森の外れ、丈の高い草が生い茂る崖下の窪地。
　集落から抜け出て、仲間の目を盗んで、エルフのノルンは人を待っていた。
　約束の刻限よりもかなり早く来てしまった彼女は忙しなく辺りをうろつき、草を踏み付け、意味も無く樹木の葉っぱを千切っては、いかにも退屈そうに弄び、地面に捨てる。森の住民にしてその化身たるエルフらしからぬ暴挙に、苦言を呈する者は誰もいない。
　葉をむしっては白い指で細切れにし、葉脈を折って爬虫類の鱗のようになるまでばらばらに砕く。千切れたそれをパズルのようにお互いくっつけてみたりして、半時間程そうやって暇を潰していた彼女の耳に、草同士が擦れる微かな音が聞こえてきた。
　人間を遥かに超える聴力を誇るエルフ族ですら、相当に集中していなければ聞き逃してしまいそうな、ごく小さな音。草の揺れる方を見ると、茂みの中から一人の男が現れた。

「今日も時間通りだな、アティス」
「時間厳守は、商売の基本だよ」

　事も無げに答えたこの男こそ、ノルンの待ち人、交易商人のアティスである。
　待たせた女に踏み荒らされたらしき草をちょっと訝しげに見ていた彼は、しかしすぐに鞄を地面に置き、中身を披露し始めた。
　自分との密会を「商売」と表現されてムッとしていた彼女も、その中身を目にするとたちまち相好を崩す。

「おお……！」
「今日も色々、仕入れてきたぜー。お気に召すものが、あれば良いんだが」
「すごい、こんなにいっぱい……これ全部、くれるんだよな……！」
「勿論。そのために持って来たんだからさ」

　男の鞄の中身は、色とりどりに包装された大量のお菓子類だったのだ。
　しかし、本来人間や魔物を嫌い、森の奥で同族とのみ交際しているはずのエルフがなぜ、人間の持って来た食べ物に目を輝かせているのか。
話は一ヵ月程前に遡る。



　その日集落を出て動物を狩っていたノルンは、不審な人影を目にした。
　ノルンに気取らないよう気をつけて動いているようだったが、エルフの優れた視覚や聴覚をそう簡単に欺けるはずも無い。縄張りを犯す不届き者に、ノルンは弓を引き絞り矢を射掛けた。
　命を奪う目的ではなくあくまで威嚇のため射られた矢だったが、やはり侵入者は大いに怯えたらしく、身を翻して逃げ出した。
　そのまま見逃してやってもよかったのだが、ノルンのうちに燻る何らかの感情がそれを許さなかった。
　余計な邪魔が入りにくい、崖下の窪地へターゲットを追い込み、つがえた矢で適当に脅す。番狂わせなど起こりようもなく、あっさりと男は捕えられた。
　崖を背にして逃げ場も無く、弓で武装したノルンと相対した男は、しかしまだ逃走の機会を窺っているようだった。追い詰められても容易く屈しないその果敢な様は、彼女に好感を与えたが、だからといって手を緩めることはない。

「ここは我らエルフの森だ。採ったものを返してもらおう！」

　弓矢で狩り立てられて初めてエルフの恐ろしさを悟ったのだろう。男はすぐに要請に従った。背負った袋から、採取したらしき薬草やら何やらを出して地面に横たえる。
　エルフたちが狩猟時に携える、非常によく効く類の薬草では無かったが、まあ人間に見つかるようなものではないし、取ったところで精製もできないはずだ。

「その、腰の袋は？」

　しょっていたものよりも大分小さいカバンのようなものを、男は腰に巻いていた。人間が歩き慣れない土地で出来る限り運動性を高めるために、こういう工夫もするらしい。

「これは俺の食糧袋だよ」
「中身を見せろ」

　入っていたのは確かに人間用の食べ物らしく、森で採った草花は含まれていない。が、それよりもっと彼女の注意を引くものがあった。
　色とりどりの包装紙でくるまれた、小さな食べ物。親指の先ほどしかないそれは、今までに嗅いだ事が無いほど強い、甘い匂いを放っていた。

「何だこれは？」
「ああ、こいつはチョコレイトっていってね。南の国で採れる植物の実を使って作ったお菓子だよ。ここいらではまだ、あんまり出回ってないだろう」
「なんで、そんなものを？」
「いや、俺実は交易商でね。南国で作られたこのお菓子をいろんなところへ持って行って売りさばいているんだが、さすが新製品だけあって旨いのみならず、栄養も満点なのよ。嵩張らないし、味も気に入ったんで遠出の時はよく持ち歩いているんだ」

