのだから。
「…よし」
ユウタとジパングへ行く約束をした数日後。ちょうど私の仕事に区切りをつけて時間を作った当日、私は以前とは違う私服を着てその場に立っていた。隣には普段の護衛服姿でなく始めのころから着ていた黒一色の服を着ているユウタがいる。
「…」
「ふふん♪どうした、そんなに見つめて。以前と違う私服姿にときめいたのか?」
「…思ったんだけど私服ってどうやって手に入れてんの?」
「いや、そんな疑問よりもまず褒め言葉だろうが」
「露出ちょっと多いんじゃないの?」
「…お前どこか女々しいというか親みたいな事言うな」
「それだけ両親の躾が厳しかったんで」
この男を育てた両親…少し会って話をしてみたいものだ。もっともそれは叶わぬこと。それを悟ってかユウタの表情もどこか寂しげな笑みとなる。
この話はいけない。これから楽しいデートだというのにこんな表情では楽しむこともできないではないか。
…ん?デート?
「ユウタ、もしかして今度もまたあのリリムと約束をしていたなどというのではなかろうな?」
「まさか。無理やり押しかけてくるような真似されなきゃ人との約束破りはしないよ」
「…お前本当にいい度胸だな」
その発言、遠まわしに私への批判になってることを分かっているのだろうか。
「それにフィオナには今日のこと話したし」
「は?」
「いや、そっちのほうが後から邪魔されないかなと」
「……」
やはりこいつは馬鹿だ。
そんなことを話しておいてあの魔物がなにもしないわけ無いだろうが。いや、そんなことないとユウタはフィオナを信じているのだとしても、そこまで信じられるこの男の気がしれない。
本当にこの男は…出発前から頭が痛い。これではジパングについた時にどれだけ苦労させられることだろう。
…まぁ、それも悪いことではないのかもしれないが。
「とにかくさっさとジパングに行くぞ」
「…どうやって」
「ユウタ、そのチケットを私にかせ」
チケットを受け取ると私はパチリと指を弾く。その行為と私の魔力に刻み込まれた魔法陣は反応し、私は手を離した。すると床に落ちたチケットから大きな魔法陣が浮かび上がる。
『転移魔法』
今立っている場所とこのチケットで決められた場所を繋ぎ、千里すら一瞬で移動する魔法。それは利便性に優れ、勇者の中でも好んでよく使う者がいるくらいだ。
「飛ぶぞ?しっかり掴まっていろよ、ユウタ」
「そういうのは普通男が言うもんじゃないの?」
「ふふん♪だったら男らしく私の体を抱き上げてみるか?サービスだ、どこを触ろうがお咎めなしとしよう♪」
「…遠慮しとく」
「なんだその男らしくない返事は。つまらんぞ」
「それよりもほら、早く行くんでしょ」
するりとユウタの手が私の手を掴んで引っ張る。その様子に私は小さく頷くと浮かび上がった魔法陣に二人で飛び込んでいった。
ジパング。
その名を聞くことは私の国でも多々あった。だがあったとしてもあまりいい話題ではない。
人と魔が共存する許されざる場所。存在自体が罪な国。
私たちの最大の敵である魔王に与することなく独自の勢力を携えた国。その力は何度攻め入ろうと容易く返り討ちにされ、それどころか騎士達を吸収してしまう魔の島。
その国にいる魔物は勇者すら一滴で堕落させる血を流す魔物がいるだとか、神に匹敵する力を持つ化物がいるとか、軍勢をもひと振りで崩す尾を九本持った怪物がいるだとかそんな噂まである場所だ。
そこへ向かって帰ってきた者は一人もいない。様子見に行かせた騎士達も囚われ、きっと堕落させられたに違いない。
そんな足を踏み入れることすら命取りであるにもかかわらず私はユウタと共にそのジパングの地に立っていた。
「…ふむ」
「はぁぁ…」
あたりの風景を眺めて頷く私と感嘆の声を漏らすユウタ。
私の国と違って木組みで作られた家屋が並び建っていた。周りは山なのか坂が多く階段が目立つ。その両脇には飯屋や土産屋らしき建物が目立つ。温泉というのだからここらは観光目的でも訪れる人間が多いのだろう。
「…なんだこの匂いは」
だが異様に感じたのはそれだった。先程から鼻をつくゆで卵のような、卵が腐ったような匂い。周りの蒸気と共に漂うそれは蒸せるほどではないが、いい香りというものでもない。
だがユウタは特に気にした様子もなくからから笑った。
「ゆで卵みたいな匂いはきっと硫黄の匂いだよ。ほら、この世界で言うなら……黒色火薬の原料になるあれ」
「あんなものがここら一体にあるというのか?」
「そ。切り傷、痛風、糖尿病とかそういった症状を治すんだとさ」
「よく知っているんだな」
「そりゃこっちの世界じゃポピュラーだし」
そう言ったユウタは自然に私の隣に立って手を差し出した。その行為に私は目を丸くしてしまう。
「…何その目」
「い、いや…何してるんだ?」
「エスコート。今回はオレから誘ったんだし前にレジーナがうるさく言ってたからさ」
「…」
ああ、まったくこの男はわからない。わからなすぎて、質が悪い。
前回はあれほどいやいや言ってたというのに今回は自ら進んで私を女扱いするか。自分から誘ったなんて言ってはいるもののさりげない優しさというか気遣いがやたらと胸に染み込んでくる。
まったくもって質が悪い。
―思わず顔に笑みが浮かんでしまうくらいに、悪い。
「ふふんっ♪お前も大分男らしくなったんじゃないか?」
「オレは生まれた時から男だよ」
「そんなことを言ってるわけじゃない。態度のことだ」
主に私への。
初めて出会った頃は子供っぽい笑みを浮かべながら揚げ足をとってニヤニヤしていた。護衛に任命したときはあからさまに嫌な表情を浮かべていた。休日中に押しかけた時なんてもうひどい顔をしていた。
だというのに今ではこれだ。
本当にこの男は読めない人間だ。
私は差し出された腕に自分の腕を絡めて体を寄せる。するとユウタは以前よりもしゃんと胸を張り私を先導するように足を進めた。
ふふん♪なんとも男らしくて好感の持てる姿だ。だが私の胸を気にしてか体を離そうとするあたり初なところは変わっていないが。
「お、湯畑だ。すげー、学校の教科書ぐらいでしか見たことなかったのに」
「ゆばたけ?」
「湯温調節とか湯の花の採取のためのものだよ。こうやって広場のど真ん中にあるってことは観光用にでも作ったものなんだろうさ」
「ふむ。変わったものだが中々風情があるじゃないか」
だが、立ち行く人は皆見たことのない服を纏い、半数以上が人間らしからぬ姿をしている。魔物との共存をする国というだけあってその数は人間以上だろう。
普段だったらこんな状況気が気でない。今すぐにでも刀剣を抜き手当たり次第に叩き切るところだろう。
そうならないのは私がそれだけ追い詰められている証拠。
