読切小説
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西行紀行『密林に潜む小さき首を持つ狩猟者の一族』
「必要なのは慣れよ」
僕と向かい合って座る彼女は、手の中の小ぶりなナイフを弄びながら言葉を紡いだ。
「確かにある程度の器用さは必要だけど、それ以上に重要なのは慣れ。ほんの少々の力加減を誤っただけで、何もかも台無しよ」
「はぁ・・・」
「でも、この下ごしらえが終われば、後は簡単。何種類かの植物の汁に数日漬け込み、縫って形を整えて、熱した砂を注ぐ。後は好みで三つ編みにしたりして飾るだけ」
「はぁ・・・」
彼女の解説に、僕はただ気の抜けた相槌を打つほかなかった。
ジパングの旅行者が、早々にこの集落から逃げ出したのも納得がいく。
それにしても、何でこんなことになったのだろう?
密林の奥深く、大木の木の枝の上に造られた小屋の中で、僕はそう考えた。
ああ、名乗り忘れていた。
僕は、偉大なる生物学者として歴史に名を残す予定の・・・いや、名乗るのは発見をしてからにしよう。
とにかく、僕は生物学者だ。



――――――――――――――――――――



説明すると長くなるが、いろいろあって僕は怪我と記憶喪失により一時入院していた。
だが入院生活はそう辛いものではなく、入院する直前の仕事で雇った助手のユーシカのおかげで、大分楽なものだった。
毎日僕を見舞いに来て、会話をし、時折研究資料を持ってきてくれる。
たったそれだけでも、ユーシカは大分僕の心の支えになってくれた。
また、彼女は『記憶の回復の妨げになる』と直接は何もしなかったが、失われていた記憶の殆どが回復するに至ったのは、彼女のおかげだと僕は信じている。
そして、退院した僕と付き添いのユーシカを迎えたのは、綺麗に片付けられた僕の自宅だった。
全く、なんて出来た助手なのだろう。
唯一思い出せないのが、彼女の地元の集落の詳細だというのが悔やまれて仕方がない。
とにかく、新たに助手が加わった僕の生物学者としての生活は、新たに始まったのだった




「とにかく、必要なのはお金だ」
退院後の片づけなどが終わり、ひと段落着いたところで僕はそう呟いた。
「はぁ・・・」
僕の自宅の一角に設けられた研究室に新たに置いた、真新しい机に着いた南方特有の褐色の肌に金髪の女性、助手のユーシカが伝票の整理をしながら返事をした。
「でも、国からの補償金と先生のご友人からの『一ツ目巨人』の頭骨の代金が入ってますから、すぐに必要というわけじゃないんでしょう?」
「まあ、確かに今必要というわけじゃないけど、また今回みたいな突然の入院とか、お金が必要になったとき無いと困るでしょ?
今回の入院は、運良く国が補償してくれたから助かったけど、次があるとは限らないし」
「それで、貯金をして『いつか来る次』に備えよう、と」
「うん」
僕は大きく頷いた。
「でも先生、心当たりはあるんですか?」
「ある。僕にはコイツがあるからな・・・」
僕はそう答えると、ユーシカが整理しておいてくれた机の上に、数枚の紙とい札の本を取り出して置いた。
「『西行紀行』と、その翻訳だ」
「・・・・・・はぁ・・・」
かつて大陸中を旅して回ったジパングの旅行者の手記を見るなり、ユーシカは溜息をついた。
「ん?何だいその溜息は!『西行紀行』は本当にすごいんだぞ」
呆れた様子の彼女に、僕は解説を始めた。
「この本には、学会じゃ未だ存在を確認されたいない生物や、本来の生息域から大きく離れた生物がたくさん記録されているんだ。
そいつを上手いこと見つけ出して、上手いことしてやれば・・・」
「お金ががっぽり、というわけですか?」
彼女ははぁ、と溜息をつくと続けた。
「先生、取らぬ狸の皮算用って言葉、ご存知ですか?」
「あ!信用してないな!?」
僕は椅子から立つと、壁に並べられた本棚に歩み寄り、並ぶノートの一冊を一つ取り出し、目的のページを開いて彼女に向けた。
「ほら、この間の『一ツ目巨人』の記事の翻訳!これがあったから、頭骨の代金が手に入ったんだ」
「ついでに言うと、治療費も受け取る嵌めになりましたけどね」
「・・・・・・まあ、それは不幸な事件だったとしてだ」
ノートをもどし、別なノートを手に取ると僕はページを捲った。
「ほら、これ『西行紀行』三巻の記事なんだけど・・・」




