魔女の家
トーマがこの世界を訪れてから、早くも1ヶ月に迫ろうとしていた。
この日一行は6つ目の町、ボナルフへと到着した。べネールからは距離にして約500キロ、東京から大阪までとほぼ同じくらいの距離である。
トーマとトレアは宿屋街の一角に佇んでいた。3軒程を回ったのだが空いている宿がなく、ミラとノルヴィだけで空いている所を探した方が早いということになったのだ。トーマとトレアは荷物番として、2人が戻ってくるのを待っているのである。
壁に凭れながら、トーマは町の様子を眺めていた。これまでの町とそれほど変わらず、レンガと木材の合わされた建物に丸石の敷きつめられた道と、中世を思わせる景観だ。向こうの世界と違って悲壮な顔を浮かべる者はおらず、賑やかである。
しかし唯一違いを感じられるところがあった。
「トレア、さっきから剣士とか戦士ばかり目につくんだけど、俺の気のせいか?」
確かにこれまでの町と比べて、そういう装いの者が多い。これまでの街でもいないわけではなかったが、30人に1人くらいの割合。それに比べてこのボナルフは10人に1人、むしろそれ以上に多い気もする。
「いや、当然だ。このボナルフは戦士の街だからな」
「戦士の街か、どうりで…」
「ああ、この東スプル連邦周辺の戦士たちにとっては憧れの場所だ」
東ルプス連邦。トーマたちが今いる合衆国の名前である。
ミラの解説によれば、魔物がまだ魔物娘の形をとる前からあった大国が親魔物派と反魔物派に分断されたことにより、元の大国の8つの領のうちの半分が各々独立し、一旦は小国家となった。
やがて反魔物派もとい教団からの侵攻に対抗するため、4国は再び合併し、4つの領からなる東ルプス連邦となったのである。
閑話休題。
トレアは町の北西の丘を指さした。街の半分が乗り上げるその丘の上には、巨大な建造物がその威風を晒している。
「コロシアムだ」
「コロシアム…じゃあ闘技や試合が催されるんだな」
「ああ。ほぼ毎日開かれていて、試合の内容は様々だ」
単純な決闘形式から勝利条件が特殊なもの、更には将来冒険者や戦士になりたいという子供のためアンダー15の試合まであるらしい。
「私も一度は参加してみたいものだな…」
「ん?滞在中に出てみればいいじゃないか?」
「…いや、やはり今はこの旅と、お前の問題に集中するよ。それに、怪我でもした時には滞在が伸びることになるしな」
「そうか…なんだか悪いな」
「気にするな、この先来る機会などいくらでもある」
ミラとノルヴィが戻ってきて、チェックインの出来た宿に荷物を置いた彼らは、まだ日が高いということもあり再び街へと繰り出した。既にルーティンとなった動きである。
ノルヴィは当然商売だ。彼もこの町のことは把握していたので、戦士が好みそうな商品を多く前の街で仕入れてきていた。主に武器防具、それに回復系の魔法薬である。
他の3人はまず魔導師の所へ赴いた。ギルドでついでに依頼を受託しつつ職員に魔導師の所在を訊く。
「フロートスさんのお宅でしたらこちらになりますね」
オークの受付嬢は町の地図を出して、その一角を指し示していた。
場所としては町の南東側、外れに近い所であった。
ギルドを出た彼らは街の中心部から40分程歩いて、フロートスという魔導師の自宅兼研究所に到着した。
「エヴァニッチの紹介なら無下にも出来んな。まぁ中へ」
鷲鼻の初老男性が3人を出迎えた。
奥で話を聞いたが、トーマの探している魔導師ではないことが分かった。
「お時間をお取りしました」
「なに、気にする事はない」
「あなたの他に、この町近辺で魔導師はおられますか?」
「いや、この街に魔導師は私だけ…だな。治癒士や流れの者はおるだろうが、時空間魔法を扱えるほどの者はおらんだろう」
「…そうですか」
その後少し話をし、トーマ達はフロートスの屋敷を辞した。
因みにその話というのは、魔力を暴走させる例の隕石片のことであった。エヴァニッチが知り合いの魔導師名義で出した回収の連絡が回っていたらしく、フロートスもつい先日魔力遮断の結界を施した容器に入れて送ったらしい。
斜陽の差す宿に戻る道で、ミラが2人に質問を投げかけた。
「ねぇ、さっきのフロートスさんの様子、気付いた?」
「…ああ。変な間があったな。彼以外の魔導師の所だろ?」