魔物すらどうでも良くなってしまう程私は焦っているということ。
だがそれだけではない。
今は手を握ってくれる存在が隣にいる。
その感触が、この体温が、私の心を落ちつかせる。例えここが魔界であったとしても隣の男がいるだけで私は落ち着いていられるだろう。
―できることなら、ずっと傍にいて欲しかったのだが…。
異国情緒あふれるジパングの温泉街を私達は進んでいく。私の王国には存在しない風景や服が興味をそそる。道を闊歩する者の半分は魔物というのは気に食わないがこういう街並みは嫌いではない。
それに、誰の目も気にすることなく二人きりで歩けるというのもいい。前回は一応身なりに気を配り、わざわざベランダから飛んだわけだがここではそういうことを注意しなくていい。
ただ純粋に観光を楽しむだけ。手を繋いで歩みを揃えて街道を歩くだけでも私にとっては嬉しかった。
歩いているといくつも並んだ旗が目に入る。赤い布に白い文字の描かれたそれはやたらと目立つ。主に観光者へ向けたものなのだから当然だろう。
その旗の中の一つに目が止まる。
「ふむ…?」
「ん?どうしたのレジーナ」
「いや、これは一体どういうものかと思ってな」
「どれ?」
「いや、この旗に書いてあるだろう?ユカタと」
「…あ、浴衣って読むんだ」
「なんだそれは?」
「着物の一種だよ。ちょっと着るのに手間取るけど結構見た目がいいんだ」
キモノ…衣服の一種ということか。
ユウタの言葉からするにすれ違う人間や魔物が着込んでいる服と似たものなのだろう。せっかく私服姿なのだがこういった衣服には心惹かれる。見たことのない服だからというよりもこの服を着てユウタがなんと言うのか気になるからだ。
「着たいの?」
「せっかくの機会なんだ、いいだろう?」
「着るんなら写真の一枚でも残したかったかも」
「しゃしん?なんだそれは?」
「絵みたいなもんだよ、こっちで言うならさ」
「絵にして残すのか。そういうのも悪くないな。だがまずは着てからだ。行くぞ」
「……え?オレも着るの?」
「当然だ、ほら、さっさと来い」
ジパングの建物の内側は外観相応に装飾の乏しい素朴なものだった。飾りはあまりなく、あったとしても置かれているのはいけられた花々。木で出来た床に白い壁、それから障子という紙の貼られた横開きのドア。そして緑色のタタミという床。いたってシンプルな作りの一室に私は立っていた。
薄くも大きな服を着込み、金色の帯をきつめに巻かれる。袖は大きく下はスカートとはまた違う作りになっていて今まで着てきたどのドレスとも違う不思議な服だった。
「これがユカタ、か…」
「はい、お客様にはこの白の浴衣がお似合いかと」
そう言って笑みを浮かべたのは私にユカタを着せる一人の魔物。頭部に耳があり、3本の尻尾を揺らす狐のような魔物だ。
「…」
姿見に映る私と魔物を見て思う。
本来ならばこうやって魔物と会話することなどなかったはずだ。斬りかかって当然、浄化するのが使命、消し去るのが義務、それが私たちの国のあり方だったのに。
それを一番守らなければいけない王族の私がこうして町娘のように会話をしている。
私は……私は、どうしたいのだろう。
鏡の中の私を見る。
「…」
心の中の私を見る。
抱いた感情はハッキリと自覚できている。自分のことなんだ、わかって当然だ。
だが、それを理解してしまってはもう一人の私を否定してしまう。王族として生きる私を殺してしまう。
両方を活かす術は…存在しないだろう。
「…ふふん」
自嘲気味に小さく笑うと隣の部屋から「ちょっと待ってください!!一人でできますからっ!でき、あ!ちょっと!なんで下着に手をかけてやめちょ!!」なんて悲鳴が聞こえてくる。わかってはいたがユウタは魅了に強い割には押しに弱い男だ。こんな魔物溢れるジパングに一人置き去りにしたらどうなるか予想できないわけがない。
「お連れの方は彼氏さんですか?」
「そう見えるか?」
「ええ。とてもお似合いですよ」
「ふふんっ♪」
世辞であったとしても相手が魔物だったとしてもそう言われるのは悪い気分じゃない。歳が一回りは離れていそうだがそれでも乙女のようにはしゃいでしまうのは私がまだまだ女らしさを残しているからだろう。
いや、むしろ掘り返されたのだろう。軍務の多忙さと王族の責任に埋まっていた私の本心を浮き彫りにさせた、とでもいうべきか。
まったく、最初は歳が一回りも離れているただの小僧だと思っていたのに…本当にわからない。随分と長くあの男が私の隣にいるがそれでもまだあの男を理解できたとは思えない。
優しくて、子供っぽく笑って、だけど気が利いて、初で…そして儚い。
だからこそ惹かれてしまったのだろう。
そのせいで私は悔やんでも悔やみきれないんだ。
「もしよろしければ…どうでしょうか?」
魔物は艶かしく誘う娼婦のように、それはまるであの魔性の美貌を持ったリリムように言葉を囁いた。
「僭越ながら私めがあなたのお背中を後押ししましょうか?」
だがそんなくだらない言葉の返答はただ一つだけ。
「余計な世話だ」
魔物の手を借りるなど恥以外の何ものでもない。
いくらジパングに訪れたとはいえ魔物が浄化すべき対象だという考えは変わらない。それに、そんなことをしようものなら私は王族ではいられなくなる。一国を背負わなければならない王女として既にやらなければならないことが目の前にあるんだ、変に魔物にほだされては終わりだ。
―…いや、いっそ終わってしまったほうがましなのかもしれない。
だが私とて譲れないものはある。
今まで軍務に勤しみ戦争を司ってきた私が他人の手を借りて勝負に出るなど言語道断。
これは私個人のもの。誰かに借りを作るわけにはいかないし、今だけは私一人でやらなければならない。
私の返答に女は小さく笑った。
「ふふ、そうみたいですね」
「当然だ。この程度一人でこなせないで何が女だ」
「素晴らしい心構えです。その気概があるならきっと彼氏さんも振り向いてくれますよ」
そんなこと、するつもりではないのだが。
できるはずが、ないのだが。
だが…。
「だからそういうのは勘弁して…おわぁっ!?」
その時、障子というドアを倒してユウタがいきなりこちらへ転がり込んできた。
私と違う真っ黒なユカタに金色の帯。普段着ている服も護衛用とも違う姿は目を見張るものがある。
「ふふ、待ちきれなくて飛び込んでくるとはせっかちさんですね」
「ふふん♪そこまでして私のユカタ姿を拝みたかったのか。普段そっけないくせにやはりお前も男だな、ユウタ」
「え、違っ」
「お客様ぁ、まだ着付けは終わっておりません♪、ささ、こちらに来て帯を解いてください」
「いや、自分でできますから!もう帯できましたからっ!」
