手厚いキスに、親愛を
初めて見たときは闇が人の形をなしているのかと思った。それほどまでに彼の体は黒い色を纏っていた。
まるで夜の暗がりで染めたような髪の毛。影を切り裂き着込んだかのような服に夜空に浮かぶ星星のように取り付けられた黄金のボタン。黄色に近い珍しい肌の色で顔立ちもまたここらでは見られないもの。
黒髪と顔立ちから察するにそれはジパング人の特徴と一致する。ジパングから遠く離れたこの国にどうしてその特徴を持つ男性がいるのかはわからない。きっと旅人の類なのだろうが、それにしては周りに荷物は見当たらない。
なにより彼は不自然な格好でそこにいた。
明けることのない夜空へとそびえ立った十字架に磔にされたように彼は眠っていた。
だけど、その姿は処刑される罪人のように廃れたものではない。
無作法者が悪巫山戯でしたような安っぽさも欠片もない。
まるで切り取られた絵画のような、額縁の中に収まっていた情景のようなものだった。
そしてなにより彼のいる十字架は―
「―…」
常夜の中で館の庭に私は立っていた。目の前にあるのはあの十字架。そして、その前に置かれた花を眺めながら。
色とりどりの花が束ねられ置かれている。よく見れば瑞々しく、つい最近置かれたものらしい。
この十字架の前に花が置かれることはしばらくなかった。私が蘇ってからは全くなかった。この地で、この館で、そんなことをする者はいないはずなのに。
手にしてみると随分と綺麗に手入れされた花だと分かる。開ききった花びらに甘い香り、鮮やかな葉の色はこの花を育てた者の心がよく表れていた。
私は無言でその花を置くと十字架に刻まれた文字を撫でた。花を置いた者がこちらまで手入れをしてくれているのかかつて苔の生えていたそれは綺麗に磨かれている。随分と手が込んでいるというか、丁寧というか、こちらもその人物の性格がよく表れていた。
私は無言で立ち上がるとその場からゆっくりと離れていく。きっとこの花を添えてくれた人のところへと向かって足を進めた。
そこは様々な花が咲き乱れる庭園だった。私の館における最も華やかであるべきところ。生前専門の庭師が毎日手入れをしていたがその庭師は既にこの国を出ていってしまった。
だからだろう、ここしばらくこの庭園は見るも無残な有様だった。
だがそれが今では綺麗に整えられている。丁寧なことに中央部にある噴水まで掃除したのか透き通った水が絶え間なく湧き出している。
そんな中をゆっくり歩いていくとがさがさと音がした。耳を澄ませて聞いてみれば薔薇の花が沢山咲いている目の前からする。
そこにいるのは誰なのだろう。警備のデュラハンか、メイドであるゴーストやナイトメアか、それとも地下で研究を続けるリッチかその助手のスケルトンか、はたまたよく迷い込んでくるゾンビか料理長のグールだろうか。
上げればキリがないがきっとどれも違っているだろう。その証拠に薔薇の香りに混じって下腹部に熱を灯す精の匂いが漂っているのだから。
私は向こう側にいるだろう人物の名を呼んだ。
「ユウタ?」
「はい?」
その声に反応して薔薇の先狂う生垣の中からにゅっと顔が突き出した。棘だらけのバラの中からよくもまぁそんなことができたものだと感心する。
「どしたのムエルタ」
シャンっと手に握っていた芽切鋏を一度鳴らし、ゆっくりとした足取りで私へ近づいてくるユウタ。その格好は初めて見た時からなんら変わらない常夜の中に溶け込みそうな姿だった。
それでも顔には暖かな微笑みを浮かべている。よほど集中していたのか髪の毛に葉がくっついているのに気づいていない。その表情が愛らしくて、その姿がおかしくて、私は思わず吹き出してしまった。
「うふふっ♪頭に葉っぱついたままですよ?」
「えっ?」
「ほら、ここ」
癖のある髪の毛を撫でるように触れながら一枚の葉を摘んだ。瑞々しい緑色の葉。それは紛れもない十字架の前に置かれていた花がつけていたものと同じ色だった。
それを見せつけると彼はあーと唸って恥ずかしそうにこめかみを指で掻いた。
彼は私の屋敷にいる唯一の…いや、この国にいる唯一の生者であり、私の傍にいる中でたった一人の男性だ。
あの日、十字架に張り付いていた時から私の屋敷に住まうことになった黒崎ユウタという男性。今はこの屋敷で唯一埋まらなかった役職である執事をやっている。といっても執事らしい仕事があまりないから空き時間を利用してよくここにきているらしいのだけど。
「それにしてもここも随分と綺麗になったものですね」
「そう?」
「ええ」
ユウタが来る前は屋敷のものは誰もここに手がつけられなかった。というのも皆長年生きてきた(アンデッドを生きているというのもなんだか変だが)割には誰も花に対する知識を持っていなかった。持っていた庭師も今はいないし、せいぜいできることは雑草を抜いたり水をあげたりするだけだった。
それが今ではどれも綺麗に咲き誇り、月明かりの下で輝くように花開いている。近づけば甘い香りが鼻腔をくすぐり、眺めれば感嘆せずにはいられない
「そっか。でも、オレがやれるのは家庭菜園の範疇だけどね」
「家庭菜園?」
「ああ、母親がガーデニングが趣味でさ。その手伝いをしてたぐらいの知識しかないんだよ」
「それでも十分です。こんなに細やかに手入れすることなんて屋敷にいる皆はできないですから」
その言葉に照れたようにありがとうと言ってユウタはアーチに絡みついた薔薇を芽切鋏で器用に長さを整えていく。シャンシャンっと金属が擦れ葉が落ちていく音が軽快で聞いているだけでも心地いい。
ふとアーチの薔薇を手にとった。青白く染まったそれは生前友人から送られた薔薇の一つ。他にも夕日のようなオレンジや朝焼けのような黄色や、血のように真っ赤なものもここにはある。だけど、私が蘇ってからは枯れるのも時間の問題だというほど萎びていたはずだ。ここが魔界だからか枯れることはなかったが見栄えはあまりよくなかった。
随分と綺麗になったものだと思う。花開いているものも一、二本はあったがこんな輝くように咲き乱れてはいなかった。この庭園もただ存在するだけというものだったのに。
そっと指先で花びらを撫で、下へ下へと指を走らせる。瑞々しい色をした葉や綺麗に咲いた花に目を取られていると指先を棘が切り裂いた。
「いっ!」
「…ムエルタ?」
指を見れば青白い肌の上に赤い筋ができていてぷくりと赤い玉が浮かび上がった。声に気付いてこちらを振りかえったユウタは自然な手つきで私の手をとる。
「あ…っ」
壊れ物を扱うような手つきにじんわりと染み込んでくる温かさ。私はアンデッドであるからか彼の体温に敏感に反応してしまう。
それに構うことなくユウタは私の指先を見つめた。
「薔薇の棘で切っちゃったか。えっと…消毒液は…持ってないな。ちょっと失礼」
そう言うと頭を下げて指先に口づけた。
「っ!」
まるで騎士が王女に忠義の証のためにキスするように体を倒してユウタは私の指を口に含む。そうして丹念に舌を使って傷口に這わせた。痛みを感じないように注意した力加減でゆっくりと舐めていく。
ユウタが善意でやっていることはよくわかる。唾液には消毒効果があることも知っている。
だけど、男性の体液には精が含まれる。それを直接塗りこまれるようなことをされているのだから魔物としてはたまったものではない。
その舌使いが、指に触れる唇が、いちいち敏感な肌を刺激し甘い感覚となって体へ染み込んでくる。柔らかな温かさと違う、心を落ち着けるものとは違う、女へと直結する快楽に思わず声が漏れてしまった。
「〜んんっ♪」
「あ、ごめん。痛かった?」
そう言いながらも手慣れた手つきでポケットから取り出したガーゼを傷口に押し当て、巻かれていた包帯を解き出す。そうしているうちに私の指先には包帯が巻かれていた。
「て、手馴れているのですね」
「そりゃ園芸で怪我はよくあるからね」
そう言って見せられたユウタの手の甲にはいくつもの赤い筋が走っていた。他にも指先から滴り落ちるほど血が流れている傷もある。
正直、呆れた。
ここまで怪我してるのに自分の手を手当しないことに。
だけど、嬉しかった。
迅速な手つきで私の指に包帯を巻いてくれたことが。
本来私は魔物、それもワイトなのだから怪我の手当なんてする必要もない。どうせ直ぐにでも治るし、魔法を使えば一瞬で傷口は閉じてしまう。包帯もガーゼも必要なんてない。
彼にはその知識がないからだとしても心配して手当してくれること自体が嬉しかった。
「これで大丈夫かな?屋敷に帰ったらちゃんと手当しなよ?黴菌入ったら大変なんだし」
「それは貴方もですよ。そんなに怪我をしているのですから早く自分の手当をしてください」
にぃっと笑うユウタに私も微笑みを浮かべて返した。
「それで、何か用があったのムエルタ」
