連載小説
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ファーストキスってす・て・き♪
「な、何よっ!?いったい何が起きたの!?」
目の前で起こりえない事態が起きたことに私は軽くパニックになっていた。
いや、起こりえないとも言い切れないだろう。
ここは港町で親魔物領地であり、マーメイドが多く住んでいるからこそ反魔物派の教団に狙われることも多々ある。
もっともあたしはそんな経験はないんだけど、それでもだ。
目の前で水柱が吹き上がるという事態は初めて起きたことだった。
まるで上空から何かが降ってきて海面に叩きつけられて高く聳えた柱は数秒も持たずに飛び散り、海面を波立たせるだけで終わる。
だが、しかし。
水柱があったその場のちょうど真下、そこに先までには存在していなかったものがあった。
黒い影。
それも人間一人と同じ大きさの影がゆっくりと海底へ向かって沈んでいく。
影は動かない。
腕の部分も足の部分も、頭もなにも動かない。
あれが本当に人だったとしたらこのままであれば溺れてしまうというのに。
…いや、もしかしたら気を失ってるのかも。
あたしはすぐさま海中へと体を沈ませる。
そうして泳ぎだし、すぐにその影に追いついた。

それはやはり一人の人間。

海面から差し込んだ太陽の光に照らされた体は中肉中背、とは言っても服に隠れてそれぐらいしかわからない。
不思議な服装。
上質な布でできているだろうその服。
光を吸収し、逃がさないとでもいうような黒一色。
それからちょっぴり豪華に見える金色のボタンが数個。
この近くの港町では様々な旅人や観光客が外の大陸から訪れたりするが今までに見たことのない服を着ていた。
その服と同じように黒一色の髪の毛。
これはジパング人と同じもの。
彼らは外の大陸だというのに何度もこの港町で目にする。
ジパングでは好みの女の子が見つからなかったのかしら?
ってそうじゃない。
彼の体は意識がないのかそのまま海のそこへと向かって引きずり込まれていく。
彼がシー・ビショップの加護を受けているならこんな場所にいても平気だろうがそのような魔力は欠片も感じない。
それどころか魔物と少しも関わったことがないのか全く感じない。
そんな彼がこのまま海底へと落ちていけば命が助からないことなんて明白だ。

助けないと…っ!!

メロウといえどマーメイドの一種であるあたしにとって沈んでいく人間一人を海面へ引き上げるのは造作もない。
あたしはすぐさま彼の体を抱きしめ海面へと泳ぎだす。
やや硬めの感触に布というにはちょっと硬い服の手触り。
それから海中とは言え彼の体の重さは見た目以上のモノだった。
服に隠れて見えないけどほっそりしてる体だと思ったら意外と筋肉がついているのかしら。
…あたし好みの体つきか確認してみましょう。
って、今はそうじゃない。
「ぷはぁっ!」
海面に出たことにより水しぶきが飛び散り太陽の光を反射する。
これでとりあえずは安心だが彼を見てみると意識はまだないらしい。
ここで起こすということもできるのだけど万が一彼が金槌だったりしてパニックになられたら大変なことになってしまう。
それなら近くの砂浜に連れて行ったほうが良さそうね。
この近くには海上にある孤児院もあるのだがあそこまではここからだとちょっと距離があるからやめておこう。
それ以外の理由としてあそこにいるのは全員がわけありの魔物の子。
こんな魔物のニオイのしない彼を連れていけば何をされるかわかったもんじゃない。
最悪その日のうちにスキュラの先生かネレイスの子が襲いかかりそう。
あの子とこの人、同じくらいの年齢だし。
それにあそこにはあたしが可愛がってるシー・スライムとカリュブディスの子がいたわね。
性知識には乏しいからあたしが直々に教えてあげてるけど…それが裏目に出てしまうとも限らない。
かといってこのままじっとしていればこんな意識のない彼を自分の身を持って救おうとする彼女に見つかってしまう。
同じ独り身であり、あたしと全く違う性格の彼女にとってこの状況はなんとも美味しいもののはず。
それはあたしとて同じであり、だからこそ横取りされる前に何処かへ行かなければならない。
ならやっぱり誰もいない砂浜が一番ね。
そう決めたあたしは彼の首から上を海水に浸さないように注意して泳ぎだした。





「よいしょ、と」
砂浜の上に彼の体をゆっくり横たわらせる。
思った以上に彼の体は重く、男性らしい逞しさをもった硬い感触が伝わってきた。
…これで服の下はどうなってるのかしら?
そう思って彼が着ている服に手をかける。
そこから伝わる感触は見た目以上に固い不思議な触り心地。
それでいてどこか高価なものを感じさせる服装は彼がただの民間人ではないという証かもしれない。
もしかしたら貴族とか、王族とか…。
も、もしかしたら…王子様、とか…っ!

