妖狐芝居
此度も一席お付き合いの程をお願い申しあげます。
芝居と申しますと、ジパングでは歌舞伎のことでございますが、最近では亡霊、まあファントムでございますな。彼女らのやるオペラなる物も流行っております。これがまた面白い。なにせ、役者が歌いだしたかと思えば、舞台その物ががらっと変わる。
海の東西を問わず、芝居というのは良い娯楽でございます。きっとそれは、昔も今もこれからも、変わらんのかもしれませんな。
「なあ、親爺」
「へぇ」
「こっから次ぎの宿までは、なんぼ程の道のりがあるんかいな?」
「へぇ、さようですなぁ、まあ山越しの三里半程でっしゃろか。見たところ、お客さんは商人ですかいな?」
茶屋の親爺の視線の先には大きな葛籠。そこへ何やら雑多な物がぎっしりと詰まっております。
「せや」
「大きな荷ぃを持ってるのを見るに、足に自信があるんでっしゃろ?それなら日暮れまでにはお着きになるかと」
「さよか。そんなら、早いとこ出ないかんわな。親爺、茶代や。釣りを間違ぉたらいかんで。・・・あの山を越えるんやな?」
「さようで。妖狐山と言いまして、こっから見る分には大したことないようですが、あれでなかなかしんどい峠で荷下ろし峠なんて呼ばれとるんでさ」
「荷下ろし峠かいな」
「へぇ、馬の背中に荷ぃを積んだまま峠を越えよぉとしますと、どぉしても馬が途中で止まってしまう。いっぺん荷を下ろさんならん。また、あの峠の天辺あたりには化かしと芝居が得意の妖狐たちが住んでおまして、芝居を見ている内に荷ぃを下ろして見入ってしまう。それで荷下ろし峠」
「難儀な話やな、親爺。・・・ところで、その妖狐たちはそんなに芝居が上手いんか?商いで方々を廻っているさかい、芝居にはちぃとうるさいで」
そうして商人の男と茶屋の親爺が芝居について語っていると、茶屋の親爺、何かを思い出したんか店の奥へ引っ込んで、提灯を持って帰ってきおりました。
「途中で日が暮れたら難儀やさかいな、この提灯、持って行きなはれ」
「そぉか、えらいすまんな。ほな、さいなら」
茶屋に別れを告げまして、一本道をトコトコやってまいります。峠を登りまして、ぼちぼち下りにかかるかいなぁという頃になりますと、すっかり日は暮れてしまいました。借りた提灯に火を入れまして、山道をひとりトボトボ・・・
「えらいことしてもうた。茶屋で長いこと喋ってたんがいかなんだんや。秋の日はつるべ落としやちゃうけど、ほんまいっぺんに暮れてもうた。道、合ぉてんねんやろなぁ?心細いなぁ、大丈夫かいな・・・」
そうこうしている内に、いくらか道は悪くなってまいります。
「あぁ嫌やで、こう暗いうえに足場が悪いと大百足もけっ躓くんやないかねぇ・・・ま、それはありゃせんわな。それにしても綺麗ぇな月やなぁ。お月さん、山の上やさかい大き見えんのかいなぁ・・・あ痛っ」
夜の山道をよそ見しながら歩くと転ぶ。まあ、道理ですな。そんな訳で提灯を消してしまった商人の男が何をすんねんと悪態を吐きますと、どこからともなくシャギリが聞こえてまいります。
シャギリと申しますのは、寄席にも使いますがこの、芝居の幕間に使う鳴りもんのことでございます。
「何や?シャギリか・・・?こんな山の中、どっから聞こえんねん?」
音を頼りにやってまいりますといぅと、妖狐山の名の元になりましたか妖狐の小さな祠がございまして、その向こぉに小ぢんまりとはしてますが、立派な芝居小屋。
「へぇ〜、こんな山ん中に芝居小屋があんのかいな?どんな連中がやってんねやろなぁ」
「挨拶がてら覗いてみたろ」楽屋口の方から入ってまいりますといぅと、すぐにこの揚幕のところへ出ます。客席の一番後ろですな。これから花道へ出て行こぉといぅ役者が控えております鳥屋といぅところ。
揚幕の切れ目から舞台の方が見えるよぉになっております。覗いて見ますといぅと、仮名手本忠臣蔵・四段目、判官さん切腹の場ぁが始まっとります。