「…」
あとから入ってきた二本の尻尾を生やした狐の女性とユウタの会話に私は目を細めた。
この男は……どこだろうと本当に変わらない。
しっしと追い払う仕草をすると私の着付けをしていた魔物が一礼してユウタに襲いかかろうとしていた魔物を連れて出ていく。かたんと乾いた音をたてて障子を閉めたおかげでこの空間にはユウタと私の二人だけになった。
「ふふん」
私はその場で見せつけるように回ってみせた。
「どうだ、ユウタ。私服もいいがユカタというのも悪くないな。このカンザシとかいうものも中々洒落ているし」
「…」
「…ユウタ?」
「あ、いや…金髪に白い浴衣って結構映えるなって思ってさ」
「ふふん♪私に似合わん服はないからな」
「まぁそりゃ、レジーナは元々とんでもない美人なんだから何着ても似合うじゃん」
「っ…」
さりげなく混ぜられた私への純粋な賞賛。本人にとってはただの感想であってもそれを軽々しく口にして笑みを浮かべるのは反則だろう。
本当に質が悪い。
嬉しくて、嬉しいからこそ…もっと欲しくなる。
これ以上求めてしまってはいけないのに。
本当に……質が悪い。
「ユウタのユカタ姿も似合っているぞ」
「そう?ありがと」
「並べば恋人にも見られるかもな」
「…」
「んん?無言で顔を背けてどうした?ふふん♪わかりやすく照れて…ユウタは面白いな」
女扱いするかと思えば初なところがあるし、裏表無く褒めてくれるところもある。本当にこの小僧は飽きることなく私を楽しませてくれる。
顔に笑みを浮かべてユウタの手を引っ張った。
「それでは行くぞ」
私の終わりを飾る、デートの続きへと。
その後、二人してユカタ姿で店先に出された土産を眺めたり、まんじゅうという食べ物を片手にフラフラしたり、まっちゃという飲み物に顔をしかめたり、はたまた街の喧騒に耳を傾けたりと特に目的もなく、しいていうなら二人の時間を楽しむように私とユウタは街中を歩いていた。
そして、たどり着いてしまう。
「…大きいな」
「そりゃ温泉旅館なんだから」
私たちの目の前にあるのは大きな建物。この街の中でも特別大きな屋根に目立つ装飾。端の方からは湯気が立ち上り途中で嗅いだ硫黄臭に似たものが漂ってくる。
「ようこそ、お越しくださいました」
そう言って建物から現れたのは先程とは違う姿の女性。こちらは肌が青く、髪の毛が白い、雪の結晶の模様をいれた帯をした魔物だった。おそらくこの女性がこの宿の女将なのだろう。
魔物が一礼すると私はあらかじめ持っていたチケットを二枚彼女に手渡す。
「おや…?」
すると彼女は怪訝そうにその二枚を見て、こちらを見据えた。
「おかしいですね…これを買っていったのはあの刑部狸の娘なのに」
「ぎょうぶ…狸?」
「まぁ狸の看板出してましたが…その人からもらったものなんですよ」
一瞬聞こえた言葉に反応する私と違いユウタは気にすることなく女将に説明する。この反応からして薄々気付いていたがあの商人の女、やはり人間ではなさそうだ。今となってはどうでもいいことなのだが、
ユウタの説明に納得したらしい女将は営業スマイルを浮かべて頭を下げた。
「そうでしたか。これはとんだ失礼をしました。あの娘も随分意気込んでいたものだから不思議に思っちゃいまして。他の人にあげるなんてもうあの娘は旦那様を見つけたのかしら」
その旦那とやらはきっと今私の隣にいる男だろう。
ただ、見つけた程度で手に入れた気になっていたのだから片腹痛い。商人の名が泣くぞ。
「聞きたいのだが」
私は女将の耳元でユウタに聞こえないように尋ねる。
「この紙に書いてあることは本当か?」
「ええ、本当です。二人だけの密な時をどうぞお過ごしくださいませ。一生残る思い出となりますよう精一杯のおもてなしをさせていただきます」
「ふむ、そうか」
私たちの会話にユウタは首をかしげた。聞こえたところではわからないだろう、いや、字が読めないからこそわかるわけがないんだ。
だからこそ、あの商人もこのチケットを使おうとした。
そして見事に裏目に出た。
本来なら大声で笑ってやりたいところだったが一応この機会が巡ってきたのもあの女のおかげなのでやめておく。せっかくこんな時間ができたんだ、感謝ぐらいはしておくべきか。
「それでは当旅館をご案内させていただきますので、どうぞ心ゆくまでお楽しみください」
そう言って女将は私たちに旅館内を案内する。宿泊用の大きな部屋に食堂、マツという木々が生え、石を削って作られた灯篭が置かれている素朴で味のある庭。それからやたらと大きな宴会場やマッサージサービスの行われる部屋。
そして、最後に私とユウタは二つのドアの前案内された。女将の魔物は一礼して邪魔にならないようにさっさと姿を消している。いるのは私たちのみだ。
それぞれ赤と青の暖簾のかけられたドア。おそらくこれは男女を示しているものだろう。そして女将が最後に連れてきたということはこれがメインであるはずだ。
この宿におけるメインであり。
このデートでのメインでもある。
「んじゃ、またあとで」
「ああ」
手を挙げて青の暖簾の方へと入っていってしまうユウタ。私はユウタが姿の見えなくなるところまで見送ると一人小さく笑みを浮かべた。本当ならば隣で言ってやりたかったがその必要もないだろう。
どうせ直ぐに合流することとなるのだから。
「ふふんっ♪文字が読めないというのは本当に難儀なものだなぁ、ユウタ」
私は一人嬉しそうにそう呟くのだった。
肩目掛けた横凪の一撃。風よりも早く刃よりも鋭いそれは相手を傷つけないための模擬剣であっても十分驚異となる威力を持ち、狙った場所を破壊せんと突き進む。
「―っ!」
だがどれほど早くも、どれだけ鋭くもその一撃は指先で押し上げられ軌道を無理やり変えられて相手の頭の上を空振っていく。
次いで反撃。
指を揃えたまま突き出される手刀。本物の剣のようにものを斬る鋭さはない攻撃だが音を切り空を裂かんばかりの一撃はまともに受ければ大怪我をするだろう。
「―!」
それをぎりぎり身を翻して躱す。殺気の込められていないその一撃はあたっても大した傷にはならないだろう。だが、この男が本気を出して打ち込んだなら大怪我は間違いない。
「ふふんっ♪」
やはりこれはいい。
何も考えることなく体を動かし本能の赴くままに剣を振るい、体を踊らすこの戦いがいい。
気にすることなどなにもない暴力的な感情のままに力を振るう、この激闘がいい。
目にも止まらぬ速さで剣を振るうと音すら残さない速さで手のひらが舞う。
肩への一撃を容易くいなし、首への斬撃を軽く弾き、体への攻撃を楽に躱す。
受けて避けて、そして反撃を繰り返す。
―剣を振るたびに私が王族だということを忘れていく。