　商人といった自己紹介は本当らしく、品物の説明となると急に男は饒舌になった。話半分に聞きながらも、ノルンはその小さな食べ物への興味を抑えきれない。少し逡巡した後、恐る恐る彼女は聞いた。

「その、私にも、それを……ちょこれいと、を、一つ食べさせてくれないか」
「へ？　ああ、構わんよ。お一つどうぞ」

　受け取ったそれは、包みを取り去ると尚強い芳香を放ち始めた。
　一般にエルフは自然に親しみ、人為を嫌う。ノルンの集落もそれは例外ではなく、食事というものは生活と直結したものと考えられていた。狩った獲物を食べるのは生きるためであって、味を楽しむためではないという考えが、彼女らの思想の根底にあったのだ。
　自分たちの楽しみのために森の生き物を殺したり資源を消費したりしたくはないという、森との調和を何よりも重視するエルフらしい考え方ではあったが、そのせいで彼らの文化には菓子類やデザートといった、栄養よりも味を重視した食品はほとんど存在しない。初めて目にする砂糖とカカオの甘い誘惑に、ノルンは免疫を持ちえなかったのだ。
　小さなその粒を口に入れると、体温で溶けたチョコレイトの官能的な香りが口から鼻へ一気に広がった。半ば夢中で噛み砕き、舌全体に伸びる甘みと、その背後で味を際立たせる微かな苦みに酔いしれていると、いつの間にか口の中からそれは消えていた。
　自分が食べたのだ、と数瞬気づかないほど、その味はノルンにとって衝撃的だった。

「……もう一つ、いいか」
「ほいどうぞ」

　そんなやり取りを繰り返し、男の持っていたチョコ全部を食べ切り、ようやくノルンは我に返った。

「……ええと、その、なんだ。この森へ侵入したことは、お前の持ってきたチョコレイトに免じて許してやる」
「おお。ありがとうございます！」
「でだ。……お前の店には、まだこのお菓子があるのか？」
「ああ。飛ぶように売れるんでね、最近また入荷したところですよ」
「そうか。ところでお前は、どうしてここへ来た？　何か、欲しい物があるんじゃないのか？」

　いくら冷静を装って話してみても、相手は商人。交渉事と舌先の戦いを数知れず生き抜いてきた男である。ノルンがチョコレイトの味を忘れ難く思っていることも、とうの昔にばれてしまっていたのだろう。

「いや、この森ですごくいい薬草が採れるって聞いたんで、ちょっと調べにね。見たところ、普通に町でも売ってるようなのしか見つからなかったんで、デマかと思ってたんだけれど」
「見つからんだろうな。確かに薬草はあるが、あれはエルフのものだ。エルフにしか採ることはできない」

　敢えて希少性を強調してみたが、実際件の薬草は他の雑草と区別がつきにくく、専門的知識無しには到底発見できないものである。数自体はそれなりに生えているので、エルフにとってみれば大して貴重なものでもないのだが。

「なるほど。もし採れたら、うちの商品にしようかと思ったんだけどね。残念だ」
「なあ」

　人間とかかわってはいけないという集落の掟は、いつの間にか頭から抜け落ちていた。

「もし、私がその薬草をお前に分けてやったら……お前はまた、チョコレイトを持ってきてくれるか？」
「ええ、ええ、いくらでも持ってきますとも。チョコレイトだけじゃありませんぜ、下界には、いろいろ旨いものがあるんです。あなたに少し分けてあげるくらい、何でもないことですよ」
「じゃあ……じゃあ、もしお前が、この交換のことを誰にも言わないなら、お前の欲しがってた薬草を渡してやる。だからお前も、あの美味しい物を私の所へ持ってこい」
「ふっふっふ。そうこなくっちゃぁ。俺の名はアティス、今後ともよろしく、な」


　こうして、二人の交流は始まったのだ。


　しばらく逢瀬を重ねるうちに、二人の会合は単なる物々交換に終わらず、アティスの仕入れてくれる俗世の面白いうわさ話や、ノルンの語るエルフの知識など、さながら森と街の文化交流といった様相を呈してきていた。
　
「それで、前に言ってたピラミッドの話はどうなったんだ」
「あそこか。……なんでも、マミーを引き連れた男が番人のアヌビスを倒して、新しい主になったらしい。
　確かに近頃、古代の貴重な遺物や武具が急に市場に流出しはじめてる。その男が金策を始めたと考えて、まず間違い無いだろう」

