Ignis fatuus
冬の泉の真ん中へ、舟を漕ぎ出す男が一人。
瞳は俯き、表情は暗い。
そんな男の傍らに、青い炎が近付いた。
炎の正体、男は見たり。
孤独な幽霊、ウィル・オ・ウィスプ。
彼女は男にこう言った。
「貴方は今から死ぬつもり?」
男は一つ頷くと、オールを動かす手を止めた。
「空気も泉も冷えてるわ。浸かれば死ぬわ、確実に。今日はとっても良い日和。死ぬにはとっても良い日和」
男は泉に手を入れた。
泉の水は冷たくて、男の気持ちは萎縮した。
「それだと言うのにあの二人」
忌々し気な視線の先に、少年少女の二人組。
少女は固く抱き付いて、少年優しく頭を撫でる。
「全くなんて妬ましいのかしら。素敵な日和が台無しよ」
男はほっと溜息吐くと、ウィル・オ・ウィスプにこう言った。
それなら今日は死ぬには惜しい、日を改めて死ぬ事にしよう。
ウィル・オ・ウィスプはこう言った。
「あらそう残念」
ゆらりと揺れたウィル・オ・ウィスプ、ゆらゆら揺れて何処かへ消えた。
昼の街の大通り、ぼおっと佇む男が一人。
道行く人を眺めつつ、男はただただ立っていた。
そんな男の傍らに、青い炎がまとわり着く。
炎の正体、男は見たり。
陰気な幽霊、ウィル・オ・ウィスプ。
彼女は男にこう言った。
「貴方は今も死ぬつもり?」
男は一つ頷くと、通りへのんびり歩き出した。
「大きな荷馬車が行ったり来たり。頭と身体か胴と脚。どっちにしたってさよならね」
男は通りに目をやった。
轢かれたネズミの死骸が一つ、男の気持ちもぺしゃりと潰れた。
「それだと言うのにあの二人」
忌々し気な視線の先に、仲睦まじい老夫婦。
夫が妻をエスコート、ゆったり通りを横切って行く。
「全くなんて妬ましいのかしら。荷馬車が皆停まってしまうわ」
男はほっと溜息吐くと、ウィル・オ・ウィスプにこう言った。
通りを過ぎるまで時間がかかる、日を改めて死ぬ事にしよう。
ウィル・オ・ウィスプはこう言った。
「あらそう残念」
風に吹かれたウィル・オ・ウィスプ、風と一緒に何処かへ消えた。
夜の街の大通り、フラフラ歩く男が一人。
顔は真っ赤で片手に酒瓶、男は酷く酔っていた。
そんな男の傍らを、青い炎がつきまとう。
炎の正体、男は見たり。
嫉妬の炎、ウィル・オ・ウィスプ。
彼女は男にこう言った。
「貴方は今も死ぬつもり?」
男は一つ頷くと、手に持つ瓶を大きくあおった。
「一緒に飲むと気持ちが良いわ。ふわふわゆらゆら夢心地。その後来るのは寒気と震え、息も出来ずに貴方は死ぬわ」
男は片手をじっと見た。
その手はカタカタ小さく震え、男の気持ちは大きく揺れた。
「それだと言うのにあの二人」
忌々し気な視線の先に、男と女の二人組。
二人仲良く手を握り、通りを笑顔で歩いて行く。
「全くなんて妬ましいのかしら。美味しいお酒が不味くなるわ」
男はほっと溜息吐くと、ウィル・オ・ウィスプにこう言った。
最期の酒は美味い物に限る、日を改めて死ぬ事にしよう。
ウィル・オ・ウィスプはこう言った。
「あらそう残念」
ぼっと燃え上がったウィル・オ・ウィスプ、跡形も無く何処かへ消えた。
一人暮らしの寂しい家で、夕食作る男が一人。
一人で食べるつまらぬ夕食、男は一粒涙した。
そんな男の傍らに、青い炎がそっと寄り添う。
炎の正体、男は見たり。
寂しがりやのウィル・オ・ウィスプ。
彼女は男にこう言った。
「貴方は今も死ぬつもり?」
男は一つ頷くと、ナイフしっかり握り直した。
「よーく研がれた素敵なナイフ。喉か手首を掻き切れば、吹き出る血潮と激しい痛み。苦しいけれど、死ねるわよ」
男は指をチクリと突いた。