―筋肉を躍動させるたびに私が王女だということを忘れていく。
―本能に従うたびに私が『女』だということを忘れていく。
あるのは野獣のように鋭い戦意。
いるのは戦士らしい熱い闘志。
存在するのは人間としての一つの欲求。
「流石だ、ユウタ!」
「それはどうもっ!」
激闘の最中でも時折会話を交えながら手と剣を交えていく。その様子は普段通り、私の護衛を務め鍛錬に付き合う姿だ。
それでもあの時のキスしたことを弄れば顔を赤くして視線を背ける。私自身も言うのは恥ずかしさはあるもののユウタの反応を見れれば気にすることではない。普段笑うか呆れるかの男なんだ、こんな反応を見れる機会は滅多にない。
ただ、こうして鍛錬中にはそんなことなかったかのように私の相手を務める。公私混同しないことはいいことだろうが、ちょっと面白みには欠ける。
「…」
試しにここで唇を奪ってやったら顔を真っ赤にするのだろうか、なんてくだらない考えが浮かんだその時だった。
かたんと、誰かが背後で足を踏み鳴らす音が聞こえた。
「―っ!」
「―!」
私達は互いに音がした方へと向き直る。私は手にした模擬剣を構え、ユウタは拳を構えたままで。
「…おっと、これは失礼」
本来私の許可が下りなければ私以外立ち入り禁止の場所であるのにもかかわらずその男は平然とした面持ちでこちらを見据えていた。そんなことをすれば不敬罪で首を飛ばすことにもなるのだが、そんなことこの男には関係ないだろう。
私はこの男を知っている。
なぜならこの男は今私が一番会いたくない人物であり、私の―
「―ここをどこだかわかっているのかこの無礼者がっ!」
私は射殺すような視線を向け、大声で怒鳴り散らした。
だが男は眉一つ動かさない。普通の者なら顔を真っ青にして頭を下げるというのにだ。それどころか自分の指先で唇を叩き、静かにと示して説教まで垂れる始末。
「そう声を荒げないでください、レジーナ姫。神の下にある国の王女としてみっともないですよ」
ディオース・ネフェッシュ
この国における修道女、僧侶、信仰者をまとめあげるたった一人の存在。勇者や聖女と同じ地位を獲得した教皇を生業とする男。
事実かどうかはわからないが、生まれつき神の声を聞くことのできる、この国で最も神に近い人間。神の声を聞き入れ、その意向のまま人々の信仰心を操る者。
「神は申しております」
ディオースは言葉を紡ぐこと自体に感動するような表情を浮かべながら薄青い瞳をこちらへ向けた。
「『人の上に立つ人よ、礼節と気品をわきまえよ』と」
まるで聖書の一句を唱えるように滑らかな口調で言葉を紡ぎ、こちらへと足を進めてくる。そして私に触れようとゆっくり手を伸ばし祝福するような笑みを浮かべる。
王女の前であってもここへ立ち入いることを禁じていてもこの男は気にすることない態度をとる。
それは自分が神の声を聞ける故の傲慢か、この国の教皇という地位故の驕慢か。
「ふん」
その手から逃れるように私は身を翻す。だがディオースは特に気にした様子もなく差し伸べた手を引いた。
「邪険にしなくとも良いではないですか、レジーナ姫」
「気安く触るな。一国の王女の珠の肌に傷でもついたらどうするつもりだ」
「何をおっしゃいますか。そのような態度をとらずとも―」
清廉で、汚れない純粋な笑みの裏に残忍で欲望に塗れた言葉を紡ぐ。神に選ばれた人間らしいとは思えない、穢らわしい感情を露わにして。
「―いずれ、貴方はわた」
言い切る前に一瞬、目にも止まらない速さで黒い風が吹き抜けた。次の瞬間ディオースの鼻先に固く握り締めた拳が添えられる。
「!」
「っ!?」
「どうもすいませんね、こちらレジーナ姫様の護衛なんで」
そう言って私とディオースの間に立っていたのはユウタだった。いつもどおりというか社交辞令なのか一応の笑みを浮かべている。ただ、笑みというには少々固く、そして鋭い目つきの表情で纏った雰囲気も普段と違ってどこか剣呑で重苦しい。
そして何より続いた言葉。
「―あまり…出過ぎた真似してんじゃねぇよ」
ぞくりと背筋が震えた。
その声色が普段絶対に想像できないほど低く恐ろしいものだったからではない。瞳に宿した光が獣のようにぎらついていたからではない。口調が荒々しくなったのも纏った気迫が本気だったからでもない。
私を前にして庇ってくれる男など今までいなかったからだ。
いくら今までにも護衛が付いていたとは言えたいてい私のほうが実力は上なので先陣をきることが多かった。護衛なんて護る暇すら与えないほどの激闘をすることが多かった。
だが、今は戦っているわけではないがこうして男の背中を眺め、そして守られている。今までにない経験は言葉にできない感動があった。
―ふふん♪女として男に守られるというのは…良いものだ♪
「…」
ディオースは無言で一歩後ろへ下がる。地位が上であっても容赦なく殴りかかろうとするユウタの前では流石の教皇でも危険を感じたらしい。もしもここで一歩近づけばそこらの暴漢へ打ち込むのと同等の一撃を見舞いされたことだろう。
「レジーナ姫、一つ忠告しておきます」
「なんだ?」
その場からこほんと一つ咳払いをしてディオースは何事もなかったかのように優雅な振る舞いで述べた。
「この男はあまりにも危険過ぎます。関わりを持たれると貴方も、この国にとってもいい影響にならないでしょう。神も申しておりますようにこの国は貴方あってのものですので」
「ふふん?ならどうして神はこの男を別世界から呼び寄せた?」
「っ」
この言葉にはさすがのも黙ってしまう。この男も本当は疑問を抱き、薄々感づいていたのだろう。
召喚魔法を用いて別世界から勇者の素質ある人間を呼び寄せる。選ばれた者は『神の意志により選出され神の力の一部を与えられる』と王家に伝えられているがその魔法を使う私たち王族ですら事実は分かっていない。
もしその言葉が事実ならば神はどうしてこの国にあまり利益を与えず、むしろ害あるような存在を寄越したのか、それは神の声を聞けるこの男ですらわかってないらしい。
「神を愚弄するのですか?」
「事実を言ったまでだろう?」
「…まぁいいでしょう」
瞼を閉じて聖書の一句を述べるかのような安らかな表情で、それでいて神への敬意とユウタへの敵意を込めた言葉を紡ぐ。
「神はきっと全てを見越しているのです。どのような石ころでも磨けばそれなりに輝くものですからね」
「石ころか。それなら注意しておけ」
私はユウタの肩に肘を乗せてふふんっと笑う。ユウタは一瞬嫌そうな顔をするも為すがまま特に何もしなかった。
「ただの石ころだとしても、この男はお前よりもずっと男らしいぞ?それこそ輝けばダイヤにすら勝るくらいにな」
「…随分とご執着されているようですね」