「そうだな。トレアとミラはどう思う?」
「そうね…思い出しているだけのような気もするし、思い出したからな気もするわね」
「だとして、話さなかったのは話す必要がなかったのか、話したくなかったのか…」
「俺としては前者の気がするよ。少なくとも何かを隠そうとしているふうには見えなかったな」
「…そうか」
宿にはいつも通りノルヴィが一足先に戻っていた。様子を見るに売れ行きは好調だったらしい。
聞いてみれば相当よく売れたらしく、本気か冗談か分からない自惚れたセリフも飛び出した。まぁこれもいつものことであるが。
彼もトーマ達の方の様子を訊ねた。また目的の人物ではなかったと答えると、あ、じゃあ…と話し始めた。
「魔女の噂は聞いた?」
「魔女の噂?いや…」
「そっか。まぁこれ、噂というか半分おとぎ話レベルなんだけどね、いい?」
「ああ、聞かせてくれ」
前魔王時代、魔物を多く討伐しその名を大国に轟かせた戦士がいた。そして彼が生まれ、看取られたのもこのボナルフであった。それ故に彼を慕うものや憧れる者が集まり、いつからか戦士の街として栄えて来たのである。
多くの旧時代の魔物を退け、他国からの侵攻を打ち破り、無敵の戦士集団とまで呼ばれるようになっていた彼ら。しかし、そんな彼らにも危機が訪れる。
ある時、ルプス山脈から想像を絶する大蛇が現れた。町は滅亡の危機に立たされ戦士たちは何とかしようと立ち向かったが、とても手を出せる相手ではなかった。
蛇が戦士たちを飲み込もうとした時、1人の魔女が現れた。彼女の魔法は蛇を凍てつかせ、頭を砕き、二度と町が狙われないよう壁を築いた。
魔女はその後町外れに家を作り篭った。それから長い年月の間、町は大蛇に脅かされることなく人は営みを繰り返している。
物語を聞き終わって、トーマはふむ…と声を漏らした。
「魔女か…これがもし本当なら、彼女はまだ存命だろうか?」
「そうね。いつの話かにもよるけれど、百年前後なら魔物は変わりないわね」
「しかし、この街には壁なんてものはないぞ?」
「いや、トレア。そのままのものとは限らないぞ」
「…どういう事だ?」
「こういう話は、だいたい比喩表現になっているもんなのさ」
「つまり、蛇も壁も何かを言い換えた言葉ってことかしら?」
「そういう可能性もあるってだけだけどな。まぁこっちの世界じゃ町を飲み込めるほどの蛇がいたっておかしくはなさそうだし」
「うふふ、そうね」
トーマが肩をすくめる仕草で言うと、ミラは笑って肯定した。
真偽は定かでないにしても、どうやら実際にそれらしき家があり、しかもその家には結界が張られていたらしい。そしてこの“〜いたらしい”という表現にトーマたちが引っかからないわけはなかった。
ノルヴィが町の人から話を聞いたところ、1年経たないくらい前までは確かに結界があり、家の敷地の中には入ることが出来なかった。だがいつからか結界が消え、そこに出入りする男の子が目撃されるようになったのだ。
当然気になって方方で彼に訊ねる者がいて、彼らに返される答えは同じであった。
最近引っ越してきた祖母と孫で、祖母は足腰が悪くなってしまい、孫である自分が身の回りの世話をしている、ということだ。
大変だと思った人が手伝いを申し出るが、祖母はそういう事に大変気を使ってしまう性格だから逆に気苦労になる、と言われやんわりと断られるのだとか。
「…話だけ聞くと、あからさまに裏がありそうなんだが…」
呆れを顔に貼り付けてトレアが呟くと、トーマたちも深く頷いた。
話し合いの末、裏があるとは思うが、もしも本当に魔女がいるのだとすれば可能性はあるとして、日を改めてそこを尋ねることになったのである。
翌日、昼前になってトーマたちはその魔女の家らしき所に到着していた。
腰ほどまでの石を積み重ねたの塀と木の柵で囲われた一軒家は、庭は荒れ草は伸び放題。家自体も壁はもちろん一部屋根にまで蔦が伸びており、いかにも雰囲気は悪い。
蔦の奥にある家の壁をよく見れば、そんなに前から建っていたとは思えないほど状態が良い。
補足的な話をすれば、この世界でトーマが見た建物は元世界で言うチューダー朝様式のような梁や柱がむき出しで間を漆喰やレンガで埋めているもの、ジェイコビアンやスチュアートと呼ばれるようなフラットでレンガがむき出しのものであった。