「ええ、いや…ちょっと近くを通ったから立ち寄っただけですわ」
本当はあの花のことを聞きたかった。いや、聞かずとも彼が置いたことはわかってる。その程度察することなど容易だった。
だけど、聞きたいのはあの花をおいた理由。彼にとってここは馴染みがない場所であり、花を手向ける相手がいるとは思えない。
それに何より致命的なのは彼は文字が読めないということ。十字架に刻まれた故人の名を読み取ることはできないというのにどうして花を置き続けてくれるのか、それが聞きたかった。
―だけど、どうでも良くなってしまう。
ただこうして話せているだけでもいいと、満足してしまう。
ユウタといる時間は楽しい。それが彼が執事になってよくわかったこと。楽しくて、嬉しくて、暖かく優しい気持ちになれる。
それを知っているのは当然私だけではない。この屋敷で唯一の男性だからこそ私の傍に仕える者は皆知っているはずだ。
あるときはゴーストと親しげに話していることがあった。話している内容はアレだったが彼女とあれほど楽しげに会話できる者を見たのは初めてだった。
あるときは首のとれたデュラハンに追い掛け回されていた。ただし、その体がよほど恐ろしかったのか悲鳴を上げて逃げ回っていた。
あるときは厨房にこもってグールとともに料理を作っていることもあった。料理中に首を舐められ包丁を落とし、足に刺さっただとかでしばらく片足引きずっていたこともあった。
皆心にあるものは同じ。貪欲で好色だからこそ欲している存在はただ一人。
寄らずとも香る精の匂い。下腹部に熱を灯し、欲望の炎を煽る舌使い。心に染み込んでは染め上げていく優しさに時折儚さを帯びる闇色の瞳。
誘えば心を奪い、寵愛を受けるために自ら体を差し出すように仕向けることができるワイトである私もまた同様だった。
「ユウタ…」
「んっ…?」
顎に指を這わせてこちらを向かせる。今その瞳の闇に囚われているのは私だけ。
僅かな快楽を伴った指で撫でるとびくりと身を震わせ、そのせいで互いの距離が縮まった。
吐息がかかるその距離で。ほんの少しで触れ合う位置で。
互いに視線が交差したまま止まってしまう。
「…」
このまま指先で撫で続けたらどうなるだろうか。伴った快楽をさらに引き上げ、足腰が多々なくなるまで精を吸い取ったらどんな顔をしてくれるのだろうか。
心に浮かんだのはまるでドラゴンのような独占欲。私だけのものにしたいというものだった。ただ親しい者へ向けるものではない、さらに向こう側に至る男へ向ける女の欲望。それをユウタにぶつけてしまったらどうなるだろうか。
もっと知りたいと思う私がいる。
さらに欲しいと思う私がいる。
私の胸の中で子供みたいな我が儘と大人な欲求が入り混じっていた。それは生前の王族らしい考えであっても王女であった私が抱いたことのない感情だった。
「ユウタ…」
誘うように彼の名を呼ぶと眠るかのように安らかに瞼が降りていく。私も同じように目をつぶり、残り僅かな距離を詰めて唇を重ね―
「―はっ!」
重なる寸前、とんとんとんっとまるで肉食動物を前にした草食動物のような俊敏さで距離を置かれた。それどころか勢い余って生垣の中へと突っ込む始末。
―また、だ。
私はワイトであるはずなのに、誘えば男性の心を奪うことができるはずなのに。どうしても、どうやっても後一歩で届かない。
先ほどのように誘惑に流されないわけじゃない。体を寄せれば反応を示すし、手を握ればそれだけでも照れたように頬を染める。だというのに肝心の後一歩というとことでいつも逃げられる。
「あ!うわ!痛たたっ!」
薔薇の棘が刺さって転がりまわるユウタを見て私は疲れたようにため息をついた。
やるべき仕事を早々に終えると私はすることがなくなってしまう。この国では争いごとはないし、政治に関しても特に問題らしいものはない。それゆえ私には暇な時間の方が多かった。
ふと窓の外を見てみる。一日中変わらない夜の景色。淡い月明かりに照らされた庭。その光の中で小さく闇が蠢いた。
「ん?」
よく目を凝らしてみるとそれは影。それも人の形をしたもの。
「―いや、違いますか?」
影じゃない。闇じゃない。闇の中に溶け込みそうなあの姿は間違いなくユウタの姿だった。
きっと彼は自由な時間を満喫しているのだろう。庭を静かに歩いている。散歩でもしているのだろうか。
そう思ってもっとよく見てみると片手に鮮やかなものを持っているのに気づいた。赤や青やオレンジと様々な色をしているそれは間違いなくあの庭園で咲狂っていた花々だ。なら向かっている先は…。
「…」
私はその姿を追いかけて部屋の外へと飛び出した。
案の定、ユウタは一人で私たちが出会うことになった十字架の前で佇んでいた。死者を弔うための豪勢な装飾のされた十字架の前で、彼は両手を合わせて立っていた。
足元を見ると束ねられた花々が目に映る。それも新品の、先ほど摘んできたらしきものだ。
ここ最近手向けられる花がよく新しくなっていたがやはりユウタの仕業だったらしい。だが、刻まれた文字は読めず、眠っている相手がわからないというのにどうしてなのだろうか。
「ユウタ」
小さく彼の名を呼ぶとびくりと体を震わせてこちらを振り向いた。淡い月明かりの中で彼は穏やかな笑みが浮かび上がる。
「ムエルタ、どうしたの?」
「それはこちらのセリフですわ」
静かな足取りで彼の隣に並ぶと同じように十字架を見た。
刻まれた文字。それもかなりの年代が経つこの十字架は彼からいったいどのように映るのだろう。
私と彼が出会ったこの場へ、彼はいったいどんな心持ちで花を手向けているのだろう。
「これは庭園の花ですね。ここ最近よく置かれていますが全てユウタがしたものですか?」
「ああ、そうだよ」
特に気後れすることなく普段通りの調子で喋るユウタ。表情もまた普段通りの笑みだった。だからこそ一体何を考えているのか察することは出来そうになかった。
「ユウタはよくここにお花を添えているけど、どうしてなのですか?」
「そりゃここに誰かが眠ってるからさ」
そう言ってユウタはしゃがみ込むと指先でゆっくり刻まれた文字をなぞった。彼にとって読めない字だというのにそれでも穏やかな表情でまるで親しい相手へとやるかのように。
「今オレがここに住まわせてもらってるのはムエルタのおかげだよ。だけど、先にここへ来た人のおかげでもある。この土地を有し、家を建てなきゃ国どころかただの地面だったんだしね」
「それでも既に亡くなっているのですよ?」
「亡くなってるからこそ死者を敬うことは大事だよ。先祖だってその人たちがいたから自分は今こうしていられるんだしさ」
言ってることは最もだ。死者を弔い、敬うことは大切なこと。故人の魂を安らかに眠らせるための行いはなくてはならない。
だからこそ、ユウタの行いは眩しく映る。皆アンデッドであるこの国にとってそんなことする者はいない。なぜなら皆立ち上がり生前と変わらぬ姿で話すことができるのだからする必要がない。
皆がアンデッドであることはユウタも理解しているはずだ。だけどそれでもこうして花を添える姿はなんというか、抜けているというか、お人好しというか、彼らしい。もしもこの場にこの十字架以外の墓石があれば全てに同じことをしそうだ。
まぁだからこそ、そんな優しい彼が欲しいと感じてしまうのだけど。
彼が張り付いていた十字架の下で誰だかわからない相手を想うユウタへ向かって私は刻まれている名前を教えてあげることにした。
「―そこに眠っているのは私です」
「……………え?」
その言葉にユウタの目が点になった。数秒遅れてようやく反応を示す。
それも仕方ないかもしれない。普段から顔を合わせている相手のお墓にずっと花を手向けていたのだから。
何とも間抜けなことだったと思う。笑い話にしてもいいかもしれない。
それでも彼の行動が嬉しくてついつい言いそびれてしまった。それ以上に私たちの出会いであるこの十字架に、かつて眠りについていたこの場所にもう来なくなってしまうんではないかと懸念していた。
「…マジで?」
「まじ、という言葉がどういった意味かわかりませんが、とにかくその十字架は私へ建てられたものですよ」
「…あ、そっか。ワイトなんだっけか」
ぽんと手を叩いて納得するユウタ。私はその背後から身を寄せて彼の手を取ると指先を重ね、石版に刻まれた文字へと添えた。
やや固めな布地越しに感じる彼の体。思わず身を任せたいほどに逞しくて、ここにはない日差しのように温かい。瞼を閉じれば眠気に誘われそうな心地よさがそこにはあった。
「…え?む、ムエルタ?」
「いいですか?これがムエルタ。これがイブリース。そして、これがカダーヴェレ。ここに眠っていた王族の名前です」
彼の指とともになぞりながら刻まれた名を確かめる。