「少なくともお前よりかはずっと男らしいからな」
「…いいでしょう」
反論を諦めたのか無駄だと悟ったのかディオースはまた一つ咳払いをする。そして、ねっとりと粘りつくような視線で私を見据えてきた。
そうして言葉を紡いでいく。
「私たちに必要なのはそのような感情ではありません」
込められた感情は神への陶酔。
「神は申しております」
隠された心は男の欲望。
「『成すべきことのためにはどのような感情でも受け入れるべきだ』と」
掲げられた信条は一つの使命。
「レジーナ姫もよくわかっているのでしょう?」
「…」
「分かっているのならばそれでいいのです。神の申される言葉は絶対。神の示される意志こそ真理。それを理解しているのならば十分です」
そう言ってディオースは私に恭しく頭を下げた。
「ではまたお会いしましょう」
聖職者としてあるべき笑みを浮かべ、それでも一個人の感情を込めた言葉を残して私たちの前から去っていった。
ディオースが目の前から消えて数秒後ユウタは怪訝そうな表情で私に向き直る。
「…何あれ?ゲームとか漫画に出てきそうな奴だったけど」
「その言葉がいったい何のゲームを示すのかわからないが、あれはこの国の教皇だ」
「教皇?」
「簡単に言うと勇者かそれ以上の地位にいる存在で、この国の宗教を取り仕切る最高位ということだ。雰囲気だけでそれぐらいわかると思ったがよくあれを殴ろうという気になれたな」
「別に。この国の人にとっちゃあれはお偉いさんでもオレにとっちゃ関係ないようなもんだし」
…まぁ、確かにそうだろう。
この国に忠誠を誓ったわけでもないユウタにとっては本来私の護衛につくことすらなく、私への言動だって不敬罪上等と言わんばかりに変わらない。そんなユウタがあのような輩に頭を下げることなどあるはずもない。
それに、とユウタは言葉を続ける。
「レジーナ滅茶苦茶嫌がってたじゃん」
「…そんなにか?」
「そんなにさ」
「…そうか」
国民の前で笑みを浮かべ、騎士たちの前では凛々しい表情をして、そのせいで本来の素顔を見せられる相手はそういない。王女として表情の変化なんて特に気を配っていたはずなのだがそれでも出てしまうほど私は嫌がっていただろうか。
いや、それだけじゃないな。
そこまで大きく表情に出したつもりはないんだ、きっとユウタの方が敏感に感じ取ったのかもしれない。
「些細な変かもバレてしまうほどユウタはそんなに私のことを見ているということか」
「…ん?え?なんでそんな話に?」
「実際そういうことだろう?ふふん♪まぁ一国の王女である私の美貌なんだ、ずっとでも見蕩れてしまうのは仕方ないことだな♪」
「いや、別に見蕩れてないけど」
「…お前というやつは本当に…はぁ」
ため息をつきたくなる発言に私は思わず苦笑した。
私にとってはこれでいい。このぐらいの気軽さが何とも心地いい。もう長い時間この男を隣に立たせているがあんな教皇や勇者と並ぶよりもずっといい。
できれば、ずっと続けば良かったのだが…。
「…良かったのだがな…」
「…レジーナ?」
「ん、なんでもない」
頭の中の考えを振り切るように呟いてため息を吐いた。ここ最近ため息の回数が増えてきた気がするが…それも仕方ないか。
そんな私をじっと見つめてユウタは―
「―あ、そうだ」
ふと思い出したように護衛用の制服のポケットから二枚の札を取り出した。よく見えるようにと私の目前で二枚とも揺らされる。
「…なんだこれは」
「もらったんだよ、ほら、あのお米を買った店の人から」
「…お前まだあの店に行ってたのか」
「人付き合いは大切だからね」
「お前はまったく……それで、これはなんだ?」
「ジパングの温泉宿の日帰りチケットだってさ」
「温泉、か……」
手渡されて眺めてみるとただの紙切れというわけではないらしい。わずかながら魔力の込められたそれは転移魔法陣が見えないように刻まれている。発動させればここから一気にジパングへ飛べるという代物だろう。
だが、そのチケットに書かれている文字を見て私は目を細めた。
「…」
ユウタが字を読めないことは関わりを持つものなら皆知っていることだろう。それはおそらくあの女も例外ではないはずだ。
むしろそれがわかっていたからこそ、このようなものを渡したと考えるべきか。
「…」
商売人故の頭の回転といい、人の素質を見抜いて策を巡らすことといい、やはりあの女、私の妹のように戦略に長けた者だと考えるべきだろう。狡猾で抜け目なくて、もしユウタがさらに深くまで踏み込めば絡め取られること間違いない。なんとも厄介なことだ。
だが、その狡猾さが裏目に出たらしい。
ユウタにはただのチケットと偽って渡したのだろうが字が読めるものからすれば何が書いてあるのかバレバレだ。おそらくこれを渡してユウタ自身に誘って欲しかったのだろうが、この男を操ろうとする事自体間違ってる。
それなりに共にいる私でさえこの男の底がわからないのにたった数回会っただけの、商売人と客の関係だったあの女に推し量ることなどできやしない。
ならばせっかく訪れた機会だ、ありがたく頂戴しておくとしよう。
「そうだな、なら行くか」
ジパングは魔物の住まう国。私たちにとって浄化すべき対象である。本来ならばそんな場所で体を休めることなどできるわけがない。
だが今の私にはもうどうでもよかった。いや、ただ単に自暴自棄になっているのかもしれない。そこに魔物がいようと浄化すべき国であろうともうなんでもいい。
この国から、あのことから、少し離れられる時間が欲しかった。
考える時間が欲しいわけじゃない。
この男ともう一度、邪魔されずに二人きりになりたかった。
足掻ける余裕が欲しいわけじゃない。
―私にはもう猶予が残されていないのだから。
「…よし」
ユウタとジパングへ行く約束をした数日後。ちょうど私の仕事に区切りをつけて時間を作った当日、私は以前とは違う私服を着てその場に立っていた。隣には普段の護衛服姿でなく始めのころから着ていた黒一色の服を着ているユウタがいる。
「…」
「ふふん♪どうした、そんなに見つめて。以前と違う私服姿にときめいたのか?」
「…思ったんだけど私服ってどうやって手に入れてんの?」
「いや、そんな疑問よりもまず褒め言葉だろうが」
「露出ちょっと多いんじゃないの?」
「…お前どこか女々しいというか親みたいな事言うな」
「それだけ両親の躾が厳しかったんで」
この男を育てた両親…少し会って話をしてみたいものだ。もっともそれは叶わぬこと。それを悟ってかユウタの表情もどこか寂しげな笑みとなる。
この話はいけない。これから楽しいデートだというのにこんな表情では楽しむこともできないではないか。
…ん?デート?