目の前の家はチューダー朝様式の二階建てなのだが、柱や漆喰の劣化具合が今街にあるものより遥かに少ないのである。
「それはきっと結界のせいね。きっと雨風も凌ぐ効果があったのよ」
「なるほど…」
「あと庭に生えてる草も家を覆う蔦も、魔法薬にも使われる魔性植物よ」
「それはまぁ、魔女がいてもおかしくないわけだな…」
「俺っち的には、お客の注文がここで終われそうなのがありがたいねぇ」
今回はノルヴィも一緒であった。
商品の薬草と相性のいい別種とセットなら5割増で買うという客がおり、その別種の薬草がこの辺りに自生していそうだと言うのが理由だ。
「んじゃ早速お邪魔させてもらおっか?」
「の前に、外から様子を探ろう。危険があるかもしれない。少し待っててくれ」
「わかった」
トーマは足元に気をつけながら敷地の中へと入った。そしてそのまま窓から中を覗きながら、反時計回りに家を1周して戻って来た。時間にして5分程である。
「埃がほとんどない。多分誰かは住んでいるんだろうが、ただ誰の姿も気配もないな」
「話だと、足腰の悪い老人がいるはずだったな」
「ええ。本当にいるのだとしたら訳あって外出している、ということになるけど」
「いや、見てみろ」
トーマは玄関まで続く、獣道のようになってしまった通路を指した。
「玄関までの道は舗装されていなくて土がむき出しだ。踏み固められていて足跡こそ分からないが、杖の後くらいは着いても良さそうだろ?」
「たしかに…足腰の悪いばぁさんが、杖も持たずに出るとは思えないよねぇ」
そして話し合った結果、彼らは家の中を探索してみることにした。
玄関まで進み、ドアノブに手をかけてみるとガチャと音を立ててノブは回った。
「確かに埃もないし、空気も悪くないな。しかし…」
「ええ。空間を満たしているこの魔力…」
トレアとミラの2人が感じている魔力。視覚で感じているわけでもないが、例えるならまるで家の中が濃い霧で満たされているように自分たちを覆っている。
「二人の反応を見るに、魔女がいるのは確定だな」
「そうね…家自体に何か細工があるみたいで外からは何もわからなかったの、ごめんなさい」
「所謂、隠蔽ってやつか。謝ることはないさ」
「んで?どうするよ?」
訊かれたトーマは家の中を見渡した。玄関を入って両脇に各1部屋、玄関から真っ直ぐ廊下を行き、奥に1部屋とその手前に階段がある。
「俺は奥を見てくる。ミラとノルヴィは右、トレアは左の部屋を頼む」
「二階は?」
「一階を探索したあとにしよう」
「わかった」
トレアの入った左の部屋は寝室であった。魔導式のランプに、少し広めのベッドが1つ、大きめのチェストに、クローゼット、サイドテーブル。この世界の何の変哲もない一般家庭のそれであった。
クローゼットの中には紳士物と婦人物、そして子供用と見られるコートが1着ずつ。
チェストには様式の古い服が数着入っており、どうやらこの家にいた子供は女の子だということがわかった。
そんなことを考えていると、廊下から叫び声とけたたましい音が聞こえた。
「ふごぉっ―!」
バーンッ―
慌てて廊下に飛び出たトレア。彼女に向けて強い口調が向けられた。
「お前も動くな!さもなきゃそこの男と同じ目に合わせるぞ!」
子供の声。
振り向いたトレアの先にいたのは、麻色のキャスケット帽とハーフパンツにワイシャツ姿の少年であった。
彼は左手にワンドを構え、青白く輝く光球を数個漂わせていた。
「…ミラ、何があった?」
同じく廊下に出ていたミラに状況を確認する。
「キッチンの方を見終わって廊下に出たところで、先にいたノルヴィにあの光球が直撃したのよ…」
後ろをちらりと見やれば、尻を天に向けて突っ伏しているなんともかっこ悪い格好のノルヴィがいた。
「人の家に勝手に上がっておいて被害者ヅラはやめてよね?」
「勝手に上がり込んだのは謝るが、いきなり攻撃してくるのはどうなんだ?」
「正当防衛の範疇だと思うけど?」
ふぅ、と息を吐いたトレアは剣から手を離し、言葉を続けた。
「一先ず、君の家に勝手に上がったことは謝ろう。申し訳なかった。これでも、別に怪しいものじゃないんだ、少し話を聞きたくてな」