　世間の事に詳しい商人のアティスは、毎回世界の珍しい食べ物や新製品とともに、こうして世の中の出来事を聞かせてくれる。大きな変化のない森での生活に内心倦んでいたノルンにとって、彼の語る話は何よりも興味をそそるものだった。彼と話すようになって初めてノルンは最初に自分がアティスと会ったときに感じた焦燥感のようなものが何だったのかを知ることができた。
　あれはつまり、外への欲求だったのだと。変化の無い森から出て、もっといろいろなものが見たい、したいという衝動だったのだと。
　森にいながらにしてそれら外の世界の出来事を教えてくれるアティスの存在は、今や彼女にとってかけがえの無いものとなっていた。
　真実味のある噂を語るアティスの肉体は戦士のものではないが、謀略と姦計渦巻く商いの世界を渡ってきた者らしく、しなやかで無駄な肉が無い。最初は貧弱に映った彼の肉体を、今は好ましく思っていた。

「（いや、好ましく思ってなんかない。相手は人間だぞ。エルフの私が……）」

　とっさに否定してみても、思ったという事実は消せない。慌てて、ごまかすように声を出した。

「そ、そういえば。この前くれた新しい……みるくくっきぃ、だったか。あれはとても旨かったぞ」
「それはそれは。あれは牛乳を使った焼き菓子なんだが、ホルスタウロスのミルクを使うことでもっと美味しくできないか、今知りあいの職人に試させているんだ。試作品ができたら、また持ってこよう」

　先入観の無い意見が聞きたいのだ、といって、最近アティスは新製品の味見をノルンに求めることがあった。美味しい物が食べられて、当然彼女から文句の出ようはずもない。

「ホルスタウロスかぁ。どんな味になるんだろうな」

　期待する口ぶりとは裏腹に、エルフの眉はちょっと下がり気味。

「（ホルスタウロス、って確か、すごくおっぱい大きい魔物だよな。　……アティスも、やっぱりおっぱい大きい娘が好みなのかな）」

　自分のまっ平らな胸を見下ろして、ノルンはちょっとしょぼくれる。男から見た自分の体形を意識するなど、かつては有り得なかったことだ。

「（いやいや別に、アティスの好みなんてどうでもいい。そうだどうでもいい筈だ）」

　慌てて打ち消した彼女は、引き換えに渡す薬の袋を地面に置いた。中身を検めるアティスの目は喜びに輝いている。

「おおー、いつもすまんね。しかし、今日は特に量が多いじゃないか。作りすぎた？」
「ん、まあ、そんなところだ。別に、お前を喜ばせたいとか、そんなんじゃあないからな。勘違いするなよ、ニンゲン」
「はいはい」

　植物と同化するかのごとく穏やかで静かな生活を長らく送ってきたノルンは、人間との感情あるやり取りにまだ慣れていない。こういう微笑ましい会話も、二人の間ではたまに見られるのだった。
　
　森での密会にも慣れ、エルフに見つからないよう茂みを移動する術も身に付けたアティスを見送り、ノルンは集落へ戻った。



　こっそり、何食わぬ風で集落へ帰った彼女は、しかし家に入ることはできなかった。
　境界線に立った彼女を、同胞のつがえた矢が出迎えたのだ。

「！！　……こ、これは……一体！」
「わかっているはずだ、ノルン」

　言って、前に出てきたのは集落の長。見た目には若々しいが、他の誰よりも年をとった集団のリーダーである。

「お前は、人間とかかわりを持ち……さらにはエルフの薬をも分け与えた。到底許せることではない」
「くっ……」

　言葉に詰まるノルンを見て、長はさらに言葉を継いだ。

「それに、お前からは微弱だが、魔物の気配がする……人間の男から、悪い影響を受けたか。われわれエルフを、あの下品なドワーフどものようにするわけにはいかんのだ。
　すぐに立ち去れ。今後この集落に寄りつくことは許さん……森から出ろとまでは言わん。エルフなら、一人ででも自然と共に生きることはできるだろう」

　嘗ての同胞が自分に向ける、異分子を見る目つきに耐えられず、ノルンは踵を返した。どこへともなく、行き場も無いままに。
　
　茫然自失の体で彷徨うノルンは、ふと自分が植生の密度が薄い、森の外へと歩みを進めていることに気付いた。
　同時に、自分の脚が向かう先を知って愕然とする。何度となく顔を突き合わせ、よく見知ったあのバイタリティあふれる商人、アティスの匂いを辿ってだ。
　長の言った通り、エルフであれば、森の中で一人安全に、心穏やかに生きていくことができる。
　それでも自分はあの力強い、頼れそうな男を求めて街へ出ようとしている。今まで何度も心に抱いては打ち消してきた、アティスへの好意が抑えられない。

「（馬鹿な。アイツのことなど、私は別になんとも……ただ、村から解放されて行き場がないから、こうして彷徨いているだけで……）」

　集落を追われたと言うのに、いまいち悲壮感も喪失感も覚えない自分を、ノルンは不審に思った。
　どころか、彼女の胸のうちには何か清々しい、風のような自由なものが感じられる。一体何が、独りになった今の自分にできるというのか。
　魂の底から、強く急かすような叫びが聞こえた。
　もうこれで、憚ることは何も無い。行きたいところに行けと。したいことをしろと。