上手にこの上使が二人、幕府の使者ですな。石堂右馬之丞、薬師寺次郎左衛門といぅ二人が並んどります。真ん中の襖がス〜っと開きまして、それへ出てまいりますのが塩冶判官高定。
「これはこれは、ご上使とあって石堂殿、薬師寺殿、お役目ご苦労にござります。ま、何はなくともご酒一献」
「何、ご酒?それは良かろぉ。この薬師寺お相なつかまつる。が、今日の上使の趣聞かれなば、酒も喉へは通りますまい。ダハハハハァ〜」
「上意・・・、ひとつ、この度、伯州の城主塩谷判官高定儀、場所柄日柄をわきまえず、わたくしの宿怨をもって高武蔵守に刃傷に及びし段、咎軽からず。国群没収の上、切腹仰せつくるものなり・・・」
「ご上使の趣、謹んで承る上からは、何はなくともご酒一献」
「これさこれさ、判官殿。またしてもご酒ごしゅと、自体この度の咎、縛り首にも及ぶべきところを、我が君のありがた〜いお情けで切腹仰せつけらるるうえからは、早々用意があってしかるべきはず。見れば当世流の長羽織りゾベラゾベラとし召さるるは、判官殿には血迷いめされたか。ただし狂気ばし召されたか」
「身、不肖なれど判官高定、血迷いもせぬ、狂気もつかまつらん。今日上使と聞くよりも、かくあらんことかねての覚悟。ご両所、ご覧くだされ」
「あぁ〜・・・、えぇ判官やがな、なかなかよぉやるで・・・、しかし、見たことない連中やっちゃなぁ?けどまた、夜やちゅうのに蝋燭ぎょ〜さん点けて、贅沢なこっちゃで。こない明るぅ・・・?」
商人の男が蝋燭と思っていたもの、それは狐火でありました。狐火言ぃますが、お客さんの中にいる方々と違いますよ?所詮、火の玉みたいなあれですな。もし、お客さんの中におります狐火がぎょうさん居りましたら、山一帯は芝居だ何だと言ってられん乱痴気騒ぎでしょうな。
「おいおい、桟敷も平場も尻尾が三、四本の妖狐でいっぱいやがな。これ、茶屋の親爺がいぅとった妖狐の芝居やがな。確かに化かしと芝居は上手いけれども、えらいとこ来てしもたで。ばれたら難儀やし、早よぅ次ぎの宿行かな・・・、けど、今から一番えぇとこやなぁおい。急がななぁ〜、見たいなぁ〜、急がななぁ〜」
さぁ、急いでいますが好きな芝居でございます。離れることができん。舞台の方は進みまして、判官さんがこの切腹座に直ります。白の裃、前に三方、その上に九寸五分、腹切り刀ですな。
これから大星力弥に「由良之助はまだ来ぬか?」と問いただす、一番えぇところでございます。
「力弥、力弥」
「ははぁ〜」
「由良之助は?」
「いまだ、参上、仕りませぬ」
「存生に対面せで、無念なと伝え」
「ははぁ〜」
左手に九寸五分を持って、右手に三方をおし戴いて後ろへ回し、尻の下にぐっと敷きます。
「ご検視、お見届けくだされ・・・、ウッ!」
「あぁ〜、ますますえぇ判官やがな・・・、あれ?ちょっと待ちや、九寸五分腹へ入ったで。由良之助、出てけぇへんがな。大星どないなってんねん?ここでバタバタ〜ッと出て来て判官さんと対面せないかんがな」
出てくるはずの役者が居ないことに、商人の男、覗き見ていることも忘れて慌ててしまいます。
「何で出て・・・、おいおいおい、ここ鳥屋やで。こっから出て行かなあかんねや、トチっとんのか、おい。こんなえぇ芝居が駄目んなるで、何をすんねんな」
判官さんの方も、九寸五分腹へ突き立てたまま、由良之助が出て来ぇへんもんですから、このまま芝居を進めるわけにいかん。どぉしたもんやろと、正味、脂汗かきだした。
客席の方でも「大星どないなってん?由良之助出て来ぇへんよ、どないなってん?こないな型あんのん?どないなっとるん?」ワ〜〜ッと騒ぎだした。
商人の男、自分の葛籠を見直してみますといぅと、そこには大小の一揃えと侍の道中着。裃こそ間に合いませんが、今この、大星が到着したところと見えんことはなかろぉ。そぉ腹積もりができますといぅと、好きで好きで堪らぬ芝居、辛抱がたまらん。
「え〜いッ、ままよ」