「きゃー♪きゃー♪王子様だったらどうしよぉ♪あんなことして♪こんなことまでしちゃってぇ♪」

…は!いけない。あたしとしたことが。
今は一刻を争う大変な時だっていうのにっ!
とりあえず首筋に手を当ててみる。
指先に感じるのは微弱だがしっかりと一定のリズムを刻んでいる血液の動き。
脈は…ちゃんとあるみたいね。
それなら呼吸はどうかしら?
耳を彼の口元に近づけて息をしているか、呼吸の音が聞こえるかを確かめる。
…あれ?聞こえない?
「…え、ちょっと?」
ぺちぺち頬を叩くもそんなことで呼吸は戻るはずもない。
当然意識だってないこの状態の彼をあたしはただ見つめるしかない。
…どうしよう。
こういうときって…やっぱりあれかしら?


唇と唇を重ねて息を吹き込む…人工呼吸っ!


唇を重ね命を救ったことにより彼はあたしに感謝するのは当然で、唇を重ねるなんて行為から彼もあたしを意識しないわけがない。
そこからあたしと一気に親密な関係になってそれでそれでそれで…っ♪
一見どこにでもいるように見える彼。
それでもあたしのところへ来てくれる男性は誰ひとりもいなかった。
だから、この彼がチャンス。
彼は一世一代、一期一会の大切な出会い。
逃せば次があるのかさえわからない。
もしかすると…彼があたしの夫になっちゃったりも…っ!
…なおのこと人工呼吸やらなきゃ!
どきどきと高鳴る胸を抑えてあたしは彼の顔に自分の顔を近づけた。
男らしい顔立ちは彼の持っている奇妙な雰囲気をさらに奇妙に、それで興味深いものへと変えている。
特に美形、とは言えずとも世間から見たらいいほうに入る彼の顔は瞼を閉じて安らかに眠っているようにも思える。
海水で髪の毛が張り付き、水滴が太陽の光を反射するその顔はなんとも艶っぽくてムラムラしちゃう。
唇くらい、いいわよね。
そんな彼の顔を見つめたあたしの心の奥でそんな声がした。
だってこれは人工呼吸。
命を助けるために仕方なくするんだもの。
しなければ彼を助けられない。
だからこそこうしちゃうことは悪いことではないと自分に言い聞かせ、合理化させる。
だから、これくらいは…っ♪
彼の唇にあたしの唇を重ねようとゆっくり顔を近づけたその時だった。

「あれ?エレーヌさん、何しているんですか?」

あたしの背後からかかったのは柔らかで優しそうな、まるで聖母のような声。
それの主をあたしは知っていた。
後ろを振り向けばそこにいたのは一人のマーメイドだった。
空のように透き通った蒼い長い髪の毛、同じように透き通るような蒼色で鱗を生やし太陽の光を煌びやかに反射する魚の下半身。
それから着ているものは汚れ一つない雪のように真っ白な修道服に似たもの。
大きく前面をはだけて黒い水着で包んだ大きな胸がよく映える。
被っているものはあたしの赤い帽子とはまた違う、金色の刺繍が施された白い帽子。
ただのマーメイドではなく、シー・ビショップと呼ばれる女性だ。
そして、あたしの知り合いである。
「セ、セリーヌ…」
今一番会いたくない女性だった。
別にあたしが彼女のことを嫌っているというわけじゃない。
彼女はシー・ビショップ。
それなら海で溺れた男性が入ればすぐさま助けようとその体を差し出す。
今、この状況。
海で溺れたであろう彼を見つけたらセリーヌはシー・ビショップらしく…。
「っ!!エレーヌさん、その男性…っ!」
薄茶色の瞳にあたしの背後に倒れている彼の姿を映してセリーヌは驚愕と、わずかに喜色に染まった声をあげた。
ああ、隠してたのに…。
こうなったらセリーヌは彼を何とかして救おうとするに違いない。
それこそ自分の純潔を捧げても、だ。
そんなことをされれば彼がどんな性格かは知らないが特別な感情を抱かずにはいられない。
最悪、彼女に恋心を抱くなんてことも…。
…それだけは阻止しないと!
「あ、そのね、これはねっ!」
「…」
「…セリーヌ?」
彼を見たセリーヌは無言で口の端から涎を垂らしていた。
普段大人しく清廉淑女な姿をしているシー・ビショップにはあまりにも似合わない姿。
イメージ的にも彼女の性格からしても他人には絶対に見せられない醜態をさらけ出しながらも彼女の瞳は黒を纏った彼を捉えて離さない。
なんともわかりやすい反応。