滲む血潮に鋭い痛み、男は死ぬのが怖くなった。
「それだと言うのにあの二人」
忌々し気な視線の先に、新婚夫婦の明るい食卓。
愛の籠った手料理に、微笑む夫、誇らしげな妻。
「全くなんて妬ましいのかしら。ほんとにほんとに妬ましい」
くるりと向き直ったウィル・オ・ウィスプ、男に向かってこう言った。
「ところで貴方は独り身かしら?」
男は一つ頷くと、ウィル・オ・ウィスプにこう言った。
親も無ければ友も無い、もちろん妻もいやしない、俺は天涯孤独の身。
「私と貴方は似た者同士ね。ますます貴方が好きになったわ」
ニッコリ笑ったウィル・オ・ウィスプ、男を檻に閉じ込めた。
「人の貴方はいつか死ぬ。死んでも逃がしはしないけど、夫が死ぬのは耐えられないわ」
男を捕らえたウィル・オ・ウィスプ、秘めたる思いをポツポツ語る。
「夫になる前の貴方が死ぬのを待ってたの。だって、二度は死ねないでしょ?そうしたら、私と貴方の魂は永遠に一緒よ」
檻を狭めたウィル・オ・ウィスプ、男にぴたりとくっついた。
「貴方が死ぬのは嫌だけど、待つのはすっかり諦めるわ。だって貴方、死ぬつもりなんて無いじゃない?」
男はびくりと震えてしまう。
「これから二人はずーっと一緒よ。してほしい事、たくさんあるの。頭を優しく撫でてほしいわ。あの男の子よりもっと優しく。エスコートもしてほしいわ。あのお爺さんよりずっと紳士に。二人仲良く手を握るの。あの二人よりしっかりと。決して二人が離れない様に」
ウィル・オ・ウィスプはそう言うと、男の両手に指を絡めた。
「今はまだまだ苦手だけれど、お料理だって頑張るわ。気持ち良い事もしてあげる。たくさん、たくさん、してあげる。だって私達こそ、最も淫らで最も愛に満ちた夫婦なんだから」
「死んでも一緒よ、愛しているわ」
瞳は俯き、表情は暗い。
そんな男の傍らに、青い炎が近付いた。
炎の正体、男は見たり。
孤独な幽霊、ウィル・オ・ウィスプ。
彼女は男にこう言った。
「貴方は今から死ぬつもり?」
男は一つ頷くと、オールを動かす手を止めた。
「空気も泉も冷えてるわ。浸かれば死ぬわ、確実に。今日はとっても良い日和。死ぬにはとっても良い日和」
男は泉に手を入れた。
泉の水は冷たくて、男の気持ちは萎縮した。
「それだと言うのにあの二人」
忌々し気な視線の先に、少年少女の二人組。
少女は固く抱き付いて、少年優しく頭を撫でる。
「全くなんて妬ましいのかしら。素敵な日和が台無しよ」
男はほっと溜息吐くと、ウィル・オ・ウィスプにこう言った。
それなら今日は死ぬには惜しい、日を改めて死ぬ事にしよう。
ウィル・オ・ウィスプはこう言った。
「あらそう残念」
ゆらりと揺れたウィル・オ・ウィスプ、ゆらゆら揺れて何処かへ消えた。
昼の街の大通り、ぼおっと佇む男が一人。
道行く人を眺めつつ、男はただただ立っていた。
そんな男の傍らに、青い炎がまとわり着く。
炎の正体、男は見たり。
陰気な幽霊、ウィル・オ・ウィスプ。
彼女は男にこう言った。
「貴方は今も死ぬつもり?」
男は一つ頷くと、通りへのんびり歩き出した。
「大きな荷馬車が行ったり来たり。頭と身体か胴と脚。どっちにしたってさよならね」
男は通りに目をやった。
轢かれたネズミの死骸が一つ、男の気持ちもぺしゃりと潰れた。
「それだと言うのにあの二人」
忌々し気な視線の先に、仲睦まじい老夫婦。
夫が妻をエスコート、ゆったり通りを横切って行く。
「全くなんて妬ましいのかしら。荷馬車が皆停まってしまうわ」
男はほっと溜息吐くと、ウィル・オ・ウィスプにこう言った。