『ムエルタ・イブリース・カダーヴェレ』
死人となり死者の国から蘇り、新たな生を得た女王の名前。それでいて今ユウタを抱きしめている一人の女の名前。
「ユウタ、分かりましたか?」
「ん、あぁ…まぁ、わかったけどちょっと近すぎるんじゃ」
「それでは、私を呼んでくださいまし」
彼の言葉を遮るように言葉を紡ぐ。体は落ち着き無く震え、照れているのか頬が染まってきている。これでは普段のように逃げ出してしまいそうだ。
そんなことはさせまいとユウタの背中に体を密着させ、耳元で囁くように言葉を紡ぐ。
「いや、その…前にっ、流石に、近すぎるんじゃ…」
「私の名前を、呼んでくださいまし…」
「む、ムエルタ…イブリース、カダーヴェレ」
「…♪」
彼の声が私の名を呼ぶ。ただそれだけでも胸は高鳴り心地よい息苦しさを覚えた。苦しいのに心地よいとはおかしなものだけど。
「…もっと」
だけど、足りない。
アンデッドになった私は、私が思っている以上に貪欲な心をもってしまったのかこの程度では満足できそうになかった。
「もっと、して、くださいまし…」
体を離すとユウタをこちらに振り向かせ、掴んだままの指先を私の唇に押し当てた。
「もっと、触れて」
生者と死者の垣根を超えて。
「もっと、重ねて」
これ以上ないくらいに体を寄せて。
「もっと、感じて」
互いに差がある体温が溶け合うまで。
「もっと、確かめて」
私がここにいることを。
『ムエルタ・イブリース・カダーヴェレ』という存在が貴方を欲していることを。
「ムエルタ…っ?」
体を寄せるとその分だけユウタは後ろへと下がっていく。だけど三歩下がったところで彼の背中は十字架にぶつかった。
それを見越して私は一気に距離を縮める。開いていた空間は消え去り、服越しとは言え互の肌が密着した。
小さな悲鳴がユウタの口から溢れる。それでも構うことなく私は両腕で彼の体を抱きしめた。
常夜の闇をはめ込んだような黒い瞳が間近にある。見つめ続ければ吸い込まれそうな瞳は逃げ道を探すように泳いでいた。
「逃げないで」
その言葉に真っ直ぐ向く瞳。戸惑いながらも重なった視線に私は笑みを浮かべる。
「ユウタ…」
彼の名を唇にのせ、頬を手のひらで撫でていく。擽ったそうに身を捩るが前回のように瞼を閉じて私の行為に身を委ねてくれそうにない。
ここまでしてるのに、ひどい人。
だけど、愛おしい。
いつもどおりの、変わらぬ人。
だから、欲しくなる。
顔を近づけていくとやはりその分だけ下がっていく。それでも背後は十字架があるのだし、当然頭の後ろにだって逃れられるスペースはない。
「あ痛っ!」
後頭部を十字架にぶつけた彼は痛みに顔を歪めたが私はその一瞬を狙って唇を押し付けた。
「ふむっ♪」
「んっ!」
食らいつくように押し付けて、啜るように吸い上げる。頭の中がクラクラするほどの味と彼の体に染み込んだ花の香りに蕩けていきそうだった。
貪欲に、淫らに、積極的に、ユウタの唇を貪り続ける。ここが外だということも頭の中から消え去り私は一心に彼の唇を味わった。
それと同時にするりと指先をユウタの服の中へと差し込むとボタンを外しながら素肌を撫でていく。固く引き絞られた男性らしい感触にうっとりとしながらもねぶるような手つきで彼の精を奪うことを忘れない。
指先からじんわりと染み込んでくる生者の気。乾いた大地を潤すような充足感のある精はどのご馳走よりもずっと極上だった。
「…く、ぅっ………っ」
僅かにあいた隙間から小さい呻き声が漏れ、徐々に体の力が抜けていく。十字架に寄りかかってずるずると沈んでいく姿を見てどうやら吸精に伴う快楽の前ではさすがの彼も逃げられないということを理解する。
その上から跨るように私は腰を下ろした。これで無理やり私をどけない限りはどこへも逃げられないだろう。
長く重なっていた唇を離すと顔を真っ赤にしたユウタが見える。呼吸を荒くし何か言いたげな表情でこちらを見つめていた。
初めて見る表情にゾクリとする。普段笑みばかりな彼としてはこういう表情は新鮮で…もっと見てみたくなる。
「いきなり、何を…っ!」
そんな彼の頬を両手で挟み込み、先ほど同様に顔を近づけた。あと少しでまたキスしてしまいそうな位置で私は言葉を紡ぐ。
「ユウタは…私にこういうことをされるのは嫌ですか?」
「…そりゃ、ムエルタみたいな美人相手は嫌じゃないけど…っ」
「ならいいじゃありませんか…私は、貴方が欲しい…っ」
「でもここ外だし、せめて部屋とかで…!」
「今までさんざん焦らしてくれたのにまだ我慢しろというのですか?それに…期待しているのは私だけじゃありませんし♪」
するりと手を下げて下腹部へ添えるとそこに感じられるのは異常な硬さと熱の塊。服越しでも十分なくらい自己主張するそれを撫で上げるとユウタは大きく震えた。
ベルトを外し、ジッパーを下げるとまるで蛇の頭見たな独特の形をしたものが勢いよく飛び出してきた。先端がいやらしくヌメったそこから情欲を直接刺激する精の香りが漂ってくる。
「も、ぅ……我慢、できませんから…ね……♪」
生前にも経験はなかったというのに魔物の本能は恐怖心すら消し去り情欲一色に体を染め上げる。早く早くと行為の先を促して狂いそうなくらいに彼が欲しくてたまらなくなる。
既に私には気品も優雅さもなにも残っていなかった。あるのは焦らしに焦らされた本能と目の前のオスが欲しいという獣のような欲望だけだ。
スカートを捲りあげ、つけていた下着をずらす。そこは準備なんて必要ないくらいに濡れていてあとは迎え入れるだけだった。
「…」
「…」
互いに無言。聞こえるのは荒い息遣いのみ。だけど視線だけで意思を交えて私はゆっくり腰を彼の上へと下ろしていった。
鋒から徐々に私の中へ甘いしびれが広がってくる。剛直が膣肉を広げながら突き進み、そして純潔の証を引き裂いた。
「あうっぁあ♪」
初めては痛いと聞いていた。それも生前メイドが話していたことだった。だけど痛みなんて欠片もない。それ以上に体中を駆け巡る甘いしびれが上回っているのかもしれない。
徐々に引き込み、飲み込んでいく。これほどまでに濡れているというのに中で擦れる感覚は強く、まともに喋ることすらできない。
膣内はこれ以上ないほどに張り詰めていて膨れ上がった彼のものの形がわかるほどぴったりと密着していた。そしてお尻がユウタのお腹に触れたとき、同時に一番奥まで差し貫かれてしまった。
「あ、ふぅ…っ♪」
自分自身の体内に自分以外の存在が感じられる。初めて経験する圧迫感に体が震え火花が散った。思った以上に熱くて、硬くて、大きなそれは疑いようもない私たちがつながっているという事実。
「ユウタぁ…今、貴方が…私の中にいるんですよ…♪」
「うぁ…ぁ…」
「私の中は、気持ちいいですか?」
「いい、よ…っ」
魔物の与える快楽は尋常じゃなくまともに言葉を紡げない彼は必死に頷き、代わりに手を腰にまわして私の体を抱きしめてくれる。
柔らかく、強く、それでいて温かい抱擁。それは快楽でバラバラになりそうな私を捕まえてくれる優しい束縛だった。
膣内の感触に、逞しい腕の感覚に、やっと繋がれた達成感に、私を埋める充足感に恍惚とした表情を浮かべて愛おしい男性を見つめていると近くで聞こえた物音に彼が過剰に反応を示した。
「っ!?」
「!」
がしゃんと金属の擦れ合う音に反応して互いに体を震わせる。何かと思って音のした方を見ると十字架の向こう側にはデュラハンがいた。いつも着込んだ鎧姿ということは今は見回りの最中ということだろう。
二人してその姿を確認すると音を立てずに十字架の陰へと体を潜める。生真面目な彼女のことだ、今の私達を見られれば面倒事になってしまう。
「…」
「…」
互いに無言で彼女が通り過ぎるのを待つことにした。
今ようやく繋がれたのだから行為を邪魔されたくない。やっと捕まえたユウタをみすみすと逃したくはない。今この瞬間すら、誰かに介入されたくない。
だけど、そんなことすらどうでもいいと思えるぐらいに体は快楽を求めていた。こんな状況だというのに体を動かしたくて堪らない。ユウタの精が欲しくて耐えられない。見つかってもいいから思う存分彼を貪りたくて凌ぎきれない。
私はなんと欲深くなってしまったのだろうか。それでも、構わなかった。
「ん…んぅっ♪」
「っ!」
私はゆっくり腰を動かした。
「こ、声…っ!!」
ここで僅かな声を上げればバレてしまう。いや、そもそも魔物として、アンデッドとして精の臭いに敏感なのだから今こうしているだけでもバレてしまう可能性はある。
だというのに体は止められそうになかった。
この状況が一種の媚薬になっている。あってはならない背徳感が私を高みへ押し上げる。
「んんぅ…っ♪」
「っ!」