『密林に潜む小さき首を持つ狩猟者の一族』
草原から密林に入り、北へ進むこと三十五日。途中でアマゾン狩猟者の村を後にしてから八日。
湯の中を歩いているのではないかと錯覚するほどの蒸し暑さを堪えながら足を進めるうち、我輩は一つの集落にたどり着いた。
褐色の肌に、小さな首を幾つも持つ、身体を僅かばかりの衣服で隠しただけの人々の村だ。
彼らは木々の枝の上に小屋を建て、そこで生活していた。我輩はこの人々を小さい首族と呼ぼう。
我輩は過去に訪れたアマゾン狩猟者の村で教わった挨拶をし、集落に客人として迎えられた。
小さい首族は我輩をもてなし、外の話をねだった。
我輩は彼らに外の話を聞かせ、代わりに道や猛獣の有無を教えてもらうと、早々に集落を後にした。
この集落は、あまり長居すべきものではないと感じたからだ。
仮にこの手記を読むものがいれば、あまりこの近辺には立ち寄らぬ方がいいと我輩は忠告しておこう。







「んで、この後更に十日ぐらいかけて密林の中を流れる川に出た、って続いてる」
『西行紀行』の中でも、特に短い記事の翻訳を読み終えると、僕は顔を上げた。
「それで、この『小さい首族』の集落を探そうと思ってるんだけど・・・」
「すみません先生、わたしにはそれがどうしてお金に繋がるのか、ちょっと・・・」
ユーシカはいくらか困った様子でそう言った。
「なあに、簡単なことだよ。『小さい首族』ってのは何だと思う?」
「大陸西部の密林で、狩猟を生業としていますから・・・アマゾネスか、その祖先種族、あるいは類似種族でしょうか?」
僕の問い掛けに、彼女は期待通りの返答をした。
「うん、順当に考えればそうなるね。でも、ちょっと違うと僕は思うんだよ」
本棚から離れ、彼女の席に歩み寄ると、僕は机の上にノートを広げた。
「ほら、この記事でもそうだけど、『西行紀行』の著者はアマゾネスといった密林に住む狩猟者を『アマゾン狩猟者』って記述しているんだ」
大陸西部の密林を進んでいる間の記事をいくつか示し、ユーシカに確認させる。
「つまり、この『小さい首族』は著者の言う『アマゾン狩猟者』とは別物だ、と?」
「そうなるね・・・では質問」
僕は人指し指を立てると、続けた。
「著者が『アマゾン狩猟者』とわざわざ区別をつけた、この『小さい首族』って何のことだと思う?」
「・・・えぇと・・・うーん・・・」
彼女はしばし眉間に皺を寄せて考えていたが、すぐに降参した。
「すみません、わたしには分かりません・・・」
「僕も、正確な答えは分からない。でも、推測はいくらか立てられる」
彼女の机の上のペンをとると、僕はノートの余白に『小さい首族』と書き記した。
「まず、この『小さい首族』で重要なのは、『小さい』と『首』の単語だ」
印をつけながら、説明を続ける。
「ぱっと見だとこの『小さい』は、まるで首が小さい、って表現しているように見える。だけど、集落の説明で『小さい首族』の住居は樹上にあると分かる。
つまり、この『小さい』は一族の体躯が小さい、ということなんじゃないかな?」
「はぁ・・・」
だからどうした、というような表情をユーシカは浮かべるが、僕はその重要性を教えるために説明を続けた。
「ただ、単純に体躯が小さいだけの種族なら、フェアリーだとかドワーフだとかいくらでもいる。
ここで重要になってくるのが、『首』の単語だ。わざわざ『首』と表現しているからには、何らかの意味があるのだろう」
「何らかの意味、ですか・・・」
「恐らく、僕は『小さい首族』の首は取り外し可能なのではないか、と思うんだ」
「首が取り外し可能って・・・」
ユーシカも僕と同じ推測にたどり着いたらしく、表情が変わった。
「そう、デュラハンだ。それ狩猟でで生活を支える、小柄なデュラハンだ」
「でも、大陸西部の大密林にデュラハンがいるなんて・・・」
「だから、珍しいんだよ」
僕はキーワードを綴る為に握っていたペンを机の上に置くと、椅子の背もたれに体重を預けながら続けた。
「しかも、推測を全部重ね合わせると、デュラハンとフェアリーもしくはドワーフといった小人系の魔物の混雑種だという事になる。
勿論、これだけの特徴を併せ持った種族が『小さい首族』だというわけはないだろうけど、それでも大密林にデュラハン、もしくは狩猟を行うフェアリーかドワーフがいるというだけでも大発見だ。
どうだ、すごいだろう」
しかし彼女は少々怪訝な表情を浮かべながら、首をかしげた。
「まあ、すごいというのは分かりますけど・・・その大発見が、何でお金に繋がるんですか?」
「ああ、その説明はまだだったね」
背もたれに預けていた体重を取り返しながら、僕は指を広げた。
「大発見をする。
学会で発表する。
偉大なる生物学者になる。
講演を頼まれたり、本が売れたりする。
お金が入ってくる。
どうだ!」
見事なまでの僕の五段階未来予想図の威光が眩かったのか、彼女は目元を手で覆うと顔を俯かせ、小さく振った。
「とりあえず、明日ぐらいから出発しようと思うから、一緒にお願いね」
「明日からですか!?」
「そう。だからのんびりしてる暇はないよ!」
僕はそう言うと、大密林への旅の準備をすべく立ち上がった。