「…その言葉を信用できる根拠は?」
少年の目が疑念に細まった。
「君を攻撃しないところかな?」
「うわっ!」
背後から突然声をかけられ、彼は跳ねるように壁際に退いた。よほど驚いたとみえ、浮かべていた光球は消えてしまい、目を見開いて両手でワンドを握りしめている。
「…そんな驚かなくても…奥に人がいると思わなかったか?」
「お、思うわけないだろ!なんでお前は僕の魔力探知に引っかかんないんだ!」
「おいおい、そんなもの魔力遮断の魔道具でも付ければ…」
苦笑するトーマに、少年は照れ隠しもあって大声で文句を言った。
トレアはそれに対して更に指摘しようとするが、明確に理由がある様子で彼は首を振るのだった。
「魔力遮断の結界も、家の中なら逆に分かるんだよ」
「どういう事だ?」
「僕の今使った魔力感知は、この魔力で満たされた家の中に他の魔力が入ってきたらすぐ分かる仕組みなんだ。池を魚が泳いで波紋がたつみたいなものだよ」
何となくイメージできたトーマ達はふむと頷く。
「魔力遮断の結界は、内から外に魔力が漏れない。同時に外から内にも魔力は入らない。つまり、結界があればそこにぽっかり空洞が出来るわけ」
例えるなら、池に桶でも浮かべたようなものだという。それに少年は続けて、でも…と怪訝そうにトーマを見た。
「この人はそうじゃない。そこに何も無いかのように全く感知出来ないんだ。隠蔽とかそんなレベルじゃない…一体何者なの?」
トーマは困った笑みを浮かべながら頭を掻く。
「まぁそこにも絡む用件で訪ねてきたんだ。話を聞いてもらえるかな?」
「…わかった。奥の書斎で話そう」
「ああ」
伸びていたノルヴィを起こし、軽口を言いながら書斎へ向かう4人の、もといトーマの背中を、少年は半分睨むように見つめていた。
書斎は応接室も兼ねているようで、ローテーブルを一対のソファーが挟んでいた。
そのソファーにトーマたち3人は腰掛け、ミラはノルヴィの傍らに佇んだ。少年は奥のデスクから椅子を持ってきて、所謂お誕生日席に座った。
「さて、まずは自己紹介からだな。俺はトーマ。それからトレア、ミラ、ノルヴィだ」
「ん。僕は…シャルル。それで、あなたたちの用件っていうのは?」
「ああ、単刀直入に訊こう。ここに魔女はいるのかい?」
それを聞いたシャルルの目が訝しげにトーマを見つめる。
「いたとして、どうするつもり?」
「彼女が時空間魔法を使ったのかを確認したい」
「時空間魔法…詳しく聞かせてもらえる?」
そこでトーマは自らを取り巻く実状を説明していく。子供のシャルルには理解できないのではないかとトレアたちは心配していたが、トーマは彼を一言でいえば頭のいい人物と認識しており、その推察は当たっていたようで。
「なるほど…。たしかにその状況じゃ、細かい位置までは特定出来ないね」
「今の説明、全部分かったの?」
ノルヴィが少し驚いて訊ねる。
「え?…むしろ今の説明でわからないとこってなに?」
「ええ、いや…失敬しました…」
真顔で帰ってきた返事にノルヴィの顔は引きつった。
「とりあえずトーマが感知出来なかった理由は分かったよ…そもそも魔力がないんじゃね…あ、けど…いや…そんなもんなのかな…」
シャルルがぶつぶつと独りごち始めると、失笑したトーマが呼びかけた。
「話を戻してもいいかい?」
「あ、うん。ごめんごめん。えっと、確かにここに魔女はいるよ。…僕の師匠(せんせい)だからね」
「やっぱりそうか」
「うん。それにそのくらいの時期に時空間魔法の実験をしてるよ」
「本当か!」
トーマよりも先にトレアが声を上げていた。それに一拍置いて、ミラが質問した。
「それはどういう目的の実験で、結果はどうだったのかしら?」
「目的は亜空間の生成と出入りさ」
「…つまりは自分だけの世界を、ということだったのかしら?」
「そうだね。…師匠は基本的に人嫌いなのさ」
「…珍しいな」
「そう…だね」
憂いを含んだ笑みがシャルルから零れる。
「それで、結果は?」
「大失敗さ。媒体がよくなかった…らしいよ。おかげで、ドリフターになった人もいたしね…」
「…まさか…」
トレアが顕著ではあった。が、ミラもノルヴィも彼を見つめていた。
「そうだよ、トーマさん」