醜態を晒すことさえ忘れるほどに彼女も彼を欲している。

シー・ビショップなんて出会いが多いと思われがちだけど彼女もあたしと同様に独り身なんだし。
海で溺れたのなら助けに来るのはシー・ビショップという存在。
その彼女にしてみれば彼を救うことは義務であり―

―この状況では特権になり得るものである。

「はっ!いけないいけない。エレーヌさん、彼はもしかして溺れていたのですか?」
「え…ええ。」
「…」
彼女の口から流れ出す唾液の量が増えた。
今まで様々なカップルを海で生活できるように儀式を施してきた彼女にとってこれはまたとないチャンス。
目の前で散々イチャイチャされてラブラブされて、挙句の果て交わっているところさえ見せ付けられるのだからそうなるのも仕方ないといえる。
文字通り垂涎ものなのね。
しかしそれはあたしも同じ。
「そ、それなら彼を早く救わないといけません!」
そう言いつつも彼女はあたしの横から彼の脚をつかみ、大胆にも海の中へと引きずり込もうと引っ張る。
彼を救うはずの存在が彼の命を脅かす脅威になりかけていた。
「ちょ、ちょっと!何で海に引きずり込むのよ!?」
「これから儀式を行いますので場所もしやすいほうがよろしいかと」
「さっきまで溺れてたのにまた海中は危ないでしょ!」
「いえ、私の魔力で守り抜きますから安全です。では彼を責任もって助けますので」
「何が責任もってよ!!そもそも最初に見つけたのはあたしよ!?」
さすがのあたしも聞いているだけではいない。
引きずり込まれようとする彼の体に抱きついてなんとかそれを阻止する。
っていうかこの子、ある意味ネレイスよりタチが悪いわね!
あたしの行動にセリーヌは諦めるわけもなく二人分の体重を海へ引きずり込もうと力を込めた。
砂の上であり、メロウでるあたしには人間で言う足が尾びれである以上踏ん張って耐えることなんで出来やしない。
それはシー・ビショップであるセリーヌも同じなのに軽々とはいかずともあたしたちを徐々に海中への距離を縮めていく。
この子、教団よりもずっと怖いわね…でもあたしだってここで引くわけにはいかないのよ!!
「今は一刻を争う時なのですよ!?」
「こっちだって一世一代かかってるのよ!」
「彼の命がかかっているんです!」
「そこにあんたの性活もかけてるくせに!」
「かけたっていいじゃないですか!私だって出会いが欲しいんです!夫が欲しいんです!」
「そんなのあたしだって同じなんだから!」
わーわーぎゃーぎゃーと意識のない彼の足元と上であたしとセリーヌは言い争いを続けていた。
その言い合う声か、あたしが上に乗っていたからか、それともセリーヌが足を引っ張っていたことが原因か。
「んぐ…ごほっ!」
突然彼が咳き込み含んでいた海水を吐き出した。
「!」
「意識が!」
なんてことをしてしまったんだろう。
意識がないまま人工呼吸をして唇ゲットするつもりだったのに!
彼はごほごほと咳き込みながらもうっすらと瞼をあけた。
そこにあったのはまるで闇を切り抜いてはめたかのような、光を宝石のように反射し輝く黒い瞳。
海底よりもずっと暗く、深海よりもずっと濃い色。
それには見ているだけで吸い込まれてしまいそうな不思議な魅力があった。
黒髪黒目。
間違いなくジパング人の特徴と一致する。
それだけど…何かが違う。
何かと問われれば答えられないがそれでも何かが違う。
口で表せないものが、言葉にできない何かが、理解し切ることのできない何かが。
彼から感じ取ることができた。
って見とれてる場合じゃないわ!
このままじゃチャンスを逃しちゃうじゃないの!
そこまでできるなら当然彼には呼吸なんて戻っているはずだ。
だから人工呼吸の必要なんてないし、このままでも待っているだけですぐに喋れるくらいには回復する。
あたしの人工呼吸も、セリーヌの儀式も必要なんてない。
それでも、いや、だからこそここが最後のチャンス!
そこからのあたしの行動は早かった。

「んむっ♪」

「エ、エレーヌさんっ!?」

彼が回復する前に、セリーヌが反応する前にそのまま覆いかぶさって彼の唇を奪う。
人工呼吸のためにちゃんと鼻を摘んであげて。
こうでもしないと何しているのですかとセリーヌにうるさく言われるに決まってるもの。
意識が戻りかけで抵抗もない彼の唇を精一杯味わうことにしましょ♪
「ん…ちゅぅ♪」
海で溺れていたからしょっぱいのは仕方ないとしても感じたのは不思議な味。
いや、それは海独特の味がするはずなのにそれよりも先に感じたその味は―

―甘い?