――――――――――――――――――――



そして、例によって場所が確定している『西行紀行』の記事上の地点から、ジパングの旅人の経路をたどって、僕達は大陸西部の大密林に着いた。
湿気と熱を孕んだ辺りの大気は、ねっとりと身体に絡みつくようで、砂漠や荒地とは違った方向で僕たちの体力を削いでくる。
「暑いですね・・・」
「うん・・・」
手にした鉈で草を払い、道なき道を切り開きながらのユーシカの呟きに、僕は賛同した。
だって南方出身の彼女がへばってるんだもん。王都出身の僕が元気でいられるはずがない。
「それで・・・もうそろそろでしたっけ?『小さい首族』の集落、まで・・・」
鉈を振るい、ばっさばっさと草を払いながら、彼女が口を開く。
「ああ、ちょっと待って」
肩から提げた鞄に手を入れ、地図を挟み込んだノートを取り出す。
そして『西行紀行』の原文の写しと、その翻訳を確認した。
「うん、もう近くだ。ジパングの旅行者は、もう少し進んだところで『小さい首族』に・・・」
と、そこまで僕が言った瞬間、はじけるような速さでユーシカが進行方向の上方に顔を向けた。
同時に手にしていた鉈を投げつけ、地面を蹴って僕に躍りかかる。
「っ!?」
突然の彼女の動きに対応できず、飛びかかる彼女と正面からぶつかり、バランスを崩してひっくり返ってしまう。
そしてひっくり返る視界の中で、僕の目は勢い良く回転しながら樹木の枝に突き刺さる鉈と、その枝の上に居た影が飛び退るのを捉えた。
(何かがいる?)
一瞬そんな考えが浮かぶが、直後僕の横に突き立った一本の矢によって、影の正体を探る余裕が掻き消された。
「・・・ぃ・・・」
ユーシカが歯の奥から低く息を漏らすと、地面にひっくり返った僕を力任せに突き飛ばし、傍らの繁みに押し込んだ。
その反動を利用して彼女が僕と反対の方へ飛び退くと、僕たちが転がっていた地面に二本目の矢が突き立つ。
肘から指先ほどまでの長さの、ごく短い矢だ。こういった密林の狩猟部族が好んで使う矢で、取り回しのよさと速射性に優れているという利点がある。
勿論、襲撃者もその利点を大いに活用し、繁みに僕を押し込んでほぼ無防備のユーシカへ、続けざまに射放った。
だが、三射目が届く直前、彼女は地面を蹴って身体を滑らせ、身一つ分だけ位置をずらした。一瞬遅れて、短矢が地面に突き立つ。
三度にわたってどうにか矢をかわせたユーシカだが、未だ体勢を立て直せていないため、その表情には若干の焦りが浮かんでいた。
一方襲撃者は、もう既に四本目の矢を弓に番えているのだろう。
彼女の目が、ちらりと木と木の間、背の高い草の間を捉える。
恐らく、矢の飛んできた方向から襲撃者の位置を割り出し、あの木の陰なら屋から身を守れる、と踏んでいるのだろう。
そして、襲撃者が木の陰を狙える位置に回りこむ頃には、体勢を立て直しているはずだ。
僕がそこまで彼女の意図を推測した瞬間、ひゅぅっ、っと鋭い音が耳に届いた。
矢が放たれたのだ。
同時に、ユーシカが地面に手をついた中途半端な姿勢から、無理矢理地面を蹴って低く跳躍した。
彼女の身体が低く宙に舞い、彼女の居た場所に短矢がゆっくりと迫っていく。
何もかもがゆっくりとした中、彼女の足の間を通り抜けて地面に矢が突き立ち、彼女の身体が繁みに吸い込まれていく。
そして、彼女の半身が草の向こうに消えた瞬間、何もかもが元の速度に戻った。
草が揺れ、四本目の矢が揺れ、そして。
「ぎゃぁぁぁあああああああ!!!?」
草むらの向こうから、ユーシカの壮絶な悲鳴が轟き、繁みを突き破ってユーシカが転がり出た。
「あああああああああああああ!!!!」
顔から胸にかけて、泥のようなものを付着させたユーシカが、叫びながら泥を擦り落とそうと手で顔を払っている。
そこには、先程までの緊張感や集中力はおろか、五本目の矢が飛んでくるかもしれないという危機感すら消えていた。
「あああああああああああああ!!!」
「ど、どうしたユーシカ!?」
尋常ならざる様子の彼女に、僕も思わず草むらからのそのそと出て、彼女の傍に歩み寄った。
「落ち着け、何があったんだ!?」
「ああああああっ!?ああああああああ!!!」
半狂乱の彼女からの返答はなく、ただ叫び声を上げながら転げ回るばかりだ。
「あらー?敵かと思ってたけど、違うみたいね・・・」
微かな困惑を滲ませる声と共に、枝を揺らして木の上から影が一つ地面へ降り立った。
褐色の肌に、銀色の髪。髪の間から覗く曲がった角と、太腿に刻まれた独特の模様。
僕の視線の先に居たのは、密林に幾つもの部族が存在する、アマゾネスの少々小柄な女だった。
手にした小ぶりの弓と、背負った矢筒からするに、彼女が襲撃していたらしい。
「ごめんなさいね。てっきり他所の部族が旅行者の振りしてウチの縄張りに入ってきたのかと思ったのよ。山猫のフンに顔から突っ込んでいくところを見ると、どうも違うみたいだし」
アマゾネスの同時に、僕の鼻を微かな異臭が突いた。
そして、僕はやっとユーシカが半狂乱状態に陥った理由を悟った。