ゆっくりと音を立てないように腰を上下させる。声が漏れてしまいそうになるが唇を噛み締めて耐え忍ぶ。バレてはいけない、いけないというのにそれでも行為を中断できそうにはなかった。
「ムエルタ…!まずいって!ほんとに、今は…っ!」
手で口元を覆いながらユウタも声を漏らすまいと必死に耐えている。それは紛れもなく私の体で感じてくれていること。それがとても嬉しくて、向こう側にデュラハンがいることなどどうでも良くなってしまう。
「もっとしたいのです…もっと、沢山…貴方としたいの、です…っ♪」
「だからってそこにいるのに、ぅぁあ…っ!」
ユウタは呻き声を上げ体を震わせた。
魔物の、それもワイトである私との交わりなのだからまともに喋れなくなって当然だろう。それどころかあまりの快楽に悲鳴すら上げてもおかしくない。それでも唇を噛み締め耐える姿は流石というべきところか。
でも、私の方はそうではなかった。
「あ、やっ♪声、れちゃい、ます…っ♪」
音を立てないように注意していた腰使いが徐々に早くなってしまう。ごりごりと膣壁を擦られる度に体の中がバラバラになりそうな快感が駆けていく。そのせいで唇はだらしなく開き、艶のある声が溢れてしまう。
耐えなきゃいけない、でも欲しい。
見つかってはいけない、だけどしたい。
反する感情がせめぎ、混ざり合っていく。それでも全ては情欲の炎に焦がされ、残った唯一の感情は魔物らしい本能だった。
―どうなってもいいからユウタが欲しい。
あるのはたったそれだけ。あるべき感情はそれのみだ。
必死に腰を揺さぶってもっと奥まで彼を飲み込みたかった。敏感になった肉癖を沢山こすって欲しかった。そして、精液を注がれることを望んでいた。
「…っ!……っ」
「んっ♪ぁぁあっ♪や、あああっ♪」
体の中から押し寄せてくるように徐々に大きくなってくる快楽の波。理性を消し去り体を支配する強烈な快楽の予感。それはあまりにも大きくて弾ければ声なんてきっと我慢できないだろう。
けど私の体は止められなかった。気づかれてしまうかもしれないのに淫靡な水音を響かせながら腰の動きが加速していく。それに伴い固く突き刺さるユウタ自身を締め上げる。
「ユウタぁっ♪わた、し…イっちゃいます…んんっ♪声、我慢、できそうに…んぁあ♪あ、ありま…せん…っ♪」
「―っ!」
次の瞬間ぐいっと、食いつくようにユウタの顔が近づいた。それだけではなく開いた口を押さえ込むように唇が合わさる。ムードなんてない強引な口づけ。だというのに私の体は敏感に反応した。
「〜っ♪」
脳天を貫くような甘い刺激に私は高みへと押し上げられていた。
びくびくと体が震え、膣内が締まる。すると私の中でユウタがまるで深呼吸するみたいに大きく膨れ上がった。
次の瞬間、膣内に流れ込む熱い液体。まるで沸騰したかのような熱を持ったそれは膣内の一番奥を刺激し、染め上げていく。
「んんんん〜っ♪」
その感覚に私の体は何度も跳ね上がりくぐもった嬌声を上げることになった。ガクガクと腰を揺らし膣内は喜び迎え入れ、同時にもっと欲しいと律動する。
その感覚に耐えるようにユウタは絶頂を迎えた私の体を強く抱きしめる。唇を離すことなく乱暴なキスをしながら彼は精液を私へ注ぎ込んでくれる。
やがて体から緊張が溶け、力が抜けた。糸が切れた人形のようにぐったりとユウタへ倒れこむ。それでも唇だけは離すまいと私も貪欲に唇を押し付けた。
金属音は既に遠のいていた。それに私もユウタも気づいたが反応を示すことなく行為の続きに没頭し続けるのだった。
出会った当初一番驚いたのはなんといっても肌の色だった。
まるで血液が通ってないかのような青白さ。生者というにはあまりにも生きた感じのしない、動く体といった姿。だけど肌は瑞々しく弾力があり、体もわずかだが熱がある。そしてなにより彼女は死者とは思えないほど美しかった。
瞳は欲望にまみれてどろりとしながらもそこには妖しい光を宿していた。
唇は艶があり、時折除く舌が淫靡に蠢いていた。
髪は骨のように白く、それでいて甘い香りが漂っていた。
体はこれ以上ないほど完成され一度囚われれば逃げられない不思議な魅力が存在していた。
午後のお茶をしている時なんて気品あふれる姿で紅茶を啜り、メイドや部下である者の前に立つときには威厳ある雰囲気を纏っていた。そして何よりオレの肌を刺激する尋常じゃない何か。言葉にすることはできないが生物的本能が訴える。
彼女の姿はまるで、王女だと。この明けない夜の世界に君臨する死人たちの絶対者だと。
そんな女性である『ムエルタ・イブリース・カダーヴェレ』は今オレと腕を組みながらとんでもなく広いダンスホールに立っていた。
広い。あまりにも広い。学校の体育館の数倍はあるダンスホールはまるで物語の一ページ。ご馳走の乗ったテーブルがあり、お酒を運ぶメイドがいて、高そうなドレスやタキシードを着込んだカップル達がたくさんいいた。
ただ、ある金髪をした女性は耳が尖ってたり、場違いなマントを羽織った十字架らしきものを背後に掲げた女性がいたり、中には『ワイト』であるムエルタと同じ特徴を持った女性がいる。その特徴的な姿からしてきっと皆人間ではないのだろう。
「…何ここ」
「いわゆる社交界ですよ」
オレの隣で柔らかく微笑んだムエルタ。その姿は初めて出会ったあの十字架の上、彼女の墓石上で見た姿よりもずっとずっと輝いていた。元々よかった肌のハリや艶に磨きがかかり、妖しさがさらに増したように思える。
…その分こちらから絞られていく気がしてならないのだが。常夜の世界では時間の感覚が麻痺してしまうからわからないが二人して部屋にこもっていた時間は数日にも及ぶだろう。
ふと視界の端に映るムエルタと同じ特徴を持った女性。その隣にいるのはオレと違って歳の近そうな男性。
「…」
あの男性もまた似たような状況なのだろうか、なんてことを考えてしまう。いや、もしかしたらこの社交界に参加する男性全員がそうなのかもしれない。
なんてことを考えているとムエルタに腕を引かれた。
「他の方へ見とれるのは失礼ですよ、ユウタ」
「あ、ごめん。見とれてたわけじゃないんだけど」
「見るのなら私を見てください」
「…あ」
指先で擽られるように顎を撫で誘うような熱のある視線を送ってくるムエルタ。こんなところでもどろりとした情欲の光を宿した瞳に一瞬言見とれているとすっと近づいてくる彼女の顔。
それはまるで周りにいる人たちに見せつけるかのように口づけを交わして―
「―はっ!」
寸前のとろこで首を傾けキスを避ける。今までに何度もしてきているのだから構わないのだが場所が場所だ。
「…今更避けなくてもいいじゃないですか」
「人前は勘弁してって毎回言ってるでしょ」
一気に不機嫌そうな表情に変わるのだがこればかりは譲れない。
オレとムエルタの初体験なんかは野外で何度もしてしまっていたのだがあれ以来絶対に部屋で二人きりになれる状態でしかやらないと決めている。というのも屋敷には頭の中妄想だらけのゴーストやら生真面目すぎるデュラハンやら実験大好きなリッチやらと個性的な面々がたくさんいる。皆にバレればただでは済まなかっただろう。
それ以上にあんな恥ずかしいこともうできない………あれはあれで良かったけど。
なんてことを考えていると人々の話す声に混じってどこからか軽快な音楽が流れてきた。
「んん?」
奏でるのはダンスホールの端にいる楽器を持った集団。透き通っていたり肌の色が青かったり、はたまた骨だったりと人間らしからぬ姿の女性ばかり。ムエルタの館でも見た女性と同じ姿からして彼女達も同族なのだろう。
皆がその音楽に聞き入りながら何組かは手を取り合いダンスホールの中央部へと移動する。
様々な人達が互いの手を取り合いながら可憐で優雅な踊りを見せる。それは映画のワンシーンを切り取ったかのような光景だった。
「私たちも行きましょう?」
ダンスホールの豪勢な明かりの下で、楽しそうに笑みを浮かべたムエルタの姿は神秘的な色を帯びる。普段とはまた違う、シャンデリアの明かりに照らされているだけなのにどうしてこうも変わって見えるのだろうか。
ただ、彼女が楽しそうでもオレはそうではない。一介の高校生の身であるオレがこんなところにいるのは場違いだし、こんな上流階級な人の嗜みなんか知らない。
「…ダンスなんて踊れないんだけど」
「大丈夫ですよ。私に合わせてくれればきっとできます。ほら」
差し出されたのは滑らかな肌触りの綺麗な手。向けられたのは異性を愛でる優しい笑み。
こんな笑みを見せつけられては拒否することはできそうにない。だけど立場が逆じゃないかとオレは内心苦笑してしまう。
まったく…仕方ないか。
「私と踊って頂けませんか?」
「喜んで」
オレとムエルタは手を取り合いダンスホールの中央へと足を進めるのだった。