ばっと道中着に着替えて腰に大小を差し、自分で揚幕をチャリ〜〜ンと揚げますと、花道をバタバタバタ〜、七三のところで「へッ、へぇ〜ッ」
「おぉ、聞き及ぶ国家老大星由良之助とはその方か。苦しゅ〜ない、近こぉ、近こぉ」
「はは〜ッ・・・、ツ、ツツ、ツツツ・・・、御前〜ッ」
「ゆ、由良之助か」
「へぇ〜ッ」
「待ちかねたわやぁ・・・」
「えぇ男でんなぁ・・・、じらすだけじらしといて、花道バタバタッと出て来たとこ、勢いがおますわ」
「またあの判官さんはお菊狐でっしゃろ?あの兄さんが気に入ったんか「待ちかねた」ちゅうひと言、変化が解けて素が出とりわすわなぁ。えぇ男に会ぅた訳やし褒めたらなあきまへん褒めたらな、王子屋ぁ〜ッ」
「いや、あの兄さん人間と違いますよ」
「そんなことおまへんやろ?どう見ても人間の男やんなぁ」
「いや、人間の男にしては、ちょっと臭いが違うと言ぃますかなぁ・・・」
「あれ?たしかに、何やおかしな臭いや」
「あッ、こら我々の仲間の臭い。ひょっとしたら他所の妖狐が化けて紛れ込んでんのかい?」
「なんやしらけてしもた・・・早ぅ帰ろ」
あれだけ騒いでいた妖狐たちも、商人の男が化けた姿と分かるやぞろぞろと芝居小屋を去って行ってしまいます。すると芝居小屋が消えてしまいまして、後に残ったのは草原、潰れかけたお神楽堂、虫の声、それと綺麗なお月さん。
「み台様に申し上げます、我々家中の・・・、誰も居れへんがな。・・・まぁ、ここらが潮時やろ」
そして、ひょいと葛籠を背負った商人の男
「妖狐ぉ〜、聞いてるか?まだまだ化かしの修業が足らんでな、もっと精進せなあかんで。しっかし、気持ち良いくらいに化かされてくれたなぁ。お礼に酒の一つでも置いてくわ」
「ほな、さいなら」
言うたかと思いますと、ポ〜ンと一つとんぼを返りますと、商人の男の姿もス〜ッと消えて、草むらをトコトコトコ〜ッと走って行ったのが、刑部狸。
お後がよろしいようで。
芝居と申しますと、ジパングでは歌舞伎のことでございますが、最近では亡霊、まあファントムでございますな。彼女らのやるオペラなる物も流行っております。これがまた面白い。なにせ、役者が歌いだしたかと思えば、舞台その物ががらっと変わる。
海の東西を問わず、芝居というのは良い娯楽でございます。きっとそれは、昔も今もこれからも、変わらんのかもしれませんな。
「なあ、親爺」
「へぇ」
「こっから次ぎの宿までは、なんぼ程の道のりがあるんかいな?」
「へぇ、さようですなぁ、まあ山越しの三里半程でっしゃろか。見たところ、お客さんは商人ですかいな?」
茶屋の親爺の視線の先には大きな葛籠。そこへ何やら雑多な物がぎっしりと詰まっております。
「せや」
「大きな荷ぃを持ってるのを見るに、足に自信があるんでっしゃろ?それなら日暮れまでにはお着きになるかと」
「さよか。そんなら、早いとこ出ないかんわな。親爺、茶代や。釣りを間違ぉたらいかんで。・・・あの山を越えるんやな?」
「さようで。妖狐山と言いまして、こっから見る分には大したことないようですが、あれでなかなかしんどい峠で荷下ろし峠なんて呼ばれとるんでさ」
「荷下ろし峠かいな」
「へぇ、馬の背中に荷ぃを積んだまま峠を越えよぉとしますと、どぉしても馬が途中で止まってしまう。いっぺん荷を下ろさんならん。また、あの峠の天辺あたりには化かしと芝居が得意の妖狐たちが住んでおまして、芝居を見ている内に荷ぃを下ろして見入ってしまう。それで荷下ろし峠」
「難儀な話やな、親爺。・・・ところで、その妖狐たちはそんなに芝居が上手いんか?商いで方々を廻っているさかい、芝居にはちぃとうるさいで」
そうして商人の男と茶屋の親爺が芝居について語っていると、茶屋の親爺、何かを思い出したんか店の奥へ引っ込んで、提灯を持って帰ってきおりました。
「途中で日が暮れたら難儀やさかいな、この提灯、持って行きなはれ」
「そぉか、えらいすまんな。ほな、さいなら」