――――――――――――――――――――



襲撃者のアマゾネスは、名をアルディアーナと言った。
「いやあ、ごめんなさいねえ」
僕たちを先導して草を鉈で払いながら、彼女は時折振り返りつつ僕たちに声を掛ける。
「ほんと、ここ最近北の連中がウチの縄張りで狩りをしようとするのよ。こちらもぎりぎりのところで生活してるのによ?
それで北側見張ってたら、今度は南から入りこむようになるしで、縄張りの中で見かけたよそ者はとりあえず攻撃、ってなっちゃったのよ。
ホント、ごめんなさいねえ」
「はぁ…」
「うぅ…」
弁解と愚痴めいたアルディアーナの言葉に僕は生返事を返し、ユーシカはうめき声で応えた。
互いの敵意がないことを確認できたのは良いことだが、少なくともユーシカは被害を被っているのだ。
だが、こちらとしても『小さい首族』の情報を得るためにも、険悪な雰囲気になるのは避けたいところである。
とりあえず僕は『小さい首族』の情報を聞き出すことにした。
「アルディアーナさん」
「何?」
「『小さい首族』・・・いえ、この辺りに住んでるある部族について調べているんですが、木の上に住居を構える部族に心当たりはありますか?」
「うーん、大体この辺りの部族は、みんな木の上に家を作るのよね・・・だからそれだけじゃ、ちょっと」
「そうですか・・・じゃあ、体格が小柄な部族は・・・」
「うーん、それなら東の連中がそうかもしれないけど・・・あいつらはわたしのお婆さんぐらいのころに南から流れてきた、って話だし・・・」
「そう、ですか・・・」
どうやら、『小さい首族』の情報はこれ以上得られないようだ。
彼女自身が『小さい首族』の末裔という可能性もある。
確かにアルディアーナさんは若干小柄だが、『小さい首を所有している』という記述にはそぐわなかった。
だが、情報が得られなかったからといってここで会話を打ち切るのも、考え物だ。
「ところで…アルディアーナさんの一族の縄張りって、どれぐらいの広さなんですか?」
「あぁ、ウチは人数が少ないから割と狭くて・・・」
あっさりと返され、僕は返す言葉に詰まった。
狭いのならば縄張り内に珍しい生物はいるかとか、話を発展させられたのだが、これではどうしようもない。
それに、彼女のあまり触れてはいけない部分に言及してしまった気もする。
「さ、着いたわ」
アルディアーナの気分を害してしまわなかったか、と僕が肝を冷やす一方で、彼女は鉈を振るう手を止めながら朗らかな口調でそう言った。
同時に背の高い草むらから抜け出て、視界が開ける。
僕たちを迎えたのは、背の低い草やむき出しの地面しかない、開けた空間だった。
密林の中の広場、とも言うべき空間である。
そして広場に生える数本の木の枝の上には、小さな小屋が乗っていた。
「あっちの方に川があるから、そこで身体を洗うといいわ」
アルディアーナがそう言いながら、広場の一方を指し示す。その先には、確かに木々の間から日の光を照り返す水面が覗いていた。
「うぅ、ありがとうございます・・・」
ユーシカが低く礼を述べながら、よろよろと水場のほうへと歩みだしていった。
「さて、ユーシカちゃんが帰ってくるまで待つ、ってのもアレだから、ウチで待つといいわ」
「ああ、それはありがとうございます」
「礼には及ばないわよ、こっちも外の話は聞きたいし・・・ちょっと待っててね」
彼女はそう言うと、軽く助走して広場に生える木の一本に駆け寄ると、地面を蹴った。
跳躍と共に足を木の幹に突き出し、表面の瘤に爪先を引っ掛けると、そこを足場に更なる跳躍をする。
そのまま彼女が数度の跳躍を繰り返すと、アルディアーナの身体は小屋を支える枝の上にたどり着いた。
そして、開け放たれた小屋の戸をくぐり、しばしの間を挟んでから縄梯子がはらりと降りてくる。
「さ、どうぞ」
「お、お邪魔します・・・」
僕は樹上からの言葉にそう応じると、縄梯子に手をかけ、恐る恐る登っていった。
そして何度かバランスを崩しそうになりながらも、どうにか小屋まで上り詰めると、アルディアーナさんが僕に向けて手を差し伸べた。
「あ、ありがとうございます」
彼女の手を握り、どうにか引き上げてもらう。
樹上の木の板の上とはいえ、安定した足場がありがたい。
僕は両手両脚を小屋の床につき、縄梯子を上る運動と緊張によって上がった息を落ち着かせようとした。
「ふふ、ようこそいらっしゃい」
頭上から降り注ぐ声に応えようと、強引に呼吸を落ち着かせながら僕は顔を上げた。
すると、外に比べ若干薄暗い小屋の中の様子が目に入った。
同時に『小さい首族』の正体と、なぜジパングの旅行者が逃げるようにして集落を後にしたのかが、僕には分った。
小屋の中、棚や台の上に並ぶ幾つもの小さい首が僕を迎えたからだ。
小さい、握りこぶしほどの大きさの、胴体を永遠に失ってしまった首が。