―HAPPY END―
まるで夜の暗がりで染めたような髪の毛。影を切り裂き着込んだかのような服に夜空に浮かぶ星星のように取り付けられた黄金のボタン。黄色に近い珍しい肌の色で顔立ちもまたここらでは見られないもの。
黒髪と顔立ちから察するにそれはジパング人の特徴と一致する。ジパングから遠く離れたこの国にどうしてその特徴を持つ男性がいるのかはわからない。きっと旅人の類なのだろうが、それにしては周りに荷物は見当たらない。
なにより彼は不自然な格好でそこにいた。
明けることのない夜空へとそびえ立った十字架に磔にされたように彼は眠っていた。
だけど、その姿は処刑される罪人のように廃れたものではない。
無作法者が悪巫山戯でしたような安っぽさも欠片もない。
まるで切り取られた絵画のような、額縁の中に収まっていた情景のようなものだった。
そしてなにより彼のいる十字架は―
「―…」
常夜の中で館の庭に私は立っていた。目の前にあるのはあの十字架。そして、その前に置かれた花を眺めながら。
色とりどりの花が束ねられ置かれている。よく見れば瑞々しく、つい最近置かれたものらしい。
この十字架の前に花が置かれることはしばらくなかった。私が蘇ってからは全くなかった。この地で、この館で、そんなことをする者はいないはずなのに。
手にしてみると随分と綺麗に手入れされた花だと分かる。開ききった花びらに甘い香り、鮮やかな葉の色はこの花を育てた者の心がよく表れていた。
私は無言でその花を置くと十字架に刻まれた文字を撫でた。花を置いた者がこちらまで手入れをしてくれているのかかつて苔の生えていたそれは綺麗に磨かれている。随分と手が込んでいるというか、丁寧というか、こちらもその人物の性格がよく表れていた。
私は無言で立ち上がるとその場からゆっくりと離れていく。きっとこの花を添えてくれた人のところへと向かって足を進めた。
そこは様々な花が咲き乱れる庭園だった。私の館における最も華やかであるべきところ。生前専門の庭師が毎日手入れをしていたがその庭師は既にこの国を出ていってしまった。
だからだろう、ここしばらくこの庭園は見るも無残な有様だった。
だがそれが今では綺麗に整えられている。丁寧なことに中央部にある噴水まで掃除したのか透き通った水が絶え間なく湧き出している。
そんな中をゆっくり歩いていくとがさがさと音がした。耳を澄ませて聞いてみれば薔薇の花が沢山咲いている目の前からする。
そこにいるのは誰なのだろう。警備のデュラハンか、メイドであるゴーストやナイトメアか、それとも地下で研究を続けるリッチかその助手のスケルトンか、はたまたよく迷い込んでくるゾンビか料理長のグールだろうか。
上げればキリがないがきっとどれも違っているだろう。その証拠に薔薇の香りに混じって下腹部に熱を灯す精の匂いが漂っているのだから。
私は向こう側にいるだろう人物の名を呼んだ。
「ユウタ?」
「はい?」
その声に反応して薔薇の先狂う生垣の中からにゅっと顔が突き出した。棘だらけのバラの中からよくもまぁそんなことができたものだと感心する。
「どしたのムエルタ」
シャンっと手に握っていた芽切鋏を一度鳴らし、ゆっくりとした足取りで私へ近づいてくるユウタ。その格好は初めて見た時からなんら変わらない常夜の中に溶け込みそうな姿だった。
それでも顔には暖かな微笑みを浮かべている。よほど集中していたのか髪の毛に葉がくっついているのに気づいていない。その表情が愛らしくて、その姿がおかしくて、私は思わず吹き出してしまった。
「うふふっ♪頭に葉っぱついたままですよ?」
「えっ?」
「ほら、ここ」
癖のある髪の毛を撫でるように触れながら一枚の葉を摘んだ。瑞々しい緑色の葉。それは紛れもない十字架の前に置かれていた花がつけていたものと同じ色だった。
それを見せつけると彼はあーと唸って恥ずかしそうにこめかみを指で掻いた。
彼は私の屋敷にいる唯一の…いや、この国にいる唯一の生者であり、私の傍にいる中でたった一人の男性だ。
あの日、十字架に張り付いていた時から私の屋敷に住まうことになった黒崎ユウタという男性。今はこの屋敷で唯一埋まらなかった役職である執事をやっている。といっても執事らしい仕事があまりないから空き時間を利用してよくここにきているらしいのだけど。
「それにしてもここも随分と綺麗になったものですね」
「そう?」
「ええ」
ユウタが来る前は屋敷のものは誰もここに手がつけられなかった。というのも皆長年生きてきた(アンデッドを生きているというのもなんだか変だが)割には誰も花に対する知識を持っていなかった。持っていた庭師も今はいないし、せいぜいできることは雑草を抜いたり水をあげたりするだけだった。
それが今ではどれも綺麗に咲き誇り、月明かりの下で輝くように花開いている。近づけば甘い香りが鼻腔をくすぐり、眺めれば感嘆せずにはいられない
「そっか。でも、オレがやれるのは家庭菜園の範疇だけどね」
「家庭菜園?」
「ああ、母親がガーデニングが趣味でさ。その手伝いをしてたぐらいの知識しかないんだよ」
「それでも十分です。こんなに細やかに手入れすることなんて屋敷にいる皆はできないですから」
その言葉に照れたようにありがとうと言ってユウタはアーチに絡みついた薔薇を芽切鋏で器用に長さを整えていく。シャンシャンっと金属が擦れ葉が落ちていく音が軽快で聞いているだけでも心地いい。
ふとアーチの薔薇を手にとった。青白く染まったそれは生前友人から送られた薔薇の一つ。他にも夕日のようなオレンジや朝焼けのような黄色や、血のように真っ赤なものもここにはある。だけど、私が蘇ってからは枯れるのも時間の問題だというほど萎びていたはずだ。ここが魔界だからか枯れることはなかったが見栄えはあまりよくなかった。
随分と綺麗になったものだと思う。花開いているものも一、二本はあったがこんな輝くように咲き乱れてはいなかった。この庭園もただ存在するだけというものだったのに。
そっと指先で花びらを撫で、下へ下へと指を走らせる。瑞々しい色をした葉や綺麗に咲いた花に目を取られていると指先を棘が切り裂いた。
「いっ!」
「…ムエルタ?」
指を見れば青白い肌の上に赤い筋ができていてぷくりと赤い玉が浮かび上がった。声に気付いてこちらを振りかえったユウタは自然な手つきで私の手をとる。
「あ…っ」
壊れ物を扱うような手つきにじんわりと染み込んでくる温かさ。私はアンデッドであるからか彼の体温に敏感に反応してしまう。
それに構うことなくユウタは私の指先を見つめた。
「薔薇の棘で切っちゃったか。えっと…消毒液は…持ってないな。ちょっと失礼」
そう言うと頭を下げて指先に口づけた。
「っ!」
まるで騎士が王女に忠義の証のためにキスするように体を倒してユウタは私の指を口に含む。そうして丹念に舌を使って傷口に這わせた。痛みを感じないように注意した力加減でゆっくりと舐めていく。
ユウタが善意でやっていることはよくわかる。唾液には消毒効果があることも知っている。
だけど、男性の体液には精が含まれる。それを直接塗りこまれるようなことをされているのだから魔物としてはたまったものではない。
その舌使いが、指に触れる唇が、いちいち敏感な肌を刺激し甘い感覚となって体へ染み込んでくる。柔らかな温かさと違う、心を落ち着けるものとは違う、女へと直結する快楽に思わず声が漏れてしまった。
「〜んんっ♪」
「あ、ごめん。痛かった?」
そう言いながらも手慣れた手つきでポケットから取り出したガーゼを傷口に押し当て、巻かれていた包帯を解き出す。そうしているうちに私の指先には包帯が巻かれていた。
「て、手馴れているのですね」
「そりゃ園芸で怪我はよくあるからね」
そう言って見せられたユウタの手の甲にはいくつもの赤い筋が走っていた。他にも指先から滴り落ちるほど血が流れている傷もある。
正直、呆れた。
ここまで怪我してるのに自分の手を手当しないことに。
だけど、嬉しかった。
迅速な手つきで私の指に包帯を巻いてくれたことが。
本来私は魔物、それもワイトなのだから怪我の手当なんてする必要もない。どうせ直ぐにでも治るし、魔法を使えば一瞬で傷口は閉じてしまう。包帯もガーゼも必要なんてない。
彼にはその知識がないからだとしても心配して手当してくれること自体が嬉しかった。
「これで大丈夫かな?屋敷に帰ったらちゃんと手当しなよ?黴菌入ったら大変なんだし」
「それは貴方もですよ。そんなに怪我をしているのですから早く自分の手当をしてください」
にぃっと笑うユウタに私も微笑みを浮かべて返した。
「それで、何か用があったのムエルタ」
「ええ、いや…ちょっと近くを通ったから立ち寄っただけですわ」
