連載小説
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1.彼女に出会った日
「ふぅ〜……」
 放課後の食堂で、雑賀宗一郎は満足げな息を漏らした。彼の通う高校の隣で買った饅頭を一口食べ、一緒に買ったお茶を啜る。彼にとっての放課後の至福の一時だった。
「ふぅぅ……」
「おい」
 彼がもう一つ息を漏らしたところで、宗一郎に声をかける者がいた。彼がそちらを向くと、クラスメートの嶋瀬真二が微妙な表情を浮かべて、椅子に座った宗一郎を見下ろしている。
「いつもの事ながら、爺くさいな君は」
「いつもの事ながらはっきり言うね、君も」
 真二は宗一郎の向かいの椅子に座ると、蒸しパンの包みと紅茶入りのペットボトルをかばんから取り出す。幼稚園のころからの友人でずっと同じ学校に通った彼らは、今でもよく話し、ともに登下校する仲だ。
「そう言えばな、今度クラスの女子たちとカラオケに行くんだが、宗一郎は来るか?」
「ん……。いや、僕は歌うのは苦手だから遠慮しとくよ」
「ふむ。歌うのじゃなくて女の子と話すのが苦手なんじゃないのか?」
 宗一郎はそう言われ、む、と一つ唸った。彼にとって、女子と話す、ということはとてもストレスのたまることだった。まず、彼女たちの知っている話題が、彼の知識の範疇にない。どんなことを言えば、彼女たちが喜ぶのかわからない。結局、何を話したらいいのかわからない。どうしようかと考えるうち、女の子と向き合ったまま黙りこくり、気味悪く思われるのが彼の常だった。
「まあ……、無理にとは言わんがな。君は少し考えすぎるところがあるし、もう少し実践の中で学ぶ努力をしてもいいと思うぞ?」
「むむ……」
 唸り、俯く宗一郎を見て、真二も一つため息を吐いた。
「ま、少し考えてみてくれ。来週の土曜だから、そんなに急がないでいいぞ」
 そう言って微笑む真二を見るたび、宗一郎は自分が情けなくなった。
――自分から話しかける勇気、か……。
 そう思うと、宗一郎は深く、深くため息を吐いた。
               * * *
「じゃあ、また明日な」
「うん、じゃあね」
 宗一郎は駅で真二と別れると、自分の家へと向かう。夕陽を見ながらゆっくりと歩いて帰るのが、彼は好きだ。いつもの道を通り、家路へ向かう。
――そう言えば、今日は僕一人だな。晩飯何にしようかな……。
 彼の両親は出張が多く、家を空けることが多い。自然、食事を作ったり、掃除をしたりということは彼の仕事になっていた。帰ってからの予定を頭の中で整理しながら彼が歩いていると、通学路の途中にある寂れた神社が目に入る。
――せっかくだから、お参りしていこうかな。
 彼はそう思うと、本殿へ向かう階段を上がった。

 宗一郎が本殿の前まで上がると、ちょうど夕陽が山の向こうへ沈もうとしているところだった。小高い丘の上に建っている神社のため、夕焼けに町が染まる様子がよく見える。
「綺麗だな……」
 彼がそう呟いた時、何か黒い影が空を飛んでいるのが見えた。鳥のようにも見えるその影はどんどん彼に近づいてくる。
「あれって……、人!?」
 近づいたことで、その影が背中に羽を持った人、それも少女であることがわかる。
「よ、避けてぇ! 避けてぇぇっ!!」
「うわわわわ!!」
 悲痛な声を上げ、少女は宗一郎のほうへ突っ込んでくる。宗一郎はパニックを起こして両手を広げて立ちすくむ。そして、少女は宗一郎の胸に思い切りダイビングした。
 すさまじい勢いで彼の背中は地面にたたきつけられ、息が詰まる。視界いっぱいに青い光が輝いたのを見たのを最後に、宗一郎の意識は闇に飲まれた。
 
「う……」
 宗一郎は一つうめくと、目を開ける。何がおきたのかわからないのと、背中に大きなショックを受けたのとで、宗一郎の意識は朦朧としていた。何とか息をしようとするが、背中を打ったためかうまくできなかった。
「ン……」
 少女も目を覚まし、身じろぎをする。宗一郎もショックから少し立ち直り、そこで、宗一郎は自分が少女を抱きかかえていたことに気がついた。あわてて彼が手を離すと少女も彼から離れ、傍らに座ると、彼の手を取った。
「イル・クルナ……!?」
 彼女は目に涙を溜めてそう言った後、慌てたように首に手をやり、壊れたペンダントを見て顔を青くした。
「え、ええと……」
 苦しげに宗一郎が声を出すと、少女はほっとしたように息を吐いた。少しずつ息ができるようになると、宗一郎は少女の姿を改めて見た。
 その少女の頭には銀髪を分けて捩れた黒い一対の角があった。腰からは蝙蝠のような形をした細かな毛が生えた羽と、先のとがった尻尾が生えている。
 飛び込まれ、たたきつけられた事には、不思議と腹がたたなかった。むしろ、少女の姿への驚きと、なにより彼女の美貌に宗一郎は目を離せなかった。
息を整え、這いずって少女から離れようとすると、彼女はぼろぼろと涙を流しだす。
「ネーア! イル・ムル・ネアティーダ!」
 宗一郎の手を、少女は強く握る。そして、彼にはわからない言語で何かを懇願する。
――ああ、どうしたらいいんだ!? 言葉もわからないし、そもそも人間じゃないし!