海水に負けないぐらいに濃くて、それなのにすっきりしているような、もっと味わいたくなってしまう味。
爽やかなでありクセになる、そして体の奥底から微弱ながらも熱を沸かせるそれはまるで上質なお酒のそれ。
それから今までになかった柔らかさ。
自分で自分の胸を揉んでもこんな柔らかさは感じなかったわね。
スライム種であるシー・スライムのあの子の体、カリュブディスの幼く柔かな肌、それからイタズラで触ったセリーヌの胸もこんな感触はしなかった。
不思議な味と、感じたことのない柔らかさを伴ったこの行為はあたしの体の奥を疼かせる。
ぞくりとするような熱い炎が体の奥から湧き出すような、嫌な熱さじゃなくて蕩けるような熱を沸き上がらせる。
あたしにとって初めてのキス。

彼にとってもそうだったら…いいのに♪

やめられず癖になってしまうこの行為。
あたしはそのまま夢中で彼の唇に自分の唇を重ね続けた。
途中、肩をぺしぺし叩かれていた気がしたけど…きっとセリーヌね。
彼女もあたしと同じようなことをしようとしてたんだし。
さぞ羨ましそうに見ては自分も同じことをしたいと思ってるわ。
いや、あたし以上のことを期待してたみたいだし…。
でも今はそんなことを考えている余裕はない。
この口づけをもっと楽しみたい。
ロマンチックではなくても、状況が状況でも、初めての行為ぐらいじっくり心ゆくまでしたいというもの。
だからあたしは肩を叩く力が徐々に強くなっていることなんて気にせずにそのまま彼に唇を重ね続けた。

「んん…ぷはぁ♪」

たっぷりしっかり、丹念に。
彼の唇の味を確かめ尽くし初めてのキスを満足いくまで味わい続けてようやくあたしは唇を離した。
結構な時間キスをしていたのかもしれない。
逆にほんのちょっとしかしていなかったのかもしれない。
そう思えるほど初めてのキスは、彼とのキスは密度の濃い時間だった。
もっと味わいたいわぁ…♪
そう思ってしまうのも仕方ない。
だって気持ちよかったんだから♪
「…エレーヌさん」
声のした方に振り返って見るとそこにいたのはやはりセリーヌ。
しかしどこか羨ましそうな、気まずそうな、怒りたがっているようにも見える表情を浮かべていた。
「…どうしたの?」
「…」
彼女は無言で人差し指を向けた。
あたしではなくて、あたしのむこうにいる彼に向かって。
「?」
その指先、彼の姿を見てみると…。
「………………」
うっすらと空いていた瞼が完全に閉じていた。
先ほどよりも衣服がシワだらけで暴れた跡がそこにはあった。
顔が真っ赤になっているのは先ほどのキスで興奮した…というよりも酸欠によるものに見えなくもない。
つまり、簡単に言うと―

―…気絶していた。

「……………」
えっとこれは…あたしのせいかしら?
鼻まで摘んでいたことが裏目に出ちゃったみたい…えへ。
「…助けるって言ってたのに気絶させてどうするんですか」
「…え、えへ」
じとーっと見てくるセリーヌにあたしは乾いた声で小さく笑う。
当然そんなことで誤魔化すことなんてできずに彼女はただあたしを見つめるだけ。
そりゃもう穴が空いちゃうくらいに…。
「…」
「…」
「…」
「…お、美味しかったわよ?」
最後に初めての口づけの感想を口にしてみたらゆっくりと顔を彼の顔へと向けた。
その目に写し出しているのは当然、先ほどまであたしが味わっていた部分。
何も言わずにセリーヌは彼を見つめて―


「―私もっ!!」
「あ!ちょっとセリーヌっ!!」
12/06/03 21:13更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということでメロウルート、エレーヌの話が始まりました!
クロクロ港ルートより出てきた彼女のお話、そちらを読んでいなくとも楽しめる話にしていきます
エレーヌ、開始早々キスをするとかもう彼女らしいです、はいw
友情出演というか、同じ海だからということでシー・ビショップのセリーヌまで登場しました
彼女がまた今後の物語の展開を左右します

今回の話は港ルートで初めて出会ったのがマーメイドの彼女ではなくてメロウだった場合、というかんじですね
これからさき、港町のカフェバーで過ごしていた日常とは違う、メロウの彼女と過ごす日常です!

次回は救われた彼とエレーヌの日常!
そこに加わるちょっとした乙女心と抱いてしまう嫉妬の気持ち

それでは次回もよろしくお願いします!!



それから実は今回、ちょっとばかり師匠編が詰まってしまいこちらを先に書かせていただきました
師匠編を楽しみにしていてくれた方々、もうしわけございません


それから実は稲荷編の後日談も途中まで書けたのですがどうも納得いかずに止まりました
リクエストしてくれたお方、本当にすいません

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