「ユウタ、もしかして今度もまたあのリリムと約束をしていたなどというのではなかろうな?」
「まさか。無理やり押しかけてくるような真似されなきゃ人との約束破りはしないよ」
「…お前本当にいい度胸だな」
その発言、遠まわしに私への批判になってることを分かっているのだろうか。
「それにフィオナには今日のこと話したし」
「は?」
「いや、そっちのほうが後から邪魔されないかなと」
「……」
やはりこいつは馬鹿だ。
そんなことを話しておいてあの魔物がなにもしないわけ無いだろうが。いや、そんなことないとユウタはフィオナを信じているのだとしても、そこまで信じられるこの男の気がしれない。
本当にこの男は…出発前から頭が痛い。これではジパングについた時にどれだけ苦労させられることだろう。
…まぁ、それも悪いことではないのかもしれないが。
「とにかくさっさとジパングに行くぞ」
「…どうやって」
「ユウタ、そのチケットを私にかせ」
チケットを受け取ると私はパチリと指を弾く。その行為と私の魔力に刻み込まれた魔法陣は反応し、私は手を離した。すると床に落ちたチケットから大きな魔法陣が浮かび上がる。
『転移魔法』
今立っている場所とこのチケットで決められた場所を繋ぎ、千里すら一瞬で移動する魔法。それは利便性に優れ、勇者の中でも好んでよく使う者がいるくらいだ。
「飛ぶぞ?しっかり掴まっていろよ、ユウタ」
「そういうのは普通男が言うもんじゃないの?」
「ふふん♪だったら男らしく私の体を抱き上げてみるか?サービスだ、どこを触ろうがお咎めなしとしよう♪」
「…遠慮しとく」
「なんだその男らしくない返事は。つまらんぞ」
「それよりもほら、早く行くんでしょ」
するりとユウタの手が私の手を掴んで引っ張る。その様子に私は小さく頷くと浮かび上がった魔法陣に二人で飛び込んでいった。
ジパング。
その名を聞くことは私の国でも多々あった。だがあったとしてもあまりいい話題ではない。
人と魔が共存する許されざる場所。存在自体が罪な国。
私たちの最大の敵である魔王に与することなく独自の勢力を携えた国。その力は何度攻め入ろうと容易く返り討ちにされ、それどころか騎士達を吸収してしまう魔の島。
その国にいる魔物は勇者すら一滴で堕落させる血を流す魔物がいるだとか、神に匹敵する力を持つ化物がいるとか、軍勢をもひと振りで崩す尾を九本持った怪物がいるだとかそんな噂まである場所だ。
そこへ向かって帰ってきた者は一人もいない。様子見に行かせた騎士達も囚われ、きっと堕落させられたに違いない。
そんな足を踏み入れることすら命取りであるにもかかわらず私はユウタと共にそのジパングの地に立っていた。
「…ふむ」
「はぁぁ…」
あたりの風景を眺めて頷く私と感嘆の声を漏らすユウタ。
私の国と違って木組みで作られた家屋が並び建っていた。周りは山なのか坂が多く階段が目立つ。その両脇には飯屋や土産屋らしき建物が目立つ。温泉というのだからここらは観光目的でも訪れる人間が多いのだろう。
「…なんだこの匂いは」
だが異様に感じたのはそれだった。先程から鼻をつくゆで卵のような、卵が腐ったような匂い。周りの蒸気と共に漂うそれは蒸せるほどではないが、いい香りというものでもない。
だがユウタは特に気にした様子もなくからから笑った。
「ゆで卵みたいな匂いはきっと硫黄の匂いだよ。ほら、この世界で言うなら……黒色火薬の原料になるあれ」
「あんなものがここら一体にあるというのか?」
「そ。切り傷、痛風、糖尿病とかそういった症状を治すんだとさ」
「よく知っているんだな」
「そりゃこっちの世界じゃポピュラーだし」
そう言ったユウタは自然に私の隣に立って手を差し出した。その行為に私は目を丸くしてしまう。
「…何その目」
「い、いや…何してるんだ?」
「エスコート。今回はオレから誘ったんだし前にレジーナがうるさく言ってたからさ」
「…」
ああ、まったくこの男はわからない。わからなすぎて、質が悪い。
前回はあれほどいやいや言ってたというのに今回は自ら進んで私を女扱いするか。自分から誘ったなんて言ってはいるもののさりげない優しさというか気遣いがやたらと胸に染み込んでくる。
まったくもって質が悪い。
―思わず顔に笑みが浮かんでしまうくらいに、悪い。
「ふふんっ♪お前も大分男らしくなったんじゃないか?」
「オレは生まれた時から男だよ」
「そんなことを言ってるわけじゃない。態度のことだ」
主に私への。
初めて出会った頃は子供っぽい笑みを浮かべながら揚げ足をとってニヤニヤしていた。護衛に任命したときはあからさまに嫌な表情を浮かべていた。休日中に押しかけた時なんてもうひどい顔をしていた。
だというのに今ではこれだ。
本当にこの男は読めない人間だ。
私は差し出された腕に自分の腕を絡めて体を寄せる。するとユウタは以前よりもしゃんと胸を張り私を先導するように足を進めた。
ふふん♪なんとも男らしくて好感の持てる姿だ。だが私の胸を気にしてか体を離そうとするあたり初なところは変わっていないが。
「お、湯畑だ。すげー、学校の教科書ぐらいでしか見たことなかったのに」
「ゆばたけ?」
「湯温調節とか湯の花の採取のためのものだよ。こうやって広場のど真ん中にあるってことは観光用にでも作ったものなんだろうさ」
「ふむ。変わったものだが中々風情があるじゃないか」
だが、立ち行く人は皆見たことのない服を纏い、半数以上が人間らしからぬ姿をしている。魔物との共存をする国というだけあってその数は人間以上だろう。
普段だったらこんな状況気が気でない。今すぐにでも刀剣を抜き手当たり次第に叩き切るところだろう。
そうならないのは私がそれだけ追い詰められている証拠。
魔物すらどうでも良くなってしまう程私は焦っているということ。
だがそれだけではない。
今は手を握ってくれる存在が隣にいる。
その感触が、この体温が、私の心を落ちつかせる。例えここが魔界であったとしても隣の男がいるだけで私は落ち着いていられるだろう。