 宗一郎は困惑したまま、涙を流す少女と向き合う。少女も何も言わず、ただ彼の手を必死に握り、何かを訴えかけるような瞳で宗一郎の目を見つめる。
 その目を見るうち、彼は早鐘のように打っていた胸が、少し落ち着くのを感じた。
――ともかく、危害は加えてこないな。それに、逃げるなって言ってるんだろうな……。なんだか放って置けなくなってきたし、名前だけでも聞いてみよう。
「わかった、逃げない。逃げたりしないから、泣き止んで?」
 彼はそっと少女の涙をぬぐう。
「ル・ネアティーナ?」
「うん、逃げないから。ね?」
 宗一郎がうなずくと、彼女はほっとしたように息を吐いた。
「ねえ、君の名前を教えてくれるかな。名前だよ」
「ン……?」
 少女は不安そうに首をかしげる。
「あー、マイ・ネーム・イズ・ソウイチロウ・サイガ」
 ぽんぽんと自分の胸を叩いて名前を言い、少女の肩に手を乗せる。
「アー・マイ……?」
――ああ、やっぱり日本語も英語も通じないな……。
 怪訝そうに言う少女に、宗一郎はもう一度自分の胸を叩き、ゆっくりと話す。
「ソウ、イチ、ロウ。ソウイチロウ・サイガ」
「ソウイチロウ?」
 少女はそっと宗一郎の胸に手を当てて首をかしげる。
「イエス、ソウイチロウ! アンド・ユー?」
 ぽん、と少女の肩を叩く。少女はやっと得心がいったというように、顔を輝かせた。
「フィオナ! フィオナ・フィッツジェラルド!」
「フィオナ?」
「イア! フィオナ!」
 少女、フィオナは大きく頷く。その笑顔は、総一郎には今までに見た中で一番かわいらしく見えた。
――太陽みたいな笑顔って、こんな笑顔なのかな?
 宗一郎はそう思うと、自分の顔が少し熱くなっていることに気がついた。と、彼女のお腹が、きゅう、と音を立てた。
「お腹すいてるの?」
 宗一郎がお腹をさすりながら尋ねると、恥ずかしそうにフィオナは頷く。
「イア。イ・シュトルダ……」
「うーん、それならさ。僕と一緒に、家に来ない?僕もご飯を作るから、一緒に食べよう?」
 地面に家の絵を書き、自分を表す人型と矢印を書いて、自分が家に行こうとしていることをフィオナに見せる。
「エルル・デュルナ・ルゥトルン?」
 彼女は自分と宗一郎を指してエルル、家の絵を指してルゥトルンと言った。
「うん、一緒に行こう」
「イア!」
 そう言って立ち上がり、宗一郎が伸ばした手を、フィオナは嬉しそうに取った。
               * * *
 宗一郎が歩くのにあわせて、フィオナも並んで歩く。宗一郎は嬉しそうに隣を歩く彼女から、目が離せなかった。
――改めて見ると、本当にかわいい子だな……
 さらさらとした銀髪や、通った鼻筋、少し目じりの下がった目、そして彼女の着る服が、柔らかそうな大き目の胸と、きゅっと締まったお尻を強調している。彼女を見ているだけで、彼は胸の高鳴りが抑えられなかった。
「ン……?」
 彼の視線に気づいたのか、フィオナが宗一郎のほうを向く。彼よりも身長が頭一つ低いせいで、彼女の視線は少し上目遣いになる。その仕草が、彼の胸をまたどきりと跳ね上げる。
――し、しまった! またじっと見ちゃった……。
 宗一郎は自分の悪癖が憎らしくなった。今はいいかもしれないが、何度も繰り返せば、彼女にまで嫌われるだろう。そう思うと、後悔の念が湧き上がる。
「ご、ごめん」
 慌てて視線をそらす。そんな宗一郎を見て、フィオナはすっと目を細め、彼の腕に自分の腕を絡ませる。
「フフ、ル・イルーミ、ソウイチロ♪」
 彼女は彼の腕に自分の体を寄せて歩く。宗一郎は、どくん、どくんと跳ねる自分の鼓動が、彼女にまで伝わっているような錯覚に襲われる。
――ともかく、次は気をつけないとな……。
 これまでに同じ事を何度考えたっけと思うと、また宗一郎は気が沈むのを感じた。