本当はあの花のことを聞きたかった。いや、聞かずとも彼が置いたことはわかってる。その程度察することなど容易だった。
だけど、聞きたいのはあの花をおいた理由。彼にとってここは馴染みがない場所であり、花を手向ける相手がいるとは思えない。
それに何より致命的なのは彼は文字が読めないということ。十字架に刻まれた故人の名を読み取ることはできないというのにどうして花を置き続けてくれるのか、それが聞きたかった。
―だけど、どうでも良くなってしまう。
ただこうして話せているだけでもいいと、満足してしまう。
ユウタといる時間は楽しい。それが彼が執事になってよくわかったこと。楽しくて、嬉しくて、暖かく優しい気持ちになれる。
それを知っているのは当然私だけではない。この屋敷で唯一の男性だからこそ私の傍に仕える者は皆知っているはずだ。
あるときはゴーストと親しげに話していることがあった。話している内容はアレだったが彼女とあれほど楽しげに会話できる者を見たのは初めてだった。
あるときは首のとれたデュラハンに追い掛け回されていた。ただし、その体がよほど恐ろしかったのか悲鳴を上げて逃げ回っていた。
あるときは厨房にこもってグールとともに料理を作っていることもあった。料理中に首を舐められ包丁を落とし、足に刺さっただとかでしばらく片足引きずっていたこともあった。
皆心にあるものは同じ。貪欲で好色だからこそ欲している存在はただ一人。
寄らずとも香る精の匂い。下腹部に熱を灯し、欲望の炎を煽る舌使い。心に染み込んでは染め上げていく優しさに時折儚さを帯びる闇色の瞳。
誘えば心を奪い、寵愛を受けるために自ら体を差し出すように仕向けることができるワイトである私もまた同様だった。
「ユウタ…」
「んっ…?」
顎に指を這わせてこちらを向かせる。今その瞳の闇に囚われているのは私だけ。
僅かな快楽を伴った指で撫でるとびくりと身を震わせ、そのせいで互いの距離が縮まった。
吐息がかかるその距離で。ほんの少しで触れ合う位置で。
互いに視線が交差したまま止まってしまう。
「…」
このまま指先で撫で続けたらどうなるだろうか。伴った快楽をさらに引き上げ、足腰が多々なくなるまで精を吸い取ったらどんな顔をしてくれるのだろうか。
心に浮かんだのはまるでドラゴンのような独占欲。私だけのものにしたいというものだった。ただ親しい者へ向けるものではない、さらに向こう側に至る男へ向ける女の欲望。それをユウタにぶつけてしまったらどうなるだろうか。
もっと知りたいと思う私がいる。
さらに欲しいと思う私がいる。
私の胸の中で子供みたいな我が儘と大人な欲求が入り混じっていた。それは生前の王族らしい考えであっても王女であった私が抱いたことのない感情だった。
「ユウタ…」
誘うように彼の名を呼ぶと眠るかのように安らかに瞼が降りていく。私も同じように目をつぶり、残り僅かな距離を詰めて唇を重ね―
「―はっ!」
重なる寸前、とんとんとんっとまるで肉食動物を前にした草食動物のような俊敏さで距離を置かれた。それどころか勢い余って生垣の中へと突っ込む始末。
―また、だ。
私はワイトであるはずなのに、誘えば男性の心を奪うことができるはずなのに。どうしても、どうやっても後一歩で届かない。
先ほどのように誘惑に流されないわけじゃない。体を寄せれば反応を示すし、手を握ればそれだけでも照れたように頬を染める。だというのに肝心の後一歩というとことでいつも逃げられる。
「あ!うわ!痛たたっ!」
薔薇の棘が刺さって転がりまわるユウタを見て私は疲れたようにため息をついた。
やるべき仕事を早々に終えると私はすることがなくなってしまう。この国では争いごとはないし、政治に関しても特に問題らしいものはない。それゆえ私には暇な時間の方が多かった。
ふと窓の外を見てみる。一日中変わらない夜の景色。淡い月明かりに照らされた庭。その光の中で小さく闇が蠢いた。
「ん?」
よく目を凝らしてみるとそれは影。それも人の形をしたもの。
「―いや、違いますか?」
影じゃない。闇じゃない。闇の中に溶け込みそうなあの姿は間違いなくユウタの姿だった。
きっと彼は自由な時間を満喫しているのだろう。庭を静かに歩いている。散歩でもしているのだろうか。
そう思ってもっとよく見てみると片手に鮮やかなものを持っているのに気づいた。赤や青やオレンジと様々な色をしているそれは間違いなくあの庭園で咲狂っていた花々だ。なら向かっている先は…。
「…」
私はその姿を追いかけて部屋の外へと飛び出した。
案の定、ユウタは一人で私たちが出会うことになった十字架の前で佇んでいた。死者を弔うための豪勢な装飾のされた十字架の前で、彼は両手を合わせて立っていた。
足元を見ると束ねられた花々が目に映る。それも新品の、先ほど摘んできたらしきものだ。
ここ最近手向けられる花がよく新しくなっていたがやはりユウタの仕業だったらしい。だが、刻まれた文字は読めず、眠っている相手がわからないというのにどうしてなのだろうか。
「ユウタ」
小さく彼の名を呼ぶとびくりと体を震わせてこちらを振り向いた。淡い月明かりの中で彼は穏やかな笑みが浮かび上がる。
「ムエルタ、どうしたの?」
「それはこちらのセリフですわ」
静かな足取りで彼の隣に並ぶと同じように十字架を見た。
刻まれた文字。それもかなりの年代が経つこの十字架は彼からいったいどのように映るのだろう。
私と彼が出会ったこの場へ、彼はいったいどんな心持ちで花を手向けているのだろう。
「これは庭園の花ですね。ここ最近よく置かれていますが全てユウタがしたものですか?」
「ああ、そうだよ」
特に気後れすることなく普段通りの調子で喋るユウタ。表情もまた普段通りの笑みだった。だからこそ一体何を考えているのか察することは出来そうになかった。
「ユウタはよくここにお花を添えているけど、どうしてなのですか?」
「そりゃここに誰かが眠ってるからさ」
そう言ってユウタはしゃがみ込むと指先でゆっくり刻まれた文字をなぞった。彼にとって読めない字だというのにそれでも穏やかな表情でまるで親しい相手へとやるかのように。
「今オレがここに住まわせてもらってるのはムエルタのおかげだよ。だけど、先にここへ来た人のおかげでもある。この土地を有し、家を建てなきゃ国どころかただの地面だったんだしね」
「それでも既に亡くなっているのですよ?」
「亡くなってるからこそ死者を敬うことは大事だよ。先祖だってその人たちがいたから自分は今こうしていられるんだしさ」
言ってることは最もだ。死者を弔い、敬うことは大切なこと。故人の魂を安らかに眠らせるための行いはなくてはならない。
だからこそ、ユウタの行いは眩しく映る。皆アンデッドであるこの国にとってそんなことする者はいない。なぜなら皆立ち上がり生前と変わらぬ姿で話すことができるのだからする必要がない。
皆がアンデッドであることはユウタも理解しているはずだ。だけどそれでもこうして花を添える姿はなんというか、抜けているというか、お人好しというか、彼らしい。もしもこの場にこの十字架以外の墓石があれば全てに同じことをしそうだ。
まぁだからこそ、そんな優しい彼が欲しいと感じてしまうのだけど。
彼が張り付いていた十字架の下で誰だかわからない相手を想うユウタへ向かって私は刻まれている名前を教えてあげることにした。
「―そこに眠っているのは私です」
「……………え?」
その言葉にユウタの目が点になった。数秒遅れてようやく反応を示す。
それも仕方ないかもしれない。普段から顔を合わせている相手のお墓にずっと花を手向けていたのだから。
何とも間抜けなことだったと思う。笑い話にしてもいいかもしれない。
それでも彼の行動が嬉しくてついつい言いそびれてしまった。それ以上に私たちの出会いであるこの十字架に、かつて眠りについていたこの場所にもう来なくなってしまうんではないかと懸念していた。
「…マジで?」
「まじ、という言葉がどういった意味かわかりませんが、とにかくその十字架は私へ建てられたものですよ」
「…あ、そっか。ワイトなんだっけか」
ぽんと手を叩いて納得するユウタ。私はその背後から身を寄せて彼の手を取ると指先を重ね、石版に刻まれた文字へと添えた。
やや固めな布地越しに感じる彼の体。思わず身を任せたいほどに逞しくて、ここにはない日差しのように温かい。瞼を閉じれば眠気に誘われそうな心地よさがそこにはあった。
「…え?む、ムエルタ?」
「いいですか?これがムエルタ。これがイブリース。そして、これがカダーヴェレ。ここに眠っていた王族の名前です」
彼の指とともになぞりながら刻まれた名を確かめる。
『ムエルタ・イブリース・カダーヴェレ』