――――――――――――――――――――



密林の中を流れる川の一角に、女が一人居た。
褐色の肌に、金髪の女だ。
衣服の上を脱ぎ、控えめな胸元を覆う下着を晒しながら、彼女は川の水で衣服を洗っていた。
「はあ、こんなものかしら・・・」
ユーシカは、衣服と顔についたヤマネコのフンを一通り落とすと、そう息をついた。
衣服は絞ったもののまだ湿っているが、ここまでの道中に掻いた汗のおかげで、あまり脱いだ時と変わりはない。
どうせ乾かそうにも、この土地特有の湿気のおかげであまり乾かないだろうし、このまま着るというのも一つの考えだ。
「・・・・・・」
そこまで考えたところで、彼女はふと気になることに行き当たり、確認することにした。
右手を上げ、首を曲げ、鼻をすんすんと小さく鳴らす。
「・・・・・・」
彼女は口をつぐんでしまうが、仕方がない。ユーシカは暑い地方の出身とはいえ、大陸南部の乾燥した地方出身なのだ。
「・・・ついでだから、水浴びもしましょうか・・・」
彼女はそう呟くと腕を下ろして立ち上がった。
腰を締めるベルトに手をかけ、ナイフの収まった鞘と金具を外して緩め、そのまま下半身を覆うズボンを下ろす。
すると胸とは対照的にやや大きめの尻が露になり、そこから続くすらりとした脚が、大陸西部特有の湿った大気に晒された。
彼女はズボンから脚を抜くと、続けて両足の付け根を包む下着を下ろす。
そして心持ち前かがみになり、汗で褐色の肌に張り付いた金色の柔らかな繁みを隠すようにしながら胸元を覆う下着を外すと、彼女は川に足を踏み入れた。
心地よい、ひんやりとした水が彼女の足を迎える。
「っ・・・はぁ・・・」
一瞬の冷たさに息を止めながらも、彼女は足を進めて川に浸かっていった。
やがて彼女は腰まで水に浸かると、両手で水を救い上げて身体に浴びせかけた。
水が身体の表面を洗い流し、清浄な心地よさを伝える。
ユーシカは数度身体に水を浴びせると、その場にかがんで頭の先まで水に浸した。
そして数秒の間をおいてから立ち上がった。
「ぷはぁ!」
額やうなじに張り付く金色の髪を掻き上げ、顔を濡らす水滴を拭った。
ねっとりとした、肌に絡みつくような湿った大気を洗い落とせるようで、彼女は上機嫌だった。
そして、そんなユーシカを見つめる目が、水面に二つ浮かんでいた。