「ソウイチロ? ル・ミディア……?」
 フィオナが不安そうに宗一郎を見上げる。
「ああ、不安にさせてごめんね」
 宗一郎は彼女の頭をなでる。フィオナは嬉しそうに目を細め、のどを猫のように鳴らした。
――ああもう、彼女を不安にさせて、何をやってるんだ僕は……。
 今度は顔に出さないようにしようと思うと、宗一郎は彼女をもう一度撫で、家へと向かった。

 家に着くと、宗一郎はフィオナをリビングに案内する。 
「じゃあ、ここに座って待っててね」
 フィオナを椅子に座らせ、肩を軽く叩いて待つように合図する。
「イア♪ イ・クルナシュトルダ! イムル・ルーァ♪」
 彼女はたんたん、とテーブルを叩く。
――きっと、「早くしてくれ」って言ってるんだろうな。
「ああ、すぐ作るから待っててね」
「〜♪」
 宗一郎が頷いてそう言うと、フィオナはのどを鳴らした。
――手早く作るんだったら、野菜炒めかな……。
 フライパンに油を軽く引いて少し暖めてから、野菜とこま肉を入れて、しょう油で味付けをする。多すぎれば塩辛く、少なすぎれば香ばしい香りがしない。量に注意して味付けをして、手早くいためてから皿に盛り付け、ご飯を茶碗によそい、インスタントの味噌汁を作る。あっという間に出来た夕食を、フォークと一緒にテーブルに置く。
「はい、出来たよー」
「ミア、クルナルーァ!」
 フィオナは嬉しそうに手を合わせた。宗一郎も椅子に座ると、手を合わせる。
「さあ、食べよう。いただきます」
「イタダ……?」
「いた、だき、ます」
「イタダキマス!」
 宗一郎が繰り返すと、フィオナも同じように言った。そして、フォークで野菜炒めを食べ始める。
「ソウイチロ、ディ・クルナミューレ!」
――笑ってるし、きっとまずいとは言ってないよな?
「うん、おいしかったらよかった」
「〜♪」
 笑顔で言う宗一郎に、フィオナも「ミューレ♪」と繰り返しながら食べ進め、あっという間に二人とも食べ終わった。
「ムーァ、ムーァ♪」
 フィオナはこんこん、と皿を叩いた。
――ふむ、「もっとくれ」って所かな……。
「ごめんね、フィオナ。もう無いんだ」
「ン〜……。イ・ウルトルイダ・ムーァ……」
 宗一郎が空のフライパンを見せると、フィオナは残念そうに肩を落とした。心なしか、尻尾も寂しげに揺れている。宗一郎は少し考えてから、戸棚から饅頭を二つ取り出し、一つをフィオナの前に置いた。
「フィオナ、これ、お饅頭」
「オマンジュウ?」
 フィオナは不思議そうに饅頭を手に取る。
「そう。おいしいよ」
 宗一郎が一口食べるのを見て、フィオナもかじる。
「ミア! ディ・エルビア!」
 宗一郎はフィオナが嬉しそうに饅頭を食べるのを見ていると、胸がむずむずするような感触を感じた。 
             * * *
「ソウイチロ、ディ・ブフナ!? ヴィルミ・シュティーダ!」
 宗一郎がテレビをつけると、フィオナは興奮したようにテレビを指差す。
「テレビ。テレビって言うんだよ」
「テレビ?」
 宗一郎がうなづくと、フィオナは「ディ・ビルミア!」と言って釘付けになった。
――それにしても、彼女の話す言葉の意味がわからないし、彼女も僕の言うことがわからないと、ちょっと困るな。
 宗一郎はそう思うと、鞄からルーズリーフとシャーペンを取り出して、フィオナに見せる。
「ね、フィオナ。これ、物を書くための道具なんだ。見ててね」
 宗一郎がシャーペンの頭を押して芯を出したり、線を引いて見せたり、絵を描いたりして見せると、フィオナは興味深そうに目を輝かせた。
「フィオナもやってみる?」
「イア!」
 宗一郎がシャーペンを差し出すと、フィオナも何かを紙に書き出す。そこに書かれるのは、宗一郎には理解のできない文字のようであった。それから、フィオナはかわいらしくデフォルメされた宗一郎の絵を描き、彼に抱きついている自分の絵とハートマークを書いて見せた。