この日一行は6つ目の町、ボナルフへと到着した。べネールからは距離にして約500キロ、東京から大阪までとほぼ同じくらいの距離である。
トーマとトレアは宿屋街の一角に佇んでいた。3軒程を回ったのだが空いている宿がなく、ミラとノルヴィだけで空いている所を探した方が早いということになったのだ。トーマとトレアは荷物番として、2人が戻ってくるのを待っているのである。
壁に凭れながら、トーマは町の様子を眺めていた。これまでの町とそれほど変わらず、レンガと木材の合わされた建物に丸石の敷きつめられた道と、中世を思わせる景観だ。向こうの世界と違って悲壮な顔を浮かべる者はおらず、賑やかである。
しかし唯一違いを感じられるところがあった。
「トレア、さっきから剣士とか戦士ばかり目につくんだけど、俺の気のせいか?」
確かにこれまでの町と比べて、そういう装いの者が多い。これまでの街でもいないわけではなかったが、30人に1人くらいの割合。それに比べてこのボナルフは10人に1人、むしろそれ以上に多い気もする。
「いや、当然だ。このボナルフは戦士の街だからな」
「戦士の街か、どうりで…」
「ああ、この東スプル連邦周辺の戦士たちにとっては憧れの場所だ」
東ルプス連邦。トーマたちが今いる合衆国の名前である。
ミラの解説によれば、魔物がまだ魔物娘の形をとる前からあった大国が親魔物派と反魔物派に分断されたことにより、元の大国の8つの領のうちの半分が各々独立し、一旦は小国家となった。
やがて反魔物派もとい教団からの侵攻に対抗するため、4国は再び合併し、4つの領からなる東ルプス連邦となったのである。
閑話休題。
トレアは町の北西の丘を指さした。街の半分が乗り上げるその丘の上には、巨大な建造物がその威風を晒している。
「コロシアムだ」
「コロシアム…じゃあ闘技や試合が催されるんだな」
「ああ。ほぼ毎日開かれていて、試合の内容は様々だ」
単純な決闘形式から勝利条件が特殊なもの、更には将来冒険者や戦士になりたいという子供のためアンダー15の試合まであるらしい。
「私も一度は参加してみたいものだな…」
「ん?滞在中に出てみればいいじゃないか?」
「…いや、やはり今はこの旅と、お前の問題に集中するよ。それに、怪我でもした時には滞在が伸びることになるしな」
「そうか…なんだか悪いな」
「気にするな、この先来る機会などいくらでもある」
ミラとノルヴィが戻ってきて、チェックインの出来た宿に荷物を置いた彼らは、まだ日が高いということもあり再び街へと繰り出した。既にルーティンとなった動きである。
ノルヴィは当然商売だ。彼もこの町のことは把握していたので、戦士が好みそうな商品を多く前の街で仕入れてきていた。主に武器防具、それに回復系の魔法薬である。
他の3人はまず魔導師の所へ赴いた。ギルドでついでに依頼を受託しつつ職員に魔導師の所在を訊く。
「フロートスさんのお宅でしたらこちらになりますね」
オークの受付嬢は町の地図を出して、その一角を指し示していた。
場所としては町の南東側、外れに近い所であった。
ギルドを出た彼らは街の中心部から40分程歩いて、フロートスという魔導師の自宅兼研究所に到着した。
「エヴァニッチの紹介なら無下にも出来んな。まぁ中へ」
鷲鼻の初老男性が3人を出迎えた。
奥で話を聞いたが、トーマの探している魔導師ではないことが分かった。
「お時間をお取りしました」
「なに、気にする事はない」
「あなたの他に、この町近辺で魔導師はおられますか?」
「いや、この街に魔導師は私だけ…だな。治癒士や流れの者はおるだろうが、時空間魔法を扱えるほどの者はおらんだろう」
「…そうですか」
その後少し話をし、トーマ達はフロートスの屋敷を辞した。
因みにその話というのは、魔力を暴走させる例の隕石片のことであった。エヴァニッチが知り合いの魔導師名義で出した回収の連絡が回っていたらしく、フロートスもつい先日魔力遮断の結界を施した容器に入れて送ったらしい。
斜陽の差す宿に戻る道で、ミラが2人に質問を投げかけた。
「ねぇ、さっきのフロートスさんの様子、気付いた?」
「…ああ。変な間があったな。彼以外の魔導師の所だろ?」
「そうだな。トレアとミラはどう思う?」
「そうね…思い出しているだけのような気もするし、思い出したからな気もするわね」