茶屋に別れを告げまして、一本道をトコトコやってまいります。峠を登りまして、ぼちぼち下りにかかるかいなぁという頃になりますと、すっかり日は暮れてしまいました。借りた提灯に火を入れまして、山道をひとりトボトボ・・・
「えらいことしてもうた。茶屋で長いこと喋ってたんがいかなんだんや。秋の日はつるべ落としやちゃうけど、ほんまいっぺんに暮れてもうた。道、合ぉてんねんやろなぁ?心細いなぁ、大丈夫かいな・・・」
そうこうしている内に、いくらか道は悪くなってまいります。
「あぁ嫌やで、こう暗いうえに足場が悪いと大百足もけっ躓くんやないかねぇ・・・ま、それはありゃせんわな。それにしても綺麗ぇな月やなぁ。お月さん、山の上やさかい大き見えんのかいなぁ・・・あ痛っ」
夜の山道をよそ見しながら歩くと転ぶ。まあ、道理ですな。そんな訳で提灯を消してしまった商人の男が何をすんねんと悪態を吐きますと、どこからともなくシャギリが聞こえてまいります。
シャギリと申しますのは、寄席にも使いますがこの、芝居の幕間に使う鳴りもんのことでございます。
「何や?シャギリか・・・?こんな山の中、どっから聞こえんねん?」
音を頼りにやってまいりますといぅと、妖狐山の名の元になりましたか妖狐の小さな祠がございまして、その向こぉに小ぢんまりとはしてますが、立派な芝居小屋。
「へぇ〜、こんな山ん中に芝居小屋があんのかいな?どんな連中がやってんねやろなぁ」
「挨拶がてら覗いてみたろ」楽屋口の方から入ってまいりますといぅと、すぐにこの揚幕のところへ出ます。客席の一番後ろですな。これから花道へ出て行こぉといぅ役者が控えております鳥屋といぅところ。
揚幕の切れ目から舞台の方が見えるよぉになっております。覗いて見ますといぅと、仮名手本忠臣蔵・四段目、判官さん切腹の場ぁが始まっとります。
上手にこの上使が二人、幕府の使者ですな。石堂右馬之丞、薬師寺次郎左衛門といぅ二人が並んどります。真ん中の襖がス〜っと開きまして、それへ出てまいりますのが塩冶判官高定。
「これはこれは、ご上使とあって石堂殿、薬師寺殿、お役目ご苦労にござります。ま、何はなくともご酒一献」
「何、ご酒?それは良かろぉ。この薬師寺お相なつかまつる。が、今日の上使の趣聞かれなば、酒も喉へは通りますまい。ダハハハハァ〜」
「上意・・・、ひとつ、この度、伯州の城主塩谷判官高定儀、場所柄日柄をわきまえず、わたくしの宿怨をもって高武蔵守に刃傷に及びし段、咎軽からず。国群没収の上、切腹仰せつくるものなり・・・」
「ご上使の趣、謹んで承る上からは、何はなくともご酒一献」
「これさこれさ、判官殿。またしてもご酒ごしゅと、自体この度の咎、縛り首にも及ぶべきところを、我が君のありがた〜いお情けで切腹仰せつけらるるうえからは、早々用意があってしかるべきはず。見れば当世流の長羽織りゾベラゾベラとし召さるるは、判官殿には血迷いめされたか。ただし狂気ばし召されたか」
「身、不肖なれど判官高定、血迷いもせぬ、狂気もつかまつらん。今日上使と聞くよりも、かくあらんことかねての覚悟。ご両所、ご覧くだされ」
「あぁ〜・・・、えぇ判官やがな、なかなかよぉやるで・・・、しかし、見たことない連中やっちゃなぁ?けどまた、夜やちゅうのに蝋燭ぎょ〜さん点けて、贅沢なこっちゃで。こない明るぅ・・・?」
商人の男が蝋燭と思っていたもの、それは狐火でありました。狐火言ぃますが、お客さんの中にいる方々と違いますよ?所詮、火の玉みたいなあれですな。もし、お客さんの中におります狐火がぎょうさん居りましたら、山一帯は芝居だ何だと言ってられん乱痴気騒ぎでしょうな。
「おいおい、桟敷も平場も尻尾が三、四本の妖狐でいっぱいやがな。これ、茶屋の親爺がいぅとった妖狐の芝居やがな。確かに化かしと芝居は上手いけれども、えらいとこ来てしもたで。ばれたら難儀やし、早よぅ次ぎの宿行かな・・・、けど、今から一番えぇとこやなぁおい。急がななぁ〜、見たいなぁ〜、急がななぁ〜」