――――――――――――――――――――




「必要なのは慣れよ」
僕と向かい合って座る彼女は、手の中の小ぶりなナイフを弄びながら言葉を紡いだ。
「確かにある程度の器用さは必要だけど、それ以上に重要なのは慣れ」
手の中に納まる、白い球状の骨。人のものと思しき頭蓋骨の表面にナイフを這わせるようにしつつ、彼女は説明を続ける。
「ほんの少々の力加減を誤っただけで、何もかも台無しよ」
「はぁ・・・」
「でも、この下ごしらえが終われば、後は簡単。何種類かの植物の汁に数日漬け込み、縫って形を整えて、熱した砂を注ぐ。後は好みで三つ編みにしたりして飾るだけ」
そう言って彼女は小屋の中に並べられた、握り拳より一回り大きい程度の『小さい首』を示した。
勿論フェアリーやドワーフのものではない。彼女の説明からすると、骨を抜かれて縮んで小さくなった人の首だ。
ただでさえ縮んでしわくちゃになっている上に、両目蓋と口が縫い合わされているため、元の顔は想像できない。
「元々は部族同士の戦いの後、相手の力や勇気を身につけるために造っていたらしいわ」
彼女は頭蓋骨を傍らに置き、ナイフを腰の鞘に収めながら、説明を続けた。
「でも、力や勇気を求めて次第に強い敵の首を求めるようになって、意味合いが戦いのお守りから思い出の品に代わって行ったのよ。
それで、ついには家族の頭も加工するようになった、というわけ」
彼女は立ち上がると、小屋の棚の一角に大事そうに置かれた二つの首を手に取った。
「これが、わたしのお父さんとお母さん」
髪を結われ、飾り紐で装飾された一組の首は、目と口を縫われているせいで苦悶の表情を浮かべているように見えた。
「お母さんはウチの部族のアマゾネスだったけど、お父さんは外から連れてきた人だったわ。
最初はお父さんは抵抗したらしいけれど、わたしが生まれる頃には大分落ち着いたらしいわ」
手の中の二つの首の皺をなぞりながら、彼女は言葉を紡ぐ。
「そして、二人は末永く幸せに暮らし、その死後もこうして寄り添いましたとさ。
素敵な話だと思わない?」
「は、はぁ・・・」
気分を損ねないように注意を払いながらの生返事に、アルディアーナは溜息を一つ挟むと立ち上がりながら続けた。
「わたしも、そんな素敵な旦那さんが欲しいんだけど、お母さんの頃みたいに外まで男を捜しに行く、なんてことが出来ないのよ。
北の連中は隙あらば縄張りに入り込もうとするし、ウチの部族はもうわたししかいないし・・・。
でも、今日は本当に嬉しかったわ」
彼女は手にしていた両親の首を元の場所に戻すと、すべるような動きで僕との距離を詰め、僕の顔を覗き込みながら屈んだ。
「残りの一生を縄張りの見張りで終わると思っていたのに、旦那さんが来てくれたんですもの・・・」
「ええと、僕には、その・・・そうだ!ユーシカ!ユーシカがいて・・・ほら、彼女南方の狩猟部族出身で、強いから・・・」
「ああ、大丈夫よ。あの川にはワニが出るから。でもそこまで大きなワニじゃないから、後で一緒に首を拾いに行きましょうね」
にっこりと微笑みながらの言葉に、僕は戦慄した。
今までに、噛み付きそうなほど獰猛な笑みや、その裏に湛えた感情がにじみ出るような笑みは何度か見たことがある。
だが、これほど純然たるただの笑みにも関わらず、怖気を覚えるのは初めてのことだった。
そして同時に、僕は悟った。
ここで彼女を拒むような言葉を口にすれば、先ほど教授してくれた『小さい首』の作り方を僕で実演するのだろう、と。
「うふふふ・・・」
アルディアーナは低く笑みを浮かべながら、僕に覆いかぶさってきた。
そして、彼女の小柄な体躯の割りに豊かな乳房が僕の体に触れようとした瞬間。
「っ!?」
彼女が突然身を跳ねさせ、僕の上から飛び退いた。
「先生!」
アルディアーナが小屋の床に降り立つと同時に、小屋の戸口の方から聞き慣れた声が届いた。