「だとして、話さなかったのは話す必要がなかったのか、話したくなかったのか…」
「俺としては前者の気がするよ。少なくとも何かを隠そうとしているふうには見えなかったな」
「…そうか」
宿にはいつも通りノルヴィが一足先に戻っていた。様子を見るに売れ行きは好調だったらしい。
聞いてみれば相当よく売れたらしく、本気か冗談か分からない自惚れたセリフも飛び出した。まぁこれもいつものことであるが。
彼もトーマ達の方の様子を訊ねた。また目的の人物ではなかったと答えると、あ、じゃあ…と話し始めた。
「魔女の噂は聞いた?」
「魔女の噂?いや…」
「そっか。まぁこれ、噂というか半分おとぎ話レベルなんだけどね、いい?」
「ああ、聞かせてくれ」
前魔王時代、魔物を多く討伐しその名を大国に轟かせた戦士がいた。そして彼が生まれ、看取られたのもこのボナルフであった。それ故に彼を慕うものや憧れる者が集まり、いつからか戦士の街として栄えて来たのである。
多くの旧時代の魔物を退け、他国からの侵攻を打ち破り、無敵の戦士集団とまで呼ばれるようになっていた彼ら。しかし、そんな彼らにも危機が訪れる。
ある時、ルプス山脈から想像を絶する大蛇が現れた。町は滅亡の危機に立たされ戦士たちは何とかしようと立ち向かったが、とても手を出せる相手ではなかった。
蛇が戦士たちを飲み込もうとした時、1人の魔女が現れた。彼女の魔法は蛇を凍てつかせ、頭を砕き、二度と町が狙われないよう壁を築いた。
魔女はその後町外れに家を作り篭った。それから長い年月の間、町は大蛇に脅かされることなく人は営みを繰り返している。
物語を聞き終わって、トーマはふむ…と声を漏らした。
「魔女か…これがもし本当なら、彼女はまだ存命だろうか?」
「そうね。いつの話かにもよるけれど、百年前後なら魔物は変わりないわね」
「しかし、この街には壁なんてものはないぞ?」
「いや、トレア。そのままのものとは限らないぞ」
「…どういう事だ?」
「こういう話は、だいたい比喩表現になっているもんなのさ」
「つまり、蛇も壁も何かを言い換えた言葉ってことかしら?」
「そういう可能性もあるってだけだけどな。まぁこっちの世界じゃ町を飲み込めるほどの蛇がいたっておかしくはなさそうだし」
「うふふ、そうね」
トーマが肩をすくめる仕草で言うと、ミラは笑って肯定した。
真偽は定かでないにしても、どうやら実際にそれらしき家があり、しかもその家には結界が張られていたらしい。そしてこの“〜いたらしい”という表現にトーマたちが引っかからないわけはなかった。
ノルヴィが町の人から話を聞いたところ、1年経たないくらい前までは確かに結界があり、家の敷地の中には入ることが出来なかった。だがいつからか結界が消え、そこに出入りする男の子が目撃されるようになったのだ。
当然気になって方方で彼に訊ねる者がいて、彼らに返される答えは同じであった。
最近引っ越してきた祖母と孫で、祖母は足腰が悪くなってしまい、孫である自分が身の回りの世話をしている、ということだ。
大変だと思った人が手伝いを申し出るが、祖母はそういう事に大変気を使ってしまう性格だから逆に気苦労になる、と言われやんわりと断られるのだとか。
「…話だけ聞くと、あからさまに裏がありそうなんだが…」
呆れを顔に貼り付けてトレアが呟くと、トーマたちも深く頷いた。
話し合いの末、裏があるとは思うが、もしも本当に魔女がいるのだとすれば可能性はあるとして、日を改めてそこを尋ねることになったのである。
翌日、昼前になってトーマたちはその魔女の家らしき所に到着していた。
腰ほどまでの石を積み重ねたの塀と木の柵で囲われた一軒家は、庭は荒れ草は伸び放題。家自体も壁はもちろん一部屋根にまで蔦が伸びており、いかにも雰囲気は悪い。
蔦の奥にある家の壁をよく見れば、そんなに前から建っていたとは思えないほど状態が良い。
補足的な話をすれば、この世界でトーマが見た建物は元世界で言うチューダー朝様式のような梁や柱がむき出しで間を漆喰やレンガで埋めているもの、ジェイコビアンやスチュアートと呼ばれるようなフラットでレンガがむき出しのものであった。