死人となり死者の国から蘇り、新たな生を得た女王の名前。それでいて今ユウタを抱きしめている一人の女の名前。
「ユウタ、分かりましたか?」
「ん、あぁ…まぁ、わかったけどちょっと近すぎるんじゃ」
「それでは、私を呼んでくださいまし」
彼の言葉を遮るように言葉を紡ぐ。体は落ち着き無く震え、照れているのか頬が染まってきている。これでは普段のように逃げ出してしまいそうだ。
そんなことはさせまいとユウタの背中に体を密着させ、耳元で囁くように言葉を紡ぐ。
「いや、その…前にっ、流石に、近すぎるんじゃ…」
「私の名前を、呼んでくださいまし…」
「む、ムエルタ…イブリース、カダーヴェレ」
「…♪」
彼の声が私の名を呼ぶ。ただそれだけでも胸は高鳴り心地よい息苦しさを覚えた。苦しいのに心地よいとはおかしなものだけど。
「…もっと」
だけど、足りない。
アンデッドになった私は、私が思っている以上に貪欲な心をもってしまったのかこの程度では満足できそうになかった。
「もっと、して、くださいまし…」
体を離すとユウタをこちらに振り向かせ、掴んだままの指先を私の唇に押し当てた。
「もっと、触れて」
生者と死者の垣根を超えて。
「もっと、重ねて」
これ以上ないくらいに体を寄せて。
「もっと、感じて」
互いに差がある体温が溶け合うまで。
「もっと、確かめて」
私がここにいることを。
『ムエルタ・イブリース・カダーヴェレ』という存在が貴方を欲していることを。
「ムエルタ…っ?」
体を寄せるとその分だけユウタは後ろへと下がっていく。だけど三歩下がったところで彼の背中は十字架にぶつかった。
それを見越して私は一気に距離を縮める。開いていた空間は消え去り、服越しとは言え互の肌が密着した。
小さな悲鳴がユウタの口から溢れる。それでも構うことなく私は両腕で彼の体を抱きしめた。
常夜の闇をはめ込んだような黒い瞳が間近にある。見つめ続ければ吸い込まれそうな瞳は逃げ道を探すように泳いでいた。
「逃げないで」
その言葉に真っ直ぐ向く瞳。戸惑いながらも重なった視線に私は笑みを浮かべる。
「ユウタ…」
彼の名を唇にのせ、頬を手のひらで撫でていく。擽ったそうに身を捩るが前回のように瞼を閉じて私の行為に身を委ねてくれそうにない。
ここまでしてるのに、ひどい人。
だけど、愛おしい。
いつもどおりの、変わらぬ人。
だから、欲しくなる。
顔を近づけていくとやはりその分だけ下がっていく。それでも背後は十字架があるのだし、当然頭の後ろにだって逃れられるスペースはない。
「あ痛っ!」
後頭部を十字架にぶつけた彼は痛みに顔を歪めたが私はその一瞬を狙って唇を押し付けた。
「ふむっ♪」
「んっ!」
食らいつくように押し付けて、啜るように吸い上げる。頭の中がクラクラするほどの味と彼の体に染み込んだ花の香りに蕩けていきそうだった。
貪欲に、淫らに、積極的に、ユウタの唇を貪り続ける。ここが外だということも頭の中から消え去り私は一心に彼の唇を味わった。
それと同時にするりと指先をユウタの服の中へと差し込むとボタンを外しながら素肌を撫でていく。固く引き絞られた男性らしい感触にうっとりとしながらもねぶるような手つきで彼の精を奪うことを忘れない。
指先からじんわりと染み込んでくる生者の気。乾いた大地を潤すような充足感のある精はどのご馳走よりもずっと極上だった。
「…く、ぅっ………っ」
僅かにあいた隙間から小さい呻き声が漏れ、徐々に体の力が抜けていく。十字架に寄りかかってずるずると沈んでいく姿を見てどうやら吸精に伴う快楽の前ではさすがの彼も逃げられないということを理解する。
その上から跨るように私は腰を下ろした。これで無理やり私をどけない限りはどこへも逃げられないだろう。
長く重なっていた唇を離すと顔を真っ赤にしたユウタが見える。呼吸を荒くし何か言いたげな表情でこちらを見つめていた。
初めて見る表情にゾクリとする。普段笑みばかりな彼としてはこういう表情は新鮮で…もっと見てみたくなる。
「いきなり、何を…っ!」
そんな彼の頬を両手で挟み込み、先ほど同様に顔を近づけた。あと少しでまたキスしてしまいそうな位置で私は言葉を紡ぐ。
「ユウタは…私にこういうことをされるのは嫌ですか?」
「…そりゃ、ムエルタみたいな美人相手は嫌じゃないけど…っ」
「ならいいじゃありませんか…私は、貴方が欲しい…っ」
「でもここ外だし、せめて部屋とかで…!」
「今までさんざん焦らしてくれたのにまだ我慢しろというのですか?それに…期待しているのは私だけじゃありませんし♪」
するりと手を下げて下腹部へ添えるとそこに感じられるのは異常な硬さと熱の塊。服越しでも十分なくらい自己主張するそれを撫で上げるとユウタは大きく震えた。
ベルトを外し、ジッパーを下げるとまるで蛇の頭見たな独特の形をしたものが勢いよく飛び出してきた。先端がいやらしくヌメったそこから情欲を直接刺激する精の香りが漂ってくる。
「も、ぅ……我慢、できませんから…ね……♪」
生前にも経験はなかったというのに魔物の本能は恐怖心すら消し去り情欲一色に体を染め上げる。早く早くと行為の先を促して狂いそうなくらいに彼が欲しくてたまらなくなる。
既に私には気品も優雅さもなにも残っていなかった。あるのは焦らしに焦らされた本能と目の前のオスが欲しいという獣のような欲望だけだ。
スカートを捲りあげ、つけていた下着をずらす。そこは準備なんて必要ないくらいに濡れていてあとは迎え入れるだけだった。
「…」
「…」
互いに無言。聞こえるのは荒い息遣いのみ。だけど視線だけで意思を交えて私はゆっくり腰を彼の上へと下ろしていった。
鋒から徐々に私の中へ甘いしびれが広がってくる。剛直が膣肉を広げながら突き進み、そして純潔の証を引き裂いた。
「あうっぁあ♪」
初めては痛いと聞いていた。それも生前メイドが話していたことだった。だけど痛みなんて欠片もない。それ以上に体中を駆け巡る甘いしびれが上回っているのかもしれない。
徐々に引き込み、飲み込んでいく。これほどまでに濡れているというのに中で擦れる感覚は強く、まともに喋ることすらできない。
膣内はこれ以上ないほどに張り詰めていて膨れ上がった彼のものの形がわかるほどぴったりと密着していた。そしてお尻がユウタのお腹に触れたとき、同時に一番奥まで差し貫かれてしまった。
「あ、ふぅ…っ♪」
自分自身の体内に自分以外の存在が感じられる。初めて経験する圧迫感に体が震え火花が散った。思った以上に熱くて、硬くて、大きなそれは疑いようもない私たちがつながっているという事実。
「ユウタぁ…今、貴方が…私の中にいるんですよ…♪」
「うぁ…ぁ…」
「私の中は、気持ちいいですか?」
「いい、よ…っ」
魔物の与える快楽は尋常じゃなくまともに言葉を紡げない彼は必死に頷き、代わりに手を腰にまわして私の体を抱きしめてくれる。
柔らかく、強く、それでいて温かい抱擁。それは快楽でバラバラになりそうな私を捕まえてくれる優しい束縛だった。
膣内の感触に、逞しい腕の感覚に、やっと繋がれた達成感に、私を埋める充足感に恍惚とした表情を浮かべて愛おしい男性を見つめていると近くで聞こえた物音に彼が過剰に反応を示した。
「っ!?」
「!」
がしゃんと金属の擦れ合う音に反応して互いに体を震わせる。何かと思って音のした方を見ると十字架の向こう側にはデュラハンがいた。いつも着込んだ鎧姿ということは今は見回りの最中ということだろう。
二人してその姿を確認すると音を立てずに十字架の陰へと体を潜める。生真面目な彼女のことだ、今の私達を見られれば面倒事になってしまう。
「…」
「…」
互いに無言で彼女が通り過ぎるのを待つことにした。
今ようやく繋がれたのだから行為を邪魔されたくない。やっと捕まえたユウタをみすみすと逃したくはない。今この瞬間すら、誰かに介入されたくない。
だけど、そんなことすらどうでもいいと思えるぐらいに体は快楽を求めていた。こんな状況だというのに体を動かしたくて堪らない。ユウタの精が欲しくて耐えられない。見つかってもいいから思う存分彼を貪りたくて凌ぎきれない。
私はなんと欲深くなってしまったのだろうか。それでも、構わなかった。
「ん…んぅっ♪」
「っ!」
私はゆっくり腰を動かした。
「こ、声…っ!!」
ここで僅かな声を上げればバレてしまう。いや、そもそも魔物として、アンデッドとして精の臭いに敏感なのだから今こうしているだけでもバレてしまう可能性はある。
だというのに体は止められそうになかった。
この状況が一種の媚薬になっている。あってはならない背徳感が私を高みへ押し上げる。
「んんぅ…っ♪」
「っ!」
ゆっくりと音を立てないように腰を上下させる。声が漏れてしまいそうになるが唇を噛み締めて耐え忍ぶ。バレてはいけない、いけないというのにそれでも行為を中断できそうにはなかった。