―できることなら、ずっと傍にいて欲しかったのだが…。
異国情緒あふれるジパングの温泉街を私達は進んでいく。私の王国には存在しない風景や服が興味をそそる。道を闊歩する者の半分は魔物というのは気に食わないがこういう街並みは嫌いではない。
それに、誰の目も気にすることなく二人きりで歩けるというのもいい。前回は一応身なりに気を配り、わざわざベランダから飛んだわけだがここではそういうことを注意しなくていい。
ただ純粋に観光を楽しむだけ。手を繋いで歩みを揃えて街道を歩くだけでも私にとっては嬉しかった。
歩いているといくつも並んだ旗が目に入る。赤い布に白い文字の描かれたそれはやたらと目立つ。主に観光者へ向けたものなのだから当然だろう。
その旗の中の一つに目が止まる。
「ふむ…?」
「ん?どうしたのレジーナ」
「いや、これは一体どういうものかと思ってな」
「どれ?」
「いや、この旗に書いてあるだろう?ユカタと」
「…あ、浴衣って読むんだ」
「なんだそれは?」
「着物の一種だよ。ちょっと着るのに手間取るけど結構見た目がいいんだ」
キモノ…衣服の一種ということか。
ユウタの言葉からするにすれ違う人間や魔物が着込んでいる服と似たものなのだろう。せっかく私服姿なのだがこういった衣服には心惹かれる。見たことのない服だからというよりもこの服を着てユウタがなんと言うのか気になるからだ。
「着たいの?」
「せっかくの機会なんだ、いいだろう?」
「着るんなら写真の一枚でも残したかったかも」
「しゃしん?なんだそれは?」
「絵みたいなもんだよ、こっちで言うならさ」
「絵にして残すのか。そういうのも悪くないな。だがまずは着てからだ。行くぞ」
「……え?オレも着るの?」
「当然だ、ほら、さっさと来い」
ジパングの建物の内側は外観相応に装飾の乏しい素朴なものだった。飾りはあまりなく、あったとしても置かれているのはいけられた花々。木で出来た床に白い壁、それから障子という紙の貼られた横開きのドア。そして緑色のタタミという床。いたってシンプルな作りの一室に私は立っていた。
薄くも大きな服を着込み、金色の帯をきつめに巻かれる。袖は大きく下はスカートとはまた違う作りになっていて今まで着てきたどのドレスとも違う不思議な服だった。
「これがユカタ、か…」
「はい、お客様にはこの白の浴衣がお似合いかと」
そう言って笑みを浮かべたのは私にユカタを着せる一人の魔物。頭部に耳があり、3本の尻尾を揺らす狐のような魔物だ。
「…」
姿見に映る私と魔物を見て思う。
本来ならばこうやって魔物と会話することなどなかったはずだ。斬りかかって当然、浄化するのが使命、消し去るのが義務、それが私たちの国のあり方だったのに。
それを一番守らなければいけない王族の私がこうして町娘のように会話をしている。
私は……私は、どうしたいのだろう。
鏡の中の私を見る。
「…」
心の中の私を見る。
抱いた感情はハッキリと自覚できている。自分のことなんだ、わかって当然だ。
だが、それを理解してしまってはもう一人の私を否定してしまう。王族として生きる私を殺してしまう。
両方を活かす術は…存在しないだろう。
「…ふふん」
自嘲気味に小さく笑うと隣の部屋から「ちょっと待ってください!!一人でできますからっ!でき、あ!ちょっと!なんで下着に手をかけてやめちょ!!」なんて悲鳴が聞こえてくる。わかってはいたがユウタは魅了に強い割には押しに弱い男だ。こんな魔物溢れるジパングに一人置き去りにしたらどうなるか予想できないわけがない。
「お連れの方は彼氏さんですか?」
「そう見えるか?」
「ええ。とてもお似合いですよ」
「ふふんっ♪」
世辞であったとしても相手が魔物だったとしてもそう言われるのは悪い気分じゃない。歳が一回りは離れていそうだがそれでも乙女のようにはしゃいでしまうのは私がまだまだ女らしさを残しているからだろう。
いや、むしろ掘り返されたのだろう。軍務の多忙さと王族の責任に埋まっていた私の本心を浮き彫りにさせた、とでもいうべきか。
まったく、最初は歳が一回りも離れているただの小僧だと思っていたのに…本当にわからない。随分と長くあの男が私の隣にいるがそれでもまだあの男を理解できたとは思えない。
優しくて、子供っぽく笑って、だけど気が利いて、初で…そして儚い。
だからこそ惹かれてしまったのだろう。
そのせいで私は悔やんでも悔やみきれないんだ。
「もしよろしければ…どうでしょうか?」
魔物は艶かしく誘う娼婦のように、それはまるであの魔性の美貌を持ったリリムように言葉を囁いた。
「僭越ながら私めがあなたのお背中を後押ししましょうか?」
だがそんなくだらない言葉の返答はただ一つだけ。
「余計な世話だ」
魔物の手を借りるなど恥以外の何ものでもない。
いくらジパングに訪れたとはいえ魔物が浄化すべき対象だという考えは変わらない。それに、そんなことをしようものなら私は王族ではいられなくなる。一国を背負わなければならない王女として既にやらなければならないことが目の前にあるんだ、変に魔物にほだされては終わりだ。
―…いや、いっそ終わってしまったほうがましなのかもしれない。
だが私とて譲れないものはある。
今まで軍務に勤しみ戦争を司ってきた私が他人の手を借りて勝負に出るなど言語道断。
これは私個人のもの。誰かに借りを作るわけにはいかないし、今だけは私一人でやらなければならない。
私の返答に女は小さく笑った。
「ふふ、そうみたいですね」
「当然だ。この程度一人でこなせないで何が女だ」
「素晴らしい心構えです。その気概があるならきっと彼氏さんも振り向いてくれますよ」
そんなこと、するつもりではないのだが。
できるはずが、ないのだが。
だが…。
「だからそういうのは勘弁して…おわぁっ!?」
その時、障子というドアを倒してユウタがいきなりこちらへ転がり込んできた。
私と違う真っ黒なユカタに金色の帯。普段着ている服も護衛用とも違う姿は目を見張るものがある。