目の前の家はチューダー朝様式の二階建てなのだが、柱や漆喰の劣化具合が今街にあるものより遥かに少ないのである。
「それはきっと結界のせいね。きっと雨風も凌ぐ効果があったのよ」
「なるほど…」
「あと庭に生えてる草も家を覆う蔦も、魔法薬にも使われる魔性植物よ」
「それはまぁ、魔女がいてもおかしくないわけだな…」
「俺っち的には、お客の注文がここで終われそうなのがありがたいねぇ」
今回はノルヴィも一緒であった。
商品の薬草と相性のいい別種とセットなら5割増で買うという客がおり、その別種の薬草がこの辺りに自生していそうだと言うのが理由だ。
「んじゃ早速お邪魔させてもらおっか?」
「の前に、外から様子を探ろう。危険があるかもしれない。少し待っててくれ」
「わかった」
トーマは足元に気をつけながら敷地の中へと入った。そしてそのまま窓から中を覗きながら、反時計回りに家を1周して戻って来た。時間にして5分程である。
「埃がほとんどない。多分誰かは住んでいるんだろうが、ただ誰の姿も気配もないな」
「話だと、足腰の悪い老人がいるはずだったな」
「ええ。本当にいるのだとしたら訳あって外出している、ということになるけど」
「いや、見てみろ」
トーマは玄関まで続く、獣道のようになってしまった通路を指した。
「玄関までの道は舗装されていなくて土がむき出しだ。踏み固められていて足跡こそ分からないが、杖の後くらいは着いても良さそうだろ?」
「たしかに…足腰の悪いばぁさんが、杖も持たずに出るとは思えないよねぇ」
そして話し合った結果、彼らは家の中を探索してみることにした。
玄関まで進み、ドアノブに手をかけてみるとガチャと音を立ててノブは回った。
「確かに埃もないし、空気も悪くないな。しかし…」
「ええ。空間を満たしているこの魔力…」
トレアとミラの2人が感じている魔力。視覚で感じているわけでもないが、例えるならまるで家の中が濃い霧で満たされているように自分たちを覆っている。
「二人の反応を見るに、魔女がいるのは確定だな」
「そうね…家自体に何か細工があるみたいで外からは何もわからなかったの、ごめんなさい」
「所謂、隠蔽ってやつか。謝ることはないさ」
「んで?どうするよ?」
訊かれたトーマは家の中を見渡した。玄関を入って両脇に各1部屋、玄関から真っ直ぐ廊下を行き、奥に1部屋とその手前に階段がある。
「俺は奥を見てくる。ミラとノルヴィは右、トレアは左の部屋を頼む」
「二階は?」
「一階を探索したあとにしよう」
「わかった」
トレアの入った左の部屋は寝室であった。魔導式のランプに、少し広めのベッドが1つ、大きめのチェストに、クローゼット、サイドテーブル。この世界の何の変哲もない一般家庭のそれであった。
クローゼットの中には紳士物と婦人物、そして子供用と見られるコートが1着ずつ。
チェストには様式の古い服が数着入っており、どうやらこの家にいた子供は女の子だということがわかった。
そんなことを考えていると、廊下から叫び声とけたたましい音が聞こえた。
「ふごぉっ―!」
バーンッ―
慌てて廊下に飛び出たトレア。彼女に向けて強い口調が向けられた。
「お前も動くな!さもなきゃそこの男と同じ目に合わせるぞ!」
子供の声。
振り向いたトレアの先にいたのは、麻色のキャスケット帽とハーフパンツにワイシャツ姿の少年であった。
彼は左手にワンドを構え、青白く輝く光球を数個漂わせていた。
「…ミラ、何があった?」
同じく廊下に出ていたミラに状況を確認する。
「キッチンの方を見終わって廊下に出たところで、先にいたノルヴィにあの光球が直撃したのよ…」
後ろをちらりと見やれば、尻を天に向けて突っ伏しているなんともかっこ悪い格好のノルヴィがいた。
「人の家に勝手に上がっておいて被害者ヅラはやめてよね?」
「勝手に上がり込んだのは謝るが、いきなり攻撃してくるのはどうなんだ?」
「正当防衛の範疇だと思うけど?」
ふぅ、と息を吐いたトレアは剣から手を離し、言葉を続けた。
「一先ず、君の家に勝手に上がったことは謝ろう。申し訳なかった。これでも、別に怪しいものじゃないんだ、少し話を聞きたくてな」
「…その言葉を信用できる根拠は?」
少年の目が疑念に細まった。
「君を攻撃しないところかな?」
「うわっ!」