さぁ、急いでいますが好きな芝居でございます。離れることができん。舞台の方は進みまして、判官さんがこの切腹座に直ります。白の裃、前に三方、その上に九寸五分、腹切り刀ですな。
これから大星力弥に「由良之助はまだ来ぬか?」と問いただす、一番えぇところでございます。
「力弥、力弥」
「ははぁ〜」
「由良之助は?」
「いまだ、参上、仕りませぬ」
「存生に対面せで、無念なと伝え」
「ははぁ〜」
左手に九寸五分を持って、右手に三方をおし戴いて後ろへ回し、尻の下にぐっと敷きます。
「ご検視、お見届けくだされ・・・、ウッ!」
「あぁ〜、ますますえぇ判官やがな・・・、あれ?ちょっと待ちや、九寸五分腹へ入ったで。由良之助、出てけぇへんがな。大星どないなってんねん?ここでバタバタ〜ッと出て来て判官さんと対面せないかんがな」
出てくるはずの役者が居ないことに、商人の男、覗き見ていることも忘れて慌ててしまいます。
「何で出て・・・、おいおいおい、ここ鳥屋やで。こっから出て行かなあかんねや、トチっとんのか、おい。こんなえぇ芝居が駄目んなるで、何をすんねんな」
判官さんの方も、九寸五分腹へ突き立てたまま、由良之助が出て来ぇへんもんですから、このまま芝居を進めるわけにいかん。どぉしたもんやろと、正味、脂汗かきだした。
客席の方でも「大星どないなってん?由良之助出て来ぇへんよ、どないなってん?こないな型あんのん?どないなっとるん?」ワ〜〜ッと騒ぎだした。
商人の男、自分の葛籠を見直してみますといぅと、そこには大小の一揃えと侍の道中着。裃こそ間に合いませんが、今この、大星が到着したところと見えんことはなかろぉ。そぉ腹積もりができますといぅと、好きで好きで堪らぬ芝居、辛抱がたまらん。
「え〜いッ、ままよ」
ばっと道中着に着替えて腰に大小を差し、自分で揚幕をチャリ〜〜ンと揚げますと、花道をバタバタバタ〜、七三のところで「へッ、へぇ〜ッ」
「おぉ、聞き及ぶ国家老大星由良之助とはその方か。苦しゅ〜ない、近こぉ、近こぉ」
「はは〜ッ・・・、ツ、ツツ、ツツツ・・・、御前〜ッ」
「ゆ、由良之助か」
「へぇ〜ッ」
「待ちかねたわやぁ・・・」
「えぇ男でんなぁ・・・、じらすだけじらしといて、花道バタバタッと出て来たとこ、勢いがおますわ」
「またあの判官さんはお菊狐でっしゃろ?あの兄さんが気に入ったんか「待ちかねた」ちゅうひと言、変化が解けて素が出とりわすわなぁ。えぇ男に会ぅた訳やし褒めたらなあきまへん褒めたらな、王子屋ぁ〜ッ」
「いや、あの兄さん人間と違いますよ」
「そんなことおまへんやろ?どう見ても人間の男やんなぁ」
「いや、人間の男にしては、ちょっと臭いが違うと言ぃますかなぁ・・・」
「あれ?たしかに、何やおかしな臭いや」
「あッ、こら我々の仲間の臭い。ひょっとしたら他所の妖狐が化けて紛れ込んでんのかい?」
「なんやしらけてしもた・・・早ぅ帰ろ」
あれだけ騒いでいた妖狐たちも、商人の男が化けた姿と分かるやぞろぞろと芝居小屋を去って行ってしまいます。すると芝居小屋が消えてしまいまして、後に残ったのは草原、潰れかけたお神楽堂、虫の声、それと綺麗なお月さん。
「み台様に申し上げます、我々家中の・・・、誰も居れへんがな。・・・まぁ、ここらが潮時やろ」
そして、ひょいと葛籠を背負った商人の男
「妖狐ぉ〜、聞いてるか?まだまだ化かしの修業が足らんでな、もっと精進せなあかんで。しっかし、気持ち良いくらいに化かされてくれたなぁ。お礼に酒の一つでも置いてくわ」
「ほな、さいなら」
言うたかと思いますと、ポ〜ンと一つとんぼを返りますと、商人の男の姿もス〜ッと消えて、草むらをトコトコトコ〜ッと走って行ったのが、刑部狸。
お後がよろしいようで。
17/05/01 00:18更新 / PLUTO
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