通りを過ぎるまで時間がかかる、日を改めて死ぬ事にしよう。
ウィル・オ・ウィスプはこう言った。
「あらそう残念」
風に吹かれたウィル・オ・ウィスプ、風と一緒に何処かへ消えた。
夜の街の大通り、フラフラ歩く男が一人。
顔は真っ赤で片手に酒瓶、男は酷く酔っていた。
そんな男の傍らを、青い炎がつきまとう。
炎の正体、男は見たり。
嫉妬の炎、ウィル・オ・ウィスプ。
彼女は男にこう言った。
「貴方は今も死ぬつもり?」
男は一つ頷くと、手に持つ瓶を大きくあおった。
「一緒に飲むと気持ちが良いわ。ふわふわゆらゆら夢心地。その後来るのは寒気と震え、息も出来ずに貴方は死ぬわ」
男は片手をじっと見た。
その手はカタカタ小さく震え、男の気持ちは大きく揺れた。
「それだと言うのにあの二人」
忌々し気な視線の先に、男と女の二人組。
二人仲良く手を握り、通りを笑顔で歩いて行く。
「全くなんて妬ましいのかしら。美味しいお酒が不味くなるわ」
男はほっと溜息吐くと、ウィル・オ・ウィスプにこう言った。
最期の酒は美味い物に限る、日を改めて死ぬ事にしよう。
ウィル・オ・ウィスプはこう言った。
「あらそう残念」
ぼっと燃え上がったウィル・オ・ウィスプ、跡形も無く何処かへ消えた。
一人暮らしの寂しい家で、夕食作る男が一人。
一人で食べるつまらぬ夕食、男は一粒涙した。
そんな男の傍らに、青い炎がそっと寄り添う。
炎の正体、男は見たり。
寂しがりやのウィル・オ・ウィスプ。
彼女は男にこう言った。
「貴方は今も死ぬつもり?」
男は一つ頷くと、ナイフしっかり握り直した。
「よーく研がれた素敵なナイフ。喉か手首を掻き切れば、吹き出る血潮と激しい痛み。苦しいけれど、死ねるわよ」
男は指をチクリと突いた。
滲む血潮に鋭い痛み、男は死ぬのが怖くなった。
「それだと言うのにあの二人」
忌々し気な視線の先に、新婚夫婦の明るい食卓。
愛の籠った手料理に、微笑む夫、誇らしげな妻。
「全くなんて妬ましいのかしら。ほんとにほんとに妬ましい」
くるりと向き直ったウィル・オ・ウィスプ、男に向かってこう言った。
「ところで貴方は独り身かしら?」
男は一つ頷くと、ウィル・オ・ウィスプにこう言った。
親も無ければ友も無い、もちろん妻もいやしない、俺は天涯孤独の身。
「私と貴方は似た者同士ね。ますます貴方が好きになったわ」
ニッコリ笑ったウィル・オ・ウィスプ、男を檻に閉じ込めた。
「人の貴方はいつか死ぬ。死んでも逃がしはしないけど、夫が死ぬのは耐えられないわ」
男を捕らえたウィル・オ・ウィスプ、秘めたる思いをポツポツ語る。
「夫になる前の貴方が死ぬのを待ってたの。だって、二度は死ねないでしょ?そうしたら、私と貴方の魂は永遠に一緒よ」
檻を狭めたウィル・オ・ウィスプ、男にぴたりとくっついた。
「貴方が死ぬのは嫌だけど、待つのはすっかり諦めるわ。だって貴方、死ぬつもりなんて無いじゃない?」
男はびくりと震えてしまう。
「これから二人はずーっと一緒よ。してほしい事、たくさんあるの。頭を優しく撫でてほしいわ。あの男の子よりもっと優しく。エスコートもしてほしいわ。あのお爺さんよりずっと紳士に。二人仲良く手を握るの。あの二人よりしっかりと。決して二人が離れない様に」
ウィル・オ・ウィスプはそう言うと、男の両手に指を絡めた。
「今はまだまだ苦手だけれど、お料理だって頑張るわ。気持ち良い事もしてあげる。たくさん、たくさん、してあげる。だって私達こそ、最も淫らで最も愛に満ちた夫婦なんだから」
「死んでも一緒よ、愛しているわ」
16/08/09 15:08更新 / PLUTO