背後から突然声をかけられ、彼は跳ねるように壁際に退いた。よほど驚いたとみえ、浮かべていた光球は消えてしまい、目を見開いて両手でワンドを握りしめている。
「…そんな驚かなくても…奥に人がいると思わなかったか?」
「お、思うわけないだろ!なんでお前は僕の魔力探知に引っかかんないんだ!」
「おいおい、そんなもの魔力遮断の魔道具でも付ければ…」
苦笑するトーマに、少年は照れ隠しもあって大声で文句を言った。
トレアはそれに対して更に指摘しようとするが、明確に理由がある様子で彼は首を振るのだった。
「魔力遮断の結界も、家の中なら逆に分かるんだよ」
「どういう事だ?」
「僕の今使った魔力感知は、この魔力で満たされた家の中に他の魔力が入ってきたらすぐ分かる仕組みなんだ。池を魚が泳いで波紋がたつみたいなものだよ」
何となくイメージできたトーマ達はふむと頷く。
「魔力遮断の結界は、内から外に魔力が漏れない。同時に外から内にも魔力は入らない。つまり、結界があればそこにぽっかり空洞が出来るわけ」
例えるなら、池に桶でも浮かべたようなものだという。それに少年は続けて、でも…と怪訝そうにトーマを見た。
「この人はそうじゃない。そこに何も無いかのように全く感知出来ないんだ。隠蔽とかそんなレベルじゃない…一体何者なの?」
トーマは困った笑みを浮かべながら頭を掻く。
「まぁそこにも絡む用件で訪ねてきたんだ。話を聞いてもらえるかな?」
「…わかった。奥の書斎で話そう」
「ああ」
伸びていたノルヴィを起こし、軽口を言いながら書斎へ向かう4人の、もといトーマの背中を、少年は半分睨むように見つめていた。
書斎は応接室も兼ねているようで、ローテーブルを一対のソファーが挟んでいた。
そのソファーにトーマたち3人は腰掛け、ミラはノルヴィの傍らに佇んだ。少年は奥のデスクから椅子を持ってきて、所謂お誕生日席に座った。
「さて、まずは自己紹介からだな。俺はトーマ。それからトレア、ミラ、ノルヴィだ」
「ん。僕は…シャルル。それで、あなたたちの用件っていうのは?」
「ああ、単刀直入に訊こう。ここに魔女はいるのかい?」
それを聞いたシャルルの目が訝しげにトーマを見つめる。
「いたとして、どうするつもり?」
「彼女が時空間魔法を使ったのかを確認したい」
「時空間魔法…詳しく聞かせてもらえる?」
そこでトーマは自らを取り巻く実状を説明していく。子供のシャルルには理解できないのではないかとトレアたちは心配していたが、トーマは彼を一言でいえば頭のいい人物と認識しており、その推察は当たっていたようで。
「なるほど…。たしかにその状況じゃ、細かい位置までは特定出来ないね」
「今の説明、全部分かったの?」
ノルヴィが少し驚いて訊ねる。
「え?…むしろ今の説明でわからないとこってなに?」
「ええ、いや…失敬しました…」
真顔で帰ってきた返事にノルヴィの顔は引きつった。
「とりあえずトーマが感知出来なかった理由は分かったよ…そもそも魔力がないんじゃね…あ、けど…いや…そんなもんなのかな…」
シャルルがぶつぶつと独りごち始めると、失笑したトーマが呼びかけた。
「話を戻してもいいかい?」
「あ、うん。ごめんごめん。えっと、確かにここに魔女はいるよ。…僕の師匠(せんせい)だからね」
「やっぱりそうか」
「うん。それにそのくらいの時期に時空間魔法の実験をしてるよ」
「本当か!」
トーマよりも先にトレアが声を上げていた。それに一拍置いて、ミラが質問した。
「それはどういう目的の実験で、結果はどうだったのかしら?」
「目的は亜空間の生成と出入りさ」
「…つまりは自分だけの世界を、ということだったのかしら?」
「そうだね。…師匠は基本的に人嫌いなのさ」
「…珍しいな」
「そう…だね」
憂いを含んだ笑みがシャルルから零れる。
「それで、結果は?」
「大失敗さ。媒体がよくなかった…らしいよ。おかげで、ドリフターになった人もいたしね…」
「…まさか…」
トレアが顕著ではあった。が、ミラもノルヴィも彼を見つめていた。
「そうだよ、トーマさん」
22/01/04 12:12更新 / アバロン3
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