――――――――――――――――――――



水浴びをしていたユーシカが、ワニに気がついたのはほんの偶然だった。
水に潜り、目を開けたところ少しはなれたところにワニが居たのだ。
彼女は大急ぎで岸に上がると、濡れた肌もそのままに、生乾きの衣服を大急ぎで身に着けた。
そして、ワニの存在を教えなかったことをただのミスだと祈りながら、彼女はアルディアーナの小屋に上った。
だが、小屋に上がったユーシカを迎えたのは、無数の皺に覆われた小さな首と、先生の上に覆いかぶさるアルディアーナの姿だった。
二人の姿を目にした瞬間、彼女はとっさに腰のナイフを抜き、アルディアーナに向けて投げつけていた。
だが、アルディアーナがとっさに飛び退いたおかげで、ナイフは先生の上を通り過ぎ、小屋の棚に並べられた首の一つに突き刺さった。
「先生!」
「ゆ、ユーシカ!」
ユーシカの呼び声に、彼がいくらか嬉しそうな声で応えた。
「あら、もう帰ってきたの?」
体勢を立て直したアルディアーナが、小屋に這いあがるユーシカに向けて問いかけた。
「危うくワニに襲われそうになったので、大急ぎでお邪魔させてもらいました。・・・もしかして、本当にお邪魔でしたか?」
「ええ、正直邪魔よ。そのままワニに喰われてばよかったのに」
軽口で応じるユーシカに、アルディアーナはそう返した。
「おかげで、わたしが直々に片付けなければならなくなるわ」
その一言と同時に、彼女が床を蹴った。
軽い音が小屋の中に響くが、その小ささとは裏腹に彼女は一瞬で小屋の戸口に立つユーシカとの距離を詰める。
そして、右足を踏み出しながら、アルディアーナは右掌を突き出した。
「くっ!」
半身ごと繰り出される掌底を、ユーシカはとっさに両腕を交差させて受け止めた。
体重の乗った重い一撃が腕から胴へ衝撃を伝える。だが、それはバランスを崩して数歩退かせる程度のもので、内臓にダメージを与えるほどではなかった。
しかし、直後彼女はその一撃が、ユーシカにダメージを与える為のものではない事に気がついた。
衝撃を逃がす為に退いた脚が足場を捉えられず、空を踏み抜いたのだ。
勿論踏み止まることも出来ず、彼女はバランスを崩しながら地面へと仰向けに落ちていった。
ユーシカは気持ちの悪い浮遊感が全身を支配する間に覚悟を決め、背中に硬いものが触れた瞬間、両手を地面に叩きつけた。
「ぐ・・・ぅ・・・!」
とっさの受身によって衝撃は緩和されたものの、建物の二階ほどの高さからの落下により、肺の中から空気が搾り出される。
そして腕と背中の痛みに揺らぐ目の焦点を強引に合わせると、彼女の目に短弓に短矢を番えるアルディアーナの姿が映った。
落下のおかげでユーシカは大きな動きが出来ない。
万事休すか。
そうユーシカが諦念を抱きそうになった瞬間、アルディアーナの身体が突然前のめりになった。
両目を見開き、驚きの表情で首を捻って後ろを見ようとするアルディアーナ。
彼女の背後、最前まで彼女が立っていた位置には、指を広げた二つの掌があった。
そしてその掌は、小屋の戸口に立つ男の腕へと続いていた。
(先生・・・!)
ユーシカは胸中で男を呼ぶと、落下してくるアルディアーナを避けるべく、身を横に転がした。
直後、彼女の居た辺りに、アマゾネスが叩きつけられる。
「がふっ・・・!?」
とっさに受身を取ろうとしたのだろうが、アルディアーナの口から嫌な呼気が漏れた。
呼吸器を痛めたのだろうか?
だが彼女は痛みに拘泥することなく立ち上がると、手にしていた短矢を再び短弓に番え、引き絞る。
しかし、弓が十分に撓む直前、弓が折れた。
「!!」
「っ!」
一瞬驚きが二人の間を支配するが、ほぼ同時に動き出す。
アルディアーナが弓と矢を捨て、ユーシカが地面を蹴る。
ユーシカがアマゾネスとの距離を詰めた瞬間、アルディアーナは腰からナイフを抜いた。
視界の端に映った金属の輝きに、ユーシカは踏み止まった。直後その鼻先を、ナイフの切っ先が掠めた。
「ふっ・・・!」
短いと息と共に、アルディアーナが抜き放ったナイフを振り下ろし、振り上げ、引き戻し、突く。
俊敏なアマゾネスの斬撃と刺突に、ユーシカは身を捻り、退きながらかわすほかなかった。
「ユーシカ!」
頭上から聞きなれた男の声が降り注ぎ、視界の端を再び金属の輝きが掠めた。
彼女のナイフを、男が回収して投げてくれたのだ。
「・・・ち・・・」
アルディアーナはナイフの位置を確認すると、小さく舌を打ちながら踏み込みを深く、振りを小さく、そして早くした。
その結果、ユーシカを襲う斬撃の速度が増す。
ユーシカが退けば深く踏み込み、より遠く退けば一息に詰め寄る。
どうにかナイフが落ちている場所まで移動できたものの、距離を離そうとしないアルディアーナにより、ユーシカにはかがんでナイフを拾う時間がなくなった。
だが、ユーシカの表情には焦りはなかった。
「ふ、ぅっ・・・!」
低い吐息と共に、ユーシカは土ごとナイフを蹴り上げたのだ。
そして空中で回転するナイフの柄を、掌で打つ。
「っ!?」
突然舞い上がり、自分に向かってきた刃に、アルディアーナはとっさにナイフを振って、それを弾いた。
軽い衝撃がアルディアーナの腕に伝わり、ナイフが広場の一角へ落ちていく。
だが、直後彼女は己の失敗を悟った。
ナイフを蹴り上げたユーシカの脚が、まだ上がったままなのだ。それどころか、蹴りを放つようにたわめられている。
そこまでアルディアーナの芽が捉えたところで、ユーシカの足が動いた。
しかし、ナイフで迎え撃とうにも、アルディアーナのナイフは振り上げられたままだ。
「く・・・!」
彼女は低く呻くと、蹴りの衝撃を少しでも弱めるべく、空いた方の手で腹をガードした。
そして、アルディアーナの腕に、ユーシカの足の裏がぶつかった。だが、想像していたほどの衝撃はなく、数歩退けば十分逃がせられるほど軽いものだった。
同時に、ちくりとした痛みが彼女の腕から、アルディアーナの意識に届いた。
(・・・何、かしら・・・?)
瞬発的な集中力の為か、何もかもがゆっくりとした視界の中で、アルディアーナは己の腕に目を向けた。
すると、自身の腕にぶつかるユーシカの足に、何かが添えられているのに気がついた。
昆虫の甲殻を思わせる、丸みを帯びた硬質な何か。
それが彼女のズボンの裾から覗き、尖った先端が蹴りと共に腕に刺さっているのだ。
そして、衝撃を逃がす為のアルディアーナの後退によって、脚と何かが腕から離れた瞬間、彼女の腕から全身へ熱が広がった。
「・・・っかぁ・・・!」
突然の全身を苛む熱に、アルディアーナは思わず声を漏らした。
だが、退く身体は止まらず、足は追いつかず、バランスが崩れる。
彼女が再び己の失敗を悟ったのは、この瞬間だった。
だが、もう何もかもが遅かった。
アルディアーナの身体が、地面に転倒していった。