「ムエルタ…!まずいって!ほんとに、今は…っ!」
手で口元を覆いながらユウタも声を漏らすまいと必死に耐えている。それは紛れもなく私の体で感じてくれていること。それがとても嬉しくて、向こう側にデュラハンがいることなどどうでも良くなってしまう。
「もっとしたいのです…もっと、沢山…貴方としたいの、です…っ♪」
「だからってそこにいるのに、ぅぁあ…っ!」
ユウタは呻き声を上げ体を震わせた。
魔物の、それもワイトである私との交わりなのだからまともに喋れなくなって当然だろう。それどころかあまりの快楽に悲鳴すら上げてもおかしくない。それでも唇を噛み締め耐える姿は流石というべきところか。
でも、私の方はそうではなかった。
「あ、やっ♪声、れちゃい、ます…っ♪」
音を立てないように注意していた腰使いが徐々に早くなってしまう。ごりごりと膣壁を擦られる度に体の中がバラバラになりそうな快感が駆けていく。そのせいで唇はだらしなく開き、艶のある声が溢れてしまう。
耐えなきゃいけない、でも欲しい。
見つかってはいけない、だけどしたい。
反する感情がせめぎ、混ざり合っていく。それでも全ては情欲の炎に焦がされ、残った唯一の感情は魔物らしい本能だった。
―どうなってもいいからユウタが欲しい。
あるのはたったそれだけ。あるべき感情はそれのみだ。
必死に腰を揺さぶってもっと奥まで彼を飲み込みたかった。敏感になった肉癖を沢山こすって欲しかった。そして、精液を注がれることを望んでいた。
「…っ!……っ」
「んっ♪ぁぁあっ♪や、あああっ♪」
体の中から押し寄せてくるように徐々に大きくなってくる快楽の波。理性を消し去り体を支配する強烈な快楽の予感。それはあまりにも大きくて弾ければ声なんてきっと我慢できないだろう。
けど私の体は止められなかった。気づかれてしまうかもしれないのに淫靡な水音を響かせながら腰の動きが加速していく。それに伴い固く突き刺さるユウタ自身を締め上げる。
「ユウタぁっ♪わた、し…イっちゃいます…んんっ♪声、我慢、できそうに…んぁあ♪あ、ありま…せん…っ♪」
「―っ!」
次の瞬間ぐいっと、食いつくようにユウタの顔が近づいた。それだけではなく開いた口を押さえ込むように唇が合わさる。ムードなんてない強引な口づけ。だというのに私の体は敏感に反応した。
「〜っ♪」
脳天を貫くような甘い刺激に私は高みへと押し上げられていた。
びくびくと体が震え、膣内が締まる。すると私の中でユウタがまるで深呼吸するみたいに大きく膨れ上がった。
次の瞬間、膣内に流れ込む熱い液体。まるで沸騰したかのような熱を持ったそれは膣内の一番奥を刺激し、染め上げていく。
「んんんん〜っ♪」
その感覚に私の体は何度も跳ね上がりくぐもった嬌声を上げることになった。ガクガクと腰を揺らし膣内は喜び迎え入れ、同時にもっと欲しいと律動する。
その感覚に耐えるようにユウタは絶頂を迎えた私の体を強く抱きしめる。唇を離すことなく乱暴なキスをしながら彼は精液を私へ注ぎ込んでくれる。
やがて体から緊張が溶け、力が抜けた。糸が切れた人形のようにぐったりとユウタへ倒れこむ。それでも唇だけは離すまいと私も貪欲に唇を押し付けた。
金属音は既に遠のいていた。それに私もユウタも気づいたが反応を示すことなく行為の続きに没頭し続けるのだった。
出会った当初一番驚いたのはなんといっても肌の色だった。
まるで血液が通ってないかのような青白さ。生者というにはあまりにも生きた感じのしない、動く体といった姿。だけど肌は瑞々しく弾力があり、体もわずかだが熱がある。そしてなにより彼女は死者とは思えないほど美しかった。
瞳は欲望にまみれてどろりとしながらもそこには妖しい光を宿していた。
唇は艶があり、時折除く舌が淫靡に蠢いていた。
髪は骨のように白く、それでいて甘い香りが漂っていた。
体はこれ以上ないほど完成され一度囚われれば逃げられない不思議な魅力が存在していた。
午後のお茶をしている時なんて気品あふれる姿で紅茶を啜り、メイドや部下である者の前に立つときには威厳ある雰囲気を纏っていた。そして何よりオレの肌を刺激する尋常じゃない何か。言葉にすることはできないが生物的本能が訴える。
彼女の姿はまるで、王女だと。この明けない夜の世界に君臨する死人たちの絶対者だと。
そんな女性である『ムエルタ・イブリース・カダーヴェレ』は今オレと腕を組みながらとんでもなく広いダンスホールに立っていた。
広い。あまりにも広い。学校の体育館の数倍はあるダンスホールはまるで物語の一ページ。ご馳走の乗ったテーブルがあり、お酒を運ぶメイドがいて、高そうなドレスやタキシードを着込んだカップル達がたくさんいいた。
ただ、ある金髪をした女性は耳が尖ってたり、場違いなマントを羽織った十字架らしきものを背後に掲げた女性がいたり、中には『ワイト』であるムエルタと同じ特徴を持った女性がいる。その特徴的な姿からしてきっと皆人間ではないのだろう。
「…何ここ」
「いわゆる社交界ですよ」
オレの隣で柔らかく微笑んだムエルタ。その姿は初めて出会ったあの十字架の上、彼女の墓石上で見た姿よりもずっとずっと輝いていた。元々よかった肌のハリや艶に磨きがかかり、妖しさがさらに増したように思える。
…その分こちらから絞られていく気がしてならないのだが。常夜の世界では時間の感覚が麻痺してしまうからわからないが二人して部屋にこもっていた時間は数日にも及ぶだろう。
ふと視界の端に映るムエルタと同じ特徴を持った女性。その隣にいるのはオレと違って歳の近そうな男性。
「…」
あの男性もまた似たような状況なのだろうか、なんてことを考えてしまう。いや、もしかしたらこの社交界に参加する男性全員がそうなのかもしれない。
なんてことを考えているとムエルタに腕を引かれた。
「他の方へ見とれるのは失礼ですよ、ユウタ」
「あ、ごめん。見とれてたわけじゃないんだけど」
「見るのなら私を見てください」
「…あ」
指先で擽られるように顎を撫で誘うような熱のある視線を送ってくるムエルタ。こんなところでもどろりとした情欲の光を宿した瞳に一瞬言見とれているとすっと近づいてくる彼女の顔。
それはまるで周りにいる人たちに見せつけるかのように口づけを交わして―
「―はっ!」
寸前のとろこで首を傾けキスを避ける。今までに何度もしてきているのだから構わないのだが場所が場所だ。
「…今更避けなくてもいいじゃないですか」
「人前は勘弁してって毎回言ってるでしょ」
一気に不機嫌そうな表情に変わるのだがこればかりは譲れない。
オレとムエルタの初体験なんかは野外で何度もしてしまっていたのだがあれ以来絶対に部屋で二人きりになれる状態でしかやらないと決めている。というのも屋敷には頭の中妄想だらけのゴーストやら生真面目すぎるデュラハンやら実験大好きなリッチやらと個性的な面々がたくさんいる。皆にバレればただでは済まなかっただろう。
それ以上にあんな恥ずかしいこともうできない………あれはあれで良かったけど。
なんてことを考えていると人々の話す声に混じってどこからか軽快な音楽が流れてきた。
「んん?」
奏でるのはダンスホールの端にいる楽器を持った集団。透き通っていたり肌の色が青かったり、はたまた骨だったりと人間らしからぬ姿の女性ばかり。ムエルタの館でも見た女性と同じ姿からして彼女達も同族なのだろう。
皆がその音楽に聞き入りながら何組かは手を取り合いダンスホールの中央部へと移動する。
様々な人達が互いの手を取り合いながら可憐で優雅な踊りを見せる。それは映画のワンシーンを切り取ったかのような光景だった。
「私たちも行きましょう?」
ダンスホールの豪勢な明かりの下で、楽しそうに笑みを浮かべたムエルタの姿は神秘的な色を帯びる。普段とはまた違う、シャンデリアの明かりに照らされているだけなのにどうしてこうも変わって見えるのだろうか。
ただ、彼女が楽しそうでもオレはそうではない。一介の高校生の身であるオレがこんなところにいるのは場違いだし、こんな上流階級な人の嗜みなんか知らない。
「…ダンスなんて踊れないんだけど」
「大丈夫ですよ。私に合わせてくれればきっとできます。ほら」
差し出されたのは滑らかな肌触りの綺麗な手。向けられたのは異性を愛でる優しい笑み。
こんな笑みを見せつけられては拒否することはできそうにない。だけど立場が逆じゃないかとオレは内心苦笑してしまう。
まったく…仕方ないか。
「私と踊って頂けませんか?」
「喜んで」
オレとムエルタは手を取り合いダンスホールの中央へと足を進めるのだった。
―HAPPY END―
13/08/16 20:07更新 / ノワール・B・シュヴァルツ