「ソウイチロ、イル・ヴィトルディア!」
 絵を指して、フィオナはそう言うと宗一郎を抱きしめた。宗一郎の頭が、火がついたように熱くなる。
「フィ、フィオナ!?」
「ソウイチロ、ソウイチロ♪ ル・ギブナ・イムエミネ? イル・クルナヴィトルディア♪」
――ああ、きっと「好き」って言ってるんだろうな……。
 宗一郎は、先ほどからの一時間ばかりのことを思い返す。その短い時間が、彼にとってはずいぶんと長く思われた。
「ええと……。イル……ヴィトルディア」
 宗一郎も、彼女の言葉を真似して、自分の気持ちを伝える。フィオナはそれを聞くと、さらに強く宗一郎を抱きしめる。そして何度も、何度も宗一郎の頬にキスをした。
「ソウイチロ……。イル・ムル・ルフィーダ……」
 フィオナは自分の気持ちを、その強さで伝えようというようにしっかと宗一郎を抱きしめる。言葉はわからずとも、宗一郎は彼女の気持ちが、彼女の内から自分にしみこんでくるような感覚を覚えた。宗一郎も、強く彼女を抱きしめる。彼女の話す言語がわからない為に、わかったとしても気持ちを伝えきれないことがわかっている為に、彼女と一緒にいたいという気持ちを抱きしめる強さに変える。
――彼女のために何が僕にできるかはわからない。なんて言ったらいいのかも。だけど、せめて今だけは彼女をこうして抱きしめよう。
 その思いに答えるかのように、フィオナは宗一郎の唇に口付ける。そして、彼女の舌が宗一郎の舌と絡み合い、彼の体から力が抜ける。
――ああ、胸が暖かい……。気持ちいいな……。
 宗一郎は頭に熱く、湿った霧がかかった様になる。フィオナは彼女の腕の中でくたりと力を抜く宗一郎を、淫らに蕩け潤んだ瞳で見て、ぺろりと彼女の唇を舐める。
「フフフ、ソウイチロ♪ イタダキマス♪」
 そして、宗一郎はフィオナの愛撫に身を任せた。
13/01/13 18:35更新 / ハルアタマ
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■作者メッセージ
いずれフィオナの話すカレルト語の辞典とかも、メッセージに付け加えようと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
追記:今回の話でのカレルト語集を付け加えました。わかりづらかったらすみません……。
イ:私
ル:あなた
ムル(V):頼む、お願いする(=please)
ネア:〜しない
ティーダ(V):逃げる、避ける
イア:はい
ネーア:いいえ、だめ
シュトルダ(V):お腹がすいた
エルル:私達
デュルダ(V):行く
ルゥ:あなたの
トルン:家
イルーミ:かわいい
ミディア(V):いやだと思う
クルナ:とても
ルーァ:早い
ディ:これ
ミューレ:美味しい
ムーァ:もっと
ウルト:〜したい
ルイダ(V):食べる
ミア:(感嘆詞)わあ、まあ
エルビア:あまい
ブフナ:(疑問詞)何
ヴィルミ:絵
シュティーダ(V):動く
ビルミア:おもしろい
ヴィトルディア:好き
ギブダ(V):わかる
イム:私の
エミネ:気持ち
ルフィーダ:一緒にいる

・基本的にSOVC構文を取る。
例:イ(S)・ル(O)・クルナ・ヴィトルディア(私は・あなたが・とても・好き=あなたが大好き)
  イ(S)・ル(O)・ムル(V)・ネアティーダ(私は・あなたに・お願いする・逃げない(=逃げる・しない)=逃げないで)
・語尾が「ダ」で終わる動詞は、語尾を「ナ」に変えることで疑問形にする。
例:ル・ギブナ・イムエミネ?(あなたは・わかりますか・私の気持ち=私の気持ち、わかる?)

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