――――――――――――――――――――




ユーシカがナイフを蹴り上げ、どうにか作り出した隙に蹴りを打ち込んだところで、アルディアーナさんが仰向けに吹き飛んで動かなくなった。
「先生!」
アルディアーナさんを蹴り抜いた足を下ろしつつ、ユーシカが声を上げる。
「逃げましょう!」
「ちょっと待ってくれ!」
僕は引き揚げてあった縄梯子を垂らすと、半分滑り落ちるようにして、地面に降りた。
「大丈夫でしたか!?」
「あぁ、ユーシカのおかげで。君は?」
「私も無事です」
駆け寄るユーシカと言葉を交わしながら、ちらりと視線を脇に向ける。
アルディアーナさんは変わらず転がったままだ。
「彼女は…死んでないだろうね?」
「ええ、上手く蹴りが入ったから、しばらくは動けないと思います。この隙に逃げましょう」
「あ、待って!」
そう言って来た方向に駆け出そうとする彼女を、僕は止めた。
「何ですか、急がないと目を覚ましますよ!」
「だからこそ、だよ。僕らが来たルートだと、後から追われるかもしれないだろう」
「でも、新しい道を進んでも、どうせ追われるんじゃ…」
「大丈夫」
僕は彼女を率いて広場の一角、川に面した方向を指し示した。
「川沿いに上流に進めば、かなり大きなアマゾネスの集落に着くはずだ。そこの族長とは一応知り合いだから、多分保護してもらえるかも」
「…ええと、なんでそんな人脈が…」
「『西行紀行』の記事の調査の一環で、その集落に滞在したことがあるんだよ。記事中じゃ、この辺りから一カ月以上かけて移動してたけど、川沿いに進めば一ヶ月もかからないうちに縄張りに入れると思う」
「…なんでその集落から、川を下ろうと思わなかったんですか」
「いや、ここまで『小さい首族』の集落が川に近いとは思わなかったんで…まあ、とにかくアルディアーナさんが目を覚ます前に行こう」
僕はそうやって会話を切り上げると、足を踏み出した。
「……」
背後から小さな嘆息とともに、土を踏む音が僕の耳に届いた。
とりあえずは、駆け足だ。
僕たちは木々の向こう、日の光を照り返す川面に向かって行った。
10/10/13 17:03更新 / 十二屋月蝕

■作者メッセージ
十二屋です。久しぶりの生物学者ネタです。
今回はユーシカさん本編初登場です。
彼と彼女の珍道中は、シリーズものの箸休めぐらいの立ち位置でやっていこうと思います。

さて、今回はアマゾネスの『小さい首族』についてでしたが、彼女らの作る『小さい首』の元ネタは、有名なアレです。
以前読んだ本に作り方が書いてあったので、参考にしてみました。

ところで、今回の『小さい首族』のように死者の身体の一部を手元に残す文化圏って、微妙にヤンデレの末路っぽいですよね?

まあ、そんなことをつらつら思いながらも、今回も特に書くことがないのでこれで終わりといたします。
十二屋でした。

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