「ふふ、待ちきれなくて飛び込んでくるとはせっかちさんですね」
「ふふん♪そこまでして私のユカタ姿を拝みたかったのか。普段そっけないくせにやはりお前も男だな、ユウタ」
「え、違っ」
「お客様ぁ、まだ着付けは終わっておりません♪、ささ、こちらに来て帯を解いてください」
「いや、自分でできますから!もう帯できましたからっ!」
「…」
あとから入ってきた二本の尻尾を生やした狐の女性とユウタの会話に私は目を細めた。
この男は……どこだろうと本当に変わらない。
しっしと追い払う仕草をすると私の着付けをしていた魔物が一礼してユウタに襲いかかろうとしていた魔物を連れて出ていく。かたんと乾いた音をたてて障子を閉めたおかげでこの空間にはユウタと私の二人だけになった。
「ふふん」
私はその場で見せつけるように回ってみせた。
「どうだ、ユウタ。私服もいいがユカタというのも悪くないな。このカンザシとかいうものも中々洒落ているし」
「…」
「…ユウタ?」
「あ、いや…金髪に白い浴衣って結構映えるなって思ってさ」
「ふふん♪私に似合わん服はないからな」
「まぁそりゃ、レジーナは元々とんでもない美人なんだから何着ても似合うじゃん」
「っ…」
さりげなく混ぜられた私への純粋な賞賛。本人にとってはただの感想であってもそれを軽々しく口にして笑みを浮かべるのは反則だろう。
本当に質が悪い。
嬉しくて、嬉しいからこそ…もっと欲しくなる。
これ以上求めてしまってはいけないのに。
本当に……質が悪い。
「ユウタのユカタ姿も似合っているぞ」
「そう?ありがと」
「並べば恋人にも見られるかもな」
「…」
「んん?無言で顔を背けてどうした?ふふん♪わかりやすく照れて…ユウタは面白いな」
女扱いするかと思えば初なところがあるし、裏表無く褒めてくれるところもある。本当にこの小僧は飽きることなく私を楽しませてくれる。
顔に笑みを浮かべてユウタの手を引っ張った。
「それでは行くぞ」
私の終わりを飾る、デートの続きへと。
その後、二人してユカタ姿で店先に出された土産を眺めたり、まんじゅうという食べ物を片手にフラフラしたり、まっちゃという飲み物に顔をしかめたり、はたまた街の喧騒に耳を傾けたりと特に目的もなく、しいていうなら二人の時間を楽しむように私とユウタは街中を歩いていた。
そして、たどり着いてしまう。
「…大きいな」
「そりゃ温泉旅館なんだから」
私たちの目の前にあるのは大きな建物。この街の中でも特別大きな屋根に目立つ装飾。端の方からは湯気が立ち上り途中で嗅いだ硫黄臭に似たものが漂ってくる。
「ようこそ、お越しくださいました」
そう言って建物から現れたのは先程とは違う姿の女性。こちらは肌が青く、髪の毛が白い、雪の結晶の模様をいれた帯をした魔物だった。おそらくこの女性がこの宿の女将なのだろう。
魔物が一礼すると私はあらかじめ持っていたチケットを二枚彼女に手渡す。
「おや…?」
すると彼女は怪訝そうにその二枚を見て、こちらを見据えた。
「おかしいですね…これを買っていったのはあの刑部狸の娘なのに」
「ぎょうぶ…狸?」
「まぁ狸の看板出してましたが…その人からもらったものなんですよ」
一瞬聞こえた言葉に反応する私と違いユウタは気にすることなく女将に説明する。この反応からして薄々気付いていたがあの商人の女、やはり人間ではなさそうだ。今となってはどうでもいいことなのだが、
ユウタの説明に納得したらしい女将は営業スマイルを浮かべて頭を下げた。
「そうでしたか。これはとんだ失礼をしました。あの娘も随分意気込んでいたものだから不思議に思っちゃいまして。他の人にあげるなんてもうあの娘は旦那様を見つけたのかしら」
その旦那とやらはきっと今私の隣にいる男だろう。
ただ、見つけた程度で手に入れた気になっていたのだから片腹痛い。商人の名が泣くぞ。
「聞きたいのだが」
私は女将の耳元でユウタに聞こえないように尋ねる。
「この紙に書いてあることは本当か?」
「ええ、本当です。二人だけの密な時をどうぞお過ごしくださいませ。一生残る思い出となりますよう精一杯のおもてなしをさせていただきます」
「ふむ、そうか」
私たちの会話にユウタは首をかしげた。聞こえたところではわからないだろう、いや、字が読めないからこそわかるわけがないんだ。
だからこそ、あの商人もこのチケットを使おうとした。
そして見事に裏目に出た。
本来なら大声で笑ってやりたいところだったが一応この機会が巡ってきたのもあの女のおかげなのでやめておく。せっかくこんな時間ができたんだ、感謝ぐらいはしておくべきか。
「それでは当旅館をご案内させていただきますので、どうぞ心ゆくまでお楽しみください」
そう言って女将は私たちに旅館内を案内する。宿泊用の大きな部屋に食堂、マツという木々が生え、石を削って作られた灯篭が置かれている素朴で味のある庭。それからやたらと大きな宴会場やマッサージサービスの行われる部屋。
そして、最後に私とユウタは二つのドアの前案内された。女将の魔物は一礼して邪魔にならないようにさっさと姿を消している。いるのは私たちのみだ。
それぞれ赤と青の暖簾のかけられたドア。おそらくこれは男女を示しているものだろう。そして女将が最後に連れてきたということはこれがメインであるはずだ。
この宿におけるメインであり。
このデートでのメインでもある。
「んじゃ、またあとで」
「ああ」
手を挙げて青の暖簾の方へと入っていってしまうユウタ。私はユウタが姿の見えなくなるところまで見送ると一人小さく笑みを浮かべた。本当ならば隣で言ってやりたかったがその必要もないだろう。
どうせ直ぐに合流することとなるのだから。
「ふふんっ♪文字が読めないというのは本当に難儀なものだなぁ、ユウタ」
私は一人嬉しそうにそう呟くのだった。
13/10/20 20:16更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
戻る
次へ