「（したいことなど、行きたいところなど、私は）」

　何度打ち消しても、脳裏に一人の男の顔が浮かび上がって消えない。割とあけすけで、人間とエルフという種族の壁などやすやす乗り越えて、自分に外界のいろんな楽しいことや新しいことを教えてくれたあの男。

「（集落から解放されたからって、私は……　解放？　私は追い出されたことを、嬉しく思っているのか？）」
　
言葉として認識してしまうと、もう否定することはできない。「これで、したいことができる」と叫ぶ内なる自分は疑い無くノルンのうちにある。

「そんな、人間とエルフなのに……おかしいよ、一緒にいたいなんて」

　口に出して言ったのは、意識的にやったことでもない。まるで否定されるのを待っているかのような弱々しい声は、彼女の自信を喪失させる。
　なぜ人間とエルフが付き合ってはいけないのか、何故かつての同胞が人間を下に見ていたのか。それすらもノルンはわからなくなってきていた。
そんな風に自問自答しながら早足で森の外に向かっていたものだから、いつの間にか木々は疎らになり、民家が見え始めた。今まで一度も来たことのない、市街地に着いたのだ。
自然に対抗するための、人工物の集合体も、今となっては厭えない。人間たちの濃密な匂いから嗅ぎなれたアティスの体臭を見つけると、彼女の思考は飛んだ。

「（ああアティス。もとはといえば、お前が私にあんなイイものをくれるからいけないんだ。私に、いっぱい優しくしてくれたからこうなっちゃったんだ。責任を取れ。責任とって、私に……）」

　その先は、例え心のなかででも言葉に出来ない。それだけの羞恥心が、彼女の中にはどうにか残っていたが。
　心でいかに抗おうと、体はどんどん熱くなっていく。彼にとってもらう「責任」の内容をかすかに想像してしまったそれだけで、ノルンの股から尿とは全く異なる、熱くてヌルヌルした液体が漏れ出てきた。

「！　こ、これ……何……」

　どんどんエルフから遠ざかる自分の肉体を恐れながらも、彼女はその熱い液体を汚らわしくは思えない。家と家の陰に隠れ、そっと手を股へ伸ばしてみると、甘い電流が四肢に走った。

「んっ……！」

　林のごとく静かな生を送り続けてきたエルフの女性器は、生まれて初めての性的興奮に戸惑いながらも大量の愛液を分泌した。僅かな毛に覆われた処女のクレバスは、その空隙に悶え、虚ろを満たしてくれる相手を求めてやまない。
　自分でも意識しないままに、ノルンは膣に手をやり敏感な裂け目を弄り始めていた。
　恐る恐る、刺激を求めて狂う肉筒に手を添え、ひくひく蠢く膣口に指を差し入れる。細いノルンの人差し指は淫らなエロフのマンコを満足させるには至らないが、それでも刺激には違いない。じゅぷっ、という水音と共に挿入された指先は、強い快楽をもたらした。

「んふうぅっ！！　……なんだ、これ、すごい……」

　一度始めてしまったら、もう止められない。壁に凭れかかり、ずるずると倒れこむように前進しながら、ノルンはひたすら股間を慰め続ける。
　歩いたあとに愛液の雫が残るくらい激しく自慰しながら、彼女は一層激しくアティスの匂いを求めていた。いくらエルフが人間よりも優れていると言っても、特定に人物を嗅ぎ分け探知できるほどの嗅覚はない筈だが、そのことに疑いも持たずノルンは歩み続ける。一歩足を進め、一度膣の中で中指を動かすごとに自分が森から離れていくのを感じないまま、エルフはただ求め続けた。

「……はぁ、はぁ……足りない、これじゃ、足りない……もっと熱くて、硬いの……」

　いくら自分で自分を慰めてみても、確かに存在するはずの頂点、開放感は訪れない。おぼろげな思考の中、彼女は男性的で荒々しいものが必要なのだと感じていた。

「ああ、アティス、アティスならきっと……きっと私を」

　絶頂に至る直前のまま宙ぶらりんにされた苦痛のさなか、ノルンはひたすら愛する男の名を呼ぶ。魔物の力が、その身体を彼のもとへ連れていってくれることを願いながら。
敏感な嗅覚で狼のように恋しい男を探り、辛うじて人目を避けながらも、求めるのはただ一人。
　ひと際強い匂いのする家の前で、やっとたどり着いた、と確信した瞬間、ノルンは意識を失った。